甲斐入りを果たした俺たちは、関所を超えてからは戦闘もないまま丁重に屋敷に通される。
空堀の付近にはツツジが植えられている。
俺は軍勢を屋敷の外で待機させると、殿と鍾馗とで案内されるまま屋敷へと向かった。
……ツン、と鼻を突く
顔を動かさぬまま左右に視線を彷徨わせれば、庭には心持ち多くの
となれば、導き出される答えは唯一つ。
──火計である。
いや、正確にはその『ブラフ』なのかもしれないが。いずれにせよ露骨過ぎる。
「………」
武田め、早速心理戦を仕掛けてきたか。
ここで動揺し、慌てて殿を逃がすようではこちらも侮られ会談の主導権を譲ることとなる。
ここまで来たならば、いっそ腹を括って交渉に臨むより他ないであろう。
「……なにか?」
俺の纏う空気が変化したことに気付いたのであろう。
顔に大きな傷を残した歴戦の武士といった御仁が、平坦な声のままに問い掛けてきた。
対する俺は慌てるでもなく、笑顔を浮かべながら口を開く。
「いえ、今日は天気も澄み渡りお庭の草木も喜んでおられるようにて」
「ははは… 然様でございますな。空に相応しき実りある話となることを願っておりまする」
「時に、
空気が固まる。
「……なるほど。火の元には注意するよう、十分に申し伝えておきましょう」
歩みを止めた武田の武士は、ややあってこちらに背を向けたままそう返した。
武田の当主に指摘しようかとも考えたが、この差配が部下の独断という可能性もある。
なにより、すっとぼけられては追及するすべもない。
ここは「諏訪の者共、侮り難し」とでも思ってくれる程度で構うまい。
必要以上に警戒されては話が進まないが、侮られ過ぎても話が成り立たないからな。
塩梅の難しいところだ。鍾馗と二人、そっと顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
「………」
それからは特に会話も発生しないまま、廊下を進む。
武田の屋敷は小笠原のそれよりも歴史を感じられる、大きくしっかりとした造りである。
この辺りは清和源氏の直系たる甲斐守護・武田の面目躍如といったところか。
やがて、大きな戸口の前にたどり着いた。
木の板一枚を挟んでもなお感じ取れる、大勢の者の気配と底知れぬプレッシャー。
……ここに、武田がいる。
「御屋形様に報告をして参りますので、お客人には御無礼仕りますが今暫しのお待ちを…」
丁重な礼を受け、邦時様が顎を引くような形で頷かれる。
続いて俺と鍾馗も頷く様子を確認した案内役は、もう一度頭を下げて戸口の奥へと消える。
……程無く、戸口が開かれた。
一礼をして中に足を踏み入れる。
居並ぶ重臣たちの中には、あからさまに
その最奥、上座にて
此方が座るまでじっと。
まるで心底を見透かすような鋭い眼光。
口元にはどこかこの状況を楽しむかのような笑みが薄く浮かんでいる。
威を放つ家来の面々と異なり、心中を悟らせぬ凪いだ気配しか伝わってこない。
それが何よりも手強く感じてしまう。
男が軽く手を払うと、彼が家来たちから発せられていた圧が雲散霧消した。
「諏訪の方々、遠いところよう参られた! 儂が
垂れ目がちな眼尻を下げながらくしゃりと相好を崩した上で彼はそう名乗る。
それだけで底知れぬ威圧感は反転してしまう。
殿にとってもそれは同様だったのであろう。
しかし、殿は一瞬の後に呼吸を整えて口上を述べられた。
「丁寧なご挨拶痛み入ります。私は諏訪時継が
「うんうん、そうかそうか。時継殿にこのような立派なお子がまだおられたとはなぁ」
好々爺もかくやという振る舞いに、殿は対応を決めかねているようだ。
時継殿の猶子、という怪しい立場を突っ込まれないのは助かるが。
ただ愛想を見せているだけではないのだろう。……なんだか嫌な予感がする。
戸惑いから完全に向こうに主導権を握られてしまった、その一瞬の隙が命取りとなる。
仕切り直しに鍾馗が動こうとしたタイミングで、彼は機先を制する形で動いた。
「此度の件、誠に申し訳なかった」
なんと、床に手を付けて深々と頭を下げたのである。
これには俺も思わず目を剥く。
「殿ッ!?」
「おまえたちは黙っておれ! ……此度の件、非があるのは明らかに儂らの方じゃ」
腰を浮かそうとする家来どもを政義殿は一喝し大人しくさせた。
大剛の
……彼の統率力のほどがうかがえるというものだ。
「然様で御座いますか。では、武田方の非については認めていただけると」
「うむ。諏訪大社を襲った者どもは尽く討ち取られたと聞いているが…」
「………」
「あいや、それをどうこう言うつもりはないのじゃ。……ただ、何を差し出すべきかとな」
「と、おっしゃいますと?」
「具体的な和議の条件について詰めていきたい。場合によってはこの首を貰って欲しい」
ポンポンと自身の首筋を叩く仕草に、俺たち一同は今度こそ唖然としてしまった。
あの鍾馗ですら今は目を見開いている。
そんな俺達の心理的動揺を感じ取ったのか、平伏したままで彼は言葉を続けてきた。
「それとも、この甲斐守護・武田政義の首では不足かな?」
これは立派な『攻撃』である。……この男、手強い。
柔和な笑顔の裏で俺たちの反応、その一挙手一投足を探っている。
巧みな話術と情報分析力、そして確実にこちらにとって『嫌な手』を打ってくるその手腕。
いつの間にか話の本題が『和議の条件』へと切り替わろうとしている。
それだけの重みが守護の首には存在する。
流石は戦国随一の謀略家の一人・武田信玄の直系の祖先か*3。
「……ひとまず頭を上げてください。そのままでは話もできませぬ」
「これは失礼仕った。……して、和議の条件や如何に?」
殿に頭を上げるよう促されれば、武田政義も素直に応じる。
かくして両者の視線を交わした話し合いは再開された。
「その前に、確認したきことが御座います」
「はて、なんでしょうか」
「此度の合戦、なにゆえに起こってしまったのでしょうか?」
「……その確認は果たして今この場で必要ですかな?」
「必要です。原因を知らねばまた戦が起こりかねません。正しく対処してこその和議かと」
放心したのも一瞬のこと、今や見事に持ち直して互角に相対している。
筋道だったその言葉に、今度は武田政義が口を重くする。
「……もしや、ここにおられるご家来衆の『
その隙を見逃さず、殿がすかさず楔を打ち込まれた。
当然ここに来るまでの道中で殿と鍾馗に日本住血吸虫症については軽く説明をしている。
その知識を以ってすればも元々賢い殿のこと、ただ翻弄されるばかりではないということだ。
図星を突かれた武田の家来衆は顔を真っ赤に染め上げて口々に殿の言に反論してきた。
「な、なにを仰せか! 言い掛かりにもほどがあろうッ!」
「然様然様! お疑いとあらばこの場にてもう一戦お交えになられるかッ!」
にわかにその場が殺気立つ。俺が膝を立て殿の前に出ようとした、その時…──
「もうよいッ!」
武田政義の一喝により、場が静まり返る。
好々爺の笑みは消え失せ、やりきれぬような渋い表情を浮かべ彼は頭を掻く。
「よもや其処まで御存知であったとは。……これ以上隠し立てするのも恥の上塗りですな」
そしてそのまま大きく息を吐いて、観念したように殿の言葉を肯定した。
武田家としては家来の大多数が病人と知られてしまうのは避けたい事態だったに違いない。
だからこそ、剛柔織り交ぜた対応で俺たちを翻弄して和議に漕ぎ着けたかったのだろう。
……『真実』という手札を隠したままで。
彼に落ち度らしい落ち度は存在しない。
なにも知らぬまま相対していれば手練手管に絡め取られ戦後交渉で遅れを取っていただろう。
それに彼らからすればどれだけ譲歩しようとも『精強な武田軍団』という幻影は残るのだ。
諏訪が強すぎたのか運が良かったのかなどは些末なこと。真相は闇の中に葬り去られる。
加えて俺たちが国司・小笠原の連合軍を撃退したという結果が思考の誘導に拍車をかける。
ならばこそ、武田はそれで何よりも貴重な『時間』を手にすることができるのだ。
たとえ当主がその素っ首を落とされようと、病魔に祟られたという弱みは見事に隠し
(……守護たる家が近隣諸国に弱みを見せることは、乱世では死に直結する)
それは北条得宗家とても同じこと。
元寇の折の威信も今は昔。
足利に軍権を預けきりにしてしまったことで、北条は武士からの尊崇の念を失っていた。
だからこそ、高氏が謀反をした時に驚くほどにヤツに同調する者が多かったのだろう。
そもそも武田にとって敵は近隣諸国だけではない。
喫緊の脅威として本拠にまで逆侵攻を掛けてきた俺たち諏訪軍が眼の前にいる。
迂闊に弱みを見せては、交渉でどんな要求が飛んでくるか分かったものではないのだから。
……力がない・権威がない、というのはこの時代においてそれだけ罪なことなのだ。
小笠原とて諏訪大明神の後ろ盾が得られなければ権威拡大にもっと躍起になっていた筈。
そんな厳しい情勢を誰よりも良く心得ている武田政義だからこそ。
自らを捨て石としてでも、後に続く者らに『甲斐武田の未来』を残したかったのではないか。
(恐ろしい男だな… まさかハッタリだけでここまで喉元に刃を突きつけてくるとは…)
もし乗せられたままなら和議の条件という浅瀬での攻防を強いられていたことだろう。
それこそが武田政義の狙いであると悟れぬままに。
しかし、彼のブラフは不発に終わった。
事前に知る限りの知識を殿や鍾馗らと共有していたことが大きい。
無論、勝った気などまるでしない。
俺は未来知識のおかげで武田を襲っている脅威について知っていただけに過ぎないのだから。
前提知識がなければすっかり騙されるところだった。
知らず知らずのうちに、額に汗が浮かんでいたことを自覚する。
しかし、殿は涼しい顔のまま素知らぬ素振りで口状を続けられる。流石は邦時様である。
「政義殿。此度は
「なにを白々しい。
「さて、それはどうでしょう。諏訪は人材の宝庫、私などはまだまだ小者に過ぎませぬゆえ」
武田政義は脇息に身をもたれさせると、皮肉じみたざっくばらんな物言いに変化する。
されど、その眼光の鋭さは未だ衰えを知らず。諦めた訳では無いのだろう。
しかし、殿も負けてはいない。
武田政義の言葉に真っ向正面から相対するようにそう言ってのけ、ニッコリと微笑まれた。
「……して、
だが武田政義は取り繕うでも抗弁するでもなく、逆に邦時様に向かって問い掛けてきた。
隠そうとしていた部分を暴かれた上で、なお此方に敢えて一手譲る理由は…──
(……なるほど、な)
不意に屋敷の中で見た松脂を染み込ませたであろう藁束の数々のことを思い出す。
最悪、進退窮まったとしても館に火を放って全て『御破算』にするつもりか。
コイツ最初ッから『敗北すらも織り込み済み』だったってワケか。……食えないオッサンだ。
しかしながら邦時様に動揺は見られず静かな微笑すら浮かべつつ口を開かれるのであった。
さて、我が自慢の甥っ子殿はここからどのように反撃をしてくれるのか?
「では、ここからは我が家来の諏訪宗重に話をさせましょう」
ん?
予想外の変化球に、俺と政義殿が思わず呆気にとられた表情をしてしまう。
なお、鍾馗は肩を震わせて笑いを堪えていた。……殴るぞ、この野郎。
「……これは異なことを。諏訪からのご使者は邦時殿であろう?」
「然様に御座いまする。諏訪頼重の名代として、私はこの甲斐の地に罷り越しました次第です」
「なれば和議の交渉は当然、貴殿と行うべきではなかろうか」
「飽くまで名代としてご挨拶をしたまで。其方の『挨拶』の返礼と思っていただければ…」
「む…」
諏訪への侵攻を当て擦られては武田政義としても強く出られなくなるようだ。
もっとがんばってほしい。
「この宗重の言葉は私の言葉、ひいては当主頼重の言葉と思って下さって構いませぬ」
「むぅ…」
「この私が最も信頼する家来であるが故の措置、特にご寛恕願い奉りたく申し出ます所存」
(殿、まさか其処まで俺のことを買ってくれていたとは…)
思わず目頭を抑えてしまいそうになる。……いやいや、騙されるな俺。
御内人ごときがこんな重要な場面でしゃしゃり出てくるなんて場違いにもほどがあるだろ。
そんな俺の心の声が通じたのか武田政義は、なおも殿の言葉に
「されど、事はお家の大事。見たところ大層な武辺をお持ちのようであるが…」
「確かに宗重は諏訪に二人となき武辺者。なれど、ただ鉾を振り回すだけの猪では御座らん」
「むむ… なにか論拠でもおありかな?」
「無論、彼は唐国の知識も豊富で其れをもとに諏訪でも清酒を生み出しました。他にも…」
「なんと! 清酒を生み出したのはこの御仁で御座ったかッ!?」
そこ食い付くの!?
周囲の俺を見る目が変わってくる。特にむさ苦しい御家来衆からの熱視線が止まらない。
どうして? ……まさか、清酒のためだけに侵攻してきたなんてことはないだろうな。
空気の変化を如実に感じ取ったのか、殿が言葉を続ける。
「それだけでは御座いませぬ。武田の方々に迫る危機をいち早く気付いたのも彼なのです」
「なんと! ……我らが病魔に冒されていることを何処で知ったかと思ってはいたが」
「聞いたことがある。犬追物の神前奉納でかの信濃守護殿に土をつけた男が、確か諏訪宗重」
「なんだと!? あの小笠原貞宗殿に弓で勝利を収めたというのか!?」
「むぅ… 清酒を生み出し、神前には弓を献じ、病魔の脅威を知る。神に愛されし豪傑か」
頭が良すぎるが故に殿の言葉を深読みし、思わず納得してしまう武田政義。
それに追随するかのように外堀を埋めてくる武田の家来衆。やめてくれ。
殿が「くつくつ…」と静かに笑っている。絶対に邪悪な笑顔を浮かべているヤツだコレ。
頼重様に似てきたのは若様だけじゃなかったということだな。……とても悲しい。
こんなこと、本来ならば何を世迷言をと一蹴されるような与太話のはずなのだ。
しかし、しかしである。
俺にとって非常に残念なことに諏訪の信仰根強い地域であることに加えまだ迷信深い時代。
更に正体不明の病魔という祟りの如き案件に襲われている武田の連中からはどう映るか。
俺にとっては非常に不本意ながら彼らが其れを信じてしまったとしても責められないだろう。
「ならば諏訪宗重殿」
「……ははっ!」
「当家には其処許と話し合う準備がある。……貴殿は当家に何を望むのか?」
俺は観念して事態を受け止めることにした。
……それはこの俺、五大院宗繁が諏訪宗重として表舞台に出るということ。
犬追物や保科党への手伝い戦などとはわけが違う。
外交問題という諏訪どころか信濃や甲斐に跨る大問題の矢面に立つことを意味していた。
殿の御下知があった以上、もはや四の五の言ってはいられまい。
俺は腹を決めると、真正面から武田政義の顔を見据える。
場の空気がピンと張り詰める中で、俺はやおら口を開いた。
「されば、この諏訪宗重めが言上仕る。……甲斐守護・武田家に望むことは唯一つ」
「うむ、申されよ」
「……何卒、甲斐の地を襲う病魔を駆逐する許可をいただきたく」
「うむ… うむ?」
場が静まり返る。
……なにかまた無礼をしてしまったのだろうか?
鎌倉では重臣の方々にもよく叱られていたが。
そこで政義殿がコホン、と咳払いを一つしてから尋ね直してきてくださる。有り難い。
「その… 儂らは貴殿らの要望を確認したいのだが…」
「はっ! されば病魔を根絶する許可を! 無論、必要なものは全て此方で用立てます故…」
「待て待て待て! 待たれよ! それは願ってもないことだが、他にあるであろう?」
「……他、と申されますと?」
「戦を収めるために誰ぞの首を所望されたり…」
「え? いや、いりませぬ」
「……まさか狙いはこの甲斐の地か?」
「それもいりませぬが…」
「………」
というか渡されても困る。
そりゃ暴君が支配してるとかなら奪い取ることも考えていたが、そんな様子もないし。
政義殿には家中を良く纏め領内も良く治めている切れ者の領主、という印象しかないのだ。
奪った立場で成り代わって上手くいくとは到底思えない。首を貰うなんて以っての外だ。
「……貴殿らは一体何をしにこの甲斐まで参られたのか」
「徹頭徹尾、かの病魔を駆逐するためですが」
「……はぁ、やれやれ。これでは構えていた此方が阿呆みたいではないか」
心底脱力したとばかりに武田政義殿が力無く項垂れられた。解せぬ。
いや、待って欲しい。単なる風邪とかだったらそりゃ俺もそこまで慌てないよ?
けれど感染したら死亡率ほぼ100パーセントの恐怖の風土病だぞ? 日本全土の問題よ?
俺の拙い説明で何処まで分かって貰えるか不明だが、なんとか説明するしかないのか。
そんな時、不意に金切り声が屋敷の外から響いてきた。
「きぃえぇええええええ! こ、ここは何処でおじゃ! 麻呂は何故斯様な地にぃ!?」
……あ、国司忘れてた。
「な、なんじゃこの声は…」
当然、そんなことを知らぬであろう武田の御歴々は戸惑った様子を見せる。
ぐぬぬ、どう説明したものか…
あ、静かになった。
多分キュッと締めてくれたのだろう。ナイスだ、外の連中。
ついうっかりノリと勢いで連れてきてしまったとはいえ、マジで国司はどうしたものかな。
国司の説明と処遇に悩むそんな俺の様子を見て取ったのか、すかさず鍾馗が口を開く。
「言上仕ります。国司の清原様の御声で御座いましょう」
「国司の? ふむ、貴殿は…」
「鍾馗と申します。我が一の家来にして郎党の軍師に御座いまする」
俺は鍾馗を紹介すると、一歩下がる。
なにやら鍾馗に腹案があるようだ。ならば、ここからの交渉は鍾馗に任せてみよう。
「ほう、宗重殿の… 直答を許す。何故に国司様を当家にお連れしたのか申してみよ」
「ハッ! お答え申し上げます。それには3つの理由が御座いまする」
「ほう、3つの… 是非とも聞かせてくれまいか」
「1つ、国司清原様は信濃で諍いを起こし居辛くなり申した。されば甲斐様にて庇護を、と」
「なるほど。……確かに小笠原殿よりも当家の方が貴人の扱いには些か手慣れてはおるが」
「2つ、病魔に冒されし民を慰撫せんと国司自ら赴いたとあらば求心力となりましょう」
「ふむぅ、国司様をお迎えする利は否定できんが… 少々弱い気もするな。続きを申してみよ」
「3つ、国司様がこの地にお迎えされるということは当然献上品を送り込む地も…」
「鍾馗殿、みなまで言われるな。陛下の忠実な臣が国司様をお迎えするのは当然ではないか」
「ククク… これは余計な差し出口をば」
鍾馗があれよあれよという間に政義殿との話を纏めてくれる。
どうしよう、鍾馗が有能過ぎて俺が空気です。
国司を抱え込むというリスクとリターンを示し、此方が受けられるメリットも示す。
そうすることで双方にとって受け入れやすい『取り引き』が形成されるわけか。
こうすることで武田は面目を失わず表向きは対等な同盟関係を結べたことになる。
いや、こういう分野は俺には不向きだから鍾馗がいてくれて本当に助かった。
実際問題、この地からミヤイリガイを駆逐するためには土地の大改造が必須事項とも言える。
となると必然的に『工事』が終わるまで田畑からの収入は見込めなくなるからな。
上手いこと諸々の援助を行う『口実』を作ってくれた鍾馗の手腕に感謝すべきであろう。
「よし、筆と硯を持て! この盟約、書に認めるぞ! 甲斐武田の新たな門出じゃ!」
途端に意気揚々と大声を張り上げた武田政義の様子に、御家来衆も喝采に沸く。
規模は小さいなれど、これは一つの遷都に等しい。
国司を迎えることで様々な大義名分が発生することは勿論、物資の流通も活性化する。
清和源氏の由緒正しき血筋にもかかわらず山間の片田舎に押し込められてきたのだ。
それがここへ来て国司をお迎えし、周辺諸国の範たる中心地と相成る。
これまで鬱屈した思いを抱えてきたであろう武田武士が奮い立ったことは想像に難くない。
「あいや各々方! しばし待たれよ!」
しかし、にわかに活気付いてきた空気に待ったがかけられる。
大声とともに戸口を開けて入ってきたのは、スラッとした長身を鍛え抜いた若者であった。
身に纏う装束から身分は高くない様子がうかがえるが目鼻立ちの通った
……お、俺も背の高さだけなら負けていないのだが。
「なんじゃ、
呆れたような口調で政義殿が大隅と呼ばれた若者をやんわり嗜める。
「なれど殿! 諏訪の者どもが病魔を駆逐するなど真のことか分かりませぬぞ!」
「騙すつもりならばとっくにやっておろう。騙す必要もないほどに我等は疲弊しておるがな」
「殿ッ!」
「そもそもあの病魔に対して我等は万策尽き果てておる。誰に任せても違いはなかろうて」
「殿は何故にそこまで諏訪の者どもを信じられるのです! 拙者には理解できませぬ!」
むしろなんでおまえがそこまで諏訪を疑うんだよ。
いきなり攻められたのこっちだぞ。理解できんのはこっちの方だっての。
「……何故と聞きたいのは儂の方だ。大隅、何故お主はそこまで諏訪を敵視するのか」
うんうん、政義殿よく言ってくれた。
しかし大隅くんは悪びれもせずに俺たちを睨み付けると爆弾を投下してきたのだ。
「それは諏訪の大明神を自称する男がとても胡散臭いからです!」
……うん、ごめん。反論できないわ。
「それは、まぁ… うん、そうですね…」
「………」
殿も認めちゃったよ。
政義殿も視線を逸らしているよ。
「あの胡散臭く煙に巻くような言動で民心をいたずらに煽り、操ろうとしているのです!」
……どうしよう。
そうだそうだ、と全力で頷いてしまいそうになっている自分がいる。
誰かフォローできそうな人に全力でぶん投げたい。俺には無理だ。
若様、来て。早く来て。いやもう弧次郎でも亜也子でも雫でも誰でもいいから。
周囲の御家来衆も「確かに…」「諏訪は胡散臭い…」と同調し始めているではないか。
そうだよね。
諏訪神党が信仰キメてるだけで他国からこう見られてても不思議はないよね。
……いや、ちょっと待て。
まさか頼重様の胡散臭さのせいで折角まとまりかけた盟約が御破算になるのか?
日本住血吸虫の駆逐も遠のいてしまうのか?
それは断じて看過できない。
「ハァッ!」
俺は拳を床に打ち付ける。
床に穴が空いたが、それにより周囲のざわめきは消え去った。
……政義殿には申し訳ない次第だが。
「拙者、諏訪宗重と申す。貴殿の名をお伺いしたい」
「……丁寧なご口上痛み入る。
春日? ……甲斐の春日といえば、なるほど、春日
後世においては『
ならばこの覇気も頷けるというものだ。
「大隅殿、貴殿の御言葉ご尤も。武士たるが言を弄し相手を欺くなど恥ずべき振る舞い」
「まさしく!」
「然るに武士たるはただ至誠を以って主に尽くす。それこそがその本分で御座ろう」
「おお、然り! 然り! 宗重殿は諏訪の方と思うておったが、良くお分かりで御座るな!」
「なればこそ、大隅殿。まことの武士であろう貴殿にお尋ねしたい」
「なんなりと」
「我等が至誠、如何にして示せば貴殿ら甲斐守護武田家が御歴々はお認めになられるか?」
その言葉に大隅殿はニヤリと笑い、薙刀を肩に掛けクイッと手招きを一つ。
そうして庭へと歩き出す。
美形はこんな仕草一つ取っても様になる。
とはいえ、ここからが『本当の俺の仕事』ということになるわけだ。
俺もそれに応じるために武田の案内役に預けていた十文字槍を受け取り、立ち上がった。
俺たちのその一連の動作に慌てたのは政義殿であった。
「いや、待て待て待て。大隅、おい! 宗重殿も… お主等、本気か?」
「いかにも」
「何故このような真似を… いずれにせよ儂ら武田家は盟約を結ぶより他に道はないのだぞ?」
「理は主君邦時様が示されました。利は軍師鍾馗が。なれば最後に私は義を示すべきかと」
「心、だと? 斯様に不合理なもので…」
呆れたような声をあげる政義殿の言葉が、しかし、ワッと盛り上がる歓声にかき消される。
「がんばれ、大隅! 武田の意地を見せよ!」
「そうだ、地の利は此方にあるぞ!」
「やい、大隅!
「なに、お主がやられたら次は拙者の出番じゃ! 安心して負けよ!」
庭に向かう大隅の背を追い掛け、口々に応援の声を送る武田の家来衆。
眩しい其れを見送りながら政義殿に、俺は声を掛ける。
「良き御家来衆ですな」
「……ハンッ! あの家来どもも、この地の百姓どもも、みんな誰に似たんだか阿呆揃いでよ」
そう
なんとなく羨ましげにその光景を眺めてしまった俺の背に二つの手が添えられる。
「当然、負けてやる必要なんてないからね? 伯父上」
「フフ… 我等は最強の諏訪宗重の郎党であるのだと自慢させてくだされ」
その激励を受けて、俺は大きく頷き大隅殿に続いて庭へと向かう。
そこからは日が暮れるまで俺と武田の家来衆らは存分に武を競い合った。
特に何度吹っ飛ばしてもその度に立ち上がって向かってくる大隅殿のガッツは凄かった。
……もっとも、今はのびているが。
最初は大隅殿と一対一だったが、盛り上がってきて武田の家来衆も乱入してきて後はお察し。
流石に鞘付きでやり合ったから切り傷はないにせよ、各種打撲で死屍累々といった状況だ。
……俺も何発かいいのを貰ってしまった。
まぁ最後まで立っていたのは俺だしなんとか殿の面目は保てたと思っても良いだろうか。
そろそろ外で待機させていた郎党と合流し、国司を武田屋敷に叩き込まないとな。
それに諏訪からの物資が届く頃合いだろうし。アレらがないとこの土地の改造は行えない。
そんな事を考えている俺に、不意に鍾馗が話し掛けてきた。
「ときに殿、一つお尋ねしたき儀があるのですが」
「なんだ? 気になったことがあればいつでも指摘してくれと言っているだろう」
「ハッ! ……何故なにも要求しなかったのですかな?」
「なんだ、欲しかったのか? だったら忠義党には悪いことをしたな」
「いえ、私どもは既に充分に。なれど、あればあるだけ土地を求めるのが武士のあり方かと」
「……ふむ、そうさな。幾つか理由はあるが、一番大きな理由は」
「理由は?」
「甲斐には武田がよく似合うから、かな? ハハッ、すまん。呆れたか?」
「……いえ、実に殿らしい理由かと。頼重様への言い訳についてはお任せください」
そ、そうだな。
頼重様に相談せずに勝手に決めてしまったこと、本当に申し開きの仕様もない。
上手いこと戦ったお陰で怪我人が出た程度だったみたいだが、死者が出ていたらと思うと。
……鍾馗にも頼重様にも、無論、殿にも頭が上がらないな。
「すまん、いつもおまえには迷惑をかける。国司様のことは俺に任せて休んでてくれ」
俺は引き渡された国司を抱えながらそそくさとその場を退散するのであった。
「どうですかな? 我が殿は変わっておられるでしょう?」
「……フン、盗み聞きするつもりはなかったのだがな」
「ククク… 殿も今は度重なる乱取り稽古の後で少々お疲れ気味のようですからな」
「あ奴が変わっているかと聞いたな? ……アレはむしろ武士として異様よ」
「フフ… 返す言葉も御座いませぬな。全く以って武士らしくはない」
「あぁ、まったく! しかも甲斐には武田がよく似合うなどと臆面もなく、よくもまぁ…」
「その割りには嬉しそうですな?」
「たわけが! ちっとやそっとでは返しきれぬ借りが出来て頭を抱えておるわ!」
「これは御無礼をば仕りました。……クク」
こんな会話が背後で行われているとは知る由もないまま。
場面は切り替わり、諏訪と甲斐の国境の山間にて。
「ど、どうしよどうしよどうしよう! 伯父上から頼まれた荷を全部奪われてしまった!」
「若様、落ち着いてー。握り飯食べる? 亜也子特製の超特大の!」
「わ、すごく大き… じゃなくて! 頼重殿に無理を言って荷運びの役を貰ったのに!」
「若様、それ要らないなら僕が貰ってもいいですか!?」
「うん! 全部あげるから吹雪はどうやって荷を取り戻すか全力で考えてくれないかな!?」
逃若党の面々は右へ左への大慌てであった。
主に北条時行が慌てていた。
そこに近隣の村に聞き込みに向かっていた弧次郎と雫が帰ってくる。
「若ー、聞き込みしてきたッスよー! ……おま、吹雪、いつ見てもなんか食ってんなオイ」
「下手人は
「なんだって? 私たちくらいの年齢であれだけ巧みな変装術や身のこなしを…」
衝撃を受ける時行に、握り飯をペロリと平らげた吹雪が進言をする。
「……色々考えてみましたが、おそらくこの近隣は彼の庭と見て良いでしょう」
「つまり?」
「僕たちだけで捕らえるのは難しいかもしれません。宗重殿に事情を話し応援を求めては?」
「それは… 出来るだけ避けたい、な」
「……功名に傷が付きますものね」
「いや、そんなことはどうでも良い。あの
(この状況、普通ならば焦り失点を取り戻そうと躍起になるもの。しかし、この御方は…)
この状況下でも得難い人材との出会いという確かな収穫に着目する特異性。
常識では測れない人物であるが、だからこそ仕え甲斐があるというもの。
北条時行に眠る王者の片鱗を感じ取った吹雪は、人知れず感嘆の吐息をこぼす。
「私はなんとか風間玄蕃を味方に引き入れたい。そして伯父上に話すなど以っての外だ」
「はて、何故でしょう? 宗重殿は合理的な判断をする優秀な指揮官に思えましたが」
「そうか、君はまだ伯父上をあまり知らないのだったね。よく覚えて欲しい。伯父上なら…」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「なんですと! 荷をすべて奪われてしまったですと!?」
「すまない、伯父上。私が不甲斐ないばかりに…」
「なんの、若様が謝ることなど何も御座いませぬ。後はこの宗重めにお任せあれ」
「伯父上…」
「さて、
「……ハッ!」
「若様から荷を奪い、面子を傷付けた
「ヒャハァ! 山狩りだァ!!」
「おのれ… 親父殿の御主君から荷を奪うとは、百万回殺しても飽きたらぬわッ!」
「クカカ、闇に潜むは我が得手。殿、この白骨めが微力を尽くしまするぞ」
「ご安心召されよ、殿。我が脳内には既に二十余通りの山狩りの案が御座いますれば…」
「頼んだぞ、鍾馗よ。では忠義党、出陣! 若様の怨敵の痕跡をこの世から消し去るのだ!」
かくして風間玄蕃はバラバラになり、潜伏地である山からは生物の痕跡が消えたのであった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「……こうする」
「そうしちゃうの!?」
沈痛な面持ちでそう告げる時行に対して吹雪が思わず噴き出した。
飛んできた米粒を袖口で拭いながら、時行は重々しく頷いた。
そこに弧次郎が口を挟んでくる。
「いや、あの妙に
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「お待ちくだされ、宗重殿!」
「おお、貴殿は向かった先で仲良くなった武田のほにゃらら殿!」
「貴殿には返しきれぬ御恩がある。この辺りの山の勝手はこちらが良く知っておりまする」
「おお、お力添えを戴けるのか! これは
「うむ、効率的な山の燃やし方を御覧に入れましょうぞ!」
「これから毎日山を更地にしていこうぜ!」
かくして風間玄蕃は粉砕され、山は更地となってその痕跡は地図から抹消されるのであった。
その後、辺りの山々が粗方駆逐されたために一帯を『やまなし』と呼ぶようになったとか。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「なんか変なオチついてるー!? ていうか状況が悪化しているー!?」
吹雪は絶叫する。……流石にもう飛ばす米粒はないようだが。
亜也子と雫は「あの人ならばやりかねない」と腕を組んでウンウン頷いている。
(……一体どういう人なんだ。真面目で良識を持った武士だと思っていたのだが)
吹雪は頭を抱える。
「今がどういう状況か理解してもらえただろうか。だから吹雪、君に助けて欲しいんだ」
そんな彼の肩を叩きながら北条時行が無慈悲な命令を下す。
新たな主のひどい無茶振りに戦慄しながらも、軍師・吹雪は脳をフル回転させるのであった。
……風間玄蕃という一人の盗賊の少年を捕らえ、助けるために。
その頃、山奥… ではない近隣の村の隠れ家にて。
「ちっくしょー! 大事そうに運んでたからすげぇお宝だと思ったのによぉ!」
首尾良く荷車ごと奪って被せてあった布を取り払ってみれば。
そこには何の用途に使うのか皆目見当もつかぬ石ころや砂粒が転ばっているばかり。
風間玄蕃は一杯食わされたと全力で悪態をつくのであった。
「麻呂、戦こわい… 野蛮な郎党どもこわい… ここで平和に暮らす…」
「こくしさまー! みやこのはなししてー!」
「おお… うんうん、今日は偉大なる今上帝の話をしてやろうかの?」
「わぁい! きんじょーてーってみかどのことでしょー? ききたいききたい!」
「うんうん、勤王の志を持つのは良い心掛けじゃ。さて、何から話そうか…」