忠義者の伯父上   作:(๑╹◡╹)ノ

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第19話▲歌舞伎 1334

 さて、護良(もりよし)親王による足利尊氏襲撃事件より一夜明けた京の都。

 その地を旅の僧侶に扮した一人の男が気侭に歩いていた。

 

「ふむ、やはりこの時代の日ノ本の中心なだけはある。活気があるな」

 

 町並みを眺め、呟く。

 小袖(こそで)袈裟(けさ)を纏い、深編(ふかあみ)(がさ)で顔を隠した風体。

 

 されど、まるで巨木の如く鍛え抜かれた長身は隠し通せるものではない。

 京の喧騒にあってその身体は如何にも周囲から浮いて見えた。

 

 五大院宗繁である。

 

 周囲からの遠慮会釈もない視線も何処吹く風と言ったところか。

 興味深げに町の様子をつぶさに観察して回っている。

 

 網笠の奥では(いかめ)しい顔を更に難しくしているのだが、余人に此れを(うかが)い知る術はない。

 

「しかし皆が働いている折に都の視察を行い見聞を深めよ、とは(いささ)か据わりが悪い」

 

 主君・北条邦時や家来である鍾馗らは、京の要人らと(よしみ)を通じるべく動いている。

 いずれ矛を交えるにせよ、足利尊氏相手には幾ら政争の備えをしてもし足りぬ状況だ。

 

 元来、護良親王は英雄的気質同様に直情径行とも言える側面も持ち合わせている。

 元弘の乱ではそれが良い形で働いたが、平時での政治的駆け引きに不利は否めない。

 

 そこを海千山千の西園寺(さいおんじ)公宗(きんむね)が補佐する心積もりとは言え、今はまだ手探り状態なのである。

 足利の参謀・直義(ただよし)がいない状況とはいえ、より一層に、慎重に事を運ぶ必要があった。

 

 だからこそ西園寺公宗は公家衆には自ら対応し、武家への備えとして邦時(くにとき)をと提案する。

 護良親王はこれを()れ、公宗・邦時二名を自ら領袖(りょうしゅう)*1として率い都の水面下で動き始めた。

 

 それは即ち、助言役として叔父である泰家や郎党の鍾馗(しょうき)らが付くことも意味する。

 

 そんな中で五大院宗繁の扱いが問題となった。

 

 京の辻で足利党相手に派手に斬り結んだことや、清水寺(きよみずでら)での大立ち回りは記憶に新しい。

 顔を隠していたとは言え、見る者が見れば一目瞭然の男を連れ回すの如何にも危険である。

 

 逼迫(ひっぱく)した状況下でならまだしも、やんわり交渉したい時には劇薬に過ぎる存在なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 よって五大院宗繁は別行動を命じられることと相成った。

 

 つまり、この魔窟・京都で自身の主君や腹心の家来から切り離される羽目と相成ったのだ。

 それはさながら、大海原の中に身一つで投げ出されるに等しい出来事であった。

 

 とはいえ、それが殿下の望みであり主君の命であり鍾馗も反対せずとあれば是非もない。

 

 もとより命令に不満などあるはずもない。

 ……むしろ彼にとって問題があるとすれば、それは自身に起因することに他ならなかった。

 

(困ったものだ。俺の存在が皆の動きを窮屈にしてしまうことに繋がってしまうとは…)

 

 ため息を吐く。

 

 五大院宗繁という男は目立つのだ。良くも悪くも。

 ましてや、足利勢を相手に大立ち回りを演じた薦僧(こもそう)姿の男などそうそうあるものではない。

 

 清水寺(きよみずでら)の舞台全損という問題しかない証拠もしっかりと残っている。

 遠からず噂好きの京雀(きょうすずめ)どもに拡散されるに至るとてそれは今ではないことが望ましい。

 

 だからこそ、護良親王は五大院宗繁を連れ歩くことを敢えて避けた形となるわけだ。

 護良親王を助ける手立ては限られていたとは言え、とんだ失態を演じてしまったことになる。

 

 

 

『なに、貴殿の存在を知らしめるはここぞという時よ。その時の奸賊(かんぞく)ばらの顔が楽しみだ』

 

『然様にて。むしろ殿の存在が良い目眩(めくら)ましとなり、我らの暗躍の隙が生まれますれば』

『政治向きの活動は僕らの分野。伯父上はその時間を京の地理や情勢の把握に努めて欲しい』

 

 ──気を使わせてしまった。

 

 護良親王、鍾馗、邦時らの言葉を五大院宗繁はそのように受け止めていた。

 

(まぁ、もとより俺の如き小者がどうこうできぬのが政事(まつりごと)。俺は俺の勤めを果たすまで)

 

 所詮は旧鎌倉幕府の御内(みうち)(ひと)に過ぎぬ身なのだ。

 親王殿下は言うに及ばず、西園寺卿とも泰家様とも主君・邦時様とも身分が違い過ぎる。

 

 そして鍾馗など、そもそもその高い能力に役職が見合わぬこと甚だしい存在だ。

 これを機に、よりお偉い方々から見出されてドンドン出世を重ねていって欲しい。

 

 五大院宗繁は半ば以上本気でそのように考えていた。

 

 だからこそ、目抜き通りから鴨川沿いに進み京の様子を真剣に見渡していく。

 そこは、世間では失政と囁かれる建武の新政の陰りなど微塵もない華やかさに満ちていた。

 

 戦後特需、というものであろうか。

 

 武士が得意気に肩で風切る様がやや目立つものの、通りの売り子の声には張りがある。

 耳を澄ませば損壊した家屋を修繕する大工仕事の音がそこかしこで鳴り響いている。

 

 物資の需要と供給が活性化して経済が回っている様子が見て取れる。

 

(なるほど。この様子では、地方の不満を『一過性の其れ』と認識しても不思議はないな)

 

 地方では派遣された国司が圧政を敷いて武士や領民らと軋轢を生むなど日常茶飯事だ。

 他でもない諏訪ですら、一歩間違えれば大戦争が起こりかねなかったほどである。

 

 それを未然に防げたのは偏に諏訪(すわ)頼重(よりしげ)辣腕(らつわん)やその郎党の尽力、周辺諸国の協力が大きい。

 

(小笠原殿や武田殿にも頭が上がらないな。……いや、やはり小笠原への感謝は良いか)

 

 なんだかんだと、隙あらば諏訪に向けて領土的野心を露わにしてくる小笠原である。

 やはり仮想敵国という緊張感は常に抱いていたほうがお互いのためであろう。

 

 閑話休題。

 

 ともあれ国司とそれが派遣される地方の関係はとかく難しい。

 

 今でこそ国司清原氏が無能だったとは思わないが、その認識の格差は如何ともし難い。

 派遣された国司は国司で、中央の政情不安を地方より払拭しようと必死だったのだろう。

 

 そういった細かなすれ違いの積み重ねが後に大乱を招く要因となったのかもしれない。

 しかし、この都では未だそのような『乱』の気配は全く感じられないのだ。

 

 滅びる国というものは、得てしてその足元に忍び寄る不穏の音に気付かぬというが…──

 

(さて、この平和な光景は後醍醐天皇の『政治手腕』故か足利尊氏らの『取り繕い』故か…)

 

 願わくば後者であって欲しくはないものだ、と胸中で願いながら宗繁は川沿いに進む。

 後者なれば京の都は完全に足利尊氏の支配下にあることを意味するからだ。

 

 そうなれば此処京の都は『敵地』などという生温い場所に(あら)ず、まさに『死地』。

 足利に与する者は彼の顔色を窺い、そうでない者はひっそり息を潜める。

 

 それを見事に実現してみせる手腕に、五大院宗繁は人知れず戦慄を覚える。

 救いといえば未だ足利尊氏に征夷大将軍職が与えられず名分に乏しいことくらいだろうか。

 

 やはり今上(きんじょう)(てい)の声望は根強く、京の民草は野蛮な武士よりも天皇をこそ頼みとする。

 加えて後醍醐天皇の政治手腕は確かで権力を容易に他者に預けぬ慎重さ見受けられる。

 

 味方として考えれば頼もしい限りである。……今はまだ、だが。

 

 そう、日に日に高まる足利尊氏の名声はまさに天にも届かんばかり。

 上記のことすらも『不測の事態』が起こらぬ限り、解決も時間の問題に思えた。

 

(分かっていたことだが、これは想像以上に不味い。……直義め、相変わらず隙のない)

 

 ならばこそ、『起こす』しかないのだ。足利にとっての『不測の事態』を。

 (あまね)く天下を巻き込んだ、一世一代の『大乱』を。

 

 無論、この流れを警戒していない足利であろうはずがない。

 北条の残党狩りに力を入れ、京の権力者と(よしみ)を通じ、縁深い者たちで守りを固めた。

 

 魔窟たる京に居座り続ける佐々木道誉などその最たる例である。

 まさに盤石の構え。蟻の這い出る隙間すらもないとはこのことであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ……この状況で(なり)()り構わず動ける護良親王こそがおかしいのだ。

 

 彼はこの状況に誰よりも先に警鐘(けいしょう)を鳴らし、自ら立ち上がった。

 いっそ強引な力技と言えるほどに愚直に、ただ真正面から。

 

 多くの貴族は戦乱が終息し、無事に天皇を中心とした貴族の世を取り戻せたと安堵した。

 なればこそ、まずはこの時が続くよう足場を固めることに腐心するは必定であった。

 

 にもかかわらず、護良親王はその列に加わることはなかった。

 

 朝廷での権力争いに目もくれず即座に足利尊氏の排除に動き出したのだ。

 これは並大抵の判断力と決断力では実行に移せることではない。

 

 ……其れは後の世を知る者たちにとっては英断とも言えたであろう。

 しかし、この時代の今を生きる者たちにとっては異端に過ぎなかったのだから。

 

 理解者は限られたはずだ。

 それこそ肉親とて果たして何処まで汲み取ってくれるものであろうか。

 

 実際に、護良親王の活動は至難を極めた。

 

 一連の動きにより後醍醐天皇の不興を買い遠ざけられたという説が歴史に語られるほどに。

 それもかつては後醍醐天皇の後継にとまで噂された声望高き皇子が、である。

 

 本来ならば家来を失い、流刑の憂き目に遭い、その地で排除される悲運の皇子。

 だからこそ、彼を見事に救い、そして手を組むことが出来た事実は大きな意味を持つ。

 

(親王殿下ほどの英雄が殿を受け入れてくださった幸運、見事モノにせねばなるまい…)

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 寂れた通りに差し掛かると、孤児や乞食など浮浪者の姿が目に付くようになる。

 都にあるのは明るい部分ばかりではない、と理解していても眺めて愉快になるものでもない。

 

 茣蓙の上にぼんやり座り込み悲嘆に暮れて俯く男がいる。

 まだ日も高いうちから客を誘おうと躍起になっている夜鷹がいる。

 

 職にあぶれた荒くれ者のギラつく目付き、忙しなく獲物を狙うスリの表情。

 荒々しく響き渡る怒声、そして悲鳴。

 

 そのどれもが、この京という都における紛れもないもう一つの現実であった。

 目を逸らすわけにはいかない。此れらも含め『見てこい』との護良親王の命令なのだから。

 

 宗繁は、昨晩西園寺卿の屋敷に帰還してからのことを思い起こしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 波々注がれた酒杯を手に、親王殿下が俺の『武勇伝』とやらを心待ちにしている。

 ちなみに酒杯の中身は無論、今や諏訪の名産になってしまった清酒である。

 

 他にも様々な帝への献上品を運び、俺達は悠々と京の門を潜った。

 いずれ親王殿下や西園寺卿を通じて宮中に手配することが出来れば、と思う。

 

 関所で一戦や二戦交えることも覚悟していたのだが、あっさり通れて此処に至っている。

 やはり国司様や小笠原、武田殿の我らの身分を保証する書状が大きかったのだろうな。

 

 ……まぁ、国司様と守護家二つ分だからな。見せてから露骨に態度変わったし。

 

 大過無く進めて、鍾馗と四郎と腐乱と白骨がちょっと残念そうにしていたのが印象的だった。

 うん、その、なんだ。……うちの郎党、少しばかり血の気が多過ぎやしないだろうか? 

 

 泰家様に「わしのこれまでの苦労は一体なんだったんじゃ!」と小突かれたが。

 

 いや、むしろ身一つでここまで潜伏活動をこなされている泰家様の方が普通に凄いのだが。

 俺なんて一人ではさしたる役にも立てぬ武骨者に過ぎない。

 

 仕えるべき殿、若様に頼りになる仲間や鍾馗を始めとした家来衆あってのこの状況だ。

 返す返すも幸運と良縁に恵まれたものだ。……一部、小笠原は悪縁かも知れないが。

 

(……あるいは、本当に諏訪大明神の御加護なのやも知れぬな)

 

 何処か胡散臭い頼重様を思い浮かべ懐かしい心持ちに浸ると、続けて表情を引き締める。

 望外の幸運を我が物と錯覚してはいけない。むしろ斯様(かよう)な時こそ慢心は厳に戒めねばならぬ。

 

 俺は両手を付き、親王殿下に答えて曰く。

 

「拙者は臣として当然の働きをしたまで。取り立てて御言葉を頂戴するには及びませぬ」

「ほう」

 

「むしろ確たる戦果を挙げられぬ不甲斐なき様にて、殿下に奉ずる申し訳も御座らぬ次第」

 

 あそこまで追い詰めておいて尊氏の首を獲れなかったのは痛い。

 返す返すも不甲斐ないことこの上ない。

 

 無論、やすやすとそれが叶う相手ではないことは百も承知ではあるのだが…

 

(……気迫と根性でなんとか渡り合ったものの、終始圧されていたとも取れる戦いであった)

 

 次からの戦いも考えれば頭が痛いものだ。より一層の鍛錬を重ねなければ。

 そんなことを考えている俺の耳に快活な笑い声が響く。

 

「フッ、貴殿はまこと臣の鑑であるな。これだけの功績をあげてまだ満足せぬとはな」

「は、勿体無きお言葉にて」

 

「しかしどうであろうか。今宵は酔いを求める心持ちなれば痛快な武勇伝を所望したい」

「……は」

 

「うむ。では、頼んだ」

 

 頼んだと言われましても… さて、困ったな。

 

 そもそも俺は口下手とか以前に、主君・高時公を護りきれなかった敗残兵。

 ()わば存在そのものが武士失格なのである。

 

 そのことをこれまでほぼ誰にも責められなかったからこそ、忸怩(じくじ)たる思いも抱えている。

 御親族の殿や若様ですら「伯父上が生きていてくれて良かった」と口を揃えられる。

 

 なんと情けなきことか。

 

 泰家様と再会した折に「何故兄上を護り切れなんだ」と殴られたことで大分楽になったが…

 所詮、それもこれも全ては自分が楽になるための自己満足に過ぎない。

 

 己が胸の内の欺瞞(ぎまん)を冷笑に伏す。

 

 こんな俺がそもそも一丁前に「武士でござる」と開き直ることこそお門違いなのだ。

 数え切れぬ後悔や失態を語れることはあれど、武勇伝など到底語れるはずもない。

 

 されど、親王殿下の御下命である。俺の失態はひいては邦時様への評価に繋がりかねない。

 

 そんな折、どうしたものかと腕を組み頭を捻っている俺の横をそっと進み出る影が1つ。

 

「へへっ、御前失礼をば」

 

 腐乱(ふらん)であった。

 親王殿下の御前で腰を上げるなどとんでもない事態である。

 

 慌てて引き倒そうと手を伸ばすも、ひらりと回避される。

 

「貴殿は?」

 

「これは偉大にして尊き親王殿下、私めは腐乱なるケチな小者にて」

「畏まらずとも良い。して、その腐乱殿が一体如何なる?」

 

「殿下。殿下は、猿楽(さるがく)という芸能を御存知でありましょうや?」

 

 猿楽(さるがく)

 

 奈良時代期に中国より伝わった散楽(さるがく)に起源を持つ、日本演劇の基礎となった伝統芸能である。

 歌舞や曲芸、物真似芸などを演奏とともに披露し宮廷や寺社の祭礼に用いられたという。

 

 後にこれら猿楽や派生した田楽(でんがく)は『能楽』として昇華され室町時代期に花開いたとされる。

 

 当然、皇子である護良親王殿下が知らないということなど有り得ない。

 呆気にとられた表情を浮かべられた殿下であったが気も悪くせず、お答えになって下さった。

 

「うむ、これでも皇族の一翼を担う者。(たしな)む程度には見知っておる」

 

 これに腐乱はニカッと人懐っこい笑みを浮かべる。

 ……色々と物騒な人間なのだが、妙な人懐こさを発揮する場面が多々ある。

 

「それはようございました! さても親王殿下は我が主君の武勇伝をご所望とのこと!」

「うむ」

 

「されば(つたな)(わざ)なれど、我ら忠義党が猿楽にて御前に披露させていただきたく!」

「ほほう、それは楽しみだ! 西園寺卿もそうは思わぬか?」

 

「ほほ… 私は猿楽には少々厳しいですが、目出度(めでた)き日なればゆるりと楽しみまする」

「これは恐ろしい! なれど恐ろしき戦こそ武士の華! さぁ、者共! 音を鳴らせぃ!」

 

 すると何処から用意したのか、白骨(びゃっこつ)和鼓(わつづみ)を突き始める。

 四郎はあの巨体で繊細な横笛を見事に演奏している。

 

 器用だな、忠義党。

 

 鍾馗は言うに及ばず、おまえたちなんで揃って俺より器用なのだろうか。

 お陰で俺の不器用ぶりが際立ってしまう。

 

 武士なんて人の殺し方を極めてなんぼだと思っていたのだが。

 己の見識の浅さをまざまざと痛感してしまう次第だ。

 

 

 

 

 

 そうして。

 

 ……当事者である俺を置いてけぼりにして、いつの間にやら猿楽が始まってしまった。

 

 いや、その、我ながら親王殿下に対してつまらない返答だったとは思うが。

 そんなに不味かったのでしょうか? 腐乱さん。……ここまでフォローするほどに。

 

 そもそも俺をフォローするためとはいえ、どうして即興で猿楽なんか催せるんだお前ら。

 

(おかしいな… 猿楽って確かこの頃はまだ上流階級や神職のみの嗜みじゃなかったか…)

 

 尊氏のヤツが猿楽にかぶれまくって働かなくなるのは… 確かもっと後の話だったか? 

 確かそこから中級武士や庶民にも普及して田楽や能に発展したと聞いたことがある。

 

 とどのつまり、足利家くらいの大家でなければ猿楽を知る機会にはそうそう恵まれない。

 この俺にしたって、現物は高時公がかぶれていた頃に多少知っていたに過ぎない。

 

 そもそも腐乱は扱う剣術も独特ながら体系立てられた技術にも見えるし、謎が多い存在だ。

 万能軍師たる鍾馗は無論のこと、その他の忠義党の面々も時折謎の教養を発揮するのだ。

 

(ひょっとして、このくらいは常識なのだろうか… 単に俺が物知らずに過ぎるだけで…)

 

 そんな俺の内心を余所に、(つづみ)の拍子に合わせながら腐乱が(おど)けた仕草で猿楽を吟じ始めた。

 

 

 

 

 ──月さえ息を潜めし闇の静寂(しじま)に漂いし、都の四辻(よつじ)血煙(ちけむり)か。

 ──親王殿下に迫りしはいずれ侮れぬ尊氏麾下の精鋭二十騎余。

 

「うむ、絶体絶命とはまさにあのことであった」

 

 ──されどまさにその時、駆けつける武士がただ一騎。

 

 ──かの者こそは諏訪(すわ)宗重(むねしげ)

 ──殿下のもとに疾風(はやて)のごとく馳せ参じ、ただ一言。

 

 ──願わくば拙者に殿軍の(ほま)れをば! 

 

「ほほほ、あの尊氏め相手にそれはなんとも剛毅なこと」

 

 ──殿下が悠々去られし姿を見届けて、かくて二人の死闘は幕を開ける。

 ──宗重の鉾が一閃、二閃、三閃。

 

 ──まさに神速もかくや、夜闇を切り裂く鋭き銀閃。

 ──されど敵もさる者、手傷を負いながら果敢に反撃を試みる。

 

 ──諏訪宗重、足利尊氏。

 ──いずれ劣らぬ当代無双の豪傑なれば、一進一退の戦舞が続くのみ。

 

 ──まさに(りゅう)()(あい)()つ。

 ──互いに身を斬り、血を滴らせ、されども決着はつかぬ中。

 

 

 

 

 

 ──ついに痺れを切らした(こうの)師直(もろなお)が手勢に命じて曰く。

 

 ──矢を射よ。あの不埒(ふらち)(もの)めの後ろを狙うのじゃ。

 ──然様、卑劣漢が狙いしは尊氏め相手に武を競いし諏訪宗重の無傷の背。

 

「なんと卑怯なことよ…!」

「ほほほ、師直めらしきと言えばらしき振る舞い。……愉快ではありませぬが」

 

 ──すわ絶体絶命か! 

 

 ──その時、諏訪宗重が夜闇に響き渡る(だい)音声(おんじょう)にて(とき)の声を上げ。

 ──(たちま)ち身を(すく)ませる足利方の小者ども。

 

 ──その隙を過たずに飛来せしは無数の矢。

 

 ──矢は光の尾を引きながら高師直の手勢らに余さず突き刺さらん。

 

 ──南無八幡大菩薩! 

 

 ──これこそ八幡大菩薩と諏訪大明神の加護を受けし武士(もののふ)の姿なれば。

 ──神使(しんし)たる鍾馗が仏敵(ぶってき)・高師直が手勢に天より矢の雨を降らし給うた。

 

 ──さしもの足利尊氏もこれに動けずにおれば。

 ──諏訪宗重、遥かな高みよりかの者を見下ろし一言。

 

「………」

 

 ──……我、(たいらの)景清(かげきよ)となりて貴殿らの安寧の世を尽く燼滅(じんめつ)せしめん。

 

 ──かくして神か鬼神か、諏訪宗重は京の夜闇に消え去れり。

 ──果たしてこれなるは夢か(うつつ)か、幻か。

 

 ──題して一夜の死闘、暗中(あんちゅう)京都(きょうと)(おに)神楽(かぐら)… あ、一件落着! 

 

「ははははは! 快なり! 快なり! これでは足利めらも枕を高くして眠れまい!」

「ほほほ、愉快愉快。まさか今の尊氏めの鼻をあかせることがあろうとは」

 

 献上品である清酒を手にすっかり出来上がって喝采をあげている尊き御方々。

 ……まぁ、うん。清酒、気に入ってくれたようで嬉しいよ。

 

(肝心の猿楽の内容は何から何まで間違っていると言うか、盛り過ぎだけどなッ!)

 

 そもそも平景清を名乗ったのは単に相手方に渡る情報を制限したかっただけだし。

 あとなんかその表現だと俺空飛んでることになってないか? 普通に無理だからな? 

 

 弓を放ってくれたのも別に俺が合図したとかじゃなくて普通に鍾馗のファインプレーだ。

 それに俺が尊氏を仕留めきれなかったのも描写外の師泰(もろやす)の妨害が大きいのだ。

 

 あと庇ってくれた部下を斬り殺した尊氏の方が普通に頭おかしかったと思うし。

 俺は部下が邪魔になったら躊躇なく殺すだろうなと踏んでたから攻撃できただけだし。

 

 それは尊氏がそういうヤツだと知っていたからに過ぎない。

 むしろあの最大のチャンスで始末しきれなかった不甲斐なさこそ如何ともし難い。

 

 そんなあれやこれやを持ち上げられても恥の上塗りにしかないのだ。

 思わず渋面を浮かべそうになるのを唇を噛んで必死にこらえた。

 

 ……当事者なのに。

 

 なんかの拍子でこんな猿楽が後世に残ってしまったら俺は死んでも死にきれん。

 腐乱には後ほど厳重な封印を依頼せねばなるまい。

 

 俺がそんなことを考えている間に話は更に盛り上がりを見せているようだ。

 ……他になんか語ることあったっけ? と、胡乱な表情で聞き流していると。

 

 

 ──さても厄介なるかな諏訪宗重らに迫る足利方の追っ手よ。

 ──執念深きこと蛇の如き高師直にとある寺社に追い詰められし諏訪宗重。

 

 

 いや、あの場に師直はいなかったと思うんだが。

 ……いたら多分脱出はもっと難しかっただろうし。

 

 

 ──突き、斬り、蹴り、殴り。

 ──ついには折り重ねたる首級(みしるし)ゆうに十余り。

 

 ──されど恐るべきかな足利郎党。いずれ劣らぬ名うての戦上手。

 ──意思持つ獣が如く声を上げ、包囲を続ける。

 

 ──彼奴(きゃつ)ら、その数は増やせども減ずること非ざれば。

 ──十重(とえ)二十重(はたえ)に囲いを敷き押し潰さんと迫りくる。

 

 ──草木も眠る刻なれど、然様な騒ぎに人目も集まろうもの。

 ──ついには、人垣、蟻の這い出る隙間すらも消え果てり。

 

 ──諏訪宗重ら清水(きよみず)が舞台に追い詰められ、足利郎党率いし安達(あだち)某が開口一番。

 

 ──武具を捨て大人しく縛を召され(そうら)へ。

 ──さもなくば自ら腹を召されるか二つに一つ。……さぁ、いざご返答あれ! 

 

 ──すわ絶体絶命か? 

 

 

 うん、あの時はヤバかった。

 やっぱり足利って戦慣れしてるよな。

 

 ちょっとでも数減らせて良かった。

 もっともっと連中の数を減らして殿と若様のお役に立っていかないとな。

 

 この時代って将と兵の区切り曖昧だから単純に頭数減らすだけでも意味はあるし。

 

 

 ──剛槍一閃、諏訪宗重答えて曰く。

 

 ──そのいずれにも非ざれば。この首所望ならば地獄までついて参れ。

 ──五体投地を以って御仏の意を問う! 我は生くるべきか死すべきか! 

 

 ──諏訪宗重、僅かなりの逡巡を見せず清水(きよみず)の舞台より大跳躍! 

 

 

「おお!」

「なんと…」

 

 親王殿下と西園寺卿のなんかすごいものを見るような視線が大変居心地悪い。

 

 そもそもそんな格好いいことは言っていない。

 マジで言ってない。

 

 前世の知識を総動員して、なんとか落下直前に『五点接地』を思い出しただけだ。

 真相は、五点接地! と叫びながらバランス崩して地面に落ちていっただけだ。

 

 あくまで五点接地だからな? 

 御仏へ意を問う五体投地なんて殊勝なことは断じてやってない。腐乱の盛り方がヤバい。

 

 しかも俺のような素人がやったことだ。

 持っていた槍の石突きまで駆使して辛うじて威力が分散できたに過ぎない。

 

 すると、なんか清水(きよみず)の舞台がぶっ壊れたのだ。アレには一瞬唖然とした。

 慌てて落ちてきた白骨と腐乱を掴んで救出したが、足利の郎党は怪我で動けなくなっていた。

 

 恐らくは、完全武装した武士が狭い場所で大人数で暴れまわったせいであろう。

 清水寺(きよみずでら)には悪いことをしたと思っている。心の底から申し訳ない。

 

 だから仏罰を下すなら是非足利のみに叩き落として欲しい。師直とか信仰心ゼロですよ。

 あ、でも尊氏が死んだ後なら俺も好きにしてくれて構わないので猶予って形でもOKです。

 

 だから殿や若様は見逃して下さい。何卒(なにとぞ)何卒(なにとぞ)

 

 

 ──かくて御仏の意は示され、諏訪宗重は怪我一つなく立ち上がり悠々と立ち去れり。

 

 

「清水の舞台は七間*2はあったはずだが…」

「人間やめておるのですかな…」

 

 いや、地味に結構身体痛かったが。多分普通に打ち身とかしてると思う。

 

 まぁアドレナリン出てたせいなのかそこまで強い痛みは感じなかったのだが。

 こんな程度で弱音を吐いたら北条武士は軟弱と笑われてしまう。

 

 だから俺は平然と答える。

 

「この程度は怪我のうちに入りませぬ。腐乱めの言葉が少々大袈裟に過ぎるのです」

「なるほど、貴殿にとってはその程度ということか。いや、邦時殿の言葉の意味が分かった」

 

「はっ、臣には殿下のご深慮に考えが及びませぬが恐らくご賢察の通りで御座いましょう」

 

 殿も先程からさしたる反応も見せずに静かに控えておられた。

 俺が来る前に親王殿下や西園寺卿とどのようなやり取りがあったかは知らない。

 

 だがこの反応から察するに事前に言い含めてくれていたのであろう。

 五大院宗繁程度の武士はそう刮目(かつもく)に値する存在ではないのだ、と。

 

 流石にフィクションに片足どころか全身突っ込んだ内容だったが所詮は猿楽。

 多少現実と乖離した盛り具合があったところで気にする者はこの場にいないようだ。

 

 恐らくはその程度『分かったうえで』盛り上げてくれているのであろう。

 流石は海千山千の政治の猛者が集う京都の有力者たち、といったところか。

 

 それも当然か。

 護良親王と西園寺卿がいっときの無聊(ぶりょう)の慰めとしてしてくれればという企画だったのだから。

 

 俺がそのように納得していると…

 

「ハハハハハハ! それで足利は郎党をみすみす失ったと申すか! いや、愉快痛快よ!」

 

 護良親王が膝を叩きながら大爆笑していた。

 

(オレ)も追手から隠れる際、敢えて(ひつ)の蓋を開け放して潜み難を逃れたことがあったが!」

 

 それはそれで凄いエピソードだな。

 

 蓋が閉じていれば人が隠れていることを疑うかも知れない。

 しかし開け放たれていればそこに人が隠れることを誰が想像するであろうか? 

 

 仮に物取りの欲が(うず)いたとして、既に略奪後の箱となれば見向きもしないであろう。

 だが当然、言うまでもなくとんでもない勇気が必要となる行動だが。

 

 流石は武人肌の親王殿下、と言ったところか。

 

「それはまた剛毅な。敵方もそこに殿下が身を潜めていたとは夢にも思いますまい」

「応ともよ! 主上(しゅじょう)に捧げしこの豪胆さこそ(オレ)の密かな自慢であったのだが…」

 

「まこと、仰せの通りかと」

「よせよせ! 貴殿が為したことに比ぶれば(オレ)もまだ研鑽の余地ありと認めざるを得まい」

 

「は、はぁ…」

「クッハハハハ! よもやよもや、寺を破壊した上で空を舞いながら遁走するとはな!」

 

「別に空は舞っておりませぬが? 単に運悪く落ちただけですが?」

「フッ、で? 貴殿は『運悪く』落ちて怪我一つなく? 足利の郎党は軒並み落命したと?」

 

「……ま、まぁ、そういうことになるのでしょうか」

 

 正確には動けなくなってうめいている連中を白骨と腐乱が止め刺して回っただけだが。

 まぁ、これの乱世の習い。足利の郎党どもも命の遣り取りをする以上覚悟はしていただろう。

 

 南無南無。

 

 迷わず成仏して来世は是非北条の郎党として生まれ変わって欲しい。

 転職しやすいように足利は滅ぼしておくから。

 

 だが、そんな俺の返答を親王殿下はえらくお気に召したらしい。

 

「ははは、快なり! 快なり!」

 

「ほほほ、愉快愉快!」

「フフ、我等が手を組んで最初の一撃はまずはこちら方に軍配といったところですね」

 

 手を組む前に不意打ち気味に足利ぶん殴っただけにも見えるが。

 ともあれそんなことを口にするのも野暮というものだろう。

 

 親王殿下だけでなく、西園寺卿に殿までもが得意満面という表情。

 情勢がどうというよりも純粋に足利の不幸が嬉しそうだ。

 

 少なくともここの面々には足利、相当に嫌われてるな。……まぁ、俺も大嫌いだが。

 

 笑みを収めた護良親王と西園寺卿が此方に向き直る。

 殿を先頭に泰家様に俺や忠義党の面々ら一同、平伏してそれをお迎えする。

 

「さて、実に愉快なひとときを過ごさせてもらった。心より礼を言う」

「勿体なきお言葉です」

 

「うむ。まずは腐乱! 貴様の猿楽、実に見事であった!」

「へへぇ、ありがたき幸せ!」

 

「御仏の伽藍(がらん)*3にて大立ち回りを演じた豪胆さ、まこと天晴(あっぱれ)… 以後『仏藍(ふらん)』と号すが良い」

 

 おお、すごいな。貴人から直々に名を賜るなんて。

 殿も確か守邦(もりくに)親王から一時を賜っていたはずだがそれに並ばぬまでも劣らぬ褒美だろう。

 

 言い方は悪いが身分の低い下賤とも言える俺等のような存在にも良く配慮してくれる。

 だからこそ、護良親王殿下は後世に名が残る英雄足り得たのであろうな。

 

 うんうん、と納得していると再度声がかかる。

 

「そして五大院… いや、敢えて諏訪宗重と呼ぼうか。貴殿にも褒美をつかわす」

「……ははっ!」

 

 俺にも? 

 はて、なんか褒美をもらうようなことをしただろうか? 

 

 確かに親王殿下を助けた、と言えなくもないが…

 いや、しかし、それにしたって臣下であれば当然のこと。

 

 褒美を貰えるようななにかがあっただろうか。

 むしろ尊氏のヤツを取り逃がした失態を責められるなら分かるのだが。

 

 鎌倉の重臣の御歴々がご存命なら絶対に叱責してきただろうしなぁ。

 

 そもそも親王殿下と手を結ぶことを提案したのは俺だが、それを承認したのは殿。

 そして具体的な計画を立案したのは鍾馗だ。

 

 そんな俺の考えを余所に親王殿下は言葉を続けられた。

 

「まず一つは我が名代として京の町を見回ってきて欲しい。地位と給金も保証しよう」

 

 ……なるほど。

 

 護良親王直属の組織として、京の治安を預かる部署を創設するというわけか。

 

 これまでは戦後処理のドサクサもあって足利のみに良い顔をさせてきた。

 しかしこれは本来、征夷大将軍である護良親王の管轄なのだと言えば確かに通るだろう。

 

 勿論これは武力で京を実効支配したい足利のやりたいこととモロに被るわけだが。

 ゆえに今後、熾烈な勢力争いが随所で沸き起こることが容易に予想できる。

 

 しかし、足利にはこの夜の失態がある。

 

 それをあげつらうなど、政治の世界で生きてきた西園寺卿にとっては朝飯前であろう。

 直義が鎌倉に向かってしまったことも追い風である。

 

 だがそれもこれも、実働部隊となる北条邦時一派の実力あってこそのこと。

 力なき警備職など乱世の時代にお呼びではない。力で追い払われておしまいだ。

 

 同様に、足利尊氏一色に染まっている宮中を思えば西園寺卿にとっても楽な戦いではない。

 つまりこの一連の布石の成否は、我等下っ端と西園寺卿の働きにかかっているわけだ。

 

 確かに難行だが見返りは大きい。

 成功すれば京都限定とは言え朝廷側の権力が武家、特に足利家に対抗できるようになる。

 

(……親王殿下としては、ここで帝の評判回復にも繋げておきたい意図もあるのだろうな)

 

 思考に没頭する俺の様子を満足気に眺めながら、護良親王は更に言葉を続ける。

 

「そして、もう一つは…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな『回想』をしていた俺の胸に軽い衝撃。

 続けて風を切るように拳が迫ってきた。

 

 考えるよりも先につい反射的に受け止めてしまう。

 

「っと、これは一体どういうことだ?」

 

 いかんな。俺としたことがここまで気を抜いてたなんて。

 

 相手は少し着崩した風体の三十路(みそじ)(がら)みの武士、いや浪人だろうか。

 この時代に浪人が存在したのかどうかは分からないが。

 

 閑話休題。

 

 その外見に覚えはない。

 足利の郎党が昨晩の件で俺を見咎(みとが)め襲ってきた、というわけでもなさそうだ。

 

(はて? なにより、こちらへの殺意はないように感じるが…)

 

 なんにせよ俺を狙うならば初手から刀や長巻きなどの刃物か弓矢を用いるだろう。

 そうしてくれればこちらだって殺気やらなんやらで気付きやすいのだが。

 

 いや、この男がなにかに怒ってるのは間違いないようだ。

 ……しかし、その対象は俺ではない? 

 

「いてててて… て、手ぇ離しやがれぃ!」

「おっと、すまん」

 

 果たしてどうしたものかと考えていると、男が苦しそうに呻き出したので離してやる。

 

「ち、畜生… なんなんだテメーは。そのガキのツレか!?」

 

 ガキ? 

 男の目線を追うようにやや下方に目を向けると。

 

「……いったた」

 

 そこには俺にぶつかったせいだろうか、片手で後頭部を押さえる少女が立っていた。

 

 年の頃は十に届くか届かないか、と言ったところ。

 殿や若様と同年代であろう。

 

 整った顔立ちをしている。

 立ち姿の骨格も良い、ということはこの時代において栄養状態が良いということ。

 

 質の良い着物も羽織っており上流階級の令嬢である様子がうかがえる。

 なによりその神秘を纏った空気。諏訪の巫女の方々と同等の気配を感じる。

 

 いずこかの神職の娘だと言われれば信じてしまいそうになる、そんな不思議な少女であった。

 

「すまないな、俺が考え事をしていたせいで。怪我はないだろうか?」

「………」

 

 詫びの言葉を投げかけるも少女からの返答はない。

 

 光の加減故であろうか? 

 空色にも見える澄んだ瞳で、穴が空くほど真っ直ぐに見詰められている。

 

 正直気不味い。

 

「えーと、だな…」

 

 口下手なりに再度詫びようと口を開きかけたその時、『事件』は起こった。

 ……起こってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまえさまぁ!」

「『おまえさま』ぁ!?」

 

 少女がいきなり抱きついてきたのだ。

 

「え、いや、いきなり何を…!?」

「あたしのこと、忘れちゃったんですかぁ? あ~んなに熱い夜を一緒に過ごしたのにぃ…」

 

「野郎、やっぱり知り合いだったのか! 女ぁ使って俺をハメやがってぇ!」

 

 少女は熱い夜を俺とともに過ごしたとか申告してくる。

 男はなんか少女と因縁があったのかとブチギレてる。

 

 そしてこの俺は今の状況にひたすらに困惑し動揺している。

 

 情報が、情報の洪水がワッと迫ってきて整理が追いつかない! 

 助けて鍾馗! 

 

 え? なに? 知り合いだったり? いや、京都に知り合いはいなかったと思うんだけど。

 というか見た感じ年齢が違い過ぎるし手を出してたら犯罪では? 

 

 ……いや、鎌倉時代的にこの程度の年の差婚はアリなのか? 

 

 いやいやいやいや、やっぱねーわ! 

 俺に残った僅かな現代人としての倫理観がそればっかりは流石に許さねーわ! 

 

 そんなこんなでひたすら混乱していた俺がふっと我に返った時…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怒っていた(多分)武士崩れの人は地面にのびて静かになっていた。

 ある種の事件の現場であった。

 

「わー! す、すまん。その、色んなことが起こりすぎてつい…」

 

 彼はボコボコになっていた。明らかに下手人は俺であった。

 どうやら混乱していたなりに身体の方は自動迎撃に成功してしまっていたようだ。

 

 戦場で混乱した際は取り敢えず目の前の敵をブチ殺す、という日頃の心構えが仇になった。

 

 ……これも鎌倉武士の宿痾(しゅくあ)か。

 

「すまない… 本当にすまない…」

「きゃっはははははは! いやー、笑っちゃうくらい強いねぇ… あ・な・た・様♡」

 

「勘弁してくれ… そもそも彼はめちゃくちゃ怒っていたが一体何をしたのだ?」

 

 現代の世に生きていたら小悪魔系のギャルとして衆目を集めていたかも知れない。

 それほどの『華』とある種の『危うさ』を感じさせる少女だ。

 

 五年、いや十年も長じれば傾国の美女となっても不思議ではない雰囲気も纏っている。

 

「別にな~んにも? 賭場で負けが込んできたら急にああして怒り出しちまったのさ」

 

「むぅ。賭場で負けたからと言って女性に手を上げるなど恥ずべき振る舞いだな…」

「全くさ。丁寧に身包み剥いでやって惨めな負け犬っぷりを嘲笑してやっただけなのにね」

 

「うん、全面的に君が悪いと思う。というか、やり過ぎだ」

 

 俺が軽く窘めれば唇を尖らせて顔を逸らす。

 彼女自身でも『やり過ぎた』という自覚は多少なりあるのだろう。

 

 自覚しているならばこれ以上言うのはお節介というものか。

 そう思いながらも、ふっとため息を吐いて言葉を続ける。

 

「しかし、また、何故にこのようなことを?」

「………」

 

「詮索に感じたならすまない。見たところ金に不自由のない高貴の家の出に感じてな」

「………」

 

「言いたくなければ言わなくて構わない。……それでは、俺はこれで」

 

 恐らくは良いところの令嬢であろう彼女にも色々とあるのだろう。

 だが、それは俺のような通りすがりの人間が踏み込める問題でもなかろう。

 

 軽く一礼をして、以後の無事を内心で祈りその場を離れようとする。

 

「あのさッ!」

 

 そんな俺の背に、不意に声が掛けられた。

 立ち止まり、振り返る。

 

 いや、本当に無理に聞き出すつもりはなかったのだが。

 ……どうする? 止めてやるべきか? 

 

 そんな俺の思考を余所に少女は言葉を紡いだ。

 

「あたし、さ。……婆娑羅(ばさら)に憧れているんだよね」

「ほう」

 

「なのに今じゃ風体ばっかのニセモンだらけさ」

 

 頬を朱に染めてやや目線を逸らしながらそう言った少女に、思わず感嘆の声が漏れる。

 

 ──婆娑羅(ばさら)

 

 奇抜な格好や振る舞いにて『己』を通す武士の姿がこの時期そう呼ばれていた。

 婆娑羅(ばさら)者の精神性や在り方は後の世に傾奇(かぶき)(もの)として受け継がれていくことになる。

 

 そして、『傾奇御免』前田慶次などの著名人をも生み出すきっかけともなっていくのだ。

 ある意味で武士の美学にも通じるものがあるか。

 

 だが、美学である以上はそれが男のみに限定される必要はない。

 

(この時期の京都は『婆娑羅(ばさら)大名』佐々木(ささき)道誉(どうよ)の影響も強い。憧れが生まれるのも必然か)

 

 感心したように彼女を見詰めていると、怪訝そうに問い掛けてきた。

 

「あのさ、婆娑羅(ばさら)を知らない… ってワケじゃあないんだよな?」

「ある程度なら。己を貫く生き様のようなものと認識している」

 

「へぇ… 知ってて笑わないんだ? だってさ、『女』が婆娑羅(ばさら)だよ?」

 

 挑むように笑みを浮かべている。

 

(……いや、別に女が婆娑羅(ばさら)傾奇(かぶき)(もの)になってもなんとも思わないけど)

 

 スケバンもキャリアウーマンも、()わばそういった種別の存在なのだろうし。

 確かにこの時代は男性に従うのが『いい女』という価値観かも知れないが。

 

 でも、それこそ人によりけりだろう。

 

 そう考えれば、なるほど、彼女から見えてくるのは小悪魔的な雰囲気ばかりではない。

 

 一本筋の通った『しなやかさ』のようなものも感じないでもないのだ。

 あるいは芯のある『(したた)かさ』と言い換えても良いか。

 

 そんな彼女の魅力を引き出したのが『婆娑羅(ばさら)』であるなら笑うことこそ恥というものだろう。

 

 だから思ったことをそのまま伝えてみる。

 

「何故笑う必要がある。誰かの信念を笑う者がいるならば其の者をこそ笑うべきだ」

「おいおいおいおい… アンタ、本気で言ってるぅ?」

 

「まぁ確かに今の御時世で女性が婆娑羅(ばさら)を貫くのが難しいことは否めないがな」

「ほぉら、やっぱりアンタも…」

 

「だが、それを覚悟の上で挑むのが君の『婆娑羅(ばさら)』ならば俺はそこに敬意しか抱けない」

 

 俺も足利をぶっ壊したいという途方もない夢を抱いている。

 多分十人に聞けば百人が笑うであろう途方もない夢だ。

 

 それに比べれば育ちも見目も良く才知に富むであろう少女が己の信念を貫くことの何を笑う。

 

 婆娑羅(ばさら)を目指す女性、大いに結構じゃないか。

 婆娑羅(ばさら)大名の佐々木道誉は時と場合によってはぶっ殺すことになるがそれはそれ。

 

 彼女にとっての婆娑羅(ばさら)が信念や生き様であるのならば、競合することはないであろう。

 

 うんうん、お互い頑張ろうな。

 

 いや、ためになった。

 流石京都だ、ちょっと見聞を広げがてら歩いていたらこんなに面白い女性と出会えるとは。

 

 そんなことを考えていると、不意に少女が笑い出した。

 

「きゃっはははははは! あー、おもしろっ! アンタも大概『おもしれー男』だね!」

 

「ほほう、気が合うな! 実は拙者も君のことをそのように思っていたのだ!」

「きゃっはははははは! マジ無礼じゃん! でも超許す! 五大院(ごだいいん)宗繁(むねしげ)に免じて!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ははははははははは! ……ごめん。……なんて?」

 

「なんだ、知らないのかよ! ったく、アンタってばホントに見た目通りの田舎侍だなぁ!」

「……いや、うん。……その、ごめん」

 

「きゃっはははははは! 今更急に畏まんなって! アタシとアンタの仲じゃん!」

「……いや、うん。……その、ごめん」

 

「いーよいーよ! 教えてやるさ! 『天下御免』『婆娑羅(ばさら)無双』五大院宗繁のことな!」

 

 上機嫌な少女にバシバシ背を叩かれ、俺はその人物について拝聴することと相成った。

 

 ……『天下御免』とか『婆娑羅(ばさら)無双』ってなんぞ? 

 俺の知らないどなたか別の五大院宗繁さんのお話なのかな? 

 

 混乱の極みのある俺の目の前で、少女が神秘的な雰囲気を纏い歌を謡いながら舞い始めた。

 

 

 ──今は亡き、鎌倉執権(しっけん)北条氏。

 ──最後の当主は高時公。

 

 ──かの御仁に股肱(ここう)()(しん)あり。

 ──名を五大院宗繁。

 

 ──並み居る猛者を薙ぎ倒し。

 ──坂東無双のかの者曰く。

 

(いや、坂東無双とか初耳ですが… いいとこ中堅くらいだと思う…)

 

 ──北条が武威を知らしめるべく。

 ──諸国修行の旅に出たいとの由。

 

 ──高時公、これに深く感じ入り。

 ──斯くて無双の侍、旅に出る。

 

(いや、単に実力磨くために修行の旅に出ただけなんだが…)

 

 ──さても気侭の婆娑羅(ばさら)旅。

 ──山河にありては山窩(さんか)の民と、禽獣(きんじゅう)(ほふ)りて語らい合い。

 

(山窩からは山の歩き方や獣の捌き方を教えてもらったなぁ… 俺も星の読み方教えたし…)

 

 ──北の果てでは蝦夷と混じりて(ひぐま)を狩り。

 ──南に征かば遥か彼方の島まで舟を操り。

 

(うん、知らない。なにそれ… 確かに伊豆とか屋久島あたりまでは舟を出したけど…)

 

 というかヒグマと遭遇してたら流石に死んでるわ。

 

 ──時に名うての賊を打ち倒し。

 ──時に圧政敷く領主を懲らしめて。

 

(……?)

 

 ──東に怪異あらばこれを退治し。

 ──西に()つ国の侵略あらばこれを薙ぎ倒し。

 

(ジャンル変わってきてない? というかコレ婆娑羅(ばさら)関係なくない?)

 

 ──旅また旅の婆娑羅(ばさら)旅。

 ──重ねに重ねし百戦余。

 

 ──これら全てに敗北を知らず。

 

 ──斯くて五大院宗繁、鎌倉に帰還せり。

 ──日ノ本繋ぎて帰還せり。

 

(………)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ってね、どうよ? ヒヒッ♪」

 

 語りが終わり、少女が満面の笑みを見せれば聴衆から拍手喝采が沸き起こる。

 

「いいぞー! 嬢ちゃん!」

「ほほう… 華やかに舞いながら『宗繁婆娑羅(ばさら)旅』を吟ずるとはやりますね…」

 

 いつの間にかギャラリーが増えていた。

 そして受け入れられていた。

 

 俺だけが知らない俺自身の旅が何故かさも当たり前の事実であるかのように語られている。

 

 俺は恐怖に打ち震えながらもなんとか言葉を絞り出した。

 

「知らん… なにそれ… こわ…」

 

「きゃっはははははは! いいって! 上京したてなんだろ? 知らなくても無理ないさ!」

「いや、そうじゃなく… いや、うん。……もう、それでいいや」

 

 少女の言葉に、俺は深いため息を吐きながら脱力する。

 

 無名よりも悪名という考え方も世の中にはある。

 

 俺個人としては余り好きではない考え方だが、何が役立つか分からない世の中だ。

 些か以上に盛られ具合が気になるものだが、話を広める側に悪意はないのであろう。

 

 ならばこういった噂も認知しておけばいずれ役に立つ時が来るかも知れない。

 

 ……そう、前向きに考えることにした。

 そんなことを考えていると、腕が不意に引かれたので視線を下にやる。

 

 案の定少女であった。

 何かを思い付いたのだろう、獲物を前にした猫のようなニンマリとした表情を浮かべている。

 

「ねぇねぇ、あなた様♡ ……いひひっ、見たところ食い詰め侍でしょ?」

「その『あなた様』ってのはやめてくれ。俺は…」

 

「行くとこないならさ、ウチで雇ったげるよ! どうよ?」

「……はい?」

 

「目指せ、第二の五大院宗繁ってね! どう? どう? アタシらで競争とか熱くない?」

 

 得意満面の表情は正直言って魅力的だ。

 十年後に出会ってたらクラッといってたかも知れない。

 

 それに善意からの言葉なのだろう。

 この場で出会ったばかりの俺みたいな怪しいオッサン相手には破格の申し出だ。

 

 俺の姿形は… うん、ボロ着だな。そりゃ無職と誤解もされるか。

 

 殿や高時公との出会いなくばこの誘いに頷くのも面白かったかも知れないな。

 ……だが、今の俺は北条の臣だ。そして足利族滅を諦めてはいない。

 

(なにより俺自身が俺自身へとプロデュースされるという珍妙な状況に陥りたくない…!)

 

 心を鬼にして断りの言葉を告げようとしたところ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見付けましたぞ!」

 

「囲め! また逃げられる前に囲むのだ!」

「心得てござる!」

 

 むくつけき男どもがこの場に乱入してきたのだ。

 ……いや、俺も人のことを言えないが。

 

 案の定、彼らの狙いはこの少女のようだ。

 

 先程の彼(物陰に運んであげた)に比べれば良い服を着ている。

 これが京の侍の標準だとすればそりゃ俺が無職と思われるわけだなと納得もする。

 

「なんだ、貴様は! 邪魔立てするとためにならぬぞ!」

「賊め、命が惜しくばそこから離れるのだな!」

 

「ちょ、ちょっとアンタたち! この人はそんなんじゃ…」

 

 柄にもなく俺を庇おうとしてくれる少女の肩を掴み、そっと前に出る。

 

 最初は利用された形での出会いだったが、流石にこの状況で彼女を見捨てるのも忍びない。

 端的に言えば情が移った、ということになるのであろうか。

 

 俺は三人の武士崩れを睨み据え、一喝した。

 

「貴様ら如きにこの少女は渡さぬ! さぁ、かかってこい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぅ…」

「おのれ…」

 

「バケモノめ…」

 

 ちょっと強かったが、師泰に比べれば全然大したことはなかったのであっさり制圧できた。

 ……これくらいの腕があるのならしっかり鍛えていずこかの家に出仕すれば良いものを。

 

 そんなことを考えていると、男たちを指さしながら震えている少女の姿に気付いた。

 

「大丈夫だったか? ……まったく、ここまで恨みを買うとは。今後は博打(ばくち)は程々にな」

「……いや、この人たちウチの家来衆なんだけど」

 

「………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 護良親王殿下から命じられた京都の見廻り。

 当然、我等が水面下で動くべき現状では目立つような振る舞いは厳に戒めねばならない。

 

 然るに、名家のお嬢様(と思われる)に仕える御家来衆を蹴散らしたという状況は…

 

「……すまぬが、俺は少々急用を思い出したようだ」

「いや、ちょ、え…?」

 

「すまない! お(いえ)にはよしなに取りなしておいてくれ! 悪気はなかったのだ!」

「ちょ、おま! この状況、アタシ一人に全部丸投げかいっ!?」

 

「すまない、すまない! 次会うことがあったらしっかり詫びるから!」

 

 三十六計逃げるに()かず。

 別れの言葉を惜しむ暇もあればこそ、俺は情けなくもこの場からの全力逃走を選んだ。

 

「あーもう! アタシは魅摩(みま)! 次会ったらアンタの名前も聞かせなさいよー!」

 

 そして『婆娑羅(ばさら)少女』の声を背に受けながら、脱兎のごとく駆け続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、駆けに駆けぬいていつしか京の町外れ。

 俺は周囲を確認すると寂れた(いおり)の戸を叩く。

 

「御免。どなたかおられぬであろうか?」

 

 人が住んでいるかどうかも疑わしい庵である。

 

(近隣に他住居なし… ということは… ここ、で良いんだよな…?)

 

 護良親王に見廻りが一区切りついたらここに向かうように、と指定されていたのだが。

 反足利勢力の秘密基地かなにかとも思ったが、あまりに(おもむ)きが異なる。

 

 どちらかと言えば、鎌倉の頃に親交があったある男の住処(すみか)を思わせるような…

 

「なんじゃい、騒々しい」

 

 そんなことを考えていると戸が開かれ、中からお年を召した御老体が姿を現した。

 同時にムワッと漂ってくる熱気。

 

 ……間違いない。

 

「あいや、突然の(おとな)い相すまぬ。……作業中であっただろうか?」

 

 ここは『鍛冶場』だ。

 

「フン… 生憎と儂ぁ誰彼と仕事を『請けられん』身上でな。大体は暇ぁしとるでよ」

「そ、そうであったか」

 

「だから誰彼構わず相手にするってぇワケにもいけんでな。悪いが相手ぇしとれんのでよ」

 

 色んな地方の方言を混ぜたごった煮のような強い訛り口調。

 だが言わんとすることは不思議と伝わる、そんな言語。

 

 その言語によって紡がれる意志は明確なる拒絶。

 ますます親王殿下が此処に俺を遣わした理由が分からなくなる。

 

 とはいえ、それならば用件だけでも済まさねばなるまい。

 

「相分かった。忙しいところ申し訳なかった。ただ、これだけは見てくれぬか?」

「んぁ?」

 

 俺は親王殿下からお預かりした『ある物』を御老体に差し出した。

 

 それは菊をかたどった古風な飾り房。

 

 皇室が扱っているだけあって上質な(こしら)えをしている。

 預けられた時は緊張で手が震えたものだ。

 

 恐らくはこの飾り房を見せるということが何らかの符牒を意味するのではなかろうか。

 となれば、まだ京都では面の割れていない俺を使った意味も見えてくる。

 

 こうして親王殿下の活動のお役に立てるというのであればこの役目も重要であろう。

 

 案の定、御老体はこの飾り房を見るや否や大きく眉を跳ね上げた。

 

「……()がんな」

「それでは失礼(つかまつ)る」

 

 一礼して庵に上がらせてもらう。

 やはりと言うべきか、そこは入った瞬間に分かる鍛冶の作業場であった。

 

(……正宗(まさむね)のヤツは、あの変人は元気にしているであろうか)

 

 ふと、懐かしき悪友の顔を思い出す。

 

 俺が嫁取れないことを馬鹿にして笑ってやがった翌日に自分が嫁さんに逃げられてたっけ。

 仕返しにこれでもかとばかりに大笑いしてやったら殴り合いの喧嘩になったっけ。

 

 あと変な武器ばっかり作らずに普通の武器作れよって言ったら殺し合いになったっけ。

 

 案内された座敷に腰掛けて少しばかりの感傷に浸っていると、御老体が声を掛けてくる。

 

「……おめぇさん、何しなすった」

「む?」

 

「皇室がこの飾り房ぁ誰ぞん預けるなんぞ… まして此処に向かわすなんぞ…」

「いや、取り立てて何も… 精々が足利から親王殿下をお守りした程度で…」

 

「はぁ!? 足利からぁ!? あ、相手方は誰がおった? どうせ木っ端が数名とかじゃろ?」

「えっと… 二十数騎だったか、尊氏と師泰と師直はいた。……仕留められなかったが」

 

「………」

 

 御老体が呆然としてしまった。

 

 分かるよ。千載一遇の好機をモノに仕切れなかったら呆れるよな。

 俺自身、自分で自分が不甲斐なくて仕方がない限りだ。

 

 ……というか俺の話はどうでもいいんだ。

 

 親王殿下への言伝なり報告の文書なりはないのだろうか。

 そう思って御老体を眺めていると、突如腹を抱えて笑いだしてしまった。

 

「だぁーっはっはっは! まさかこの御時世に足利に牙ぁ剥く馬鹿野郎がおるとはよぉ!」

 

 聞き捨てならんな。

 

「足利に真に心服する者などどれほどいるものか。誰しも殴れるならば殴りたかろう」

 

 力説する。

 俺は足利が嫌いだ。大嫌いだ。

 

「だから殴りかかった! 馬鹿となんと言われようともこれが俺の気持ちだ! 俺の戦だ!」

 

 故に殺す。それだけだ。

 そんな俺の癇癪のような言を聞いた御老体は腹を抱え、腰を折り曲げながらより一層笑う。

 

 待つこと暫し。そろそろ帰ろうかなと思い始めた俺に向かって御老体が言葉を発した。

 

「かぁー! ……いいやぁ、笑った笑ったぁ!」

「………」

 

「くくっ… 最近はつまんねんごとばっかでよぉ、こんなん笑ったん久し振りじゃあ」

「……それはようございましたな」

 

「そう拗ねるなぁ。儂も足利ぁ好かん」

「……ほう?」

 

「ありゃあ、逆賊の気風じゃあ。いつか皇室に刃ぁ突き立てる氣を持っとぉでよぉ」

 

 思わずうんうんと頷いてしまう。

 

 歴史が証明してるとか賢しらなこと言う以前に既に北条を裏切ってるしな。

 だったら何度でも裏切るよアイツ。むしろ裏切らないはずがない。

 

 しかし京都って意外と足利嫌いな人多いな。すごく良いことだと思う。

 

「連中のために鎚ぃ振るんは願い下げじゃったがぁ。おめぇならいいかぁ」

「……はて、一体なんのことで御座るか?」

 

「馬鹿がこむつかしっこと考えんなぁ。おめぇ、皇室のために戦うんじゃろ?」

「うむ、それは間違いなく」

 

 そもそも別に皇室が勝つ事自体なんとも思わないからな。

 天皇親政しようが大政奉還しようが廃藩置県しようが好きにやってくれていいと思ってる。

 

 戦に勝ったその後にどのような政治体制を敷くかは、それこそ為政者の仕事だ。

 俺個人は天皇は実務を担うべきじゃないと思っているが、それも素人考えに過ぎない。

 

 武士としての俺は、ただ足利をぶっ殺したいだけなのだから。

 そしてその考えの大枠は殿も泰家様も同じであるはずだ。

 

 そのために護良親王と(よしみ)を通じたのだから。

 そうして皇室のために戦うことがやがて足利を追い詰めることに繋がるのだから。

 

 ……ところで、馬鹿馬鹿と連呼されるとちょっとだけ傷付くので出来ればやめて欲しい。

 

「よしゃ! おめぇの武器、作っちゃろ」

「おお!」

 

 それはありがたい。

 ちょうど困っていたところだったからな。

 

 いや、でも、いいのだろうか? 

 

「しかし、護良親王の頭を飛び越えてそのような話を受けるわけには…」

 

「いいんだよ。おめぇに飾り房持たせたんそういうこった」

「ど、どういうことで御座るか?」

 

「馬鹿か、()ってんじゃなかろ? でなけりゃ、まぁ、此処に来れっはずもねぇがか」

「むぅ。そ、それはそうなので御座るが」

 

「ま、流石に皇族のお命ん直接取ろってん不忠者がおるとは思えんだがぁな」

 

 それはそうだ。普通そうだ。

 まぁ普通じゃない足利尊氏は史実で護良親王のお命を奪ったわけだが。

 

 ……これは今は言うべきではないな。

 

 つまり護良親王殿下が言う『もう一つの褒美』とは、この御老体との伝手であったのか。

 納得の表情を見せて頷いた俺に、御老体は言葉を続けてくる。

 

「で、だ。馬鹿が分かったぁとこでよ、今おめぇが使(つこ)とん武器見してみ?」

 

 言われて、俺は背負っていた弓と…

 

「……なんじゃこら」

 

 槍『だったもの』を御老体の手前に置いてみせた。

 

 いや、うん。

 

 尊氏との激しい打ち合いや清水の舞台から飛び降りる際に雑に扱ったせいで…

 その、なんだ…

 

「壊れ申した… はは、面目次第も御座らぬ…」

 

 心底凹む。

 

 刃先はひび割れており、柄は鉄芯入りにもかかわらず見るも無惨にひしゃげてしまっている。

 御老体は武器をペタペタ触り、呆気にとられていたが… やがて徐々に口角を上げてゆく。

 

「くくっ… こりゃまた派手に壊したぁモンだでぇよ。……で?」

「む?」

 

「こん馬鹿力でぇどんな武器ぃ所望すっど? どんな武器ぃでん作っちゃろうてぇ」

 

 はて、どんな武器でも作ってみせるとはこれはまた大きく出たもの。

 どのように返答したものやら、と思っていると。

 

「ただし、使い手の能力にん見合わんモン所望したっら… 壊れっど?」

「………」

 

「武器か、使い手かぁは知らん。あるいは、どっちもってこってんありうる」

 

 大した自信だ。

 あの鎌倉一の鍛冶師の正宗だって果たしてここまでの大言壮語を吐けたかどうか。

 

 ……しかし、本当に『どんな武器でも作れる』ならば俺の答えは決まっている。

 

「──決して『壊れぬ』武器を」

 

 沈黙。

 続いて大きなため息。

 

 御老体からやや失望が入り混じった声音が漏れる。

 

「話ぃ聞いてなかったんか? 武器ぃ壊れんでっども、使い手の方がぁ…」

「『俺は壊れても一向に構わない』、そう言っている」

 

「………。儂ぁてっきり『足利を殺せる刃を』て来るかぁ思っちょったがよぉ」

 

 それこそ、まさか。

 

 もとより武器に願いを託すつもりはない。

 

 俺にとって足利族滅の宿願とは、もはや単なる『願い』を超えた域にあるのだから。

 それを人から与えられた武器に乗せるなど筋が通らない。

 

 足利を殺すのは俺の意志だ。俺の力だ。俺の願いだ。俺の宿命だ。

 他の何物をも此れに巻き込むつもりはないし、踏み込ませるつもりもない。

 

 志半ばで武器に耐えきれず俺が壊れるならばそれまで。

 そして足利を滅ぼした後ならば、それこそ俺も武器も壊れたって一向に構わない。

 

「切れ味は程々で良い。どうせ殺せば殺すほど切れ味など落ちるものだ」

「確かにの」

 

「見栄えも奇抜さも不要。ただ当たり前のように扱えれば良い」

「へっ、皇室御用達(ごようたし)にそれ言うかねぃ」

 

「槍を頼む。長巻きでもない、薙刀でもない、鉾でもない。ただの『槍』を頼む」

 

 折れず、曲がらず、壊れない。

 ただただ、あの日果たせなかった忠義を全うできる槍を用意して欲しい。

 

 弓は諏訪の神木より作られしこの神弓がある。身に余る品だ。

 矢はそれこそ数打ちのもので構わない。

 

 だが槍は… 槍だけは、俺の忠義と憎悪の全てを乗せても壊れないそんな物が欲しいのだ。

 

「くくっ… まさに『一文字』な逸品をお望みとなぁ。……委細、承った」

「それでは…」

 

「応ともよぉ。まぁ、馬鹿に相応しい頑丈さしか取り柄がねぇような槍ぃ作ってやるさぁ」

「馬鹿馬鹿と… 拙者のことは諏訪宗重と呼んでいただきたい、御老」

 

「そうかぃ。備前から引っ張り出されて四代経つが言葉も礼儀もまだまだ勉強中でねぃ」

「……まぁ好きに呼んでくだされ。……そういえば、御老のお名前は?」

 

「儂かい? 儂のこたぁ、備前の則宗(のりむね)と呼んでくれ。ま、作品以外は覚えなくていいがねぃ」

 

 備前の則宗、か。

 

 ……うん、知らんな。

 いや、そもそも俺が鍛冶師についてあまりというか全然詳しくないからな。

 

 流石に正宗とか村正くらい有名になると知っているのだが。

 あとは菊一文字とか虎徹とかくらいか? 

 

 まぁこの御老体には関係のない話だろうけれどな。

 そんなことを考えている俺の顔面に、突如、木桶が叩き付けられた。

 

「さて、早速手伝ってもらおうかぃ。ほれ、水汲んでこい! 山程な! 次は砂鉄だ!」

「う、承った! 精一杯尽くしますので、指示をお頼み申す!」

 

「だぁーっはっはっは! おめぇ運がいいぞ、則宗の鍛冶を見ることが出来るなんてよぉ!」

 

 畜生、運の良さを実感できるほど鍛冶に明るかったら良かったのにな! 

 俺は人使いの荒い老鍛冶師・則宗にこき使われながら声にならぬ悲鳴を上げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所を移して、京都洛中は京極佐々木邸にて。

 

 時刻は夜半過ぎ。

 婆娑羅(ばさら)大名・佐々木道誉が平伏する三名の郎党どもと向かい合っている。

 

「ふむふむ。なるほどねぇ…」

 

 彼等こそは魅摩(みま)を追ってきた佐々木家中の郎党であった。

 そして、その魅摩は佐々木道誉の愛娘。

 

 父として娘の動向は好きにさせてはいるが、家中には勝手に心配する者も出てくる。

 彼女自身、刺激を求める性質であることから危険な目に遭ったことは一度や二度ではない。

 

 まして治安が危うい戦後間もない京の地。家来が気を揉むのも至極当然と言えた。

 

「まぁ、愛するあの子がどのような縁を持とうと父としては見守るしかないねぇ…」

 

 穏やかで安らぎに満ちた表情。

 その表情は、まるで心の底から案ずる我が娘を想う父のように見えるのだ。

 

 ──『だからこそ』、平伏している三名は震えが止まらなかった。

 

 この魔窟・京にてあらゆる全ての策謀に関与しているとまで噂されるほどの人物。

 それこそが、謀神・佐々木道誉。

 

 慈愛の笑みを浮かべながら幼子を殺す残忍な策を弄することも厭わない。

 そんな彼の『これまで』を知っているからこそ、家来たちは心底怯えていた。

 

殊更(ことさら)に、あの子の『夢』に干渉するつもりはないが…」

「……ッ!」

 

「あるいは、そろそろ『夢』と『現実』の折り合いをつける時期なのかも知れないねぇ…」

「ぎょ、御意に御座いまするッ!」

 

「ん? 何が御意なのかは分かりかねるが、まぁ、良きに計らってくれたまえ」

 

 何気ない世間話のように下される『下知』。

 

 腹の底の読めぬ漆黒の笑みを浮かべながら、佐々木道誉は些細な日常と此れを流した。

 

 娘の幸せを願う心は本心である。

 婆娑羅(ばさら)を気取る姿も少々お転婆に過ぎるきらいはあるが、そう悪いものではない。

 

 ……しかし、夢を見過ぎてはいけない。

 まして婆娑羅(ばさら)大名である自分ならまだしも、敗死したとはいえ敵方の武者に憧れるなど。

 

 夢見がちな思考とは往々にして現実を見る瞳を曇らせる。

 ならば此処で現実の残酷さの『実例』を見せてやるのも親の愛というもの。

 

(今日出会った婆娑羅(ばさら)武者が『消えて』、其の上でなお『夢』を語れるというのであれば…)

 

 それはそれで現実に対して容易く折れぬ強靭な精神を持っているという証左に他ならない。

 

 なれば僥倖だ。

 

 親たる自身とは違う性質を有する事実にも繋がるがそれも良い。

 ……いや、むしろそれこそが良い。

 

 常に情勢に合わせて変化し、旧弊(きゅうへい)を喰らい尽くしてゆく。

 それこそが京極・佐々木家の真骨頂なのだから。

 

 いずれに転んでも我が子として愛するに相応しい資質を眠らせているということ。

 そんな魅摩(みま)の将来を、冷徹な計算を走らせながら、父・佐々木道誉は心の底から寿(ことほ)いだ。

*1
派閥のトップを意味する言葉。

*2
およそ12~13mほど。

*3
僧侶が集まり修行する場所のことを示す。日本では塔のような建物が多い。




伯父上「えっ!? 今日は佐々木の郎党どもを◯害しても良いのか!?」



『禁中猿楽騒動之事』
花園上皇の日記に記載が残る出来事。建武元年(西暦1334年)、護良親王が禁中にて催された後醍醐天皇主催の宴の席にて披露した猿楽が騒動を引き起こした。京の町にて諏訪宗重が足利方を相手に大立ち回りを演じた『暗中京都鬼神楽』と『仏跡清水檜五体投地』を面白おかしく演じてみせたのだ。この猿楽は今日でも知られる通り、神仏の加護を受けし諏訪宗重(五大院宗繁説あり)が、神仏衆生の敵・足利尊氏を相手に果敢に戦い一泡吹かせるという内容になっている。この猿楽には足利の政治的権威失墜をはかる意図があったと思われる。当然、この振る舞いには大多数の足利党の反感を買うこととなった。当初は猿楽の見事さを褒めた後醍醐天皇とて後日、「無用な諍いの種は撒くことなきように」との詔勅を護良親王に送ったことから、繊細な政治的駆け引きがあった様子がうかがえる。しかし、この宮中の動きの中で一人異彩を放っていた人物がいる。他でもない、足利尊氏本人である。彼はこの猿楽の出来栄えをいたく気に入り、繰り返しの演舞を所望し逆に護良親王が音を上げてしまうこととなった。後年、足利尊氏は『猿楽冠者』と呼ばれるほどに猿楽に傾倒することとなるが、殊の外先述2つの猿楽を好み、『仏跡清水檜五体投地』に自分自身が登場していた作品を生み出すなど並々ならぬ熱意を示したと伝えられている。このエピソードは、後年朝敵とされ正当な評価を得られなかったとされる足利尊氏の大器を端的に表した好例として、時の反政府勢力によってしばしば引用されてきた歴史がある[*注釈]。
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