(……
なにせ相手はあの足利尊氏である。
極めて儚い望みではあるが、無傷と言わずともせめて命は無事であって欲しいと切に願う。
窮地に駆けつけてくれたあの姿が、何処か在りし日の腹心たちと重なって見えた。
危険を顧みず自分に尽くしてきてくれた腹心たちであった。
そこに身分の垣根など存在しないかのように、様々な階層の者たちが集った。
野武士や僧兵、果ては氏素性も知れぬならず者まで。
彼等を見れば眉をひそめる公家連中はきっと少なくなかったであろう。
しかし、逆境に継ぐ逆境から始まった大戦を共に駆け抜けてくれた大切な仲間たちであった。
……今はもう、どこにもいない仲間たちを思う。
無力感に苛まれる。
(すまない、
自己満足な祈り。
護良親王は嫌というほど世の不条理を知りながら彼の無事を願わずにはいられなかった。
……否、『願うしかなかった』のだ。
後世で【元弘の乱】と呼ばれる大戦で比類なき功績をあげた、この若き俊英がである。
夜闇に紛れるように一人落ち延びながら、ただただ、天に縋るより他に打つ手は無かった。
その悔しさたるや
父帝は足利尊氏ら武士の力を背景に、この京の実権を見事掌中に収めた。
長きに渡る
しかし、それとは裏腹に遅々として進まぬ
それは何故か? 考えるまでもない。
足利尊氏が『余りにも鮮やかに短期間で鎌倉幕府を滅亡させてしまった』からである。
その政治手法の理解や引き継ぎが進まぬまま、徹底的に鎌倉幕府を破壊し尽くしたのだ。
……これでは父帝の改革が一向に進まないのも無理はない。
むしろ小さな不満は
しかしそれも時間稼ぎにしかならないことを、他でもない護良親王は気付いていた。
時が流れるほどに状況が悪化するしかないことを英明と謳われた彼は誰よりも理解していた。
だからこそ父帝の助けとならんと、これまで以上に知恵を振り絞った。
果たして、一体何処から歯車が狂い始めたのか?
その根本となる原因を辿ってみると、常に一人の男のもとへと導かれてゆく。
──足利尊氏。
陛下に忠誠を誓うと
……鎌倉も鎮西も掌中に収めながら、である。
強大な影響力を保持しながら宙に浮く姿が護良親王はたまらなく恐ろしかった。
帝のためなら犬馬の労も惜しまぬと
北条家の残党を警戒すると述べ、日ノ本のあらゆる各地に兵を向かわせられるその武威も。
──『尊氏殿がこうして見守って下さるとなれば、いよいよ天下も安泰じゃ』。
(あの発言は誰のものであったか… 確か何かの折の席でのことであったな…)
それはきっと、宴の席か何かでの浮かれてしまったが故の発言であったのだろう。
が、その発言が不思議と護良親王にはしっくりと来た。
……足利尊氏は不気味な沈黙を保ちながら事態を『観察』している。
それが、見る者によっては『見守られている』と感じるのだ。
そう考えれば全ての辻褄があった気がした。何を狙っているのかまでは分からないが。
もとよりこのような考えは妄想・思い込みの域に全身を突っ込んでいると言って差し支えない。
しかし、現実問題として父帝は鎌倉も鎮西も手に入れられなかったのだ。
もはや鎌倉幕府の政治手法を引き継ぐ手段は失われた。
難癖をつけ武士である足利尊氏からこの二つを奪うのは暗殺以上の難行と言えるであろう。
恐らく遠からず、
それもただの失敗ではない。
大乱が起こった際、その不平不満は全て父帝へ向けて注がれることであろう。
遠からず
貴族は基本的に己の武力を持たない。
中には護良親王の如き文武両道の例外もあるとはいえ、それが
護良親王と楠木正成ら一部の忠誠厚い者たちで全国相手に果たして何処まで戦い抜けるか。
その時に足利尊氏が味方側であればまだ良い。
だが、彼は朝廷内で確固たる地位を求めなかったのだ。まるで一定の距離を取るかのように。
(……その姿は、『周囲』にはさぞや不遇をかこっているように映るであろうな)
彼が真に求める地位や恩賞について尋ねてみてものらりくらりと
その真意は
もはや足利尊氏の心情の内実がどうであれ、不安定な政情は限界まで来ている。
そうなれば、『次代』にと担ぎ上げられるのは足利尊氏を置いて他にないであろう。
だからこそ彼が真の忠臣であれ、その皮を被った奸臣であれ、消さねばならぬと決意した。
その結果、自身が疎まれ… 他でもない父帝の手によって廃されようとも。
正しき皇統による治世。
そんな善き未来に繋がるのであれば、そこに
護良親王はその一心で、足利尊氏と心中せんとする悲壮な覚悟を固めていた。
仲間たちにもよくよく言い含めていた。
こんな馬鹿げた
……それでも、ただの一人も彼の下を去りはしなかったのだが。
(アレは危険な男だ。その判断が間違いであったとは思えない。もし間違いがあったとすれば…)
──ここまで仲間たちを
人知れず、護良親王は唇を噛み締める。
これまで志を同じくする仲間たちと行った数々の襲撃は全て失敗に終わった。
一度失敗し、仲間が減った。
また失敗し、更に仲間が減る。
幾度も、
焦りが招いた暴走であったことはもとより否定できまい。
しかし、それでも都度彼等なりの確かな勝算を抱いて挑んできたはずであった。
にも
まるで『遊ばれている』かのように。
迷いを振り切るように、起死回生を狙って最大規模の襲撃を行ったのが今宵の夜討ちである。
実弟・
だからこそ、もはや小規模な軍勢と言って差し支えない手勢を引き連れ奇襲を行ったのだ。
……それでも尚、及ばなかった。
いや、言葉を
今後は計画を大幅に後退させざるを得まい。
そも再度計画を練るだけの猶予が果たして自身に許されているのか、という問題はさておき。
そんな護良親王の自嘲混じりの物思いを、
ふと、いつしか
斜め後方より響いてくる。
「何者か。……我が敵であるならば」
「私どもは足利に敵する者。誓って御身を害する意図はありませぬ」
「で、あるか」
たとえ
……特にここ、京の都では。
護良親王は
闇の中より姿を現したのは壮年から初老に差し掛かった僧形の男であった。
存在感を消しつつ見事な
少なくとも、これまでに部下として接見したことはないということであろう。
(いずれか余所の家中の者であろう。この状況で
別に取り囲もうとしているわけではない様子。敵意も感じない。
今すぐ逃げようとすれば
だが、それではあまりに芸が無い。
護良親王の生来の負けん気が顔を覗かせた。
「ならば如何なる用向きか。
「
「……ふむ」
からかうように問うてみれば、鉄面皮のままに男は
何処かへと自分を誘導しようとしているという推察は大きく間違ってない様子。
それを隠す気も感じられない。
しかし無理を押して、というつもりもないようである。
(……面白い。さて、どうしたものか)
相手側に
親王たる自分に取り入ろうとする者か、はたまた邪魔と思う者かは依然として読めぬまま。
護良親王は親王でありながら征夷大将軍になったばかりの
嫉妬混じりに『お飾りの将軍』『名ばかりの宮将軍』と
親王の出世栄達を面白く思わぬ者など、宮中だけでもそれこそ数え切れぬほど存在する。
本来その危険性を考えれば、正体不明の相手においそれとついていけるはずもないであろう。
それが常識的な考えというものである。
(そこを敢えて乗ってみたい気持ちもなくはないが… やはり今宵ばかりは、な)
自分を罠に嵌めんとする相手ならば敢えて喰い破って悔しがる顔を拝んでみたい。
そういう才気溢れる若者にありがちな勝ち気な部分が彼にもあったが…──
計画が失敗したばかりとあっては
叶うかどうかはさておき立て直すならば早めに、それこそ今すぐにでも着手するべき事案だ。
「折角のお誘いではあるが、今宵は…」
分かりきった答えを返そうとして、ふと引っ掛かるものがあった。
……敢えて今宵、この状況で接触してきた理由は?
もし、それが偶然ではないのであれば… そんな思いのままに口を開いてみる。
「時に、君は先程残ってくれた男と何かしらの関係が?」
「……は。あれなるは我が殿に御座る」
僧形の男が初めて人間らしい表情を見せた。
そこに宿るは確かな熱。
なるほど、であれば答えは定まった。
護良親王は静かな笑みを浮かべながら返答の続きを口にした。
「そうか。ならば向かわせていただくとしよう」
「……よろしいので?」
「あぁ、彼には後程礼を云うと
その言葉と裏腹に、残ってくれた者の命は絶望的な状況であると親王も理解している。
なんせ相手は鬼神もかくやという足利尊氏である。
いや、尊氏が仮に『遊んでくれていた』としてもあすこには尊氏の郎党らもいた。
今まで自分が見逃されてきたのも、飽くまで
護良親王は若く才気に溢れていたが、ある種の諦念とともに現実というものも理解していた。
(しかし、
なれど、恩人の身内の頼みとあらば是非もない。
自らが皇族であればこそ、相手の身分に関係なく誠意には誠意を以って報いるべきである。
護良親王は本気でそう考えていた。
「さぁ、
「はっ!」
武勇知略に富みながら、斯様に一本気すぎるほどの貴族らしからぬ性格。
あるいは、こうした部分が護良親王が声望を勝ち得た理由の一端だったのかも知れない。
護良親王にとって見覚えのある貴族屋敷、その奥の間へと通される。
心許ない
「……やはり貴殿でしたか。
その声に応じてゆるりと顔を上げたのは持明院統の重鎮、
かつて
大覚寺統である後醍醐天皇や護良親王とは、謂わば政敵同士の間柄にあたる人物であった。
この時代の天皇世襲制にはやや複雑な事情が絡んでいる。
時に寛元四年の1246年、後嵯峨天皇は当時2歳の息子・久仁親王に譲位した。
権力を手放して退いたわけではなく、上皇として院政を敷くための手続きであった。
しかし時は進み十三年後の正元元年、天皇とした息子(後深草天皇)は大病を得てしまう。
後嵯峨上皇は慌ててその弟である恒仁親王に譲位をさせることとなった。
ここからが悲劇の始まりであった。
幸か不幸か、後深草天皇は無事病より回復するも戻る場所は残されていなかった。
自分は上皇となったが、父は更に上の立場の法皇となり依然として院政を敷いている。
政務に携わることは出来ない。出来ても影響力など知れたものである。
おまけに回復したとはいえ病の後遺症は重く、内裏が火事になっても足が立たぬほどなのだ。
鬱屈した気持ちに追い打ちをかけるように、九年後の文永五年…──
年長である自分の息子を差し置いて、弟の子が次の天皇として立太子されてしまった。
後嵯峨法皇は何故このような判断を下したのか。
突如
あるいは、皇統を
いずれにせよ、後嵯峨法皇は真意を明かさぬまま遺言にも後継者の名を残さず崩御した。
困ったのは皇室を始めとした宮中である。
このままでは次の皇統が定まらない。されど、話し合いで解決するようにも思えない。
両者の確執は、もはや内部の者たちだけでは解決できないところまで来ていたのだ。
そこで鎌倉殿に判断を委ねる、という形で白羽の矢が立ったのであった。
押し付けられたとも言う。……鎌倉幕府からすればとんだとばっちりであった。
複雑怪奇な皇統問題の調整を丸投げされる形となった鎌倉幕府はほとほと困り果てた。
幕府というと中央集権体制を確立した強固な支配制度を持っていると誤解されがちである。
しかし、当時の鎌倉幕府はほぼ
六波羅探題*3を置いて不審な動きを監視はしていても拠点は飽くまで鎌倉なのだ。
当然宮中の内情など知らぬ。皇統問題などというドロドロした内向けの話はもっと知らぬ。
それでも慣れないなりに必死に頑張って関係者等に聞き込み調査を行った。
頑張って後嵯峨法皇の后など様々な関係者に話を聞いてみた。
聞いた上で、結論を出してみた。
──『多分、後嵯峨法皇の真意としては亀山天皇による親政だったんじゃないかなぁ』と。
幕府としては介入したくもないのに介入させられた形である。頑張った方かも知れない。
しかし、関係者にとってはそうではない。
亀山天皇は喜び勇んで立太子されていた自分の子を天皇に据えて、上皇院政を敷き始めた。
後深草上皇はブチギレて太上天皇の尊号を辞退して出家することを表明した。
不幸なことに、鎌倉幕府の頑張りによって両者の和解の道は永遠に閉ざされてしまった。
難題には敢えて答えを出さず玉虫色のまま放置した方が誰もが幸せになれたのかも知れない。
しかし、残念ながらそういった政治的な機微は鎌倉武士には少々難しかったのだろう。
──余談ではあるが。
流石に後深草上皇に悪いと思ったのか、はたまた彼の政治力と執念が並外れていたのか。
関東申次の西園寺
そして、ついには時の執権・北条時宗に後深草上皇の子の立太子を認めさせるに至る。
これにより、持明院で院政を敷くこととなった後深草上皇の勢力は政治的に盛り返してゆく。
それで終わればまだ良かったのだが、しかし、鎌倉幕府はまた余計なことをした。
大覚寺で院政を敷いていた亀山上皇らの派閥にも気を遣ってしまったのである。
それが、今後は上皇・天皇の二代ずつ持ち回り制で皇統を交代させていく旨の通達である*4。
これによって後に持明院統と大覚寺統と呼ばれる両統の争いはますます激化していった。
狙って権力を分散させたなどではなく天然で(しかも恐らく善意で)やったのだから恐ろしい。
こうして鎌倉幕府は両統から満遍なく、とても強い恨みを買うことと相成ったのであった。
この時より今日に至るまで数十年以上の両者の根深い確執は続いている。
そして今後も数十年間に渡って続いていく予定の確執なのである。誰も幸せになれなかった。
そもそもが後醍醐天皇が引き起こした元弘の乱も皇統相続問題が発端となっている。
後醍醐天皇は、幕府の取り決めを無視して自らの嫡流を立太子しようとした。
果たして部外者である鎌倉幕府の取り決めなどに従う必要があるのか、ということである。
ごもっともな論ではあるが
関係ない相手に厄介事の後始末を押し付けてきたのは誰だ、というのが幕府の言い分だ。
こうして幕府という火種を軸に、大覚寺統と持明院統の骨肉の争いが表面化した。
そして天皇は流されては復活し流されては復活しを繰り返し、色々あって鎌倉は灰になった。
最後までとばっちり感が拭えなかったが、なんとなく自業自得感も漂う結末であった。
長い余談が続いたが、つまるところ持明院統と大覚寺統は本来相容れぬ政敵同士である。
そんな不倶戴天の関係の相手と、導かれた先で人目を憚る形で邂逅を果たしたのだ。
如何に豪胆な護良親王とて警戒の色を滲ませ相手の出方を伺うのは無理からぬことであった。
そんな護良親王に対し、西園寺公宗は柔和な笑みを見せながら穏やかに言葉を紡いだ。
「親王殿下をお招き出来て光栄至極。……どうぞ上座へ」
「……お気遣い、痛み入ります」
この時代において、征夷大将軍と大納言では当然大納言の方が格が高い。
にも
少なくともこの場においてこれまでの政治的対立は表に出さないという意思表示であろう。
会話の主導権を譲ってもらえた形になる。
ということは、西園寺公宗からの話は護良親王にとって悪くない内容であると思われる。
……少なくとも、無下にはされまいと見立てているのであろう。
有り難く上座に腰掛けた護良親王は、未だ平伏している二名に視線を向けて観察する。
一人は壮年の武士。今一人は年端もいかぬ少年であった。
更に驚くべきことに、壮年の武士はこの少年に従うよう一歩控えた位置にて平伏をしている。
(男の方には見覚えがある。……確か先の
執権の弟ともなれば北条得宗家の一門衆の中でも筆頭格の筈。
それを従えているとなれば、自ずとこの少年の正体も絞れてくるというもの。
「
「はっ。
「……ほう」
護良親王は胸中で感嘆の吐息を漏らす。
顔を上げ、自身の顔を真っ直ぐと見つめてきた少年の
なれど、何処か人を安心させるような愛嬌を感じさせる
(……あるいは、それも一つの才覚か)
よほど肝が据わっているのか、まるで緊張を感じさせない振る舞いにも好感が持てる。
背後に控える泰家殿の方がよほど自分を警戒しているではないか、と静かに苦笑を浮かべた。
とはいえ、線引きはしておかねばなるまい。
「邦時殿か。
「は、然様に御座います」
「そうか、守邦親王殿下こそは先の征夷大将軍。
守邦親王は親王の身位を持ちながら生涯京に立ち入ることのなかった征夷大将軍である。
僅か八歳の時に就任し、在任二十四年目にして幕府滅亡を見届けた悲運の人でもある。
その内実は『鎌倉統治のために用意された名目上の将軍』に過ぎなかった。
謂わば幕府と朝廷の板挟みになって全てを失った人物こそが守邦親王であった。
守邦親王と護良親王。
両者には『役職を追われた者』と『役職を奪い取った者』の明暗が綺麗に分かたれていた。
先の発言は言うまでもなく、守邦親王の立場からすれば非常に無神経な物言いである。
かの親王をこそ将軍と仰いで幕府を維持してきた北条得宗家にとっても、同様に。
無論、そんな道理も分からぬままに引き合いに出す護良親王ではない。
後深草天皇の孫に当たる人物なので一応は政敵の持明院統ということになるのではあるが…
(必要以上に
なんということはない。
要は子供に向けた『君たちと自分とでは残念ながら立場が違う』という旨の意思表示だ。
特に異心は無いにせよ、その構えだけは見せておかねばならぬ身上であるのだから。
これは本来敵同士の会合に
この忠告の意図を汲み取れぬほど鈍感であるのならば、それはそれでかえって安全でもある。
いわばこの一連の会話は邦時という器を測るための試金石。
(鎌倉幕府の仇である
怒るであろうか? 悲しむであろうか? あるいは表情を隠し何事かを企てるであろうか?
果たして少年の反応は…──
「おお、然様で御座いますか。今後益々御活躍との
──
「
柳の如く受け流され、逆に護良親王の側が動揺を
そんな様子すらも邪気のない笑顔にてへらりと笑われる。
自身の
(……あるいは、観察されておったは
護良親王は胸中にて、眼の前の少年… 北条邦時に対する警戒を一段階引き上げた。
「驚かせてしまいましたか? しかし、今の私めの飾らぬ本音でありますれば」
彼の穏やかならざる心中を知ってか知らずか、少年は柔和な笑顔のまま言葉を続ける。
とはいえ、護良親王としては鵜呑みは出来ない。
耳当たりの良い言葉ばかりを並べ立ててきた足利尊氏の例もある。
(武士の言葉など果たして何処まで信用できるか。……まして今は騙し騙されの世なれば)
見極めねばなるまい、と護良親王は抜き身の刀にも似た剣呑な空気を
「……貴殿の言葉、
「おや、然様で御座いましょうか?」
「うむ、我等は謂わば北条にとって仇も同然。そちらの泰家殿も然様思うておるのでは?」
「あらら、そうなのですか? 叔父上」
「えっ!? いやいや、まさかそのような… ハハハ」
「ふむ… そうは思うてはいらっしゃらないようですが?」
「……さ、然様か」
邦時が水を向ければ、本音が顔に書いてあるかのような性分の泰家は慌ててそう答えた。
精一杯の覇気を込めたにもかかわらず、邦時にはゆるりと躱されるかのようなこのやり取り。
護良親王としては思わず力が抜け、どうにも調子を狂わされるかのような気持ちとなった。
(いかんな、なんともやりにくい。……足利尊氏のような得体の知れぬ不気味さは感じぬが)
ふわりふわりとした雲を追い掛けてるような気分にさせられてしまう。
相手が子供というのもそれに拍車をかける。親王の生来の人の良さが仇為す形となった。
「……フフフ」
ここで第三者から笑みがこぼれる。
「西園寺卿」
「これは失礼」
これまで陰の如く存在感を消し、このやり取りを見守ってきた西園寺公宗その人である。
今は袖で口元を隠しながら静かに肩を揺らしている。
護良親王が視線で言葉の続きを促す。
その意を汲み取ったのであろう、西園寺公宗は再度言葉を
「フフ… 恨みに思うか否かなどは『どうでも良い』ことではありませぬか?」
「……どうでも良い、とは?」
「皆、言葉では『あやつが許せぬ』『この恨み晴らさでおくべきか』など口々に
「………」
「しかし、その実はどうか。人の心など時や都合とともに
なるほど、平安時代の古来より続く源平合戦の折から今日に至るまで。
昨日の敵が今日の友となることも、その逆となることも、まま起こってきた事態である。
いや、大化の改新やそれ以前にも同様の事件はそれこそ無数にあったであろう。
騙し騙されと、それに伴う権勢の変化は世の常なれば。
それらは所詮は一過性のもの。時の流れや利得に
いや、諸々の御題目のためにありもしないことを捏造されることとて多々あった。
口ではなんとでも言えるのだ。それは理屈としては正しい。
だが、それを認めてしまうことはこれまで護良親王が
その空気を感じ取ったのか、西園寺公宗が浅く頭を下げて言葉を続けた。
「失礼、なにも人の心を否定しているわけではないのです。むしろその
「……
「然様。……心の持ちようなどは、
「……なるほど。他者があれこれと人の心の
「は。故に手を取り合い利用し合えば良いのです。導かれる結果にこそ
西園寺公宗の伝えんとする言葉の意味は、護良親王なればこそ、この上なく理解できた。
宮将軍として短い期間なりに、宮中の様々なモノを護良親王もまた見て取ってきた。
人の心の内面など、限られた言葉からは決して
まして言葉を吐いた己自身ですら、自らの本音に気付いていないことすらままあるのだから。
──だからこそ。
逆に、護良親王の心は定まった。
「さればこそ、そこを曲げてお尋ね申す。……北条邦時殿」
「……は」
邦時は平伏し、護良親王の言葉を待つ。
「此度の乱は終息し新たな治世の幕開けが始まっておる。……一見、然様にも映る」
「……は」
「されど、乱は終わらず! 日ノ本各所に未だ無数の火種が渦巻いておれば!」
「……は」
「思えば数十年にも及ぶ両統の混乱より端を発したのが此度の乱である」
「………」
「その元凶たる北条得宗家が遺児として、邦時殿! 貴殿は
他者の本音など分からぬ世だからこそ、掛け値なしの自分の『本音』をまずぶつける。
其の上で相手の『本音』を引き出してみせる。
これが護良親王の取った【戦術】であった。
数拍の痛いほどの沈黙の後、北条邦時はゆるりと
今や普段の柔和な笑みは控えており、幼いなりに引き締めた表情で護良親王へと相対する。
そして静かに口を開く。
「然様。……
「……認めるか。
「しかし此れを『北条にこそ責が在る』と仰せの段、
途端、空間に重圧が伴う。物理的に肩にのしかかってくると感じる程の圧迫感。
乱の折に自ら剣を手に兵を率いたとされる護良親王だからこそ出せる、歴戦の威圧であった。
護良親王が凄絶な笑みを浮かべながら、刀に手を添える。
(……それが貴様の『本音』か、北条邦時)
中腰となった親王の姿勢から、泰家は甥がいつ斬り捨てられてもおかしくないと恐怖した。
今にも破裂せんばかりに張り詰めた空気の中で、しかし、邦時はふっと微笑んだ。
「されど」
「む」
「其れが『北条【にも】責が在る』との仰せなれば、決して此れを否定することは出来ますまい」
「………」
「故にこそ私は、親王殿下にも無論今上帝陛下にもなんら含むところは御座いませぬ」
……あの当時、誰も彼もが対応を間違えた。
謂わば今日に至る遺恨や確執も、その負債を数十年かけて支払い続けているようなもの。
朝廷も、北条も、それぞれ立場の違いはあれどそこは変わらないのだから。
そう邦時は言ってのけたのである。静かな笑みすら浮かべて。
そして更には…
「そも私どもが所望しまするは足利尊氏が首、只一つにて」
これには思わず護良親王の額にも冷や汗が浮かぶ。
「柔和な
官職も名誉も求めず、ただ敵を
それは紛れもなく武士の理論である。いっそ清々しいほどの
(
護良親王は手にしていた
この問答、決して長くはなかったが迷いへ
穏やかな表情で西園寺公宗へと語り掛ける。
「『互いに手を取り合い利用すると考えよ』と、然様に西園寺卿は仰られたな?」
「は」
「それはそっくりそのまま、そこな少年… いや、北条邦時殿にも当て嵌まったというわけか」
「フフ…」
「どうやら器を測られたは
ひと目見て
少し話してみて歳に見合わぬ見識と聡明さを備えた神童であると警戒するに至った。
しかし、腹を割ってみればなんということはない。
ただ足利尊氏の首を狙うがばかりの、底抜けの
(
一つ心残りがあるとすれば、自分を助けるために犠牲になった勇敢な侍のことであるが…──
護良親王が物思いに耽っていると、ふと、俄に屋敷が騒がしくなった。
「! ……よもや我等の動きが足利方に勘付かれたか!?」
刀を手繰り寄せ中腰に構えていると…
「宗繁殿、御帰還! 御付きの郎党の御方々も皆無事に御座いまする!」
予想だにしなかった報告が漏れ聞こえてきた。
思わず護良親王は邦時に視線を向ける。
少年はニンマリとした表情を浮かべながら口を開いた。
「殿下をお助けした武者に御座います。……もしや死したと思われておりましたか?」
その挑むような笑顔は得意満面に彩られていた。
返す言葉もないと苦笑しながら護良親王は頬を掻きつつ弁明する。
「流石にあの状況なれば普通は、な。……いや、相すまなかった」
「他の侍ならばいざ知らず、我が伯父・五大院宗繁に限っては『普通』は通じませぬ」
「……ははは。以後、気を付けるとしよう」
乾いた笑みでそう返し、護良親王は今ひとつ頼み事を口にする。
「彼には後程礼を言うと約していたのだ。どうか機会を戴けぬだろうか」
「無論ですとも。……その、彼が叔父上から解放された後になりますでしょうが」
「疲れておいでであろうし無理もない。……あるいは手傷でも負われたか?」
中間の報告を受けた際に邦時と泰家の表情が変化したことは観察していた。
もし
そんな護良親王に対して、邦時は観念したようなため息とともに口を割った。
「その… 足利の追撃を振り切るためにとある寺で待ち受けたは良いものの」
「……何故追撃を振り切るために待ち伏せを?」
「そこはまぁ、伯父上ですから」
「なるほど、わからん」
「……で、勢い余って追手の足利の郎党たちごと寺を全壊させて逃げ帰ってきたらしいです」
そんな信じられぬような出来事を聞かされた護良親王は、思わず絶句し目を丸くする。
本来、後の世で重要文化財に指定され、世界遺産の認定をも受ける国宝・
そんな由緒正しき場所が、1334年に五大院宗繁によって破壊されてしまったのである。
「……まったく、伯父上ときたら何をやっているんだか」
柔和な笑顔を終始崩さなかった少年が、額を抑えながら再度大きなため息を吐いた。
「クハッ!」
護良親王は、そんな年に見合わぬ邦時の苦労人染みた表情に思わず破顔一笑。
「ハハハハハハ! 構わぬ、邦時殿! どうかその
「……殿下?」
「盟約の結びには酒宴が定石というもの。そうであろう、西園寺卿?」
「フフフ… まさしく」
「そこで伯父上の失敗談を
護良親王と西園寺公宗、そして北条邦時。
今宵こそ後に『断金の交わり』と謳われる三者の、盟約の始まりの夜であった。
おまけ:その①
「いや、違うんですよ。別に世界遺産とか国宝とかを好き好んでぶっ壊すつもりはなかったんですよ。ただ足利の追手がしつこくてしつこくて、いい加減ちょっと減らそうかなって思ってたところにいい感じの遮蔽物があったんで、付いてきてくれてた腐乱や白骨と一緒に乗り込んでそこで戦ってたら、何もしてないのに壊れちゃっただけなんですよ。ちょっと月明かりしか光源がなくて勘に任せて槍を振り回していたことは認めますけど、そのくらいは些細な問題ですよね?」
※プライバシー保護のため音声は変えてお送りしております。
※なお、4階建て相当の建造物からフリーフォールしたにもかかわらずほぼ無傷で帰還した模様(詳細は次回に記載するかも、しないかも)。
おまけ:その②
「離してくれ、師泰! 清水寺でなんだか楽しい出来事が起きている予感がするのだ!」
「誰が離すかよ! いい加減年相応の落ち着きってモンを持ちやがれ、バカ殿が!」
「いいぞ、師泰。そのまま殿を縛り上げる故、決して離すな」
「テメェ、クソ兄貴! ちょっとは手伝いやがれ! ていうか俺ごと縛ってんじゃねぇ!?」
「あぁ、あぁ! 楽しい出来事が! 楽しい出来事が終わってしまう、景清殿ォーッ!?」