次々と無線から飛び込んでくるオペレーター達の報告。
その全てを聞き流しながら、アスカは2号機のプラグ内でその精神を集中させていた。
しかし。そんな彼女の集中力でも無視し難い存在が、視界の端、双方向のビデオ通信が繋がったエヴァンゲリオン初号機の中に存在している。
『エヴァンゲリオン初号機、シンクロ率137.52%を記録、プラグ深度180!』
そんなオペレーターの声が示すように、まだ戦闘前にも関わらず明らかにおかしな事になっている初号機のプラグ内では、ありとあらゆるアラームが鳴りまくり、警告灯がプラグの内部を真っ赤に照らしている。
そして、その中央、煮えたぎる様に気泡が混じるプラグの中で、その目を物理的に『青く輝かせ』、沸き立つLCLの中で髪を逆立てているシンジの姿は、超自然的な存在にしか見えない。
さらに言えば、彼が乗るエヴァンゲリオン初号機も、ユラユラと虹に輝く光のオーロラを身に纏い、尋常ならざる鬼気を発しているのだ。
シンジの戦いを見るのはこれが2度目なアスカとしては、つくづくその化け物っぷりに呆れざるを得ない。
————本来なら、エヴァに乗る事で己を証明しているアスカにとっては、シンジは目の上のたんこぶ。
だが、その強さが、その輝きが、自らの魂と命と人間性を焚べて燃え立つ呪いの焔であると知ってしまえば、疎むことなど出来はしないのだ。
「……やっぱ、もうしばらくバカシンジね」
そう呟くアスカだが、不思議と嫌な気持ちはない。
碇シンジという少年のこれまでの態度は、『アスカの美少女性』には最近まで目を逸らしていたものの、常に式波・アスカ・ラングレーという個人に向けられたものであり、そこにアスカの能力も、階級も、そしてエヴァパイロットとしての身分すらも関係はなかった。
自身が承認欲求の怪物であると内心自覚する彼女にとって、その無言の承認は、なによりも居心地が良かったのである。
だからこそ、アスカはシンジの事を————。
とそこまで考えて、戦闘前に考える事ではないなと思索を打ち切った彼女は、決意表明のように呟きを零す。
「ま、レイじゃないけど、私もあの家には帰りたいし、チャチャッと使徒を倒さなきゃね」
そう呟いて操縦桿を握り込むアスカは、自身の愛機であるエヴァ2号機にその意識を同調させつつ、心の内に火を灯す。
エヴァパイロットの式波アスカとして。そして、ただの式波アスカとして。いるべき場所を守る為に、少女は強く、覚悟を決めた。
『エヴァンゲリオン2号機、シンクロ率93.18%。パイロット、バイタル正常!』
モチベーションは最高。あとは使徒を討ち果たすのみ。ゆっくりとクラウチングスタートの姿勢をとった弐号機は、その巨体の隅々にまで気力を巡らせ、作戦開始の時を待つ。
* * * * * *
綾波レイにとって、もとより第3新東京市とは人生の全てであった。
だが、そもそも人生の価値が希薄であった彼女にとって、街を守るという動機は今まで単なる生物の持つ恒常性、日常を維持しようとする本能によるものでしかなかったのだ。
碇シンジと式波アスカが、彼女と関わる様になるまでは。
ひょんなことから共に暮らし始めた2人。兄や父の様にアスカやレイの世話を焼くシンジと、姉の様にレイを引っ張っていくアスカ。
そんな2人との生活はレイにとって、2人が思う以上に大切なものだったのだ。
アスカに連れられて服を買いに行ったブティック。シンジと買い出しに出かけたスーパー。3人で外食したファミリーレストランや、ラーメン店。
2人と暮らし始めた途端にレイの人生には数えきれないほど思い出の場所が積み上がり、それらが今、レイがこの場で戦う理由になっている。
だが何より失いたくないのは、共に戦う2人の大切な『家族』たち。
アスカもシンジも、必ず使徒と戦う事を選ぶと知っていたからこそレイは愛する2人の力になる為、覚悟を決めて勇気を振り絞ったのだ。
そして、その覚悟が、今まで以上にレイを零号機と同調させていた。
漫然と乗っていた機体を、皆を守る為の己の力として認識し、確固たる意志でエヴァに乗る。
それだけでレイは、己の機体を己の五体の様に感じるほどのシンクロ率を叩き出していた。
揺るがぬ強固な軸が、強い勇気が漲る心が、エヴァンゲリオン零号機を目覚めさせたのである。
『エヴァンゲリオン零号機、シンクロ率91.87%。パイロット、バイタル正常!』
ギリギリと引き絞られた弓の様に、総身に力を込めて時を待つ巨人は、大切なものを守るため、戦場に躍り出る時を待っていた。
* * * * * *
そして。
沸き立つLCLを意にもかけず、その精神を強くエヴァンゲリオンと同調させ、エヴァ共々文字通りの『眼光』を放っている碇シンジは、深く深くエヴァの中心に沈み込み、そのコアへと迫りながら、己の精神を統一していた。
そんな中、視界に映るのは、通信が繋がっているアスカとレイの姿。守るべき存在であり、守りたい存在。
ふと無意識に手を口元にやれば、思い起こされるのは柔らかな感触。
あの瞬間は完全に脳が処理能力の限界を迎えていたが、どうやらシンジ自身でも笑える事にあの瞬間を記憶する為に全力稼働した結果だったらしい。
あの瞬間のアスカの一挙手一投足を悉く記憶し、迫るアスカの顔の睫毛が左上132本、右上128本、左下52本、右下56本であることすら数えられる程に鮮明な記憶の中で、アスカから確かに感じた『好意』は、シンジにとって望外の幸福であった。
彼のヒーロー志望の根底にあるのは、渇愛。誰も彼もを救えば、誰かは自分を愛してくれるのではないかという期待。
そんな中、第六の使徒との戦いの折、綾波レイの『友愛』の心が彼の欲望を大いに満足させ、碇シンジの心はこの14年で最も熱意に溢れるものとなったのだ。
だが。流石にシンジも自分の様な『キモチワルイ』存在が、男女の真っ当な恋愛としての意味で好意を受けるなど、思っても見なかったのである。
何しろ、彼の能力を冷静に客観視してしまえば、『怪奇脳味噌スパコン男』だの『怪人エヴァ男』だのとしか呼べない有様なのだ。
現に今、髪を逆立て目を爛々と輝かせている自分の姿は、とてもではないが人間のそれではない。
……だからこそ、シンジはアスカが家にやってきた翌日、彼女をリツコの元へと誘導し、自身の素性を晒す事で、アスカを遠ざけようとしたのである。
だが。全てを知って尚、アスカの視線はシンジと『対等』であり続けたのだ。
気の強さと口の荒さで惑わされがちだが、あれでアスカは正規の手段で大学を卒業した上で軍人としての教育すらも修了している生粋のエリート。
シンジと同等の視座を持つ同年代という点で、真の意味で彼女だけがシンジと対等だったと言っていい。
そしてそれはきっと、アスカにとっても————。
「……ってダメだ。浮かれてるのかな、僕。……浮かれてるんだろうな」
先程気合を入れて作戦に臨んだというのに、どうしても精神を内側に向ければ、浮かれた中学2年生が顔を出す。
だが、碇シンジは碇ゲンドウの息子。内心を封じ込め、目的遂行の鬼になるのは苦手ではない。
軽く息を吐きつつ瞑目し、再び目を開いたシンジの脳内には、もはや浮かれた思考は介在せず、母に望まれ、自身が願ったままの『ヒーロー』がそこにいた。
より輝きを増す瞳、煮え滾るLCL、マイナス域に突入するプラグ深度。
目を赤く輝かせ、ATフィールドの揺らぎの様なオーラを纏った初号機は、自身の足元にATフィールドでスターティングブロックを形成し、クラウチングスタートの姿勢をとる。
その姿は、獲物を狙う獅子か、はたまた劫火を纏う地獄の獄卒か。
彼の出撃待機地点は天へと噴き上がるエネルギーの渦に覆われ、天より堕ちてくる第八の使徒を威嚇するかの様に、初号機で増幅された碇シンジのATフィールドが天蓋の様に第3新東京市を覆っていく。
そんな中、その天蓋の向こうに、漆黒の球体が雲を引き裂きながらゆっくりとその姿を表した。