三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~ 作:鷲野高山
「……なんだい、このガキは?」
女が怪訝な顔で、いきなり登場した播凰を見る。
だが、播凰はそんな視線を物ともせず、キャッチしたコップをテーブルへと置いた。
コップは無事だ。しかし、零れた水でその手と服の袖が濡れている。
とはいえ、その程度の被害。播凰にとっては――大抵の人にとってもだが――さして大問題でもないため、席に座る男女をゆっくりと見下ろし。
「もっとも、私も時折不注意で食器を落としてしまうことがあるが……うむ、注意するがよい」
自虐を交えつつ、快活に笑う。
しかし、当然そんな言葉を受け入れる相手ではなく。
「……はぁ?」
「何言ってんだ、コイツ?」
ポカン、と女が。変なものを見るような目で、男がそれぞれ言った。
ここで止まるならば、一般人。まともな感性の持ち主。いや、そもそも止まる以前に問題事の気配に不用意に首を突っ込むかという話だが。
いずれにせよ、そうでないのが三狭間播凰という少年であり。
「ここは料理も美味であったが、デザートにはチョコレートケーキがおススメだ! 私も今食べているが、誠に感動した!」
遂にはそんなことを大真面目に言う始末。
ここでその発言は非常に謎であるが、彼にとってはそれほどの衝撃だったのである。それこそ、見知らぬ男女であるにも関わらず、思わず話してしまいたくなるほどに。
――何やってんすか、播凰さーんっ!?
それを席から離れて見ていた毅は、心の中で絶叫し頭を抱える。
何やってると何言ってるのダブルコンボ。ついでに言えば、どことなくテンションもおかしいような気がしなくもない。
おかしい、というか変わっているのは元々知っているが、なんかこう、輪にかけて興奮気味なような。
……あれ、前にも似たようなことがあったような。
抱いたのは、見覚え。額に手を当てながら記憶を辿り、思い出す。
そうだ、あれは初めて学食を訪れた時のこと。確か、播凰はあんかけ焼きそばを頼み、人目を憚ることなく絶賛。それが矢尾とのいざこざのきっかけに繋がったのだ。
……そんなに美味しかったんすね。
播凰の座っていた前にある、先端が食べ進められたチョコレートケーキ。それを横目にしつつ、毅はハラハラと事の成り行きを見守るのだった。
そんな播凰の自信満々のお勧めであったが、無論二人組には関係なく、響くはずもない。
ポカンとしていた女はやがて苛立たし気に舌打ちすると、播凰が置きなおしたコップを手で弾いた。
もはや取り繕いの言葉すらなく、再度落下していくコップ。
「む、また――」
先程の焼き直しのように、播凰はそれを拾おうと屈み、手を伸ばす。
割ることなくキャッチには成功した。ほとんど水も入っていなかったため、今度は零れるものもない。
が、その腕を。上から、ガッ! と女の靴が容赦なく踏みつけた。
「わざとに決まってんだろーが。頭がおかしいのか馬鹿なのか知らねーけど、ガキはガキらしくすっこんでな」
そのままぐりぐりと足を動かし、播凰の腕に圧力をかける。
女の顔には嗜虐的な笑みが浮かんでおり、見ているだけの男もニヤニヤと。
播凰のある意味不可解ともいえる行動ゆえに、それまで驚きと困惑を以て見に徹せざるをえなかったジュクーシャとゆりであったが。
女が手を出してきた光景を見てハッと我に返り。同時に動き出そうとする。――いや、しようとしたのだが。
「――私にこのような真似をしたのは、お主が初めてだ。その度胸、誇るがよい」
「は?」
「そして、わざとと言ったな? 何故そのようなことをする?」
「…………」
怯える顔でもなく、怒る顔でもなく。
むしろ何故か一抹の笑みすら湛えて、播凰は屈んだまま、腕を踏まれたままで顔を上げたではないか。
それに留まらず、次に不思議そうな顔をして率直に問いかける始末。
これにはさしもの女も再び呆気にとられる他なく。
「なんだコイツ、マジで頭おかしいんじゃねえか?」
「……興醒めだね。もういい、帰るよ」
「え? あ、ちょっ!」
少し間を置いて女はそう言うと、播凰の腕から足をどかし、席を立った。
その言葉に一瞬男は呆けたが、彼もまた慌てたように立ち上がり、その背中を追いかける。
二人組は、店の入り口まで歩いた後。
出て行く間際に、女の方が店主であるゆりを振り返り。
「週末の真昼間だってのに、客がこんだけいないようじゃ、この店の未来も見えたもんだねえ」
「おかげさまで。お持ち帰りのお客様にも来て頂けているので、お気になさらず」
「……フン、アンタも旦那のようになりたくなければ、よく考えるこった。そろそろ、怖ぁい人が出てくるかもよ」
最後に、播凰を一瞥。
捨て台詞を残し、乱暴に扉を開け放って去って行った。
しばしそれを見つめてから。ゆりは、播凰へと向き直り。
「ごめんなさいね、変なことに巻き込んでしまって」
巻き込まれた、というより播凰が勝手に自分で巻き込まれにいったわけだが。
そんなことはおくびにも出さず、ゆりは頭を下げて謝りの言葉を述べる。
「む、何のことだ? それにしても、妙な客であったな。何も注文せずにすぐ帰っていくとは」
少なくとも、妙な客という括りであれば、播凰も十分当てはまっても何ら不思議ではないのだが。
そんな自覚もない当の播凰は、一貫して分からないというような顔をして、男女が出て行った店の扉を眺めている。
第三者からすれば、何とも思っていないともとれるし、或いは敢えて気付かない振りをしている可能性もゼロではない。
それを、どう判断したのか。
「……そうね。それで、その、腕の方は大丈夫かしら?」
話題を変え、しかし気遣う様は変わらず、ゆりが播凰に尋ねる。
女に強く踏まれていた腕、それも中々の勢いだった。流石に大怪我はしていないだろうが、痛みがあってもおかしくない。
「腕? ああ、少し濡れて汚れもしたが、問題ないだろう。洗濯機というのは便利だからな」
しかし返ってきたのは、またしてもずれた反応であり。
播凰は袖口の様子を少し確認して答えると、バッと顔を輝かせてゆりに近づき。
「それより、ゆり殿。チョコレートケーキ、実に美味であった! あのようなもの、私は今までに食べたことがない!!」
「え? え、ええ……そう言ってくれると、おばさん、とても嬉しいわ」
「また、こちらに食べにきてもよいか!?」
「…………」
大絶賛。非常に感情の籠った、最上級の評価といっていい。
唐突なそれに、僅かにきょとんとしたものの、ゆりは表情を柔らかくする。
だが、続いた播凰の言葉には、すぐには口を開くことができず。
言い辛いような、言うべきかどうか、そんな迷いがゆりの顔に浮かぶ。
刹那の沈黙。しかしそれを割るように慌ただしい足音が響いた。
「ゆりさん、ジュク姉、播凰にい、大丈夫!?」
辺莉を筆頭に、慎次と毅の三人がバタバタとやって来たのだ。
そのまま彼女は、頬を膨らませて播凰を見やる。
「んもう、播凰にいってば一人で突っ走っちゃって! シンも晩石先輩も、勿論アタシだって、飛び出したいの我慢してたんだよっ!」
「えっ、いや、俺は……」
「なにっ!?」
「……何でもないっす」
途中、毅が思わずといったように口走ったが、すかさず辺莉の一睨み。
そのあまりの剣幕に、即座に上がる白旗。年上の威厳もへったくれもまるでない。
「心配してくれてありがとうね、辺莉ちゃん、皆。でもね、危ないから……」
「大丈夫、ゆりさん!」
そんな肩身の狭い思いをする毅に現れた、救世主。
困ったように、それでいて案ずるように、ゆりが辺莉を諭そうとするが。
気遣い虚しく、辺莉は両手を腰に当て、笑い飛ばすように胸を張る。
「どんなに小さくても、大きくても。私達は、ああいう悪を懲らしめてき――」
「――辺莉」
だが。
はっきりと、力強く。普段とはまるで別人かと見紛う程の口調と眼差しで、慎次がその名を呼んだ。
言葉を止められた辺莉は、しかし怒ることなくむしろバツが悪そうに閉口する。
しかしその思いまでは止まっていないのか。
「……お店、大丈夫なんですか? 前はもっとお客さんも、店員さんもいましたよね」
絞り出すように、ゆりへと確認する。
二人組の捨て台詞、それは三人にも聞こえていたのだ。
「大丈夫よ、辺莉ちゃん。今日は偶々。それに、あの人達にも言ったように、お持ち帰りでいらっしゃるお客様だって――」
「ゆりさん、本当のことを教えてくれませんか」
対し、安心させるように優しく微笑むゆりであったが。
静かな光を目に灯し、頑として辺莉は譲らない。ゆりの発言を疑う――否、真実でないと確信している目だ。
「「…………」」
両者が見つめ合うこと、数秒。
目を逸らさない辺莉に根負けしたかのように、ゆりは小さく息を零すと。
「お店――というより、ここの土地を手放さないかっていう話は前からあってね。それもうちだけじゃなくて、商店街のお店全体に。だけどこの商店街は結構昔から長く続いているから、最初は他のお店の皆さんも手放すものかって、商店街を失くさないようにしていたの」
だけど、と彼女は窓の外を眺めるようにして。
「ほら、向こうの方、ここからあまり遠くないところに大型の商業施設ができたでしょう? そうしたら、こちらに来てくれるお客様が減っちゃってね。それ自体は、仕方のないことなんだけど……」
「さっきの人達みたいなのが、出てきたんですね?」
辺莉の問いかけに返るは、短い頷き。
と、ここまで聞いていて。うーむ、と分かったような分かっていないような播凰。取り分け、聞き慣れない単語がそこにはあり。
「毅よ、大型の商業施設とはなんだ? 何故それができたら客が減るのだ?」
「……えっと、色々な種類のお店が集中した施設のことっすね。便利なので、俺も日用品とか服とか時々買いに行くっす」
こそこそと毅に問いかければ、ヒソヒソと答えが返ってくる。
が、いくら声を潜めたところで場所が場所。気付かれない可能性はほぼ皆無といってよい。
ある意味堂々と、全く内緒話になっていない話をする二人に辺莉がジト目を送れば、ゆりは苦笑して。
「つまり、こちらでお買い物をしてくれていたお客様が、あちらでお買い物をするようになってしまったのよ。それに嫌がらせのようなことは少し前からあってね。ただ、これほどあからさまになってきたのはここ最近からなんだけど。……そんな状況だから、もう続けられないっていうお店がどうしても出てしまって。うちのお店で働いていた子も、何人か辞めちゃって」
寂しそうに、されど仕方ないと受け入れるように、ゆりは店内を見回すと。
「辺莉ちゃん達みたいに、食事を注文してくれるお客様もいるわ。お持ち帰りで立ち寄ってくれるお客様がいるのも事実よ。でも、うちもそうだけど、他の所もいつまでお店を続けられるか……」
締め括る。
ジュクーシャが、沈痛な面持ちで顔を伏せた。
さしもの辺莉も言葉を探して口を開こうとするが、しかし何も言えずに拳をギュッと握り。
それは慎次も毅も同様で、重苦しい空気が漂う。
……店が続けられない?
細かいことや、詳しいことは播凰には分からない。
長々としたゆりの説明も、諸々の事情を理解したかといえば、そんなことはない。
ただ。
――つまり、店がなくなる。それ、即ち。
「もうこの店で食べられぬ、ということかっ!?」
あれ程の感動を覚えた、チョコレートケーキが食べられなくなる。
それは完全に理解した。
「今すぐではないけれど……ごめんなさいね、折角気に入ってもらえたみたいなのに」
愕然とする播凰に、すまなさそうに頬に手を当て、ゆりは告げる。
しかしすぐさま、パンパンと仕切りなおすように両手を打ち合わせ。
「はい、暗い話はこれでおしまい。よかったらサービスでデザートか飲み物をおまけするから、遠慮なく言ってね」
元通りの柔和な笑みに戻り、播凰達を席に戻るよう促した。
気丈に振舞っているが、まず間違いなく一番辛いのはゆりであろう。
だからこそ、それを慮って辺莉達は素直に従う。彼等とは別のベクトルでショックを受けていた播凰は、反応が一番遅くなりながらもそれに続こうとしたが。
「……いかに力があろうと、できないことはある。それは、分かってはいましたが」
誰にも聞こえていない、と彼女は思っていただろう。
だが、その声はのろのろと最後に動いた播凰の耳に届き、少しだけ振り返る。
悔しげに、無力感に苛まれるように呟くジュクーシャのその姿が、とても印象に残った。
席に戻った四人が楽しい会話を続けられなかったのは言うまでもなく。
播凰達が通うだけで解決できるのならば、毎日訪れて食事をしたかもしれない。それは確かに、一助とはなるのだろうが。
しかしそんなことでどうにもならないことは、考えるまでもなかった。播凰達が頭を悩ませたところで、解決策が浮かぶわけもない。
その程度でどうこうなる問題なのであれば、当事者たるゆり達がとっくにどうにかしていただろう。
気にしないで、とゆりは笑っていたが。播凰が感動を覚えた事実が消えることはない。
久方ぶりに抱いた、鬱屈ともいえる気分。だが無情にも、徒に日々は流れていく。
そんな中で。
ついに、吉報ともいえる知らせが同時にやって来た。とはいえ、あくまで播凰にとっての良い知らせであり、ゆりの店どうこうという話ではない。
一つは、厳蔵から。
依頼した天能武装が仕上がったので、取りに来いとのこと。
これはまあ楽しみにしていたのは事実ではあるが、少し待つだけでいいというのは見えていた。
よって吉報には違いないのだが、後者と天秤にかけると軽いと言わざるを得ない。
播凰が真に首を長くしていたのは、もう一つ。
ある意味、天能武装ができたとあって、非常に嚙み合ったタイミング。
『例の件――貴方の天能の性質についてですが、連絡が届きました。今度の休みの日、学園に来てください』
学園の教師である、紫藤綾子からそれが伝えられたのだった。
『――追伸。晩石毅も貴方の事情を知っているのであれば、連れてきて構いません』
次はようやく性質判明、+ちょこっとバトル回。
そしてその後に配信回。
察しのよい方は何となく感付かれたかもですが、そういう配信となります。
読んでいただきありがとうございます、次話もよろしくお願いします。