日本酒を薄い塩水で割ってみました
約6000文字です
それでもよろしければどうぞ
「それにしたって、あんたも年を食ったねぇ」
縁側へ腰掛け、春の日差しを浴びていると、何処からともなくそんな声。
その声とともに酒の香りが届いた。
「人間だからな。そりゃあ年くらい取るさ」
お茶を啜りながら言葉を落としてみる。
せっかく春の香りを楽しんでいたってのに、こりゃあまた随分と酒臭いものに変わってしまった。
「そうかいそうかい、人間様ってのも面倒なもので」
そして、いつものようにアイツが俺の隣に腰掛けたのが分かった。
「だから良いんだよ。まぁ、お前様たちには分からんだろうが」
コイツらから見れば、人間の一生など本当に短いものだろう。しかし、だ。だからこそ良いものなんだ。長けりゃ良いってものでもない。短いからこそ光るものがある。
そんなことを最近になって漸く思えるようになった。それはあまりにも遅すぎることだが……まぁ、気づかないよりは良いだろうさ。
「はっ。たかだか、数十年しか生きていない餓鬼がよく言うよ」
瓢箪に入った酒を煽りながらアイツが言った。
それに釣られて、此方もまたお茶をひと口。
「それだけ人間の成長は早いってことだ」
お前から見れば、俺なんて餓鬼のままなんだろう。しかし、人間なんてものは直ぐに変わってしまう。コイツらから見れば、それこそ一瞬のうちに。
妖怪と人間。そのふたつの種の間にはそれだけの差がある。どちらの種が優れていて、どちらの種が劣っているか。そんなこたぁ分からない。そもそも比べることが間違いなんだろう。
「そういうものかい?」
「そういうものだ」
ゆっくりと流れる時間。他愛のない会話。ただの日常。春の日差しと酒の香り。
俺にとっては長い付き合いであるが、コイツとの関係はそんなものだ。
今から数十年前。俺にとってはもう遠い昔の記憶となってしまったが、まだはっきりと思い出すことはできる。そう……確か、あの時も今日みたいな春の日差しが心地良い日だった。
そんじゃま、今日も今日とて頑張って働くとしようかと思い畑へ向かうと、俺の畑のど真ん中でアイツが寝ていた。その大きな瓢箪を大事そうに抱え、気持ち良さそうに。
薄い栗色の髪の毛に、頭には2本の立派な角。つまり、ソイツは人間じゃなかった。いや、まぁ、人間が他人んちの畑でこうも堂々と寝ていたらそれはそれで驚きだが。
そして、それが俺とコイツ――伊吹萃香との出会い。
そん時の俺はまだ孫や息子はいなかったし、嫁さんだっていなかった。アレから数十年。ホント、懐かしい限りだ。
人間と妖怪の間にはどうしても越えられないほどの壁がある。妖怪なんてものは、何の力もない俺なんかが触れて良い存在じゃあない。例え人里という一応の安全が確保されている場所とはいえ、できれば関わりたくない相手だ。
……そう。そんな存在なはずだった。
別にそのままソイツを無視して畑作を始めても良かった。その日の畑作は諦めて帰っても良かった。そうだというのに、俺はソイツと関わってしまった。
「おいこら、お前」
そして俺は、手に持っていた鍬の持ち手の方で、気持ち良さそうに寝ているアイツの頬をつつきながらそんな言葉を落とした。
どうしてそん時の俺がソイツに声をかけたのかは知らん。何を考えていたのかも分からん。それこそ、できれば昔に戻ってそん時の俺に聞いてみたいくらいだ。
相手は妖怪。それも、その見た目から想像するに、幻想郷ですら存在自体が珍しい種族である鬼だ。つまり、俺なんかが関わっちゃあダメな奴ってこと。
「あぅ、あうぅ……なんだよぉ」
「なんだよ、じゃないだろうが。ここは俺の畑だ。そんな場所で暖気に寝てくれやがって」
今考えても随分と無茶苦茶なことをしたものだと思う。妖怪を怒らせてしまったらどうなるかってことくらい分かるだろうに。それも若気の至りってやつなんかねぇ?
「あー……あ? 誰だい? あんた」
「俺が聞きたいわ。お前こそ誰だよ」
アイツと交わした初めての会話は確かそんなものだった。そこからの記憶は流石に曖昧となってしまったが、確かとりあえずアイツと一緒に酒を飲んだ覚えはある。アイツが大事そうに抱えていた瓢箪に入っている酒を。
しかしまぁ、その酒ってのは鬼の酒なわけで、俺のような奴が飲むにゃあちょっと強すぎた。別段、酒に弱いわけではなかったし、むしろ強い方だったはず。それでも、鬼の酒は良く効いた。だから、記憶だって曖昧になってしまったんだろう。
こうやって思い返してみても、最初から最後までアイツとの思い出は酒臭いものばかりだ。
それからというもの、コイツは毎日のように俺の畑に現れやがった。んで、何をするのかと思えば、ただただ俺がせっせと働くのを見ながら美味しそうに酒を煽るばかり。
こっちゃあ汗水垂らして働いているというのに、良い御身分なことだよ。まぁ、別にそれが悪いってわけじゃないんだが。
とはいえ、毎度毎度そんなことを続けられていると、文句のひとつくらいは言ってやりたくもなる。だから、少しは俺の手伝いをしてくれってアイツへ言ってみた。
どうせ断られるんだろうって思っていた。アイツにとってそんなことをする利点なぞ何もないわけだから。
しかしアイツは――
「うん、いいよ」
なんて、嫌そうな顔ひとつせず言いやがった。
そんな返事に驚きはしたが、ただの気まぐれだろう。直ぐに飽きて何処かへ行ってくれる。そう思った。
……そうだというのに、どうしてなのやらアイツは律儀に俺の手伝いをするように。それも、それから毎日。
正直、気味が悪かった。だって相手は妖怪だぜ? 妖怪にとって人間なぞ、気にするような存在じゃない。それだのに、アイツは面倒な畑作を手伝うんだ。何を考えてるのかなんて分かりやしない。このことに託けて俺を食おうとしてるんじゃないかとも思った。
だから、一度だけ聞いてみたことがある。お前は何を考えているんだって。そうしたらアイツは――
「んー? ただの暇つぶしだよ」
とだけ言った。
暇つぶし、ねぇ。俺にゃあ妖怪様の気持ちなぞ分からんが、永い時を過ごすとそんな気分になったりするのだろうか。
そして、夏の季節となった時のこと。
春に蒔いた種はちゃんと育ち、アイツが手伝ってくれたこともあってか、いつもよりその収穫量は多い。そんな立派に育ってくれた作物を見ているとアイツが酒を飲もうと言ってきた。
「お前はいつも飲んどるだろうが」
「まぁ、そうだけど、今日はあんたも一緒にどうかってこと」
その誘いを断る理由はなかった。
相手は妖怪。心を許して良いような相手じゃない。けれども、どうやら俺はコイツを気に入ってしまっていたらしい。そして、コイツだってきっと……
ホント、厄介な相手に気に入られてしまったものだ。それも、お互いに。
それから畑作を終えた後、コイツと酒を飲むのが日常となった。
最初に飲んだ時は倒れたコイツの酒も、少しずつ少しずつ飲めるように。
いつからかは分からない。しかし、いつの間にかコイツが俺の日常にいることが当たり前となった。どうやって突き止めたのか知らんが、俺の家にも現れやがるようになり、畑作ができない雨の日も、雪の積もる冬の季節もコイツは俺の横にいた。
そんな日常は俺が結婚をすることになってからも続いた。
結婚祝いだ! とか言いながら俺には広すぎる家をぶっ建てるわ。相変わらず畑作の手伝いは律儀にしやがるわ。息子と娘が産まれた時は、まるで自分の子どものことのように喜びやがるわ。息子が結婚し、孫ができた時は私にも抱かせろと騒ぎ散らすわ、とやりたい放題。
そして、数年前に行われた俺の嫁さんの葬儀の時だってコイツはいやがった。普段は五月蝿いくらいだというに、その時ばかりはただただ黙って俺の横で酒を煽りながら。
つまりまぁ、この俺の人生はコイツに振り回されっぱなしだったわけだ。
ホント、コイツは何がしたいんだろうな? それなりに長いはずの付き合いだというに、コイツの考えていることは今でもさっぱり分からん。
「あったかい季節になったねぇ」
また、酒の香りがした。
「そうだな。俺としては過ごしやすくて助かるよ」
そんじゃ、お茶をもうひと口。なんて思ったが、残念ながら湯呑の中は空らしい。
「春といえばなんだと思う?」
「あー? 桜とかか?」
何の中身もない会話。年を取り、畑作もできないようになってからは、そんなことをずっとずっと続けてきた。
「そっかぁ、桜かー。桜はアリだなー。よしっ、それじゃあお花見でもしようよ」
「莫迦言うな。この身体じゃそんな動けんよ」
昔は桜の花を見ながら、コイツと酒の飲み比べなんて馬鹿なこともしたが、今じゃそんな元気はない。
俺も年を食ったねぇ。
「いいよ。私が担いで行くから」
「遠慮する。そんな姿を知り合いに見られたら堪らん」
それなりに長い人生を歩んできたこともあり、知り合いは多い。そうだというのに、鬼に担がれていたなんて知られたら何を言われるのか分かったものじゃない。
「それにな……もう見えねーんだ」
それじゃあ、せっかくの桜も楽しめやしない。香りくらいなら楽しむこともできるが、コイツが傍にいたらどうせ酒の香りしかしないだろう。
「年食ったねぇ」
「ホントにな」
ただ、悪い気はしない。
年を取り、できないことは多くなった。嫁さんには先に逝かれちまうし、この目じゃ楽しみにしていた孫娘の花嫁姿も見られない。
後悔はある、未練もある。けれども、それ以上に良い人生だったと思えている。だから、これで良いんだろうさ。
コイツから見れば決して長くはないこの人生。だが、その中身は胸張って良いものだったと言える。
それもこれも全部、コイツのせいなんだろうなぁ。
「……なぁ、萃香」
「んー、どうした?」
コイツは妖怪で、俺は人間。それは、なんておかしな組み合わせだろうか。
そうだというのに、まさかここまで長い付き合いになるとは……人生なかなかどうして分からないものである。
「悪いな、いつも」
「ん、別にいいよ」
普段なら小っ恥ずかしく言えないような言葉も、その時は何故か素直に出てきてくれた。それでも、出てきてくれた言葉はその程度のもの。本当なら感謝の言葉でも出てきてもらいたいものだが……それはきっと死ぬまで無理ってことなのだろう。
残念ながら俺の目はもう見えない。だから、アイツがどんな表情をしているのかだって分かりやしなかったが……アイツが今、どんな表情をしているのかは想像できた。
人間ってのは便利なもので、目が見えなくなると他の器官がそれを補うようになってくれるらしい。そして、それは俺みたいな年寄りだろうが例外ではないらしい。
「その顔、お前にゃあ似合わんなぁ」
「……あんたが似合わないことを言うからだよ」
そいつぁ失礼。
ただまぁ、これだけの付き合いをしておいて何もせず、さようならってのも寂しいだろうよ。だから今くらいは許してくれ。
「元気で暮らしているようならそれで良い。たまに気にかけるくらいで良い。それで良いから……俺の子ども達のことを見てくれんか?」
「えー……面倒くさいんだけど」
まさに予想通りといったアイツの言葉を聞き、無意識のうちに笑が溢れた。それに、コイツのことだ。面倒だなんだと言いながらも、どうせそんな俺の頼みを聞いてしまうんだろう。
コイツには昔っから助けられてばかり。そうだというのに、俺がコイツにしてあげられたことはあっただろうか。何の意味もない会話をして、酒を飲んで、笑って、ただただ同じ時間は過ごしただけ。
俺がコイツにしてあげられたのはそれだけだ。
「まぁ、そう言うなって。ほら、暇つぶし程度で良いんだ」
「むぅ……そこまで言うなら、まぁ、少しは見てあげるけどさぁ」
悪いな、いつもいつも俺の頼みを聞かせちまって。
そして、ありがとう。
「そりゃあ、良かった。んじゃ、久しぶりに俺も酒を飲むとしよう。ほれ、その酒を俺に分けてくれ」
「いや、あんたお酒は身体に……」
良いんだよ。
充分過ぎるほどの人生を歩んできた。時間だってもうほとんど残っていない。例え、それで寿命が縮まろうが、誤差みたいなもんだ。
それに、お前と俺の関係にゃあ、酒の香りは必要だろう。それも最期となればなおのこと。
「なんだ? 今日は一緒に飲んでくれないのか?」
「はぁ……仕様がないねぇ。全く、ただの人間が随分と偉くなったものだよ」
そんな悪態をつきながらも、俺が差し出した湯呑の中へアイツは酒を注いだ。届いた酒の香りには懐かしさを覚える。
ホント、お前と俺の物語は酒の香りばかりだな。
ただ……それも悪いとは思わない。
酒が入り、わずかに重くなった湯呑。
そこへ、コツンとアイツの瓢箪がぶつかった。
――乾杯。
そして、響いたふたつの声。
湯呑を傾け、その中身を口の中へ流し込む。むせる程に強い酒の香りが広がり、喉を焼きながらソレは流れていった。
さて、どうせ死ぬのなら、その身体は軽い方が三途の川の渡しだって楽になるだろう。死後の世界に持っていくものなど渡し賃くらいだ。
別にこのまま自分の中へ抱え死んでしまっても構わないが……まぁ、こんな機会など二度とないんだ。もう少しほど身体を軽くしておこうか。
「ありがとな、萃香。お前がいてくれたこの人生、悪くなかったよ」
それは、どうせ死ぬまで言えないだろうと思っていた言葉。そんなことを思っていたが……案外なんとかなるものだ。
「……うん。私もあんたがいてくれて良かった」
そうして落とされた言葉はやはり酒の香りがした。
それにしても……そっか。そりゃあ良かったよ。
結局、最期の最後まで、コイツと一緒にいると、感じるのは酒の香りばかりだった。つまり、俺の人生はそんなものってこと。
ただ、そんな人生も悪くはないだろうさ。
――――――――――
「見えているかい? 今年の桜はいつもよりちょいとばかり綺麗だよ」
満開となった桜木の下で、そんな声が響いた。
春風とともに舞う桜の花びらは幻想的な景色を創りだす。
「それにしても、あんたは最後の最後まで我が儘な奴だったねぇ。まったく……私を誰だと思っていたんだか」
決して立派とはいえない墓標の前に立つ、1匹の鬼が酒を煽りつつ言葉を落とす。
それは、春風に乗せ、誰かへ送る独り言。
「最初は本当にただの暇つぶしだったんだけどなぁ……なかなかどうして分からないものだよ」
長い時を生きる妖怪にとってそれは一瞬の出来事だったはず。そうだとしても、その一瞬を無下にする理由にはならないだろう。
「とはいえ、あの子たちのことを頼まれてしまったものは仕方無い。まぁ、気が向いたとき、お酒でも飲みしな見てあげるからさ。あんたは安心してゆっくり休んでいれば良い」
その言葉へ返事をする者はいない。
それでも鬼は言葉を落とした。届くかも分からない言葉を誰かに向けて。
「ただ、彼岸の時くらいは顔を見せ来な。私はそれだけ充分だからさ。ん~……さぁて、私これで行くとするよ。それじゃ、またね」
そよいだ春風はお酒の香りがした。
私にしては珍しく寂しげなお話となってしまいました
もしかしたら甘いお話を期待していてくれた方もいるかもしれませんが、それはまた今度ということで
読了、ありがとうございました