とっても活力が湧き出てきました!
ソードアート・ビギニング I
約2ヶ月に及んだ《ソードアート・オンライン》通称SAOのβテスト期間が終了し、迎えた翌日。俺は生き甲斐を失ったに等しい喪失感を全身で感じていた。だが、四の五の言っても俺のデータは既にリセットされているし武器もアイテムも影も形も残っていない。
いい加減未練をティッシュペーパーに包んで捨てるの精神で、正式サービスの日を心待ちにしながら俺は学業に勤しむ。俺、
無論、サボろうと思えばいくらでもサボれるのだが、俺は今年受験生なのでそんな愚行を犯せば後で絶対にめんどくさい事態に発展するのは目に見えている。それに、母には俺のインターネット接続料を全額負担してもらっている上に《ナーヴギア》も誕生日祝いと称して母が買い揃えてくれたのだ。怠惰な理由で学業を怠っては親不孝にも程があろうというもの。せめて学生としての責務を果たすのが最低限の義務だろう。
俺が通っている私立中学の男子校は設備もそこそこ充実しているし、校舎は外見も内装もそれなりに写真映えしそうなほど整っている。授業内容は少しペースが遅いだけで凡そは分かりやすいため不服はない。とある口コミサイトでも5点中3.9と比較的高水準の数値を叩き出すほどだ。事実、俺はなんだかんだでこの学び舎を気に入っているのだが、すぐ近くに名門の中の名門校である《私エテルナ女学院》が立地しているせいで、どうにも存在が霞んでしまうのはいただけない。
なんの因果か、この学校とエテルナ女学院の文化祭は開催期間が駄々被っており、それが災いしてしまい一般公開しても客は殆どエテルナ女学院に持っていかれ、この学校は毎年文化祭で冬の時代を噛みしめながら微妙に盛り上がりもしない祭典に興じているわけだ。
「え〜、さっき先生から連絡が来たんですが、今日の英語の授業は急遽自習に————」
授業と授業に挟まれる10分間の休憩時間、そこで教室内全体に行き渡る大声で連絡事項を伝えているのは俺の丁度一つ前の席に座っている男だ。クラス委員長を務める器の持ち主で、勉強も運動も大抵のことは平均以上に熟してみせる、正に文武両道を具現化したような存在。
俺もそういう人間に憧れていた痛々しい時期があったものだが、ある日《才覚を持つ者はそれだけ押し付けられる責任の量も多い》という身も蓋もない非情な現実に気付かされてからは、そんな情景微塵も抱かなくなった。
「見ろよ、アイツまたゲームしてるぜ」
「毎日毎日飽きねえやつ」
「何が楽しくて生きてるんだろうな」
耳障りな会話が俺の耳を抉る。100%、十中八九、俺に向けての言葉だ。この男子校は休み時間なら仮眠しようが早弁しようがゲームに興じようが、人に迷惑をかけない範囲の事なら大抵許されるという甘さを極限まで追求したような緩い校則になっている。俺の座っている席は一番後ろの列の更に左端で、イヤホンジャックを付けてゲームプレイをしているので極力視線に入らず音漏れも心配ない。
大声でゲーム実況をしているわけでもないし、特に誰にも迷惑をかけているわけではないのだが————やはり快く思わない輩は一定数いる。俺の所属しているクラスは、体育会系の寄せ集めのような人員構成で、休み時間はいつも集団行動でいる上にやたらと熱血なタイプの人間が多く、俺はそういった類の人間が決して好きではないので休み時間どころか授業中————特にグループワークの時なんかはプレス機で圧迫されるような狭苦しさを感じながら過ごしているわけだ。そういう無駄にやる気や活力に満ち溢れた人間たちにとって、隙間時間を全てゲームに費やしている俺は積極性のない根暗な人間と見做されているらしく、現在進行形で俺はクラスから孤立している。
先程のようにわざと聞こえる声量で嫌味事を言われるのも日常茶飯事。さっさと受験を終えて高校に進学したい。高校ではゲーム文化に寛容的な人間にありふれたクラスに配属されるのを祈らない日々はない。
少し前まではゲームプレイ中に後ろから目隠ししてきたり横からわざと妨害するように話しかけてくるなど、お世辞にも手が込んでるとは言い難い稚拙な悪戯を定期的にやられていたが、俺が全てのリアクションに対して無視という選択を取ったからだろうか。反応が全くないので彼らも冷めたらしく、以降は特に俺と一切関わらなくなった。
「早く始まんねーかな、ソードアート・オンライン」
そっと窓から吹き込む寒風に飲み込まるような割れた声を漏らしながら、俺は午後の授業の準備に取り掛かるのだった。
無論だが、俺に交友関係などというものは存在しない。小学校を卒業した日、「これからも友達でいようね」みたいな台詞をちょくちょく聞いたが、俺は卒業して以来小学校の時のクラスメイトと連絡を取ったことはただの一度もなかった。別にそれは悲しくないし、人にはそれぞれ歩む道があるのだから過去の友人と疎遠になるのはむしろ当然だろう。
逆に今でも絶えない交友関係があるならそれは本物の繋がりと呼べるし、少し離れた程度で断ち切れるならその程度の縁だったというだけの事。中学校という新天地でも友人を殆ど作らなかった俺は、登下校も勿論ソロである。それは今日も例外ではなかった。俺の通っている男子校は基本的に皆集団で下校する傾向があるので、いつも独りで下校している俺はさぞ異質に見えるだろう。
「帰る前に少し格闘ゲームやってくか……」
幸運なことに、俺の通学路は寄ろうと思えばすぐ寄れる距離にゲームセンターがあるため、ゲーマーとしてはこれ以上の都合の良さはなかった。しかし贅沢な文句を言うと、VRMMORPGという今までの常識をひっくり返すような壮大な体験をしてしまった後では、ゲームセンターに設置されている筐体でプレイするジャンルのゲームは見劣りしてしまうのは否めない。それほど、仮想世界は魅力的で感動的な世界だったのだから。
《
否、回収しているという表現の方が正しいか。脳が肉体を動かすために必要な電気信号を回収し、デジタル信号へと変換することで仮想世界でも現実世界と同様の動きが可能なのだ。
その役割を果たすのが2022年5月に発売された、完全なる《
正に夢のようなマシンであり、このゲームハードが発表された当時は凄まじい熱狂だったのを昨日の事のように思い出せる。重度のゲーマーなら誰もが一度は望んだ、『ゲームの世界に飛び込める』が遂に現実のものとなったのだから無理もない。ネットゲーム中毒者からライトユーザーまで、幅広い層で瞬く間に人気を博したナーヴギアは、現在も在庫を切らし続けるほどの大好評の売り上げだった。
しかし————。これは新ゲームハードあるあるだが、ナーヴギア発売当初のパッケージソフトはどれも微妙なタイトルばかりで不満を募らせたユーザーも決して少なくはなかった。かく言う俺も、せっかくの仮想世界が単なるパズルゲームや基本操作のお浚いのような単純かつ拡張性のないタイトルで止まっていた時はやるせなさをひしひしと感じてしまったのは否定できない。
故にナーヴギア専用ソフト《ソードアート・オンライン》が発表された時の掲示板やSNSの盛り上がりは高校野球の甲子園を彷彿とさせるような熱い盛況だった。βテストの枠は1000人限定だったが、応募数はそれを遥かに上回る10万人以上。そんな激戦区の中で俺のような碌に世界貢献もしていない人間がβテストの枠を勝ち取れたのは奇跡だったろう。
自分がβテストに当選したと分かったあの日、初めて神の存在を信じたものだ。おまけに当選者にはパッケージ版の優先購入権も付属してくるため、俺が密かに抱いていた『もしかしたら製品版買えないのでは?』という不穏な心配は杞憂で終わる。
この日本中に俺と同じくβテストで壮大な体験をし、正式サービス開始日まで待ちぼうけを喰らって悶々とした日々を送っている人間もきっといるのだろう。正式サービス開始日はあと1ヶ月後。冷静に捉えれば決して長い期間ではないが、今の俺にとっては無限に等しく、遠く感じる。
孤独な現実世界。同じような日々を毎日作業の如く繰り返すだけの無味乾燥な毎日。いつも腫れ物のように見下される、そんな現実に堪らなく嫌気が差している。現実を拒絶し続けたい。そんな歪んだ思考に塗れている俺にとって仮想世界は————————無限にどこまでも続く、あの夢想の世界は正に楽園だ。許されるのなら、永遠にあの世界に入り浸りたい。どれだけ望んでも、それは叶わない願いだが。
「……随分と混んでるな」
頭の中で仮想世界に向けての感情をぐるぐると回しながらも、俺はゲームセンターに到着した。普段はそれほど混雑してない日なのだが、今日はやたらと人だかりかできている。店内ならまだしも、店の外に野次馬が集まるほど混み合うのは見慣れない光景だった。
だが俺はすぐにその理由を察する。中継だ。このゲームセンターは店員の気まぐれで、プレイ映像が店の外に装飾されている大画面に映像で中継される事がある。見るに耐えないお粗末プレイングも、プロ顔負けの超白熱試合も、問答無用で中継されるため一種のパフォーマンスだ。
俺も少し前に格闘ゲームをやっていたある日、勝手に中継されているのを知った時は度肝を抜かれた。あの時はたまたま偶然が噛み合ってそれなりのプレイングを魅せられていたのが不幸中の幸いか。もし放送事故並みの映像を中継されていたら俺は羞恥心で二度とこのゲームセンターには来れないだろう。
「……で、今は誰が中継されてるんだ?」
じっと目を凝らす。中継されてるゲームジャンルは格闘ゲームのようだ。プレイしているのは——————女。
顔だけで判断するなら俺と歳は大して離れてないくらいの女の子だ。あぁ、なるほど。だからこれだけ人が集まっていたのか。
今の時代、ゲーム女子というのは別に珍しい人種ではなくなったが、それでも実際に目に前にいるとやはり騒ぎになるのだろう。なんとも男とは単純な生き物なのだろう。俺もだが。
(うわ、すげぇコマンド捌きだな……的確で無駄がない)
画面越しでも分かるほどの流麗なコマンド入力。思わず魅入ってしまうほどの鬼気。気づけば俺は、その女の子のプレイをじっと見つめていた。
『おらおらおらおら!! そこっ!! はあっ!!』
熱中すると言動が変動するタイプなのか、素がそういう性格なのかは分からないが、迫真の声を上げながらプレイする様には画面越しでも圧倒される。
髪は紫色のポニーテール。透き通るような白い肌、目は宝石のように煌めくエメラルドグリーン。黒いキャップ帽に斜め掛けの小さなバック、ボーイッシュな服装は彼女のクールさを引き立てており、そんな彼女が織りなす熱の入ったプレイングは凄まじいギャップを生む。
なるほど、これはみんなが注目するのも無理はない。腕もさる事ながらその美容。迫力さ。ゲーマーならこぞって注目したくなるだろう。
(この近辺の学校の子か……? まさかエテルナ女学院の……?)
疑問になり、彼女の素性を脳内で論じてみたが、判明したところで俺に何のメリットもない事に気づいてすぐ打ち切る。第一彼女がエテルナ女学院の生徒という可能性はないだろう。あの学校に通っているのは誰も彼もが格式の高い女子生徒ばかりだと聞く。こんな野蛮で薄暗いゲームセンターに足を運ぶわけがない。
————今日は帰るか。
本当は憂さ晴らしに格闘ゲームに興じ、スッキリした気分で帰路に着きたかったのだが、こんな熱狂の最中に水を差す行為は非常にいただけない。見たところ今あの女の子は同じ相手と連戦中だ。そんな時に「あ、自分やってもいいすか?」などと空気を読む力が新生児で停止してるレベルの無粋な真似をするほど、俺に勇気はない。正直、彼女と手合わせしたい気持ちも微かに胸の内でひしめいているが、それは別に急ぎではない。彼女がここに頻繁に通うコアゲーマーならいずれその機会はあるだろうし、ないならそれまでだ。
「はあっ……俺って、度胸ないな……」
喉を精一杯振り絞って震えた声を漏らしながら、納得しつつもなんとも消化不足なしこりを背負い、俺は自宅に向けて足を運ぶのだった。
ミトちゃんどこ?とお思いの方、安心してください!次回出ます。
今回は主人公、斑鳩幻夜くんの素性に触れる話でした。次回はヒロインパート。
(それにしても主人公とヒロインの初邂逅がゲーセンの画面越し、しかもヒロイン側は気づいてないってそれでいいのか。ゲーマーらしいといえばそうなのかもしれないけど)