ギュィィィィィ
という独特の機械音と共に起動する長波放射線照射式滅菌処置室や、かなり熱めのお湯が噴き出す有機物電離分解型浄化浴槽式滅菌処理室、今度は冷たい有機物電離分解型再浄化浴槽式滅菌処理室、そして超強力な風であらゆる汚れや皮膚片を吹き飛ばす有機物電離分解型再々浄化浴槽式滅菌処理室。
これらを経て全滅菌工程を通り抜けたシンジ達一向は、滅菌された白衣を身に纏い、ようやく日本海洋生態系保存研究機構の研究所内へと足を踏み入れる事に成功した。
目の前に広がるのは、青い海を模した巨大な水槽。そして、セカンドインパクトの前には海を泳いでいたのであろう大量の魚類や海獣、鯨たち。
「おぉ〜!?」
そんな感嘆が漏れるのは誰の口からか。
そこには、激烈な滅菌工程でヘロヘロになっていた仲良し6人組の『普通中学生トリオ』の元気も復活するような幻想的な大水槽が試練を潜り抜けた少年たちを待ち受けていたのである。
「コレがセカンドインパクト前の生き物……文献と記録映像でしか見たことなかったけど、本当に生きてるなんてね」
「……シンジ、アンタその感想、大学生のやつだからね?」
「そういうアスカも似たような感じでしょ?」
「まぁね。ヒカリやバカコンビみたいにハイテンションになるほどじゃないわ。……ま、カラフルな熱帯魚は嫌いじゃないけどね。レイ、アンタはどうなの? 海の生き物を初めて見た感想は」
「においがしょっぱい」
「……アンタほんと、情緒が可愛らしいっていうかなんていうか……男ウケ良さそうよね。ほれバカシンジ、あんたもこういう庇護欲そそるのが好きなタイプ?」
「いや、そりゃまあ、嫌いじゃないけど」
「曖昧ねえ。シャキッとしなさいよシャキッと」
そんな会話を交わすアスカとシンジ、そしていまいち何が凄いのやらピンと来ていなさそうなレイの3人は、興奮する友人達と優雅に泳ぐ魚を眺めつつ、ゆったりと各所を見て回る。
そんな彼らに対して、カシャリと響くのは、スマホの撮影音。
「シンジ君たち、デートの写真を撮るんだろ?」
「加持さん? 撮る前に言ってくれればいいのに」
「おっとこりゃ失敬。……メールで送るよ。アドレス聞いても良いかな?」
「————。……はい、良いですよ。えっと、ikαri@……」
シンジと加持の間で交わされた一瞬の目配せ。
————気付いているぞ。
というシンジからの視線。
————メアドぐらいいいだろ?
と悪びれない加持の視線。
明らかにシンジと個人的なアドレスを交換する事が目的のそのやりとりに気づいたのは、シンジとその隣に居たアスカの2人。
ただまぁ、加持が撮った『寄り添ってヒソヒソと言葉を交わす3人』は随分と仲睦まじく写っており、この一件におけるベストショットとしてヒカリから高い評価を頂いたのであった。
* * * * * *
さて、そんなデート計画を行った翌週月曜日。
『日曜日の内になんとかしておくわ!』という頼もしいお言葉を委員長閣下から頂いたとはいえ、半信半疑で登校したシンジ達3人は、意外なほど何事もなくお昼休みまでの半日を過ごすことができていた。
そして、お昼休み。いつものように仲良し6人組でお弁当を囲むこととなった際の事。
何やら視線を感じてシンジが周囲を見回せば、女生徒達が彼らに対し、何やら熱の入った視線を向けている。
「……洞木さん、参考までに聞きたいんだけど、あの一件ってどうやって収まったの?」
「女子に写真見せて、碇君がいつも綾波さんと式波さんのお弁当作ってる事も教えて『碇君にはお嫁さん2人を平等に愛せるぐらいの甲斐性がある』って説得したらどうにかなったの」
「……男子は?」
「男子は一致団結した女子達から『サイテー』って感じで睨まれて小さくなってるわね」
「弱い……」
「そうはいうけどなセンセ。センセは式波や綾波に睨まれて勝てるか?」
「無理」
「せやろ?」
「で、洞木さん。この女子達からの視線は?」
「『碇君は式波さんと綾波さんのもの』連合による温かい眼差し?」
「摂氏100万度くらいの温かさなんだけど」
「皆、美形カップルに興味津々なのは許してあげて。ちょっと何かサービスしてあげると満足すると思うの」
そういうヒカリだが「ちょっと何かサービス」と言われてもシンジにはどうして良いものやらという状態である。IQ600の博士号持ちとはいえ、乙女心の複雑怪奇さを読み解くにはスペック不足なのだ。
故に、シンジにとってその後の展開は完全な不意打ちだった。
「ちょっと、シンジ。こっち向きなさい」
「へ?」
呼ばれるがままにアスカへと向いたシンジを待っていたのは、グッとコチラに身を乗り出したアスカの顔。
————ちゅ。
と唇に軽く触れた柔らかさは、明らかに普通の皮膚の柔らかさではなく。
それが口付けであると理解した瞬間、碇シンジのIQは瞬間的に1になり、顔から火を吹くのではないかというほど真っ赤になったシンジは金魚のように口をパクパクさせることしかできない哀れな生き物と化した。
直後、爆発する黄色い悲鳴。
そんな中、アスカは満足そうにフフンと鼻を鳴らすと、周囲に聞こえない程度の声でヒカリへと耳打ちをする。
「ちょっとサービスってこんなもんで良いわけ?」
「……充分過ぎるかも?」
「そ。なら良いわ」
そう告げるアスカの顔もまた赤く、間近でとんでもない瞬間を見せられたトウジとケンスケ、そしてヒカリの顔もまた赤い。
そんな中、レイだけが黙々とシンジ特製のお弁当に舌鼓を打っているのは、ある意味流石のマイペースさと言えるだろう。
そして、そんな周囲の頬の赤みも徐々に薄れてきた頃合いで、碇シンジは金魚から人間にどうにかこうにか進化出来たのか、掠れた声で少女の名を呼ぶ。
「アスカ……?」
「なによ。……ふふん。ちゃんとアタシのこと、見えてるみたいね? バカシンジ」
直視してしまえば、逃れられない。ましてや触れれば、そして触れられれば、どうしようもなく式波・アスカ・ラングレーは美少女であり、魅力的な女の子なのだという事実が碇シンジに襲いかかる。
そして、一度太陽のようなアスカの存在に目蓋を焼かれてしまえば、綾波レイの月のような輝きを無視することも出来はしない。
美しい同居人達を意識的に意識しないようにしていた彼の努力はこの日、水の泡と化し、碇シンジという無敵のヒーローの中に隠れた中学生の碇シンジは、この日完全に思春期の目覚めを体感してしまったのである。
「……シンジ、アンタ鼻血出てるわよ」
「————えっ。うわ、ホントだ! ティッシュ!」
眠り姫の眠りを覚ます王子様のキスではなく、眠れる王子を叩き起こす勇敢な姫君のキスにより、冷めていた筈のシンジ少年の情動に、新たな心の炎が灯る。
レイがくれた勇気の心と、アスカが教えた愛の心。思わぬ燃料を得たシンジ少年の心は、人生で最も活発に燃え盛り、孤独であった筈のヒーローは、少しずつ、ひとりの男の子としての在り方を取り戻しつつあったのだった。
* * * * * *
一方、その頃。
宇宙船に乗り込み、ネルフの月面支部を上空から視察するゲンドウと冬月は、建造途中のエヴァMark.6を眺めつつ意見を交わし合っていた。
「月面のタブハベースを目前にしながら、上陸許可を出さんとは……ゼーレもえげつないことをする」
「マーク6の建造方式は他とは違う。その確認で充分だ」
そう告げるゲンドウの視線の先に横たわるのは、使徒の仮面を付けた包帯まみれの巨人。その容姿はどこか、ゲンドウ達が知るネルフ地下の第二使徒リリスに似たものだ。
「しかし、5号機以降の計画などなかったはずだぞ?」
「おそらく、開示されていない死海文書の外典がある。ゼーレは、それに基づいたシナリオを進めるつもりだ」
「だが、ゼーレとて気づいているのだろう。ネルフ究極の目的に」
そう告げる冬月の言葉に、沈黙を返すゲンドウはふと、月面へと視線を向けて疑問の言葉を漏らす。
「人か? まさかな」
そう呟いたゲンドウの視線の先。
月面に横たわる柩の群れから身を起こした少年は、ゲンドウ達の乗る宇宙船を見上げて、微笑みと共につぶやいた。
「初めまして、お義父さん」