東海道。
畿内と関東を結ぶ主要幹線道路である。
古くは飛鳥時代や奈良時代などの書物にも記載が残る道である。
無論、鎌倉時代においてもその道は活用されていた。
そうなるに至るには時代の背景というものも存在する。
朝廷が度々見せていた不穏な動き。
これに対応するため、幕府は早馬を常備した駅舎を街道随所に配置しその連絡を密にした。
この時代における大規模通信網の萌芽とも呼ぶべき存在、それが東海道であった。
しかしながらこれが十全に活用できていたかと言うとそうでもないようである。
比較的長く続いた平穏からくる油断と街道整備技術の未熟さにより早馬は早々に廃れる。
するとそれを察知したのか各地で力を持った存在が水面下で自由に動き始めるようになった。
そのためか、各地で発生した乱に対し鎌倉幕府が後手後手に回ったのは明らかであり。
結局のところ、幕府は東海道を活用する構想を活かしきれぬままに滅びることと相成った。
ならば、幕府が図面を描いたこの通信網制度の後継者は存在しないのか?
──否、確実に存在する。
乱を起こすと決意するや
各地の勢力図を正確に分析し、同時並列処理をさせながら電撃的に幕府を滅ぼした存在が。
誰であろう、『
天に愛されたが如き豪運を持ち、軍略において
敵の存在。味方の存在。
敵の動向。味方の動向。
侵攻経路。合流経路。
潜入経路。潜伏経路。
血縁関係、地位名声。
趣味嗜好、同盟係争。
注視すべき強み。
……そして、人として繕いきれぬ弱み。
それらの情報全てを余すことなく活用し、多くを味方に付け逆に敵は孤立へと導いた。
その後の流れは語るに及ばず。
それは即ち、今現在の日ノ本の実質的支配者の高みへと至ったことを如実に示していた。
しかし、元弘の乱での政戦両面における情報戦の勝利者は
そんな天に羽ばたき始めた
今や日ノ本の今後を差配できる立場にある
陽の落ちはじめた空を余所に方々で陣張りを進める気配がある。
京の喧騒もなく、鎌倉の戦禍もなく。
簡素な宿の中、緑深く何処か
「
よく通る澄んだ少年の声に、軽く
場所は箱根峠を越えた先にある宿場。
一切の弛緩が見られぬ厳粛なその様は、見る者が息をすることすら憚られるほど。
彼の張り詰めた雰囲気は周囲にも伝播し、今や気安く話し掛けられる人物は限られている。
「
「はっ!」
その一人こそが将来を
彼は若年の少年ながら
彼の優れた血統、一を聞いて十を知る才覚は
まだ若輩の少年ながら、
多くの困難が予想される鎌倉統治という難行に彼を同行させたのもその期待の現れであろう。
「……皆気の緩みなく、
「ふむ」
「現状発生した問題点も、今は現場内で処理できる範囲に収まっています」
淀みなく報告を続ける
されど、それが【ある部分が意図的に削られた】報告であることに気付かぬ
「微細な問題も早めに認識しておきたい。後程詳細を記録しての提出を頼む」
「はっ!」
「また、鎌倉入府後のことについても改めて協議にて詰めようと思う」
「そう仰るかと思い既に御声掛けは済ませております。皆様方、程無く集まられるかと」
言うが早いか、宿の表より複数の声音と足音が響いてきた。
得意げな表情を浮かべる
「御苦労。お前も此処に残ると良い」
「よ、よろしいのですかッ!」
「耳を傾けるだけでも得るものがあるだろう。無論、意見あらば発言しても構わない」
「チッス、
話が一区切り付く頃合いを見計らって、というわけではないだろうが其処に声が届いた。
大きな、いや、“巨大な”得物を携えた浅黒い肌の
いっそ『チャラついた』とも取れる立ち居振る舞いとは裏腹に鍛え抜かれた体躯の持ち主だ。
そんな彼を、傍らに立っていた一見すると平凡な武将・
「お呼びとの
しかし平凡に見えるのは其の面立ちと振る舞いだけ。
身に纏う胴丸には
彼から立ち昇る鬼気迫る雰囲気は果たして信念か、はたまた『信仰』の為せる業か。
そんな
「大丈夫だよ、
「
身分は新参の
「はは、とはいえ私などが言っても説得力に欠けてしまうかな」
「そのようなことは。……誠に失礼をした」
「私にはなにも失礼なことなど。……ただ、
「……失言であった。
「気にするなって! いや、助かったぜ
「いえいえ、私は何も。……
周囲を和ませる空気を保ちながら、其の瞳の奥には僅かな狂気と
かつて戦にて彼は何よりも大切に思っていた愛馬を失った。
其の自責の念と悲しみから狂いそうになった時に、ふとした切っ掛けでそれを昇華した。
昇華した想いの形とは『士道』。
大切な存在に恥じぬ生き様を、その思いこそが彼を支えている。
自身を使い潰すほど酷使させねば、身代わりとなって死んだ愛馬に申し訳が立たない。
(例え、精根尽き果て病の果てに横死することになろうとも…)
彼は本気でそう考えており、あるいは
そんなやり取りを遅れて見詰める残り二人の来訪者の姿があった。
「お止めになられぬのですかな?」
「何を止める必要がある。
「此れは御無礼を。……ああ全く、我等に付け入る隙がなさすぎて恐ろしい恐ろしい」
薄く微笑みを浮かべながら水を向けた
柔和な雰囲気と数多の教養を蓄え、卓越した内政手腕を誇る傑物・
しかし、その思慮深さの奥に隠しきれない狂気とともに根深い『探究心』が眠っている。
そして
彼は
当然、将来
彼もまた、これら
「……
そんな二人に、
途端、平伏する
代表し、
「
「良い、急に呼び立てたは私の側。……鎌倉入りしてからは忙しくなるであろうからな」
「……は、
「さて、揃ったようだし此れより鎌倉入府後の統治について軍議を始めようと思う」
「ははっ!」
「なお、此度は
一同、深い一礼を以って
燭台の油も減ってきた頃。
「……では、入府後に組織する『
「ははっ!」
一同が深く礼をして下知を受け取った中で、
(なるほど。専門機関を小分けに設置し、それぞれの実行力と即応性を高められたのか…)
まずは試験的な意味も含め、三組ほどで。
効果が見込めるようであれば都度改良しつつ、段階的に六組程にまで規模を拡大させる。
其れらの組頭(筆頭)を最精強たる
長期的に事に及ぼうとすればどうしても綿密かつ巨大な組織作りより始まってしまう。
それでは初動に遅れが出ざるを得ないし、何より
経験がないということは、即ち地図もなく情報もない場所で戦を始めるようなもの。
下手を打ってしまえば大損害は免れない。
しかし、この手法ならば組織作りをこなしながら短期的な改革に着手できるのだ。
無論、其れも
(何より恐ろしいのが、信任厚い幹部格の
そんな
「すまないな、
「いえ、私の馬術の腕を買われて各組への連絡役として据えて下さったこと嬉しく思います」
「うむ。君からの通達なればこそ、我の強い
「ははは! 違いねぇ! 数々の大恩がある
「
──即ち、強い個性が
組織が陥りがちな矛盾点をそのままに、
強すぎる個性から生まれる独自性も、上手く統率すればこそ対応力の増した手札となる。
彼もまた頭脳ばかりの男ではなく、稀有なるカリスマ性を備えた時代の傑物だったのである。
(平時はそれぞれ各部署に任せる形で運用統治し、変事の折はそのまま鎌倉を守る番人とする)
言うまでもなく、武士の本分とは『合戦』である。
彼ら『
其れこそが『関東』を守る『
現代基準で考えれば、それぞれに求められるスキルが高度過ぎて到底実現不可能な代物。
だが、
無論、長期政権を主眼とした運営としては脆弱性が随所に見られる急造の組織である。
しかし、
──其れは即ち北条一派の『詰み』を意味することとなる。
「……さて、今のところはまだこの辺りで良かろう」
軍議も終わりに差し掛かろうとした時、
「
「構わないとも、
「
「ッ!」
「………」
小さく肩を跳ね上げさせ動揺を
自然と、その場の視線は一人の人物に集中することとなる。……即ち、
「あ、その… 『今のところ其のような方は確認できていない』とのことで」
「………」
「其れも立派な経過報告の筈。……
真面目一徹を形にしたような男、
既に
しかし、其の流れを止めるものがいた。
「……良い」
「
「控えよ、
「はっ!」
彼は縋るような表情で自分を見上げている
「
「は、はっ!」
「今お前は、私がお前を庇うため声を上げたと思っているかも知れないが… それは違う」
「……はっ」
「
「……恐れ入ります」
「名門
「………」
「だからこそ、預かる命の重みというものを誰よりも理解せねばならぬ。
「は、ははっ!」
「お前の振る舞いは軍全体を危険に晒し得る行為であったのだ」
「……はっ、よく理解できました」
「では、何故に此度のような仕儀に至ったのか委細申し上げてみよ」
「そ、それは…」
「それは?」
其処には
「その、うぅ… 皆様の前では恥ずかしいと言うか…」
少年らしい初々しい反応にほっこりする
そんな少年の振る舞いに一つ
「
「
「だが諦めよ。お前が小賢しい言い逃れが出来ぬようわざわざ此の場を整えたのだから」
「まさかの意地悪で参加を許可されてたんですか、僕!?」
「学びの機会となればと思ったのは事実だ。お前は派手に失敗せねば懲りぬであろう」
「其の通りだよ、畜生! ていうか其処まで読み通りならもう大体分かってるんでしょ!?」
「無論、ある程度の推測は出来る。しかし、それで決め付けず話し合うことが肝要なのだ」
淡々と紡がれる言葉。故にこそ、其処に虚飾の色は存在しない。
何処までも真っ直ぐな言葉を投げかけられ、
そう理解した
「その、
「うむ」
「しかし鎌倉入りを前にした今、それが失敗に終わるなど御身の醜聞となる出来事」
「ふむ」
「故に我が身の独断と連携不足により失敗を招いたとして、評判を護ろうとしました次第」
「……なるほどな」
「此の上は
一方で少年の言葉を噛みしめるように、
予想外の言葉が出てきたわけではない。
むしろ想定と違わぬ真相なればこそ、
「まずは頭を上げて欲しい、
「……はっ」
「私に
「
「だがな、その上で敢えてお前に申し伝えたいことが在る」
「はっ、なんなりと」
「『
「ッ!」
「『武士にとって
「………」
「私は、かつて臆面もなくそう言い放った一人の男を知っている」
何処か懐かしげに、
「
「……はっ!」
「
「………」
「人は、傷付けばこそ学べる。弱ければこそ強くなれる。私は
「……
「願わくば今宵の一幕が今後のお前にとっての糧となれば、嬉しいものだ」
不器用ながら何処までも純粋に後進の若人の道行きを想う
「
「頭を上げろと言ったのに、全く困ったものだ。そういうところはまだまだ子供だな」
「こ、子供ではありませぬッ!」
袖口で目元を乱暴に擦りながら声を上げる。
そして胸を張ると、少年は、真っ直ぐ主君・
逃げられない場での鋭い指摘。しかも周囲を幹部たちに囲まれた席でのことである。
才気溢れる
しかし、其れ以上に色褪せない思い出の一夜となったことは想像に難くない。
ふと、そんな自分を客観視して恥ずかしくなったのか
「そ、そういえば先程の口上を述べられた方は一体どなたなのでしょうか!」
「……む」
「お! なんだ、
「
「い、いえ、
「かの御仁について語るには
(なんでこの人たち急に語り始めてるの!? ていうか
既に軍議も終わりかけ、酒や食事も運ばれていたが故であろう。
一気に場の空気は宴席の如き喧騒へと彩られてゆく。
本来は話題をそらすための出汁に過ぎなかった。
しかしそうなってくると、俄然、
普段は斜に構えていても、興味が湧いたら一直線。
若さゆえの尽きぬ情熱こそが
「一体どのような方だったのですか、
「む…」
「なんで俺に聞かねぇんだよ、
「いい加減に黙らぬか、
「ま、まぁまぁ… 御二方とも。もう夜も更けておりますし少し御声を小さく…」
「助かります、
「
酒盃を手にして、宿の外の月を眺めながら
(言葉と裏腹なこの声音と表情… 本当に評価されているんだ。……あの
「私も興味がありますな。なんせお会いする機会に恵まれませなんだ故…」
「あれ?
「えぇ、この中では新参ですので。……よろしければ『誠の武士』の御指南を賜りたく」
「よっしゃ! それじゃ俺様が語ってやんよ! よく聞いとけよ、
「あぁもう、わかりました! わかりましたから! 肩組まないで下さいよ、酒臭いなぁ…」
アレは俺が
と言っても、ヤツは基本鎌倉を離れねぇからこういう形でもねぇと会う機会ないんだがよ。
その日は天気も良く、任せられてた仕事も早めに片付けて手持ち無沙汰だった。
「待て、元弘の折の話なら貴殿に仕事を押し付けられ
「そ、そうでした? ま、まぁ、昔のことで根に持つなんて武士らしくないですぜ! うん!」
「くっ! ……覚えておけよ、
ま、話を戻すとよ。俺は滅多にねぇ鎌倉見物の機会に浮かれちまってたってワケさ。
行き交う人々の活気、露店の盛況っぷりを眺めるのも悪かねぇが何より目を引いたのが。
……そう、女だ。
無論、芋臭くて垢抜けねぇ
アレはアレで良いモンだ。
というか女って時点でまず最高だ。
「脱線しているぞ、
「……あ、はい。ウッス。……そっすね」
しかしまぁ、京の都に負けぬほど栄えた鎌倉の女はいっとう煌めいて見えたものよ。
柔らかそうな下膨れの頬。甘えるような垂れ目。
そんな雅な女どもが
京の貴族女どもはその辺厳重に塀の中に囲われてるって話だからよぉ。
ま、それもそれでこっそり夜中に忍び込んでよろしくやるっていう醍醐味も…──
え?
まぁ、そんなこんなで目に付いた女片っ端から声掛けて引き連れてたワケよ。
武家の娘も、平民の女も、老いも若いも問わずに楽しくよろしくなぁ。
ただ、中には素直に首を縦に振ってくれない女もいた。
ま、御役目中って話ならしゃーねぇわな。他ならぬ俺自身も御役目だから来れたんだしよ。
けどよ、当時は俺も若かったからな。
中々うんと言ってくれねぇ事に苛立っちまって、つい声を荒げちまった。
……いや、うん。分かってる。
みなまで言わないでくれ。すっごく反省してるから。誓って手は上げてねぇから。
そんな時だ。ヤツが割り込んできたのは。
『嫌がっているだろう。其処までにしておけ、
幕府の軟弱な侍とは思えない、俺と並ぶほどの体格の
なんかの使い走りをさせられていたのか山のような荷物を
「あぁ、それは恐らく我等
「マジすか。……ったく、鎌倉の連中ってのはこれだから」
「そうですね。私がその場にいたら、荷運び役を手伝えたのですが… 残念です」
いや、
いきなり俺の口説きを邪魔してきたいけ好かねぇ侍、それがヤツ、
そっからはガンの付け合いよ。
若い武士が互いにガンを付け合ったら、あとは手を出すしかねぇよな?
「ま、まさか大喧嘩に発展を!?
「ヒャハハハハハ! ……だと、良かったんだがなぁ」
おい、笑うなよおまえら。……
「すまんな。だが、
………。
まぁ、そんなこんなで結果は一発でのされてご丁寧に屋敷まで運ばれたってワケよ。
……はは、驚いてやがるか?
なんせあの
「あ、あの
「あぁ、事実だ。
(さ、流石にそんな命知らずな真似はできないですよ…)
で、俺が目を覚ました時にヤツはまだ詫びのために屋敷に留まってると聞いてな。
無様な事この上ねぇが、せめて嫌味の一つなりくれてやろうと思って会いに行ったワケよ。
その上で口論から喧嘩に発展するなら望むところ恥を
すると、どうしたことか。
なんとまぁ、見るも無惨にボロボロになった姿でしょぼくれた様子で正座してやがった。
俺も思わず呆然と口を開けちまって暫し時が過ぎるに任せちまったほどよ。
あの騒動は客観的に見てどっちが悪いかと言えばそりゃ俺だ。
武士が自分で喧嘩売って自分からのされたんだ。それは罪だろ?
思い返すも恥ずかしいことだが、敗北した武士に語るべき舌は持たねぇ。持つべきじゃねぇ。
だから
ましてや俺の主は
だから俺は聞いたんだ。『何故そんな姿に?』ってな。
純粋な疑問だったぜ。まぐれなんかじゃなくて純粋な実力で一撃でのされたんだ。
そんな実力者がこうなるなんて想像もつかねぇ。すわ
「
「お言葉ですが
「………」
………。
まぁ、うん! この話は置いておいて、だ。
そしたらヤツはなんて返したと思う?
『……貴殿の
あんまりにも悲しそうに言われるもんだから、再びあんぐりと大口開けちまったよ俺は。
『彼女らは貴殿との時を楽しんでいたそうだ。拙者の早とちりで邪魔をしてすまなかった』
よくよく見ると傷はどれも浅く、引っ掻き傷やらが大半だった。
俺も人のことは言えねぇが熊みたいなガタイの大男がしょぼくれてると妙に毒気が抜かれる。
そんな姿を見てると、どうにも怒りや悔しさなんざすっかり消え失せちまうもんでな。
そうすると喧嘩をする理由もなくなるワケだからよ。
そっから互いに改めて自己紹介をして、付き合いが始まったって流れさ。
「そのようなことが。しかし、何故無抵抗で
「きっと苦ではなかったのだろう。拙者も
「……はは、まぁ、
おう、
そしたらヤツはこう言った。
『拙者は武士として、男として、彼女らより強い肉体で生まれた』
『おう、まぁそうだな』
『だからこそ力で彼女らを
ってな。
「うむ、やはり
ははっ!
でまぁ、そっからはなにくれとつるむようになったってワケよ。
女が苦手とかほざいてるヤツのために何度か女遊びに誘ってやったりもしたんだぜ?
アイツはたまに
なんせアイツの方がそっち方面はてんで奥手だったからなぁ。
あの見た目で伊勢物語だの枕草子だのに堪能でよ。
そういうオママゴトみてぇな色恋が好きな女からのウケは悪くなかったんだがな。
何度か誘ってやっても居心地悪そうにしてやがるし、
「立派な方じゃないですか! ていうか
「ははは!
俺は話を締めると、ふと、語り損ねた一幕について思い起こした。
『んー… まぁ、他の連中にとっちゃともかく俺としちゃ分からんでもねぇ話だな』
『……そうか。拙者の考えに理解を示してくれて嬉しく思う』
『けどよ、それが本音の全てってワケじゃねぇだろ? おまえさん』
『……む』
『俺だけ恥掻かされっぱなしなのも割に合わねぇ。いっちょここらで明かしておけよ。な?』
『隠していたわけではないのだが… その、なんだ…』
『うんうん』
『拙者は… 俺は、基本、
『……ほう』
『それはきっと、幸せな状態でこそ見られるもの。故に俺は幸せな
『………』
『だから
『………。いいねいいね! お前さんも女好きか! いや、そういうヤツは嫌いじゃないぜ!』
『ええい、肩を組むな! 俺を貴殿のような
『さっきも言ってたが、その【
『む? 見た目や振る舞いが
『知るかよ! だが気に入った! よし、この当代一の
『い、要らぬから! 離せと言っているだろう! こら!』
『まぁまぁ、俺に詫び入れてくれるってんなら詫び代わりに付き合えよ! ほらほら!』
……ま、それこそ『言わぬが花』ってヤツかね?
酒盃を傾けながら、俺は語り部の席から降りて続きに耳を傾けることにするのであった。
「楽しい話でした! 次は
「え、えぇ… これ、そういう順番なのですか? 困ったなぁ」
「頼む、
「
「はっ! 以後はめっちゃ細かく書くように心掛けまする次第ッ!」
「ならば良し」
(良いんだ…)
(良いんだ…)
「……さて、私の話か。さして面白くもなかろうが、別に隠し立てする話でもないよ」
私が彼を認識したのは、やはり、
まぁ、それ以前から彼が
はは、それはもう
まぁ彼の立場からすれば
おっと、これは失礼。
……とある戦で失ってしまいましたが。
はは、どうかお気遣いなく。
もう立ち直りました、と断言はできませぬが職務には支障をきたさぬ心構えなれば。
しかし、一時期はそれはもう酷いものでした。
毎日毎日飽きもせずに、
……そんなことをしていたって、なんの意味もないのにね。
けれど、当時の私にとってはまるで世界の終わりに等しい感覚だった。
いっそこのまま喉笛掻き切り冥府の
おっと、申し訳ない。今はそんな気になることはあまり無いので心配御無用ですとも。
ともあれ、彼が
『……これは
恐らくは幽鬼の如くであったであろう私の姿を見て彼も内心で驚いていたことでしょう。
とはいえ、あの時の私にとっては客人の対応を出来ただけでも快挙に等しい出来事でした。
しかしそれが結果として今の私を招き寄せることとなります。
『遅くなり申し訳ない。浅き縁なれど
当時の私は、彼の言葉に少し驚きました。
わざわざ
しかし、常識的に考えればそのようなはずもないと思い直しました。
確かに武士にとって馬は大事な相棒。
なれど
恐らくは既に亡くなっている父か兄に縁があったのであろう、と私は仏間に案内しました。
彼は位牌を眺めつつ怪訝な表情を浮かべながらも般若心経を上げてくれました。
……えぇ、はい。真言宗です。……なんでも禅宗は良く分からぬとの話にて。
そして私にこう尋ねてこられたのです。
『此方に貴殿の馬殿も眠っておられるのだろうか』
私は今度こそ言葉を失いました。
自分が一瞬頭に思い浮かべた仮説がよもや真実であるとは思いもよらなかったからです。
震える声音で私は言葉を紡ぎます。
『いえ、
『なるほど、
『……此方へどうぞ』
馬など鎧や刀と同等の武具に過ぎない。
価値のあるものだが失って嘆くほどのものではない。
……そのはずなのに。
彼は簡素な石塚に向け膝をつき、仏間の時以上に丁寧に御経をあげて下さったのです。
そうなってくると、私としても疑問を言葉にせずにはいられません。
『何故此処まで…』
『……
なるほど、確かに頷ける話だと当時の私は思いました。
なれば、それだけの名馬を手にしていた私を羨むのも無理からぬこと。
そう考えるとそれまでの疑問も氷解した心持ちとなりました。
きっかけは
少しは
……続けて彼は、とんでもないことを言ったのです。
『武士たる者、
心底羨ましそうに、恐らくは掛け値無しの本音であろう言葉で彼は告げてきました。
「え、なんなんですかそれ? 流石に頭おかしいんじゃないですか?」
「そうだろう、
「安心したまえ、
「まったく安心できる要素がないんですが、
「むぅ… 完全なる武士への理解に一歩遠のいたような。武士とは難しいものですな」
なんせ当の私もその時はかなりの衝撃を受けたものさ。
……けれども、その衝撃こそが私にとっての『救い』となり得たのかも知れない。
彼はしげしげと私を眺めてから言葉を続けられた。
『名馬を喪う程の激戦区にて、しかし、貴殿は傷一つなく五体満足で生還された』
『それは…』
『
『ッ!』
『たとえ拙者は
率直過ぎる物言いだったよ。彼が鎌倉にて出世知らずな理由も良く分かったとも。
普段からあのような振る舞いならば老臣たちに気に入られるはずもない。
……けれど、不思議なものだね。
私はそれを聞くやいなや、声を上げて笑ってしまっていた。
そして気付けばしゃがれた声で、眼の前の
『さても無礼な物言いよ! 貴殿は、この
『ほほう、違うとでも?』
『さればとくと
無謀だと思うかい? 無論、笑ってくれて構わないとも。
そんな私を見て、彼は無言のままニヤリと笑みを浮かべられた。
そしてそのまま馬に跨がり風の如く駆け去ってゆかれたのさ。
……あとは皆も知ってのとおりかな。
これまでの無様を
まだまだ目指すところには全然足りていないけれども。
「……彼とはそれ以来だね。話してしまえば
「いやいやいや! 充分濃かったですからね!? ……あ、ひょっとして」
「? なんだい」
「
……そして一拍の後に笑い出す。
「
「
「死ぬるにせよ、
「……まぁ、今は何処かに潜伏し私たちの首を虎視眈々と狙っていることだろうね」
「討ち果たしても
しかし、それも一瞬のこと。
すぐに普段の冷徹な表情に戻り、事についての弁明を行う。
「私が彼らに依頼したのは飽くまで別件だ。……詳細は今はまだ機密故に明かせぬが許せ」
「い、いえ! そういうことでしたら、是非にも及びませぬ。私こそ先走った物言いでした」
「気にするな。……しかし、さて、夜も本格的に更けてきた。これ以上は明日に障ろう」
「然様で御座いますな。私がかの御仁を語り始めたら夜を徹する羽目になりそうです」
「
「そんじゃまぁ続きはまたの機会ってことですかね? あざっした、
「うむ、今宵は有意義な軍議が出来たこと
やがて
彼は、先程までと同様に酒盃を傾けて月を見上げる。
『自信持てよ
『おい、
『宗繁殿、私からは何も言えませんが… 落ちぶれたら私と一緒に
『気持ちは有り難いが其処まで落ちぶれる予定はないですよ?
『大丈夫だ、
『
『それより先程述べてた【三権分立】なるものについて詳しい解説を頼む』
『せめて最後まで褒めろよ。面倒くさくなるなら最初から慰めようとするなよ』
『いいから頼む』
『……お前のその人の話あんまり聞かないところ、絶対に改めるべきだと俺は思う』
『
あの頃は、まだ自分たちは何者でもなかったかのように思う。
だからきっと、あの頃ならば何者にでもなり得た筈だった。
しかし、道は分かたれた。
それももはや取り返しのつかない形で、決定的に。
今更ともに歩む資格などあるはずもない。
「たとえ無二の
その呟きは、凍えるような青白く冷たい月が浮かぶ夜空へと吸い込まれてゆくのであった。
『白拍子天女鶴子伝』
鎌倉時代末期から南北朝時代にて編纂されたとされる全編二百四十六巻からなる長編古典文学作品。
作者は足利直義配下の石塔範家とする説が有力である。
内容は道に迷っていた主人公・石動(いするぎ)某が諏訪の山深くにて神秘的な天女・鶴子と遭遇し、その幻を追い求めて数多の合戦に従軍し手柄を立て続け、ついにはその心を射止めるという壮大な冒険譚として綴られる。
同時代の作品である『徒然草』や(百年以上の開きがあるが)『方丈記』と異なり、平安時期でないにもかかわらず当時主流であった[*要出典]随筆ではなく創作の物語として有名となった異色の作品でもある。
飽くまで本作は創作であるものの、当時の特に武士から見た世相・風俗を知る作品として一級資料として扱われている。登場人物も示唆に富んでいて、例を挙げるならば主君の源尚義(みなもとのなおよし)は作者の石塔範家の主君・足利直義をモデルにしたという見解が有力視されている。
また作品内で石動某を助けるために度々登場する宗茂(むねしげ)なる野卑な浪人は特に詳細に描写されており、誰をモデルにしたのか様々な議論が交わされている。しかしながら、岩を砕いたり、熊を殴り殺したり、五人張りの弓を軽々と引いたり、夜闇の山道を全力疾走したりと些か以上に人間離れした描写が過剰であるために、鶴子と同様に完全に創作された人物という見方も根強い。
余談ではあるが、鎌倉幕府が滅ぶまでの期間、足利屋敷に頻繁に出入りしていた五大院宗繁こそがそのモデルという意見も学会で度々話題となっている。五大院宗繁にしても、北条邦時の無二の忠臣である見方や、足利方のスパイであった説、逆に足利に送られた北条のスパイであった説など、数々の議論がなされてきた謎多き人物であり、この『白拍子天女鶴子伝』にまつわる逸話に限らず、荒唐無稽な逸話などから実在しない存在であると見る向きも決して少なくないことをここに追記する。
オマケ:
Q.関東庇番衆のみなさんから結構友誼を感じられていたみたいですが?
A.そっかぁ。嬉しいなぁ。俺のことなんて覚えててくれてありがたいよ。まぁ、全員殺すけどな。