平凡な男子高校生:陸はある日突然繰り返す一日に囚われてしまう。元の日常へ帰るべく奮闘する陸は同じく一日に囚われた並行世界の女子高生:いろはと出会う。初めは相容れなかった二人は少しずつ絆を深め、そして紆余曲折経て繰り返すこと254回目に恋人となる。その瞬間、二人はこの一日を終わらせる鍵を手に入れた──
ここに箱と手紙がある。箱は手のひらほどの大きさで、蓋を開ける丸いボタンが出てくる。手紙は葉書くらいのサイズで、以下のメッセージが書かれている。
『おめでとうございます! 御二人は未来へ進む意志を持てることを証明し、明日へ進む権利を獲得しました。ボタンを押せばループが終了し、並行世界に関わる記録を消去した上で即座に
ループ、周回。同じ何かを繰り返すこと。この場合はある一日の繰り返しで、手紙には都合のいいそれの終わらせ方が記されていた。
「「……」」
そして俺たちは、ただボタンと手紙を見つめていた。
始まりは日曜日。俺は朝の特撮を見ては二度寝し、昼過ぎに起きては数時間ゲームに費やし、夜には課題を片付け、日付が変わる前に床に着くという完璧な休日を過ごした……はずだった。目が覚めると世界は日曜日のまま。最初は夢だ何だと浮かれていたが、10回も続けば飽き飽きし、何とか脱出を試みた。
三度寝したり、食事を抜いたり、課題をやらなかったり、逆に丸一日勉強したり、買い物、運動、思いつくあらゆる行動を試し、ついには自殺し、犯罪紛いの行動すら手を出した。しかし24時を回った次の瞬間には日曜朝8時へ戻ってしまう。気が狂ういそうだった。
そうして繰り返すこと100回。そろそろ本気の犯罪を考え、手始めに99回目で乗ったバスでもジャックしてみようかと乗り込んだその瞬間。前回にはいなかったはずの少女がいた。彼女こそもう一人の繰り返す者、いろはだった。
まさかの遭遇に慌てて声をかけた不審人物(俺)を見て警戒していたが、同じく100回繰り返した彼女は直ぐに状況を把握し、協力関係になった。それからは二人であれこれと試し続け、実はこのループはいろはの世界と俺の世界という二つの並行世界が混ざった空間で行われていることが判明したり、何度も会う内に徐々に距離が縮んじゃったりして、254回目の今恋人になった。
このボタンが出てきたのは正に告白が成功した直後。以上駆け足の状況説明終わ─
「では押しますね」
「ちょっと待って」
回想の途中だというのに指を構えているいろは。慌ててボタンを取り上げ蓋をする。決断が早すぎて相談する暇もない。
「ループが終わったらそれぞれの世界に帰るんだ! もう会えないんだぞ!」
「それくらい分かります。偏差値72ですよ?」
「52の俺でもその行動は取らないんだよ!」
尚も押そうとするいろはを制止しながら、手紙の内容を確認。その返答はズレたものだったが理解はしているようだ。ならば余計にすぐ押そうとする意味が分からない。
「なぁ、俺たち恋人になったんだよな?」
「何を今更。私たちはカップルです」
「ん゛んっ……!」
確認したのはこちらだが、はっきり言われると照れる……じゃなくてそう、俺たちはほんの数分前に恋人になったばかり。なのに急いでこの関係を終わらせようとされている。なんで?
「……実は俺のこと嫌いだったりする?」
「怒りますよ」
「ご、ごめん」
元の日常へ戻りたい気持ちは今も変わらない。けど、このまま彼女とお別れなんて俺には受け入れられない。
「も」
「も?」
「もう一日だけ、ループさせてくれ!」
「は?」
だから、これは俺の我儘だ。正気を疑う目を向けられても譲れない。どうしてもあと一日が欲しい。
「デートしよう!」
「……はい」
だって、恋人らしいことしたいじゃん!
「……」
翌日──正確には255回目の日曜午前10時半。最寄駅の広場に俺は立っていた。
誘いの後、あっさり承諾したいろはと共に待ち合わせ場所と時刻を決め、そこからの計画は俺に任せられる形で話が纏まった。解散したのが午後6時頃。急いで帰って大まかな計画を練り、目覚めてからは大急ぎで準備して、ここに到着したのは30分前。いろははまだ来ていない。待ち合わせの時間は11時(いろはが決めた)なので当然と言えばそうなのだが。
「緊張するなぁ」
デートなんて初めての経験、家族以外の異性と遊んだ記憶すらほぼ無い。ネットのアドバイスを間に受けて一時間も前に来てしまったが、舞い上がってるとか思われないだろうか、そもそも来てくれるだろうか、腕時計の秒針が進むたび心配が膨らんでいく。
「メールでも送ってみるか……ってループしたから連絡先消えてるんだった、えーとアドレスは……」
「結構です、もう来てますから」
「わぁ!?」
背後からの声に驚き、周囲の視線を集めながら振り返る。恥ずかしい、そういうのはやめてほしい。
「おはようございます。早いですね」
「お、おはよう。今来たところだよ」
もちろん嘘。さっきの通り、俺が来たのは30分前……けど、これくらい格好つけたっていいだろう。
そして、2人が揃ったということは……。
「あっ」
「どうしました?」
「いや、なんかバッグの重みが……
「ああ、なるほど」
『押さずに周回を続ける場合では一度ボタンが消失し、再び2人が出会ったタイミングで再出現します』.あの手紙に書いてあったことだ。元々疑っちゃいないが、嘘ではなかったらしい。これでいつでも明日に進める。
「けどまあ、何だ」
「?」
ボタンなんかより気になるのは彼女の服装。ベージュのパーカーワンピースとブラックのショートブーツ。カジュアルな雰囲気と普段のきっちりとしたイメージとのギャップがいい。異性の服装に詳しくない俺でも理解できる素晴らしさ。
ああ、デート誘ってよかった。会って10秒で高い満足度を得てしまった。
「その服、似合ってるよ。すごく綺麗だ」
「……ありがとうございます。では行きましょうか。最初はどこで何を?」
「そうだな。先ずは移動しようか」
「随分と人が多いですね」
「休日の駅前だからな。午後にはもっと増えてるかも」
まずは大型ショッピングモール。ベタな行動だが、これなら予定より早く始まっても調整できる。変に奇を衒うのも自滅しそうだし、何よりいろははそれを好まないだろう。
「いろははここ来るの初めてか?」
「初めてではないですが、あまり足を運んだことはないですね」
「実は俺もなんだ。結構広いし何が入ってるしわからないよな」
「そうですね。知らないお店ばかりで……」
口調こそ落ち着いているが、きょろきょろと視線を動かしながら歩くいろは。以前との内装の変化が大きいのだろう。かく言う俺もそれは同じで、下調べ中は驚いたものだ。
「14時半にはバスで移動する予定だから、それまで色々回ろう。買ったものは持ち込せなさそうだしウィンドウショッピングになるけど」
「わかりました。何軒回れるか挑戦します?」
「ははは、普通に行こう」
どうやら乗り気になっているようでよかった。これで拒絶されたらもう一周頼み込まなきゃいけないところだったよ。
「陸さん?」
「! あぁ悪い、どうした?」
「ちょっとあのお店に入ろうかと」
「あの……あれか」
いろはが指差すのはサブカルチャー系の雑貨屋。このモールでは初めてだが別の店舗にはたまに行っていた……けど、いろはがここを選ぶのはかなり意外だ。
「あの店知ってるのか?」
「クラスメイトから聞いたことがあります。『この世の3割くらいある場所』と」
「かなり間違ってる気が……まあいいか、行こう行こう」
早速入店。その瞬間に大音量のBGMに加えて一目で把握し切れないほど多種多様なジャンルの商品という圧倒的情報量が襲いかかる。
「目も耳もうるさいですね……」
「大丈夫か? 嫌だったら出た方が……」
「いえ、驚きましたが不快ではありません。寧ろわくわくします」
「わくわく」
しかしいろははすぐに適応し、躊躇なく奥へと歩を進めている。適応力が高いと言うべきか、お嬢様校に通う学生は皆こんな感じなんだろうか。
そんなことを考えながら付いて行くと、一際大きな棚の前で足を止める。そこにはゾンビのようなキャラクターのグッズが並べられている。
「見てください、さも有名そうに飾ってあるのに何なのか全くわかりません」
「それがサブカルチャーってやつなんだ。俺もよくわからないけど」
「サブカルチャー……茶道具もこんな風に並べれば売れるんでしょうか」
「茶道はメインカルチャーじゃないか……?」
「ふふ、ジョークです」
かわいい。
「さて、出ましょう」
「もういいのか?」
「はい。ここだけで時間を潰すわけには行きませんから」
「わ、わかった」
即断即決。入店時と同じスピードで退店するいろは。その調子で次の店を探し始める。
「あそこにしましょう」
「早っ」
この調子で更に何軒も連続で回った。エスコートするつもりが振り回されてるような気もするが、少しも嫌じゃなかった。
ぐぅぅ…………。
「あっ」
「お可愛い音ですね」
粗方目についた店を巡り、一息つこうとしたところで俺の胃が空腹を訴える。どれだけ緊張しても腹は減るのか、恥ずかしい。
「もう13時ですし丁度良かったということで。昼食にしませんか?」
「そう言ってくれると助かる。近くのレストランはっと……」
ここからならモール内のフードコートか、外のレストラン街がいい。折角のデートなら後者にすべきか。前もって作った候補リストを見る。
「いや、探す必要はなくてですね……」
「ん? もしかして良い店知ってるのか?」
「そうではなく……その、お弁当があるのですが……」
「……? ……!!!」
「無言の反応はやめてください……」
お弁当。母が、店が作ったそれは何百回と口にして来た、しかし恋人の作る全くの未体験。縁すらないと思っていた。が、彼女はそれを持ってきたという。ならば、フードコートやレストラン街などという選択肢は直ちに粉砕するべきだ。
「近くに公園があるから、そこで食べよう」
「は、はぁ……」
歩幅はさっきと同じく、しかし気持ちだけは光の速さで公園へと向かい、丁度良いサイズのベンチに座る。そしていろははバッグの中からかごを取り出した。
「それがお弁当か……」
「開ける前に言っておきますけど、こういうのは初めてで、今朝用意したので簡単な物しか入っていませんからね?」
「大丈夫! 生肉でも食う!」
「それはお腹を壊します……はい」
「おおっ」
かごに詰められていたのはサンドイッチ。ハムにトマト、レタス、キュウリ、そして玉子。手の込んでいない具ばかりだが、庶民の俺には安心感がある。フォアグラとか挟んであったらどうしようかと思った。
「いただきます!」
「お口に合えばいいのですが」
「うまい!」
「早いです!」
いやこれは本当に美味い。普段俺が食べている物より明らかにグレードが高いパンに具、シンプルだからこそ嫌味の無い調理、そして彼女補正等諸々が加わり1200万パワーくらい美味い。生きてて良かった。
「うまい! 何というかうまい!」
「わかりましたから、人が見てますよ!」
恥ずかしそうに顔を赤らめるいろはが可愛くてついつい褒めちぎってしまう。それくらい嬉しいんだ。
「うまい!」
「勘弁してください……!」
消えた語彙力は暫く戻らなかった。
「もう! もう!」
「ごめんなさい」
昼食を終え、語彙力も元に戻った俺は平謝りしていた。理由はもちろん、『うまい連呼で注目集めてしまった罪』だ。
「いやぁ、すごく嬉しかったもんで」
「それなら作った甲斐がありますけど、恥ずかしかったんですからね?」
「本当に悪かった。けど、ありがとうな」
「……まぁ別に? 褒めてくださるのは嬉しかったので? 許さないこともないですが?」
ちょろいぜ。そういうところも大好きだ。
……というのは隠しておいて、現在14時。次の移動まではもう少し時間があるため、この公園を散歩することにした。ここは目立った特徴こそないが、それなりに整った緑とそれなりの広さがある。ちょっとした時間を潰すには丁度いい。
「いい所ですね。落ち着きます」
「だな。もう少し暖かい日に昼寝したら気持ちよさそうだ」
「陸さんなら日が暮れるまで寝てるかもしれませんね……ふふっ」
「流石にそんなことは……あるな」
何とか否定したかったが、薄暗くなってから目覚める光景が容易に想像できてしまった。残念ながら実行するのはやめておいた方が良いかもしれない。
「おっと、そろそろ時間だな」
「何で移動するんですか? そしてどこに」
「移動はバスだ。で次の場所は──」
「あ、着きました」
15時過ぎ、バスで謝罪しながら到着したのは映画館。これまたベタな場所だが、午前中は歩きっぱなしだった足を休めるという意味でも悪くないチョイスの筈だ。上映時間が近い作品は評判が良いものが多く、クソ映画で萎えることも無いだろう。
「どれが観たい? 合わせるよ」
「では……あの作品を」
「了解、券とポップコーン買おう」
いろはが選んだのはスタジオ何とかから公開のアニメ映画。俺はまだ観てないがかなりの人気作らしく、クラスメイトが何回見たか競っていた気がする。
「ここは休日のこんな時間でも空いてるんだよなっ……と、良い席ゲット」
「ポップコーンは何味にしますか?」
「どっちでもいいよ」
「ではキャラメルで」
上映まではあと5分弱。既にスクリーンへの案内は始まっていたので、そのまま席へと移動する。前後左右に人はなく、長時間観ても首の頭ない絶妙な高さ。直前に選んだ割には良い席が取れた。
「映画なんて久しぶりです。陸さんは?」
「ループしたての時に何度か、でもこれは初めてだ」
あの時はまだループを楽しんでいたな、どれだけ金を使っても次には元通りになるのをいいことに趣味の特撮を何周もした。結局飽きたし、他の映画を観る気も失ったが。
「一緒ですね」
「そうだな」
それから映画が終わるまで、俺たちは何も話さなかった。内容に集中したかったし、何より上映中の会話はマナー違反だから。
けど、
「「……!」」
お互いのリアクションが見たくて横を向いては、うっかり目を合わせてしまったのは許して欲しい。それとこっそり手を握ろうとしたり、やっぱり恥ずかしくて引っ込めるのも許してくれ……頼む。
午後18時。長時間座って固まった足を動かすために駅前まで歩いた後、俺たちはファミレスにいた。昼食は少し遅かったが、若い俺たちはもう十分に腹が減っている。
「良かったのか? もっといい店に行かなくて」
「いいんです。明日になれば戻るとしても、あまりお金を使い過ぎるのは良くありませんから。それに、こういうところの方が話しやすいですし」
「……そっか。なら、ゆっくり話そう」
緩みかけた口元を隠しながら店員を呼び、話しながらつまめる料理を適当に注文する。話しやすさを気にするってことは、話したいと思ってくれたってことでいいんだよな?
ドリンクバーからそれぞれ飲み物を取り、映画の感想を語り合う。どのキャラクターに魅力を感じたか、どのシーンが感動したか、意見が被れば喜び、被らなければ新しい発見をした気分になった。
「やっぱりラストがいいよなぁ、ほんの少し悲しさが残る感じで、でも決して不幸じゃない」
「賛否は分かれると思いますが、だからこそ人気があるんでしょうね。もう一度観たいです」
「行く?」
「一日ではちょっと……」
流石に今からというのは冗談だが、それくらい面白い映画だった。惜しむらくは明日にはこの記憶が無くなっていることだろう。
「そういえば上映中、私の手を気にしてましたよね」
「う゛っ、バレてたのか」
「何度も手を出して引っ込めていれば分かりますとも……どうしてそんなに縮こまっているんです?」
「思い返すと恥ずかしくて……」
当然バレてないわけがなかったのだが、指摘されると顔から火が出そうだ。こうなるなら思い切って握っておけばよかった……と、後悔しかけた瞬間、テーブルの上に置かれた右手に人肌の感触。
そよ正体はもちろん、いろはの手だ。
「あっ、えと……」
「ずっとこうしたかったんですよね?」
「う、うん」
「私も、そうだったんですよ?」
「……ありがとう」
それから料理が届くまで、俺たちは手を握り合っていた。正確には、何度か店員に声をかけられるまで。
仕方なく、名残惜しそうに離れたいろはの手は想像より柔らかくて、すべすべしてて、温かかった。
「はぁ……満腹だ。長居しちゃったな」
「もう真っ暗ですね」
19時半。日が沈んで時間も経ち、駅前もすっかり人通りが減っている。夜風に肌寒さを感じ、吐く息も薄ら白くなってきた。
「寒く無いか? 上着羽織るか?」
「大丈夫です。でも……」
「でも?」
「手、また繋ぎましょう?」
「……喜んで」
微笑み、顔を赤らめながら差し出された手を握る。今度は俺が温もりを与えるように、優しく、そっと。
「今度はどこへ連れて行ってくれるんです?」
「少し歩いた所にある広場。昔行ってことがあるんだけど、綺麗な夜景が見れるんだ」
「誰と行ったんですか?」
「家族だよ。分かって聞いてるだろ?」
「ふふ、よかったです……本当」
揶揄うような口調に対してその表情はどこか固い。さっきの微笑みもぎこちなさがあった。それはきっと、今日の終わりを感じているからだろう。しかし直接聞くのは怖くて、無理に明るく誤魔化している。俺だって同じだ、だからこうして他愛の無い話で間を繋いでいる。
「そうだ、今更だけど親御さんには連絡したか? 確か門限があったろ」
「友人の家に泊まることになってます。そこまで親しい友人なんていませんが」
「自虐ネタはやめとけって……」
ならショッピングモールで話してたクラスメイトは何だったのか。もしかして友人とみなされていない? なんだか気の毒だ。
「しかし、そんな嘘ついて疑われないのか?」
「大丈夫ですよ。今までのループでもバレたことありませんでしたし」
「それもそうか。その点は俺も同じだけどな」
俺の場合は男の子だからってこともあるだろうが、それぞれの両親は割と放任主義だ。特にいろははいい所のお嬢様なんだし、むしろ厳しいくらいだと出会ったばかりの頃は思っていた。
「実際の所はどうであれ、放任するということはそれだけ私たちを信頼している……ってことじゃないでしょうか」
「へぇ」
信頼かぁ、いい考えだと思う。無関心だと思い込むよりずっと前向きだ。逆転の発想的な。
「そう思えたのもごく最近のことなんですけどね。話し合ったわけでもないですが、
「ある人って誰?」
「あなたしかいないでしょう!」
「はは、お返しだ」
「……やられましたね。ふふっ」
それはそれとして、さっきからかわれた分はからかい返す。ちょっと悔しそうな表情を浮かべた彼女も、すぐに微笑みを取り戻した。これで少しは明るさを取り戻せたかな。
俺たちのデートは、俺たちの関係は、俺たちのループはもうじき終わる。だからせめて、最後まで楽しんでいたい。
「あの上だ。案外早かったな」
「夜景が目玉なら、目を閉じた方がいいですかね」
「そうだな。手は繋いでるけど足元気をつけて」
「もしもの時は支えてくださいね?」
「喜んで」
話しながら歩けばあっという間で、最終目的の広場はすぐそこ。狭くて長い階段を上っていく。一段一段、惜しむようにゆっくりと。
「着いたぞ。目を開けてくれ」
「はい」
最後の一段を越え、いろはが目を開く。
「わぁ……!」
そこに広がるのはきらきらと輝く夜の街。それはクリスマスでもない、ハロウィンでもない、特別な行事なんてない、いつも通りの日常の光。住宅地、駅前、オフィス街、繁華街。この光は全て、誰かがいる場所。
バッグからボタンを取り出して、片手の自分を思い出す。少し前の俺たちなら、こんな景色を見てもただ眩しいだけだったろう。けど、今は違う。
「俺は将来ってやつがどうにも怖かった。何をしてもいい未来が想像できなくて、いつの間にか停滞を望むようになってた」
だから俺はこのループに落ちた。望んだはずの停滞は、繰り返せばすぐに間違いだったと理解して、それでも抜け出せなくて。でもその中で足掻き続ける内に、俺の中で何かが変わった。
「私は、この世界が退屈で仕方がなかった。自分が優秀だと思い込んで、その身勝手な傲慢さを理由に未来への期待を失ってました。」
『未来を望まない』こと。そこに至る過程は違えど、俺たちのループが始まった引き金はきっと同じだ。けど、同じなのは始まりだけじゃない。
「いろはに出会って、一緒に過ごして、初めて俺は未来に進みたいと願った。それも逃避じゃなく、希望を持って」
「陸さんと出会って、退屈とは程遠い日々を過ごして、私は新しい可能性を考えられるようになりました。笑って進む可能性を」
「だから、俺たちはこのループを終わらせなきゃいけない。離れ離れになるとしても。そしてもう二度と会えないとしても」
「『未来へ進む意志』を忘れないために、ですね」
「だな」
手紙にもあった通り、黒幕が俺たちに求めたものはそれだ。会えるものなら一発ぶん殴ってやりたいが、俺たちが変わるきっかけをくれた事には感謝している。
「いろは」
「あっ……」
いてもたってもいられなくて、まだ景色を眺めているいろはを抱きしめる。少し強引過ぎたか驚いたような声を出したが、すぐに抱き返してくれた。なんて愛おしいんだろう、それでいて悲しいんだろう。
「……ひぐ、う、ごめんなさい。泣かないって決めてたのに」
「いいんだよ。俺も一緒だから、ぐすっ」
たった今決意したばかりだというのに、二人の目から涙が零れ落ちる。そりゃそうだ。頭では理解していても、別れの辛さが消えるわけじゃない。
本当は、彼女がすぐにボタンを押そうとした理由もわかってた。長引けば苦しくなる、次を望んでしまう。俺がそうなる前に終わらせようと自分が強引にでも進めようとしてくれたんだって。
「二人で押そう。苦しみは半分だ」
「……はい!」
まだやりたいことはいくらでもある。100回、いや1000回ループしたって足りやしない。けど、これ以上別れの苦しみを増やしちゃいけない。せっかくの決意を無駄にしないためにも、これが最初で最後の共同作業だ。
「愛してる。出会えてよかった!」
「私もです。幸せでした!」
涙は止まらないけれど、最後は笑顔で。
「「さよなら」」
ありきたりな別れの言葉、それと同時に押されたボタンはかちりと音を立て──意識は光に包まれた。
「──はっ!」
覚醒した時にはもうベッドの上。外からは雀の鳴き声が響き、カーテンの隙間から朝の日差しが覗き込んでいる。
「日付は!? 何曜日!?」
布団を跳ね除け、枕元に置かれた時計を見る。月曜日なら脱出成功、日曜日なら継続。ボタンを押したからには前者の筈だが……。
「あ」
液晶に表示された午前6時の隣には『月』の一文字。日付も間違いなく進んでいる。つまり俺はループを抜け、次の日に進むことができた。
最愛の人と引き換えに。
「そっか……」
彼女も今頃時計を確認しているのだろうか。明日へ進んだことを喜び、俺との別れを悲しんでいるのだろうか。並行世界の俺にはわからない。
「やっぱり消えてるか」
一旦スマホを手に取り、道中念のため登録した電話番号、ダメ元で撮った写真を確認したが綺麗さっぱり消えている。それからアドレスを思い出しつつメールを送信しようとして、やめた。きっと届かないだろうから。
家に行ってもそこには空き地があるだろう。彼女が通った学校は生徒が一人少ないだろう。バスに乗っても、駅に行っても、ショッピングモール、公園、映画館、レストラン、広場に行っても、俺たちが会えないことは疑い様も無かった。
「はぁーっ」
ため息と共にスマホを放り投げ、ベッドに腰掛ける。月曜に進んだとはいえ普段の起床時間は7時過ぎ、あと一時間は余裕がある。
もしかして全部夢だったのではないか? そう思えるくらい綺麗に記録が消されているが、今も鮮明に残る255回分の記憶が現実であると告げている。
何て喪失感だ。月並みな言葉で言えば、心にぽっかりと穴が空いたよう。こうなることを覚悟してボタンを押したのに、やっぱり苦しい。
「ぐすっ……いろは、いろはぁ……っ!」
まだ残っていた涙を流しながら、もう会えない彼女を呼ぶ。返事は無い、ある筈もない。
「これでいいんだ、寂しくても、苦しくても、俺には、あいつには未来がある。だから、これでいい」
涙はすぐに止まる。心の傷もいつかは塞がって、もっと強くなれる。俺はそう信じている。
さあ気合を入れよう。涙を拭いて、立ち上がって声を出せ。
「よっしゃ! 今日から頑張るぞ!」
これは誓いだ。まだ胸は痛むけど、いつかきっと乗り越えてみせる。だからお前も──
同時刻、並行世界にて。
『……頑張りましょう。お互いに、ね』
涙の跡を残した少女はそう呟いた。
作者はデートをしたことがないってことが一番苦い話。