遥か彼方を杳々と、   作:にいるあらと

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言い忘れていた気がしますが、展開の遅さにだけは定評があります。
ご注意ください。


橘杳子は、煩悶する。

 橘家次女、橘杳子は世間一般でいうところのブラザーコンプレックスにカテゴライズされる人間だ。

 

 父親は仕事で忙しく、母親はその父の手伝いに奮闘し家を空けがちだったし、長女で姉の彼方(かなた)は自由奔放な人だったので、これもやはり家を空けることが多かった。

 

 そんな家庭にあって杳子がグレもせず健やかに成長したのは、ひとえに兄である遥の功績が大きい。

 

杳子が帰る頃にはすでに家の明かりがついていて、遥はいつも家にいてくれた。

 

その度に杳子は安心して、兄に自分が帰ってきたことを気づいてもらいたくて扉を開けて大声で帰宅を宣言するのだ。

 

無愛想で、たまに相槌すら碌に打ってくれもしなかったが、料理を作る兄に学校であった取り留めのない話をする時間が杳子はとても好きだった。

 

 理由はそれだけではない。

 

姉なんかより兄のほうが頼りになるというのも、杳子がブラコンになった要因の一つだ。

 

長女の彼方や次女の杳子の娘二人よりも家事を手際よくこなし、今や家のことについても母親を抑えて長男である遥が一番詳しくなっていた。

 

料理や洗濯、掃除などは言うまでもなく、消耗品なども切れる前に買い足してあり、ほしいものが見つからなくても遥に尋ねればすぐに持ってきてくれる。

 

小物でさえも、しまっておく場所を決めて把握しているのだ。

 

 杳子にとって、二人目の母親のようでもあった。

 

母でさえつけていない家計簿を兄がつけていた時は、さすがの杳子も若干たじろいだものだったが。

 

 遥の容姿も一役買っていた。

 

十六歳の男の子でありながら百五十二センチの杳子とそう変わらない背丈、女子のクラスメイトよりも細くしまった腰、シミ一つない白い手足。

 

彼方や杳子の華やかな輝きを放つブロンドとは違う魅力を持つ、深く艶やかな黒髪に、黒曜石よりも妖しげで惹き込まれる瞳。

 

自分の兄がそこらの女子を圧倒するほど綺麗な顔立ちをしているのも、妹として誇らしかった。

 

 もちろん外見だけを見ているわけではない。

 

兄はその内面にこそ魅力があるということを、杳子は知っている。

 

 無論、ブラコンな妹の色眼鏡を通しても愛想があるほうではないのはわかっているし、遥はどこか人に対してぶっきらぼうで突き放すような言葉も口にする。

 

外見に似合わず、あえて傲然として振る舞うし(その振る舞いも小さい兄がやると大変可愛いが)、お父さんとお母さんには過ぎるほど丁寧だけど、他人に対しては機嫌が良かろうと悪かろうとデフォルトで口調は荒い。

 

以前、帰宅途中に兄がクラスメイトらしき男の人と話している会話を聞いた時はその返答の辛辣ぶりに、もしかして兄は学校で浮いてしまっているのでは……、と気を揉んだほど。

 

 それでも、そんな兄だけど、家族にはとても優しいのだ。

 

悲しい時にはそれとなく一緒にいてくれて、落ち込んだ時にはなにも訊かずに好物を作ってくれる。

 

嬉しいことがあった時のことを話せば微笑んでくれて、テストで良い成績を出せば褒めてくれた。

 

杳子はそんな見えづらい優しさを持っている兄が大好きなのだ。

 

 遥が中学に入り趣味を持ち始めた時、表向きにはなんとか『趣味ができてよかったねっ』と取り繕ったが、杳子は内心しょんぼりした。

 

趣味に没頭して自分とのコミュニケーションの時間がなくなるのでは、と危惧したのだ。

 

 ギターの練習というのはいくら音を抑えようとしても、いくらかは漏れてしまうもの。

 

ピックを使わずに指の腹で弾けばだいぶ静かになるとはいえ、周囲は閑静な高級住宅街。

 

無愛想なわりにご近所付き合いのいい遥は、近隣の皆様に迷惑をかけないようにと配慮してあまり練習できずにいた。

 

 このことに申し訳なく思いながらも、杳子は前と変わらず近くにいれて嬉しく思っていた……のだがここにきて杳子の期待を裏切って事態は急変する。

 

今までの手伝いなどの功労を認められた遥は、両親にギター練習用の防音室を作ってもらえることとなったのだ。

 

 そのことを初めて聞いた日の夜、杳子は自分の部屋で歯噛みした。

 

そこに篭るようになってしまってはお喋りする機会がさらに少なくなってしまう。

 

そんな恐れを抱いていても、当然ながら杳子は防音室設置の反対などできない。

 

『好きでやっている』と遥は言っていたが、家事をするというのは大変な苦労であることを杳子は知っていた。

 

その苦労には報いがあって然るべきだと思ったし、なにより異議を唱えて兄に嫌われるのがいやだったのだ。

 

 結局、杳子の懊悩とは裏腹に防音室は竣工する。

 

 防音室が完成してからも両親がいない時はそれまでと変わらず料理は作っていたし、杳子や彼方ができない部分の家事も遥が引き受けてはいた。

 

だが、杳子が遥と会話する時間は目に見えて減少していく。

 

遥はわずかでも時間を見つければ防音室に赴き趣味に費やしていたし、その上、遥からの厳命で防音室に『入るな』どころか『近寄るな』とまで固く言われていたからだ。

 

 杳子は大好きな兄と触れ合う時間がなくなったことで、それはもう落ち込んだ。

 

天真爛漫な性格まで(すさ)んできたほどであった。

 

 向日葵(ひまわり)のようだった杳子の明るさは太陽()を奪われたことにより鳴りを潜め、整った顔貌に影が差し始めていたころ。

 

ちょうど防音室が完成して一週間が経った時のことだった。

 

遥から防音室にくるようにと姉妹(彼方・杳子)揃って言われた。

 

 呼ばれた理由の見当もつかぬままに、初めて防音室の敷居をまたいだ杳子と彼方。

 

 『ごめん』

 

 防音室で待っていた遥の第一声はなんと謝罪だった。

 

最低限聴かせられる腕前になるまで人前に晒したくなかった、と続けて言う。

 

 遥はネックからボディに張られているスチール弦にピックを添わせ、弾き始めた。

 

 この時のことを杳子は鮮明に記憶している。

 

音はビビッてノイズが入っていたし、コードを全て憶えておらず譜面を見ながらでも頻繁に止まっていた。

 

弦をちゃんと抑えることができていなくてところどころ音がミュートしていたし、リフは乱れてせっかくの美声も台無しになっている。

 

 現在と比べればどうしようもないくらい、目も当てられないほど稚拙だったが、それでも杳子は今まで生きてきた中で最大の感動を覚えた。

 

 遥が言わんとしていることを理解できたからだ。

 

以前にも増した冷たく素っ気ない態度はギターの練習をするため。

 

指を切りながら、手にマメを作ってまで一生懸命練習したのは杳子と彼方に、誰よりも一番最初に聴いて欲しかったから。

 

それは遥専用といってもいい防音室を作る時に反発なんて一切なく、どころか賛成までしてくれたことへのありがとうの気持ち。

 

 不器用で無愛想で、愛嬌なんて欠片もない兄が謝罪の意を態度で示し、感謝の心を音で表した崇高な場所。

 

杳子にとってその部屋は、ただの防音室という空間以上の意味を持っていた。

 

「かっ……はぁっ……っ。だ、誰……なん、なの……」

 

 だからこそ、防音室の扉にある幅の狭いガラス越しに見た光景は、杳子にはダメージが大きかった。

 

 防音室に置いてあるソファ……防音室設置の費用は全て父親のポケットマネーから捻出されたのでせめてこれくらいは、ということで母親が贈ったブランド物の牛革ソファ。

 

細やかな繊維から(もたら)される肌触りの良さや通気性、フィット感は合成皮革とは比べ物にならない高級志向の一級品。

 

 父親が買い与えた防音室の中、母親が贈答した高品質のソファの上に遥が仰向けに寝転がり、兄の下腹部のあたりに髪の長い細身の女が跨っていた。

 

中学二年の十四歳である杳子にはその光景はあまりにも過激で、言葉を失うのに充分すぎる衝撃を有していた。

 

 

 

 

 

*******

 

 

 

 

 

「たっだいまぁーっ!」

 

 家の玄関をくぐり、いつも通り必要以上に大きな声で帰宅を知らせたのは防音室を覗き見する五分ほど前のこと。

 

 杳子は帰ってきて、まず一番に兄の姿を探した。

 

ばたばたと廊下と階段を踏み鳴らしながら二階のリビングに行くも兄はいない、リビングの電気もついていない。

 

そういえば部活動の見学に行くと言っていたから、もしかしてまだ帰ってきてないのかな? とも思ったが、玄関には遥の高校の靴があった気がするし帰ってきてるはず。

 

そう考えて家中見て回るが遥の姿はなかった。

 

 ちなみに杳子は、遥が学校の部活に入るなどとは微塵も考えていない。

 

傲岸不遜な立ち居振る舞いやこまっしゃくれた性格、達観したものの見方、どこか浮世離れした人格の持ち主である遥が、高校生の集団の中に飛び込んだところで馴染めるとは到底思っていなかった。

 

どうせ入部しても一週間ももたずに名前だけを残し、入った部の幽霊と化すだろう。

 

そこまで推察が及んでいたので杳子は今朝も安心して愛しの兄を見送ることができたのだ。

 

 なんであれ家にいるのは確実で、リビングにも割り当てられている部屋のほうにもいなくて、屋上に続く窓にも鍵がかかっているとなれば心当たりのある場所は一つしかない。

 

 遥専用となっている一階隅の部屋、防音室だ。

 

 どうせあの兄のことだ、今日見学に行くと言っていた合唱部が気に入らなくてすぐ帰ってきたのだろう。

 

晩ご飯の準備をするにしてもまだ時間があるから、きっと趣味のギターの練習でもしてるのだ。

 

 杳子はそう考えて、半ばスキップするように一階に駆け降りた。

 

 胸が躍るのには理由がある。

 

練習中に防音室へ乗り込めば、遥の気分次第ではあるが弾き語りを聴かせてくれるかもしれないのだ。

 

 遥は初めて披露してくれたころとは段違いに腕を上げ、今では弾けるコードも増え、それに伴い演奏できる曲のレパートリーも豊富になったし、爪弾く音に濁りはなく、譜面を見ずとも淀みなく弾けるようになってとても上手に綺麗になった。

 

 ピックが弦を振動させ、ギター全体を通って共鳴し、(ボディ)にあるサウンドホールの空気を震わせて外界へ放出される。

 

親に頼めば良い品を買ってくれるだろうに、わざわざ遥が自分でお金を貯めて買ったアコースティックギター。

 

遥にとって思い入れと愛着のあるそのギターの、丸く、柔らかい音。

 

そのギターの音色を後ろに従わせた遥の歌声を聴くのは杳子にとって、日々の疲れを忘れさせてくれるほどの癒しであった。

 

 意気揚々と、鼻歌まで口ずさみながら防音室へ近づくが、歩みを進めるごとに違和感を覚える。

 

 いくら防音室といえど完全に音を遮断するものではない。

 

ギターを掻き鳴らしていれば当然、多少なり音が漏れ聞こえるものなのだ。

 

それが今は一切しない。

 

「休憩でもしてる、のかな?」

 

 頭に浮かんだ可能性を、杳子は即座に金色の髪を振って否定した。

 

 遥は忙しい身だ。

 

優先順位は家族が上で、自分の趣味や都合は二の次三の次。

 

家事をやるまでの空いた時間にギターの練習をするので、よほど時間に余裕のある時以外、防音室に入れば休憩を取らない。

 

()りつかれたように一心不乱に弾き続けるのだ。

 

そんなに忙しいのになぜ部活動までしようとしているのか、と杳子は疑問に思っているが。

 

 音が聴こえないということは防音室にいないのかな? でもここしかありえないし……。

 

絶対的な自信を持って一階に降りてきた杳子だったが、とたんに不安感が(くすぶ)る。

 

 一応いるかいないか確認しておこうと結論づけて防音室の前まで来たら、なにか音が聞こえた。

 

扉越しだったので不明瞭だったが、注意を傾けるとたしかに中から声がしている。

 

 歌の練習でもしているのかな? と予想したが、途切れ途切れに聞こえてくるのでどうも歌っているというのも違うようだ。

 

 ……もしかして誰かと、例えば学校の友達とかと電話してるのでは?

 

「ぷふっ」

 

 杳子は自分で勝手に想像しておきながら、そのそぐわなさに思わず噴きだした。

 

「ハル姉が学校の友達と電話っ……にゃははっ! どんな顔して喋ってるんだろっ」

 

 スクープの予感! と、抜き足差し足で音も立てずに防音室の扉に張りつく杳子。

 

 これをネタに脅迫……もとい交渉すれば、弾き語りどころか映画デートにショッピングまで乗っけて取りつけられるかもしれない。

 

杳子は脳内で皮算用して期待に胸を膨らませながら、防音室の扉に嵌め込まれている縦に細長いガラスから中を覗き見る。

 

 いくつかの情報が杳子の視界に飛び込んできた。

 

四帖ほどの窮屈で仄暗い防音室。

 

扉の延長線上に置かれているソファ。

 

ソファに仰向けになり、白くて細い足を制服のズボンで包んで扉に向けている兄。

 

その兄の『下腹部』に『跨って』ゆっくりとしたペースでかすかに『上下運動』する、扉に背を向けている制服姿の髪の長い女。

 

 自分でも認識できないうちに自分でも認識できない言語が自分の口から零れ落ちた。

 

 目を見開いて、酸欠状態の金魚のように口をぱくぱくと開閉する。

 

杳子の頭の中はなにも思考できないほどホワイトアウトし、視神経はこれ以上視覚情報を脳に伝達したくなかったのか、視界を真っ黒に塗り潰した。

 

 現状を把握しようと混乱極まる脳内でなんとか集中する。

 

 鳥肌が立つほど全身に寒気が走っているのに、額には冷や汗が(にじ)む。

 

心臓すら止まってしまっているかのように、自分の内側からは音が全くしない。

 

 だからなのか、それとも目が役に立たなくなったぶん聴覚が鋭敏になったのか、防音室の中の会話が聞こえてしまった。

 

二人の荒い呼吸や艶のある声を捉えることができてしまった。

 

 

 

『だいぶ、良くなってきたわ』

 

『そう、か? 自分では、よく……わからないな』

 

『ほら、すっごく膨らんでる。とてもいいわ。遥も気持ちいいんじゃないかしら?』

 

『ふん、まぁ……そこそこ、だ』

 

『ふふっ、なんでそこで強がるのよ』

 

 

 

「は?! ……ぁ。ちょっ……な。なぁ……っ」

 

 耳に届いたのは杳子の心をかき乱す言葉の数々であった。

 

悪い想像ばかりが膨らんで正常な思考を圧迫する。

 

 まさか……まさかあの兄が女を連れ込んで、あろうことか防音室で『コト』に及んでいるなんて……っ。

 

杳子は深呼吸して多少落ち着きを取り戻したものの、いまだ回転率が悪いままの頭で考察する。

 

 たしかに兄はモテるほうだと思う。

 

容貌から格好良い系は無理があるけれど、可愛い系でいくのならその顔と身長は充分以上に武器になる。

 

童顔がタイプの女ならストライクゾーンのど真ん中だろう。

 

 いや女だけですまない、兄は男からも告白されるくらいなのだ。

 

中身と喋り方と立ち居振る舞いはともかく、外見の愛らしさたるや並の女を容易く凌駕する。

 

 だから言い寄られることは男女問わず多くあった。

 

それでも今日まで言い寄ってきた相手を受け入れたことは一度としてなかった……これについても男女問わず。

 

なのに……なのになんで今になってっ!

 

 杳子は壁を叩きそうになった手をなけなしの理性でもって抑えこむ。

 

盗み見ていたことを気づかれたくないという一心の痩せ我慢だった。

 

 目を固く瞑り、歯を食い縛る。

 

(はるか)(にい)の初めてはヨーコが奪うハズだったのにっ!」

 

 杳子は叫んだ。

 

当然口に出せばバレるのは間違いないので口の中で、だ。

 

 度をこえたパニックのせいで呼び方も昔に戻っている。

 

 自分の押しが弱かったせいで、どこの馬の骨とも知れぬぽっと出の女に先を越された。

 

その事実に涙まで込み上げてきて、せっかく回復してきた視界が滲んでくる。

 

 現実の無慈悲さに打ち(ひし)がれていると、すでに()(たい)の杳子に追い打ちをかけるように、扉越しに女の声が聞こえた。

 

『そろそろ……かしら』

 

『あぁ。私も、もう……限界だ』

 

 『そろそろ』、『限界』。

 

二人の体勢、シチュエーション、耳に届く言葉。

 

連想されるのは『行為』の終わり。

 

行きつく先の終着点。

 

頂き、頂上、天辺。

 

 杳子だってもう中学生だ。

 

学校の保健の授業で男と女の身体の仕組みなどは勉強してるし、今の時代、学校以外でもそういった情報に触れる機会はある。

 

十四歳といえど女の子。

 

その『行為』がどういう意味を持っているかがわからないほど、杳子は初心(うぶ)ではなかった。

 

「な、なっなな……中でっ……っ」

 

 不穏なワードが聞こえてきたのに女は兄の上からどこうという動きを見せない。

 

 今でもこの上なく最悪と言える状況ではあるが、デキてしまえばそれこそお終いだ。

 

もう兄を取り戻すことができなくなってしまう。

 

その先まで妄想した杳子は顔を青褪めさせた。

 

 もう余裕なんて欠片もない。

 

手が勝手に取っ手を掴み、重さを全く感じないかのように勢いよく扉を開け放った。

 

「遥兄っ! なにしてるのっ! 早く抜かないと!」

 

「あ、杳子おかえり。その呼びかた聞くの久しぶりだな。そんなに慌ててどうした」

 

「あ、えと……お、お邪魔してます」

 

「その体位でよく言えたねっ?! ほんとにお邪魔だよっ!?」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「杳子。年上に、しかも私の客人にどういう口の利き方だ」

 

「だ、だって遥兄ぃ……」

 

「だってじゃない。甘えてもダメだ」

 

 慌てて扉を開くとまず兄が普段と変わりのないトーンで寝転がりながら声をかけてきて、その悠長というか、呑気(のんき)な態度が少し頭にくる。

 

その次に、兄に跨っている女が長い黒髪(よく見ると青みがかっている)でさらりと半円を描きながらこちらに振り向く。

 

振り向いた女は線が細くて儚げな瞳とクールな雰囲気が印象的な、とても綺麗な人だった。

 

 尻込みしそうになったが勢いでどうにか持ち直し、どこか論点からずれたことを言うその女性に、頭に浮かんだ言葉をそのまま返すと兄にきつめのトーンで叱られた。

 

 忘れていた、兄は礼儀に関して、特に年上の人間相手の話し方に関して一家言(いっかげん)持っているのだ。

 

兄自身は他人に対して、言っちゃなんだけれど無礼千万のような喋り方なのに、なぜか人には言う。

 

ちょっと理不尽だとも思うが、前に深く突っ込んだら切り返しでさらに深い傷を負ったのでそれ以来、言われたら素直に引っ込むことにしている。

 

 杳子は敬愛する兄に叱責されて、突入した直後の燃え盛るような意気を見事に消沈させた。

 

「は、遥いいのよ。妹さんは私にお姉ちゃんを取られると思って…………遥兄(はるかにい)? (あに)?」

 

「んむ?」

 

「え?」

 

 いまだに兄に跨ったままの女がなぜか呼び方に食いついて、目を白黒させた。

 

そんなに変な呼びかたではないと思うのに。

 

 っていや、直近の問題はそこではない。

 

杳子はふわふわとした腰まであるブロンドの髪を波打たせるように振って、逸れつつある話を強引に戻す。

 

「そんなことはいいのっ! 早く抜かなきゃデキちゃうよ!?」

 

「なんの話かしら?」

 

「さっきも言っていたな。なにをのたまっているんだ」

 

「~っ!」

 

 要領の悪い二人の反応がもどかしくて地団太を踏む。

 

迂遠な言い方をしていては理解できないようだ、と杳子は判断し、羞恥心を押し殺して覚悟を決めてはっきりと言うことにした。

 

「だからっ、子どもデキちゃうよって言ってるのっ!」

 

「こっ、子どもっ?!」

 

「……………………は?」

 

 女の人の過剰なまでのリアクションと、兄のアホの子を見るような絶対零度に近い冷たい視線。

 

この二つを受けて、杳子は事ここに至ってやっと、自分がとんでもない勘違いをしていたことに気づいた。




十八禁要素はありません、あしからず。

毎度毎度更新遅くてすいません。
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