七星と、七銘のルーデウス   作:マブダチ

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第十九話「入城」

 トリスティーナの夜に対する恐怖心は、この一週間で大分薄れた。

 突然起きて泣き叫ぶことがなくなったのだ。

 まだ悪夢は見るみたいだが、それでも、起きることが怖くないというだけで、心労は驚くほど減ったのだという。

 

「サイレント様、サイレント様!」

「はいはい、なに?」

 

 大きく変わったのは、ナナホシとトリスティーナの関係だ。

 あの晩以降、彼女たちは夜になると居間の方へと抜け出し、二人っきりで話すようになっていた。

 トリスティーナにとっては、数年ぶりの同性の友達となるからか、親しくなるのにそれほど時間はいらなかったのだろう。

 今ではもう、姉と妹かのように、トリスティーナはナナホシに引っ付いて回っていた。

 

 ……まあ、俺については警戒されたままのようだが。

 とはいっても、サウロスたちがいる前ではその様子を微塵も見せない。

 俺の言いつけ通り動いてくれている。

 彼女と話すには、その近くに俺がいなくてはならない、と周りに思い込ませているのだ。

 例え俺がただの冒険者で、貴族社会に相応しくない人間だとしても、それらしい理由でシルバーパレスへと足を踏み入れられるように。

 今後のためにも、アリエルとは接触しておきたかったから。

 

「……トリスティーナ」

「あ……は、い」

「そろそろ時間だ」

 

 トリスティーナの顔から笑みが消え、毅然とした表情になる。

 仕事モードだ。

 そんな分かりやすく態度を変えられるの、結構ショックなんだけどな。

 

「あの?」

「いや、なんでもない。昨日のうちに伝えた通り、ようやく第二王女派との話し合いの場を設けることができた。とにかくお前には、ダリウスとの過去がどれほど凄惨だったかを、嘘偽りなく、それでいてオーバーに表現しつつ話してもらう」

「はい」

 

 屋敷の出口では、アルフォンスが誰かと話していた。

 向こうに見える高級そうな馬車には、目立つように金色の紋様が施されていた。

 紋様は、アリエル・アネモイ・アスラ――俺たちが取り入ろうとしている第二王女派のトップのものである。

 

「相手はアリエル王女だ。緊張して失敗などしてくれるなよ」

「……ええ、大丈夫、です。まさか第二王女その人が出てくるとは思いませんでしたけれど」

「事はそれほど大きい、と捉えたのだろう」

 

 下手に動けば第一王子派へと情報が洩れたり、あるいは裏切ってトリスティーナを売り渡そうとする輩に見つかるかもしれない。

 アスラ王国の貴族というのは、そういう人間ばかりだからな。

 そうした環境の中で、この短い期間で、最も安全であると言えるアリエル王女と約束を取り付けられたサウロスたちの手腕は流石というほかない。

 

 しかし、それでも、少なくとも『サウロスがアリエルに会いに行く』という情報は必ず洩れる。

 シルバーパレスへと赴く以上、人の注目を集めないわけがないからだ。

 その中で、俺やトリスティーナの見た目の情報も伝播するだろうし、それがダリウスの耳に入れば、すぐにトリスティーナが生きていると気づき動き出すだろう。

 

 ……もうすでにダリウスは気づいているのではないか、という懸念はあった。

 だが奴にはこれといった動きはないし、今滞在している屋敷の周囲に怪しい気配も無かった。

 あれほど目立つ動きをしていたのにもかかわらず、だ。

 奴の部下による、私欲に目がくらんだ結果起こった失態だ、逃げ去ったという男がダリウスに事の顛末を話さなかった可能性もある。

 ならば、情報はできるだけ操作した方がいい。

 

「ルードさんの言ったとおりに、髪、染めましたけど……本当にこんなので効果があるんですか?」

 

 ナナホシがこちらに寄ってきて、トリスティーナの髪を手に取る。

 アスラ王国では珍しくもない、小麦色の髪――ではなく、黒く染まった髪を。

 

「……サウロスが動くにあたって、情報を集めだす人間も出てくるはずだ。俺とお前は特に人目を気にせず動いていたから、俺たちの情報はすぐに集まるだろう」

「なるほど。トリスティーナを私に偽装する、ということですね?」

「ああ。もう少し胡散臭くしてやれば、しばらく奴らの目を欺ける」

 

 近くに置いてあった水晶球をトリスティーナに渡す。

 占命魔術に使われるものだ。見た目重視なので、安物である。

 謎多き男冒険者と占命魔術師を連れだって王城に行くサウロス――第一王子派にとっては滑稽に映るだろう。

 

「顔については、これを使え」

 

 懐から、用意しておいた仮面を取り出す。

 土魔術で作った、黒い仮面だ。

 トリスティーナはそれを被り、ナナホシが持っていた手鏡で自分の格好を確認していた。

 

 トリスティーナは今、ナナホシに貸していたローブを着ている。

 ローブは結構ボロボロだし、仮面の色も違うが、しかしこうして見ると懐かしいもんだ。

 ナナホシも、最初はこんな格好をしていたからな。

 今の彼女を見て、トリスティーナ・パープルホースであるとは誰も思わないだろう。

 

「サイレントにはしばらくの間留守番してもらうことになるが……」

「はい、分かってます。何かあれば、”これ”に念じろ、ですよね?」

 

 ナナホシは正八面体の黒い石を取り出す。

 近くで見ないと分からないが、黒い塗料で魔法陣が描かれていた。

 

(あめんぼあかいなあいうえお……これで聞こえてるんですか?)

(……これに発声練習はいらん)

(本当に直接聞こえるのね……)

 

 石の正体は、俺が作った魔道具。

 あの魔法陣は”通信魔術”のものであり、石の中には魔力結晶が埋め込まれているため、魔力を持たないナナホシでも扱うことができる。

 名前は、そうだな――携帯念話とでも名付けようか。

 遠くの相手とも思考の送受信ができる優れものだ。

 俺がこれを作り上げた時、その相手なんてペルギウスくらいしかいなかったが。

 

「――ルード様」

 

 屋敷の玄関口から、アルフォンスに呼ばれる。

 どうやら話し合いが終わったみたいだ。

 正装に着替えたサウロスと、おそらく馬車の御者である少女がこちらを見て待っている。

 

「……これから俺たちは、奴の敵となる。覚悟は――」

「できています。私は私の役目を全う致しましょう」

「行くぞ」

「はい」

「行ってらっしゃい、ルードさん、トリスティーナ」

 

 ナナホシが手を振る。

 彼女を置いていくのは心配だが、この屋敷にはアルフォンスが待っていてくれることになっている。

 もし何かあれば、俺ならば数秒でここまで飛んでこれる。

 ……今は、今のことに、集中するべきだ。

 

「……」

 

 シルフィ。

 お前はやっぱり、そこにいるのか?

 

 


 

 

 アスラ王国王城シルバーパレス。

 噂に名高い名城は、間近で見ても圧倒されそうなほど、荘重であった。

 今まで見てきた城壁も、まるで要塞かと思うほど堅牢であったのにもかかわらず、王城を囲むそれは比較にならないほどの巨大さを誇っている。

 厚さも、高さも、城壁に使われる建材も、全てにおいてトップクラス。

 そこを守る騎士の多さも、警備の厳重さも、ついに俺たちがそこに足を踏み入れるのだ、という実感をもたらした。

 トリスティーナは息をのんだ。

 銀色に輝く王城の美しさに見惚れたのか。

 あるいは、あの地獄の日々はもうないのだと、更なる確信を得ることができたのか。

 その表情は仮面に隠れてわからない。

 だが、きっと。

 この城にいる、心強い味方と、倒すべき敵を、心に思い浮かべているに違いない。

 俺も、そうだ。

 歴史を変えたどり着いた場所だ。

 覚悟はできている。

 

 俺たちは王城シルバーパレスへ入城した。

 

 


 

 

 入城後、まずボディーチェックが始まった。

 特に、情報のない俺に対しては念入りに。

 杖とか武器になりそうなものはその場で預かられたが、携帯念話についてはスルーされた。

 その辺は、サウロスの信頼によるものだろう。

 

 そうして、馬車の御者であった少女――エルモアに、応接間へと通される。

 扉の前には甲冑に身を包んだ騎士が立っていた。

 貴族と庶民を分ける、あの城壁にいた兵士とは格が違う闘気を感じる。

 流石に厳重だな。

 

 応接間は思ったよりも狭い部屋だった。

 貴族らしい豪奢な壁紙とかが目立つぐらいで、テーブルやソファに関しては目に優しいシックな色合いで統一されている。

 まあこれも、俺が分からないだけで金貨うん十枚とか掛かるだろうが。

 

「……」

 

 しかし、エルモアからの視線が痛いな。

 一応俺がトリスティーナの付き人として同伴すると伝えてはあるはずなのだが、風貌が駄目なのだろうか。

 髭くらいは剃っておくべきだったか。

 それとも、そもそも王女に会える身分でもないからと、下に見られでもしているのだろうか。

 今の王城は色々ごたごたしすぎてて、ストレスが溜まっていたりもしそうだ。

 大人しくしておこう。

 

「む」

 

 扉が叩かれ、エルモアが対応する。

 顔を出したのはまた少女――あの子は、確か、クリーネ、か?

 どうやら飲み物を持ってきてくれたらしい。

 アリエルかと思ったのか、反応したサウロスが小さく息を吐いて視線を前に戻す。

 

 ……エルモア、クリーネ。

 この二人はアリエルの従者で、貴族であるはずなのだが。

 馬車の御者に給仕、普通はメイドとかにやらせる仕事すら任されているということは、出来るだけトリスティーナの情報が洩れないよう徹底しているのだろう。

 

 しかし、もどかしい。

 サウロスにとってはフィットア領の復興への足掛かりを得る機会であり、トリスティーナにとってはダリウスに復讐できるチャンスである。

 彼らも少なからず緊張しているみたいだが、俺としてはやはり、あの扉からいつシルフィが出てくるか気が気じゃなかった。

 自分でもわかるほど、呼吸が浅くなっている。

 

 だが、大丈夫だ。

 魔力災害の日に飛んできて、歴史を変えてきて、すでに分かっている。

 死んだ彼女たちと再会できるということは、ちゃんと分かっているのだ。

 そりゃ、会ったら抱きしめたくなるかもしれない。

 少しはうるっと来てしまうかもしれない。

 だけど、流石にこの場で泣き出すなんてことはない。

 俺も年だし、涙なんてとっくに枯れているだろう。

 とにかく、安全であることを確認できればいい。

 今大事なのは話し合いだ。

 ……よし、落ち着いてきたな。

 

「……!」

 

 再び扉が叩かれる。

 エルモアが対応し、クリーネは静かに部屋の隅でそれを待った。

 先ほどとは明らかにエルモアの対応が違う。

 慇懃に、物音を出来るだけ立てないようにしつつ、少し頭を下げ、扉を開けた。

 

 現れたのは、トリスティーナと同じくらいの背丈をした少女。

 現代地球でもそうそういない、と言えるほど美しい金色の髪を靡かせて、部屋に入ってくる。

 彼女にとっては何気ないであろう一挙手一投足が、計算されているのではないかと思わせるほど、魅了させてくる。

 圧倒的なカリスマ性。

 圧倒的な存在感。

 間違いない――間違えるべくもない。

 この国に、彼女に比肩する人間はいないのだから。

 

 俺たち三人はすぐに立ち上がり、王族に対する礼をする。

 彼女こそが、アリエル・アネモイ・アスラ。

 アスラ王国第二王女である。

 

 さらに、足音が一つ。

 追随するように部屋に入ってきたのは、少年。

 茶髪をオールバックにしたイケメンであった。

 その顔には自信が満ち溢れているが、さしもの彼ですら、アリエルのオーラには遠く及ばない。

 守護騎士、ルーク・ノトス・グレイラット。

 あのピレモンの息子だ。

 サウロスは眉一つ動かさない。

 家と人をちゃんと区別しているということだろう。

 

 ……彼がヒトガミの使徒であった確証は得ている。

 今もそうであるかはわからないが、使徒ではない、と楽観的にとらえるわけにはいかない。

 が、正直なところ、優先的に排除したい敵ではない。

 もし、また道を誤るようであれば、殺す気ではいるのだが。

 

 彼はクーデター時、おそらくヒトガミに唆されただけなのだろう。

 俺がロキシーを死なせたように、彼もまた、アリエルを死なせた。

 ルーク自身も死んだ以上、それが目的だったわけではないだろうし。

 個人的な恨みはあるが、過去に戻ってまでぶつけるものでもない。

 

 ルークはアリエルの傍に立つ。

 

 そして。

 もう一つ。

 足音が、聞こえる。

 

「……っ」

 

 その足音で。

 気配で。

 昔の記憶が一気に思い起こされる。

 もう虫食いとなってしまった思い出が、彼女が誰かを理解させる。

 

 一見すれば、少年だった。

 白い短髪に、サングラスをかけている。

 特徴的な耳は、長耳族の血が流れているから。

 体型は小柄だ。小学生ぐらいにしか見えない。

 背筋は正しく、歩き方もしっかりしているように見えるが、表情はこわばっている。

 どことなく頼りなさげな雰囲気を纏いながら、最後の側近がやってきた。

 守護術師フィッツ。

 ……本当の名を、シルフィエット。

 俺の心の病を治してくれ、俺を最初に迎え入れてくれた、家族。

 

 アリエルの守護術師になったのはごく最近だというのに、頑張って礼儀作法を覚えたんだな。

 今も失礼が無いよう、細部に気を配りながら、守護術師としての体裁を保っている。

 俺の記憶では、シルフィはアリエルとルーク、二人ととても親しかった。

 友達のために、というやる気が、サングラスの下から感じ取れるような気がした。

 

 ブエナ村にいたとき、彼女は緑色の髪をしていた。

 今はもう見る影もない。

 それどころか、王族の守護術師として身だしなみを整える必要があるからか、髪の綺麗さは段違いだ。

 きっと触ればさらさらで、時折耳に手が触れたりすると、顔を赤くして注意されるんだろうな。

 でも、仕方ないな、と言いながら受け入れてくれるんだ。

 あの、守護術師フィッツの顔を、はにかませながら。

 

 サングラスをかけてても、やっぱりシルフィだと分かる。

 今になって思うと、どうして彼女だと気づかなかったのか不思議なくらいだ。

 だってそうじゃないか。

 目が隠れていたって、髪の色が違くたって、あの鼻の形や、唇を見れば、分かるに決まっているじゃないか。

 

 ああ。

 だってほら。

 こんなにもかわいいのだから。

 

「ぁ」

 

 だめだ。

 これは。

 

 泣く。

 

「……っ、ぉお」

 

 隣にいたトリスティーナが異変に気付く。

 それから、サウロスが気づき、シルフィがぎょっとした。

 ルークは眉をひそめ、アリエルは変わらず微笑を浮かべている。

 

「ぐ、ぉぉ、ぉおおおおおおおお……」

 

 生きている。

 彼女が生きている。

 腕がある。

 顔には傷一つない。

 石を投げられ、ずたぼろになんかなっていない。

 

 涙がこみあげてきて、止まらない。

 視界が歪んで、だれがどんな顔をしているのかもわからない。

 枯れていると思った涙が、ここにきてとめどなく押し寄せてくる。

 声を我慢しようにも、漏れ出てくる。

 俺はここにいる。

 俺はルーデウス・グレイラットなんだ。

 そう叫びたくなる。

 

「ルード、様?」

 

 トリスティーナが声をかけてくる。

 その声に、少し落ち着きを取り戻すが、それでも泣き止めない。

 

「…………失礼、します」

「っ!」

 

 そんな俺に、トリスティーナが近づいてくる。

 片手にはハンカチが握られていた。

 思わず避けた俺に、今度は足を踏み出して、ほとんど密着するぐらいに近づく。

 

(避けないでください)

 

 小声で囁かれる。

 

(だ、だが、お前は……男が)

(私はルード様がいないとまともにしゃべれない、という設定なのでしょう? こういう時に動かないと、信憑性が無くなりますから)

(……)

(早く泣き止んでください。私は悲劇のヒロインですのに、そんなに泣かれたら話のインパクトが削がれてしまいます)

 

 震える手で涙を拭われる。

 すぐに、情けなさだとか、恥ずかしさだとかが襲ってきて、涙が引っ込んでいく。

 アリエルの従者たちは”お前が泣くの?”みたいな顔をしていた。

 

「平気ですか?」

「……」

 

 アリエルに気を遣われてしまった。

 強がりなことを口にしてもあれなので、頷いておいた。

 


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