今回はヒロインズのお話。
港区に位置する小中高一貫の私立高、エテルナ女子学院。その中等科に在籍する生徒で、
エテルナ女学院の高嶺の花である彼女は学院では常に孤独の身である。昼食も、休み時間も、彼女は一人寡黙に過ごしている。触れれば傷ついてしまうような華奢さと、何物も寄せ付けないクールな風格。深澄は孤独でありながら人望の強い人間であり、一部の生徒たちは彼女を「王子様」と呼ぶほどだ。「畏れ多い」と避けられ、誰の目にも彼女の隣には誰もいないものだと思うだろう。ただ一人、深澄には心を許した友人がいることは知る由もない。
「うああああ! 強いよ深澄!!」
————放課後。多くの生徒が帰路につく時間。深澄はクラスメイトの
「明日奈は守りに徹しすぎなのよ。もっと攻めないと。はい、もうトドメよ」
「ううっ……また負けたぁー!!」
試合内容は圧倒の一言に尽きる。常に深澄が優位に立ち、明日奈は防御行動ばかり選択したため相手の体力を減らせず、深澄の体力の2割も削れず敗北した。どれほど寛容な感性を持つ人間が見ても惨敗だろう。
「はぁ……なんで深澄はそんなにゲームが上手なの? やっぱり家でもやってるから?」
「あとはゲーセンでもやってるからね」
「あぁ……なるほど」
ゲームセンターという単語を耳にすると、明日奈は数ヶ月前の記憶が鮮烈に蘇る。高嶺の花でしかなかった深澄と深く近づくきっかけになった、あの日のことを。
その日は、明日奈にとって何ら変わらない生活を過ごすいつも通りの日だった。朝早く起床し、学校では授業に真摯に取り組み、放課後になればすぐに帰宅する————そんな日。
しかし明日奈は見てしまった。通学路にあるゲームセンターの大画面、そこに映る1人の少女を。髪型や服装、口調や表情———風格まで何もかも変貌していた同じエテルナ女学院の生徒、兎沢深澄を。
「みっ……深澄さん……!?」
街中で人名を吐露するのは倫理的にどうなのかという、普段の明日奈であれば真っ先に気にするであろう項目がデリートされるほど衝撃的な光景だった。明日奈は兎沢深澄という人間を当然知っている。というのも、その名前を見る機会はいつも定期テストの順位表。
2位の横に刻まれている結城明日奈という自分の名前、その上にいつも位置していたのが深澄。即ち学年で堂々のトップの成績を飾っている人間だ。学年1位の座に就けなかったのが堪らなく悔しかった明日奈は、次の定期テストは死に物狂いで勉学に勤しんだ。
だがそれでも結局次の順位表も明日奈は2位で深澄が1位。何度繰り返してもそれは変わらず、かつて密かに抱いていた対抗心や嫉妬は消え失せ、いつしか個人的な興味に変わっていた。どんな生活、どんな学習方法をしたらそんな点数が取れるのか。
そろそろ本人と直接コンタクトして、アドバイスの一つでも享受したいと考えていた矢先————まさかのエンカウントである。否、まだこの時点で深澄は明日奈に気づいていなかったため、明日奈の一方的な目撃なわけだが。
(み、見なかった事にしよう……そうしよう)
臭いものには蓋をせよ、というのは些かオーバー気味な表現かもしれないが、一刻も早く明日奈は立ち去ろうとする。何故なら、見てはいけない真実をこの眼に写してしまった気がしたからだ。
エテルナ女学院の生徒————特に中等科では名の知れ渡っている優等生、兎沢深澄が実は変装してゲームセンターで厳つい声を吐きながらゲームに興じていたなど、学院の生徒どころか教師に仮に報告しても絶対に信じてくれない話だろう。
少なくとも明日奈の知る限り深澄はゲームに縁のあるような人間ではなかったし、もしそれらを仄めかすような態度を学院で示していたら、ここまで驚いたりはしない。全速前進、人の迷惑にならないよう早歩きでその場から緊急離脱しようとしたその時。
ガンッ! と鈍い音と共に1人の人間が明日奈の前に立ち塞がった。右足で明日奈の進路を妨げるように通せん坊をする。
「あなた、結城明日奈さんでしょ」
不敵な笑みを浮かべた深澄は、学院内では誰にも聞かせないような柄の悪い声で明日奈に話しかける。これが明日奈と深澄のファーストコンタクトなのは言うまでもない。
「あっ、ハイ…………」
まるで通り魔に出くわした気分だった。僅かな希望として、実はそっくりさんの見間違いなのではと思っていたのだが、明日奈の名前を知ってる以上もはや確定だろう。これから何をされるのだろうか。口封じだろうか。そう思うだけで寒気が————
「あの時はビックリしたよ〜。深澄がコアなゲーム好きだったなんて」
「私も迂闊だったわ。まさか外に中継されてるなんて……」
「で、深澄が私をゲームに誘ってくれたんだよね。息抜きにやらない? って」
「そうね。それほど前じゃないはずなのに妙に懐かしいわ……」
ゲームセンターにて初めて言葉を交わした深澄と明日奈は、以前からは考えられないほど距離が縮まった。深澄との交流の果てに、明日奈はこれまでの人生で全くと言っていいほど触れてこなかった“ゲーム”という娯楽に触れる事になる。それは明日奈にとっては何もかもが新鮮で、自然と肩の力が抜ける、そんな体験で。今や深澄は明日奈のかけがえのない絆で結ばれた、親友である。
「ねぇ明日奈、これ知ってる?」
ふと深澄が見せてきた、一つのサイト。小さな文字で《ナーヴギア》対応と書いてあるので、何かのゲームタイトルである事は明日奈にもすぐ察せた。仰々しくサイトのど真ん中に刻まれているタイトルを、ゆっくりと読み上げる。
「……ソードアート・オンライン?」
「そう、略称SAO。あと少しで正式サービスが始まるのよ」
略称を聞いて明日奈は思い出した。そういえば兄がそんなタイトルのゲームソフトを購入するとかしないとか言っていた気がした。笑いながらも半ば賛同している父と、不機嫌気味な反応を示していた母との反応の違いが記憶に新しい。
「ねぇ、一緒にやってみない?
「む、無理無理! 私《ナーヴギア》持ってないし……」
「レクトのお嬢様なんだから、頼めば手に入りそうなもんじゃないの?」
大手総合電子機器メーカー《レクト・プログレス》。明日奈の父親に当たる結城彰三はレクトのCEOを務めており、つまるところ明日奈はレクトの令嬢に当たる。故に明日奈が本気で頼み込めばナーヴギアの一台、SAOのソフト一本の入手くらいなら容易いとまでは行かずとも限りなく可能だと深澄は思っていた。
————だがこの質問は不適切だったと、すぐに後悔する。明日奈の表情は徐々に曇り気を帯び始める。
「…………受験が終わるまでは無理かな」
せっかくの親友の誘いを断るのは明日奈にとっても心苦しかった。明日奈とてそのゲームに興味がないわけではない。仮想世界、ゲームの中に飛び込む類のものらしいそれに、好奇心だってある。
だが彼女の家族は—————父と兄はともかく、母は明日奈がゲームという娯楽に興じるのを許諾するはずがないと、明日奈は考えるまでもなく理解に及んでいた。
今朝も、全国統一模試で全教科A判定を獲得したことを意気揚々として母に伝えたところ、「そんなの当たり前でしょう」「気を緩めないで」と非常に淡白な言葉で返されたのだ。そんな母が、勉学とは全く関係のないゲームに対して寛容的になるはずがない。
「明日奈、頑張りすぎてない? 少しは息抜きしないと潰れちゃうよ……」
曇りに満ちた明日奈の心情を察したのか、深澄はそっと優しく明日奈の肩に手を置く。深澄も、彼女が重圧に蝕まれながら生きている事は重々承知していた。エテルナ女学院の生徒で格式の高いエリートコースの線路を進もうとする人間は大して珍しくはないが、明日奈はその中でも常軌を逸している。
今年の初詣の日、明日奈の家族全員に深澄は挨拶しに行ったのだが、何も知らない深澄でも瞬時に理解できるほど明日奈の母は冷徹だと悟ることができた。どこまでも冷たくて、刺々しい。
もし明日奈がこのまま敷かれたレールから外れることなく、決められた人生を歩むだけになってしまったら————いずれは明日奈自身も氷河のような冷たさに満ちた人間になってしまうのではないか。深澄は稀にそんな余計な世辞を焼いてしまう。親友として、明日奈には彼女自身が笑顔になってくれる人生を歩んでほしいと切に願うが、こればっかりは家族の問題。自分が口出しして変わるものではないしその資格はないだろう。
「私は、明日奈の笑った顔が好きだな」
なんて言葉をかけたらいいか分からず、深澄は明日奈の雪のような白い肌を掌で優しく撫でながら口説きのようなくさい台詞を囁く。しかしそれが少し彼女の心に響いたのか、先刻までの暗い表情が一変し、彼女は頬を朱に染めて羞恥心から視線を逸らす。
「そうそう、それでいいのよ明日奈。せっかくの美人が台無しよ」
「びっ、美人って……」
「自覚ないフリしないの。校内で明日奈がお姫様みたいって言われてるの、あなただって知ってるくせに」
この女学院は文字通り女子校。そのせいか明日奈は同性からの人気が凄まじい。その端麗な容姿に加えて学年でもトップクラスの優秀な成績。おまけにスポーツにも秀でている。
噂では今年のバレンタインデーに下の学年の生徒からチョコレートを数個受け取ったらしいのだが、明日奈自身が異様にひた隠しにしているため、真実は闇の中である。
「み、深澄だって王子様って呼ばれてるのよ、知らない?」
「どうせなら、明日奈専属の王子になりたいなぁ」
「えっ?」
「なーんて」
王子様。その言葉の響きが気に入った深澄は声を少し男寄りにして、明日奈の耳元で囁く。
「明日奈様、ちょっとよろしいですか?」
「なによその呼び方……ふえっ?」
深澄は明日奈の背後に周り、彼女の髪に触れる。滑らかで艶のある、同じ女性としては羨ましいことこの上ない髪質。掌で掬うとサラサラと髪が靡き、その感覚がとても心地いい。ずっと触れてたいとまで思えてくる。
明日奈は髪型がスタンダードでオーソドックスなロングベアにとどまっているのが惜しいと深澄はずっと思っていた。これでは折角の美容な容姿を活かしきれていないのだから。
深澄は、好奇心に刺激されて彼女の髪を器用な手先で弄り始めた。
「あっ、あの、深澄?」
「じっとしてて。今可愛くしてあげるから」
シュルシュル、と栗色の髪を弄ぶ心地いい音が微かに響く。
「なんだか、変な感じ」
「動かないで。後ろで結んだらもっと可愛いわよ」
サイドの髪をそれぞれ後頭部に向けて三つ編みにし、右側の三つ編みをピンで止めてそれに覆い被せるように上から髪を被せる。そのあと、もう片方の三つ編みを下に重ねて被せれば—————クラウンハーフアップの完成だ。
「はい、できたよ」
確認用の鏡を明日奈に手渡す。どうやらお気に召したようで、ご満悦な表情だった。その隙に深澄は格闘ゲームに使っていたスマホの画面を写真撮影モードに切り替えて、明日奈にピントを合わせる。
「こっち向いて、明日奈」
「ええっ、写真撮るの!?」
「当然。私のコレクションの一つだもん」
少し躊躇っていたが、観念して明日奈は深澄の持っているスマホのカメラに向けて顔を振り向いた。深澄はすかさず撮影のボタンを押す。
「うん、すごく可愛いよ明日奈。お人形さんみたい」
「なんか……照れちゃうなぁ」
「このままお家に持って帰りたいくらいだわ」
「お調子に乗らないの!」
明日奈と深澄。エステル女学院の高嶺の花同士、彼女たちにしか結ぶことのできない絆。彼女たちだからこそ繋がった心。
2人きりでいられる時間は決して長くなくとも、心が満たされるような幸せを胸いっぱいに感じることができた。
「明日奈と仮想世界で会えないのはちょっと残念だけど、現実世界で会えるだけでも私は楽しいかな……」
「深澄……私も」
今日は2022年11月1日。あの悪夢の、5日前。
全てが始まるあの日—————ソードアート・オンラインのサービス開始日までの。
まず一つ謝罪を。今回、劇場版プログレッシブの明日奈と深澄ちゃんの会話シーン殆どまんまなんですよね。書いててこれはまずいと思いつつも、僕は2人の現実世界の会話シーンが大好きなのでどうしても書きたかったのです。ごめんなさい。当初は幻夜くんと深澄ちゃんを現実世界で会わせようと思ったのですが、予定崩して幻夜くんが深澄ちゃんの顔だけ知っている状態です。
やはり《仮想世界》での出会いが重要だと僕は思うんですよね。
あと明日奈と深澄ちゃんの会話、映画より少し百合百合しい気がしますが気のせいです。嘘です筆が調子に乗りました。冨◯義勇が腹を切ってお詫びします
次回はいよいよアインクラッド突入します。
————これはゲームであっても遊びではない。