⬛︎⬛︎⬛︎年/ラテラーノ
初めて聞いたのは父の歓声だった。初めて見たのは母の安堵した顔だった。
ラテラーノの外れ、目立たない簡素な小屋、見窄らしい木製のベッド、それに寝転ぶ女の腕。そこが彼の生誕地となった。
それらはもう失われて久しいものだが、始まりの記憶とは彼にとって鮮烈なもの。多くの人は年月を重ねるにつれ、古い記憶が薄れていくという。しかし中には鮮明に幼少の記憶を保持し、果てには母胎での記憶さえ持つ者もいるという。彼は偶々、記憶力が優れている側だったらしい。
今も尚記憶の片隅に留まり、時折無知で、無垢で、そして無辜であった日々が回顧する。
思えば実に短い記憶。当然だ。数多の年月を越えた今、明確な自我を得るまでの数年など刹那に等しい。
しかし確かに、それは鮮烈な物だ。
◆
彼が初めて明確な言葉を用いたのは生後1年ほど。
単純な単語ながら、齢にしては不自然な程流暢な言葉だった。
ははうえ、ちちうえ。それだけだ。誰に聞いたでもなく、自然と口から溢れたそれを、両親は聞き逃さなかった。
それから数年、明確な自我を持つ頃には、周囲の子供よりも凡そ知能において彼の成長は抜きん出ていたようだ。
「貴方は天才だわ!」
母はそう言った。
「将来が楽しみだ!」
父はそう言った。
両親が貧しいながらも、精力的に知恵を教授した結果であろう。
そしてそれ故に、彼が異端である事が露呈し始めた。
いや、サンクタ人種の常識からして、彼は初めから異端だったのだろう。
言葉を話してなお光輪は現れず、翼は今にも掻き消えそうな程に掠れていた。
ある種の奇形ともいえるそれに、両親は心を痛めた。
精神面、肉体面共にこれといった異常は見られなかったが、容姿の違いだけで避けられる様になった愛息子を憐れんだ。
転機が訪れたのは、齢12の頃。宗教国家であるが故根付いた、朝のお祈り。それを終えた直後。
仕事の為に家を出た父の首に、鋭利な鏃が突き刺さったのが始まり。
力無く崩れ落ちた父を見た母の叫びを掻き消すように、閃光と轟音が鳴り響いた。
――古来よりサンクタには不倶戴天の、対照となる種族があった。敬虔深いサンクタと違い、戦場に生まれ戦場に生きるサルカズである。
サンクタが神を信じ奉るのであれば、サルカズは己が身体と弓と剣を信じ、神など吐き捨てるだろう。
天使と悪魔とはよく言ったものだ。
かねてより争いが絶えぬ両者。今回その舞台となったのが、偶然にも少年の住む地域だった。
態々移動都市にまで乗り込んで来るのだから、余程の事があったのだろう。
「なんだ、生き残ってやがるのか」
活性源石を用いた爆弾の威力は推して知るべし。
威力だけでなく、爆発後に撒き散らされる黒い結晶が齎す災いもまた脅威的だった。
当時でも非人道的とされた物だが、怨恨によって戦場と化した地では倫理など何の意味を持たなかった。
ザッ、と家屋と両親の残骸を踏みしめながら、サルカズの戦士は少年を見下していた。
怨敵を殺めた高揚からか、クロスボウを握る手は小刻みに震えていた。
「運が良いな小僧。少なくとも数分は生き長らえたんだ」
侮蔑を孕んだ皮肉に、少年は答えなかった。
ただ、己の左腕に突き刺さった結晶をまじまじと見つめているだけ。目の前の死神にも、両親の死にも、彼はまるで動じていない。戦士は訝しんだ。
「爆発で耳がイカれたか?こっちを見ねえとなると眼もか?まあいい、安心しな。すぐ送ってやるよ」
チキ、と構えられたクロスボウが小さな音を立てる。
――少年は思考を回していた。
矢が飛び、爆発が起きた。両親が死んだ。とても悲しい事だ。
腕に刺さったのはかつて教授された源石だ。己は不治の病に罹るだろう。とても悲しい事だ。
目の前に立つのは死神だ。己は殺されるだろう。とても悲しい事だ。
――少年は困惑した。
痛みがない。結晶による傷口から血が流れるが、痛みは感じない。寧ろ、血のものとは違う温もりを感じた。
瞬間、小さな風切り音と胸元に衝撃。見れば矢が突き刺さっていた。だが、痛みは感じない。そして、鏃として削られた源石からやはり温もりを感じた。
そして、
「あ……あ?」
多くのモノが、少年に流れ込んだ。源石を通して、数多の歓喜が、数多の憤怒が、数多の悲哀が、数多の悦楽が、数多の景色が、数多の人が、数多の獣が、数多の草花が、数多の―――
………………。
死神は結晶と化した。その同胞も結晶となった。そして、みな霧散する。戦場に産まれ、戦場に還ったのだから、彼等はきっと幸運だろう。
少年はこの日、孤児となった。けれども、彼は嘆かない。
彼は知ったのだから。己は
孤独でないのなら、嘆く意味などありはしないのだ。
◆
――チェルノボーグ脱出から3日後
a.m.5:30/ ドクター自室
ドクターはPRTSの気遣いの含まれたモーニングコールで目を覚ました。重い身体を引き摺るようにベッドを抜け出し、閉じられたカーテンを開ける。
正直言ってもう少し惰眠を貪りたいのだが、そうも言っていられない。
詳細はわからないが、今日から実質的な職務復帰なのだ。
「日を浴びろって言われても、これじゃあな」
PRTSがケルシーから預かった伝言によれば、医学的見地から日を浴びてビタミンD不足を予防しろとの事。
確かに己は痩せ気味な上、運動能力も高いとは言えない。
指揮官として現場に立つのならば、せめて骨くらいは頑丈にしておかねばなるまい。
しかし、ここ数日は曇天だ。今日とて例外ではないらしい。日光浴といくにはいささか不足した日照量だ。
チェルノボーグから変わらぬ天気に、嫌でも気分は沈んでしまう。
「おはようドクター。憂鬱な朝だ」
「うわっ!?」
突然背後からかけられた声に驚愕した。
振り返れば、自身の身辺警護にあたる事になったと言うサンクタの男。
相変わらず瞳を閉じ微笑を浮かべているが、今日は何処となく覇気がなく感じた。
「いつから居たんだ……」
「さて、いつからだろうな。……それより、早く支度した方が良いぞ?アーミヤとお堅い教官殿がお待ちだ。遅れて鞭で打たれても助けてはやれない」
「ドーベルマンか……。確かに怒らせたらマズそうだね。ていうか、助けてくれないのか?」
「害意によるモノなら兎も角、教育的指導に基づくモノなら甘んじて受ける事だ。なに、彼女の手厳しさはある種の愛情表現さ。貴方も一度受けてみると良い、アレは
オーファンが背中を指し示す。発言からして鞭で打たれた事があるのだろうか?
ドーベルマンの鞭に関してはチェルノボーグでも見たので、その威力は想像に難くない。
訓練場を見学した際、彼女に扱かれる新人オペレーター達の引き攣ったり、怯えた顔から見ても窺い知れるというモノだ。
「いやぁ、流石に遠慮しとくよ。私が食らったらミミズ腫れじゃ済まなそうだ」
下手すると彼方まで吹っ飛ばされそうな気さえする。そもそもチェルノボーグの時、レユニオンを車両ごと吹っ飛ばしていたような……?
そんな光景を思い浮かべ薄寒い感覚を覚えたが、皮肉にも呆けていた目が冴えた。精神衛生上よろしくない目覚ましだ。
「何かあるとおっかないし、行こうか」
「言われずともお供するさ」
オーファンが扉を開け、先導する。なにぶんロドスは複雑な構造だ。大体の位置こそ把握しているが、慣れない場所を案内してもらえるのは有り難かった。
……そういえば、鍵を掛けていたのにオーファンはどうやって入ってきたのだろう?
◆
a.m.5:57/ロドス作戦会議室
「あ、ドクター!おはようございます」
「来たか」
会議室に入ると、既にアーミヤとドーベルマンがいた。
反応を見るに遅刻した、という事はなさそうだ。
「おはよう2人とも。待たせたりは……してないかな?」
「私たちが来たのは5分ほど前だ。……個人的な理想を言えばもう少し早く来てもらいたいものだが、君もまだ本調子ではないだろう。遅刻したわけではないし、咎めるような真似はしないさ」
内心少しビクビクしていたが、杞憂だったらしい。
「道に迷ったりはしなかったようですね。一通り案内はしましたが、少し心配していたんです」
「ある程度は頭に入っていたんだけど、オーファンが先導してくれてね。経路は再確認できたからもう問題ないと思う」
「オーファンさんですか?」
「ああ……ってあれ?」
周囲を窺うとオーファンの姿がない。
会議室の扉を開いてくれたのだが、もしかして入室しなかったのだろうか?
そう思い外に出るが、やはり彼の姿はなかった。
「おかしいな……。さっきまで一緒だったんだけど」
「全く奴は……。放っておけドクター、いつものことだ」
「いつもの?」
「知っての通りオーファンはS.W.E.E.P所属だが、彼等は隠密に長ける者が多い。とりわけ奴は神出鬼没なきらいがあってな。気付けば近くにいるし、気付けば消えている。まあ、君の護衛である以上近くにはいるだろうさ」
「よくわからないんですが、その場にいなくても作戦概要などを把握しているんです。元々単独での任務が多い方ですから、本当はいて欲しいんですが」
どうやら2人ともオーファンを扱いきれていないらしい。
護衛してくれてるとは言え、立場的にはこちらが上なのだし、少し話をしておくべきかもしれない。
もっとも、彼はケルシーの指揮下にあるのでどれだけの効果があるのかはわからないが。
「まあ奴の事は今は置いておくぞ。あまり時間に余裕がないからな。……ではドクター、現状を説明しよう」
アーミヤとドーベルマンが腰掛け、2人に対面する形でドクターが腰掛ける。
「ドクター。先日のチェルノボーグの件、気にするなとは言わない。ただ、今は成すべきことを成して欲しい。被害は甚大なものだったが、君の救出とレユニオンの戦力を知るという点で、戦略的に作戦は成功したといえる」
「……続けてくれ」
「ああ。チェルノボーグ陥落直後、レユニオンは最も近い龍門へ侵攻している事がわかった。おそらくは勢いに任せて、龍門を落とすつもりだろう。感染者を含めたチェルノボーグの生存者達も龍門に向かっている。そこで龍門と急ぎ交渉を行った結果、昨日我々ロドスとの情報交換に合意し契約書を取り交わす事が出来た。既にケルシーが先行し、細かな調整を行なっているところだ」
「龍門は私たちの逗留許可及び、物資の補給を約束してくれました。その代わり、私たちは龍門外環の防衛任務を行う事になります」
「生存者達はレユニオンにとって格好の隠れ蓑……。これでは戦力を測るのも難しいな。戦闘になれば大規模な混乱が生じかねない、という事か」
想像よりも厄介な状況になっているらしい。
テロリストらしい常套手段と言えばそうだが、下手をすれば生存者達を盾にするかもしれない。
防衛という建前が存在するにしても、他国の生存者を巻き込み死なせる様な事態になれば、国際問題になりかねない。もしそうなれば特定の国家に属さないというロドスといえども、立場の悪化は著しいものとなるだろう。
「我々が任されているのは第5区外環の防衛ですが、大規模な戦闘となった場合、他区画への支援も行う事になるかもしれません」
「生存者達はあとどの程度で龍門に?」
「午後には龍門に到達すると予測される。既に検問が配置されているらしいが、過度な期待は出来ないな。……そこでだ、ドクター」
「なんだ?」
「万全を期すため、そして君のリハビリがてらだ。ごく僅かな時間ではあるが、演習を行ってもらう。その後龍門へ出発だ。ぶっつけ本番になるが、何も準備をしないよりはマシなはずだ」
ドーベルマン、アーミヤの順に席を立ち、手招く。訓練場に向かうのだろう。この時間帯は行動隊の面々が訓練を行っていたはずだ。
彼等を交えての模擬戦闘を行うのだろう。
「お手柔らかに頼むよ、教官」
「生憎甘やかすというのは大の苦手でな、指揮官」
「頑張ってくださいね、ドクター」
鞭で打たれる心配はなさそうだが、教育的指導はしっかり入りそうだ。責任の重大さに、ドクターは頭を抱えた。
◆
a.m.6:40/ロドス船首甲板
「やはり、ドーベルマンは容赦がないらしい」
甲板の防護柵に寄り掛かり、オーファンは先に浮かぶ移動都市を見つめていた。
移動都市龍門。ここ二十数年で急速な発展を遂げた大都市。オーファンは、そこが始まりの地であることを知っている。今訓練場で怒号と悲鳴が飛び交っているのを知ったように、彼と、彼の友人達が教えてくれた。
愛国より生じた悪意の種は、既に撒かれ花開いている。
いや、正確には七分咲きか。どうあれ、まだ実を結んではいない。
「ふっ、ははは。狡猾さは
甲板に憫笑が響く。防護柵にはもう、誰もいなかった。
みんなはドーベルマン教官レベル70完凸全特化してるよね。
私はしてません(キッパリ)。スワイヤーすこ。ウィスラッシュもすこ。