薄い薄い麦茶へ小さじ半分のハチミツを垂らしたような味です
約4900文字です
それでもよろしければどうぞ
「今日は釣れるかい?」
「いんや、全然だね」
静かに垂らした竿の先は揺れることなく、ただただ水面に浮かんでいるばかり。随分と長いそうやって糸を垂らしてはいるけれど、何時まで経って当たりを知らせてくれることはなかった。
そんな何時も通りの状況で、何時も通りの会話を彼女と交わした。
「しっかし、お前さんもよくまぁ飽きないじゃあないか」
「これくらいしかやることがないからなぁ。それで君は?」
どうせただのサボりだろう。彼女が此処へ来る理由は何時だってそうだった。
お説教できるような立場ではないけれど、彼女にはちゃんと言ってあげた方が良い気もする。
まぁ、どうせ俺の言葉なぞ彼女には届かないだろうが。それほどに俺と彼女の間には距離があるのだから。
「釣れるはずもない物を釣ろうとしている粋狂人を見に来ただけだよ」
そんなものを見に来ることだって、充分におかしなことだと俺は思うけどねぇ。そうだと言うのに彼女は毎日のように此処へ訪れる。晴れていようが、曇っていようが、雨だろうが雪だろうが。
おかしなものだ。
「また上司から怒られるんじゃあないか?」
「それで良いのさ。あの方は色々と溜め込みすぎる。その溜め込んだものをあたいが怒られることで、少しでも吐き出してくれればそれで充分」
良く回る口なことで。きっとそれは彼女の仕事柄そうなったのだろう。喋ることのできない霊たちへ話を聞かせるために。
一度大きく伸びをしてから、また竿の先へと視線を戻す。
「釣れそうかい?」
「いんや、全然だな」
俺がそう答えると、カラカラと彼女はいつものように笑った。
――――――――
何かをしようとは思ったが、何をして良いのかがわからなかった。
暫くの間は当ても無くフラフラと出歩いてみたが、どうにも俺の性格には合わないらしく、それも直ぐにやめてしまった。
それならどうしようかと考え、考えついた先が水面に糸を垂らすことだった。適当に拾った枝へ適当に糸を縛り付けその先を水面に垂らす。
そうやって垂らした先をただただ眺めることにした。
随分と愚かなことをやっているとは思ったが、日がなそうしていることは俺に合っていたらしく、それからずっとそんなことを続けている。
何かが釣れるわけではない。何かを釣ろうとしているわけでもない。そんなことをただただ続けた。
「おや、珍しい。こんなところで何をやっているんだい?」
今でも良く覚えているが、初めて声をかけたのは彼女からだった。
人里からも離れ、妖怪すら訪れない場所で釣りなどをやっているのはやはり珍しかったらしい。
「釣り、かな」
「釣れるかい?」
「いんや、全然だよ」
俺がそう答えると彼女はカラカラと笑った。それも見蕩れるような笑顔で。
それから彼女は毎日のように俺の場所へ訪れ、他愛の無い会話をするように。口下手な俺と違って彼女は良く喋った。三途の川で渡しをしている話。口煩い上司の話。狂い咲いた花々の話。気質と天候の話。
良くもまぁ、毎日そんなに話をできるものだと思ったが、悪い気はしなかった。
そんなことを、何年も続けている。
そんなことを、あと何年続けるつもりだろうか。
「それにしても、此処は本当に何も釣れないねぇ。これなら三途の川の方がまだ釣れるよ」
「三途の川って魚がいるのか?」
碌なものしか釣れなそうだ。怨霊でも釣り上げてしまったら笑うに笑えない。
まぁ、その怨霊すらいない此処よりはまだマシだろうが。
「この前はリュウグウノツカイが釣れたよ」
「サタデーナイトフィーバーの?」
「そっちじゃなくて魚の方」
そりゃあ随分と大物が釣れるじゃないか。少しばかり羨ましくは思うが、俺の場合そんな物がかかっても釣り上げることはできないだろう。
この竿はそれほどに丈夫ではないのだから。
釣りのコツでも聞いてみようかと思ったが、やめておいた。別に何かを釣ろうとしているわけでもない。それならコツを聞いても仕様が無い。
だから俺は、カラカラと笑いながら喋る彼女の言葉に耳を傾けながら、視線をまた糸の先へ戻した。
――――――――
とある、よく晴れた日のことだった。
「おや? 今日は釣りをしてないけれど、どうかしたのかい?」
水面に糸を垂らしもせず、糸を垂らすはずであった水面をただただ見つめていると、何時ものように彼女が訪れ言葉を落とした。
「竿がさ。折れちゃったんだ」
乱暴に扱っていたわけではないが、終に限界が来たらしい。長い間一緒に過ごしてきた相棒は、真ん中からポキリと二つに折れてしまった。
元々丈夫な枝ではなかったのだし、それも仕方が無いこと。
「なるほどねぇ。それでお前さんはこれからどうするんだい?」
残念なことに釣竿はもうない。
新しく作り直せばまた釣りを再開することはできるが、どうにもその気は起きなかった。
うん、まぁ、ここらが潮時ってやつだろう。
止める機会がなかなか見つからなかったが、これがちょうど良い機会だと割り切ろう。
「……なぁ、小町」
「おおぅ、い、いきなり名前で呼ぶなんて……ビックリするじゃないか」
そんな言葉を落とした彼女の様子は、珍しく慌てているように見えた。
そう言えば、幾度となく言葉を交わし合ったが名前で呼ぶのはこれが初めてのこと。けれども、それもきっと最後になる。
最初で最後。何処か寂しさを感じはするけれど、そんなものだ。
「俺はもう死んでいるのか?」
「まぁ、そうだね。私が初めてお前さんと会った時からもう……」
何処かばつが悪そうに彼女は答えた。
ああ……やっぱりそうだったのか。
気づいてはいた。腹も減らず、睡眠も必要しないこの体質。そんな体質の奴が生きているはずは無いのだから。そんな体質になる前の自分の記憶もなかった。ただ、そのことをしっかりと考えようとはしなかった。
自分が誰なのかもわからず、何をするでもなくこの世に留まり続けた。
別に未練があったわけではないと思う。それでも留まり続けた理由はなんだろうか。
あの釣竿が折れてから、そんなことを漸く考えるようになった。
「もしかして俺って怨霊?」
「いんや、まだ堕ちてはいないよ。それに自分で気づくことができたんだ。もう大丈夫だろうさ」
そっか、それなら良かったよ。
自分が害となる存在ではないとわかり、少しだけ安心することができた。
「……もう、逝くのかい?」
「そうだなぁ。釣りもできそうにはないし、ここらが潮時だろうさ」
随分と長い時間留まり続けてしまった。
もう充分だろう。自分の人生が良いものだったかはわからないが、それなりには満足している。彼女と会うこともできたのだ。それだけで充分過ぎる。
きっとこれから俺は彼女の上司とやらに裁かれる。死んでから長い間留まり続けてしまった俺に、良い判決が下されるとは思えないが、今ならどんな判決だろうが素直に受け取れる気がするよ。
「ありがとう。君と出会えて良かった」
「うん、私もお前さんと会えて良かったよ」
そっか、そりゃあ良かった。
ただの社交辞令だったのかもしれないが、言葉にしてくれただけで充分だ。
それじゃ、よろしく頼むよ。三途の川の水先案内人さん。
意識が途切れる前に見た彼女は、何時ものようなカラカラとした笑顔ではなく、悲しくなるような笑顔だったことははっきりと覚えている。
――――――――
最近、急に小町が変わった。
少し前までは自分の仕事などほったらかし、直ぐに何処かへフラフラと出かけていたと言うのに、今はしっかりと自分の仕事をしている。
最初の頃は終に小町も真面目になってくれたと喜んだが、そんな気もどんどんと失せていき……何と言うか、こう……どうにも調子が狂わされる。
いや、仕事をちゃんとすることは良いのです。てか、しなきゃダメなんですけど……う~ん、何があったのやら。
普段通りに振舞おうとはしているみたいですが、どう見てもアレは空元気。憂いのような表情すらする始末。流石の小町と言えどもこのままでは、よろしくない。
どうにか助けてあげたいところではある。小町の方から相談でもしてくれれば助かるのですが……
そうやって変わってしまった部下のことを考えていると、いつの間にか死者がいた。
むぅ、仕事中だと言うのに私は何をやっているのだか。まぁ、それもこれも小町が原因なのだけど。
とりあえず浄玻璃の鏡を使い、その死者の生前の様子を調べる。
その死者の生前は少々物臭ではあったらしいが、大きな悪行をしたわけでもなく、善行もよく積み重ねているらしかった。
この様子ならば堕とすことはないだろう。
しかし、能力の結果下した判断は“黒”だった。
……おかしい。私の能力に間違いがあるとは思えないけれど、どうにも腑に落ちない。
もう一度、浄玻璃の鏡を使いその死者のことを調べる。
やはり大きな悪行は見当たらない。
では、何故?
こんなモヤモヤを持ったまま判決を下すわけにはいかない。
そして、鏡の先で水面に糸を垂らす死者の様子が見えた。その隣には――楽しそうに笑う小町の姿。
ああ、なるほど。そう言うことでしたか。
最近、小町が変わった理由も漸く合点がいった。ふふっ、あの欲のない小町がねぇ。
目の前に判決を待つ死者がいると言うのに、クスリと笑が溢れた。
コホンと一つ咳払い。
「さて、判決ですが……貴方は黒です。間違っても天国へ逝かすことはできません」
私がそう告げるとその死者は静かに笑った。
なるほど、自分のしたことの罪深さをちゃんとわかっていましたか。
「死んだにも関わらず現世に残るのは重罪。例え生前の貴方がどれほどの善行を積もうが、決して許されることではありません。さらにそれだけでなく――冥界へと導く死神の精神を弄ぶなど以ての外」
そう厳しい口調で伝えたのにも関わらず、やはり死者は笑った。
諦めに取れるような笑顔で。
「そのような重罪を犯した貴方は地獄へすら逝けません。判決を言い渡します。貴方は――」
この判決はもしかしたら上から怒られるかもしれない。でもまぁ、良いのです。今ばかりは私が法律ですから。
この程度しか私は小町にしてあげられない。
それでも、これで少しでも何時もの小町に戻ってくれればと思いながら、その死者への罰を言い渡した。
――――――――
アイツが消えてからと言うもの、どうにもやることがなくなってしまった。
まぁ、それも仕方無い。毎日の日課が全て消えたんだ。それほどに私にとってアイツは大きな存在だったのだから。
一昔前みたくフラフラと出かける気にもなれず、遮二無二仕事をやってみることにしたけれど、どうにも心のモヤモヤはなくなってくれなかった。
自分でもわかるほどだ。映姫様にだってもう気づかれているだろう。あのお節介な上司はそんな私は放っておかない。それはマズいと思っている。けれども、やはり気持ちは晴れてやくれなかった。
こんなことなら、アイツに声なんてかけなければ良かった。釣られた私が悪いけど、食らいつき、飲み込んだ釣り針はなかなか抜けてくれそうにない。
たかが死神程度の私では、アイツにしてやれることなど何もなかったのだから。必ず来るとわかっていた別れ。そうだと言うのに、ずるずると引きずり続けた。
逃れることなどできやしないのに。
死者も渡し終わってしまいやることもなくなった。
我ながら随分と変わってしまったものだと思い、一人乾いた笑いを溢す。
することもなかったから、なんとなしアイツの真似をしてみた。
適当に拾った枝へ、適当に糸を縛り付け水面へその先を垂らしてみる。
アイツは何を考えながらこんなことをやっていたんだろうか? 続けていれば私もその気持ちがわかるだろうか?
「釣れそうかい?」
声が聞こえた。
聞きなれたあの声が。
「……ああ、今し方ね」
「そりゃあ良い。俺は釣れたことがないんだ。コツでも教えてくれよ」
当たりを知らせているわけでもないのに、竿が震える。バクバクと心臓が暴れ、息が苦しい。
何があったのかわからない。
でも、きっと――
「コツなんてないさ。ただただ待っていればそのうち向こうから食いついてくるのだから」
「まぁ、そんなものか」
「そんなものだよ」
二人して釣られていたんじゃあ世話がないなんて、久しぶりに嬉しそうな笑が溢れた。
読了ありがとうございました