あのクソ迷惑な血の池地獄を作った第八の使徒以降、めっきりと途絶えた使徒の侵攻。
力を溜めているのか、それとも何か事情でもあるのか、今の平穏に嵐の前の静けさのような不吉さを感じずにはいられない状況ではあるが、それでも平穏は平穏である。
そして平穏すぎて実験をやり尽くしたのか何なのか、今日は珍しくNERVに出勤しなくても良いとのことで、シンジ達パイロット組は、放課後の屋上で部活や委員会に勤しむ友人達の下校を待っていた。
「しっかし、あのジャージが保健委員とはね」
「知らなかったんだアスカ」
「教師に言われて女子の方の保健委員は知ってたけどね」
「ああそういう。ケンスケは写真部で……洞木さんはなんだっけ」
「ヒカリは料理部だってさ」
そんな会話を交わしてのんびりと日向ぼっこする優雅な午後。レイは読書に耽り、アスカは携帯ゲーム機をいじくり、シンジは片耳タイプのモノラルイヤホンで音楽鑑賞というそれぞれの趣味をこなすこの時間は、彼らにとっては得難い『普通の日常』であった。
だがしかし。
「アスカ。空から女の子が」
「レイ、アンタ何読んでんのかと思ったらジブリのアニメ絵本読んでんの? 誰が親方よ」
「違う。上」
「は? ————マジぃ!?」
「パラシュート!?」
「アレ風向き的にこっちに落ちるわよ!?」
流石は空軍大尉、空挺降下の経験もあるのか上空のパラシュートの落下軌道を瞬時に予測し警告を発するアスカ。
その声に応える様に、上空から降ってくる謎の少女はどこか間の抜けた声を上げる。
「どいてどいてー!」
降ってくる少女。どう見てもガチな空挺降下装置。しかしその格好は制服。
それらを瞬時に判断したアスカとシンジの思考が叩き出した解答は、全く同じ内容だった。
「シンジ、そいつ捕まえて!」
「了解!」
「げげぇーッ!?」
すなわち「こいつスパイじゃね?」。
軍人として所属不明の落下傘部隊を発見した際に行う発想としては至極当然のその思考の結果、落ちてくる少女に着陸前に飛び付きパラシュートでふん縛るシンジとNERVに連絡を入れたアスカ。
その流れる様な連携は、謎の少女にとっては予想外の連続だったのか、困惑のままに簀巻きにされて転がされ、その上でレイとシンジにのし掛かられて完全に拘束されている。
「うにゃあ……こうも見事に捕獲されちゃうとはにゃあ。というか何あの空中殺法。というかなんでこのお嬢ちゃんは私のほっぺ引っ張ってるのかにゃ!?」
「レイ、危ないからやめなさい。噛まれるわよ」
「……スパイなのに特殊メイクじゃない」
「映画の見過ぎだにゃあ……ってイデデデデデ!?」
「綾波さん、僕が拘束しとくから何かもっと縛るもの持ってきて。そこの非常ベルの下に消防用のホースあるから」
「ガハッ、ゴホッ……ギブギブギブギブギブ!」
ベアハッグの領域を越えてジーグブリーカーとでも呼んだ方が良さそうなシンジの容赦ない拘束に悲鳴をあげる少女。
だがそのギブアップ宣言は受け入れられず、結局NERVの保安部を率いて加持リョウジがやってくるまでの間に、少女は簀巻きの上から消防用のホースで雁字搦めにされて、屋上のフェンスにギチギチに縛り付けられる羽目になるのであった。
* * * * * *
それから2時間後。
「いやあ、うちの部下がごめんな3人とも」
「酷い目にあったなあ……」
加持による照会によって『NERVユーロ支部監査部所属の真希波・マリ・イラストリアス特務少尉』だと身元が割れた少女と加持、そしてパイロット3名は、加持の奢りで『ビッグボーイ』に夕食を食べにやってきていた。
「ビックリしましたよ本当に」
「本当にスマン。俺がユーロから本部付きになったもんであっちから呼んだは良いものの、本来はNERV施設に降下予定のはずが上空で風に流されたみたいでな。まさか中学校に落ちるとは」
そう言って平謝りする加持に対して、パイロット達の反応は三者三様。
シンジは『何やら裏がある』事を見透かした上で表面上寛容な態度を取り、アスカは同じく『何か裏がある』と思うからこそ警戒し、レイは我関せずとばかりにドリンクバーをお供に読書の続き。
そんな彼らに対して、渦中のマリの反応はといえば、なかなかに個性的だった。
「ふふぅ〜ん? みんな同じ柔軟剤の匂いがするって事は同じ家に住んでんの? キミ達。LCLの良い匂いもプンプンするけど、お姉さんはそっちのが気になるかにゃ」
「何コイツ」
「手厳し〜なぁ、お姫ちん。仲良くしようぜ?」
「アンタねぇ……」
「まぁまぁアスカ。加持さんの部下だし変わった人なんだよきっと」
「おっとシンジ君、言葉のナイフがおじさんに刺さってるんだが」
「ミサトさんの彼氏な時点で変人マニアの評価は諦めてください」
「あ〜……ふぅん?」
「いやいや、アスカも納得しないでくれよ。『あ、そうなんだ』みたいな顔しちゃってまぁ……」
そう言って苦笑する加持と「リョウちゃんタジタジだにゃ」とチェシャ猫の様に笑うマリ。
軽く解れつつあるその場の空気の中で、無事にラピュタを読み終えたらしいレイがパタリと本を閉じて、マリを見つめる。
「真希波さん、貴女もエヴァに乗るの?」
「んーにゃ、あたしの5号機はぶっ壊れちゃった」
そんなYESでもありNoでもある回答をするマリは意味深に笑うと改めてシンジ達に挨拶する。
「私は真希波・マリ・イラストリアス。第四の少女ってヤツ。よろしくね、ワンコくん、姫、パイセン」
「誰が姫よ誰が」
「えー、可愛いからいいじゃん。ね、ワンコくん」
「まぁ、アスカや綾波さんが可愛いのはわかるけど、僕まで可愛くなくてもいいんじゃない?」
「えー。いいじゃんいいじゃん。ねーパイセン」
「真希波さん、パイセンって何?」
「へ? ほらザギンでシースー的な」
「ザギンって何? シースーもわからない」
「それはその……」
「ははは、マリもレイちゃんの純粋さの前だとタジタジだな」
「私が失った輝きに目が焼けそうにゃ。パイセンは天使パイセンだった?」
そう言ってケラケラと笑う第四の少女、マリ。
シンジ達にとっては今まで周囲にいなかったタイプの彼女の存在は、新鮮でもあり、異質でもあり。
そんな仮初の平穏という水面に落ちてきた少女が巻き起こした波紋は、周囲に広がり、揺らぎを生み出していく。
————平和な生活の終焉は、近い。