これからは早めの更新を心がけます!
1
———“その時”が近づいている。
自室の時計を小刻みにチラチラと見ながら、時計の針が13:00丁度を指すのをそわそわしながら待っていた。
現在時刻は12:58分。あと、2分。それが《ソードアート・オンライン》正式サービス開始日までの時間だ。
「やっと戻れるのか……あの世界に」
一月前のβテスト期間の記憶が走馬灯のように蘇る。夢、理想郷。そんな言葉で表現するには勿体ないほどの仮想空間。一度見たが最後、俺はあの世界に骨の髄まで魅了された。あれからというもの、寝ても覚めてもSAOのことばかりを考えている。
時計の針が12時59分を指し示したのを肉眼で確認した俺は《ナーヴギア》を頭に装着した。
「リンク・スタート」
仮想世界にダイブするための詠唱を聞き取ったナーヴギアは現実世界の俺の肉体から意識を切り離し、仮想空間へと送り込む。なんなくログインできたが、これは俺が事前にナーヴギアの細かい初期設定を全て終えているからだ。
たとえば今日ナーヴギアを購入した人はソードアート・オンラインをプレイする前にナーヴギア本体の設定作業に苦しめられる事になる。
ナーヴギアはその構造の精密さが故に、ゲームハードとして使用するためには山のように存在する初回設定をいくつか熟さなければならない。
生年月日やパスワードを設定するのは特に目新しさのない項目かもしれないが、《キャリブレーション》という自身の身体のあちらこちらを触って身長や体格のデータを取る、といった何の用途があるのかイマイチ理解に苦しむ設定項目まであるのはナーヴギアくらいなものだろう。
俺含め、βテスト経験者はテスト期間に使用したアバターのデータをステータス以外はそのまま使う事ができる。
ちょうど視界上に【βテスト時に登録したデータが残っていますが使用しますか?】というウインドウが表示された。
手間を短縮する意味も込めて俺はOKボタンを押す。
無論、一からアバターを作り直すことも可能といえば可能なのだが、新しい外見を考え直すのも面倒くさい話だし、2ヶ月間あの仮想世界を縦横無尽に闊歩したこの姿を捨て去るというのも惜しい話だ。
ソードアート・オンラインのアバター形成は細部に至るまで自分好みに設定できる良心設計で、髪型や体格、身長や身体のパーツ諸々はもちろんのこと、性別まで自己申告制である。つまり現実世界では男性でも仮想世界では女性の身体を自分の物として動かせるのだ。
アバター形成に困ったら“おまかせ”というアシスト機能を用いることで、己の仮想世界の分身をシステム側の独断と偏見に一任させる事も可能である。
また—————この機能を使うほど肝の座ったネットゲーマーは居ないと断定してもいいが、“メモリに保存されている写真からアバターを生成する”事も一応可能ではある。
だがそれは現実世界と殆ど大差のない格好で多くのユーザーがプレイするMMO上に出現することと同義であるため、個人情報の流出もクソもあったものではない。
廃人ネットゲーマー云々の前に、こんな個人情報を自らばら撒くような機能を使う人間は果たしているのだろうか?
パスワードの入力を終えると、俺の視界に『Welcome to Sword art Online!!』というユーザーを仰々しく歓迎する文字が大々的に飛び出してくる。そのまま視界は光に包まれ——————
「戻った……俺は戻ってきたんだ!」
視界が回復すると、そこに広がっていた光景は数分前に眼に焼きついた自室の天井でもなく、先刻までのログイン画面でもなく。
誰もが待ち望み、遂に完成した理想郷。完全なる仮想空間《ソードアート・オンライン》の世界だった。
2
—————さて、どうしたものだろう。
俺は無事にサービス開始時間同時にログインし、この仮想世界に帰還したわけだが、まず手始めに何に取り組むべきかを考えていなかった。
冷静に考えれば既に支給されている初期配布分のゲーム内通貨を使って装備を整え、誰よりも早く攻略に出掛けるのが序盤の行動としてはど安定なのだが、俺は妙に落ち着いていた。
ふと思えば、俺はこの世界の景色というものを殆ど見たことがなかった。βテストの時は2ヶ月という限られた時間しかないことに焦り、何かに取り憑かれたが如くゲーム攻略に熱中していたが、せっかくのサービス開始初日くらいこうして街の風景を眺めながらゆっくり感傷に浸るというのも悪くないのではないだろうか。
————などと、俺が呑気に悠長に思考していると、不意に肩を揺すられる感覚がした。それと共に「あの〜」という可愛げな声も。
俺は声のする方向へ身体をシフトさせる。そこには、栗色の長い髪を携えた女性プレイヤーがいた。
(女性プレイヤー……珍しいな)
見て呉れのみで判断するのであれば、恐らく実年齢は俺と大差ないと思われる。透明感のある雪のような白い肌、髪の色と同じ輝かしい目、まるでモデルのように整ったら顔立ちだ。
不覚にも———と見苦しい負け惜しみのような揶揄をすると目の前の女性に無礼だと思うのでこの際ハッキリ申し上げるが、初対面でいきなり「すごい美人だ」と俺は感じた。
現実世界でもここまでの美人博麗に出会うことはそう易々と叶わない。
「私、友達を探してるんです。深澄っていう女の子で……見かけませんでしたか?」
ミスミというのはプレイヤーネームで間違いないだろう。友達を探しているという彼女の言葉から勝手に推察すると、友人とこのゲームを遊ぶためにログインしたはいいが待ち合わせ場所を決めておらず、合流に難儀している———-といったところだろうか。
本来なら俺ではなく街のNPC辺りに頼むのがベターだが、一度振り向いたからには無視するのは論外だし協力してあげるのが義理人情というものだろう。
せめてNPCの存在くらいは教えるべきだ。
「えっと、力になりたいのは山々なんだが、人探しなら俺よりそこにいる女性NPCに聞いた方が早いよ。ミスミさん……だっけ? その人のプレイヤー名を言えば今どの辺の座標にいるのか教えてくれるさ」
「あの人にはさっき聞きました。でも……そんな名前のプレイヤーはいませんって言葉を繰り返すだけで」
—————むむ。それは妙だな。
俺は真剣に考え込み始める。
目の前の彼女然り、待ち合わせしようとしたがアクシデントが発生して予定通りに落ち合えず、途方に暮れるプレイヤーというのはβテストで何人かいた。俺は基本的にソロで活動していたので無縁の事件だったが、もし友人とやる予定があったら全くの無関係だったとは言い切れない。
運営は正式サービスにてそれを防ぐため、サービス開始に伴いこの《はじまりの街》の案内用NPCには特定のユーザーの座標を教えてくれる実に良心的な機能が備わっていると公式ページに記載されていたはずだ。
この機能を利用すれば、フレンド登録しなくても大凡の居場所は掴めるし合流も格段に容易となる。
しかし俺に話しかけてきたこの美少女は、《ミスミ》というプレイヤーを探しているとNPCに聞いても情報が手に入らなかったというのだ。これは妙な話である。
—————考えられる可能性は3つ。
1、まだ彼女の友人がログインしてない。
2、ユーザー名を間違えている。
3、不具合によるNPCの誤作動。
考えてからすぐ、俺は“3”の可能性を頭からデリートした。サービス開始初日、アクセス集中によりサーバーに負荷が掛かりゲーム進行の阻害となる致命的な不具合やバグが起きてしまうのは“あるある”の一つかもしれないが、このSAOのサーバーはβテスト開始時点で最下層の第1層からてっぺんの第100層まで製作されていたと噂されるほどの膨大なデータ量と、それを支えるだけの強力な回線が備わっている。
そんな高性能回線がそう簡単にエラーを起こすのはあまり現実的な話とは思えない。
故に彼女が友人と未だに巡り会えないのはそもそもログインしてないか、ユーザー名を間違えているかの2択に絞られる。
「あの……個人情報だから深く聞くのは抵抗あるんだけど、君の友人の名前は本当に《ミスミ》なの?」
「はい。兎沢深澄っていう女の子です」
「…………ん?」
トザワミスミ。発音といい妙な日本語らしさといい、どう考えてもプレイヤーネームではなくその人の本名にしか聞こえなかった。
もしかしたらトザワ・ミスミというプレイヤーネームなのだろうか————いやそんなはずがない。
恐らくこの少女はとんでもない、重大な勘違いをしている。もしかしたら、いやそんなはずはないと俺の頭の中でグルグルと一つの疑惑が駆け巡る。
先刻は俺の質問の形式に問題があったんだ、と最後の保険をかけて俺はもう一度似たようなニュアンスの質問をした。
「あっ、そうじゃなくて。本名ではなくプレイヤーネームを」
「名前ですよね? だから深澄ですって」
残念ながら俺の予想は的中してしまった。間違いなくこのプレイヤーはMMO初心者だ。
それも本名とゲーム内でのユーザー名の区別が付かないほどの。
日本中の廃人ゲーマーが血眼になって求める、文字通り争奪戦が繰り広げられたSAOのソフト初期ロット1万本。それをよくこの少女のようなニュービーが手に入れられたものだ、と俺は驚愕を通り越して感心していた。
よほど普段の行いが立派なのだろう。
「あの……多分だけどそのミスミさんは《ミスミ》とは違う名前でこのゲームやってると思うよ……」
「えええっ!? な、なんでですか!」
「なんでっていうか、それが当たり前というか……外見で探そうにも現実世界の格好そのままで来るバカなんているわけないし……」
「ば、バカ……っ!?」
何故か目の前の初心者さんの声色が暗くなったような気がした。心なしか俺に対して僅かな敵意を感じる。
「ともかく、ユーザーネームが分からないならお友達を探すのは困難だよ。一旦ログアウトして、お友達と改めて落ち合うのがたぶん一番早……い……?」
言葉は途中で勢いを失う。突如、悪寒が俺の全身を包み込むような妙な不快感に襲われたからだ。
その俺の感覚が嘘偽りではない、と神からの天啓であるが如く、遠くから床を蹴る乾いた音が徐々に接近してくるのが耳に響く。
ズシン、ズシン。足元に大きな影ができるのを見て俺は思わず上空を見る。そこには————何かがいた。否、プレイヤーがいた。
空に浮かぶプレイヤーはそのまま着地して俺の目の前の女性プレイヤーのアバターに掴みかかった。側から見たら完全に痴漢とかそういう類のプレイにしか見えない。
「なぜ、ここにいる?」
その重苦しい声は聞き覚えがある。たしかアバター設定の《ボイス・チェンジ》の項目に羅列されている加工ボイスの一つだ。
俺もβテスト時代に一度試したが自分が自分でなくなるような感覚がしてすぐやめたのを覚えている。
外見はお世辞にも趣味がいいとは言い難い歪で不吉な白い仮面を被る巨漢。隆々とした筋肉が特徴的。
(なんだろう……この大男、どっかで見たような)
俺の本能が告げていた。コイツは初対面じゃないと。
「きゃああああっ!? だ、誰ですかあなた!!」
巨漢は右手でメインメニューを操作した後、不気味な仮面を取り外してゆっくりと答える。
「私よ、深澄」
ボイス・チェンジを解除したのか、その声は人間らしい生声になった。声質からして100%中身は女性だろう。
「は、はああああっ!!?」
仮面に隠れたその素顔は爽やかさも凛々しさも微塵も存在しない、対象年齢18才以上のホラーゲームに出てくる怨霊も顔負けクラスの鬼気迫る形相だった。
常に瞳孔がギョロギョロ開いており、暗闇で見かければ一瞬モンスターと錯覚して武器を向けてしまいそうなほどに恐ろしい。
(なんだあの顔怖ッ!!)
今のところ本人の自己申告でしか判断できないが、この大男が件のミスミさんらしい。だがたしかミスミさん———これは十中八九、現実世界の名前ではあるが、本当に彼女と友人同士なのかさえ怪しい。
というのも、仮にも友人との再会にしては栗色の髪の少女の取り乱し様が異常なのだ。
ミスミさんの現実世界の姿とSAOのアバターの外見があまりにもかけ離れすぎて脳細胞がパニックを引き起こしてるか、この飛び出してきた巨漢が正真正銘、自分を彼女の友人と思い込んでいる強面の一般プレイヤーなのか。
「違います! 私の親友の深澄はっ、髪の色が紫色のロングヘアで……体型は少し細い女の子です! 兎沢深澄っていう子で———」
「あのね…………」
すうっ、と大きく呼吸した巨漢は、今このゲームにログインしている誰よりも苛烈なシャウトを繰り出した。
「本名を大声で言わないで!!」
————これが、俺と彼女の初めての出会いになる。
ロマンチックもへったくれもない奇妙で異質な出会いだった。
俺はこの邂逅を未来永劫忘れる事はないだろう。
結城友奈と結城明日奈って似てるよね(至言)
幻夜くんのアバター名はいよいよ次