三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~ 作:鷲野高山
播凰が学園――東方第一に通い始めてから少なくとも一月が経過している。
そのため彼にとってその場所は、もはや異界の学び舎から己が日常の一部と変化しているといっても過言ではない。
が、それでも休日の学園というものはそれはそれでいつもと印象はガラリと変わるわけで。
学園という施設を象徴するともいえるガヤガヤとした生徒の喧噪は無いに等しく、静寂に包まれた校舎。
もっとも、休日でも自己研鑽の場として一部施設が開放されている以上、生徒にしろ職員にしろ全くの無人というわけでもないのだが。
「……休みの日の学園ってのも、それはそれで緊張するっすね。入学試験の時を思い出すっす」
「うむ。賑やかなのも悪くないが、これはこれでまた新鮮だな」
隣を歩く毅がしみじみと呟けば、播凰も続くように頷く。
毅の言うように、彼らが初めて東方第一に訪れた試験の日のような、普段とはまた違った学園の一面。
それを肌で感じつつ、播凰と毅は学園の門を通り抜ける。
とはいえ、休日は休日。平日の朝の登校とは異なり、制服を着ていてもノーチェックで入ることはできず、門を入ってすぐにある警備の窓口にて手続きを行う必要があったりする。
ただし手続きとはいえ、在校生である播凰と毅は単純。学園貸与の端末を用いれば、証明も入場記録も一発だ。これが外部の人間だったり関係者だったりすると、事前の申請やら書類やらの記入が必要らしいが、二人には関係無い。
ちなみにその旨は、教師でもあり本日播凰を学園に呼んだ当人でもある紫藤から、日付等の連絡の際に知らされた。くどくどと、絶対に問題を起こさないように、という一文も添えて。
ただでさえ、色々と播凰に悩まされている彼女のことだ。その脳裏には、規則を知らないがために何食わぬ顔で門を通り、受付もせずズンズンと進むであろう播凰の姿がありありと映ったことだろう。
そしてそれは正解だった。正しくその懸念通り、播凰はそんな規則があると知らなかったのだから。毅が帯同していたこともあり、よりスムーズに運んだといえる。
「播凰さんは、修練棟に行ったことがないんすよね? じゃあ、着いてきてくださいっす」
「うむ、任せた」
向かう先はいつものH組の教室――では勿論なく、その名の通り修練に特化した施設である修練棟。その一室を紫藤が予約して押さえているとのこと。
ちなみに、播凰は天能を使えないことから、毅はへなちょこな自分が施設の一室を予約するなんて恐れ多いという思いから、共に修練棟を利用したことはなかった。
ただし、毅に関しては施設を見に来たことはあったようで。使うのこそ気が引けたが、しかしそこは憧れだった東方第一。学園で一生徒が行ける場所にはある程度既に訪れたらしい。
とはいえ近くまで来ておいて、そんな理由で使用どころか中に入ったことがないというのは、何とも彼らしい理由ではあるが。
「えっと……ここだったはずっす」
「おお、立派な建物だな。それに、教室のある棟よりも頑丈そうだ」
播凰の方はと言えば、何の気なしに学園内をぶらついたことがあるが、一人の時では迷いそうだという理由であまり広範囲にはまだ足を広げていない。目的の修練棟は学園の少し奥まった場所に存在したため、施設どころか周囲一帯のエリアに踏み入れること自体、播凰は初めてであった。
元々方向音痴な気もあり、地図を用いた移動も得意ではない播凰単独であればどうなったかわかったものではなかったが、地理を把握していた毅がいたことによって無事に目当ての場所に辿り着く。
室内にて修練を行うことを目的としてるためか、施設の外観に古臭さはなくしっかりとした造りであることを伺わせるその大きな施設。
ガラス製の透明な両開きの扉を押し開けて中に入れば、少しばかりむわっとした空気が二人を通り抜けていった。
「はぁー、中はこんな感じなんすねぇ」
きょろきょろと毅が周囲や頭上を見回しながら感心したように零す横で、播凰もまた同じようにじっくりと建物内に視線を巡らせる。
外から見ても分かる通り、修練棟は大がかりな施設であった。
入ってすぐは吹き抜けの構造となっており、複数階をまとめてぶち抜いた開放的な空間が頭上に広がり。
少し先、正面には間隔を開けて並んだ複数の扉。それぞれには部屋番号であろう数字が大きく刻まれている。目線を上げていけば、各階も同じようになっており、淡々と数多の扉が数階に渡って並ぶだけの光景はある種の壮観ささえ抱かせる。
「さて、約束の部屋は……修練室20だったか」
紫藤からの連絡にあった修練室の番号を思い出しながら、まずは一階の部屋番号を見てみれば。数字は小さい順に下から振られており、目的の部屋はこの階には無いようだった。
フロア移動は建物の左右両脇に設置された階段から行うことができ、その近くの壁には施設案内のマップが掲載されている。それによると修練棟は3つの棟から構成されており、1つの棟に30の修練室、総計90部屋にもなるらしい。
そこだけを見れば中々の巨大な施設だが、しかし東方第一の生徒数は百は優に超えている。単純に数だけを見ればそれでも尚足りていないわけだが、とはいえだ。全生徒が一斉に使うわけでもなく、また複数人で修練室を利用する生徒もいるだろう。そう考えると、完全に不足しているというわけではないのかもしれない。
毅を伴い、フロアを移動。
そうして二人は、「20」の刻まれた部屋の前に立つ。約束の時間はギリギリ。
小窓や覗き窓といった類はないため、室内の様子は外からは窺えない。また防音対策もされているのか音らしい音も漏れ聞こえない。
まあ紫藤のきっちりとした性格から考えて、恐らく既に中で待っているのだろう。そうでなくとも、こちらが中で待っていればよい。
と、軽い感じで播凰は扉に手をかけ、躊躇なく開いた。
「……来ましたか。無事にここが分かったようで、まずは一安心です」
果たして、待ち人――紫藤は修練室の中にいた。
腕を組み、いつもと変わらないすました顔で扉を開いた播凰と毅を室内から見据えている。
が、その表情に安堵の色が僅かに見え隠れするのは、恐らく気のせいではないだろう。
「――ほーん、これが例の……って、二人おるやないか!? なんや、一人じゃなかったんか?」
そしてもう一人。紫藤の傍らに、その人物はいた。
冷静沈着を常とする紫藤とは対極な喧しさ――もとい愉快な反応。
髪型においても、束ねる必要のあるほどに長い髪の紫藤に比べ、さっぱりとしたショートカット。
背丈に関してもその差は目立つが、これに関してはどちらかといえば紫藤が高身長な部分がある。とはいえ、小柄といえば小柄。流石に、我らが最強荘の管理人程に小さくはないが、成人女性という点で見ても平均より少し低めなのは否めない。
「ええ、もう一人は付き添いとして来てもらいました」
「付き添いィ?」
淡々と告げる紫藤に対し、その女性は訝し気な顔をして播凰と毅の顔を交互に見ている。
まさか、彼女も思わないだろう。よもや、
そして実際に、
そんなじろじろとした視線を受けながら、播凰は堂々と、毅はその後ろに隠れるように恐る恐る修練室の中に足を踏み入れる。
……し、紫藤先生がいるなんて、聞いてないっす。
室内にいる紫藤の顔を見た毅の顔は真っ青だ。なにせ彼にとって、天能術の実技の授業を受け持つ教師である紫藤は、入学試験時のこともあり苦手ともいうべき人物だったのだから。
別に、紫藤が特別毅に厳しいというわけではない。単純に、彼女のきっちりとした雰囲気、普段の冷静な振る舞いや迫力も相俟って一部の層の生徒からは恐がられたり苦手意識を持たれていたりするという話だ。
まあ、特別恐がられる教師というのは、何も紫藤だけに限ったことではないのだが、それはさておき。
ともかく毅にとって紫藤がこの場にいるのは初耳。では、何故そんな毅がこの場に来たかというと。
彼は単純に、播凰から誘われただけだ。そして播凰の天能の性質が分かるかもしれないと聞いた毅が、それに興味を持って誘いに乗った。学園でやるというのは聞いていたが、そこに誰がいる――播凰も紫藤の知り合いが誰かは無論知らなかったが――というのは聞かずに。
そういうわけで、苦手な印象を抱く教師の存在に今すぐにでも毅は回れ右をしたかったのだが、彼にそんな度胸はない。
女性は、そんな播凰達を暫く無遠慮に見ていたが、二人が近くまで来て立ち止まったのを見て、向き直った。
「ふぅん、まあええわ。ウチは、
「……その呼び方を止めさせることは、もう諦めました。しかし、生徒の前では――」
「ええやんええやん、どうせ綾ちんのことだから、堅物の女教師として怖がられてんやろ? ほんなら、呼び方くらいはフレンドリーにいかんとなー」
苦虫を噛み潰したような顔をする紫藤に、女性――小貫夏美はケラケラと笑う。
そうして彼女は、播凰と毅に顔を近づけるようにして。
「どうや、教え子達? 紫藤綾子だから、綾ちん。な、可愛いやろ? ほら、言うてみぃ」
呼び名についての同意を求めてくる。が、そのニンマリとした表情や声色からも、紫藤に対しての揶揄い目的であることは明白。
故にこそ、どう返したものかと毅は曖昧に笑うに留め、濁すようにやり過ごそうとする。つまりは事実上の無回答。仮に小貫が本気であったとしても、恐ろしすぎて毅には呼べるわけがない。
「成る程、そのように呼んだ方がよいのであれば、そうするとしよう」
ところがどっこい、よっぽどのことでもない限りは馬鹿正直に受け止めるのがここには一人。
言うまでもなく、小貫の言い分に納得するように大きく頷いた播凰である。
マジですか、と心の声が聞こえそうなほどに彼を凝視する毅の視線もなんのその。
「……ふ、不要ですっ! 私のことは今まで通り、先生と呼ぶように。いいですね!?」
「アッハッハッハ!! なんや、ノリのいいオモロイ奴やないか。綾ちんがこんな顔すること、滅多にないで!!」
焦ったように珍しく紫藤が狼狽すれば、その様子を見た小貫は腹を抱えての大爆笑。
初見である小貫からすれば、だ。播凰は、単に自身の冗談に乗ってきた学生である。それが話を合せただけなのか、はたまた本当に実行する気があるのかを判断できるほど人となりを知らないものの、応じてきただけで取り敢えずは彼女は満足だったようで。
が、紫藤は違う。なにせ彼女は、この学園で最も播凰に近しい教師であり、多少なりともその人物像を把握している。
故に、紫藤が導き出した結論は――ずばり、三狭間播凰なら本当に言いかねない、であった。だからこそ普段の冷静さを乱してまで止めに入ったのであり、そしてそれは正解だった。彼女が今全力で止めなければ、間違いなくその不名誉とでもいうべきあだ名は、播凰の口から躊躇なく紡がれていただろうから。
「ま、そっちはそっちで後で詳しく聞くとして……先に、本題の方を済ませてまおか。事情は聞いとる、なんでも天能の性質が不明やそうやな?」
一頻り大笑いした後。小貫はようやく静かになると、その声に真剣味が帯びる。その切り替わり様は、先程までの騒々しかった彼女を欠片も思い起こさせないほどだ。
要するに、素は陽気であろう小貫すらもそうさせるほどにこの件が持つ意味は大きいということ。
「ほんで――どっちや、三狭間播凰っちゅーのは?」
声だけではない。その視線すらも鋭く、その問いは投げられた。