『やあベィビー♡ 今夜どうだい?』
深夜0時に加持から届いたそんなメールは、普通ならば確実に、無視する類のもの。
だがその直後に『送り間違えた、すまん』とのメールを携帯に受信したことで、シンジはしばし思考を巡らせた後にこっそりと自宅を後にした。
向かう先は、先日のビッグボーイ。店もすでに暗くなっている中で、何故か駐車場に停めてある車へと自然体で近寄ったシンジは、澱みなく助手席のドアを開けて乗り込むと、運転席に座る男に問いかけた。
「で、何の用なんですか?」
「悪いね、きてもらっちゃってさ。というかよくあんなので判ったな?」
「判ると思ったから送ったんでしょ? 心当たりのある
「まぁ内容はドライブしながら話そうか、シンジ君。いや————碇博士」
「……良いですよ。何か奢ってくれるなら」
「あんまり高いのは無理だぜ?」
そう言って肩を竦める加持に『ボトルタイプの缶コーヒーで良いですよ、香りの良いやつ』と答えたシンジを乗せて発進した車は、夜の第3新東京市を目的地もなく駆けていく。
そして、車が市街地を抜けて高架式の環状道路に乗ったあたりで、加持はその口を改めて開いた。
「さて、碇博士。まずはこちらを」
そう言ってダッシュボードから取り出したるは、一冊の紙資料。
その表面に書かれているのは『人類補完計画』という何とも怪しげな名称だ。
パラパラと捲ってみれば、そこにあるのはなんとも壮大で遠大、そして理不尽極まる計画であった。
「葛城博士の名は、形而上生物学を研究しておられた碇博士ならご存知の筈。そう、葛城のやつの親父さんです。……彼が考え出した、究極の人工進化計画こそが、人類補完計画」
「僕と同年代の子がサインペンで表紙を黒塗りしたノートに書いてる設定集、って感じですけど……それにしては確かに、形而上生物学的に見て論理展開に瑕疵はありませんね」
「でしょう? まぁ妄想ノートの類なら良かったんですがね」
そう苦笑する加持に対して、シンジは同じく苦笑と溜息で返し、言葉を紡ぐ。
「セカンドインパクトによる海の浄化、サードインパクトによる大地の浄化、フォースインパクトによる魂の浄化を経て、凡ゆる生物のATフィールドを取り払い、統合された単一生命体へと至る……随分とまあ馬鹿馬鹿しいですけど……既に第一工程は実行済みってことですか」
「ええ。葛城博士の手によって行われた実験の結果こそが、セカンドインパクト。碇博士の生まれる前に発生した未曾有の大規模災害です。形而上生物学的予測と仮説を元に南極で発見された第一使徒を用いた儀式が行われ、あらゆる海洋生物はATフィールドを奪われて消え失せた」
加持はその言葉と共に15年前に思いを馳せ、今は失われた南極の情景を惜しむ様に、唇を噛む。
世界にとっても彼にとってもあまりにも大きな被害を齎したその事件は、1人の男の手によって起こされたのだ。
しかし、そうであるならば、その話を聞いたシンジには当然浮かぶ疑問がある。
「それで、海の生き物の魂は南極に開いたガフの扉の向こう側へ、ってわけですか。でも、葛城博士はその際に亡くなった筈ですよね? ————誰が計画を引き継いでるんですか?」
至極当然のその疑問。葛城博士がセカンドインパクトで物理的に消し飛んでいる以上、サードインパクト以降のインパクトに関しては、他の者の手によって引き起こされるしかない。
それに対して、加持の答えは明確だった。
「……秘密結社ゼーレ。世界を裏で牛耳る悪の組織って奴ですよ。……本人達は正義のつもりかもしれませんがね。彼らが葛城博士の計画を引き継いだ……というより、博士の計画自体がゼーレの強力なバックアップを受けて行われたものです。そして、NERVという組織は実のところゼーレの下部組織。NERVの目的は表向きはその地下の第二使徒リリスを使徒の手から守り、サードインパクトを阻止する事ですが————」
「————実際には、ゼーレにとってベストなタイミングで人為的にサードインパクトを起こすのが目的だった?」
加持の言葉を引き継ぐ様に続けたシンジに対し、首肯で答えた加持は、タバコを一本咥えて火をつけたあと、シンジに向けて問いかける。
「碇博士、ここまで聞いてどう思われましたか?」
「……これが父の計画なら、僕が阻止します。凡そ父の個人的な目的も知れていますし」
「なるほど」
「————僕を止めますか?」
そう問いかけるシンジに「いやいや、むしろお手伝いしたい」とヒラヒラと手を振って答える加持の仕草は気楽なものだが、その瞳の裏にあるのは、強い決意だ。
シンジを信用して何かを明かす。
言葉を介さずニュアンスで伝えられたそのメッセージに、シンジも自然と居住まいを正し、彼の言葉を待ち受けた。
そして。
「————我々はNERVにあってNERVでない組織。生物の多様性を保全し、絶望のリセットではなく希望のコンティニューを目指す『WILLE』。碇博士、貴方にも是非、我々の仲間に加わって欲しいんです」
「……と、言うと?」
「目下の目標はサードインパクトの阻止。その為にはNERVの『表の目的』と同様、使徒の殲滅が必須です。……セカンドインパクトと同じく、各インパクトに必要なのは使徒の持つ生命の実と、ヒトの持つ知恵の実、そしてエヴァンゲリオンと、鍵である『神殺しの槍』。2つの禁断の果実を喰らったエヴァンゲリオンを槍を用いて生贄とすることで、神の世界に至る『ガフの扉』を完全に開き、周囲の生物の魂を収奪する。……尤も、ガフの扉自体は2つの実を喰らったエヴァだけでも開きます。ですので阻止手段としては……」
「全てのエヴァの破壊、全ての使徒の完全消滅、全ての人類の絶滅の3択って訳ですか」
「ええ。まぁ最後のはナシとして、前者も無理でしょう」
「人造物である以上、創り出せるからですか」
「その通り。……つまり結局のところ『NERVの建前部分を命題にしてしまおう』ってのが我々の現状なんです。あとは種の保全活動をボチボチと。……この前の日本海洋生態系保存研究機構、楽しかったでしょう?」
「ああ、なるほど」
————どうやら随分と前からシンジは加持に見込まれて居たらしい。おそらくは、出会う前から。
その事実にシンジは何処かおかしくなって小さく笑うと、言葉を紡ぐ。
「お誘いなんですけど————僕にとってはヒトの殲滅もエヴァの殲滅も自殺と同義なので、使徒の殲滅って話なら、協力します」
「それに失敗した時は?」
「……NERVが保有するエヴァを可能な限り奪取して残りは殲滅、ですかね」
「なるほど。……素晴らしい。やはり貴方に話をして良かった」
「でもまぁ、当然僕の立場的には『実はWILLEなる組織も悪の組織』ってのも全然有り得るので参加はしませんけど」
「あらら?」
「でもこうして直に話せば加持さんが嘘を言ってないのは脈拍、呼吸と生体電流で解ります。だから————男と男の個人的約束ということで良いなら、僕は貴方に協力しますよ、加持リョウジさん」
そう告げて、握手の手を差し出すシンジに、加持は力強い握手で応じ、今までの真面目な雰囲気を取り払う様に相好を崩した。
「男の約束、か。……意外とシンジ君って熱血少年なのかい?」
「まぁ、僕は正義のヒーローになる男ですから」
「そりゃ心強い。……シンジ君。約束だ。人間の自由の為、生きとし生けるものの為に、俺と一緒に戦ってほしい」
「はい。……僕はその為に生まれてきた様なものですから」
そう答えるシンジは、決意を胸に、覚悟をより一層強くする。
————この先なにが起こっても、世界中の人たちの幸せをあなたが守るのよ。
そんな母との約束に、新たに加わった男の約束。
己を強く縛るその枷を自ら強めていくシンジの魂は、自らに掛かる重圧を力に変えて、太陽の如く燃え盛る。
そしてこの日、碇ゲンドウと碇シンジの進む道は、静かに、しかし明確に分たれたのだった。