事故の報告を聞いた直後に、空間をブチ破るという奇想天外な方法で誰よりも早く現場に駆け付けたシンジ。
だが、そんな常識を気合と精神力で叩き伏せる彼と初号機を以ってしても、エヴァンゲリオンを乗っ取った使徒との闘いは困難を極めるものだった。
中でも最も厄介なのは、やはり人質の存在だろう。
シンジの初号機を基地局代わりにしてNERV本部から送り込まれる停止信号とプラグの緊急排出信号。プラグ自体はそれに反応して動いているのだが、纏わりつく青い粘菌の様な使徒の身体が、プラグをエヴァの体内に押し留めているのだ。
「プラグの排出、どうにもならないんですか!?」
『正直言って厳しい! シンジ君の方で引き抜けないか!?』
「やってみてますけど、コイツ、すばしっこい……!」
そう。第二の問題はエヴァンゲリオン離れしたその出力。何しろ『初号機と格闘戦ができている』という時点でそのヤバさは言わずもがなだ。
音の壁をブチ抜く拳を凌ぎ、まるで
挙句の果てに背中から第3、第4の腕を生やし、腕を地中に潜らせて地面から初号機の脚を狙うその戦法は、今までの使徒とは一味も二味も違うもの。
戦闘に対して頭脳を駆使しているとしか思えないその振る舞いは、まるで人間のそれだ。
そして、そんな使徒の攻撃は、『シンジのATフィールドを容易く突破する』。
その原因と、人間臭い立ち回りの原因は根本的に同じ。
「コイツ、アスカのATフィールドをッ————!」
そう。第九使徒はその内に取り込んだ式波・アスカ・ラングレーに強制的にシンクロする事で、彼女のATフィールドや戦術を掠め取っているのである。
その事実に脳髄が煮え滾る様な怒りを抱くシンジは更なる力を求め、プラグ深度をマイナス領域にまでに突入させてエヴァとのより強力なシンクロを図る。
だが、幾らエヴァとの繋がりを深め、出力を増したとて、
そんなシンジの苦戦する有様に口を挟んだのは、葛城ミサトの不在により直接陣頭指揮を執る碇ゲンドウその人だ。
『初号機パイロット。使徒殲滅に情を交えるな。3号機は既に搭乗者諸共破棄されている。即刻使徒を殲滅しろ』
「父さん……ッ、自分も母さんがエヴァに呑まれたら正気でいられないくせにッ!」
『————。最後通告だ。使徒を即刻殲滅しろ。……無理ならば、此方にも考えがある』
「使徒は殲滅するッ! アスカも助けるッ!」
『……。————伊吹二尉、初号機とパイロットのシンクロを全面カット。ダミーシステムを起動しろ』
そう告げるゲンドウの言葉に、反駁しようとするマヤ。だが、視線だけでその反抗は封殺され、マヤは唇を噛みながらも、軍人として上意下達の原則に従い、初号機のエントリープラグに仕込まれた禁断の装置のスイッチをONにする。
しかし。
『シンクロカット不能! ダミープラグ起動しませんッ! いえ、これは————!? 初号機からダミープラグへの精神汚染濃度、極大!』
困惑するマヤの声。だが、困惑しているのは、ゲンドウ、そしてシンジも同様だった。
唸りを上げて回転するディスク。ヒトを模したかの様な上体を立ち上げるダミーシステム。
しかし、その起動と共に発せられる筈の機械音は夥しいノイズに包まれ、システムが正常に作動しているとは到底思えない状態だ。
そんな中、ノイズ混じりの機械音が、理解可能である事が理解不能な謎の言語で、碇シンジへと問いかける。
その問いの主が何者なのかも、その問いが
だが、今、アスカを助けるべく戦場に立つシンジにとって、その問いへの答えはただ一つ。
「欲しいッ! アスカを助ける力が! 使徒を殲滅する力が! ————力が欲しいッ!」
その返答に対し、ダミーシステムのディスクは壊れるのではないかと言うほどに回転を増し、そのヒト型じみた機構から真紅の輝きを放ちながら、不気味なノイズと共に咆哮する。
その直後、巻き起こった反応は、劇的だった。
シンジを乗せたインテリアがジェットコースターの様にエヴァの深奥へと急降下し、それと共にシンジの肉体は光と化して、エヴァンゲリオンへと吸収されてしまったのである。
『初号機のプラグ深度、計測不能!』
『初号機パイロットのバイタル喪失! プラグ内に生命活動検知できません!』
『初号機のシンクロ率急激に上昇! シンクロ率、19963.27%————!?!!?』
『初号機の第一、第二、第三頚椎装甲板が内部から爆散! 内部より原因不明の発光現象!』
『初号機、体表にATフィールドを多重展開! 光学観測、通りません!』
オペレーター達からの阿鼻叫喚の叫びと共に、画面に映し出される初号機の姿は、異常そのもの。
全身を覆う無数のATフィールドで構成された、光すら拒絶する『黒いボディ』
怒りからか、それともダミーシステムの仕様からか、地獄の炎の如く真紅に輝く『真っ赤な目』。
そして頚椎から溢れ出し、棚引く赤いマフラーの様に輝く真紅のエネルギーの奔流は、明らかにエヴァの出力出来るエネルギーの限界を超えている。
————だが、その異常性は、ここからが本番だった。
まるで背から剣を引き抜くかの様に首の後ろに手を回し、エントリープラグと共に自らの頚椎を渾身の力で握りしめた初号機。それと共に一層輝きと勢いを増す首から吹き出す十字の光の渦は、初号機が巨大な十字架を背負う姿を幻視させる。
かつて神の子は、自ら十字架を背負い、あらゆる原罪を雪ぐべく、自らを神に捧げた。
その逸話を再現するかの如く、夥しい血と共に引き抜かれていくエントリープラグとエヴァの脊髄は、捩れ、渦巻き、融け合う様に変質し、悍ましい程のエネルギーの渦に引き絞られて、引き抜かれる頃には一振りの真紅の
その剣に、刃はない。二重螺旋を描く刀身は、その
そして、刀身と同じ二重螺旋を描く突起が十字に生えたシンプルな鍔と、同様の構造を持つ柄。
「misericordia————慈悲の剣か……?」
そう呟く冬月に対して、ゲンドウは暫し沈黙する。
流石のゲンドウも、こんな状況に対しての知識はなく、またあの剣の正体も全くもって知らないが故だ。
だがもし、死海文書にも裏死海文書にも記されず、槍と呼ぶにはあまりに小さなその一振りに名を付けるならば。
「————ヘレナの聖釘、か」
そうゲンドウが呟いた直後、初号機が霞の構えで剣を掲げ、その刀身から青白い光の奔流が迸る。
その輝きに、3号機を乗っ取った第九使徒は怯える様に身を竦ませ、しかし、瞬時に反抗へと転じる。
第5、第6、第7、第8の腕を生じさせ、触れれば一撃の青い侵食細胞を纏わせ、縦横無尽の伸縮力で、必殺の領域を展開するその戦法は、通常の初号機ならば仕留められていたであろう程の高威力。
地を穿ち地中から襲う拳もあれば、上空から撃ち下ろす手刀もある。その全てに同時に対処するなど、もはや達人と呼ぶことすら生温い絶技だろう。
だが、初号機は青く輝くその剣を一切の無駄無く振るい、その絶技を現実のものとして、使徒の全ての腕を一刀の下に切り飛ばす。
「————ッッ!?!!?」
言語を発さぬ使徒の意思すら伝わる様な、悲痛な困惑の叫びを上げる3号機。
だが、初号機がその叫びに応じる事はない。
3号機のコアに向けて、青い光の刀身が一切の躊躇い無く突き込まれ、背面まで貫通した刀身が、その背から馬鹿げた量の火花を噴き上げる。
————当然どう見ても、致命傷。
よもや初号機が暴走し、アスカ諸共に3号機と使徒を抹殺したのかと疑うオペレーター達だが、事実はその予想と異なる。
初号機が3号機を貫いたその瞬間。
———— その時、エヴァの内部では不思議なことが起こっていた。
* * * * * *
3号機の視界を通じて、自らがシンジと戦う光景を観測し続けていたアスカにとって、初号機の『変身』はある種の救いとして映っていた。
相対すれば一目で、それが最強の存在であるとわかる程の威圧感。
絶対に、この使徒を殺し得ると確信出来るほどのエネルギーの奔流。
そして、そこから生み出された光の剣に『使徒が怯えている』事をシンクロの繋がりから感じ取ったアスカは、その剣に貫かれ、死を迎える覚悟を決めた。
使徒の伸ばした腕が吹き飛ばされる瞬間に感じたが、あんなものをマトモに喰らえば、使徒も何もかもひとたまりもない。それこそ『太陽のエネルギーを無限に注ぎ込む』かの様な一撃だ。
そして、その剣は狙いを過たず、アスカのいるエヴァのコアを目掛けて突き込まれ、血の赤に染まっていたアスカの視界は、青い光の奔流に包まれていく。
これで一切合切、全てが終わる。
アスカの人生も、使徒の命運も。
それを齎すのが愛する男の一撃ならば、決して悪くはない最期だろう。
————そう、覚悟して。
アスカは、あり得ない声を聞いた。
「アスカァァァッッ!!!!」
呼び声。否、咆哮。
光と共に溢れ出すのは、アスカを呼ぶシンジの絶叫。だが、幾ら呼ばれても、もはやアスカは使徒に囚われた身。
だというのに。
アスカの眼前を覆う光の奔流を突き抜けて、待ち焦がれていた救いの手が、アスカに向けて差し出される。
「アスカッ! 来いッッ!!!!」
「シンジ————!?」
差し出されるその手は燃え上がる様な光で覆われ、ヒトの原型を留めていない。だが、アスカにはその手の主が、シンジなのだという確信があった。
あの眠れぬ夜にアスカの髪を梳いていた優しい手。毎日食事を作ってくれていた温かい手。アスカがそれを見間違えるはずが無い。
だからこそ。
「シンジッ————!」
「アスカッ————!」
躊躇い無くその手を取ったアスカは、自らも光と化して、光の渦の向こう側へと飲み込まれた。
後に残るのは、3号機のプラグ内に漂うテストスーツ。
だが、それは直後激しさを増した光の渦に飲み込まれ————。
* * * * * *
『目標、完全消滅————!』
『パターン青、消失しました!』
十字の火柱を上げて爆散する3号機と第九使徒。その爆発を背に剣を振るう初号機は、独特のポーズを取ったまま沈黙し、手にしていた剣は光の粒となって消えていく。
それと同時に、マヤが覗くコンソールに復活するのは、プラグの反応と生体反応。
『エントリープラグとの通信復旧しました! 内部に生命反応————嘘!? 生命反応2つ! バイタルの照合結果は、碇シンジと式波・アスカ・ラングレー!!!』
その報告に沸く発令所スタッフ。そこに続けて舞い込むのは、松代からの通信だ。
『————ちら、松代基地、地下仮設発令所……死者はなし、重軽傷者多数、救援を求む……繰り返す、こちら、松代基地————』
「救援部隊の投入急げ!」
「第三班を即時再編! 急行させろ!」
嬉しい知らせの連続に、明るい慌ただしさに包まれる発令所。
その中でゲンドウだけが、ジッと沈黙しながら、画面に映る初号機を見つめていた。