三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~   作:鷲野高山

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36話 戈にて止むり、戈にて受け止める

 ガラン、ガランと。派手な音を立て、矢坂の天能武装()が地に転がる。

 チカ、チカと。室内を明るく照らしていたその全ての照明が一斉に消灯し、そして一拍の間を置き音も無く点灯。

 

 人の意思など介在しないはずのそれは、まるで強調するかのように。徐々に場の明るさを取り戻しつつ、一人の少年の存在を克明に浮かび上がらせる。

 それに程近いもう一人はといえば、鎚を取り落としたにも関わらず、けれどそれを拾おうとはしない。軽口を叩ける程度には余裕をもって事態を静観していたはずの矢坂のその顔は驚愕で彩られ、時が止まったかのように一点を注視。その様はまるで脇役――否、役すらない置物に過ぎない。

 

 鎚の転がった余韻すら最後の最後まで掻き消されることなく響いて尚。誰の声も、吐息の音も何一つとして上がらず。

 風一つ、空気の震え一つとって静かな、それは。

 

 悪逆を前にしたように、逃げ出してしまうのではなく。

 威光を前にしたように、ひれ伏してしまうのでもなく。

 

 姿形も、立ったままの姿勢も、変わらず同じようにそこに在る。そのはずだというのに。

 何人たりとも瞬き一つ、指一つ動かすことすら忘れさせる――ただひたすらの、忘却。

 

 何事が起きているわけでもないというのに、確かに全てが支配された空間の中で。それは突如として、轟く。

 

「……ははっ。あははははっ! あはははははははっっ!!」

 

 大仰でどこか演技めいたそれではない。

 今までのような調子外れの高笑いとは違う、まるで珍しい物を前にした童のように無邪気で純粋な――けれど尋常でない笑い声にかかる重圧。

 唯一の音を発し、津波の如く押し寄せるそれを内包した元こそ、三狭間播凰。

 その細まった眦。その大半を瞼にて覆われ、僅かばかりの隙間から覗かせる瞳は、しかし断じて力無き孺子に非ず。

 

「無事に立っていろ、か! 幾度とその逆を望まれ、そして今も期待しているこの身に!!」

 

 それは嘲笑のようであって。しかしそうではなかった。

 凡そ本心からまろび出たであろうそこに、相手を貶める響きはなく。事実、麗火の反応を見るよりも前に。

 

「壊れず受け止める自信はあったが……困った、そう来るとは思わなかった!」

 

 そんなことを、播凰が宣った。

 何がそうであるかは具体的に漏らさず。困った、困ったと呟く割には愉しそうで――その割に本当にそうであるかのような困り眉で繰り返すその姿を前に、麗火は未だ動くことできず。

 

「であれば、敢えて名乗らぬべきかとも迷うが……うむ、それもまた与えられた意味と考えれば。然らばそれが今の私であり、故にこそこう名乗らねばなるまい!」

 

 ぶわり、と旋風が吹き上がる。

 それは麗火の艶やかな前髪を浮かし、そして心を浮かし。

 彼女は――星像院麗火は、ハッと自我を取り戻す。

 

「我が前に立ちし者よ、その歩みを進め己が何者かを示すことを欲するならば――この三狭間播凰の名に於いて、汝が恐れし戈を受け止め倒れぬ、ただ一つの武で在ろう!!」

 

 圧は健在。だが、その種は明らかに変化していた。

 無差別に撒き散らしているのではない、指向性を持ったそれが、今は麗火にのみ向いており。当然にして、それまで以上に圧しかかる。

 

 しかし、どういう訳か彼女はそれを苦しいとは感じなかった。

 重いは、重い。そしてそれは決して励まし寄り添うようなそれではない。

 けれど枷を掛けるようでも、引きずり込むようでもなく。

 まるで、冷え切った心に発破をかけ、挑めと。確かにそれは、待っていた。

 

「わ、私は……私は――っ!」

 

 声は、出た。ならば――ならば、後は紡ぐのみ。

 

「私は、星像院……星像院、麗火! この血こそは、雲生塚の――青龍の流れを強く汲み、現れども……南の始祖たる星像院の家に生まれし者!!」

 

 麗火の高らかな名乗りと共に、その手に杖が現れる。

 緋い緋い、彼女の緋色の髪と同じにして、けれど彼女の性質とは程遠い色。

 それだけで、十分だったのだろう。

 

 それ以上互いの言葉は不要とばかりに、両腕を組んだ播凰のその手から、彼の杖は消え。

 真っ向から、両者は見つめ合う。

 

「…………」

 

 麗火の視界に映るのは、三狭間播凰ただ一人。

 その目に満ち溢れんばかりの生気を宿す、一人の人間だ。人の形をとっただけの動かない何かではない。向けられる瞳は光無きものではなく、正真正銘、一人の、生きた……。

 

「……っ」

 

 ――麗火の杖を持つ腕が震えを始める。

 

 相手が人だから術を使えないなどと言おうものなら、何と謗られるか分かったものではない。学園にてもし露見した場合、星像院の名によって表立って馬鹿にされることはないだろうが、陰口は間違いなくあることだろう。

 それを優しさとして美徳という人もいるかもしれないが、日常的に天能術に関わる人間は特にそうではないことを麗火は知っていた。

 

 ――胸に手を当てずとも分かる程に、心臓がその主張を激しくする。

 

 他の術であれば、慣れた。慣れざるを得なかった。

 思うところがないといえば嘘になるが、人に対してであろうとまだ取り繕って行使できる。

 だから、使おうとしている術が違うだけなのだ。

 杖の向く先に人があることは同じで、ただ紡ごうとする詠唱が違うだけ。それなのに。

 

 呼吸は乱れ、視界をじんわりと暗闇が蝕み――。

 

「――叶君と二津君は、少し離れていようか。あの術は、近くにいるだけでも影響があるからね」

 

 ポンと麗火の肩に手が置かれたのは、そんな時だった。

 瞬間、まるで何かが流れ込んできたように。視界を侵食していた暗闇が晴れていく。

 しかし胸の動悸は鳴り止まずにいるまま、麗火は振り返った。

 

「龍、水さん?」

「麗火君が決めたというなら、それを尊重しよう。ただ、今は……そうだね、最悪は僕が何とかするさ」

「……見事な名乗りにございました。わたくしは全てを知らされているわけではございませんが、分家の身なれど微力ながらこの荒流満美もお傍に」

 

 右隣に雲生塚が、そして左後方に控えるように荒流が、それぞれ立っている。

 

「っ、しょ、承知しました! ほら二津、こっちだ」

「はーい。星像院さん、頑張ってー!」

 

 そしてこれまでの流れに目を白黒とさせていた叶は、明らかな困惑の表情を浮かべながらも、雲生塚の言いつけを守るように辺莉を促して距離をとり。

 辺莉は辺莉でそれに続きながら、空気が読めていないかのように呑気に麗火へと声をかける。

 その流れで、というわけでもないのだろうが。

 

「――そうだ、一つ言っておくが、星像院麗火よ」

 

 ふと気付いたと言わんばかりに、腕組みで待ち構える播凰がポツリと口を開いた。

 口調諸々、纏っていた空気が嘘だったかのように、そこに凄みは感じられず。

 あの一時だけ別人が成り代わっていたのではないか、と。その姿を見た麗火が、思わずそう疑い。

 

「別に私は、性質が覇であるから受けるのではない。何であろうとそんなことは関係なく……己は己、性質がどうであろうが同じことをしていたぞ」

 

 けれど、すぐさまその片鱗を見た。

 これから危険な術を受けるというのに、微塵も気にした様子のない自然体。それが虚勢や瘦せ我慢かとなれば話は別だが、そうも見えない。

 そしてそれは別に、麗火のことを考えてどうこうというものでもなかったのだろう。

 瞳の奥に覗かせるのは、紛れもない自信。それが当然と、本当に、ただ思ったそのままを口にしたように。

 非凡でありながら、凡庸。

 だが、だからこそ――。

 

氷放(ひょうほう)青龍(せいりゅう)――っ!」

 

 返事の代わりと、頷き。そして紡いだ共通の一節と術名の一部。

 だが、そこまで。

 刹那、麗火の心臓はその鼓動を一際大きくさせ。ドクンドクンと、まるでそれ以上を止めるかのように重く内に響く。

 

 一息で吐き出すように詠唱をするつもりであった。或いはそれも原因だったのかもしれない。人を前にしない時だって、この術には多大な集中力を要すると理解していたというのに。

 これだけされて。これだけの時間を与えられて。

 

 ……やはり、私は。

 

 咄嗟にギュッと瞑ってしまった目。その行いは、彼女の口をも閉じさせかけ。

 

「――目を開けて」

「――目を開けよ」

 

 一つは近く、背中から支えるように。

 一つは遠く、向き合い叱咤するように。

 奇しくもその声は重なり、麗火の耳に届いた。目でも口でもなく、すぐに塞ぐことのできなかった、そこへと。

 早鐘を打ったような心臓の鼓動を上回り、確かに届いた。

 

「――っ、招請(しょうせい)ッ!!」

 

 言われるがまま、といえばそうだったのかもしれない。それが自らの意思のみでできたかは疑わしい。

 なれど目を見開き彼方を見据え、そこに立つ播凰(人影)を認め。

 気力を引き絞り、残された続きを言い切る。言い切った。

 

 刹那、それは顕現を始める。

 術者たる麗火ですら感じる寒気が、一帯を支配する。慣れていない者が近くにいれば、室内であるにも関わらず、まるで突如寒空の下に放り出されたかのように感じたことだろう。

 それほどの、瞬間的な変化。そして無論、それで終わるわけはない。

 

 揺らめく長髭。ギョロリとした両眼。鹿を思わせる双角。

 

 まるで元々あった存在が徐々に現れるかのように、或いは別の空間から飛び出るように。

 青く透き通った、伝え聞く龍の特徴を持つそれが姿を見せ始め――。

 

「不完全……いや、だけど」

「そのまま、力を乱してはなりません!」

 

 雲生塚が神妙に、荒流が警戒するように声を上げる。

 

 しかして、その後ろに続くはずの長く伸びる胴体も、手足の爪もそこには無い。それはこれから姿が浮かび上がるのでも、造られようとしているのでもなく。

 現れたのは、氷で構成された青き龍――その頭部であった。正真正銘、頭だけの。

 

「……くっ!」

 

 麗火の額から汗が頬に滑り落ち、呻きが喉を突いて出る。腕の震えが大きくなる。

 雲生塚の言ったように、確かに頭部だけの不完全な術。つまりは、術が失敗して中途半端な発動をしたといっていい。

 それでも、暴走せずにまだ麗火の制御下にある。そして少しでも気を抜けばその限りではないだろう。

 いくら不完全とはいえ、それでもこの術は特別で、強力。

 

 術を放った以上。

 もはや麗火に出来ることはそれを乱さないよう維持すること、そして目を逸らすことなくその術が起こす結果を見守ることだけだった。

 

 

 

 

「頭だけ、か? ……ふむ、まあ今はそれでもいいだろう」

 

 自らに真っすぐと飛来するそれに、まず目を瞬き。

 けれどその奥に見える麗火の必死さを湛えた顔にどこか納得の感情を滲ませながら、播凰は悠々と眺める。

 

 如何に頭部だけであろうと。いや、むしろ頭はあるからこそだろうか。

 それは滑るように空を進み、そして正面に獲物を見つけ。人一人程度、容易く丸呑みできそうなその大顎を開いていた。

 

 あくまでも、見た目の話をするならば。

 それは氷で象られただけの――ただの造り物、偽物にすぎないだろう。

 その上、不完全。龍を模しただけの術、しかもその頭だけで本来の姿とは比べるまでもない。

 

 ただ、外野で見るのと対峙することではきっと違う。

 極寒の冷気を肌で感じれば、本物だ偽物だなどというのは些末かもしれない。

 並んだ氷の歯牙の鋭利さの前では、胴体のないことなど気休めにもならないかもしれない。

 間近に迫るほど、それを実感するだろう。

 

「面白い、私を喰らわんとするか。確かに、今まで受けたことのある術とは違うようだ」

 

 生物の形をとっているから、かは定かではないが。

 まるで術そのものに何かが宿っているかのような迫力に、威圧感が発せられている。ただそこに在るだけで空気を一変させたのは、単に氷の性質の術――冷たさ故というわけではなさそうだった。

 加え、その双眸。ただの模造に過ぎず、その眼は動くことはおろか瞳孔が開くことすらないというのに。まるでしっかりと睥睨しているよう。

 他の誰の視線でもない。間違いなく、それが見ているのだと。

 氷霧を纏う青き龍の頭部からは、不思議と。こちらを喰おうとする明確な意思のようなものを、播凰は感じていた。

 

 ただ、だからといって。

 

「――本来であれば、この身を食い破れることができるか待つのみであったが……願われたとあらば、仕方あるまい」

 

 逃げるは元より、体勢を変えることすらしない。

 組んだ両腕も、横に開いて地につけた両脚も、そのままに。ただただ、籠める。

 腹に、頭に、四肢に。その指の一本の先まで――全身至るところ全て、余すところなく。チカラを籠めて、満たす。

 やったことは、ただのそれだけ。秘術だとか技術だとかそういうのではなく、乱雑に。けれどそれだけに専心する。そこに勇ましい言葉一つすら、過分。

 

 拳を構えるのでもなく、足を大きく引くのでもない。

 はっきりと変わり映えのしないそれはきっと、傍目から同じように見えることだろう。

 余程注意深く見たとして、気付ける者はどれほどいるか。

 よしんばそれを聞いたとて、大して変わらないと笑わない者はどれほどいるか。

 

 ――しかし、違う。違うのだ。

 

 今までは。ただ単に、播凰は待っていただけだ。相手の術が自身の肉体に触れるのを、見ていただけ。そしてそれが傷つかないのを、見ていただけ。

 

 龍の大口はすぐ眼前も眼前。

 既に龍の上顎によって播凰の頭上は完全に覆われ、正面には地のすれすれを浮く下顎。

 その向こう側に、星像院麗火は立っている。立って、播凰を見ている。切羽詰まったような面持ちでありながら、その顔色が青白くありながら、信じるように。透き通るような氷を挟めど、確かにその視線は交わっている。

 

 ――けれど、今回は違う。

 

 無防備は変わらず、されど受けることに全力を注ぐ。ただ待つのではない、己が力を籠めた肉体にて受け止める。

 

 ――さあ、故に示そう。三狭間播凰という名の戈を、ここに。

 

 彼の者にとって、そしてそれに挑む者にとって。

 そこには決定的に、そして絶対的に大きな違いがあるのだ。

 

「……っ」

 

 息を呑んだのは、果たして誰であっただろうか。

 冷気を纏い、氷霧を纏う青き龍は、自然の摂理によって生じた白い煙を帯のように揺らめかせ。その大きく開かれた口の中に、播凰の上半身が消える。

 喰らい付くように、それでいて噛み砕くように。躊躇なく、大顎は閉ざされ――。

 

 瞬間、爆ぜる。

 

 散ったのは鮮血の赤ではなく、眩く光を乱反射する淡い青。

 パキィンッ!! と甲高い音を重ねて奏で粉々となり。重力に逆らうことなく、キラキラと輝いて落ちてゆく。

 ある種幻想的ともいえるその光景は、氷の粒が大量に飛散したが故のもの。それがどこから現れたのは言うまでもなく、氷の龍頭が変じたものに他ならない。

 

 一瞬の拮抗すらなく、刹那の攻防というには烏滸がましい――圧倒的な蹂躙。

 そこに手に汗握る展開も、涙を誘う物語も、なにもない。あるのは、健在の証。

 播凰の骨を噛み砕くどころか、肉を食い破ることすら敵わず。その長髭も両眼も双角も、それに至る細部の悉くが粉砕。何もかも原型を留めることなく、麗火の術は後に残らなかった。

 

 であれば、一体何がをそうさせたのか。

 そんなのは、ただの一つ。

 

「――うむ、冷たい攻撃というのも悪くない! だが、この身にはまだまだ届かぬな!」

 

 パラパラと地に落ちる氷の破片の中、寸分違わぬ仁王立ちで残る三狭間播凰しかありえまい。

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