「アスカ、温泉とか興味ある?」
3号機の起動実験を控えたある日の夜。レイは既に寝室に引っ込んだ夜遅く、アスカからのリクエストでホットチョコレートを作っていたシンジは、ふとそんなことを切り出した。
その言葉に面食らったのは、当然ながらアスカ。今まで割と『誰かの頼みを聞く』ことが多かったシンジからの能動的な申し出は、彼女にとって新鮮だったのだ。
「何よ急に。……そりゃあアタシもドイツ育ちだし、温泉は興味あるけど」
「ドイツも温泉地だもんね。……いや、3号機の起動実験の後に全員分の休暇を申請してみたら通ったからさ。せっかく箱根にいるんだし箱根温泉行こうかなって」
「ふぅん? 誘うからにはアンタが奢るんでしょうね?」
そう言いつつ、差し出されたホットチョコを啜るアスカは、スマホを取り出して何やらお気に入り登録してあったらしいサイトを引っ張り出してくる。
そんな彼女の乗り気な反応に対し、水を差すのも悪いかと考えたシンジは、脳裏に自身の貯金額——パイロットとしての給料の他に博士としての細々した業務収入があるのでそれなりの額——を想起して、彼女の提案に返答する。
「うーん。わかった。出すよ」
だが、その安易な了承に対し、アスカは勝ち誇るようにスマホを掲げると、寝室に向けて声を張り上げた。
「レイ! シンジの奢りで箱根花紋の立花に泊まりに行くらしいわよ!」
その暴挙に対し、流石のシンジも慌ててアスカに叫ぶ様な声でツッコミを入れた。
「————!? 三つ星高級旅館じゃなかったっけそこ!? 一泊1人5万くらいの!」
だが、碇家の頂点に君臨するお姫様は既に決定事項だというふうにシンジに予約サイトのページを突きつけると、彼にじっとりとした半目を向ける。
「何よ、ダメだっての?」
「……。うーん……。無理ではないけど……」
「なら決まりね!」
そう告げてフフンと胸を張るアスカと、やれやれと嘆息しつつも予約を入れるシンジ。そんな中、寝室からのっそりとやってきたレイは、状況が飲み込めず、困惑したように声を発する。
「アスカ、声が大きい。何事……?」
「だから、アタシとシンジとレイで温泉旅行よ!」
「温泉……大きいお風呂? お風呂ならこの家にもあるのに」
「……どこまで箱入りなのよアンタ。良い? 温泉ってのはね————」
そう切り出して温泉の素晴らしさについて滔々と語るアスカと、首を傾げつつもそれを素直に聞いているレイ。
そんな2人の様子を眺めつつ、シンジは提案して良かったと喜びを抱きつつも、同時に手痛い出費に頭を悩ませるのであった。
* * * * * *
一方、その頃。
葛城ミサト、加持リョウジ、赤木リツコの同級生兼同期トリオは珍しく酒場へと繰り出していた。
ただ、学生時代なら、取り止めのない話を肴に飲んだくれていただろうが今や彼らは大の大人。話題となるのは専ら仕事の話である。
「なーんか気に食わないのよね、あのダミーシステムってやつ」
「ゴルゴダベースからの直送品だっけか? ……なんかマズい事でも?」
「……一応、パイロットの補助システムって事になってるけど……パイロット無しでもATフィールドが出せるってのがちと引っかかるのよ……ねぇリツコ、缶詰にされた脳味噌でも入ってんじゃないでしょうね、アレ」
そう言ってリツコを冗談混じりに睨むミサトだが、それに対するリツコの返答は溜息混じりだ。
「私に聞かないで頂戴。司令の直轄案件なんだから。……ゴルゴダベースってのも気にかかるしね」
「気にかかるって?」
「ゴルゴダはアラム語、ラテン語ならカルヴァリーよ。カルヴァリーベースが何なのかは、ミサト、あなたが一番詳しいでしょう?」
そう告げられたミサトは、飲んでいた焼酎の酔いが一気に吹き飛んだかのように真剣な目でリツコを見つめる。
「……まさか、あの南極基地だっての?」
「可能性があるってだけよ」
「……ますます胡散臭いわね。……何でこのタイミングでそんなもんを初号機に搭載するってのよ」
「確かに葛城の言う通り、何かしらの陰謀を感じるな。ムーにでも記事を売り込んでこようか?」
そう言い出してブランデーを煽る加持は、ふざけているようでその瞳は真剣だ。だが真剣だからこそ、友人としてリツコは忠告をせざるを得ないのである。
「……リョウちゃん、下手に嗅ぎ回ると命がいくつあっても足りないかもしれないわよ?」
「うまく嗅ぎ回れば良いんだろう? これでも鼻は利くんだぜ。例えば————ん? 葛城、お前これ、ディオールのジャドールって、俺が学生時代に……」
「なッ!? うっさいわねこのバカ!!!」
「あらら。ミサトったら照れちゃって」
「ははは、存外嫌われてないらしいな俺も。……でも、こうして3人で連んでると、あの仲良し3人組に全部背負わせるのは罪悪感を感じちまうな」
「あら、自己投影でもしてるの?」
「俺がシンジ君で、葛城がアスカちゃん、りっちゃんがレイちゃんってか? 流石に俺はあそこまで凄くないさ」
「リョウちゃんはスーパーマンよりはバットマンだものね」
「随分と買い被るなぁ。ロビンじゃないのかそこは」
「ふん、アンタにゃロビンもアルフレッドも勿体無いわよ」
そんな会話を交わす3人の夜は、脱線を繰り返しつつも、一時の楽しい時間として、業務に忙殺される日々の癒しとなるのであった。
* * * * * *
そうして迎えた、起動テスト当日。
無事の成功を祈り本部で待機する控えスタッフ達とシンジ達の耳に届いたのは、松代の実験施設で原因不明の爆発が発生。
実験を監督していた葛城ミサト、赤木リツコ、そして起動実験の主役である式波・アスカ・ラングレーが消息不明である、という絶望的なものだった。