それがわたしとボクの、最期の二日間。
運命とやらには特に意味はなく。
そも、この人生に意味もなく。

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PARQUET-Fragment of the beginning-

 つまるところ、彼女は天才だった。

 

 常々視線は牙のように。

 あらゆる情報は塵の山。

 駆け巡る技術発想転換。

 何をしても完璧と謳われ、加えて絶世の美女と呼ばれるがこの世の奇跡。

 完璧。完璧。完璧。

 

完璧ではないお前はいらない。

あれ、わたし、なんでここにいるんだろ。

意思はなく意味もなく。

そうだ、今日も研究研究。

ただ、成果があればいい。

あれ、わたし、なんで生きてるんだろ。

 

無駄なことは、するな。

 

 だからこそ。

 

 二十歳すら越えていない少女が壊れるのも、そう時間の掛かる話でもなかったのである。

 

 ▧Under the【sun】▧

 

 夏も過ぎて。

 冬の到来を伝える冷気が肌をつつく、秋の終わり。

 味覚が戻りかけのわたしには、美味しいのか不味いのかすら分からない病院食を口に運びながら、となりの少女を見やる。

 

 少女はただ窓の外───大海原のように、とおく、広く、青い空をじっと眺めている。

 

 ふと、わたしの視線に気づいたのか、金髪の少女はこちらに振り向くと、にっこりと笑った。

 

「おいしい?」

「わかんない」

「それもそうか。ここに来て一ヶ月も経つし、そろそろその病院食の不味さに気づく頃だと思うんだけどなぁ」

「まずいことに気づくって、ツバサちゃんは悪魔みたいな言い方するね」

「ふっふっふっ。せめて小を付けて小悪魔にしてくれ。その方が可愛い」

「でも、食べれるだけ幸せ、なのかな」

「あぁ、その通りだよ」

 

 わたしは微笑み返すと、また食べることに集中する。互いに元の世界に戻って、一方は食事。一方は料理本を読みながら。窓の隙間から吹き込む秋風をもろともせず、ただ、その(いのち)を謳歌していた。

 

 それが彼女達の当たり前。

 残り二日で死にゆく城門(きど)ツバサと。

 ひと月前まで死んでいた篠乃木(しののぎ)ミクルの日常だった。

 

 ◆─◆─◆

 

 ツバサちゃんはなんでも作れてしまう、いわゆる天才なのだ。びーえむあい、っていう近未来なものが本職で、他は全て趣味の範疇。そんな彼女が作り出す謎ロボットは、この一ヶ月で二桁をとうに越えていた。

 

「ご飯も食べたし、空は青いし、お外で遊びたいな。ねーねーツバサちゃん、一緒にあそぼーよ」

「遊びたいのは山々だけど、前にも言った通り、もうどうにも体が動かなくてね。ごめんね」

「そっかぁ。わたしもごめんなさい。なにも、できないみたい」

「おっと君が謝る理由は一つも無い。生きてるだけで偉いんだ。そうだね、ひとつ、いい考えがある」

「え、なになに?」

「パルフェ、出ておいで」

 

 ツバサちゃんの声に応じて、彼女のベッドの下からのっしのっしと姿を現す大型犬。ギシギシと鋼の体を軋ませるその姿は、

 

「犬ロボットだ!」

「ご名答。ボクが研究と平行して作り上げた犬型ロボット、パルフェだ。名前の由来はフランス語のPARFAITから。完璧という意味なんだ」

「すごいすごいすごい!この子、お外に連れていけるの?」

「中庭くらいだったらね。一緒に遊んできなよ。名前の通り、その子の芸は二千を越えるからね。まさしく完璧な犬ロボットだ」

「じゃあいってくる!」

 

 ◆─◆─◆

 

 黒のバイザーをした犬ロボットと遊びに遊ぶこと数時間。久々に外に出たからか、最初は思うように体が動かなかったものの、遊ぶうちに体が軽くなっていった。

 

 パルフェもわたしの動きに合わせてくれて、いつも気遣ってくれた。

 犬みたいに吠えるし、おしっこみたいのもするし、行動でいえば本物の犬と遜色ないとみえた。

 

 草原の上を大の字に寝転がる。

 今日はちょっと風が強い。

 流れていく白い雲は、みんな焦っているような。

 

 とおいとおい青い空。

 ツバサちゃんも窓から眺めているのだろうけど、一緒に並んで寝転がって、眺めてみたかった。と、

 

「綺麗だね」

 

 ツバサちゃんの声が聞こえた。声の先にはパルフェの姿。なんと。バイザーにツバサちゃんの姿が。

 

「ツバサちゃん!その中にいるの?」

「通信だよ。パルフェはこんな機能もあるってわけさ」

「じゃあツバサちゃんも一緒に遊んでたんだね」

「うん。ミクル君は駆けっこが得意みたいだ」

「そうだよ!でもまだまだ早くなるよ!」

「そりゃあ、是非とも地獄から見届けたいね」

「じごく?ツバサちゃんは天国に行くんじゃないの?」

「ボクは地獄行きだよ。そうに決まってる」

「どうして?わたしにこんな優しくしてくれるんだから、天国に決まってるよ!そうじゃなかったら神様のいじわるだよ!」

 

 声を荒げた。そうだ。ツバサちゃんが明後日に死んでしまうなんて世界がひどいんだ。神様もあんまりだ。

 

「じゃあわたしもいつか天国に行ったら、一緒に競争しよーね」

「............。ぷ。あははははは。そりゃいい考えだ。ミクル君も天才だ」

「わたしも天才?」

「うん。ボクが認めよう」

「やったぁ!」

 

 ◆─◆─◆

 

 日は落ちて。

 目覚めてから実に三十三回目の夜。

 病院食を頬張りながら、ツバサちゃんと言葉を交わす。

 

「ツバサちゃんさ。最初に出会ったとき、わたしが死んじゃった理由は、疲れちゃったからって言ってたよね。もしかしたら、わたしもツバサちゃんみたいにけんきゅう?してたのかな」

「どうだろう。そこまでは、ボクは───知らない」

「そっか。でも疲れてよかったかも」

「え。どうして」

「だって、疲れてここに来たからツバサちゃんと会えたんだもの。だから、よかったぁって」

「───。ボクは君に、そう言ってもらえるほどなにもしてないよ」

「ううん。一人だったらきっとね、わたし、こわかったもん。いや、今もこわいよ。なんだかね、息をしてるだけでも、とってもこわいの。なにがこわいのかも、分からないの」

「............」

「だからね、ツバサちゃんがいてくれてよかった。他の誰でもよかったのかなんて分からないけど、それでも、わたしはツバサちゃんでよかったって、そんな気がするの。だからね、ありがとうって」

「......。───ぅ」

「ツバサちゃん?どうかしたの?」

「いや、いいんだ。いやはや、まいったね。あはは」

 ツバサちゃんは、悲しそうに笑った。その頬には涙が───見えたような気がしたけれど。すぐにそっぽを向いてしまったから、分からなくなってしまった。

「あとね、今やっと分かった気がするんだけど、」

「なんだい」

「病院食って、あんまり美味しくないね!」

「そっか。......そっか!」

 

 二人きりの部屋。

 大きな笑い声が、また二つ。

 

 ▧Against the【moon】▧

 

 夜は嫌いだ。

 黒い世界に一人でいると、いつしか消えてしまいそうで。まぁ、本当に消えるのだけれど。

 

 早く寝て、太陽が昇るのを待つ。

 

 ───と、そうしたいのは山々だが、ずっとベッドにいる以上、そう簡単には寝つけない。だから毎日、ベッドの上で丸まりながら、外の世界の本を読む。

 といっても全部料理本だけど。

 

「美味しそうだなぁ」

 

 時刻は零時前。こんな時間にこんな本を読んでしまえば、腹の虫が暴れだすこと必死だが、そもそも食べれないので関係が無いって寸法だ。

 

「にんにくマシマシかぁ。さぞ、濃くて幸せなんだろうなぁ」

 

 恐ろしいほどに並ぶ魅惑な単語の数々。ジャンキーもジャンキー。糖質、カロリー容赦無用。胃も腹の虫とやらも白旗をあげかねない。けど、それはなんて幸せなことだろう。

 

 ボクの人生に『普通』の二文字は無かった。

 生まれつき病弱で、家の中よりも病院の中で過ごすことの方が多かった。そんな病院暮らしのうち、暇な時間、有り余る活力を読書や勉学に繋げていたら、いつの間にか最先端技術の研究員になっていたわけだ。

 

 色んな研究や開発を重ねた。天才とも謳われた。けど、そんな言葉はちっとも嬉しくもない。心に響くことは一度とて無かった。

 

 結局、自分自身を救うことができなかったのだ。

 

 神を呪った。

 運命を呪った。

 なによりも自分を呪った。

 どんな才能を持っていようと、生きていなきゃ意味がないじゃないか。なのに、どうして。どうして。どうして。

 

 料理本を閉じて、さらに体を丸めて、膝に顔を埋めた。今日もこの時間だ。ひとしきり溢れる涙。そういう時は、美味しそうな料理を思い浮かべてやり過ごす。

 

 けど。

 

 今日、ご飯を食べるミクルの姿を思い出す。

 目覚めたばかりの頃の彼女は、食べ物どころか飲み物すら怖がっていたのに、今や完食が当たり前になっていた。

 逆に、ボクは次第に食べれなくなっていった。

 ボクももっと、食べたかった。

 ミクルと、食べたかった。

 今日は涙が止まってくれそうになかった。困ったな。これじゃあ今日はなかなか寝れなそうだ。

 

 体をベッドの上で方向転換。ミクルの方をみると、気持ち良さそうに眠っている。

 

「おやすみ」

 

 静かに呟いて。

 長い夜を覚悟しながら、目を閉じた。

 

 ▧The warmth of the【sun】▧

 

「巨大、ロボット?」

 

 病院地下一階。怪しげな、研究室のような場所には、人が五人ほど乗り込めそうな大きな黒箱。

 こっくぴっと、ってやつらしい。

 

「そう。今乗ってるのはでっかいロボットだ。名をミオクロス!BMIの発展技術による深層ダイブシステム、それを応用した、ちょっとした飛行ゲームだ」

「わたしが操縦していいの?」

「もちろん。マニュアルは操縦してるうちに覚えていくよ。さ、楽しんでおいで」

「ツバサちゃんは乗らないの?」

「乗りたいのは山々だけど、ほら、車椅子で押してもらってる始末だし。これ以上迷惑はかけられない」

「めいわくじゃないよ!乗れるなら一緒に乗ろうよ、ツバサちゃん」

「うーん。乗るだけなら、いやでも、うーん。......ちょっと、だけなら」

「レッツゴー!」

 

 と、いうわけで。

 コックピットに勢いよく乗り込み、ツバサちゃんの指示とマニュアルの通りミオクロスを起動していく。

 

「おー!なんかかっこいい!」

「ふっふっふっ。なにせ設計担当はこのボクだからね。カッコ良さに抜かりはないよ」

 

 キュピーン!と開き輝く黄金の双眸。

 獣の咆哮の如く唸るエンジン音。

 震えるコックピット。

 興奮に震える少女二名。

 

「はっしーん!」

「あ、スロットはゆっく───」

 

 ガチャン、とアクセルスロットを全開。急発進するミオクロス。地球に降り立ったウルトラマンのポーズのままビルというビルを突き抜け、低空飛行を続けている。

 

「あははははは!これおもしろーい!」

「ちょ、ミクル君!事故!事故り!」

「ふぇ?」

「そ、操縦桿ちゃんと握って!」

「これ?」

「なんで取れてるんどすえ!?」

 

 もはや究極の破壊王。

 制御不能のミオクロスは、糸の切れた蛸そのもの。

 破壊蹂躙お手のもの。されど笑う少女あり。

 

「寿命ち、縮む!といってもあと一日しか無いんだけどね───!!」

「もー、今そんなこと言ってないでよツバサちゃん。ほら、こうしてると生きてるって感じがするでしょ?」

「そりゃあ、ってわ───ぁ」

「ぎゃ」

 

 いくらコンピューターワールドといえど、壁はある。無慈悲な透明な壁にぶち当たり、ミオクロス、死す(爆散)

 

 ◆─◆─◆

 

「いやー、たくさん笑ったねぇ」

「冷や汗びっしりだけどね。まぁ、楽しかったよ。とっても」

「でもなんで乗せてくれたの?」

「ミクル君に楽しんでもらいたかった、それだけだよ」

「えへへ。ありがとう、ツバサちゃん。でもね。わたしから何もツバサちゃんにできてないなって、思うの」

「できて、って。昨日も言ったと思うけど、君が元気にしている姿を見られれば、それでいいんだ。それに、さっきも楽しませてくれたろ?」

「......でも、ツバサちゃんと会えるのって、今日で最後なんでしょ?」

「そう、なるね。だから、ボクのことは気にしなくていいんだ。君だって、ボクのことを考えれば、いざ別れる時に悲しくなるだけだろう」

「それでいいもん!わたし、今日の夜、たくさん泣くもん!だからね、今夜。サプライズでなにかプレゼントするから!」

「サプライズって......。それ、言っちゃだめじゃない?」

「あ。」

 

 先が思いやられる。

 

「でも、本当にいいのかい?」

「なにが?」

「ボクの為に尽くす、という時間が。無駄じゃないのか、とはっきり言っておく。ボクは本当に、君の元気な姿を見られれば、それでいいんだ」

「ツバサちゃん。そんな事言わないでよ」

「でも本当のことだろう?君はなにより自分を優先すべきだ。目覚めたばかりの君は、なにより得ることが大事だ。与えるのはもっと先のことでいい。だから、ボクのことは気にしないでいいんだ」

「で、でも。それじゃあフェアじゃないもん!」

 

 楽しそうにしてるところを見れたら、なんて。ツバサちゃんだってわたしとそう変わらない少女なのに。言っちゃ悪いかもだけど。わたしよりずっと、弱そうなのに。

 

「フェアって、よくそんな言葉が......。ってのは馬鹿にしすぎか。別に。フェアである必要はさらさら無い」

「でも、でも、」

「無駄なことは、しなくていいんだ」

「......、んーーー、」

 

 頬を膨らませ、濁音の抗議。

 この、

 

「ツバサちゃんのわからず屋ー!」

 

 そんな言葉を吐き捨てて、病室を飛び出した。炎天下のお昼時。普段静かな病院が、若干の喧騒にまみれていた時のことである。

 

 ◆─◆─◆

 

「結局、なにがしたいんだろ」

 

 病院の隅。電源の落ちた自動販売機と、ボロ板のベンチ。弾む心臓に手を当てながら、

 

「やっぱり、まだこわいな」

 

 生きることに臆病な自分に、些か奇妙さも感じていた。

 

「ツバサちゃんは、もう死んじゃう」

 

 時間の無駄───と言っていたけど、それこそツバサちゃんだって、わたしの為に尽くす意味が分からない。普通の人間より限られた命であるなら、自分の為に生を謳歌するのが普通ではないか。

 

「あー!分かんない!」

 

 ともかく、わたしがツバサちゃんを責める理由も無い。ただ、ツバサちゃんが死に怯えていないのが、とってもおかしく見えただけだ。

 

「死ぬの、怖くないのかな」

 

 ───そういえば。彼女はずっと笑顔だった。

 

「とにかく、なんか、しなきゃ」

 

 サプライズとはいったけど。どうしよう。ツバサちゃんみたくなにか作れるわけでもないし、料理も......無理だ。ていうか、今のわたしには知識もなにも無い。空っぽだ。

 となれば、

 

「思い出さなきゃ」

 

 死ぬ前の自分について、調べなくては。

 

 ◆─◆─◆

 

 夕日を背に、絶句した。

 

「うそ」

 

 あれから病室に戻らず、ひたすらに自分の出自について、病院の人達に聞いて回った。みんな首を傾げるばかりだったけど、その中にはBMIの開発にツバサちゃんと携わっていたという、橋姫と名乗る女の人に出会った。

 

 彼女からたくさんの写真と資料をもらった。全部わたしの写真で、全部わたしの研究成果だという。

 

 ツバサちゃんに負けないほどの天才だったというわたしは、自分の地位と取り巻きに怯え、研究に疲れ果てた後に自殺をしようとした。自ら、違法とされる安楽死の薬まで作って。

 

 これがわたしの成果だ、という遺言を残して、この世から消え去ろうとした。

 

「まさか。こんなの、悪い、じょうだんだよね」

 

 震える両手。ぐしゃぐしゃに散らばった資料。空き病室で、ただひたすらに、うそ、うそ、と嘆く。

 

「全て本当のことだ」

 

 振り向くと、黄金の日に照らされる、金髪の少女。ツバサちゃんは、見たこともないような表情で立っている。

 

「ツバサ、ちゃん......知ってたの?」

「うん。なにせ、君の自殺を防いだのは、このボクでもあるからね」

「え?」

「君の薬は不完全だった。ぎりぎりのところで死ねなかったのさ。そして緊急搬送されて、一命を取り留めた。けど、意識を取り戻した君はパニック状態。精神が壊れてしまっていた。そんな君を、ボクが、BMI技術を応用した脳波システムで一時的な催眠状態にした。意識をデータ化して、再構築するって力技さ。それが今の君の正体だ」

「よく、分からないよ。ツバサちゃんはなにを言ってるの?」

「分からなくて当然さ。ボクだって、分かりたくない。つまり今、君の記憶が空っぽなのも、言動が幼いのも、全ては催眠に近い、一時的なもの。作られたものってわけさ。言ったろう?君は死んでいた、と。言ってしまえば、君、本当の篠乃木(しののぎ)ミクルという人格は今だって死んでいるんだ」

「......いみ、わかんないよ」

「そうだね。今君に教えるべきじゃなかった。けど、君が調べてしまった以上、教えるしかなかった。恨むなら恨んでもらっていい。君の意思を、果ては命を尊重しなかった行為だ」

 

 ただひたすらに、こちらを睨むツバサちゃん。そういえばなぜ、彼女はさも当然のように立っている?車椅子も用意せず、ここに、どうやって来た?

 

「......。でも、助けてくれたんでしょう?」

「言い方によるよ。別に、君の元あった人格を救えたわけじゃない」

「なら、とにかく、ありがとう。ツバサちゃんのおかげで、生きてるんでしょう?わたしが生きてるのが、楽しそうにしてるのを見てるのが楽しいって言ってたのは、わたしを助けてくれたからなんでしょ?」

「それは、そうだけど」

「でも一つ教えて」

「なんだい?」

「どうしてツバサちゃんは、わたしを助けたの?」

 

 暫しの沈黙が夕日に流れる。

 刻々と消えていく影。

 いつの間にかわたしも立ちあがって、ツバサちゃんと向かい合う。

 

「............許せなかったのさ」

 

 え、と何度目かの声を上げる。

 

「死ぬために研究を続けていた君が、許せなかった」

 

 死ぬための研究。確かに、わたしがもみくちゃにした資料の中に、安楽死に関する研究が幾つもあった。

 

「ボクはね、ミクル君。BMIの研究、より良い未来への研究もそうだけど、なにより大切だったのはボク自身の命だったんだ。生きるための研究を重ねた。生まれた時から体が弱かったから、そりゃ文字通り必死だった」

「生きるため......」

「だから君の、楽に死ぬための研究とやらがどうしても気に食わなかった。だから、君の精神を封印した。あのままパニックを続けていたら、どんな精神安定剤を飲んでも君は死に至る。だから、無理矢理にでも完成してないBMIの技術を使って君を救った。生きていて、ほしかった」

「死ぬための研究だなんて、わたし」

「気持ちは分からなくもない。生きているということは、辛いことだって沢山ある。ましてや君のような天才だったら、ストレスなる壁だって人一倍にあったはずだ。残酷なまでに。でも、折角の命を、折角の才能で無下にすることだけは許せなかった」

 

 それは───、

 

「ツバサちゃんも......死ぬの、怖いんだ」

「もちろん、怖いさ。何年も前から分かりきっていた終わりも、日を重ねようが慣れることはなかった。毎晩、泣きたくもないのに涙が溢れ出てた。だから、あんなにも死ぬことに必死だった君が、曲がりなりにも生きていることを楽しそうにしていたのが、嬉しかったんだ」

「............」

 

 つまり、彼女は究極的なまでに普通の人間で、究極的なまでにお人好しだった。ということ。

 

「もう、いいかな」

 

 ツバサちゃんはわたしの横を抜け、病室の窓へ両手をついた。蒼と黒に染まっていく空を見上げて、

 

「ボクは、逃げたんだ。この、運命(カラダ)から」

 

 ▧Tears under the【moon】▧

 

 本当の寿命(猶予)はまだ残されている。

 けれど、わたしら運命から逃げた。

 いつかの夜。

 

『怖いよ。死にたく、ない。死にたく......ない。こわい、こわいよ。誰か、助けてよ』

 

 いつもの如く、ベッドの上で啜り泣いていたあの日。橋姫という研究員は、ボクにある提案をした。

 

 意識の移植。

 

 全人類の中で一度とて為されたことのない極秘実験(ブラックボックス)

 この体を捨てて、城門ツバサという意識だけを被験者の脳に移植する、荒業に近い、限りなく不可能な大博打だった。ボクはそれにすがった。それだけ。

 

「じゃあ、本当は普通に歩けるの?」

「一応は病室からは動けない、って設定だけどね。なんだかもう飽きちゃったよ。どうせ明日、ボクはこの世から消え、また生まれ変わる。けどその時にはボクの研究データは消えるし、ボクのデータもこの病院、研究院からも消される。そしてボク自身の記憶も消される」

「じゃあ、わたしのことも?」

「そうだね。残念だけれど。ほら、だからボクのことはいいんだ。明日に消えるボクのことを、そんなに想わないでくれ。ボクも君も苦しくなるだけだ」

 

 だから、と言って。

 ミクルの横を抜け、部屋を出ていこうとする。

 

「今日も早く寝るんだ。夜更かしは体に悪いからね。サプライズと言っていたけれど、明日の朝には、ボクはもう、ここにはいないから」

 

 言い切った。

 

 ───結局のところ。ボクはとんだ勘違いをしていたわけで。いくら元は天才だったといえど、今のミクルは精神の不安定な子供の一人。いずれ記憶を取り戻すだろうが、その時まではわがまま上等意欲盛んな少女なのである。ので、

 

「ツバサちゃんの、バカぁーーー!!」

 

 鼓膜をぶち破らんとする叫び声が木霊することも、天才であるのなら予期しておくべきだった。

 

 

 

無駄なことは、するな。

 

 

 

「わたしね、ちょっと思い出したよ。わたしが本物のわたしだった時のこと。無駄なことはするなって、ツバサちゃんみたく言われたことがあるの。それがきっかけで、死の研究を始めたことも」

「......それは、すまなかった」

 

 振り向かず、ミクルに背中を見せたまま答えた。

 

「いや、いいの。確かに無駄なことだもん。いつ止まるか分からない呼吸も、いつ落ちてくるか分からない青空も、部屋も床も人間も、みんな怖いのに。ごはん食べて必死に生きて。それだけで精一杯なのに、助け合うだなんて。無駄なことでいっぱいだよ。

 気持ちとか、遊びだって、本当に人生に必要なことかだなんて分からない。分からないよ。ツバサちゃんがわたしを助けたことだって、無駄になっちゃうよ。けど、無駄でもいいんだって」

「無駄で、いい?」

「うん。例え無駄でも。無価値でも。それはきっと、無意味じゃないんだって」

 

 無意味じゃない。

 言われて気づくのも、なんとも阿保らしい話だが、ミクルの言う通りボクの行動も実に無駄だった、という話になる。しかし彼女は、

 

「ツバサちゃんがわたしを助けてくれたのが、わがままなことで。無駄で。無価値だったとしても。こうやって生きてる。生き続ける。わたしの記憶も、いずれか戻るんだろうけど。それでも生き続けて、ちゃんと意味があったんだって証明してみせる」

「そんなのは妄想にすぎない。人はいつ死ぬか分からないんだぞ」

 

 定められた命の期限。

 それはあまりに残酷で、一瞬だ。

 

「うん。分かってる。だってわたし、一度死んだし。でも、永遠の夢の中で、無駄なこともあったなぁって、思い出を笑えたら。それはそれで楽しいなって思うの」

「............。ボクは逃げた。夢なんか、見れないよ」

「ならわたしが見つけ出す。データが消えても、ツバサちゃんがわたしのこと忘れても、もう一度はじめましてのあいさつを交わして、昨日と今日の、たった二日間のお話をして。また、ずっとずっと長く、ツバサちゃんと遊ぶの。その頃にはわたしの記憶も戻ってるかもしれないから、そしたら、どうしようか。とんでもないモノ、作れちゃうかも!」

「でも、」

「でもじゃない!」

 

 ぎゅっと、後ろから抱き締められた。まわる細い腕。優しく。あたたかい。背中から彼女の鼓動が伝わってくる。今、確かに。ボク達は揃いも揃って生きている。

 

「こうやって、またぎゅってして。たっくさんの無駄を、重ねたいって。生きるって、そういうことなんじゃないかな」

 あれ、結局どうなんだろ?とミクルは呆れ気味に笑った。なぜだかボクも、笑っていた。

 

「なんか随分と話していたような気がするね」

「うん。わたしももうよく分からなくなっちゃった。とにかくね、わたし、ツバサちゃんが他の誰かになっちゃっても、きっと見つけるから」

「そっか。うん。約束、する?」

「うん!」

 

 小指を交わす。あと一日で活動を終了する、か弱い白い指。これからを生きる、あたたかな小指。

 

「「ゆーびきーりげーんまーんうーそついたらハーリセンボンのーばす!ゆーびきった!」」

 

 ◆─◆─◆

 

「さーて、なにして遊ぼうか」

「えーとね、まずはベッドでできる......あ!トランプ!あとオセロ!それからそれから、麻雀!」

「急に大人だね......。よし、どんと来いだ!今日は夜更かし、するぞー!」

「おー!!」

 

 ▧One in the【sun】, a smile▧

 

 朝は好きだ。

 眩しく光る太陽は、自分が生きてるってことを強く証明してくれるような。

 そんな、気がする。

 

「実はね、この前のミオクロスには、少し意味があって。ナポリ民謡、'O sole mioが由来なんだ。意味は『私の太陽』。つまり、クロスと合わせて『交差する太陽』って意味を込めていたんだ」

 

 たった一ヶ月。短き太陽。

 けれど、またいつか交差する。

 無駄なことばかりを積み重ねて、

 君と出会って笑い合う。

 

「橋姫さん、行こう」

 

 歩き出す。

 

 ボクが本当の覚悟を決めることになるのは、まだ先のおはなし。

 その時には、もうミクル君との記憶は無いけど。いつか気づくさ。

 君との出会いは無意味じゃなかったって。

 

 だから、ありがとう。

 

 ▧Hello.▧

 

 時は過ぎて。

 燦々と降り注ぐ日光に、

 都会の人間は皆悲鳴を上げている。

 

 そんな、お昼の一節(はなし)

 

「へー、ここがにんにくマシマシで有名なバーガー屋ねぇ。噂には聞いてたけど、店先からこの匂いとは」

 

 じゅるり、と空耳が聞こえなくもない。

 にっこりと笑って、店のドアを通過する。

 

 いやはや、大変な日々だった。

 病院を退院してからというもの。

 記憶を取り戻してからどんちゃん騒ぎ。

 安楽死の薬の件や、BMI技術についての問い詰め。

 

 警察さんとは数年の仲になってしまった。

 特にあの黒コートのじいさん。

 掠れた声が特徴。おっかない風貌と口調の癖に、意外と人想いなところもあったりなかったり。

 

 ま、一応は技術の提供と裁判を終えて、遠路遥々都会の町にやって来た。

 見事に電車に酔ったので、一息つこうとしているわけである。

 

 ───ちなみに。胃もたれするバーガーを自ら食べに行こうとしていることに気づいてないのは、決してわたしが馬鹿だからではない。キュートなアレである。

 

 一人なので、カウンター席を選ぶ。

 と。

 

「うまー!ばりうまー!やっぱ一週間の締めはこれだよねー!」

 

 おぉ。噂のヤサイダブルニンニクアブラマシマシバーガーを躊躇なく口に運ぶ金髪の少女が。

 

「あ、すいませーん。隣の席の方と同じヤツくださーい」

 

 注文してみる。レッツ、ゴートゥー、ヘル。

 

「あれ、あなたもマシマシバーガーですか?」

「えぇ。そういう貴女こそ、よくもまぁ、年頃の女の子なのに食べるね」

「失礼な!ちゃんと二十歳越えてますから!ほら、ガツガツしたものを食べると、生きてるって感じがするんです。そうでしょう?」

「気持ちはわかるなー。なにせ、わたしもその為に来たんだし」

「お!じゃーマシマシ同盟結びます?」

「いいねー!」

 そうして、運ばれてくるヤサイダブルニンニクアブラマシマシバーガー。

 

「うーん、これはなかなか奇天烈な味。癖になりますな」

「一度虜になったら逃げられませんよ~?あ、指にソースが」

 

 言って、かぷ、と。

 わたしの指を舐める金髪の少女。

 

「大胆!」

「あ!ごめんなさい!なんていうか、癖で」

「ツバサちゃん、直した方がいいぞ、その癖。危ない人に捕まっちゃうぞ~?」

「え。なんでボクの名前を?」

「ふっふっふっ。サプライズだよサプライズ。さ、ヤサイダブルニンニクアブラマシマシバーガー奢るから、謎のお姉さんの正体を語ろうじゃないか!」

「また食べるの!?」

「共に地獄を突っ走ろう!」

「うー、でも魅力的ダー......。てか、ボクとどっかで会ったことあります?」

「あるよ。二日間だけね」

 

 あれ、なーんか思ってた再会と。

 違うような気もするけど。

 まぁいいか。

 こんなはなし(無駄)も、アリだよね。

 

/Fin.



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