テラにて空を仰ぐ   作:Kokomo

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 お久しぶりです。たくさんの評価、誤字報告、毎度毎度ありがとうございます。そしてちょっとしたご報告を二つ。

 一つ目は投稿頻度が落ちるということです。理由としてはリアルが立て込んでいるからです。

 二つ目は、「テラにて空を仰ぐ」の過去作を現在修正しております。ストーリや本編に関係するものではなく、自分の技量不足が原因です。

 以上です。

 

 それでは本編をどうぞ

 


 我々はつねに幸せでいることは期待できない。悪を経験することは、善と同様、我々を賢くする。







一匹狼

 

 

 

 005

 

 

 

 

 殺風景な薄暗い部屋の壁際にはベットと服棚、そして何も掛かっていないスタンドが横一列に置かれている。ベットの近くには小窓が付いており、カーテンの隙間から漏れ出した光が部屋の住人を映し出していた。

 少々幼さを感じさせる整った顔立ち、髪は緋色。ループス特有の耳がピクピクっと 小刻みに動いている。しかし、彼女が目覚める気配は一向にない。そんな様子がかれこれ十五分程続くと部屋のドアからコン、コン、とノック音が響いた。

 

「クラウン、朝食を作ったんだが食べるか?」

 

 彼の言葉に反応してか、寝返りを打ってからくぐもった声で返事をする。

 

「んんっ......」

「無理しなくていいからな」

 

 けんたいかんで重くなった身体をむりやり起こす。ねむい。とにかく眠い。重い腕でカーテンを勢いよく開ければ、あたたかくて優しい光が部屋を照らす。私にとってはまぶしすぎて、思わずに両腕で顔を覆うようにして、まぶたをぎゅっと閉じる。

 

 眩しい状態とふわついた意識をどうにかしようと、両目を擦ってみたが何も変わらない。そんな状態で朝の日課である軽いじゅうなんを行い、全身の筋肉を解した。しかし身体が疲れきっているのか、目覚めが悪くていまいち調子が出ない。諦めて寝巻きを着替え、パーカーを取ろうとスタンドに手をのばす。

 

「あ......私の、ぱーかー」

 

 そういえば、今朝クリープに渡しておいたままだった。近衛局から解放されたのは早朝の4時頃。帰宅してから血のついたパーカーを自分で洗おうとしたところ、目を覚ましたクリープに止められ「俺が洗っとくからお前は寝とけ」などと、言われた様な気がする。そんな事を思い出しながら、ドアノブを捻って廊下に出る。ひんやりとした空気に身を震わせながら直線に進めば、今度は事務所に繋がる扉が見えてきた。  

 

 引き戸を引けば、帰ってきた時とは違う匂いがぶわっと流れ込んでくる。食欲をそそられる香りだ。机を見れば、オムレツやトースト、サラダが準備されていた。奥のキッチンを見ればエプロン姿のクリープが料理をしていた......いいのだろうか、クライアントが訪ねるかもしれない部屋で......今更か。

 

「おはよう、クリープ」

「ああ、おはよう。朝食は作ってあるから自由に食べてくれ。コーヒーいるか?」

「うん、砂糖を少し入れてくれ。あとミルクも」

「あいよ、少し待ってろ」

 

 椅子に座り、両腕を頭の後ろに組んでただただ天井を見つめる。んー......あっ、今日の料理当番俺だったよな?

 

「ほら、コーヒー出来たぞ」

「ありがとう、クリープ。あと、すまない。今日の料理当番俺だったよな?」

「ん?ああ、そのことか。謝らなくていいさ、朝の4時に帰って来た社員に飯作らせるなんて申し訳ないだろ。しかも、俺がやるべき事を変わってやってくれたんだ。気に病む必要は無い。今日は大きな山は無いから、食い終わったら休んでて良いぞ」

「わかった、そうさせてもらうよ。いただきます」

「召し上がれ」

 

 少し冷めた状態のコーヒーを一口飲む。程よい甘さが口に広まれば、コーヒーの香りがふわっと満たしてくれる。そんな香りが鼻から抜ければ、目が自然と冴えてきた。霞がかっていた思考も段々と晴れてくる。

 

        カタ......カタ......カタ......

 

 ――ん? 木と木がぶつかり合う様な音で、この事務所では聞いたこと無い音だ。

 

 オムレツを一口食べながら音のする方に顔を向ければ、クリープが自分のデスクと睨めっこしていた。彼のデスクを見れば、チェスが並んでいる。駒はバラバラなところにあるということは分かるが、それ以外のことなんてルールを知らない俺には良く分からなかった。しかし、クリープがチェスをしてるところなんて、今まで一度も............あれ? チェス?

 

「なぁ、クリープ。それってチェスだよな。この事務所にチェスなんて置いてあったか?」

「いいや、置いてなかったぞ。お前が帰ってくる前に、知人が来たんだよ。この事務所に。ほら、手紙の送り主さ。そいつが置いてったんだよ」

「仕事の依頼か?」

「いいや、違う。単純にプライベートだ。ちょっとした世間話を、な」

 

 ほうほう、なるほど。だから、家に帰って来た時嗅ぎ憶えの無い匂いがしたのか。心なしか、いつもよりクリープの機嫌が良いように見える.......いったいどんな人だろう。来客スペースで対応したんだろうが、自分が知らないうちに他人が家に入ってくれば、誰だって気にはなる。ましてや、俺とクリープが生活していたところに、だ。

 残ったコーヒーを一口。冷めてしまった液体を喉に通せば、吐き気のする甘さが奥から込み上げてくる。少し時間が経ったせいで砂糖が底に溜まっていたのかもしれない。口にトーストを無理やりねじ込み、勢いに任せ液体を流し込んだ。

 

 ご馳走様。チェスにご熱心なクリープに改めて向かい直す。

 

「ふーん、そっか......ところでさ、ご褒美のこと憶えてるか?」

「ああ、憶えてるぞ」

「今日の午後は空いてるだろ。実はさ、ナイフがもう一本欲しいと思ってて。いい所を紹介して欲しかったんだよ」

「成程......丁度良いかもしれんな」

「え?なにかあるのか?」

「実は、午前中に昨日の報酬が入ってな。払ってくれたのは近衛局名義からなんだが、大方ウェイ長官からの報酬だろ。丁寧に爆破してくれた車は戻って来なかったが......」

 

 彼は一旦チェスをやめて、その手をチェス盤の横に伸ばした。そこには、卵を薄くして黒くした様な物体が一つあった。そんな黒い物体をかたどる銀色が光輝いている。彼はそれを手に取り、無邪気な笑みを浮かべた。

 

「新車が入ってな、試してみたかったんだよ」

「新車?」

「そう、新車だ」

 

 思わず首を傾げてしまった。あー、新車で機嫌が良かったのか? そういえば、クリープは「知人」としか言ってないよな。ってことは、そんなに親しくないのだろうか。いや、分かんないや。だってクリープだもん。人脈すごいし。直接聞くしかないか?

 

 

「どうした、クラウン。そんなに目を細めて」

「いや......別に、なんでもない。ごちそうさまでした。おいしかったよ」

「......ああ、お粗末さまでした」

 

 自分の食器を素早く洗い流して、早足で自分の部屋に向かおうとする。

 

       ざわつくナニカを収めるために

 

「クラウン、ほれ!」

「えっ?わ、わっあ」

 

 慌てて振り返りながら、自分のパーカーをキャッチする。染込んでいた筈の赤い染みは、すっかりと消えていた。黒色で、血がついたとしても目立ちにくいがそれでも分かる。手洗いでここまで綺麗になるのか。あれ? この匂いは......

 

「家のシャンプー?」

「お、鼻がいいな。ほんとは、炭酸水とかあればいいんだがな。シャンプーに含まれてる成分のお陰で、落ちやすいんだよ」

「そ、そうだったのか。初めて知った。その、ありがとう」

「ああ、どういたしまして。それと、おやすみクラウン」

「お、おやすみ」

 

 慌てた様子で、スタッフオンリーの扉に勢い良く駆け込んでいく彼女。彼女自身は己の胸の内をまだ知らない。ドロドロと湧き上がる、ぐつぐつと煮込んだ感情を。その名前をまだ知らない。いいや、思い出したくないのかも知れない。そして、彼女が逃げ込んだ扉をじっと見つめている男が一人。瞳はドス黒く、深淵のような深みがあった。

 

「......問題は山積み、か......」

 

 静かな事務所にボソッ、と呟かれた一言。この虚しい空間に響くことは、決してなかった。

 

 

 

 

 

 

 一人になった事務所で、黙々とチェスを打つ。片手には入門書。同じ場面をかれこれ30分程やっているが、これが面白い。そして彼女がいかにやり手だったか理解した。というか、あの実力で初心者である俺を誘うって、ちょっとした虐めだと思うのだが。

 

 まぁ、過ぎたことを気にしすぎるのは身体に毒だな。椅子から立ち上がって、一息つこうと両手を組んで上に伸びる。

 

「ふぅー」

 

 

 全身の凝り固まった身体を無理やり動かして時計を確認する。針が示すのは十五時。

 あっ、もうすぐ約束の時間か。そろそろ準備をしなければ。

 棚奥から引っ張り出した黒のトレンチコートをはためかせ、鏡の前に立つ。靴良し。スーツ良し。コート良し。顔は相変わらず。ちょっとした確認をして、車の鍵を取る。

 

「クリープ! 準備できたぞ!」

「ああ、先に車庫で待っててくれ。すぐ行く」

「分かった! 待ってるぞー!」

 

 彼女の声が事務所に響き渡った後、自分の得物を腰に携えて早足で玄関に向かう。やたらと重く感じる玄関の扉を開けばカラカラとした外気が肌を刺激する。

 天気は晴天。陽に当たれば柔らかい暖かさが身体を包み込んでくれる。

 

 事務所の車庫は一階にあるが、どういうわけか二階の事務所から直接いけないので一旦外に出なければならない。故に普段と何一つ変わりの無い階段を降りて、右に急旋回。車庫の扉を開けて中に入る。車庫の大きさは車が二台ほど止められる大きさで、車庫を照らし出す光は日差しのみ。丁度、埃がくるくると舞っているところに、日差しのスポットライトが当たって白く輝いていた。

 いい加減改装するか、掃除しなくては。そんな光景の奥では、クラウンが新車の前で立ち止まっていた。此方に気が付いたのか震えながら声を掻けてくる。

 

「な、なぁ、クリープ」

「どうした、何か問題でもあったのか?」

「......いや、いやいやいや。あれはヤバいって。俺でも分かるぞ! 今からあの車に乗っていくのか!?」

 

 彼女がピシッと指を指した方向には、こんな車庫に似つかわしくないスポーツカーが一台。流れていくようなスタイリッシュな美しいボディーライン。光沢を放つ灰色は慎ましさを感じさせ、見る者を魅了させてやまないだろう。

 

 マクラーレン 720Sに、似ているスポーツカー......。

 

 ヤバイ、なにがやばいって滅茶苦茶カッコいい。一言で表すと、下品な表現になるがデザインがドエ○い。こんなのが道路で走ってたら嫌でも目に付く。現に車好きでもないクラウンが興奮してる位だ。

 

「ク、クリープ。この車ってどの位するんだ?」

「......分からん。元の値段は龍門の高層ビルくらいなんだが、ウェイ長官が少し手を加えたらしくてな。それにもよる」

「......ウェイ長官ってさ......暇なのか? というか、なに考えてんだよあの人」

 

 それな。いやー、しかし事故を起こしたら精神的にきつそうだ。今まで考えないようにしていたが、クラウンが指摘したことで脳裏に過ぎってしまった。

 

 ――パーツの取替えとか幾らするんだよ、これ。

 

 トランスポーターであれば、車の風通しが良くなるなんて日常茶飯事。だから量産されていて、変えのきく車種ばかり乗っていたのだが、この車はさすがになぁー。

 

「......取り敢えず、乗るか」

「う、うん。そうだな」

 

 鍵を手に取り、ロックを解除。そして扉のマークが付いているボタンを押す。マクラーレン 720Sの両脇のドアが上の方にスーっと滑らかに上がり、扉が開いた。

 あ、あぶねぇ~。家の車庫の天井が高くて良かった。こんなんで傷付いたら笑えないぞ。しかし、クラウンは、「おー!」とか言いそうだと思ってたんだが。余りにも静かなので、横に顔を向ける。

 

 ご主人様が帰って来たと思って、扉の前に待っていたらぜんぜん知らない人物が立っていた。みたいな猫の顔をしている狼が一匹。

 

「おーい、クラウン」

「............(絶句)」

 

「クラウン、大丈夫か?」

「え、あ、うん」

 

 ......いや、就活を初めてする大学生みたいに震えてるぞ。ウェイ長官やエンペラーの前ではあんなに自然体だったのに。高級なスポーツカーだとこんなにも態度が変わるもんなのか。ん? いや、待てよ。そういえばウェイ長官たちに会うために、ビルに入ろうとした時もこんな感じだった気がする。その後は何でか知らないが自然体だったが。確信めいた訳では無いが、取り敢えず聞いてみるか。

 

「クラウン、ああいった高級感溢れる物には慣れてないのか?」

「......ああ、なんていうか、そわそわするっていうか、上手く表現できないけど落ち着けないんだよ」

「そうか......あっ」

 

 自分の失敗に思わず声をあげてしまった。

 いやー、完全に失念していた。やはり、調子ずくと人間、碌なことが無いな。こんな状態で運転しなくて良かった。

 

「ど、どうかしたか?」

「......タクシーでいくか」

「え、いや別に気を使わなくていいからな?」

 

 一瞬呆けた顔を此方に向け、あたふたと手を振ることで自分は平気だと訴えてくるクラウン。自分のせいで、なんて思っているのだろうがそれは違う。問題は、むしろ俺のほうにある。

 

「そんなに慌てふてめくな。クラウンのせいじゃない」

「え?そうなのか」

「ああ......マニュアル車の免許を持ってなかったことを忘れてた、すまん」

「......へ?」

 

 彼女の素っ頓狂な声は、慌てふためいた行動と共に車庫に吸い込まれていった。何処か腑に落ちない様子の二人を取り残して、まるで何事も無かったと言わんばかりに埃は舞い落ちてゆく。

 

 

 

 

 

 車庫から歩いて三十分程。クラウンの提案により徒歩となった。何でも、ちょっとした話がしたいとのこと。タクシーであれば、今頃目的地についていただろう。なんてことを嘆いたって現状は変わらない。己の足で進まなければ景色は止まったままなのだ。

 

 と、格好つけて見たものの、転移前の自分だったらわりかし詰んでたな、この距離を徒歩だなんて。そして訂正だ。この世界で呑気に止まってたら、そのうち本当の意味で動かなくなってしまう。はぁー。世界は想像以上にハードすぎる。

 

 自分の憂鬱な気分を押し込んで、クラウンにちょっとした確認をとる。

 

「本当に徒歩で良かったのか」

「ああ、たまには良いだろ? 二人だけで目的地に向かうのもさ」

「――そうだな」

「けど、さっきのアレは意外だったな。クリープがあんなミスをするなんて」

 

 ニヤニヤとしながら、肘で小突いてくるクラウン。楽しそうでなによりだ。そういえば、クラウンはどんな印象を俺に抱いているのだろうか。

 会話を終わらせようとしたが、自分の好奇心の方が勝ち、そのまま会話を続行することに。

 

「そんなに意外か?」

「意外だよ。怪物なんて呼ばれたりしてる男だからさ。ふたを開けて見れば、普段の生活は人となんら変わりがない。意外な一面に驚かされるばかりだよ。しかも、律儀に免許書とかは気にしてるなんて完全に予想外だった」

 

 

 俺に対して偏見を持ちすぎてないか? そんな意図を込めて視線を投げたのだが、当の本人は何処吹く風。

 ......あれ? 遠回しにディスられてるのか、俺。あと、誰だよ。怪物って広めた奴。怪物はこの世界のまっくろくろすけみたいな奴のことを言うんだ。眉間に弾を食らって死ぬ奴は怪物とは呼ばないんだよ。そんな奴、居ない......ふむ。一人該当する奇天烈なシスターが居たな。いや、あの人は例外だな。たまにそういう人も居るだろ(他に聞いたこと無いけど)。

 

 人なんて十人十色。この世界の住人は個性の殴り合いが起きるくらい我が強いから、まぁ、うん。深く考えるのはやめとこう。

 

 取り敢えず、そんな世界であってもなるべく自分の罪は減らしておきたい。人殺しがなにを今更、なんてて言われるだろうがそれとこれは話が別だ。それが俺の考え、もとい教訓である。

 

「クリープ?」

「すまない、ちょっと考え事を......免許の話だよな。その位ちゃんと守るさ。一応住人なんだから、罪は重ねたくないんだよ。それに免許に関しては、昔にお叱りを受けたことがあってな。その時はバイクだったんだが」

「え? ウェイ長官からか?」

「......アルハラ」

 

 誰だ、と言いたげな視線を此方に寄越してくる彼女。そんな訴えを無視して、だんまりを決め込むことにする。

 ひあすら歩けば、賑わっていた商店街から人通りの少ない道に出る。奥へ奥へと進むほど声は遠ざかり、人の姿は見えなくなった。聞こえる音は風と彼女の足音だけ。

 

「......そっか、教えてくれないのか。俺には」

 

 ポツリと零した彼女の一言。そんな消えてしまいそうな言葉ははっきりと聞こえた。

 

 いや、違うんですよ。俺のやらかしエピソードだからさ。話したくないというよりも、知られたくないんだよ。

 

「いいや、教えたく無い訳じゃないんだよ。ただ、百パーセント俺が悪い話なんだよ。そんなに聞きたいのか?」

「うん」

 

 うーむ。何の捻り無く伝えてもいいが、俺の行動を真似したりしないか心配なる。いや、逆に教えとくべきか。この世界で生き残るにはいい教訓になるかもしれない。

 

「クラウン、いきなりだが質問だ。ナイフだけで戦う時、一番やりにくいって感じた相手はいるか?」

「えっと、クリープ、かな?」

 

 おい。視線を逸らしながら言うな。

 

「......いや、言い方が悪かったな。人物じゃない、武器とかの話だ」

「ああ、なら盾かな。特に防御に特化して、集団で陣形を組むやつ」

「ああ、そうだな。あともう一つだけある」

 

 ちなみに、あと一つだけとは嘘だ。ぶっちゃけ沢山ある。チェーンソーに槍、広範囲に影響を及ぼすアーツ、そしてアーツとは違う異能と呼ばれるその他もろもろ。意外なことに、高台からの銃やボウガンの攻撃は慣れてくれば何とかなる。

 

 ナイフはあくまで奇襲や暗殺に適した武器だ。正面向き合ってよーいどん、といった殺し合いでは基本的に不向き。

 あたりまえだが、此方から攻撃できず、相手からは攻撃できるような状態は以ての外。そしてそれを半永久的に出来る武器が一つある。

 

 ナイフが一番対応しにくい武器――

 

「――ドローンだ。一方的な高さから撃ってくる、大型の」

 

 この世界のドローンは殺戮マシンと何ら変わりない。

 動きは速く、統率がとれている。搭載できる武装は様々で、人が操る場合は変則的な動きが可能。オリジニウムを動力源としているものは、バッテリー切れなんてものともしない。飛んでいるため距離を詰めることなんて到底出来ない。そんな近接武器は人権が剥奪されたも同然なのだ(一部例外ありだが)。

 

「ああ~。それで、その話にどうして免許が関わってくるんだよ?」

「......龍門で犯罪集団と対峙したときがあったんだよ。そんで近場にいた近衛局の隊員と協力したんだが」

「うんうん」

 

 興味深そうに相槌を打ってくるクラウン。

 

「アルハラも丁度いてな。ドローンは近衛局が対応してくれてたんだが、途中ではぐれたんだよ。そんな状態で敵のドローンと遭遇してな」

「うんうん」

「相手は飛んでるから俺は攻撃できなくて逃げ回ってたんだが、たまたま近くに丁度いい感じのバイクをみつけたんだ」

「うんうん?」

 

 少し首を傾げて、眉間にシワを寄せるクラウン。

 

「それをちょいちょい、といじってだな。坂を利用して飛ばしたんだよ」

「何を? 何処に?」

「バイクをドローンへ。見事に爆散したんだが、持ち主が問題だった。アルハラのバイクだったんだよ。そのあとが色々大変でな。そん時に免許の話になって、ちょっとしたトラウマなんだよ」

 

 盾を振り回しながら、笑顔で追っかけて来たことがな。あの時初めて知ったよ。盾は飛び道具だってことを。

 あれ以来、運転に関することは死ぬ気で学び直した。もしこの都市で事故を起こしたら、今度はなんて言われることか。近衛局の問題児リストになんて、載りたくないのだ。

 

「あー、うん.........大変だな、トランスポーターって」

 

 渋い顔をしてクラウンが結論をだした。

 いや、たぶん違うから。この世界が大変なだけだから、きっと。トランスポーターはただの荷物運びだから。

 ジェイソン・ステイサムやキアヌ・リーブスだってビックリだよ......いや、映画でもこんな感じだったな。

 

「ところで、そのアルハラって人が例の知人なのか?」

「いや、違う。そいつを怒らせたら、俺は今頃死んでる......おっ、店に着いたぞ」

 

 そんなこんなで、過去の話に花を咲かせて(?)話を終える。

 

 目の前には風情ある小さな店。綺麗な外装は太陽をギラギラと反射していた。看板を見れば、どんな店かは一目瞭然。

 

「今回は聞いてこないんだな」

 

 てっきり、仕立て屋? なんて言うのかと思ったのだが。

 

「......うん、ほらクリープの行く店ってさ、大抵が表に出せないような店だから。慣れてきたよ」

「.........」

 

 釈然としないが、反論出来ないので取り敢えず黙っておく。そんな俺の様子に、苦笑しながらも彼女はドアノブに手をかけた。

 

 

 クラウンがドアを開ければ、きらびやかな世界がお出迎え。店内の両脇にはマネキンが六体並んでいる。そんなマネキンはシワ一つ無いスーツを身にまとい、躍動感溢れるポーズをとっていた。前回来た時は由緒ある内装だったのだが。模様替えなんて必要あったのだろうか。

 

「いらっしゃいませ、クリープ様。此度はどのようなご用件で」

 

 優しさを帯びた声が店内に透き通る。

 背筋を伸ばし、スーツを着こなした紳士的なご老人が一人。白い口髭をたらし、長めな白髪は一つにまとめられている。視線を合わせれば、アメジスト色の力強い瞳が鋭く輝く。

 

「お久しぶりです。オスカーさん」

 

 この恭しいご老人。表向きはこの店のオーナーだが、本当の姿は武器商人だ。俺が普段愛用してやまない、特殊なスーツは全てこの人が作った物。この人のスーツに何度救われたことか。その腕前は確かで、年季の入った技術にはウェイ長官が感嘆のため息を漏らしたほど。

 

 

「ええ、お久しぶりです。本日はお連れ様もご一緒ですか」

「はい。新社員を雇いまして。名前はクラウンです」

「ど、どうも」

 

 クラウンが挨拶をすればオスカーさんは、顎に手を当て何か思案している模様。やがて、ハッとした顔になり、お手本のような謝罪をしてから自己紹介に移った。

 

「私の名前はオスカー・ディラン。好きなように呼んでください、クラウン様」

 

 自己紹介をしている最中のクラウンがちょいちょい、と袖をつまんでくる。振り返ってみれば眉毛を八の字にした狼が一匹。いや、今は犬の方が適切か。

 

「あのさ......クリープってオスカーさんと仲いいのか?」

「ああ、それがどうかしたか」

「いや、何でもない」

 

 視界の端にオスカーさんが映る。此方を微笑ましそうに眺めていた。

 はて、どこに微笑ましい要素があったのだろうか。

 

「どうかされましたか?」

「いやはや、こういった光景は暖かいな、と。私も年を取ったものです。今度、お祝いの品を贈らせていただきますね」

「わざわざ、すみません」

「いえいえ、お気になさらず。普段からクリープ様にはお世話になっておりますので」

 

 どこか困ったように笑いながら、優しい声で返してくれる。ほんと、良い人だなこの人。イケメン、カッコいい声、性格が良いの欲張り三点セット。こんな温良恭倹なイケおじが、どうしたらこの世界で生まれるのだろうか。不思議でならない。

 

「ああ、クリープ様。店内を見てお気づきになられたかもしれませんが、最近改装いたしました。店内でちょっとしたぼや騒ぎがありまして、ね」

 

 前言撤回。そういえば元軍人だったわ、この人。無邪気な笑顔で丁寧に説明してくれてるがそれが逆に怖い。というか、店内を改装しなきゃいけないぼや騒ぎって何? まぁ、この人が元気ならいいか。

 

「......元気そうで良かったです」

「ええ、やはり身体を動かすのは気分が良いですね。おっと、話を逸らしてしまいましたね」

 

 うーん、天真爛漫にそんなことを言ってのける人って貴方ぐらいだよ、オスカーさん。この歳で戦闘狂だったとは今まで知らなかった。この世界、やっぱまともな人居ないわ。いや、世界がまともじゃないから仕方ないか。そんな世界に馴染んでる俺も言えたことではないが。

 

「クリープ様、そしてクラウン様。本日はいかがなさいましたか?」

 

 クラウンは一歩前に踏み出し、少し気まずそうに説明する。説明が終われば、オスカーさんは「少々お待ちください」といって、暗い店の奥に消えていく。十分程立てば、オスカーさんが戻ってきた。

 

 オスカーさんの手には黒いアタッシュケースが一つ。

 

「お待たせしました。クラウン様には、これがお勧めかと」

 

 ケースをあければ一本の黒いナイフが丁寧に保管されていた。形状は一般的なのだが、銀色に薄く光る刃が見事な出来前。先端に行くほど鋭さ増している。ふむ。

 

「私の手作りでして、名前は特にありません。人間工学に基づき、製造したものです。最近のぼや騒ぎで使った試作品を改良したものです。私の折り紙付きですよ。いかがでしょうか?」

 

 いや、なんか可笑しな単語が聞こえたぞ。

 そう声を掛けようとした時、トレンチコートーのポケットが微かに揺れ始めた。

 

   ――ブー、ブー、ブー

 

 室内に無機質な電子音が木霊した。俺の携帯だ。タイミングが絶妙だが、依頼の可能性があるので出なければ。

 

「あー、すまない俺の電話だ。クラウン、お前はそのままナイフを選んでていいから」

「......分かった」

 

 暖かい店内を出て、乾燥した外気の中で電話に出る。この店周りに他の店や、人が集まるような場所はほとんど無い。祝日の午後なのにがらんとした町は少々得たいの知れない奇妙さを感じるが、少なくとも電話の内容を他人に聞かれることは無いな。

 

「もしもし、どちらさまでしょうか?」

「私だ、パラベラム」

 

 なんだ、ウェイ長官か。一瞬、オレオレ詐欺かと。急いで損した気分だ。しかし、非通知で掛けて来るなんて珍しい。緊急の依頼だろうか? だとしたら少々厄介だ。今はタイミングが悪すぎる。

 

「どうした、依頼か」

「いや、ちょっとした世間話だよ」

 

 嘘付け。今まで世間話するために電話なんて掛けてこなかっただろ。それとも、お前は本当に暇人に成ったのか。

 

「そちらに報酬を届けといたが、キッチリ届いたか?」

「ああ、車と金だろ。無事に届いたよ」

「そうか、乗り心地はどうだ」

 

 あー、素直に言うべきか、黙っておくか。仮にもクライアントだ。嘘は付きたくない。些細な葛藤に頭を捻らせたが、少々めんどくさくなってきた。

 素直に言うか。車に乗ってないことなんて、特に問題なんて無いし。

 

「......いや、実はマニュアル免許を取ってなくてな。すまん」

 

 あれ、通話切れたのか? 余りにも静かなので、思わず携帯画面を確認してしまう。電波はちゃんと届いてるし、通話も切れて無い。何か問題でも発生したのだろうか。

 

「もしもし、ウェイ長官。聞こえてるか?」

「......すまない、少し以外でな。ブラックリストに載ってる君がそんなことを守るなんて」

 

 ああ、問題児リスト載ってたのね、俺。なんてこったい。個人営業であのペンギン急便と同列な扱いなのか。頭の痛くなる話だ。思わず眉間に手を当て、ため息をついてしまう。

 

「なに、気に病む必要は無い。防衛協定を結んでる代表者は、みな載っているのだから。私なんて、つい最近殿堂入りしたばかりだ」

 

 そんな事をさも当然、といわんばかりに述べたウェイ。

 おい。ペンギン急便はともかく、あんたら既婚者組は何してんだよ。神色自若な癖してやることは派手なんだよな。いい加減大人しくしてくれ。

 

「そんなことよりもだ。彼女の様子はどうだね」

 

 コイツ、話を露骨に逸らしたな。

 

「.........彼女、ね。珍しいなアンタがそこまで気にかけるなんて。アンタのことだからてっきり賑やかになるな、程度の認識だと思ってたんだが......」

 

 やっぱり、気が付いていたか。この人の観察眼もすごいからな。違和感を覚えて、独自に調べたのだろうが、どこから情報を引っ張ってきたんだか。

 

「私はこう見えても、自分の発言には責任を持つようにしてるんだがね。彼女の状態はだいぶ危うい。今は君という存在が――」

「分かってるさ、それ位。うちで雇った時から覚悟してたことだ」

 

 時間がじわじわ経つほど、空気が重くなっていくような錯覚。長い沈黙が、携帯から伝わってくる。

 

「.........共に堕ちる気か......」

 

 ウェイ長官が放った一言。とにかく重く、とにかく低い声。携帯で話しているはずなのに空気が揺れる。

 天から龍が降りてきた、とでも表現すればいいのだろうか。しかし、逆鱗に触れた訳では無さそうだ。となればだ。

 

「まさか、そんな気は無い。それとも先輩としてのアドバイスか?」

「ああ、彼女のことを少し調べさせてもらった。残酷なことを言うが君は彼女を助けるべきではなかったんだ。それは龍門防衛協定の勢力バランスを抜きにしてもだ」

「成程、既婚者のアンタが言っても説得力が無いな。頼むから、フミヅキとはそんな関係じゃない、なんて二度と言わないでくれよ。その時の愚痴を一日中聞いてたのは俺なんだからな。誰とは言わないが」

「......それとこれは話しが別だ」

 

 ちょっとした仕返しだ。いくら新車や金を渡したからなんて、人の車を爆破したあげく、社員のことを勝手に調べたんだ。これ位はいいだろ。

 まぁ、龍門のために動いてるからには仕方の無いことだとは理解はしてる。ウェイ長官にとっては避けては通れぬ道。きっと何度も苦しみ、何度も絶望したのだろう。いや、そもそもこんな考え自体失礼にあたるか。やめよう。不毛すぎる。

 

「それで、何時から気が付いていたんだ。俺はあくまで予想できていたことだから分かっていた事だが」

「......私は彼女に言っただろ。精進したまえ、と。そういうことだ」

 

 ああ、あの時か。とんだ皮肉じゃないか。

 

「パラベラム、君はこうなることを理解して彼女を拾ったんだな?」

「当然だ」

「碌な死に方をしないぞ」

 

............

 

「人を殺してるんだ。それ位は覚悟してるさ。まぁ、幸せに生きようとは努力する。俺はまだ死んでないからな」

「......そうか、最後に一つ。なぜ助けたんだ。まさか、温情とは言うまいな」

 

 嘘は言わせない。そんな意思を感じさせる力の篭った声だ......さて、どうしようか。対価だ、と素直に言いたいのだがウェイ長官はそれだけで納得するような人ではない。それだけで納得してるんだったら、わざわざ電話を掛けてこない。彼女のことを調べてるなら、それだけで事は足りるのだから。

 つまり、俺に何の目的があって彼女を拾ったのかを知りたくて掛けてきたのだろう。だが、俺には目的なんて無い。たまたま出会って、運よく助かった。ただそれだけのこと。

 

 しいて言うなら――

 

「――気分だよ。よく言うだろ。善人が人を殺すことがあれば、悪人が人を助けることだってあるって。まさしくそれだよ。もっと深く言うなら、運だな」

 

 運が良かった。俺の人生は、この一言で片付けられる。

 

 俺がトランスポーターになった事情であり、彼女が俺に依頼してきた理屈であり、この世界で生きていられる所以であり、この世界にいる由縁となった単純明快な事。

 

「.........それが君の結論かね。パラベラム」

「結論とまでは行かないが、彼女を拾った根本はそれだけ。後は彼女が対価を要求してきた位だ」

「そうか。すまないな、時間を取らせて」

「ああ、じゃあな」

 

 電話を切り、ため息を吐く。

 何で仕事の無い日に胃をキリキリさせなければならないのだろうか。お陰で気分は急降下。仕事終わりのサラリーマンのように身体を脱力させた。このまま寝てしまいたい位憂鬱だが、そうも言ってられない。

 

 携帯をポケットに無理やり押し込み、店内へ戻る。中ではオスカーさんとクラウンが真剣な顔で話し込んでいた。重い足取りで一歩一歩踏み出せば、二人は此方に振り返った。

 

「クリープ様。戻られましたか」

「あっ、クリープ!」

 

 此方に駆け寄ってくるクラウン。手に持っているのはあの黒いアタッシュケース。どうやら一番最初のナイフがお気に召したらしい。

 

「それで、クラウンはそのナイフが良いのか?」

「ああ、これにするよ」

「そうかい、オスカーさんお会計頼みます」

「いえ、お金の方は結構です」

 

 ほえ? 何で?

 

「そちらの品を、お祝いとして贈らせていただきます」

 

 えっ、無料なの。オスカーさんにとっては善意なんだろうが、此方が申し訳ない気持ちで一杯になるのだが。

 

「えっと、本当にいいんですか?」

「はい、もちろん。お祝いの品ですから、代金なんて取りません。クラウン様からお礼の言葉ももらいましたし」

 

 早いな。肝心のクラウンに視線をやると、真剣な表情で尻尾をふりふりと揺らしていた。ご機嫌な様子で何よりだ。些か複雑な心情にもなるが、仕方ないか。とにかく、俺も感謝せねば。

 

「ありがとうございます。オスカーさん」

「いえいえ」

 

 うん、やっぱり想像がつかないな。懇篤的なこの人が戦闘狂だなんて。

 

「本日はもう帰られますか?」

 

 クラウンに視線を向ける。コクリと控えめに頷いてから、オスカーさんに再びお礼した。オスカーさんは優しく微笑みながら対応して、此方にクルリとむき直した。

 

「ご来店ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」

 

 その一言を皮切りに、クラウンと一緒に店を出る。外の陽は傾き始め、青い空は微かに赤みがかっていた。電話の時は気が付かなかったが、夕暮れが迫っていたようだ。店に来たときよりも薄暗がりが伸びた道。そんな道には所々陽が差し込んでいて、歩くたびに暗くなったり、明るくなったり。

 俺が丁度暗がりから出た時、無言だったクラウンから話しかけられる。

「なあ、クリープ。クリープは、クリープはさ、私を」

 

 あまりにも弱弱しく、縋る様な声。明るくなったタイミングで思わず後ろを振り返る。暗がりには()()が一人、小さく佇んでいた。表情は見えない。

 

「置いて行かないよな?一人にしないよな?」

「.........」

 

 彼女の遠吠え(悲鳴)。余りにも微小で、余りにも脆い、()()の本当の姿。『クラウン』ではない姿。

 

 精神的なトラウマで新たな人格を作る、いわば自己否定、いわば現実逃避。そして依存。本人に自覚は無く、己の崩壊を防ぐために働く防衛本能の一種。それが分かりづらかったのは『クラウン』のお陰だろう。

 

 よくある話だ。こんな地獄みたいな世界で生きてるならば。拾った時から分かっていた。()()の両親はとっくに亡くなっている。そして目の前では戦友を。それがどんな状況だったかなんて、俺には分からない。だが、想像位はできる。

 

 まだ若い()()が、そんな奴が、ばったりと出合った俺に心を開く訳が無い。人である以上できる筈がない。今までが奇跡だった、奇跡と言う名の異常。

 

『クラウン』は()()の本名、ましてや偽名ですらない。

 だが、今の状態で指摘なんて出来るはずがない。指摘すれば、()()がどうなるか分からない。だから目を瞑り、()()が『クラウン』であることを黙認した。その名前が既に亡くなっている人物の名だとしても。

 

 

 ある時は雑務。ある時は買出し。最初は仕事に関与させなかったのも、『クラウン』がこの生活に馴れるかを把握しておきたかったから。幸にも、ご近所の店には俺の顔は知られてる。仲のいい店主達に一声掛け、何かあった時に備えといた。

 

 しかし、俺がしていることは廃人にならぬようにしているだけ。彼女の問題を解決しない限り、彼女が自由になれる事はない。とはいえ、我ながら最低だと思う。結局のところ、彼女のことは俺じゃ救済できないのだから。彼女自身がどうにかしなければならない問題。だからせめて、そのきっかけを少しでも作ろうしているのが現状。

 

「こたえて、こたえてよ! クリープ! 不安で不安で頭がどうにかなりそうなんだよ」

 

 そもそも、なぜ今のタイミングで()()が出てきたのかは分からない。純粋な不安なのか、それとも信頼してきてくれた証なのか。はたまた昨日の疲れが出ているのか。そんなことは、今の状態では彼女自身でも分からないはずだ。兎にも角にも、彼女を落ち着かせなければ。そのためには選択肢を間違えてはいけない。かといって、彼女と心の距離を近づけすぎるのも良くない。

 

「......置いていかないと、確約は出来ない。独りにしないと、そんな大層な約束も出来ない。世界がこんな状態だしな。だが少なくとも、俺から離れることはしない。別れる事があったとしても会いに行くだろうな」

「............」

 

 暗がりからは沈黙。何も反応は無く、何も分からない。そんな闇に一歩踏み出す。

 

「だから」

 

 また一歩踏み出す。それを繰り返せば、黒いパーカが見えてくる。最後の一歩を踏み出して、()()のどんよりした虚ろな目に視線を固定する。

 

「だから、もし俺がいなくなりそうだったらお前が全力で止めてくれ。もし、お前が不安に感じるんだったら俺に素直に言ってくれ。些細なことでもいいからさ」

「そしたら、クリープは置いてかない? 私を独りにしない?」

「ああ、そしたら俺は生きてるから、俺からは離れない。お前が自由なタイミングで羽ばたけばいい」

 

 少しだけ、不服そうな顔をした()()

 

「大丈夫だよ、クラウン。お前は独りじゃないよ。だから、帰ろう」

 

 無言で、コクリと頷いたあと、彼女に背を向けた。既に陽は暮れて、暗闇に辺りが沈んでいた。肌寒い空気の中、ポツポツと浮き出ている街灯を頼りに歩く。彼女の姿は見えないが、音からしてしっかりと付いてきているようだ。

 

「あっ、えっとクリープ」

 

 彼女に呼び止められ、一旦足を止める。振り返れば、混乱した様子の彼女、いや、クラウンが佇んでいた。

 

「どうかしたか?」

「さっきさ、えっと、あれ?」

 

 小首を傾げて、考えている様子にはさっきのような焦燥感は無かった。そんなクラウンの思考を遮るように、一声掛ける。

 

「クラウン、今日は外食にしよう。この先に商店街があってな。上手い店を知ってるんだよ。夕飯にはまだ早いが、どうだ? 二人で」

 

 クラウンの耳と尻尾がピクピクと反応する......犬みたいに。時々だがクラウンの種族がほんとにループスなのか分からなくなる。

 

「もしかして、クリープの奢りか?」

「ああ、もちろん。今日の主役はお前だからな。なんだったら、お前の好きなもの何でもいいぞ」

 

 それを聞いた途端に、クラウンの尻尾は揺ら揺らと左右に揺れる。こういった様子は年相応だな~。彼女の不審者コーデのせいで、残念になってることは決して言わない。あのパーカーも彼女にとっては大切なものなのだから。しかし、なにが原因なのかてんで検討が――

 

「なぁ、クリープ」

「ん? なんだ」

 

「ありがとう」

 

 虚突いた一言。クラウンは後姿で呟いた。確実に、丁寧に、()()の言葉を。

 

「さっ、早く行こうぜ。クリープ」

「ちょっ、待っ――」

 

 俺が声を吐き出す前に走っていくクラウン。

 

 狼の後姿が段々と遠くなる。この暗く、冷たい空気を切り裂いていくように駆けていく狼は確かに存在していた。そんな様子にあっけに取られ、出遅れてしまった俺はただ立ち尽くすのみ。

 

 思考を一旦整理して、彼女に追いつけないと判断する。その後の行動は早かった。

 

 クラウンに重要なことを伝えなければ。

 

 携帯を手に取り、クラウンの連絡先に掛ける。

 

「クラウン、商店街は真反対だぞ」

 

 携帯の向こうからは、クラウンのくぐもった悲鳴が聞こえた。

 

 ――ああ、結局のところ、彼女自身にしか分からないか。原因なんて。

 

 男はゆっくりと歩き出した。一匹の狼、彼にとっての親友(相棒)を迎えに行くために。

 

 

 

 

 

 確実に分かったことなんて、一つだけ。

 

 男が狼の本当の名前を未だに知らないということ。

 

 

 

 

 そして

 

 

 狼も同様に、男の本当の名前を、未だに知らなかった。

 

 




 曖昧模糊に、有耶無耶に、不得要領に。

 


 正確に、確実に、着実に進む、ちぐはぐな御伽噺。

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