忠義者の伯父上   作:(๑╹◡╹)ノ

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第3話▲諏訪入り 1333

 それから旅は極めて順調に進んでいる。

 

 以前から思っていたことであるが、この時代の警戒網は割りとガバガバである。

 まず何処もかしこも未開地だらけだ。コレはやむを得ないことでもあるが。

 

 なんせこの時代、都会と言える場所が数えるほど。極めて少ないのだ。

 京と鎌倉と、あとは鎮西探題*1を除けば随分と心許なくなるのではないだろうか? 

 

 だから身を隠す場所には事欠かない。更に言えば人の監視がある場所はかなり限られる。

 夜間にひっそり進めば関を避けて通るのは簡単だし、山には山菜や獣など獲物も多い。

 

 山間に住まう少数部族も極稀にいるものの、権力機構からは独立している場合がほとんどだ。

 水や食料に()()()ことさえ気を付ければ、比較的安全な旅を楽しむ余裕すらある。

 

 もちろん油断は禁物ではあるが。

 

「……いや、うん。夜の獣道を庭でも散歩するように進めるのは伯父上くらいだからね?」

「ははは、これは異なことを。あれしきのことは軽々と出来ねば武士は名乗れませぬぞ」

 

 洞穴で焚き火を囲み、川で捕まえた魚を焼いている最中。

 殿が焼き鮎を齧りつつ冗談を飛ばしてくるので、俺も笑いながらそれに応える。

 

「……冗談のつもりじゃないんだけどなぁ」

「然様でございますか。ところで殿、火熾(ひおこ)しの手順は覚えておられますかな?」

 

「もちろんさ。次は僕もやってみたいね」

「おお、これは頼もしい。なんとなれば某がお教えできることがなくなる日も近そうですな」

 

「それはどうかなぁ。伯父上がいてくれるからこそ僕もがんばれているところがあるし」

 

 嬉しいことを言ってくれるものだと染み染みと思う。

 武士として我武者羅に励んだあの日々は決して無駄ではなかったというわけだ。

 

 整備されていない峻険(しゅんけん)な道での行軍。火熾(ひおこ)し。食料調達。水の確保。

 野外で武士に求められる技能というものは存外多い。

 

 身分の高さからそれを行うことは普段求められずとも、知識としては備えておく必要がある。

 知識とは宝。その宝によって今の俺も助けられているというわけだ。

 

 なので、俺はどのようにしてそれらを行うかを殿に逐一説明してから動いている。

 万が一俺が道半ばで(たお)れてしまっても殿が生きられるように。

 

 無論、忠義を果たせぬままに殿を置いて死ぬつもりは微塵もないが。

 しかし何事にも不測の事態というものは起こり得る。用心に越したことはない。

 

 そうしてあれこれと知っている限りの知識を伝えていくわけだ。

 武家の棟梁筋といってもまだ幼い子供である。流石にこの手の知識は疎かったようだ。

 

 しかし、下賤の知恵と不満を漏らすこともなく学んでいってくださる。

 些か素直過ぎて心配になる御方ではあるが、甥っ子としては可愛いことこの上ない。

 

「ふう、美味しかった」

「塩を振っただけの味気ない代物ですが、それでも良ければもう一串如何(いかが)ですかな?」

 

「良いのかい? 嬉しいなぁ。それじゃお言葉に甘えて」

 

 最初は御仏の教え故か肉食に難儀を示されていたようだが、すぐに慣れてくださった。

 ささやかな味付けだが、若い時分の肉食は成長期の体作りの助けとなるだろう。

 

 潜伏時のどさくさに紛れて、塩を一袋と水を汲める椀を持ち出せたのは幸運だった。

 欲を言えば味噌も欲しかったが、この時代の味噌は高級品であるから調達は叶わなかった。

 

 ……いや、味噌は匂いもするから持ち出せなくて正解だったかも知れないな。

 一応これでも隠れ潜んでいる立場だし。

 

 とはいえ、これまで追っ手の一人たりとも遭遇しないのは予想外だ。

 足利高氏や新田義貞は少しばかり北条武士を舐め過ぎではないだろうか? 

 

 俺が連中の立場だったら邦時様や勝寿丸様の行方は、それこそ草の根掻き分けてでも探すが。

 

「村にも立ち寄らず、山をズンズン徒歩(かち)で進んでいく伯父上がおかしいんだと思う」

「ははは、お褒めに(あずか)り光栄至極。しかしそれくらい出来てこその武士ですからなぁ」

 

「僕を背負ったままの移動なのに一向に疲れを見せないとか、武士こわいなぁ」

 

 やたらと俺を持ち上げてくれる甥っ子優しいなぁ。

 鎧のフル装備*2よりよっぽど軽いのに。

 

 潜伏時点で鎧は邪魔になるから身分を隠す意味も込め脱ぎ捨てそこらの死体に被せてきた。

 あわよくば「五大院宗繁戦死」とでも勘違いしてくれていれば嬉しいが、望み薄だろう。

 

 とはいえ、結果的に身軽となったことは山野での行動においてメリットとして働いた。

 殿を背負いながらでもスイスイと進んでいける。当然、闇夜に人目を避けてだ。

 

 村に立ち寄って身なりや風体を覚えられるリスクなんて背負えるはずもない。

 のんきに宿を求めて、他人の家で飯を食らい、高いびきをかくなど以ての外である。

 

 足利高氏(正確にはその同盟者の新田義貞)が鎌倉を滅ぼしたことは天下に知れ渡っている。

 ここらの村々が北条寄りか足利寄りかも正直定かではないのだ。

 

 もとより現時点で接触するつもりもないので、詳しく調べる気も起きないが。

 というより、本人たち自身も旗色を決めかねていたとしても全く不思議ではないだろう。

 

 なんせ鎌倉や京での権力闘争なんて渦中の存在でもなければ『他人事』なのだから。

 だからこそ、いつでも『金』や『利』によって売られる警戒をしておくに越したことはない。

 

 ならばどうすればいい? 

 

「そう、村集落に一切立ち寄らず夜闇に紛れて移動し続ければ良いのです。自給自足で」

「頭おかしい理屈だけれど、それを実際にこなしちゃうから伯父上は伯父上なんだよなぁ」

 

「ははは、殿。某をまるで異常者のように見るのはどうかお止めいただきたい」

 

 可愛い甥っ子に異常者を見るみたいな目で見られるのは俺に効く。やめてくれ。

 

 いやだって、殿と二人で馬に乗ったまま関所に堂々と姿を現してみろ。

 間抜けの極みじゃないか。俺が関所の責任者なら即座に捕らえて尋問するわ。

 

 弁慶の勧進帳*3でもしろってか? 

 あれはバレバレだったのをお情けで見逃されただけだからな。

 

 残虐非道の足利に(くみ)する武士連中ならば絶対に見逃さない。賭けても良い。

 その結果、関所を更地にするくらい暴れるのはむしろ望むところだが些か目立ち過ぎる。

 

 だから馬を別方面に向けて放して、こうして無い知恵振り絞って隠密していたというのに。

 その結果がコレとは…

 

「ごめんって。伯父上には感謝してるからそんなに落ち込まないでよ。鮎、食べる?」

「……落ち込んではおりませぬ。……食べまする」

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで時に熊の寝床を奪って隠れ潜み、時に夜闇の中で川に潜って関所を抜け。

 数日後には、ついに諏訪領へと到着するに至った。

 

「おお、ここが諏訪ですか。なんというか、空気からして違う気がしますなぁ」

 

 諏訪大社を臨み、俺は感動のあまり口を開く。

 前世の個人としての記憶はもう朧気だが、それでも名所に訪れた感動は何物にも代えがたい。

 

「そうだねぇ。澄み渡った神氣(しんき)、とでも言えば良いのかな? それが身体を巡る気がするよ」

 

 殿も晴れやかな顔をして同意してくださる。

 早速諏訪大社の本殿に向かおうとしたところ、どうやら騒ぎが起きているようである。

 

「一体何事だろう。諏訪殿が困っているといけないな… 伯父上、頼めるかい?」

 

 殿の言葉に即答できない無礼を申し訳無く思いながら、暫し考える。

 

 殿という第一の護衛対象から離れて、わざわざ騒ぎを見に行くのは如何なものだろうか? 

 そういう考えがあることは否定できない。

 

 しかし殿の見立て通りに諏訪殿が困っていたならば、それは恩の売り時とも言える。

 首尾よく片付けられた暁には、もし受け入れられないにせよ邪険にされることもないだろう。

 

 考えをまとめると、殿の前に跪き返答する。

 

「……御意。殿は万一に備え、暫しこちらで身を隠してお待ちいただけますでしょうか」

「わかったよ。……ありがとう、伯父上。よろしくね?」

 

「はっ!」

 

 殿を鳥居脇の木立の陰へと導き、身を隠されたのを確認後に俺は境内へと駆けてゆく。

 

 

 

 

 諏訪大社境内。

 

「諏訪大社では耳の裂けた鹿が獲れると縁起が良いそうで…」

 

 そこでは一人の武者が弓を引いており、か弱き巫女を今まさに射掛けんとしていた。

 

「ッ! ……間に合え!」

 

 俺は咄嗟に地面に落ちていた石を拾うと振りかぶる(いとま)すら惜しみ男へと向かって投擲(とうてき)する。

 

「むおっ!?」

 

 男は迫りくる石に気付いて咄嗟に避けるもバランスを崩し、尻餅をついた。

 ろくろく狙いを定める暇がなかった出来事とは言え、まさかこの距離で俺が外すとはな。

 

 ……チッ! 足利派にしては生意気にも中々勘の良いやつだ。

 

 居並んでいた木っ端武者どもが俺を取り囲もうとしてくる。

 苛立ちを発散する意味も込めて、俺は腰に()いた太刀の柄に手を添えて…

 

 一閃した。

 

「うおっ!?」

 

 居合もどきで烏帽子を綺麗に落としてやると、連中は迂闊に動けなくなったようだ。

 

「気を付けろ。此奴、怪しげな術を使うぞ」

 

 この時代には『居合』という概念はなかったか極めて珍しかったはずだ。

 似たようなことを出来る者はいただろうが、然う然うお目にかかれる代物ではない。

 

 連中からすれば訳も分からないうちに一閃され、烏帽子が切り落とされていたことになる。

 種が割れればなんてことはない手品だが、虚仮(こけ)(おど)しとして使うには充分過ぎる性能だ。

 

「邪魔だ、どけ」

 

 俺が凄むと、連中は刀に手を添えながらもジリジリと道を譲り人垣が開いていく。

 進む先には諏訪殿(何度か遠目で見たことがある)と尻餅をついたままの先程の男がいた。

 

 俺は殊更にこやかに声を掛ける。

 

「やあ、ご無事でしたかな? ……『御老(ごろう)』」

 

 男の年の頃は見たところ四十に届くかどうか。

 俺とそう大して年も変わらぬであろうコイツに敢えてそう声を掛ける。

 

 案の定、怒りで血管を浮き上がらせながら怒鳴り声を上げてきた。

 

「御老だと!? (わし)はそのような歳ではないわ! 貴様、何者だ! 名を名乗れッ!!」

 

 分かりやすい人間だ。

 勝ち組に乗れた自分の判断力と今後の栄光に疑問を持たない、いや、『持てない』人間だ。

 

 どうせ高氏めに媚びへつらって地位を手に入れ、調子に乗ってるんだろう? 

 そんでもってプライドが天よりも高くなっちまったんだろう? 何処の誰か知らんけど。

 

 分かるとも。……うちの親父殿もそうだったからな。

 ……いや、うん。アレはホントにちょっとなかったわ。

 

 常葉(いもうと)が高時様の側室になって庶子とはいえ男児を産んだくらいで調子に乗りすぎだろ。

 いや、乗るか。乗るのは分かるけど乗りすぎだったからな。

 

 高時様に一回「おまえの親父ちょっと最近目に余る」って苦言を呈されたからな。

 恥ずかしさで死にそうになったわ。

 

 それはさておき、である。

 

 俺はわざと困ったような表情を浮かべて、諏訪殿に苦笑いを向ける。

 

「はてさて、困ったものですなぁ?」

「えぇ、まことに! お止めしたのですが聞いていただけず、なんとしたものか… よよよ」

 

 ……うん。

 

 乗ってくれたのは有り難いが、この方の立ち振舞いは半端なく胡散臭いな。

 なんか発光してるし。いや、細かいことは気にしないでおこう。

 

 今はこの男についてだ。

 

「御老」

「貴様、まだそう呼ぶか!?」

 

「御老」

 

「ッ!」

 

 刀に手を添え、少し低めに声を出すと静かになってくれた。

 見下ろすという構図による効果もあるのだろうが。

 

 表情を笑顔に戻し、俺は男に語りかける。

 

「御老はなんでも諏訪大明神に縁起物の耳の裂けた鹿を献上しようとされたとか」

「そ、それがどうした!?」

 

「んんん、いけませんなぁ。彼処(あすこ)にいらっしゃるのは大明神にお仕えされる美しき巫女のみ」

「……ぐぬぅ」

 

「『それが分からぬまま弓を(つが)えるなど、きっと目が悪いに違いない』。そう思ったまで」

 

 言外に「老眼だからだろう?」と鼻で笑ってみせる。

 

「ハハハハハハハハ! ソレは言い過ぎですぞ! ハハハハハハハハハハ!!」

 

 ……笑い過ぎです、諏訪殿。

 血管が今にも切れそうなほどに男が怒り狂っているのが伝わってくる。

 

 流石に少し申し訳なくなってきた。

 

 まさかこの俺が足利方の武士に僅かなりと同情する日が来ようとは。

 これで俺の完全な早とちりで北条方の武士だったら地に頭が埋まる勢いで詫びるしかない。

 

 気を取り直して言葉を続ける。

 

「まして神前を血で(けが)そうなど物知らずの子供でもしないこと。故、お止めしました」

「ぐぬぬぬぬぬ…」

 

 暫し怒り狂っていた男はやがて大きく息を吐くと、立ち上がり、土埃を払う。

 そして居住まいを正すと言葉を紡いできた。

 

「いや、(まこと)仰るとおり。某も身に余る大役を与えられ些か舞い上がっていたようですな」

 

 殊勝な言葉とは裏腹に、その瞳には俺への隠しようのない敵意に満ちている。

 俺を敵と定めたであろうその振る舞いに、もはや油断も慢心も見られない。

 

 ……意外と冷静だな。

 武士として一時の感情を抑えて場を仕切り直す勘所(かんどころ)は心得ている、というわけか。

 

「……某は信濃守護・小笠原(おがさわら)貞宗(さだむね)と申す。是非、貴殿の名をお聞かせ願いたい」

 

 改めて名を尋ねられる。

 

 ……さて、どのように答えたものかな。

 答え方次第では殿は勿論のこと、勝寿丸様や諏訪殿にも迷惑がかかりかねない。

 

 しかし、俺が口を開くより早く…

 

「この者の名は『むねしげ』」

 

 諏訪殿が代わりに答えていた。

 

 ……よりによって、足利方の人間に向けて明かされてしまったか。

 やむを得まい。諏訪で世話になるのは諦めるより他ないようだ。

 

 一方、小笠原貞宗は怪訝な表情を浮かべている。

 五大院宗繁と即座に結び付かなかったか、あるいはそもそも俺の名を知らなかったか。

 

 しかし、いずれにせよ気付くのも時間の問題であろう。

 俺は密かに刀を構えいつでも周囲の人間(特に足利派)を斬り捨てられるよう呼吸を整える。

 

 ……そんな俺の様子を知ってか知らずか。

 諏訪殿は先程までの莫迦(ばか)笑いから一転、神秘的な微笑を浮かべながら言葉を続ける。

 

「私めの郎党である諏訪(すわ)神党(しんとう)が随一の勇士・諏訪(すわ)宗重(むねしげ)でございます」

 

 なんと!? 衝撃的過ぎる展開に思わず呼吸が乱れてしまう。

 

「小笠原殿にご紹介差し上げるのが遅れました旨、平にお詫びしましょう」

 

 そう結び、慇懃(いんぎん)なまでに美しい所作でゆるりと小笠原に頭を下げる。

 

 突如、とんでもないことを言われてしまった。

 表情に出さぬのが精一杯のまま絶句していると、何を勘違いしたのか小笠原がニヤリと笑う。

 

 敵意はそのままに、何処か楽しげな様子で俺に向かって言葉を投げかけてくる。

 

「諏訪殿もお人が悪い。……よもや、このような隠し玉を用意していようとはな」

「……いや、その」

 

「諏訪宗重よ、次の機会があれば此度のようには参らぬぞ。その首洗って待っておれ」

「……うむ」

 

 言うが早いか、小笠原貞宗は郎党ともども駿馬に跨り諏訪大社を去っていった。

 俺はそれを呆然と見送ることしか出来なかった。

 

 ……あれしきの不意打ちで心乱されてしまうとは、俺もまだまだ未熟である。

 小笠原貞宗の言に追従するわけではないが、まったく諏訪殿もお人が悪いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伯父上!」

 

 そんなことをつらつらと考えていると、不意に声が掛けられる。

 幼いが、殿とはまた異なる少年の声。

 

 振り返れば其処には…

 

「おお、勝寿丸様。……よくぞご無事で」

 

 息を切らした勝寿丸様の姿があった。膝を突き、深々と頭を下げる。

 なんとありがたいことか。高時様の遺児が、こうして二人も生き延びてくださっていた。

 

 歴史の流れは知っていたものの、己の目でしっかり確認するまでは気が気でなかった。

 お会いできた喜びに思わず目頭が熱くなる。

 

 そんな俺に勝寿丸様は言葉を続けようとする。

 

「あのっ… あのっ!」

 

 しかし焦りからか息が整わず、言葉になられないようだ。

 ならばと、俺の方からすかさず提案を持ちかける。

 

「お言葉を遮るご無礼、平にご容赦を」

「……ッ!」

 

「……素晴らしき報せが御座います故、どうか暫しこの場でお待ちいただけますか?」

 

 一も二もなくと言ったご様子で勝寿丸様が頷かれる。

 それを尻目に立ち上がり、殿にお隠れいただいていた場所に急ぎ戻ろうとしたところ。

 

「いや、それには及ばないよ。伯父上」

 

 今度は聞き慣れた声が真横から聞こえてきた。

 ……全く、隠れているようにとお願い申し上げたというのに。

 

 思わず苦笑を浮かべた俺に気付いたのか声を掛けてくる。

 

「悪かったよ。ただ、居ても立っても居られなくってさ」

「……然様でございますか」

 

「うん、すまないね」

 

 そして、勝寿丸様…

 いや、時行様の前に立たれると、万感の思いを込められたであろうお言葉を紡がれた。

 

「時行… よく無事で。やっぱり、おまえは大したやつだなぁ」

 

 夕暮れの中、一歩ずつ互いの影が歩み寄る。

 

「兄上… 兄上こそ、よく、ご無事で…。信じておりました… 生きてお会いできる日を…!」

「うん、うん… 僕もだよ。ずっと、会いたかった…!」

 

 そして影が一つとなり、再会した兄弟は互いを強く抱き締めあった。

 固く、固く。二度とこの絆を喪わせないとばかりに。

 

 ……あぁ、諏訪(ここ)に来れて良かった。

 俺も、亡き高時公から受けた御恩に少しでも報いることが出来ただろうか? 

 

 思わず貰い泣きをしていると、諏訪殿が声を掛けてきた。

 

「ようこそ、諏訪へ。……歓迎しますよ、五大院宗繁殿」

「まさか拙者如きの名をお覚え頂いているとは…」

 

「当然でございましょう! 何故ならば、私、『神』ですから! 全てお見通しなのです!」

「ははは…」

 

 確かにモノホンの大明神(あらひとかみ)様に言われてしまったら、それ以上は何も返せるはずがない。

 笑うしか出来ないというものだ。

 

 ただ、一つだけしっかりと確認しておきたいことがある。

 

「……邦時様ともども暫しこちらで御世話になっても?」

「勿論ですとも! 確かに誤算ではありますが、これは嬉しき誤算というもの。是非に」

 

(かたじけ)ない。無論、某に出来ることがありましたら何なりとお申し付けください」

 

 そう答えれば諏訪殿の瞳が怪しく光る。

 ……早まったか? などと思うはずもない。

 

 俺の第一は邦時様に忠義を捧げること。

 そのためになるのであれば、馬車馬のごとく働かされても文句などあるものか。

 

 これからの使命に燃えていると…

 

「あの…」

 

 今度は女性の控えめな声が耳に届く。

 

 声の方に視線を向けてみれば、三人の美しい女性が立っていた。

 装束からして、先程小笠原貞宗に弓で狙われかけた巫女の方々であろう。

 

 ……しかし遠目にも思ったが、本当に息を呑むほど美しい。

 

 鎌倉の女性は、その、下膨れ顔でふくよかなタイプが多くどうにも口説く気になれなかった。

 いや、うん、悪いというわけではないんだが。飽くまで俺個人の好みの問題だし。

 

 高時様が幾度か見合いの席を設けようとしてくれたが、あれ以上世話になるのも憚られた。

 妹が側室に迎えられた恩恵を受けて、既にお家はこの上なく繁栄しているのだ。

 

 むしろ俺が独身を貫くくらいで釣り合いが取れるというもの、と気楽に構えていたのもあった。

 

 と、思わず回想に浸ってしまうほどに美しい女性たちだ。目の保養になる。

 よもや諏訪大明神は巫女を顔で選んでいるのか? そんな益体もないことを考えそうになる。

 

 ジロジロと見詰めてしまっていたせいか女性たちが顔を赤らめてしまう。

 ……いかん、セクハラだったか。俺は慌てて頭を下げて弁解をする。

 

「申し訳ない! 女性の顔をジロジロと見詰めるなど、些か以上に不躾(ぶしつけ)でした」

「い、いえ! その、先程は助けていただきありがとうございました」

 

 流してくれた。優しい。

 

「あなた方のお美しい(かんばせ)に傷が付かず何よりです。これも諏訪大明神様のお導きでしょう」

 

 そう言うと、美人の巫女さんたちは顔をより一層真っ赤にして俯いてしまった。

 もしや自分に好意を持ってくれたのでは? などと勘違いするほど俺もおめでたくない。

 

 ……分かっているとも。俺は自分のことを客観視出来ている。

 何度か小川や水瓶越しに自分の顔を見たこともある。

 

 垂れ目気味かつ顎が二つに割れた三十絡みのオッサン。それが俺こと五大院宗繁である。

 こんな自分がモテるなんて到底思っちゃいない。

 

 まして邦時様にお仕えしている最中だ。恋や愛にうつつを抜かしている暇はない。

 けれど、偶然駆け付けたおかげとはいえ見事に女性を救った日なのだ。

 

 今日くらいは美人に美人だと言ってもどうか許されて欲しい。

 これもセクハラになるならば申し訳ないが今日だけはどうか見逃して欲しい。

 

「おやおや、困りますなぁ宗繁殿。うちの巫女を口説かれてはぁ!」

「ははは、口説けるならば良いのですが某に靡くような物好きな女性もいないでしょう」

 

 その点、頼重殿は顔立ちが整っていて男として羨ましい限りだ。

 

「ふむ? そうとは思いませぬが、まぁ良いでしょう。時行様たちも落ち着かれたご様子」

「おっと」

 

 主をお待たせしてしまっては家臣の名折れというもの。急いで殿のお側に(はべ)る。

 

「ささ、奥へどうぞ。積もる話はまた明日にでも。今日はゆるりとお休みください」

「ありがとう、頼重殿。いやぁ、諏訪の名物料理が今から楽しみだよ」

 

 流石は殿だ。

 すっかりこの状況にも順応されておられるようだ。

 

 明日にでも今後の戦略について、時行様、頼重殿を交えて話し合いたいものだ。

 しかし…

 

「………」

 

 背中に突き刺さる三対の視線に俺はほとほと困り果てている。

 視線だけで背中に穴が空きそうな勢いだ。

 

 可愛らしい少女ら(一人は童女に見える)が二人と、小柄だが剣術の天稟(てんぴん)を感じさせる少年。

 おそらくは時行様の側仕えかなにかであろうが、俺は何かをやらかしたのだろうか。

 

(むぅ、今は考えても仕方がないか。いずれ機会があれば無礼の段を教えて貰い詫びるとしよう)

 

 妙な居心地の悪さを感じながら、俺は主君に続いて諏訪大社社殿の中を進むのであった。

 

*1
北条政権において西国(主に九州)の行政・裁判・軍事などを統括した機関。現在の博多市博多区祇園町付近にあったとされており、彼の地は古くから大陸との交易が盛んで大いに栄えていた。

*2
一般的な鎧(いわゆる大鎧と呼ばれるもの)のみで25kgにも達する。太刀などの標準的な武装も含めればおよそ40kg弱という重量である。

*3
源頼朝の怒りを買った義経一行が奥州の地に逃れるために山伏の格好に扮して関を越えようとした。しかし、義経一行が山伏に変装している情報は出回っていたために留められそうになったところを弁慶の機転で見事逃れるという話。歌舞伎の演目としても有名。




逸話
『鎌倉諏訪神行法』
山伏より伝授された天狗の秘術を使い、鎌倉から遠い諏訪の地まで一瞬にして飛んでいったという逸話によるもの。事実、足利方の武士は関所に厳重な警戒を敷いていたもののその一切にかからず、また、周辺集落や村においても目撃証言が全く無いまま諏訪に到着したとされている。そのため後の北条時行の決起の時までその存在に全く気付かれず、足利方の武士にとって五大院宗繁は死んだものとして扱われていた。これについては諏訪神党の武将・諏訪宗重との混同が著しい面もあり、一部の歴史研究家には諏訪宗重が戦死した五大院宗繁の武名に肖り名を変えたのだという説を唱える者もいる。
鎌倉と諏訪は直線距離にしておよそ200kmほど離れており、完全に日が沈んでから移動すれば一日の移動距離によっては目撃証言を封殺したまま一週間ほどで到着することは理論的に不可能ではないとされている。しかし峻険な中部地方の山を進むことになることや、食糧問題や水の確保、幼い北条邦時を連れていることなどから、その行程を進むことは現実的ではないとやはり専門家の間ではあまり議論になっていないようである。
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