【1】
正式サービス開始早々キャラが濃いというか、どう足掻いても二週間は記憶にこびり付くであろう印象の強さを放つプレイヤーと出会ってしまった。俺のゲーマー生涯に於いて、「ゲーム内で本名を誤爆する」というプレイヤーは少なくとも今日初めて見た。いや、遠回しな個人情報を喋ってる者は何度か見かけたことはあるが。
「その……ありがとうございました。深澄——じゃない、友達と無事に会えました」
栗色の髪をした少女は実に流麗な作法で俺にペコペコと頭を下げる。
「そいつは良かった。これからはゲーム内で本名を叫ばない方がいいぞ。住所特定しようとする阿呆も世の中にはいるからな」
俺は他人の個人情報に毛ほどの興味も湧きはしないが、そういう類の情報を好んで集めようとする輩は決して少なくない。
ベータテストでもゲーム内でリアルの情報を必要以上に開示してしまい、それが災いして自宅を突き止められた———という事例があったとかなかったとか。
「おいアンタ。この初心者さんをちゃんと面倒見てやれよ。目を離したら今度は住所を喋りかねないぞ」
眼に映る視界どころか、このアインクラッド全体の中でも一際目立つアバターをした大男に俺は釘を刺しておいた。
「そのつもりさ」
大男の声は、先刻に街で「本名を大声で言わないで!」と叫んでいた時の実に女の子らしい可愛いさを孕んだ声から、システムによって加工されたボイスに切り替わっていた。
なんというか———凄まじく威圧的で迫力のある声色だ。どっかの宇宙で帝王でもやってるんじゃないかと錯覚するほどに。
その口調も完全に男に切り替わっている。
一瞬で切り替えられるあたり、男性としてプレイするのは初めてじゃないなと俺は確信した。他のゲームでも男キャラをやっているのか或いは俺と同じようにベータテスト経験者か。
「じゃあ俺はこれで。またフィールドなり街で会えたらよろしくな」
これ以上彼女たちと関わる理由もないし、俺がいることで2人の時間を阻害するのも気が引けるので、俺なりに気持ちのいい別れ台詞を吐き捨ててその場から立ち去る。
SAOの広大な世界で、ピンポイントで彼女たちと再会できるのかは神のみぞ知る未来だが。
「……あっ」
数秒前に別れを告げた2人の声が聞こえなくなるほど離れた時に、ふと思い出した。
あの大男———どこかで見たと思ったがどうも記憶が曖昧で思い出せずじまいだったのだが———今、急に記憶が復帰した。
ベータテスト終了間際、アインクラッド第十層迷宮区で《オロチ・エリートガード》と交戦していた大鎌使いのプレイヤー。そのプレイヤーと瓜二つだ。あの時は遠目からだったのでハッキリは見えなかったが、あの体格と顔面は印象に強い。
なぜ先程まで気づかなかった。俺の馬鹿。次にあったら少し話してみたい的なことを考えていたのに水泡に帰してしまった。
「まぁ……ベータテスト経験者なら攻略ガチ勢だろうしまた会う機会もあるか」
己の凡ミスに対して精一杯の言い訳を繕う。
少し心にしこりが残る感覚が否定できないが、“そういう事もあるだろ”と切り替え、俺は街の武器屋へと足を運んだ。
【2】
はじまりの街の入り組んだ裏道に位置する武器屋——そこは、序盤から誰もがお世話になるべきお得な商店。初期装備は基本的にここで調達するのがセオリーだろう。
俺は片手剣の初期武器《スモールソード》を速やかに購入して武器屋を出る。ベータ時代から俺のメインウエポンは片手剣だ。正式サービスを機に別の武器種に手を出すのも一度は考えたが、やはり手慣れた武器を扱うのが理に適っている。
「また……よろしくな」
無機物に話しかけたところで返答があるわけでもないが、つい俺は言葉を出してしまう。背中に装着した剣の鞘に、先程購入したばかりのスモールブレードを納刀し、俺は武器屋を出た。
————しかし、だ。俺は今日ゆっくりと、はじまりの街を見物する事に決めている。どうせ今日はサービス開始初日のお祭り騒ぎで攻略に勤しむプレイヤーもほとんどいないだろう。
MMORPGというのは限られたリソースをどこまで自分の物にできるかが勝負になるわけで、そう考えると今の俺の衝動は無駄なのかもしれないが、βテストで培った知識と経験があれば、正直一日くらいのんびりしてもすぐに遅れを取り返せると思われる。
「うし、行くか」
【3】
ベータテストの時———俺に限らず、攻略に精と時間を注いでいるMMOのヘビーユーザーというのは次のエリア、次の層が解放されるとそっちにばかり意識を向けて前の街に戻るという事はしなかった。
理由は至極単純で、“戻ってもメリットがないから”だ。新たなクエストが発生したなら話は変わってくるが、わざわざ最前線から退いて既に踏破したエリアに戻って得られるものといえば、今の自分より劣っているであろう武具と大した量にもならない微小の経験値である。
ごく稀に———本当に稀に、序盤でも高性能の武器を入手できる可能性はある。だが、それは滅多にポップしない上に動きが素早くて捉えるのも難儀する小型のネズミ系モンスターのドロップアイテムであるため、あまり現実的な話でもない。
かくいう俺も新たなエリアが解放されるたびに前へ前へと足を進めたもので、それ故に街の景色をゆっくりと目に焼き付けるようなことは無縁に等しかった。しかし今日、ほんの心機一転で街を眺めてみて良かったと思える。
このSAOの世界最大の醍醐味はゲーム開発者のインタビュー雑誌に載っていた《自分自身の身体を動かして戦うRPG》という点にあると思っていたが、それだけではなかった。
まるで現実世界と見間違うような……いや、下手をすれば現実世界にも勝る美しい広大な世界。ただ剣を振り回すだけでなく、その絶景を五感で感じるというのも実に面白い。
ふと、時間も忘れるほど街の景色に夢中になっていた俺はメニュー画面に表示されている時刻を確認する。SAOのメニュー画面は他のゲームのようにボタンを押したりするのではなく、右手の人差し指と中指を真っ直ぐに揃えて真下に滑らせることで《メインメニュー・ウインドウ》が表示される仕様だ。
ウインドウに表示されている現在時刻は十七時三十分。まだまだ時間はありそうである。
「街巡りも悪くないが、そろそろ剣をぶん回してみたくなってきたな……」
もう少し街をじっくり見物したい気持ちもあるが、正直もう満足しかけている自分がいる。攻略進行度で後から解放される《隠しマップ》的な存在がない限り、しばらくこの街を見て回る事はないかもしれない。
なにより、ずっと背中で納刀したままの剣をそろそろ引き抜いてモンスター相手に叩き込みたい気持ちがひしひしと心中で蠢いている。観光も悪くないが、やっぱり俺は戦闘の方が性に合っているのだろうか。
「——ん?」
様々な思考を張り巡らせ、ウインドウ画面を操作していると……違和感があった。操作感度が悪いとかそういう話ではない。メインメニューの一番下———そこにあるはずの本ゲーム必須コマンド《ログアウト・ボタン》がなかったのである。
否、ボタン自体はある。UIのデザインも配置もベータテスト時代と全く変わりない。だが欄が空白になっていて本来あるべきはずの【LOG OUT】という文字が消えている。試しに何度かクリックしてみたが、まるで虚空に触れるが如く無反応だった。
「どうなってんだ……なんのバグだよこれ」
他のゲームなら“不具合”の一言で済むだろう。だがフルダイブMMORPGに於いてログアウトボタンがないという事は、即ちこの世界から現実世界に帰還するための手段が何一つない事を意味する。
正確には、現実世界にいる誰かが頭部にぴったりハマっているナーヴギアを引っ剥がしてくれれば半ば強制的にログアウトすることはできるのだが、こちら側から「外してくれ」と現実世界側に意志を発信する手段がない以上、どん詰まりだ。
しかしまぁ、これが仮に俺のみに起きている不具合であるなら大した問題では———決して軽くはないが、大騒ぎするような事態ではない。しかしこのログアウトボタン消失が今SAOをプレイしているユーザー全員に及んでいるのなら、サービス開始初日にして大問題が発生した事になる。
ソードアート・オンラインの開発元である《アーガス》はユーザーを重視する真摯な姿勢で名を売り、信用を獲得してきたゲーム会社だ。その信用があったからこそこのゲームは絶大な人気を博した。にも関わらず、初日からこんな問題を起こしたらこれまで築いてきた信用も全て水泡に帰すだろう。
俺は今すぐログアウトする予定がないので泣き喚くほどの事態ではないが、たとえば———この後になんらかの用件や約束が控えている人間からすれば堪ったものではない。損害もいいところだろう。内容次第では今後VRMMOというジャンルの立場が危うくなることさえ考えられるのではないか。
「はぁ……ボッコボコに叩かれるなこりゃ」
まるで他人事のように、哀れむような低い声と共に俺はウインドウを閉じる。今すぐログアウトする予定もありはしないが、できるだけ早く解決してほしいと願う。
食事———はこの世界でも取れるが、あくまで空腹感が満たされだけで根本的に飢えを凌げるわけではない。それよりも、俺は明日から学校があるし如何にゲームをやり込むといえどずっとこの世界にいるわけにもいかない。せめて、最悪日付が変わる前には解決してほしいものだ。
【4】
それは突然だった。
まるで警告のような、不気味な鐘の音がリンゴーン、と周囲に響く。この音が何を意味するものなのか理解できないままに、俺のアバターは青い光の柱に包まれる。街並みの景色が薄れ、視界は青い膜に覆われた。
意図はともかく、この現象の正体は知っていた。《転移》である。だがこれは転移門、もしくは転移用アイテムがなければ起こり得ない現象。俺が先ほどまで立っていた場所は転移門から離れている路地だったし、専用アイテムも持っていなければコマンドを発動した覚えもない。
つまりこの現象は強制テレポート———外部の人間により意図的な座標の操作が行われている事になる。青い膜が消え、視界が開けるとそこは先ほどまで俺が闊歩していた路地ではなかった。
石畳が広がる中世風の街並み。SAOの初回ログイン地点である《はじまりの街》だ。周囲を見渡すと、多くのプレイヤーが次々と転移させられている。このプレイヤー数は———正確に数えられるわけないので憶測になるが、全てのプレイヤーが強制テレポートの対象になっていると見做してもいいだろう。
「どうなってるんだこれ」
「GMはなにしてんだよ」
「さっさとしてくれよ」
不満の募る声が四方八方から聞こえてくる。驚愕を孕んだ声もあれば、不満を募らせて暴言を吐き散らかす声など様々だ。状況から推察するに、《ログアウト・ボタンの消滅》という不具合はどうやら俺個人ではなく今SAOにログインしているプレイヤー全域に発生したものらしい。現に、こだまするプレイヤーの声の中には「早くログアウトさせろよ!」という明らかに怒りのボルテージが高まっている男の声もある。
「あの」
トントン、と背中に指が這われる感触と聞き覚えのある声。同じような感覚を数時間前———このゲームが始まってわりとすぐに体験した様な気がする。後ろに振り返ると、女性プレイヤーがいた。隣には鎌を構えた大男も。
「あっ、アンタらは…………!」
「あはは……また、会いましたね」
間違いない。忘れるはずもない。街の中心で本名を叫び散らかしてた初心者さんと、その友人だ。こんなに早く再開の機会が訪れるとは。まぁ全プレイヤーが転移してるなら鉢合う可能性もゼロではないが、ここまでピンポイントに遭遇するのは変なところで運を使ってしまったのかもしれない。
互いに名前を名乗らなかったせいでなんと呼びかけていいか難儀する妙に気まずい空気が流れる。俺は軽く咳払いをして重苦しい空気を霧散させる。
「……ダメ元で聞くけど、そっちはログアウトボタン機能してるか?」
「私たちもダメだ。この強制テレポートは運営のアナウンスと私は睨んでいるが」
おどおどした栗色の髪の少女の代わりに、大男が答える。
「どうだろうな……わざわざプレイヤーを一同に介した理由が気になる。アナウンスやらメッセージで知らせれば済む話だろ。それにログアウト不能なんて大事態……一度サーバーを停止させて強制ログアウトでもするのが普通の措置じゃないか?」
そう。俺が引っかかっているのはそこだ。この強制テレポートは運営の仕業で間違いないと思っているが、なぜ《転移》という選択肢を取ったのか。緊急メッセージで【不具合につき、これより強制ログアウトを実行します】のような類の文面でも送れば無駄にプレイヤーを集める必要性はない。
時間も無駄に消費するするしメリットが何一つ見受けられない。
「わざわざ口頭で伝える意味、か。そう言われると妙だな……一体何が起こっている?」
凛々しく鎌を携える姿は変えないままに、大男は動揺を浮かべた表情で深く思案に徹底している。
こんな緊急事態にも関わらず、その佇まいは実にこの世界にマッチしているなと俺は心の片隅で感心していた。そもそも鎌を使うプレイヤーが希少なため、印象に残りやすいというのもあるかもしれないが。
「おい、アレ見ろ!」
一人の男が、はじまりの街の空に向けて人差し指を指す。その声に反応して、多くのプレイヤーが空を見上げた。百メートルほど上空だろうか、茜色の夕暮れ空が不気味な紅色の市松模様に染め上げられ、包まれた。
目を凝らしてよく見ると【Warning】・【System Announcement】という文字が交互に表示されている。
それを見て「あぁ、やっと運営から不具合の報告があるのか」と、俺だけでなく周囲のプレイヤーは安堵の表情を浮かべていた。眉間にシワが寄る張り詰めた表情を解いたり、深い安心からくる溜息を吐くものまでいる。
————しかしそれは勘違いだった。
最初は、誰もが次の瞬間には運営からのアナウンスがあると思っていた。しかし次に起きた現象はシステムボイスによる案内ではなく、怪奇なものだった。
紅色に染め上げられた空の中央部分から、まるで血液のようなものがドロドロと垂れ始める。ゆっくりと、粘度を感じさせる動きで、一箇所に収束する。それはやがて二十メートルほどの巨大な形と成った。真紅のフードを被った、顔の存在しない———巨大な男の姿に。
「なん……だ、あれ」
そのフードの正体を知らなかったわけではない。アレはベータテストの時にアーガス社員のGMが纏っていた衣装だ。だがベータテストの時には男なら長い白髪の老人、女なら眼鏡をかけた女の子のアバターであったはず。
少なくとも顔の存在しない不気味なアバターなんてものは見た事がなかった。《ログアウト不能》という不測の事態のせいで中身を用意できず、せめてガワだけでも用意したのかと最初思ったが、それにしては登場の演出がやけに派手だ。
「…………胸騒ぎがする」
わずかに鎌を持つ右手を震わせながら、大男は声を漏らす。それはなんの根拠も裏付もない、ただの“勘”だろう。だが奇しくも、俺も同じような考えだった。
———そしてこの日。この瞬間。SAOは地獄へと墜ちた。
————えっ、ここで切るのかよ俺!!??
次回に続く!(頼んだぞ未来の俺)
他のミトちゃん小説を書いてる作者様の作品読んでたり、ポケモンやってたら遅れました……ごめんなさい……