忠義者の伯父上   作:(๑╹◡╹)ノ

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第16話▲京の魔物 1334

 京は洛中(らくちゅう)、草木も眠る闇の中。

 

 不自然なまでの(よる)静寂(しじま)に包まれた大路(おおじ)には、今や血腥(ちなまぐさ)い香りが辺り一面に漂っている。

 (つじ)のそこかしこに転がる、かつて人であった者たちの骸の数々。

 

 闇に紛れた(いさか)いなるものは、とかく人に(やいば)を向けるという認識を(おぼろ)にするもの。

 (さか)しらな権力争いに端を発した小競り合いは、双方に少なくない損害を与え痛み分けとする。

 

 ……本来、その筈であった。

 

 

 

 

 

「──化け物め」

 

 若く雄々しい、されど、苦々しさを滲ませた声が相対する馬上の者へと吐き捨てられる。

 

 声の主の手勢は、皆(ことごと)く討ち取られた。

 にも(かかわ)らず、相手方の手勢は一人たりとて損なわれてはいない。

 

 このような結果であるのだから、取り乱さないだけ声の主は至極冷静な人物であると言えた。

 とはいえ、それは決して悔しさがないということを意味するわけではない。

 

(……すまぬ。(オレ)の浅慮により、皆の命をまた無駄に散らせてしまった)

 

 付き合ってくれた股肱(ここう)(しん)らの無念を思い、彼… 『護良(もりよし)親王(しんのう)』は我知れず唇を噛む。

 唇の端からつうっと、一筋の血が流れ落ちた。

 

 

 

 そんな折、血腥(ちなまぐさ)い空気を散らすかのような夜風とともに雲間から月光が差し込む。

 月明かりを背負う形で、馬上の涼やかな侍の姿がぼうっと浮かび上がる。

 

「帝の臣、尊氏(たかうじ)めがご挨拶申し上げます。……()い月夜ですな、親王殿下」

 

 ──足利(あしかが)尊氏(たかうじ)

 

 つい先程までこの辻で行われた一方的な蹂躙劇の主催者である。

 そんな男が穏やかな笑みを浮かべ、優しげに声を掛けてくるさまは一種異様ですらあった。

 

()くも絶佳(ぜっか)の月夜とて、死花(しばな)に彩られていては空を見上げる心持ちにもなるまいよ」

 

 精一杯の虚勢を張りながら、護良親王は言葉を返す。

 そんな彼の内心を(おもんばか)ったのかのように、尊氏は申し訳無さ気な苦笑をのみ返答とする。

 

御前(ごぜん)御騒(おんさわ)がせましたこと、誠に忍びなく。……殿下に御怪我は御座いませんでしょうか」

 

 涼やかな、まるで聞く者の心を包み込むような気遣いに満ちた声音。

 

(だからこそ此奴(こやつ)が心底恐ろしい。私たちは殺し合いをしていた筈。……だというのに)

 

 対する護良親王は答えず、油断なく刀を構えながら尊氏の隙を探らんとする。

 ……当然、そのような都合の良いものが見付かるはずもないが。

 

「おお、これは私としたことが馬上より御無礼(ごぶれい)(つかまつ)りました。……どうか平にご容赦の程を」

 

 どころか、眼の前で馬を降りられ拝礼(はいれい)されるに至るまで彼は一歩も動けないままでいた。

 

 ──『動かない』のではなく、『動けない』。

 

 先の大乱にて鎌倉幕府を相手に回し無数の功績をあげた英明なる若き皇族・護良親王。

 そんな彼が、足利尊氏に対しては度々襲撃を企図しながらも成果を挙げられず仕舞いでいた。

 

 心の何処かに「今回も失敗するのでは…」という弱音があったことは決して否定できまい。

 

 ──()まれている、と、そう否応なしに自覚させられる。

 

 足利家郎党という強大な暴力集団に対してではない。

 他でもない【足利尊氏】という、ただ一人の男に対してである。

 

「しかし、夜風に長く当たり続けるのも大事な御身(おんみ)()(さわ)りありかと」

「……なんだと」

 

僭越(せんえつ)ながら(それがし)が御屋敷までお送り申し上げましょう。……ささ、どうぞ此方へ」

 

 尊氏は、未だ動けずにいる護良親王を迎え入れようと一歩踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その刹那(せつな)

 

 

 

 

 

 尊氏の耳に『何か』の風切り音が届く。

 彼は確かめるより早くその野性的直感に身を任せ、腰に()いた刀を横一文字に抜き放った。

 

 音もなく地に落ちたそれは、ちょうど真ん中より両断された一本の矢であった。

 

 続いて徐々に近く、大きくなってゆく馬蹄(ばてい)の音。

 

 程無くして異形(いぎょう)風体(ふうてい)が到着した。

 この場にそぐわぬ、小袖(こそで)袈裟(けさ)を掛け深編笠(ふかあみがさ)(まと)い帯刀した虚無僧(こむそう)薦僧(こもそう)とも)の姿。

 

 何より異様なのはその手に持つ得物である。

 総身七尺程*1の長さは一般的なそれと大差ないが、ギラリと輝く穂先が十文字に別れている。

 

 馬上武者が良く扱う長巻(ながまき)とも薙刀(なぎなた)とも余りにも異なる、まるで古代の(げき)が如きその(こしら)え。

 明らかに『斬り』『払う』ことよりも『突き』『抉る』ことに特化したその仕様。

 

 良く心得た足利武者は突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)にただならぬ強者の気配を感じ、各々弓に矢を(つが)える。

 

「よせ、万が一にも殿下にお当たりすれば大事となる」

 

 しかし、家宰(かさい)高師直(こうのもろなお)が郎党らのその動きを制止する。

 

 それは皇族への敬意からなどでは断じてなく。

 魑魅魍魎(ちみもうりょう)が渦巻くこの京の地での、後々に繋がる政治的な憂いを考えたが故の判断であった。

 

 間も悪かった。

 

 今現在、尊氏の実弟にして政治面の天才・直義(ただよし)は鎌倉統治のためこの地を離れている。

 それが故に、師直としては慎重な動きをせざるを得なかったのである。

 

遅参(ちさん)、誠に申し訳無く。某の馬に乗られませ」

「貴殿は一体…」

 

「問答の(いとま)はありますまい。願わくば拙者めに殿軍(でんぐん)*2の栄誉を」

「……相分かった。後程、改めて礼を言わせて欲しい」

 

(しか)と」

 

 その言葉を確認し親王は一つ(うなず)くと、馬首を(ひるがえ)し、夜闇の中を駆けてゆく。

 

 みすみす行かせる羽目と相成った。

 しかし、それはそれで構うまい。

 

 もとより師直の主・尊氏に親王を害する意図はないのだから。……少なくとも、今はまだ。

 そして親王がこの場から去ったということは、同時に好機が到来したことを意味する。

 

 後には好き好んで残った闖入者(ちんにゅうしゃ)たる男がただ一人。

 本来は逃げるための足となる筈だったであろう馬も、今しがた親王に(けん)じたばかり。

 

莫迦(バカ)め…)

 

 胸中でそう呟き、高師直は今度こそこの慮外者(りょがいもの)を射殺すために郎党共に合図を送ろうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ギィィィンッ!!! 

 

 だが、それは(あた)わなかった。

 

 夜闇を斬り裂くような激しい金属音。

 なんとこの男は間合いを(はか)ることすらせず、振り向きざまに尊氏へと突き込んできたのだ。

 

 通常、殿軍を申しつかったのであれば遅滞(ちたい)戦術に移行するはずである。

 可能な限り時間を稼ぎ、自らも脱出出来るよう手筈を整えるはずだ。

 

 にもかかわらず、深編笠のこの男からはそのような気配は微塵も感じられない。

 むしろ「貴様らを一人余さず鏖殺(おうさつ)してくれる」と言わんばかりの禍々(まがまが)しい殺意に満ちている。

 

 最強たる足利家郎党を向こうに回し、たった一人でありながら。

 もはや異常である。気狂(きぐる)いの所業である。

 

 これにはさしもの高師直も虚を突かれ、思わず呆気に取られた表情を浮かべてしまう。

 ただ一人、この場で涼やかな表情を浮かべている足利尊氏が静かに言葉を(つむ)いだ。

 

「……恐るべき鋭さ。間に合ったのはまさに望外の極みでした」

 

 その凄絶(せいぜつ)なる突きに反応できるのは恐らく足利尊氏のみであったのだろう。

 言外に称賛を込めそう持ち上げるも、男はそれすら不快とばかりに更なる槍捌(やりさば)きを見舞う。

 

「黙れ、死ね」

「ハハハ! これはなんとも恐ろしい! 本当に殺されてしまいそうだ!」

 

 さも愉快げに、(こら)えきれないとばかりに呵々大笑(かかたいしょう)しながら打ち合いに応じる尊氏。

 槍と刀の間合いの差など如何程のものかと言わんばかりに、互角の戦いが展開された。

 

 こうなってしまっては師直始めとする郎党たちも膠着状態へと陥ってしまう。

 敬愛する主君に向け弓を番えることなど果たして出来ようか。

 

 護良親王相手にならば最悪弓で射てもまだ取り返しは付いたであろう。

 先に襲ってきたのは飽くまで親王であるのだから、本来殺されても文句は言えまい。

 

 武士の理屈ではあるが、その武士の領域に土足で入り込んできたのは親王の側なのだから。

 

 しかし、この状況でみすみす主君を見捨てることなど出来ようはずもない。

 なんとか事態を打開しようと知恵を巡らせる師直のもとに主君・尊氏の声が届く。

 

「皆の者、私の前には出てくれるなよ。この御仁の相手は、君たちには少々危うい」

クルナ

「殿…!」

 

「君たちが無駄に命を散らすことが忍びないのだ。……どうか聞き分けて欲しい、っと」

ワタシノジャマヲスルナ サモナクバイノチハナイ

 不意打ち気味に速度をあげた一撃を紙一重で(かわ)してのける。

 郎党らに言葉を送る暇も与えてくれないのか、と尊氏はますます笑みを深くする。

 

 (たの)しくてたまらないのだ。

 この一瞬一瞬の死線(しせん)が。

 

 護良親王殿下の如き今上(きんじょう)天皇を想う孝心(こうしん)・世を憂う義心(ぎしん)を込めた襲撃の数々も。

 或いは幾度となく弓を交えた楠木(くすのき)正成(まさしげ)公の如き曇りなき忠心(ちゅうしん)より繰り出される戦術の数々も。

 

 無論、決して悪くはなかった。

 それは何処か乾いていた己の心に潤いを感じられるような邂逅(かいこう)であったから。

 

 ──(じん)()(れい)()(ちゅう)(しん)(こう)(てい)

 

 人の心の放つ光のなんと素晴らしきことか。

 各々の信条や美学が放つ(きら)めきを、足利尊氏は心より愛して止まなかった。

 

 ……しかし、しかしである。

 

 斯様(かよう)に漆黒そのものとも言える殺意の塊をぶつけられる経験はこれまでについぞ無かった。

 しかも繰り出される一撃一撃が達人が放つかのような、まさに必殺の域。

 

 黒なる黒へと塗りつぶされてゆくような感覚。

 

 師直には、そんな主君の心情の変化が手に取るように伝わってきた。

 いよいよの時には身を挺してでもお止めせねばなるまい。

 

 そう考えていた、まさにその時…──

 

「まだ止めてやるなよ、兄貴」

「……ッ!」

 

 肩に手を置かれる。

 振り向けば、弟の高師泰(こうのもろやす)が尊氏の馬を()いた臨戦態勢の姿のままそこに立っていた。

 

 兄には僅かたりとも視線を寄越さぬまま、食い入るように戦いの行方を注視している。

 

「……師泰、仮にも足利家の軍配を預かる者が何を悠長なことを」

 

 怒気を込めて睨み据えるも弟はどこ吹く風。

 

「殿は楽しんでおられるのさ。今、アレに割って入れば血を見る羽目になるぞ」

「……貴様、(おく)したか」

 

「そう心配するなよ、兄貴。いざとなれば此の身を壁とするのは、それこそ俺の役目だぜ」

 

 言外に「だから兄貴はドッシリ構えてな」と述べ引き続き師泰は戦況の推移を見守る。

 そんな実弟の様子に師直も「……生意気な」と嘆息(たんそく)し、眼前の戦いに意識を戻した。

 

 

 

 

 覚悟を定めた兄弟の語らいを余所に、尊氏と闖入者の戦いはいよいよ佳境(かきょう)へと向かってゆく。

 

 暗闇の中でもハッキリと視認できるほどに火花が飛び散る激しい打ち合い。

 尊氏はその中で並外れた体術で嵐の如き槍捌きをいなし、躱し、時には反撃までも試みる。

 

 牛若丸と弁慶もかくやという立ち合いの中で、尊氏が徐々にその戦闘に慣れつつあるのは明白。

 このまま続くのであれば尊氏の太刀が不埒な襲撃者の首を狩る瞬間が訪れるのも遠くはない。

 

 そう思われていた、刹那。

 

(……む、来られるか!)

 

 深編笠の奥で襲撃者の眼光が一際鋭くギラついたかと思えば今までにない速度の打ち込み。

 常人ならば反応すら出来ずに顔面に風穴を空けていたことであろう。

 

 しかし尊氏は常人に(あら)ず。

 もはや完全に槍の間合いを見切っていた彼は、軽く首を動かしその軌道の死角に潜り込んだ。

 

 一寸の見切り。

 達人にしか為し得ぬ業前(わざまえ)を以って刺突を悠然と待ち構える。

 

 今までにない尋常ならざる渾身(こんしん)の一撃。

 なればこそ、それは裏を返せば今までにない致命の隙を晒すことをも意味していた。

 

 (きた)る終わりの時を名残惜しく思いつつも、(あやま)たず必殺の一撃の備えに移る尊氏。

 しかしここで槍の軌道は思いもよらぬ変化を()げた。

 

「チィッ!」

 

 これまでのいっそ流麗とすら形容できた槍技が突如、膂力(りょりょく)任せのそれとなる。

 襲撃者は伸び切らんとする己が得物を無理やり引き戻すと、第二の刺突を放ってきたのだ。

 

「──ッ!?」

 

 全身全霊を込めたと思われる刺突からの、続けざまの二段突き。

 意識が攻撃へと切り替わっていたところへのこの一撃は、完全に尊氏の不意を突いた。

 

 しかし尊氏は、この一撃にすらも反応してみせた。

 

 姿勢を崩しながらも、本能が為せる脅威の体重移動により刀を振り抜きながら距離を詰める。

 安定しない体勢ながらも、尊氏ならばともすれば相手の致命に届き得るであろう手応え。

 

()った──…ッ!?)

 

 しかし…──

 

 

 

 

 

 

 十文字槍の軌道は、二度変化する。

 襲撃者が槍の柄を引き絞ると、先端の十字の穂先は空気すらも抉るように回転した。

 

 それを男は、無言のまま力任せに振り下ろす。

 

「──ハッ!」

 

 思わず漏れ出る喜悦(きえつ)の声。己が死を強く幻視する一瞬の交錯。

 尊氏は今、この上ない高揚感が己の体内を駆け巡っていることを実感していた。

 

(今更止まれるものか… 否、ここで進まずしてなんとするッ!)

 

 相手方の得物により命を刈り取られるのが先か、はたまた相手方に死を馳走(ちそう)するのが先か。

 もはや尊氏にとって、その道は二つに一つであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()くして、夜の京に新たな血潮が舞う。

 

 尊氏は右頬から耳にかけて斬り(きず)を残し、男は裂けた深編笠の奥より鮮血を滴らせていた。

 互いの間合いは二間(おおよそ3.64m)ほど。

 

 捨て身で迫る尊氏に向けて男は更に一歩踏み込み、その腹を躊躇なく蹴り飛ばしたのだ。

 

 その結果刀も槍も相手を掠める程度に留まり、双方浅手を負っての仕切り直しと相成っていた。

 

「カハッ! ……全く、貴殿は尽く私の想像を超えてゆかれる御仁ですな」

 

 尊氏が膝立ちの状態から腰を上げようとしたその時、割って入る二つの影。

 

「大丈夫ですか、殿!」

「ここは我らに任せて、どうかお下がりを!」

 

「………」

 

 襲撃者と主君が離れた瞬間、機を逃すことなくその身を盾にして割り込んだ郎党である。

 そのまま油断なく前方の襲撃者を見据える。

 

 ……油断はない。

 

 他でもない、敬愛して止まぬ主君が手傷を負うほどの手練れが相手なのだ。

 及ばぬまでも身を捨てて一所懸命に喰らいついて、なんとかここで始末せねばなるまい。

 

 その結論に至るのは戦を知る武士として至極当然の思考であると言えた。

 

 ……重ねて、油断はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──白刃一閃。

 

 襲撃者の前に主君の盾となった勇気ある郎党たちは哀哉(かなしいかな)、反応することさえ叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……何故ならば、斬撃は彼等の『背後より』見舞われたのだから。

 

「と、の…?」

「な、なにゆえ…」

 

 月明かりの下、足利尊氏は常の如く人を(とろ)けさせるような笑みを浮かべている。

 ……手にする刀に、今しがた付着したばかりの郎党の血を滴らせながら。

 

 斬ったのである。

 足利尊氏が、自らの郎党を。

 

 尊氏に最も近しい家来と目される高師直すらも、今は目を見開いて絶句している。

 

「悲しいなぁ。とても悲しい、慙愧(ざんき)の念に()えない。……だから『危うい』と申したのに」

クルナ

 心底悲しそうな声音で、倒れ伏す部下たちを見下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

「言ったであろう。『私の前には出てくれるなよ』と」

ワタシノジャマヲスルナ

「言ったであろう。『無駄に命を散らすことが忍びない』と」

サモナクバイノチハナイ

 自らの血肉の如き家来を失ったことを心から(いた)みながら。

 

「しかし… あぁ、しかし決して無駄死ににはさせまいよ。そうでしょう? ……む」

 

 仲間の死はとても悲しいものだ。

 しかしそれを乗り越えて強敵を成敗すれば、彼等の死は無駄にはならないはずだ。

 

 そう結論付けた尊氏は、絶佳の月夜の『襲撃者』に目を向けようとして…──

 

 

 

 

 ──ぬるりと迫る濃密な殺気。

 

 

 

 

 

 

 神速の突き。

 

 咄嗟に刀身を滑り込ませたものの衝撃を殺しきれず、たたらを踏む羽目と相成る。

 

「くっ! 貴殿、よくよく油断の出来ぬ御仁であるなぁ!」

 

 遠慮会釈なしに、襲撃者がすかさず追い討ちをかけてきた。

 

 足利家家宰をして思考に数拍の空白が生じてしまうほどの、かの凶事。

 それらを目の当たりにしながら、されど男は我関せずとばかり襲いかかってきたのである。

 

 先程までの絶技とも思える槍捌きではないことが尊氏を困惑させる。

 これまで、合理に(かな)った絶技なればこそ動きが読み易いという向きもあった。

 

 無論、それは尊氏だからこそ言えたことである。

 しかし今は違う。

 

 これまでの間合いの保ち方が嘘のように距離を詰めに詰めてくる。

 そして術理(じゅつり)などあったものではない。ただ只管(ひたすら)に、力任せに滅多打ちにしてくるのだ。

 

 無論、そのような雑な攻撃に音を上げる尊氏ではないが…──

 

(……いかんな。……私はともかく、太刀が()たぬか)

 

 そして、『その時』は訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──キィィィン…

 

 乾いた金属音を響かせて、尊氏の太刀が刀身の根本から折られていった。

 

「……先程『想像を超えてゆかれる御仁』だとか抜かしていたな?」

 

 襲撃者は無防備となった尊氏に対して槍を大上段に構える。

 

「生憎だが、俺の方は貴様が『そういう男』であるとよく知っているのだ」

「……私を?」

 

「貴様は笑いながら大切な者を殺せる男だ。笑いながら大切な物を捨てられる男だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だから己のために命を投げ出せる部下を笑って斬り殺せるのだ。

 

 だから己が主君を笑いながら斬り捨てることが出来るのだ。

 

 貴様は奪い、喰らうことこそが目的で、だからこそ手に入れた物には執着しない。

 

 ああ、さぞや… さぞや『気前の良い主君』『器の大きい主君』と慕われていることだろう。

 

 それこそが、あるいは『武士の斯く在るべき姿』なのかも知れない。

 

 だとすればきっとそれを受け入れられない俺こそが武士に在るまじき存在なのだろうさ。

 

 だが、そんなことはもはやどうでもいい。なんだって構うものか。知ったことかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──糞食らえだッ!!! 

 

 数瞬の狭間に思いを馳せて、血の如き絶叫を心の内に吐き捨てた。

 

「さらばだ、足利尊氏。貴様の『道』は今ここで閉じさせてもらう!」

 

 執念、鍛錬、知識、仲間、好機、間隙、油断、幸運。

 

 あらゆる全てを駆使して(ようや)く届いたこの一撃。男は万感の思いを込めて振り下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「させねぇよ!!!」

 

 鈍い衝撃と激しい金属音。

 

 いつの間に両者に接近していたのか、足利家の軍事責任者・高師泰(こうのもろやす)がその一撃を弾いていた。

 業物の長巻を片手に、空いた方の手で尊氏の襟首を掴むとヒョイッと後方に投げ捨てる。

 

 人間離れした恐るべき怪力である。

 

 無論、その扱いに算を乱すような尊氏ではない。

 羽根が舞うようにヒラリと師泰が牽いてきた馬の背に降り立った。

 

「師泰、君も私の言葉に逆らうというのか。悲しいなぁ」

「そりゃこっちの台詞だぜ。殿、この無様を泉下の貞氏(さだうじ)公にどう申し開きするつもりだ?」

 

「む」

「足利の大将に敗北は許されねぇ。……順番を(たが)えるなよ。死ぬならまず俺からだ」

 

「……むぅ」

 

 尽くの正論に加え、人として尊敬していた父のことを持ち出されてはたまらない。

 しかも、足利の棟梁(とうりょう)として恥ずべき振る舞いであったことも否めない。返す言葉もない。

 

 やり込められた気配を察知して、という訳では無いだろうが馬の手綱を引く手がある。

 

「おい、師直」

「本日のところは御自愛下さい。御身に手傷ありと耳にされれば直義様も御心休まらぬでしょう」

 

「……君たちは。……はぁ、分かった。……私の負けだ。……今日は引き下がるとしよう」

 

 心配性な弟のことまで持ち出されては、いよいよ以って勝ち目がない。

 

 ドッカリと馬上に腰を下ろして抵抗を諦める。

 もはや尊氏には両手を上げて降参するより他に道はなかった。

 

 そんな兄と主君のやり取りを聞き流しながら、高師泰は鼻を鳴らし眼前の男に語り掛けた。

 

「フン、意外だな。俺らのやり取りをただ黙って見過ごしてくれるたぁな」

「……隙を晒していたならば、無論、仕掛けていたとも」

 

「ハッ、光栄の至りとでも言えばいいかぁ? ……さて、こっからは俺が引き継ぐ」

 

 その言葉を皮切りに、再び、ひりつくような緊張感が辺り一帯を支配し始める。

 高師泰は長巻を、虚無僧の男は引き続き十文字の異形の得物を各々で構える。

 

「こちとら手前(テメェ)勝手(がって)な下郎の無礼に付き合ってやるんだ。連戦だろうが否やはねぇな?」

「………」

 

 師泰の啖呵(たんか)に、襲撃者も裂けた深編笠から覗く顎を軽く引くことで無言の(いら)えとする。

 それを見た師泰は獰猛なる笑みを浮かべる。

 

「ククッ、いい度胸だ。いい侍だ。……殺すのが惜しいほどにな」

「………」

 

「だが、殺すのが惜しくなるやつほど殺さにゃならんのが世の常だ。……いざっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それには及ばぬよ、師泰」

 

 怜悧(れいり)な声が響き渡る。

 高師直である。

 

 見れば、いつの間に準備を整えたのか足利家の郎党が弓を番え男に狙いを定めていた。

 

「……兄貴よ、つまらん真似をしてくれるな」

「聞けんな、師泰。もはや事態はおまえ一人の私闘に落とし込んで良い小事に非ず」

 

「……けっ!」

 

 師泰は苦々しげな表情を隠そうともせず、大路に唾を吐き捨てた。

 尊氏も先程までとは打って変わって白けた表情をしている。

 

 それでも反論らしい反論を返せないのは師直の言っていることが全て正論であるからだ。

 

 男は、この襲撃者は、紛うことなき足利家の脅威である。

 一同にそう認識させるに充分なほどに、男は『力を示し過ぎてしまった』のだ。

 

 斯様な不穏分子を冷徹と合理の化身、高師直がみすみすと見逃すはずはなかった。

 囲める時に確実に囲み殺す。そこに戦の高揚も浪漫も不要、ただ結果のみを取れれば良い。

 

 究極にして絶対のリアリスト、それこそが足利家家宰・高師直の本質であった。

 

 男の命はまさに風前(ふうぜん)灯火(ともしび)

 

「………」

 

 

 

 

 ついには、(よる)静寂(しじま)を斬り裂く風切り音が鳴り渡った。そして…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弓を番えていた足利家郎党たちが一人また一人と倒れ伏す。

 倒れた郎党の身体には深々と何処かより飛来した矢が突き刺さっていた。

 

 この暗闇の中で足利家郎党を襲撃してみせた下手人がまだいる。

 しかも、師直が男を射るよう命じるよりも早く。

 

「これは一体ッ!?」

 

 予想外からの奇襲にさしもの師直を驚愕を(あら)わにする。

 その隙は襲撃者にとっては起死回生の好機として作用した。

 

「ハハッ、流石は鍾馗だ。相変わらず戦の機というものを俺以上に心得ている」

 

 云うが早いか、男は器用に槍を扱い(ましら)の如き身軽さで手近な塀の上へと跳躍する。

 

「貴様! よもや闇の中、郎党に『自分ごと射掛けさせた』のか!? 気狂いめが!!」

「ハッ、正気のままでは【足利族滅】という途方も無い夢は成し遂げられぬだろうからな!」

 

「──なッ!?」

 

 この男の行動理念は【ただ足利を滅ぼすこと】のみ。

 政敵の排除でも、御家の繁栄でもなんでもなく、もっと純粋で単純な殺意であったのだ。

 

 そんなドス黒い殺意をまるで春のそよ風の如く受け止めた足利尊氏が笑みを濃くする。

 

「して、薦僧(こもそう)殿。今宵の記念に、せめて貴殿の名を頂戴仕りたいのですが」

「……名だと?」

 

 塀の上で月明かりを背負い、深編笠の奥より届いてくる鋭い眼光はまるで大江山の鬼の如く。

 

「そうさな… 景清(かげきよ)平景清(たいらのかげきよ)と、そう覚え置くが良い。貴殿ら足利に仇なす者の名である」

 

 そう言い残し、用は済んだとばかりに塀の向こうへと降り立ち夜闇へと消えていった。

 

 平景清。

 鎌倉時代成立前後に活躍したとされる平家方の武者である。

 

 鎌倉幕府、とりわけ源氏に恨みを抱き各地で度々挙兵して乱を起こしたとされる。

 同時に複数存在していた記録もあり、一種の称号のような扱いだったのではと見る向きもある。

 

 そのことから現代においては全国各地で様々な伝説・伝承として語られる存在でもある。

 

 当然、男がこの名を名乗ったことは偽装を兼ねた一種の当て付けでもあったのだが*3

 

「……平景清だと。一体どれほど昔の存在だと思っている」

 

「ハハハ! 景清殿か! よし、(しか)と覚えたぞ! 師泰、次は君に譲らぬからな!」

「そりゃないッスよ、殿。俺なんざ兄貴の余計な茶々のせいで水入りになっちまったってのによ」

 

「信じないで下さい、殿。師泰もだ。……何をしている、貴殿ら。()く不埒者を追うのだ」

 

 今の尊氏らにとっては知る由もないこと。

 テキパキと郎党らに追っ手の指示を出し始める師直を後目(しりめ)に、京の夜は更けてゆく。

 

 護良親王による夜闇の足利尊氏襲撃事件。

 

 本来、これは幾つも企てた足利尊氏排除運動の失敗した一つとなって終わりのはずであった。

 しかし、この夜を境に徐々に歴史の歯車はズレを生じ始める。

 

 その源流となるのがこの地・京の都であるのか、はたまた、諏訪・鎌倉であるのかは…──

 

 

 

 

 

 ……今はまだ、誰も(あずか)り知らぬことである。

*1
およそ2.1m前後。

*2
退却する軍の後方に配置され、敵の追討を防ぐ役割を担う重要な部隊のこと。殿(しんがり)とも云う。

*3
鎌倉幕府を簒奪するのであれば、その呪いも受け止めてみせろ。まさか嫌とは言うまいな? という嫌がらせ、もとい怨念からである。




【鍾馗がタイミングを外した場合のIFルート(ジョーク企画です)】

 絶体絶命の窮地。

 まさにその刹那、弓を番える足利武者たちの頭上を白い影が舞う。
 ゴキャリ、という鈍い音。

 蹴りにより首が折れたのであろう。
 一人が倒れ、続けざまにもう一人も首を折られる。

 そうして、その反動の跳躍で白い影は向かいの塀の上へと着地し身を(かが)めた。

 若い男である。

 年の頃はまだ二十代に届くか届かないかといった辺りであろうか。
 狩衣(かりごろも)よりも更に身軽そうな白い服を纏い、この時代には珍しい脚絆(きゃはん)を履いている。

 黒い長髪を後方で一本に縛り、襲撃の下手人とは思えぬ人懐っこい笑みを浮かべていた。

「いきなりで悪かった。……でも放っておいたらそのオッサン死んじまうんだろ?」
「おのれ、何奴ッ!?」

「行き倒れてたところをそのオッサンに飯を施された… ただの、『陸奥』さ」

【陸奥圓明流ルート!(ジョークです)】
 御存知ない方は「修羅の門」「修羅の刻」で是非検索を。
 名作コミックですよ!
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