三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~ 作:鷲野高山
「は……話を聞いていなかったのですかっ!?
その半ば独白じみた播凰の真意を、当然にして麗火は理解できたわけではなかっただろう。
「貴方もいたというのならば、見ていたでしょう!? 入学試験において、他の受験者の方々の術では無傷か、そうでなくともほんの一部を損傷させる程度であったところ――私の術だけが唯一、用意された仮想敵を跡形もなく
「うむ、今しがたのお主の話は、私にしては珍しく確りと聞いていたとも! そしてそういえば、あの氷の龍はあれを嚙み砕いていたような気がしたが……はっはっは、そうか、跡形もなく消し飛ばしたか!」
ただ、よりによっての最後の一言。それは彼女の勢いを取り戻す理由に十分に過ぎ。
改めてその危険性をより具体的に伝える言葉に、しかし播凰は呵々と大口。
「――っ、笑い事ではありません! 想像できるでしょう、そんなものを人の身でまともに受けてしまえばどうなってしまうか……対抗できるのは同じ四神の術に属するぐらいのもので、例え防御の術を展開しようがそれすら易々と貫いてしまうのですよ!? 私が、発現しなければよかったと、どれほど思ったことかっ」
それは播凰だけに向けた怒り、というよりも。
忌避。恐怖。諦念。否定。
揺れるその瞳は、そして血を吐くかの如きその声は。麗火の、彼女自身に対しての様々な想いを孕み。
「けれど持ってしまった以上、それを抱えて生きねばならない。どんな形であれ、力とはそういうものよ」
「そんなことは言われずとも分かっています! だから私は、使うことを最低限に、何より決して人に向けないことで――」
「故に壊れず受け止められる者がいればよいのだ」
たった一言。
両者に距離があるとはいえ、叩きつけられるような、星像院麗火という少女の体に満ち満ちた激情……その発露に晒された播凰は。たった一言、そう告げた。
だが、余程のことでもなければ、感情を振り回す者が止まることはそうそうにない。
けれどそれは、確かに麗火の言葉を遮り、僅かなれども時間を造った。
――戈にて止むるが武というならば、その戈を単に止めるに非ず、
――血筋や天稟には齢なぞ関係ないが、お前の
麗火の形の良い眉が大きく動き、その目が見開かれる。
「以前に私が言われた言葉でな、つまり武器と共に進む者があればその先で受け止める者もいる。それをかけられた時は、私は進む者であり……そしてそれはその後も変わりはしないと、そう思っていた。そうであれると疑っていなかった。だが――」
謳うように、懐かしむように。
彼女とは逆に播凰は、その目を細め。
「――だが、では受け止める者が何者であるかと考えれば……それはきっと、嘗て進んだ者なのだろう」
「……ハッ、
それに反応したのはしかし麗火ではなく、矢坂。
ただそれは、あくまでも独り言であり。会話に介入するつもりはなかったのだろう。事実、それきり矢坂は続けようとはせず、話の行方を見守るように口を結ぶ。
その内容は分からない者にとっては分からず、けれど分かる者にとっては分かるもの。
つまり、武の成り立ち――起源のことである。
播凰が口にしたのはそれであり、矢坂の反応は彼女が知っていることを示していた。
戈というのは、武器である。そして止は足を表しており、武器を持って進むことこそが武であるとされた。
けれど後に止は、やめることの意として用いられ。戈を、戦いを止めてこそが武であるとも解釈された。
即ち、武の主流な解釈としては
止めるの中に力による鎮圧の意味合いを含んでいたとしても、それが行き着く先は最終的に否定であり。許容の側面を併せ持つ、受けて止めるとはまた異にする。
その文字が象徴となる、
とはいえ、その切っ先が向いているのは麗火に対してであり。そして彼女は矢坂より単純でなかった。
「……術は、術です。単なる武器ではなく、貴方の言う武とは違う」
言葉こそは否定。
けれど麗火は、両手で強く掴んでいた手すりを握る力を緩め。
斜め下へと、播凰から背けるように目線を動かしたその口からは零れたのは。それまでと違い、何とか絞り出したといったような声だった。
「果たしてそうか? 私は授業を見学しかしておらぬが、術をただ使うだけでなく、それ同士ぶつけ合わせる練習を見ている。己が筋力にて武器を交わすこと、そして己が天能力にて術を交わすこと。違いはあるにせよ、少なくともその本質においては同じように私には思える。区別するには分かりやすくてよいがな」
「……しかし、術の打ち合いは互いの距離が離れていることも――」
「異なことを。距離がどうこうと言うのなら、弓を筆頭としたそれらは武ではないと?」
「それは……」
「言うなれば、この身体もまた武器であり、武よ。であるならば、術という戈を戈たる我が身と交わすことに何の躊躇があろう! 無論、こちらも天能術で戦ってみたいという思いもあるがな!」
むふん、と播凰は胸を張る。そんな違いは些細であると言わんばかりに、純然たる自信を前面に押し出すように。
そして麗火は、それが欺瞞であるなどとは指摘できない。なにせ直前の叶との戦い然り、既にその光景を彼女は何度か見ているのだから。
「……何故、です?」
「む、何がだ?」
だからか麗火から出てきたのは疑念でなく、問掛。
ただ、何故と聞かれても播凰としてはその内心を推し量れるはずもなく。しかし彼女も言葉足らずである自覚はあったのだろう。
とはいえ、未だその目は播凰と合っていなく。その声も依然、意思の強さは戻らず。
「この学園の生徒である以上、私――いえ、私達生徒とて、術の前に身を晒すことはそう珍しくはない。その最中で相手の術を被弾してしまうことは有り得ますから……それ自体については仕方のないことだとは思っています」
「ふむ、戦うとあらば、例え訓練であれそうだろうな」
「ただその根底には、こちらも術や天能武装という対抗手段があり、また回避という手段がある。普通はそれらで逃れられない状況となった時に覚悟するもので……謂わば結果的にそうなってしまうに過ぎません」
ですが、と顔の向きは逸らされたままなれど、麗火の目線が播凰の方に戻るように動いた。
「――貴方は、違う。仕方なしではなく、厭わない。仮面でもなく、気負うことなく、まるでさも当然のことのように、傷付くことを恐れず向き合おうとしている。一体、何を抱えていれば、そんな……?」
「……何を抱えている、か」
つまるところ、それが麗火からの何故。
これには流石の播凰も、即答するようなことはせず。その脳裏には様々なことが――元の世界でのあれこれが、よぎっていた。
チラリ、チラリとそんな播凰を伺うかのように。麗火の瞳は、播凰を見たかと思えばすぐに逸らし。再び播凰を見たかと思えばすぐに逸らすことを繰り返している。固唾を呑んで見守る彼女は、きっとその間を考えあぐねているのだろうと思っていることだろうが。
ただし、答えであれば既に播凰は決まっていた。
「今は、この身一つのみ。それ以外の抱えていたものは、全て放り投げて来てしまった」
「……放り、投げて?」
「うむ。まあ正直に言えば……後々になって考えてみれば、そもそもが別に私が抱えずともよいことだったのだ。それに気付いたのは、頭のよくない私らしく随分と後になってのことだが」
この世界に来たことで、元の世界の全てを放り出したも同義。
であれば抱えるのは己のみであり――そもそもが、自分で抱える必要のなかったものばかり。
己は所詮、仮初の王。飾りの王。望んで就いたのではなく、担ぎ上げられてのことだったのだから。
政治の方面では大して役に立っていなかった自身がいなくなろうと、優秀な弟妹達で国は廻り、今もあの世界で人々は変わらず生きていることだろう。
「――尊王賎覇、だったか。つまりそこに、覇など求められていなかったというのにな」
「……っ!」
ふと思い出したように、ポツリと播凰が零せば。
瞬間、弾かれたように麗火が播凰を凝視した。彼女によって意図的に逸らされていたそれが。
ただし今度は代わるように播凰が目を瞑ったことにより、すぐさままたその交差は絶たれる。
「私がそれを見かけたのは、まだ
徳によって世を治めることを尊び、知力武力によって世を治めることを賎しいとする。
それこそが、尊王賎覇という思想。そのようなものが存在することを播凰は知っていた。
前者を王道とし、後者を覇道とする、それは。つまり、覇の否定。
まだ播凰が勉強する気を失っていなかった頃――王となって間もなく、まだ自分でも何かができると足掻いていた頃に、書物で見かけたものだ。
別に、それを強く意識していたというわけでもないが。
三海の覇王――覇王という呼び名は、自称したものではない。
誰がそう呼び始めたのかは知らないが、つまりその誰かはそう捉えたということだ。そしてそれが浸透していたらしいということは、他の人間からしてもその認識で誤っていないということに繋がる。
そして、自身の性質らしい、覇。それを知ったのは放り出した後の話であるが……嗚呼、むしろ逆にすっきりするぐらいではないか。
やはり、自身は王に相応しくなどなかったのだと、そう言われているみたいで。
「っ、何故笑っていられるのです? ……きっと貴方は――貴方
「うん? まぁ、それはそうかもしれないが」
焦慮に駆られたような声に播凰が目を開ければ、その声の主である麗火と眼が交わる。
片手で胸を押さえるその顔には、どこか訴えかけるような、そんな必死さが垣間見え。
けれども、そのような麗火を播凰は気にした様子もなく。
「それが己だというだけのこと。むしろ否定あってこその、今だ。後顧の憂いもなく、縛られず生きられ――確かに私の世界は若かったのだと、その意味を文字通りこの身で味わっているところでな!」
「……否定あっての、今」
「もっとも、それはそれで新しく考えるようになったこともある。主に将来――夢などがそうで……うむ、後は欲がないとも言われたか」
変わりというわけでもないが、今まで考えていなかったことを考えることになった。
四階の住人である四柳ジュクーシャに関わる話で、夢を。
一階の住人である一裏万音の指摘で、欲を。
「よ、欲、ですか……?」
「そうだ。その者に言わせれば、私には強烈な欲が足りないらしい。故にその欲に従った結果が、お主よ」
「……!?」
それは、余程思いがけない単語であったのだろう。
それまでの雰囲気が霧散するほどに、困惑を隠せないといった風になる麗火であったが。続く播凰の言葉で色を失いつつあったその両頬を微かにピンク色に染め。
しかし播凰は播凰で、そんな麗火から視線を横にずらす。
どこまでが想定内であるのか、そこには相も変わらずの雲生塚のすまし顔。
「術については疎く勘ではあるが、実力としてはそこにいる雲生塚という者がこの場で一番高いのだろう。それが気にならぬわけでないものの――しかし選べと言われた時にな、真っ先にお主が浮かんだのだ」
「あ、ああ、そういう……っ、コホンッ! そ、それにしても、選んだ、ですか。……それも龍水さんではなく、私を」
畢竟、播凰としての最優先事項としては術を使いたいことである。戦うとあればまた別だが、強さに関係はなく既に使ったことのある岩以外であればなんでもよく。けれど入学試験の際に見た麗火の術を憶えており、それを希望したわけである。
それが功を奏したのかは分かるまいが。剣呑さはすっかり鳴りを潜め、上擦った声を咳払いで誤魔化し。
「そうですか、私を……」
けれどそれすらもすぐに潜まり、麗火は神妙な面持ちでそれだけを繰り返した。
本来であれば、彼女には義理などない。それは従う必要は勿論、会話することすらだ。
それは所属する組然り、家格然り、発言の突拍子さ然り。
もしもこの場にこの事態と無関係の第三者――他の生徒がいたとしたら、断ったとしても正当性は麗火にあるとその殆どが判断することだろう。
「……私とて、分かってはいるのです。これは覚悟の問題であって、いずれ乗り越えねばならないことは」
が、その上で無視できない要素というのもまず間違いなくあって。
胸に置いたその手を、麗火はグッと握りしめ。
「本当に……本当に、私を受け止めてくれますか?」
祈るような、そんな声だった。
「
縋るような、そんな声だった。
伝説ともされし覇の性質。それを持つ者ならば或いは、と。そうであって欲しいという思いを込めた麗火の悲痛な叫びが、残響となって消え。
――誰もが、その咆哮を視た。