地球から遥か彼方、月周回軌道。
シンジ自身である『ヘレナの聖釘』の一撃によって文字通り月までブッ飛ばされた2号機は、奇跡的に月の周囲を回る孫衛星の仲間入りを果たしていた。
無限に広がる真空と、無慈悲に降り注ぐ宇宙線に太陽風。それらから2号機とそのパイロットを守るべく、ヘレナの聖釘は徐々に2号機を侵食しながら繭と化し、シンジの肉体が、2号機のコックピット内部に再構成される。
「あなた、誰?」
そう問うてくる無邪気な声。聞き覚えのありすぎるその声の主に対して、シンジは優しく微笑んで、言葉を返す。
「初めまして。僕は碇シンジ。君は?」
「私は綾波タイプNo.3」
「そっか。よろしくね」
「よろしく……?」
そう首を傾げる少女。そんな彼女の頭をシンジが軽く撫でてやれば、不思議そうな顔ながらも心地が良かったのか頭を押し付けてくる。
犬か猫、それか幼児。
その姿が無垢なものであるが故に、シンジの内心は、幼気な彼女を贄とした父への忿怒に燃える。
だが、その怒りを心の奥底に燃え続ける正義の炎に焚べたシンジは、少女をこの暗黒の世界から救うべく、2号機との対話を開始するのだった。
「……アスカの匂いがする」
「アスカって誰?」
「僕の恋人」
「恋人って何?」
「んー、家族以外で一番愛している人で、その内家族を一緒に作る人?」
「家族?」
「君にもできるよ。地球には、君のお姉さんが居るからね」
「地球、お姉さん……わからない。どういうものなの?」
「地球はあの丸いやつ。お姉さんは、君の家族。綾波レイっていうんだ」
「綾波、レイ。……綾波タイプ? 私は綾波何になるの?」
「……そうだね。地球に帰るまでに考えよっか」
そう告げて、シンジは綾波タイプNo.3と名乗った少女を抱きしめると、2号機に深くシンクロして、彼女諸共LCLへと溶け消えた。
人の身体では耐えられぬ宇宙空間。その中で彼女を生かすには、エヴァとの同化を除いて道はない。
何より、その身体は使い捨てとばかりに雑な調整を施され、長くは持たないものなのだ。
「……エヴァンゲリオンの呪縛。その本質は、このまま在り続けたいという根源的な願いのカタチ。でも、君のお姉さんもそうだったように。君達はそう在ろうという願いが薄い。原罪の欲望が薄い。なら、僕は————君に居てほしいと願う」
シンジの発するその思念。それに応じて、エヴァは綾波タイプNo.3の肉体に『エヴァの呪縛』を施し、ヒトを超えた生き物へとNo.3を作り変える。
エヴァの深奥。その本質に触れたシンジは、エヴァンゲリオンが何故動くのかという単純な原理すらも、まやかしに覆われていた事を理解している。
エヴァは決して、電源で動いている訳ではない。確かに電源を搭載され、電源が切れれば動かなくなる。だが、その本質は『ヒトの願いを叶えて動いている』のだ。
『電源が入っているから動く』『機械は電気で動く』。そんな文明社会にとっての『信仰』を束ねる為の儀式的要素こそがバッテリーの搭載であり、複雑な理論やら難解な機構、そしてエントリープラグですらも『なんだかよくわからないけど何か難しい理論で動くのだろう』という『信仰』を得るための仕組み。
エヴァンゲリオンの本質は形而上生物であり、意志あるものの願いを叶え続ける願望の器。
平たく言うのならば、神様だ。
だが、それを動かすための『信仰』は、疑念すらも内包する。『動かないのではないか?』そう思った瞬間に、エヴァンゲリオンはいとも簡単に硬直し沈黙するのだろう。
だからこそ、起動率10億分の1。エヴァンゲリオンに乗り込み、エヴァンゲリオンを信じられる心の持ち主だけが、エヴァンゲリオンパイロットたる資格を得る。
だからこそ碇ゲンドウは、ゼーレは、クローン技術に頼ったのだ。
『エヴァとは当然のように動くものだ』そう刷り込んだ雛鳥さえいれば、エヴァンゲリオンは動くのだから。
————その点、シンジは真の意味で、特異な存在なのかもしれない。
ただ、正義の味方に憧れて。正義のスーパーロボットに憧れて。
そう、シンジにとって、幼いあの日に、父や母と見たエヴァンゲリオンは————。
「そっか。僕はエヴァンゲリオンが好きだったんだ。みんなが新幹線が好きなように。消防車が好きなように。お姫様になりたいように。キラキラしたドレスに焦がれるように」
そう。それは幼い願い。それ故に、純粋な願い。だからこそ、11年前に、エヴァンゲリオン初号機は『シンジの願いを叶えた』のだ。
ぼく、おっきくなったら、えばんげりおんになる!
そう願う幼児は確かに、大きくなってエヴァンゲリオンとなったのだから。
意志を持つエヴァンゲリオン。願望を内包する願望機。それはまさに、ヒトの言うところの『カミサマ』で。
だからこそ、碇シンジは改めて、自分という神に願いをかける。
「僕は、みんなを救う、正義のヒーローになる。世界だって、救ってみせる」
熱く燃える鋼の心、その願望の釜に更なる願いが焚べられて、碇シンジはまた一段と、ヒトの域から遠ざかる。
そんな彼と綾波タイプを乗せた2号機の繭は、徐々に徐々に軌道を下げて、月の大地へと近づいていくのだった。