(奇稲田姫さんに消せと言われたら消します)
「……目覚め」
ぼそり、と一言呟いた
もう長い間、発話などしていなかったから、一言で喉が軋んだけれど
そんなことは誰も気にしない。
「行かなければ」
掠れた声の主が、抱えたままの刀を握り直した。
響いた咆哮、祝福の声、怨嗟と慟哭の轟き、その全てから判断して
おそらくはカムラ・ユクモよりも北側、ポッケ村よりも南の方角
位置としてはドンドルマに近い。
「……あぁ」
ドンドルマ、かつて栄え、かつては廃村となり、かつては戦いの場となり
今もなお人の生きる街
わたしが居た街
わたしが行くべきではない街
しかし、そこには居てはいけないものが近づいている。
「いかなければ」
紫の煙り、紅色の衣と粗麻の縄
いつか遺された子供達の心を抱いて
立ち上がった女は走る。
火山を抜け、山岳を駆け、大河を越えて草原へと差し掛かったとき、目の前にそれは現れた。
「ディノバルド……!」
本来ならば彼女の相手としては役者不足も甚だしい、一刀とはいかずとも
五合と打ち合えば斬り倒せる程度の敵
しかし今は、今だけはその手が惜しい
故に彼女は、自らを切り捨てた。
ザシュッ、そう鳴るような鈍くもキレる一撃、臨戦態勢に入ったディノバルドから放たれたのは最初から最大の一撃
上位級のディノバルドからすれば最適解ともいえるそれ、居合のように間合いを測って行われた大回転をその身に受けて、そのまま通り抜ける。
何事もなかったかのようにすり抜けた彼女は大量の血痕を貼り付けながらも走り続ける。
何が起こったのか、それを当事者たるディノバルドすら把握できていない異常な現象
しかし彼女にとっては当然のこと。
龍の友の中の一人、蛇王の花嫁・水篠八雲
ダラ・アマデュラが女に与えた
『死なないこと』
古来、蛇とは復活の象徴であった
知恵を示す、霊的に囁くもの、復活の太陽、命の形
それらは神話に於いて、蛇の形に記された
蛇の王たるダラ・アマデュラが有する力
並の古龍を遥かに超えて、なおも成長し続ける桁外れの生命力
それをそのままに捧げたのだ。
即ち、
「ごめんなさい」
武人として、対等に立ち会いたかった
しかし今は時が惜しい、故に
無礼を許せと言葉を残す。
両断された半身を血が落ちるより早く再生したヤクモはそのままディノバルドをすり抜けて駆けた。
草原を超え、山岳を駆け抜け
峡谷を跳び渡り川を切り裂いて走り抜ける
その先に、それは現れた。
「……」
「……………」
足を止めた八雲と無言で向かい合うそれ
破壊の象徴を司る滅びの具現
滅尽龍ネルギガンテ
「…………」
「……………………」
どちらも動かず、また牙を剥かない
どちらかが動いたその瞬間に、必ず隙が生じるからだ
どちらかが隙を生じたその時
必ず互いの致命傷となる攻撃が放たれる
互いにそれを理解するが故の沈黙。
それを破ったのは周囲を吹き渡る風
それが捻くれてあげた悲鳴だった。
「グァァァァァァァッ!」
「はぁぁぁっ!」
互いの裂帛の一声と同時に
練り上げられた剣気と積み上げられた殺意が激突する。
瞬時に込められた闘気によって鋼を遥かに超える龍麟をさらに上回る硬度を得た刀が
ネルギガンテの尾に存在するネルギガンテ最大の武器、金剛棘に直撃、互いに凄まじい火花を散らして弾き合う
「互角……!」
「ギァァッ!」
お互いの力量を把握しつつ
それを押し切らんとさらに力を込める
都合十二代目となる彼女の刀『霊刀湯曇』
その真打は十年以上の長きにわたって狩りに駆り出され続けた古刀
丁寧な手入れを施されていたとしても経年による劣化は抑えがたく
古龍中でも最上級のネルギガンテの膂力に押し負け、少しずつ歪んでいく。
「くっ!」
力は互角でも得物には差があった
それも彼女にとっては最悪なことに
自分の方が分が悪いという事実を連れて。
無属性太刀に於いては会心率の高さが物を言う
その事実すらも無視した高火力追求武器、ユクモノ太刀の強化型
かつて彼女の弟子だった少年が握り、振るい、そして倒れ遺したこの刀
凡百の刀の中の一つでしかなくとも
彼女にとっては失うわけにはいかない大切な宝物
故に彼女は刃を引いた
引かざるを得なかった。
それが彼女の甘さであり、付け入る隙だった。
「ガァァァアアッ!」
ネルギガンテに情はない
ネルギガンテに躊躇はない
破壊するもの、回帰を行うもの
天より来たりて滅ぼす災禍
それが
咄嗟に気刃を纏った彼女の腕が紅色に染まり、金剛棘と衝突して撃ち折れる
「ぅぐ……っ!」
いかに再生するといえど、軋む骨と潰れる肉から奔る電気信号は彼女の脳を痛めつけ
その痛みは枷となって彼女を縛る。
「鈍ッタナッ!」
ついに勝利を確信したネルギガンテが口を開き、その言葉とともに最後と決めた一撃を放つ
それは逃れられない『とどめ』
ネルギガンテが秘中の秘たる
永遠を約束された白き花嫁に
なによりも白い骨棘が迫る。
「ゴラァァァアっ!」
純白を塗りつぶす白き鉄槌は
しかし紫の炎に受け止められた。
「……!」
「……ゴァアアアッ!」
肉が潰れ、骨が砕け
その肉体に収まらなくなった血が飛沫く
肉体を激しく損傷し、いつ崩れてもおかしくはないという足を止めて
紫の炎の主、かつて人を喰い、かつて竜を喰い
そして今は獣を喰う者
怨虎竜マガイマガドが牙を剥く。
「マカ!?」
「……ゴルルルルルゥ……」
紫の炎が溢れて傷口を焼いていく
神聖なる古龍の裁きに逆らい、穢れた闇色の炎が死を雪いでいく
紫に照らされ、陰る顔を横切る導虫が輝くは空よりも透き通る蒼い色
それは長きに渡り戦い続け、勝利し続けた戦士の勲章、並の個体とは一線を画した力の証
歴戦王マガイマガドが吼え猛る。
龍を喰らう者と龍を殺す者
自然の使者と我欲の覇者
天の古龍と地を這う牙竜
対極に立つ二者が出逢い、そして向かい合った。