「ささ、守護殿。まずは
「ぬぅ… こ、これは
広く
もとより未だ信濃守護として地盤固まらぬ我等に出来る最上の戦略は打って出ること。
ここで諏訪に対して甘さや弱みを見せてはならん。
市河殿に視線で合図を送る。
そして毒を喰らわば、という心持ちで
──瞬間。
まるで世界が色付いたかのような錯覚に陥った。
カッと焼けるように強い酒精が喉を通り抜け、心地良い酩酊感が身体に迸る。
……驚いた。このような酒など飲んだことはない。
「これは… また、なんとも旨い酒ですな」
京の都で足利高氏… いや、今は帝より
かの御方より注いでいただいた酒も上物ではあったが、これほど深い味わいはなかった。
コレは一体…──
「フフフ、そうでしょうそうでしょう? 驚かれましたかな」
「あ、いや。その…」
「これは『
清酒、か。うぅむ、なんとも素晴らしい酒だ。
それからは頼重めの身振り手振り混じりの
なんでも諏訪湖の澄んだ水と明神たる彼の神力あってこその品だとか。
ならば守護の力で無理やり奪い取るというのも悪手になるか?
本来こんな
この宴席限りの物となるのが残念な限り。
つい惜しむかのように、無言のままちびちびと飲み続けてしまう。
「この清酒、この場限りというのも守護殿に対して余りに敬意が足らぬことでしょう」
「……む?」
「樽で用意して御座いますので、どうかお持ち帰りの上で郎党の方々と飲み直して下され」
「なんと、
「……フフフ、無論ですとも。我等一同、守護殿とは今後も良き関係を築きたき故」
くっ、頼重め。底の知れぬ笑みを浮かべて此方を見詰めておるわ。
しかし思わず身を乗り出してしまうほどの衝撃であった。
武士であったならば、いや、人であったならばこれほどの酒に心動かされぬはずがない。
無論、未だ残る冷静な部分の儂はこの状況に妙な危機感を抱かぬわけではない。
とはいえ断定できるものでなく、表向き友好な諏訪の者共を弾劾するわけにもいかぬ。
(……ぬぅ、いかんな。流石に勇み足、準備不足であったか)
本来であれば諏訪の祭事に守護の立場で飛び入りして主導権を握るつもりであった。
民心の
あとは連中を煽りに煽って引けなくなるような状況を引き出し、交渉を優位に進める。
……そのつもりであったのだが。
祭事では
オマケにこの『清酒』の魔力に、連れてきた郎党たちもすっかり骨抜きにされたようじゃ。
順当に考えれば、信濃守護となった儂の庇護下に入るよう画策していると取るべきであろう。
我等がここを訪れたのは連中にとって渡りに船であったのだと、そう考えるべきであろう。
(しかし、そんなに『簡単』な相手か? ……この諏訪頼重が)
煮ても焼いても食えぬ狸の如き『
(それに、あの男…)
確か諏訪宗重といったか。
下座で存在感を消しながら、モソモソ肉と穀類ばかり摘んでいる巨躯の男を見遣る。
見た限り酒が進んでいる様子はない。下戸なのか?
すると儂の視線に気付いた宗重が、何を勘違いしたのか酒器を手に近寄ってきた。
「これは守護殿。どうかご一献」
「……うむ」
酒に罪はない。故に酒を出されては断れんわい。特にこの『清酒』ならば尚のことよ。
……たとえ、この『面白くない』男から注がれたものであろうともな。
グイッと一息で酒を呷る。
やはり旨い。
諏訪ご自慢の
だがきっと、冬の寒い日には暖めて飲んでみても旨いはずだ。
いや、いついかなる時であろうと我が郎党どもと語らいながら飲む清酒はきっと格別であろう。
今から楽しみである。
……いかんいかん。ともすれば緩みそうな頬を引き締め、眼前の男を
「ぷはぁ! ……おい、貴様。諏訪宗重め。先程はよくもやってくれたものよ」
儂は酒精に満ちた息を吐き出しながら男に絡みだす。
相手からすれば迷惑千万であろうが、信濃守護として断じて甘い顔を見せるわけにはいかぬ。
「は、はぁ… 先程、と申されますと…」
「
「は、ははは…」
儂の絡みに申し訳無さそうな苦笑いを浮かべつつも、反発する様子は見られない。
おかしい。
武士たるものが己が武芸の冴えにイチャモンを付けられて黙っていられるものだろうか?
挑発が挑発として機能していない。
これではまるで、身分の低さゆえに不遇をかこってきた者のようではないか。
(……いや、それはないか)
坂東ほどではないかも知れぬが、ここ信州とて尚武の気風が強く漂う土地柄なのだ。
あれほどの武芸の腕があれば武士として敬意を払われて然るべきであろう。
事実として、諏訪で名が知れ渡った三大将だったか? の一部も此奴に敬意を払っていた。
とはいえ、それで悪い気にもならないが。
(フン、いずれにせよ増上慢とはならずに多少の礼儀は弁えているということか)
儂の眼から見ても、その立ち居振る舞いには意外と
言うまでもなく、礼儀作法という面においては諏訪神党の中では頭一つ抜けているだろう。
多少見どころがあるのは認めんでもない。……
その強い気持ちに後押しされるかのように、儂はこの宗重なる男に因縁を付け始める。
「大体なんだ、個人の部三十二点とは! 満点で二十五点ではないのか!?」
矢は五本まで与えられて、馬手かつ対象の上半身に当てて
儂も本気ではなかったとは言え、二十四点の好成績を収めたはず。
にもかかわらず、二位であると告げられた。
当然一位だと思って諏訪の者共を煽ったのにとんだ赤っ恥であったわ!
あの、なんとも言えぬ同情に満ちた周囲の空気。
自業自得なれど今思い出しても身体が怒りと恥辱で震えてくるわ!
それでもまだ相手の点数が二十五点であるならば納得して引き下がったがな。
なんだ、三十二点って! 三十二点って!
おかしいであろう!?
諏訪大社の審査の者が申し訳無さそうな苦笑いを浮かべていたのが印象的であったわ!
「あ、あはは…」
「よもや不正をやっているだろうとは言うまいが、
もとより祭事のお遊びである。
本気になるのも馬鹿馬鹿しい
この男がよもや不正に手を染めたとは思わぬが、仔細を聞いても罰は当たらぬであろう。
「新しい弓を使えるのが嬉しくて… つい、複数の犬を纏めて吹き飛ばしてただけなので…」
そう言って、ゴトン! と頭おかしいほどの剛弓を目の前に差し出してきた。
何処に隠し持っていたのであろうか、それは弓というには長大過ぎた。
だが大きさもさることながら何よりも特筆すべきは…──
(まるで
暴威の化身たる存在を無理やりに弓に形取らせたかのような、一種の威厳とも取れる佇まい。
え? なに、この… なに?
「おまえ、この、おまえ…」
「は、ははは… その、諏訪の御神木を特別に賜り五人張りの弓に仕立てていただきました」
「おまえ、コレは
さしもの儂もそう告げるのが精一杯。間違いなく禁じ手である。大人げないにも程がある。
それはヤツめも重々承知しているようで、頭を掻きながら口を開いた。
「なので純粋な弓術で言えば
「……むぅ」
ほとほと畏まった様子で言葉を続けられれば、これ以上
新しい弓を手に入れちょうど祭事があった故に浮かれて使ってしまった、と。
確かにコレであったら犬の二匹や三匹、纏めて吹き飛ぶこと請け合いであろうな。
むしろ人間も吹き飛ぶわ。
儂が参加した時にやたら犬が少なく怯えていたのは此奴のせいであったのか。
なんか狩り場の地面にも幾つか陥没した穴を慌てて埋めたかのような跡が残っておったし。
……その状況での審査を迫られた審査員に、かえって同情してしまう。
儂の郎党どもがドン引きしておる。……言うまでもなく儂もドン引きするわ、こんなん。
(まったく… 蓋を開けてみればなんともしょうもない話であったわ)
もはや怒る気も消え失せた。というより馬鹿らしくなってしまったわ。
今回は儂の負けだが次はそうはいかない。それで良いではないか。
大人しく武人としての敗北を認めつつ、一抹の悔しさは酒とともに
……うん、旨い!
「ぷはぁ、旨い。しかし五人張りとは… お主、
酒を
……嫌味のつもりだったのだが。
「お気付きになられましたか! 然様、為朝公は某が最も尊敬する武人でしてな!」
え? そこで食い付くの?
到底人間とは考えられないような伝説を数多残された
僅かな手勢のみで暴れ回り、西国*3を実質支配下に置くほどの人外の活躍ぶりを見せ付けた。
それ故に
腕の腱を切られたはずなのに、何故か勝手に再生して以前より強化されたという逸話もある。
その強化された弓の力で軍船ごと数百名単位の武士を一射で海の藻屑にしたらしい。
そういった、ちょっと頭おかしい逸話が他にもてんこ盛りなのである。
が、属した勢力が敗れたこともあり奮戦虚しく敗者として歴史に刻まれた人間でもある。
人は怪物にはなれない。それを目指すのは愚かで虚しい行為である。
また、幾ら個人の武を極めようとも所詮は個人のもので集団の敗者となっては意味がない。
そういった意味を込めて忠告したつもりだったのだが。
(分かってないのだろうか? ……いや、分かった上でそれでも憧れているのだろうな)
ま、その気持ちは分からんでもない。
若かりし頃はこの儂とて「弓一本で何処までも」という気概がなかったわけではない。
そもそも弓を扱う者にとって、為朝公は神にも等しき武人であらせられる。
儂より若い武士が憧れることに苦言を呈するような老害にもなりたくはないわ。
「……フン、そんな簡単に為朝公になれれば誰も苦労はせんわ! 精々精進せい!」
そんな内心を覆い隠しついつい憎まれ口を叩いてしまうのだが。
「激励、感謝の極み! 険しいからこそ挑み甲斐のある道なれば!」
だというのに、この武士にまるで
「戯け、回る口のみで為朝公が増えるならば元寇の折に我が方が逆侵攻できておるわ!」
「なるほど、確かに! 為朝公が十人いれば先遣隊は弓打ちのみで殲滅できておりましたな!」
「ええい、物の例えじゃ! そも大言は言葉でなく実績で示せという意味であってだな…」
酒の力もあってか思わず語らい合いに没頭してしまう。
我が郎党どもも緊張を解し、それぞれ諏訪の者どもと話を始めているようじゃが。
全く嘆かわしい。
小笠原が誇る郎党が儂も含めてなんたる体たらくか。
絆されたわけではない。断じて絆されたわけでは無いが…
ともあれ、諏訪に対し従属に近い立場を求めることには成功したと見て間違いない。
……欲を言えば完全なる支配下に置きたかったが、それは求め過ぎというもの。
あまりに強権をふるって態度を硬質化させても、喜ばしくない事態を招きかねん。
なにせこの信州の勢力図は複雑怪奇に入り組んでおる。
まぁ、それらを上手く差配してこその信濃守護というものでもあるが。
「戯けが! 酒が旨いわ! もそっと持って来い! 何を笑っておられるか、頼重殿!」
「ははははは、これは失礼」
「ええい、貴殿も飲まれよ! 諏訪大明神と信濃守護の結束を世に知らしめるのだ!」
こうして我等はぐでんぐでんに酔わされ、肩を借りながらの見送りを受けて帰路についた。
是非に泊まっていけという誘いに関しては流石に固辞させて貰ったが。
決して暗殺を恐れたわけでは無いが。
……このままではあの『清酒』なしでは生きられん身体にされてしまいそうだった故な。
とはいえ難題ばかりと思っていた信濃の統治に光が指してきたのは大きな僥倖よ。
民衆の信仰を集める諏訪大社の名があらば大いに助けとなることは疑いようがない。
諏訪大社の名で小笠原が信濃守護であることは認める旨、改めて誓紙として差し出された。
これはそのまま小笠原による信濃統治の協力をすることをも意味する。
その条件として不当に彼等の土地を奪ったりせぬよう此方も一筆求められたが。
まったく、此方の困窮を見抜いた上で話で持ち掛けてくるとは中々の交渉上手ぶりよ。
とはいえそういった抜け目ない連中が味方となるのだ。むしろ心強いと評価すべきであろう。
……フン、であれば諏訪の者共に対する態度はもう少しばかり軟化してやっても良いか。
しかし、抜け目ないといえば瘴奸入道のヤツめ。最近儂の前に姿を見せんな。
乱の気配が薄くなったと見るや別の稼ぎどころに鞍替えをしたか? 分かり易いヤツじゃ。
まぁ、良い。そういう信用ならんところも込みで土地ではなく金で縛っておったのじゃ。
それに諏訪大社の威を借りることができるならば、其れはこの地で万の味方を得たに等しい。
今後の栄達を夢見ながら、儂は屋敷で高いびきをするのであった。
「おぉ、千鳥足ってああいうことを言うのだろうなぁ」
俺こと五大院宗繁は立ち去る小笠原党を見送り、そうつぶやいた。
大丈夫だよな、アレ。
帰り道にこけた拍子に石とかに頭ぶつけて死んで俺等による暗殺が疑われたりしないよな?
信じるぞ、おい。貞宗殿。ちゃんと自分や部下の面倒を見てくれよ。
「……で、言われたとおりにしてみたがこれで良かったのか?」
いつの間にか傍らに姿を現していた剃髪の男にそう声を掛けた。
小笠原貞宗の元家来という立場上、瘴奸には死んで貰わねばならなかったからだ。
彼は俺の言葉に一つ肯くと、顎を撫でながら重々しく語り始める。
「然様。もとより神仏に至らぬ未熟者なれど、我が策、
「その言葉、謙虚さと取るべきか己を神仏に比較する思い上がりと取るべきか迷うな…」
「フッ、そのいずれであっても構いますまい? 貴方様はきっとそうお考えになるはずですが」
「……む」
「殿にとってはこの策が足利に届き得る牙と為るか否かこそが肝要のはず。違いますかな?」
確かにそのとおりだ。俺が狙うは足利尊氏の首一つ。
加えるならば、それに邦時様と時行様が平和に暮らせる世の中。これに尽きる。
それ以外の全ては些事に過ぎない。
小笠原貞宗に頭を下げるのだってなんとも思わない。……結構話せる人だったしな。
個人的には嫌いな御仁ではない。多くの郎党に慕われるのも納得の人柄である。
幕臣の御方々よりはよほど付き合いやすいというものだ。
「フフフ… 我等を高く買ってくれたこの待遇、決して裏切りはしませぬよ。ご安心召され」
邪悪にほくそ笑む鍾馗の策、為るか為らざるか。
その行方は中空に浮かぶ月だけが知っているのかもしれない。
(……しかし、なんで鍾馗はここまで尽くしてくれるのだろうか?)
確かに生殺与奪の権利を奪った上で、家来になれと迫ったのは俺の方であるが。
もっとこう、ギスギスとまではいかないまでも当面義務的な付き合いに終止すると思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、積極的に献策してくれるわ俺の気持ちを鑑みて動いてくれるわ。
それがまたまるで先を見たかのようにピタリピタリと当てるのだ。
俺としては得難い軍師を迎えられてありがたいことこの上ない。
のだが、果たして鍾馗に俺である理由はあるのだろうかと少々不安になってしまうのだ。
そんなわけで、何故だろうと考えつつ勧誘した時のことを俺は思い起こすことにした。
諏訪大社の奥社殿。
板の間に引っ立てられた瘴奸と俺が、自然、向かい合う形となる。
縄目は外してやったが、当然武器のたぐいは回収している。
油断為らざる人物ではあるが此方が勧誘する立場である以上、最低限の礼は尽くさねばな。
そういった関係もあってこの場に臨席する人員は、勝手ながら絞らせていただいた。
殿や若様が立ち会うなど以っての外である。
ただ生贄… もとい立会人として恐縮ながら頼重様に臨席していただく形となったが。
危険な場所に引き摺り出される形になった頼重様は、すごくもの言いたげな表情をしていた。
しかしこの場で迂闊なことを口走る訳にはいかないので堪えて黙ってくれたようである。
……重ね重ね申し訳ない。
さて、俺は咳払いを一つして観念した様子で
「さて、瘴奸といったか。何故この場に呼び出されたか理解しているか?」
「……私めを処刑するためですかな」
「いや、違うけど」
全然違うが? なんでそんな勿体無いことしないといけないの?
殺すつもりだったらわざわざ捕らえるなんて面倒なことしないでその場で殺してましたが?
……えぇ、これ俺がおかしいのか?*4
どうするんだよ、この空気。
……仕方ない、何事もなかったかのように仕切り直すしかない。
「瘴奸、おまえには俺の家来になってもらいたい」
「……家来。私めを、でありますか」
「うむ、どうだろうか?」
俺の言葉に瘴奸は瞑目すると、ややあって目を開き顔を上げてから問いを投げかけてきた。
「幾つかお尋ねしたき儀が御座いまするが、よろしいでしょうか?」
「わかった、なんでも聞いてくれ」
「まず私めの名は御存知のようですが、貴方様のお名前は?」
「これは申し遅れた。拙者、
「……諏訪宗重様。何故真っ先に昏倒した私めにそのお話を?」
「
そう告げると瘴奸は舌打ちを一つ。続いて「腐乱め…」と小さくつぶやいた。
俺としては推薦をしてくれた腐乱に感謝しているが、何か行き違いでもあったのだろうか?
首を傾げつつも質問を促す。こういうのはトコトンまで話を詰めるべきだからな。
「他に何か質問はあるか?」
「我等の待遇についてお尋ねしても?」
「当然の疑問だ。……頼重様、例の物をお願いします」
頼重様に予め持ってきていただいていた懐紙。
そこには俺の身分・立場の保証に加え、幾つかの土地を預ける旨が書かれている。
それを受け取りつつ、俺は瘴奸に尋ねる。
「文字の読み書きは?」
「できまする」
「やはり拾い物だ。腐乱の言葉に嘘はなかったようだ」
笑みを浮かべて、それを瘴奸に向けて広げて見せた。
この時代、何故か武士の識字率は極めて低い。
源平合戦時代が終わってから優に百年以上も経過しているにもかかわらず、だ。
……やっぱりスムーズに文治政治に移行し識字率を向上させた徳川幕府って凄かったんだな。
閑話休題。
俺は一応の確認をする。
「なんて書いてあるか分かるか?」
「はっ。
「ん、充分だ」
キチンと読めているようだ。それだけ聞ければ問題ない。
俺は一つ肯くと、おもむろにその懐紙を中央から真っ二つに破り始める。
「な、なななな! 何をされるか宗繁殿! 今の待遇になにか不満でも!?」
慌てる頼重様と絶句する瘴奸。
その二人を尻目に、ビリビリとこの時代では高級な紙を引き裂いてゆく。
「いいや、不満などなにも御座いませぬ」
「言動が不一致では!?」
「事実です。むしろ未だ功を示せぬ某には過分なお引き立てとすら思うておりますれば」
「では何故に!?」
「……それは飽くまで某の話に過ぎない、というわけに御座いまする」
破り終える。
そして二つになった紙片のうち片方を瘴奸に向けて
「………?」
紙片を手にした瘴奸が怪訝な表情を浮かべている。
頭の回転が速いかと思えば妙なところで察しの悪いやつだな。
ため息を一つ吐いて、言葉を続ける。
「待遇について尋ねていたのはおまえであろうに。
「……は?」
「すまんが、俺の裁量で譲れるのは今はそれが精一杯なんだ。堪えてくれ」
「お、お待ちくだされ! 土地を、貴方様の得られた土地の半分を私めにお譲り下さると…」
「あぁ、本当ならば全部譲ってやりたいところだが頼重様に断りなくというのもな」
「当然で御座いまする! 宗繁殿、こういうことは前もって相談を願いたいものですな!」
怒られてしまった。激怒した頼重様に平謝りをする羽目になる。
やはり半分までにしておいて正解だったか。
だから仮に幾らごねられても、今はこれ以上の土地を渡す訳にはいかないのだ。
まぁ頼重様の目を盗んで実質的な土地の支配権をコイツに預けるのも良いかもしれないが。
それもこれも勧誘が成功して、ゆくゆくの話でしかない。
「も、申し訳ない。ですが、大事を為すためには何よりもまず人が必要でして…」
「しかしそれは宗繁殿のために用意した大事な土地です」
「はっ、おっしゃる通りにて」
「では私が聞きたいことも分かるでしょう。この男にそれだけの価値があるのですかな?」
ごもっともな頼重様の問い掛け。
俺だって慈善家ではない。
土地に強い執着もないが与えられたそれをなんの理由もなく投げ捨てるほど酔狂でもない。
だからこそ、俺は胸を張って答える。
この男の価値?
「あります」
……そんなもの、あるに決まってる。
言葉を失う二人をよそに、俺は何故そう考えたかを拙いながら言葉にして伝え始める。
諏訪大社の祭事に備えた慌ただしい動き。それを狙いすました小笠原貞宗の
その間隙を縫ってこの男は動いてみせたのだ。それも見事に部下を統率してである。
俺たちがこれを迎撃し、犠牲なく防げたのは運が良かったところが大きい。
一つ違えば・僅かでも遅ければ、諏訪は打撃を受け近隣の村々が犠牲になった可能性は高い。
そしてこの男の配下らへの聞き取り調査によってその動きが偶然でないことも掴めている。
確かな戦略眼を以って動いたのは他でもないこの男・瘴奸であった。
「だからこそ、一個の武士としてこの男が欲しいのです。その配下も含めて」
「………」
「それらを得るためとあらば、この俺の所領など少しも惜しくはない!」
だって優秀な軍師欲しいじゃん。文字の読み書きできるだけでこの時代、貴重ぞ?
オマケに軍まで動かせるのだ。便利過ぎる。
多少性格に難があっても喉から手が出るほど欲しい。俺はそんなに頭良くないからだ。
加えてコイツが小笠原方であったというのも極めて大きい。
ヘッドハンティングの成功は即ち潜在的敵の弱体化を意味する。やらない手はない。
と、そんなことを考えながら力説しているとここで瘴奸に異変が起きた。
「う、うぅ…」
うおっ!? な、泣いてる… なんでだ?
救いを求めるように視線を彷徨わせる。
視線の先の頼重様は眉間を揉み解しながら盛大にため息を吐き、言葉を続けられた。
「はぁ… 仕方ありませんな。宗繁殿、此度は認めますが次からは是非相談を」
「あ、はい。それはそれとして頼重様、この男が唐突に泣き出して…」
「あぁ、忙しい忙しい。私はこれにて。……人を口説かれるのも程々になされませよ?」
意味の分からない捨て台詞を残されて頼重様がそそくさと立ち去る。薄情では?
取り残された俺は、仕方なしにおっさん相手に四苦八苦の慰め文句を披露するのであった。
その翌日、妙にスッキリとした表情の瘴奸は改めて俺の家来になることを受け入れてくれた。
「私めはこれから
「なるほど、確かに。では征蟻党の名も変えておくか?」
「然様で御座いますな。叶いますれば我が殿になにか良き名を付けていただきたいのですが」
「ふむ、俺なんかの名付けで構わないのだろうか」
「是非に。部下の者共も、力を示された貴方様の発案となれば否やはありませぬでしょう」
少し考えて、俺は『忠義党』という名を提案してみた。
俺自身何処まで忠義を貫けるかは分からないが、常にそう在りたいと願っている。
ならば今後我が半身となるだろう郎党たちにその名を預け、
その旨を伝えると、何故か鍾馗は嬉しそうに破顔してこう述べた。
「良き名かと。ではこれより我等忠義党は鉄の忠義を以って殿にお仕え申し上げまする」
それからは俺を殿と立ててくれ、元・征蟻党の一同に鉄の規律を行き渡らせたのである。
そして何くれとなく策を立ててくれて今に至る。
今日の小笠原貞宗とその郎党に対するムーブも鍾馗が企画・立案してくれたものだった。
俺は再び思い出す。
征蟻党あらため忠義党となった一同の幹部格を交えた作戦会議でのことだ。
「小笠原貞宗は果断で機知に富み、それを後押しするだけの武威を有しておりまする」
「ふむ、なるほど」
「しかし故に自らの判断を絶対と考え、他者との折り合いに無頓着な面も持ち合わせます」
「それは短所なのだろうか?」
「長所でもあるでしょう。その独断故に短期間で小笠原をここまで押し上げられたので」
確かに初対面での印象もそんな感じであった。
弱者は躊躇いなく踏み潰そうとするが、思わぬ強者が出た場合は仕切り直す冷静さもある。
万事誰かと
……難敵だ。
「彼の弱味とは、その立場にあります」
「立場? 尊氏めに付いたことで守護職を賜り、その勢い日の出の如くと認識しているが」
「然様。しかし単独での突出した急成長は周囲との軋轢と地盤の弱さをも招きます」
なるほど、いつぞやの俺のようなものか。
妹の伝手で出世した男、執権家の威光を笠にきた七光りとえらい妬まれたものである。
そう考えると小笠原貞宗に思わず同情しそうになってしまう。
「いつの時代も突出した栄光は妬まれるものです」
「……そうだな」
「加えて、彼の出世にはその経緯に大きな問題があるのです」
「出世の経緯、というと… 足利に付いたことか?」
「えぇ。より正確には帝を立てる足利方に付いた、ということになりましょうか」
ッ!
……なるほど、そういうことか。
「小笠原貞宗は遠からず公家と武家の板挟みになる、ということだな?」
俺が尋ねれば、鍾馗そして腐乱が我が意を得たりとばかりにニヤリとほくそ笑んだ。
「ご賢察に御座いまする。彼の御仁は帝の遣わされた国司に逆らえますまい」
しかし、国司が大きな顔をして統治を差配するようになっては周辺関係の悪化は必至。
国司が大人しくしてくれていれば良いが… いや、残念ながらそれはないだろうな。
むしろ天皇の支配体制を確立するため、張り切って締め付けようとしてくるに違いない。
「となると… 荒れるな」
「えぇ、それもこの信州だけではなく日ノ本全ての地でもう一波乱がありましょう」
なるほど、南北朝時代の到来にはそういう無数の火種による下地もあったわけか。
勉強になる。……というより鍾馗が賢すぎてもう手放せる気がしない。
「なるほど。では小笠原と相対するのはその機運が充分に高まってから、と?」
「いいえ」
俺の問い掛けに、鍾馗はゆっくりと首を左右に振った。
……一体どういうことだ?
怪訝な表情を浮かべる俺の様子に、底知れぬ叡智を
「我等はそこで敢えて小笠原に付くべき、そう愚考致します所存」
「な…ッ!?」
思わず絶句する。
「現状の小笠原貞宗は、決して表面には出しますまいが窮地に陥っておりまする」
「む… どういうことだ?」
「急激に成長した立場。周囲にあるかつての同輩は決して面白くないことでしょう」
うん。それは先程の説明にもあったとおりだ。
「加えて、本来飾りになるはずの国司が絶対権力者として君臨するのです」
「小笠原貞宗の立場からすれば邪魔なことこの上ないであろうがな」
「然様、ですが邪険にはできませぬ。何故ならばそれこそが
なるほど、なるほど。
ここまでの鍾馗の解説から導き出される答えは…
「小笠原貞宗には味方が少ない」
「はい」
「だからこそ他でもない今こそが絶大な恩の売り時になる、というわけか?」
俺のその言葉に鍾馗は満面の笑みを浮かべ「然様で御座います」と返答した。
しかしそれで終わりではない。鍾馗は言葉を続ける。
「更に一手加えましょう。彼等の盟友となり、信濃統治の中枢に食い込むのです」
「……なんと」
「周囲が厳しい対応を取る中で我等は苦難を共にし、徹底的に彼等を甘やかしましょう」
「………」
「現場を知らぬ国司よりも、冷たい周辺各国よりも、誰よりも頼りになる盟友」
それこそが我等、というわけか。
しかし懸念が一つある。
「なるほど、確かに悪くない絵図だ」
「有り難きお言葉にて」
「だが、そこまでやってそれでも小笠原が
辺りに沈黙の帳が落ちる。
鍾馗は少し困ったような表情で首を傾げている。
俺は重ねて視線で言葉を促す。
観念したのか、鍾馗は少し息を吐いて呼吸を整えると口を開いた。
「……殿、それの何が問題になりましょうや?」
「なんだと?」
「我等は信濃守護に尽力しつつも、周辺各国との和合を図ります。……飽くまで善意で」
「………」
「それに応えず飽くまで国司に与するような守護など、討ち滅ぼすが世のためでは?」
俺は今度こそ完全に絶句してしまう。
コイツはこう言っているのだ。『どう転んでも構わないのだ』と。
小笠原を骨の髄までしゃぶり尽くして利用し尽くすのは決定事項であると。
いつの間にか足利を裏切らされて味方として利用されるか、周辺連合軍により滅ぼされるか。
問答無用の地獄か、少しだけマシな地獄かは選ばせてやると。
国司を滅ぼすのは決定事項。国司を悪者にして乱を煽るのも決定事項。
さぁ、小笠原。おまえはどうする? と、そういう策なのだろう。
「裏切り、というのであれば足利や小笠原が先で御座いましょう」
「………」
「再び同じような大乱が起きた時、逆の立場に
なんなんだ、コイツは。
一つ一つの策は当たっても外れても良いように設計しながら、動けば動くほど絡め取られる。
さながら蜘蛛の糸のように。
そして何よりも恐ろしいのは…
(コイツ、後醍醐天皇と足利尊氏が拗れて南北朝の大乱が始まることを確信してやがる…!)
なんでこんな信州の片田舎に、ここまで政局を見通す慧眼の持ち主が転がってるんだ。
京の中枢あたりから流れてきたんじゃなかろうな?
そこに、押し黙ってしまった俺の機嫌を伺うかのような声音で鍾馗が再び言葉を紡いできた。
「……気に入りませんでしたかな? 私めの考えは」
答えなんて決まっている。
若様が正道を歩まれるのであれば、我等は『悪』となってでもその道を支えるのみ。
「いいや、最高だ」
俺も目一杯に悪辣な笑みを浮かべて、鍾馗の献策に応えるのであった。
「しかし、おまえらの頭目はえげつない手を考えるものだ。なぁ?」
俺の言葉に腐乱や死蝋、白骨らは揃って苦笑いを浮かべる。
苦笑いを浮かべつつも何処か誇らしげな様子が伝わってくるのだが。
……まったく、良い感じに頭目をやれているようじゃないか。
「例え策が為らずとも、二手三手と備えておいて状況を誘導するか。まさに軍師だな」
「慢心するのはもう懲り懲りにて。非才の身では一つずつ積み重ねるしかありませぬ故」
「謙遜か? だがしかし鍾馗の言や良し! 早速行動することにしようではないか!」
時間は限られている。動きは早ければ早いほど良い。
「よし、今から軍議に向かうぞ。鍾馗、ともを頼む!」
「……お待ちくだされ、私の如き外様の新参者がそのような御偉い方々の席に参加しては」
「俺がおまえの考えをおまえ以上に語れると思うか? これはおまえの策だぞ!」
そもそも俺だって外様の新参者だし、一御内人に過ぎない立場だったのだ。
頼重様の御厚意でそれなりの立場に就かせてもらっているが柄ではないのは自覚している。
というか伝言ゲームをして致命的な失敗なんかやらかしてみろ。
どうやってリカバリーしろと言うのだ。俺たちには後が無いのだぞ?
なにより俺の献策でもないのに俺が伝えて実力以上に俺の知恵が期待されても困る。
「俺の責任で出るのだ。誰にも文句は言わせん。思う存分貴様の有能さを見せ付けろ!」
「し、しかし… この策を殿の立案として持ち込めば、殿のお立場もより強く…」
「あぁ、あとその席で俺の本当の主君にも紹介をするからな? もう逃げられんぞ?」
あれこれ愚図る鍾馗を引っ立て、呆然と見送る忠義党の面々に会釈をしてその場を立ち去る。
そうして会議の場での鍾馗のプレゼンは俺と邦時様のフォローもあり見事に大成功。
彼の献策は大いに受け入れられ、改めて諏訪の仲間として認められたのであった。
(……うーん、やっぱりなんで忠誠を尽くしてくれるのか分からんな)
なんだか俺はようやく登場してくれた軍師キャラにひたすら浮かれてただけのような。
なんだったら仕事を振りまくるパワハラ上司の
あれこれと思い出してみたものの、どうにも無駄な時間だったような気がしてならない。
いっそ演技であると確信できれば一周回って安心できるのだが。
いや、今更鍾馗を手放せないからどうあっても使うしかないんだが。
まぁ、いいか。今後も俺の出来る裁量内でドシドシと鍾馗らに加増していこう。
民衆も頭の良い優秀な統治者に治めてもらった方が、ずっと幸せになれるだろうしな。
『逃げ上手の若君』単行本リスペクト
本作における五大院宗繁伯父上のガチャ風ステータス()
| 五大院 宗繁 ☆☆☆☆SSR | |||
|---|---|---|---|
| 能力 | 南北朝適正 | ||
| 武力 92 | 蛮性 76 | ||
| 知力 37 | 忠義 99 | ||
| 政治 24 | 混沌 39 | ||
| 統率 72 | 革新 90 | ||
| 魅力 32 | 逃隠 88 | ||
| 技能 忠勇無双…主君を守る戦で武力と統率に補正 未来知識…幸運判定に成功すれば能力に補正 | 備考 甥っ子が可愛くて仕方ない 足利尊氏をブチ転がしたい | ||