年が明けて。
今、俺たちは保科党の領地より
ここは世に言う川中島の地。当然、未来を識る俺にとっては印象深い場所だ。
これから二百数十年後の戦国時代に武田と上杉が五回ばかり殴り合う地でもあるのだから。
「敵は五百少々といったところか。貞宗殿はだいぶ本腰を入れられたようだ」
霧の向こうに目を凝らしながら、俺は感嘆の吐息を漏らす。
総勢五百の郎党は数あれど、実際の戦に五百を動員できる領主はそう多くはない。
糧食の手配や行軍ルートの策定。それに相応しい指揮官の選定など懸案事項は多岐に亘る。
それら全てを滞りなく差配できて初めて五百の動員、という難行が為るのだ。
眼前の光景こそ小笠原貞宗の器量であり、侮るべからざる存在であることの証左と言えよう。
対して俺が率いるのは忠義党が『十数名』ほど。
仮に保科党の全てを頭数に加えられたとしても二百に届くかどうかという小勢である。
普通に考えれば絶望的とも言える数の差なのだが…
「殿、配置が整いました」
其処に、此度の戦において俺の副将を務めてくれる
「御苦労、後は各々手筈通りに。時が来るまで身体を休めていてくれ、気は抜かずにな」
「はっ!」
俺の言葉に従い、テキパキと忠義党の者共にも下知を伝えていく死蝋。
その頼もしい姿を横目に、俺は誰にも悟られぬように小さくため息を零すのであった。
「……まったく、貞宗殿にも困ったものだ」
そもそもこの戦のきっかけは、国司殿の横暴を抑えられなかった小笠原貞宗に起因する。
確かに「いざ、建武の新政!」と意気込んでやってきた貴族が張り切るのは分かる。
しかし、我々は既に服従の意を示しているのだ。
書面に記し神(まぁ諏訪明神という自社ブランドであるが)の名のもとに承認も受けている。
多少の無理を押して少ないなりに貢ぎ物も行っていた。
なのに、朝廷の示威行為のためだけにあからさまな苛政を敷かれても困るのだ。
本来年貢に含まれないはずの雑穀まで奪っていき、挙げ句逆らうと見せしめに痛め付ける。
これでは此方が何かをするまでもなく信濃での後醍醐天皇の評判はダダ下がりである。
実は巧妙に建武の新政を失敗させようとする策略なのかと思ったが素でやってるらしい。
どうなってるんだ京都。マジで人材不足が過ぎるぞ。少しは鍾馗を見習って欲しい。
事を荒立てたくないから服従を誓って、信濃守護の庇護下に置いてもらったのだ。
絵図を描く鍾馗の考えは別のところにあるようだが、少なくとも表向きはそうなっている。
なのに守護は此方の庇護を行うどころか、国司の暴走を抑えられないでいる。
話が違うではないかと詰め寄ることとなるのも当然の帰結であった。
明神たる諏訪家を筆頭に、信濃の各豪族が連名の上で文にて毎日のように抗議を行っている。
……ちなみに届け人は常に俺である。俺一人である。
仮想敵地だから仕方ないとは言え、ほぼ鉄砲玉みたいな扱いにたまに悲しくなる。
昼夜問わず小笠原屋敷まで文を届けに行くせいでもはや真夜中だろうと道に迷うことはない。
しまいには貞宗殿の奥方や嫡子にまで顔を覚えられる始末だ。
「……守護殿、困りますよ。本当に」
「む、むぅ…
「御無礼ながら
「ぐぬっ!」
「諏訪党は守護殿を主と認め、この地の統治に協力する姿勢を示しておりまする」
「う、うむ…」
「各地の勢力も諏訪明神への信仰を軸に纏め上げ守護殿に従うよう申し付けております」
貞宗殿は言葉を失い、黙り込んでしまう。
つらい気持ちは分かる。
本来出世頭として尊敬を集めるはずの男が味方の蛮行によって面目を潰されているのだ。
肩を落として泣き崩れたとしても誰も責められはしないであろう。
俺も慣れない政治の場に引っ張り出されて胃に負担が溜まっている。
ぶっちゃけ内心ではかなり彼にシンパシーを覚えている。
されども仮にも外交の場である以上は甘い顔は見せられない。
というか建前は置いておいて、マジであの国司をなんとかして欲しいのだ。切実に。
「主家として小笠原守護家を担ぐ気持ちは変わらず。進物もこれまで通りに」
「た、助かる…」
「なればこそ、主家の主家たる規範を貞宗殿には示していただきたい」
そう言って深々と頭を下げる。
無論、心の底から小笠原の家来になったつもりはない。
飽くまで俺の主君は
確かに小笠原貞宗に対してある種の敬意と連帯感はある。あるが、ただそれだけ。
いずれ足利を打倒する折に利用する駒に過ぎない。面従腹背というやつである。
しかし如何に腹背とはいえ、面従する以上はある程度は真剣に尽くさねば疑われる。
だからこそ、諏訪明神に敬意を払う小規模勢力を小笠原の統治に協力させているのだ。
だというのに、国司が示威行為に夢中でソレを根底から台無しにしていくのだ。
これでは俺たちが蠢動せずとも、いずれ小笠原は求心力を失っていたことだろう。
だが今は時期が早い。仮に今、乱を起こしたとしても
それでは意味がないのだ。
ただの小火では史実の
……足利尊氏の首を
(まさか国司の統治力が低過ぎることに、こんな落とし穴があろうとはな…)
小笠原ならずとも頭を抱えたくなろうというものだ。
ましてや現在進行形で暴政に曝されている農民たちにとっては笑い事では済まされない。
というかこっちは受け入れると言ってるんだから大人しく普通に統治して欲しい。
なんでいちいち殴りつけようとしてくるのか。
この時代の武士の沸点の低さを知らんのだろうか。
「守護殿、我等には国司様を排除しようなどというだいそれた考えは毛頭ありませぬ」
「そ、それは良く分かっておるが…」
「ですが現実に則さぬ押し付けを行っても、却って御上の権威を損なう結果となりましょう」
「うむ… それは、その通りじゃ」
「今暫くは地方を宥め暴発を抑えましょう。守護殿は国司様に御理解を賜れますよう何卒」
互いに
「……相分かった。
その言葉を受けて、俺は漸く頭を上げてその場を辞するのであった。
それから暫くは平穏な日々が続いたが、ある日…
国司がとある村落の視察中に、強引な取り立てを強行して村人たちと諍いとなった。
家来に命じて村人を斬り捨てようとするも、付き従っていた小笠原貞宗殿がコレを一喝。
その場は引き下がったものの、貞宗殿が帰還した後に国司は改めて村人の処刑を指示する。
その結果三名の村人が犠牲となり、また村落の作物尽くが強奪される運びとなった。
当然、その地一帯を治める保科党は激怒した。直ちに郎党を招集して戦の構えを取る。
経緯や内実がどうであれ、この一連の動きは国司に対する立派な叛逆である。
信濃守護として、国司の臣として小笠原貞宗殿がこの動きを捨て置けるはずもなかった。
だからといって頼重様ではなく俺宛てに『すまない』と文を送られても困るのだが。
……いや、頼重様に送る時点で表沙汰になるから下手に送れないことは理解できるけどさ。
謝るってことは国司の失態を認めることに繋がるわけだから色々と角が立つだろうし。
せめてもの不服の証として、今回は本人が出ることなく代理の者に差配を任せるとのことだ。
私的な文を装い謝意を示すのが彼に出来る精一杯だったのだろう。その苦労が偲ばれる。
(……守護も中々にままならないものなのだな。やはり出世はするものではないな、うん!)
そんなことを考えつつ、忠義党に戦の準備をさせていた俺は頼重様の要請に即応。
時行様の家来として、忠義党三十名を率いて保科党の領地へと出立する運びとなった。
すまない、貞宗殿。
絶対に国司を抑えられないだろうと踏んでいて準備を進めていてすまない、貞宗殿。
こうして俺は十文字槍と為朝公に
表向きは保科殿への援軍のため。
内実としては『いずれ来たる時』に備え、若様に戦の空気を感じさせるため。
実際の戦は我等忠義党が担当し、若様の護衛は逃若党なる若様の郎党が行うこととなる。
であれば、俺は俺の働きをするまでだ。
我が主君たる邦時様は、頼重様とともに諏訪の守りとして残っていただくことと相成った。
この混乱に乗じて勢力を延ばさんとする不届き者がいるやも知れぬ故、油断はできない。
しかし…──
意気揚々と保科党の本陣に推参した俺たちは戦の前に思わぬ強敵と対峙することとなった。
「では死ぬぞ、各々方ッ!」
それは、武士という人種がしばしば魅入られる『甘美なる死への誘惑』であった。
果たして冷静な者はどれだけいるのだろうか。
仮に少なからずいたとしても、この状況を容易に止められるとは思えないが。
戦の前につまらないものを見た気分となってしまい、俺は人知れず小さなため息を吐く。
鎌倉にいた頃からああいう存在は山ほど目にしてきた。
鎌倉幕府、などと呼ばれているがその治世は決して平坦で安穏としたものではない。
後醍醐天皇を筆頭に、そこかしこで戦の火種に事欠かない有様ですらあった。
戦こそが武士の晴れ舞台。
俺も武士の端くれとしてそれを否定することはできないであろう。
しかし、それを拗らせてエスカレートした先に破滅的な思想が
即ち、『如何に美しく死ぬか』という思想である。
武士という死と隣合わせの生き様の中で、逃れ得ぬ其れと向き合った末に得られた天啓か。
或いは、勇敢足らんとした者が苦心の末に編み出した一種の逃避なのか。
(悲しい
時行様が言葉を尽くし、生きて機を見ることを伝えようとしても彼等は耳を傾けない。
最初からそのつもりがないのだから当然である。
何故なら、華々しく散ることで逃避しようとしているからだ。
責任から、先に続く辛く苦しい現実から。あるいは単なる
俺は可愛い甥っ子が呆然と立ち尽くすさまを見ていられなくなり、近寄って声を掛けた。
「若様、此処に死人はいても武士はいなかった。それだけのことで御座いましょう」
「伯父上…?」
「我等は頼重様より国司の暴政を糺すため・犠牲となった民草の仇討ちのために挙兵した保科殿の助力をして参れとのご下命を受け、こうして此の地に加勢として馳せ参じました」
「……うん、そのとおりだ」
「されど、此処に在るはただ自己満足の死を求める醜き死者の群れ。義もなくば仁もない畜生同然。御身の言葉を掛けるには到底値しないつまらぬ者共。時間の無駄です」
「うん、あのね、私にもそういう気持ちはないとは言わないが伯父上ちょっと言い過ぎじゃ…」
「ははは! 何を仰せで御座いますか、若様! 拙者、まだまだ言い足りぬくらいですぞ!」
いつしか静まり返っていた場に、俺の
顔を真っ赤にした保科党の大将・保科弥三郎が震える声で言葉を紡いできた。
「……貴様、いきなり横から割り込んできて大上段から好き放題言ってくれるではないか」
「ほう、耳までは死んでなかったか。若様のお言葉を聞き流した無礼をどう釈明する?」
「この期に及んでまだ
「俺の言葉を
「なんだと! 小さいものか! 我等の
「全てだ! 貴殿らが此処で無駄死にした結果、何が残る! 保科党が叛乱したという結果のみであろう!? ならばその
「……ッ!?」
死んだ者はそれで満足だろう。極論、勝手に死んでしまえばいい。
けれど残された者たちはどうすればいい?
死すべき時に死ねなかった武士がその後の艱難辛苦を背負ってしまうのはまだ分かる。
しかし、選ぶことすら出来なかった女子供にまでその負債を背負わせるというのか。
それは断じて武士の所業ではない。家族や民あってこその誇りであろうに。
頭は若干冷えてきたが、それでも舌鋒は止まらない。止まれない。
貞宗殿と頭と胃を痛めながらなんとか調整していたところを、その根底から覆されたのだ。
無論、一番悪いのは国司で間違いはないが。
こいつらもこいつらでなに死ぬことが主題になってやがるんだ。無責任極まりないだろ。
俺は大きく息を吸ってから喝破する。
「ならば護るべき存在を忘れた保科党は武士に
俺の怒号に、保科弥三郎を始めとして居並ぶ面々の顔が蒼白に染まる。
……表情に変化がないのは外様として末席にある四宮殿くらいか、嘆かわしい。
「……だから言い過ぎだ、伯父上」
申し訳無さそうな表情で時行様が、そう、小さく呟かれた。
確かに言い過ぎたかもしれない。
しかし、謝るつもりも訂正するつもりもない。
大切な郎党を自殺願望者の群れに引き渡すような真似は俺には出来ないのだから。
「貴様ぁ…ッ!」
郎党の一人が刀を抜こうとした所を、弥三郎殿が片手を上げて止める。
そして幾分か落ち着きを取り戻した表情で若様に語りかけた。
「……使者殿」
「あ、はい」
「先程は頭に血が上っており、御身の口上をまともに取り合わず大変御無礼
「い、いえ! こちらこそ家来がみなさんに無礼なんて言葉が生ぬるいほどの失言を…」
「ははは! 其れは確かに! いや、実に耳に
一転して場は和やかな雰囲気となる。
「のぉ、御家来殿? 拙者は保科弥三郎と申す。是非御高名を拝聴したいものですなぁ?」
……当然、その和やかさは俺を除いての話となる。
やらかしてしまった以上、周囲から突き刺さるその殺気は甘んじて受け止めるしかない。
最早無礼は許されない。居住まいを正し、俺は平伏して礼とする。
「はっ、拙者は諏訪宗重と申します。どうか保科殿にはよろしくお見知りおきの程を」
「諏訪の御一門でいらっしゃるか。さて、貴殿には一つ御指南賜りたき儀があるのですが」
「……
この圧力、鎌倉幕府があった頃を思い出す。
一人で敵陣に突っ込めとか言われるのだろうか。やるけど。
「諏訪宗重殿。貴殿は先程、窮地における我等保科党の決死の覚悟を無駄と笑われた」
「……はっ。御無礼の段、申し開きの仕様も御座いませぬ」
「怒りがない、と申せば嘘となる。……しかし、今は其れは呑み込もう」
「………」
「話は他でもない。貴殿はこの戦をどう見る? 貴殿が保科の立場であったらどう戦われる?」
俺が、保科党の立場だったらどうするか?
護るべき存在を遊びのように殺され、嘲弄された。
そして元凶は今もなお、のうのうと生き続けている。
そんな立場だったならどうするのか、だと?
……言うまでもない。
「……
ヒュッ! と、息を呑み込む音が聞こえた。
……恐らくは若様であろう。
「……底知れぬ痛みを。……無限の悔恨を。……血を以って血に
「貴殿、いや、宗重殿…」
「殺して、殺して、殺し尽くす。悲願為すまで泥を
足利尊氏を、俺は、決して許さない。
何があろうと、俺はヤツを…──
と、其処まで考えてふと痛いほどに場が静まり返っていることに気付いた。
しまった!
もう無礼は許されないと気を引き締めていたはずなのにまたやってしまった!
「こ、これは重ねて御無礼を! この不始末の詫びは如何様にでも…」
「良い! 確かに求めていた答えとは違うが、宗重殿の意気込みのほどは良く伝わってきた」
「……そう仰っていただけますと」
「堅苦しい! そして水臭い! 同じ思いを
「ど、同志…?」
「うむ! 国司が許せぬという思いは同じ! なれば
「……あっ」
そういえばそういう話であったか。
国司のことなどすっかり忘れていたせいか、一瞬何の話をされているのか分からなかった。
感動の涙を
感情の起伏が激しいものの、それだけ情に厚く周囲への思いやりに溢れた御仁なのであろう。
……いやいや、流されてはいけない。
高評価を受けるのは嬉しいが勘違いからだと申し訳ない。
「いや、その、申し訳ない。拙者は国司のことではなく…」
「みなまで語るな、宗重殿! 語らいは全て戦の後に取っておきましょうぞ!」
「……は、はぁ」
「使者殿! 良い家来を持たれましたな! 拙者は目が覚めたような心持ちですぞ!」
「えへへ、そうですか? 実は自慢の伯父上でして」
「若様、ここは某を叱り飛ばし沙汰を申し渡すべき場面ですぞ…」
「そうと決まれば我等の受けた屈辱、何倍にもして返してやりませんとな」
弥三郎殿を始めとする保科党の御歴々が、邪悪な笑顔とともに闘志を全開にする。
困ったことになった。言葉の選択を誤ってしまったような気がしてならない。
……とはいえ、迂闊な死を選ぶ生き様が修正されたことは良しとすべきところだろうか?
今は時間が惜しいのも事実。
戦の後にでも誠心誠意謝り倒そう。
その上で殴られるならば甘んじて受けるしかないか。
そう思考を切り替えた俺は、鍾馗と打ち合わせをした後に己の配置場所へと向かい…
そして、今に至るというわけだ。
鍾馗の指示のもとに陣取った場所は、急坂と川岸に挟まれた隘路。
視界は悪いが保科党本陣までの直線距離は短く、勢いに乗られれば強行される危険性もある。
俺たち忠義党はここの抑えを任された、というわけだ。
死蝋に指示を出して程無く、川方面から大きな鬨の声が響いてくる。
「……始まったか。各自、持ち場についてその時に備えよ」
やがて、不規則な音が近付いてくる。
眼下に広がる光景を見下ろせば『予想通り』、浅瀬を渡河した一団の姿が見えた。
「隊列が伸び切っている… カモだな。……構え」
一拍置いて、声を張り上げる。
「斉射ッ!」
クロスボウより放たれた矢の雨が侵入者どもに次々と突き刺さる。
辺りは悲鳴や怒号が飛び交う地獄絵図と早変わりと相成った。
「よし、突撃だ! 続け!」
俺は馬上より槍を構え、急坂より逆落としに襲い掛かる。
忠義党の面々も死蝋共々その号令に従う。
俺たちは一つの鋒矢となって算を乱している敵の群れへと食らい付く。
効果は
ある者はそのまま喉を貫かれ、ある者は馬に踏み潰され、ある者は川に叩き落された。
相手側の士気は壊滅状態である。
だが、まだ終わりではない。
作戦開始前に鍾馗と交わした打ち合わせを思い出す。
『良いですか、殿。この順路を向かってくるということは敵には前線指揮官がいるはず』
『あぁ、そうなるな』
『殿にはお手数をお掛けしますが、其の者を討ち取っていただきたい。その後は私めが…』
前線指揮官を討ち取る。
……この俺に出来るだろうか?
いや、やらねばなるまい。
流石に足利ほどではないにせよ、小笠原家の郎党も中々の粒揃い。
何度も屋敷を行き来してその質の高さは肌で感じ取っている。
無論、俺とて邦時様の第一の家臣。
こと戦に及んで負けるつもりは毛頭ないが、決して油断できる相手ではないだろう。
「オラァ! テメェ、よくも俺様の別働隊をグアッ!?」
馬上で偉そうに喋ってるから前線指揮官かなと思って攻撃してみたところ。
なんとたった一撃で首が飛んでいってしまった。
軽い地響きを残して巨体が倒れれば、後には立派な馬体の馬が一頭残るのみ。
「駿馬である。どなたか乗られ候へ」
「しからば有り難く」
言うが早いか、一人の少年が素早く駿馬に跨がり己のものとした。
……忠義党の一員ではない。
年の頃は若様と同じ程度かやや上くらいであろうか。
しかし、才知を感じさせる強い瞳と一見して分かる武術に慣れた気配が伝わってくる。
俺は馬首を返して彼に声を掛ける
「見事な手綱捌き、如才なきことよ。拙者は諏訪宗重。……童、君の名前は?」
「吹雪と申します。手柄を立て
「ほう」
「諏訪宗重様には是非、私の主君となるに相応しい方をご紹介いただければと存じます」
「フ、相分かった。この戦で君が手柄を立てられれば必ず引き立てると約束しよう」
自分は主君を選ぶ側にあると物怖じもせずに言ってのけるか。
将来が楽しみになる少年だ。
才知は充分。あとは彼を信用できるかだが… それはこの戦場で見極めるとしよう。
……恐らくは、彼がこの俺を見定めようとしているのと同様にな。
「そんな、米丸様が一撃で…」
「ば、バケモノだ…」
「殿! 先程のアイツは…」
駆け付けてきた死蝋の言葉を片手を上げて、制して俺は一つ頷いた。
「分かっている。……アイツは前線指揮官ではなかった」
「……はい?」
見た目に完全に騙された。
まるで前線指揮官みたいな顔をしてたんで槍を振るってみたが牽制の一撃で死んだのだ。
初対面の頃の酔っていた師泰よりも遥かに弱かった。アレはない。
恐らくはそこらの農村からちょっとした力自慢かなにかを連れてきただけだったのだろう。
……災難だったな。名も知らぬ男にそっと黙祷を捧げる。
しかし、俺がもたもたしているせいで鍾馗の策を潰してしまったら申し訳が立たない。
「前線指揮官を出せ! 隠し立てするとためにならんぞ!」
「ひっ! 何を言ってるんだ、アイツは…」
「逃げろ! 逃げろー!」
此方に向かおうとする敵と逃げようとする敵がぶつかり、押し合いへし合いとなる。
其処に突撃を繰り出して遮二無二暴れまわる。
あっという間に、千曲川には無数の国司軍の死体が積み上げられた。
其れ等を踏み越えて、俺たちは敵陣へと猛烈に襲い掛かる。
まだ前線指揮官は見付からない。……仕方ない、柄ではないが少し挑発をさせてもらおう。
「我が名は諏訪宗重! 我こそはと思わん者はいざ尋常に勝負ッ!」
「射て! 射てぇーいっ!」
しかしその返礼は散発的な矢の洗礼であった。
……やはり慣れないことはすべきではない。
飛来してきた矢を纏めて数本掴み取り、地面に投げ捨てる。
「な、な… ヤツには矢が効かぬのか!?」
斉射でなければこの程度だ。
令和の時代のソレならばいざ知らず、この時代の矢というものは余り速度が出ない。
時代劇やらで槍や薙刀を振り回し矢を叩き落とすのは決して誇張表現ではない。
やろうと思えば出来る者は結構多いだろう。足利尊氏は絶対できるだろうし。
そこに死蝋が声を張り上げる。
「見ろ! 殿には敵の矢など通じない! 続け! 殿のお傍なら矢に当たらぬぞ!」
その声に、忠義党の士気が一気に膨れ上がった。
「うぉおおおおお! みんな、殿に続けぇー!」
「殿のお傍ならば死なんぞ! 手柄を立ててやるんだ!」
俺一人が突出し過ぎてたきらいがあったのでこれには助けられた形となる。
……これでは先程の敵の別働隊のことを笑えないな。
「死蝋! 助かった!」
「はっ!」
満面の笑みで俺の礼に応えてくれる死蝋。
そこでふと気になっていたことを尋ねてみた。
「時に死蝋… おまえ、苗字とかはあるのか?」
「? いえ、生憎と生まれの記憶も定かならざる天涯孤独の身でして…」
「ふむ。ならば、おまえは今日より五大院
「は? え、あ、いや… その、俺に苗字と名前を…?」
「すまない、気に入らなかったら忘れてくれ。なんせ今は渡せるものにも事欠いていてな!」
「いえ! いえ! ほ、本当の話ならばもったいないお言葉です!」
「嘘なものか! 不肖ながら烏帽子親をさせて貰いたい。死ぬなよ!」
とはいえ、所詮は一御内人のごっこ遊びのようなもの。
ましてや五大院宗繁は死んだことになっている身。
死蝋の献身に対して、立派な武士としての生活を保証してやれるものではない。
けれども俺も独り身だから、せめて養子として何かを残せてやれれば報いになるだろう。
……無駄に身体がデカい者同士、血縁と言い張ればなんとなく通りそうな気もするし。
そうこうしているうちに奮起した死蝋改め四郎の活躍もあり、小笠原の本陣が見えてきた。
いや、四郎だけではない。
忠義党の面々や吹雪たちの活躍も欠かせないものであった。
そこで漸く俺は、見知った、指揮官として納得できる顔を目にすることとなる。
「おお、市河殿! 貴殿が前線指揮官であられたか」
「……ここが前線に見えられるのかな、宗重殿は」
「ははは! いや、これはしたり! さて、貴殿に怨みはないがこれも戦場の習いなれば…」
そう言って俺は槍を構える。
……結局前線指揮官には会えずじまいであった。すまない、鍾馗。
対する市河殿も見事な拵えの大太刀を引き抜いて構えを取った。
「然様で御座いますな。小笠原守護家の一員として此度の一件、慙愧の念に耐えませぬ」
「なに、この戦が終わりますれば手打ち。また改めて守護殿をもり立てましょうぞ」
「それを聞いて安心しました。ついでに貴殿が消えれば守護家は更に安泰となりましょう」
「ははは! 果たしてそう上手くいきますかな?」
「いざっ!」
俺と市河殿の二つの声が重なり、一騎打ちの火蓋が切られようとするまさにその刹那。
「その勝負、続けるに及ばず!」
吹雪の声が戦場に響き渡った。
「戦は終わった! 国司清原殿、我等が掌中に収めまして御座いますれば!」
見れば、戦場を大回りで迂回した鍾馗率いる別働隊が国司を捕らえている様子が目に入った。
「……してやられましたな」
こうなれば仕方ない、とばかりに不満気ではあるものの大太刀を下ろした市河殿。
彼は馬首を返すと退却の下知を全軍に伝える。
「次はこうはいきませぬぞ?」
そして捨て台詞を残し、千曲川流域より粛々と小笠原党を引き上げさせる。
実に鮮やかな撤退であった。
戦は終わった。
川中島を国司とその軍勢から守り抜くことに成功したのだ。
保科弥三郎殿が涙でくぐもった声を張り上げながら勝鬨をあげている。
味方の勝利とは、良いものだな。
俺たちはこれを噛み締め、しかし、慢心せぬよう次に備えながら戦っていかねばならない。
そう決意を新たにしていると、例の駿馬に乗った吹雪が近付いてきた。
いつの間にかいなくなったと思ったら、まさか鍾馗と連携しているとはな。
しかも戦を最善のタイミングで終わらせる土産付きとくれば、これはもう認めざるを得まい。
「素晴らしい働きであった。推薦については任せてくれ。とびきりの主君を紹介しよう」
北条執権家の跡取りなど、他にそうそう望めるものではないだろう。
若様にとっても、そして吹雪にとっても互いを高め合う良い関係になれるのではないか。
そんな予感を抱きながら吹雪に改めて礼を言う。
彼も疲労を
「ありがとうございます。しかし、一つ聞きたいことが…」
「なんだろうか?」
「一体『何処から』読みどおりだったのですか? 今回の戦は」
その言葉に、俺は
鍾馗の指示のもとに陣取った場所は、急坂と川岸に挟まれた隘路。
視界は悪いが保科党本陣までの直線距離は短く、勢いに乗られれば強行される危険性もある。
こう書き連ねると此方側にとってはただのウィークポイントのように思われる。
しかしここは、保科党にとっても大きな意味を持つ場所なのだ。
ここは少ないながらも渡河可能となっている千曲川の浅瀬ポイントからも繋がっている。
急坂を利用し逆落としをすれば一気に小笠原党の本陣まで雪崩込むことも可能となる。
とはいえ、其れは敵の軍勢を充分に引き付けられればという条件が求められる。
数で圧倒的に負けている保科党が川で睨み合いつつ本陣に引き籠もるのも間違っていない。
むしろ防戦として考えるのならば正解に等しい戦略であろう。
「しかし、我等は戦いに来たのではありませぬ。『勝ち』に来たのです」
悪い笑みを浮かべながら、鍾馗がそう嘯いた。
「殿の目論見通り、保科党は敵を殺すための『死兵』と相成りました」
「……どうせ戦うならば死ぬためよりも殺すために戦った方が建設的だからな」
「然様。彼等の奮戦は存分に敵の耳目を集めることでしょう」
そうすることで戦の熱が戦場を覆い始める。
相手は勝つために来ている。いや、『蹂躙するために来ている』と言う方が正確か。
此方が引き籠もり、防戦に徹していると思ってくれたならばしめたもの。
その油断を逆手に取って手痛い打撃を与えてやれる。
「そこに俺たち『別働隊』も存分に暴れて敵の注意を引き付けてやる」
次に与えてやるのは恐怖だ。これは俺の腕と何より鍾馗の策に掛かっている。
弛まぬ鍛錬と隠密時の取り扱いに適したクロスボウ。
そういった打てるだけの備えはしたものの、戦はどう転ぶか分からない。
上手くいったらお慰みという精神でことに当たるしかない。
忘れてはいけないのは、ここは敵にとっても味方にとっても急所となりうる地点ということ。
鍾馗によれば多少モノを知るならばこの道を通ってくるであろうとのこと。俺も同意見だ。
「良いですか、殿。この順路を向かってくるということは敵には前線指揮官がいるはず」
「あぁ、そうなるな」
「殿にはお手数をお掛けしますが、其の者を討ち取っていただきたい。その後は私めが…」
一気に喉笛を噛み千切る。
国司さえ抑えれば彼等に戦に付き合う理由はなくなるし、大義名分も失われる。
そんなやり取りを思い出しながら、回答を待つ吹雪に向かってニヤリと笑みを浮かべる。
「最初から全部、だな。……俺の軍師はすごいのさ」
半分はノリと勢いの産物だったかもしれないが、敢えてそう言ってのける。
すまないが鍾馗には不出来な主の業を半分ばかり背負ってもらおう。
すると吹雪は目を丸くしてから、続いて年相応の幼い表情で屈託ない笑みを浮かべた。
「……羨ましいですね。貴方が、ではなく貴方にそうまで言わせる軍師の方が」
「君ならばすぐにだってなれるだろうさ。これから紹介する方は器ならば当代一のお方さ」
「それはなんとも楽しみで… ん? なにやら騒ぎが起きているような?」
確かに、勝鬨にしてはやけに慌ただしい気配を感じる。
「大変だ! 諏訪領内に武田が侵攻してきたらしい!」
……どうやら戦はまだ終わらないらしい。殿に弓引く莫迦共を始末する必要がありそうだ。
十数名で五百余名を潰走?
朝倉宗滴公の対本願寺キルレシオに比べれば余裕で常識の範疇内に収まるな! 通っていいぞ!