三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~   作:鷲野高山

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33話 覇を放つ

 ――術者は、行使できる術を本能的に理解している。

 

 以前、それが天能術の常識であり前提であると、教師たる紫藤は播凰に云った。

 要するにそれは、現時点での行使可能な術を術者自身が理解しているという意味合いなのは当然として。今までは使えなかった術が新たに使えるようになった時も、例外ではないということである。

 その説明を聞いた時は、そういうものなのかと引き下がりはしたものの。

 ピンと来ていなかったのはやはり、己に使える術がなかったからなのだろう。

 

 覇とは何か。

 自身にとっての如何なる物であるか。

 

 今以て、それを理解できたわけではない。

 覇は――覇王という異名は、己が自称したものではなく、所詮は他者から付けられたものでしかない。そこに自らの意思というのは介在せず、いつの間にか勝手に呼ばれているらしいと、そう弟妹達から聞いただけ。

 そんなものだから、自負というのは希薄。知った上で尚、どこか他人事感は拭えず。

 

 故に。依然として認識は変わらない。

 天能術の三つの属性。即ち、覇を放ち(天放)覇を溜め(天溜)覇を介す(天介)

 具象性に欠け、あやふやで朧気。

 三狭間播凰にとっての覇とは、それ以上でも以下でもなかった。

 ……そのはず、なのだが。

 

覇放(はほう)――」

 

 しかし、分かる。

 

 今なら出せると。早く出せと。

 左手に現れた杖が。これまではどれだけ唸っても顕現しなかったはずの杖が、全身が、訴えかけてくる。

 大魔王の言葉、それが己の内に響いたのは疑いようがない。

 

 その詠唱を、その内容を、その発動を――自ずと、理解する。

 

「――我執(がしゅう)相呑(そうどん)!!」

 

 淀みなく力強い声と共に打ち出されたのは、()であった。

 銀の杖を片手に。空いたもう一方の手、その掌の向き先は右方の相手二人組に。

 放たれたエネルギーは周囲一帯丸ごとを煌々と照らし、敵を目掛けて飛来していく。

 

「……でけぇ」

 

 思わず笠井がポツリと漏らしたように、それはただの火と一蹴できるものではなかった。

 特筆すべきはそのサイズ。

 数多の人が行き交うことを想定して設計された商店街の道、その真ん中を陣取り猛進するそれは、つい数瞬前に播凰に向けて撃ち込まれた火の術を遥かに超える大きさだ。

 一つ一つでは、まるで比べ物にならない。

 強いて言うのであれば、そう――四人がかりであったものを一纏めにすることでようやく、見れる勝負になるのではと思わせるほどの度合。

 

 よもや、反撃を喰らうとはこれっぽっちも考えていなかったのだろう。

 ぼけっと事の推移を突っ立ったまま見ていた二人組は、その巨大な火の塊が眼前に迫ってようやく慌て始める。

 

 なにせ、一方的とまでいえる蹂躙劇――無論彼らにとってはだが――そのはずだったのだ。

 憐れな獲物(播凰)のその耐久力は予想を超えていたが、自分達の優位性は全く疑っていなかった。あの学園(東方第一)の制服を着用していたことに多少の警戒が必要にせよ、名の知られた(・・・・・・)生徒、有名人ではない。所詮は一学生であり、数の利すらこちらにあった。

 極めつけに、笠井の提案したゲームによって獲物は牙を剥くことなく自分達の術で勝手に手負いとなっていく。

 故に、欠如していた。これは遊びではなく戦いの場であると、そう認識していなかったのだ。

 

 防ぐか、避けるか。

 攻撃を仕掛けられた際に浮かぶ必然の二択(・・・・・)の内、逃げるという判断に彼らが行きついた時には、もはや手遅れ。

 まだ、攻撃範囲が狭ければ。或いはその速度が遅ければ、芽はあっただろう。

 

 くるり、と両者揃って反転し、背中を晒す。できたのはそこまでであった。

 一歩、たったの一歩を踏み出したその瞬間に。彼らはどちらからともなく、その身は火に飲み込まれた。

 その際に、悲鳴はあったのかどうなのか。

 仮に上がっていたのだとしても、それは笠井の術によって音が遮られている播凰の元にまで届くことはない。

 

「……ふむ」

 

 その侮りの末路を見届けることなく、グーパーと。目線を落とし、確かめるように手を握っては開きを数回繰り返すと。

 播凰は顔を上げてまず笠井を見、そして反対側に残るもう一組の二人を見やった。

 

 流石に時間が空いた、或いは仲間が呆気なくやられたのを目の当たりにしたからだろう。

 播凰の顔が自身達に向いたと理解した彼らは、同じ轍は踏まないと言わんばかりに。呆然とすることなく、一人が火を放ってくる。

 

 が、あまりにも安直。

 播凰に向けて打たれたそれは、先程までと変わりなくただただ愚直で、直線的な動き。

 先刻までとは状況が違うのだ。音の術によって播凰は拘束されていない。加えて、到達するまでに数秒の猶予もある。

 早い話、その術の進む先にリュミリエーラ(・・・・・・・)が無い以上むざむざ当たってやる道理はなく、播凰にとって回避をするには余りに容易い攻撃だったといえる。

 

 しかし。

 ふっ、と自身に迫る火球を一瞥して笑った播凰は。

 一切の躊躇なく、そのまま敵に目掛け――攻撃目掛けて突っ込んだ。

 着弾し、燃え上がる炎。だが、たった一つのそれにやられるわけもなく、その向こう側に播凰は躍り出る。

 

「――この野郎ッ!!」

 

 とはいえ、相手も馬鹿ではなく、織り込み済みであったのだろう。

 火を抜けたその先で。クリアになった播凰の視界に、走り寄る勢いのまま天能武装()を振りかぶった男が映りこむ。

 

 さんざ術を耐えられた光景を目の当たりにして、暴力ならば或いは、と考えたのか。

 発想としては凡庸であり、しかし一概に悪いとは切り捨てられない。

 

 天能術に秀でていても、否、秀でているが故に距離を詰められることを嫌うというのはあり得る話だ。学生ならば、その傾向はより顕著。

 よって、術が効かぬのならば物理的に制圧する。成る程、悪くはない。優れた一手と称賛されることは決してないが、単純且つシンプルな手法は時にそれらを凌駕する。

 

 そう、先程無抵抗のままに散ったお仲間(・・・)とは違い、彼らは悪くないのだ。

 敢えて悪かったと形容するのならそれは――。

 

「ほぅ、丁度良い。こちらから向かう手間が省けた」

 

 ――相手が悪すぎただけ。

 

「……っ!?」

 

 結論からすれば、男には何一つとして許されはしなかった。一撃を当てるどころか、両腕を振り下ろすことすらも。

 

 たんっ、と一足飛びに加速した播凰は、そのまま男の懐に入り込むと。

 碌な予備動作もない拳一発、相手の鳩尾に叩き込んだのである。

 

 瞬間、たったそれだけで男の身体は衝撃で浮き上がり、くの字に折れ曲がる。

 

 苦悶の声を漏らすこともできず、大の大人にも関わらずあっさりと面白いように吹き飛んだ男は、そのまま後方へと流れ。やがてその進路上にいた仲間を巻き込むと、播凰の視界から消えていった。

 見えなくなったとはいえ、そこまで遠くに飛んではいないはずだ。

 夜の闇で視界が狭まっているだけで、実際は商店街上の道に仲良く横たわっていることだろう。もっとも、すぐに起き上がれることもないだろうが。

 

「さて、あとは……」

 

 四人を処理した播凰は、笠井と、そしてその後ろに控える今まで動きを見せていない残る一人に向き直る。

 

「……成る程な、ようやく分かった」

「ん?」

「テメエが()の性質だったから、同じ火の術にはある程度耐性があった。そういうわけか」

「……ふむ、私の性質は火ではないが?」

 

 視線を向けられた笠井は、重々しく、そして苦々しく口を開いた。

 しかし、それを受けた播凰はきょとんとして聞き返すも。

 

「惚けても無駄だぜ。火を出して、火放(かほう)の詠唱までしてんだ、性質を隠せるわけねえだろ」

 

 それをまともに受け取らず、笠井は薄ら笑いで断言する。

 

「だが、この俺には通じると思わねえことだ」

 

 すーっと、播凰の両サイドを通過して、六角形の輝きが二つ、笠井の元に戻っていった。

 とすれば、音を遮る術を解除したということなのだろう。

 これで、元々彼の背後にあったのを合わせて天能武装は三つ。いや、もしかするとセットで一つなのかもしれないが、天能武装に疎い播凰には分からず、また優先すべきは他にある。

 

「嘘だと思うなら、試してみるか?」

「うむ、まあよいだろう!」

 

 ニヤリと己の優位を確信して、挑発する笠井。

 挑発に乗せられた、というか乗ったというべきだろうか。

 

「覇放・我執相呑!!」

 

 そういう類には躊躇のない質である播凰は、胸を張って使えるようになったばかりの唯一の術を発動するが。

 

「はっ、今度は随分と小せえじゃねえか!」

 

 笠井が小馬鹿にしたように、放たれた火は初回の発動時に比べて一回りも二回りも小振りであった。

 ただしそれはあくまで比較しての話であって、単体で見ればただの人間にとっては些事では済まないのだが。

 笠井は欠片の動揺もなく術の詠唱に入る。

 

「音放――」

 

 実際、笠井のそれは、ただの虚勢ではなかった。彼の根拠は自己の能力の過信ではなく、偏に天能術、その性質の相性からくるもの。

 

 火とはつまり、燃焼している状態であり現象そのものを指す。そして実存こそすれど、質量を伴わない。早い話、燃焼現象さえ止めることができてしまえばそれまでなのだ。如何に巨大な火炎とて、終わりを迎えれば、一息を以て吹き消される蝋燭に灯った火に末路は同じ。

 

 そして音とは、振動だ。付け加えるなら笠井は、彼の天能術はそれを十全とはいかずとも、ある程度のコントロールができ、狙った音すら発することができる。

 

 さて、それでは性質の相性、即ち火そのものに対して音が有効的であるかどうか。

 無論ただの音では――例えば人間一人、燃え盛る火の前で騒ぎ立てたとて、それは何の意味も為さない。

 だが、音波消火器という実例が存在するように、特定の周波の音によって火を消すことは可能であると立証されている。

 畢竟、それらが正面切ってぶつかりあった場合。

 

「――共振波!!」

「むっ……」

 

 放たれた火は呆気なく掻き消され。

 そのまま強力な音――その圧と衝撃が播凰を襲い、彼の身体をほんの僅かながらもよろめかせた。

 

「おらおら、どうした? さっきので天能力が尽きたかぁ!?」

 

 その現実に鼻高々なのは笠井だ。

 やはり、自身の術ならば効く。その確証が持てたわけである。

 してやったりと、挑発の言葉を重ねる笠井。いい気味だ、と術を破られ愕然としている顔を見てやろうと口元を歪めるが。

 

「……うむ、ならば――今度はそれを使わ(・・・・・・・・)せてもらおう(・・・・・・)

「は?」

 

 全く挫けた様子のない播凰に、その発言に困惑する。

 何を言っているのか、と胡乱に播凰を見やるが、それも一瞬のこと。

 

「覇放……」

「ちっ、だから無駄だと――音放!」

 

 性懲りもなく再び詠唱に入った播凰を前に舌打ち一つ。

 笠井もまた、迎撃に移ろうと一拍遅れて詠唱を始め。

 

「――我執相呑!!」

「――共振波!!」

 

 再度、両者の術がぶつかろうとする。

 

 詠唱だけを聞けば、同じ術だ。

 一応、術自体は同じでもそれを行使する者によって――正確には術に内包される天能力だが――威力が変わるというのはあるが、今回に関しては術者もまた同じ。

 

 音で火を消すことができても、その逆は普通は(・・・)無い。

 もっとも、天能術に関してと注釈をつけるなら相手を大きく上回る天能力と強力な術でもあればその限りではないが、相性の壁を打ち崩すには拮抗した実力差ではまず無理。余程の差でもなければ、覆すことはできない。

 それが摂理というものであり、常識。

 

 で、あれば。

 二度目の術のぶつかりも直前の光景の繰り返しとなることは想像に難くなく。事実、笠井もそう思い込んでいた。

 

「なッ――!?」

 

 だがしかし、驚愕の声を上げたのは、他ならぬその笠井である。

 現実を理解するよりも前に、半ば反射的に口が動いたといっていい。 

 

 先の理論。

 あれは何も笠井が尖った考えをしているというわけではない。天能術に少しでも明るい人間ならば、むしろ即座に同様の結論を導くことだろう。

 その点からすれば、笠井は間違ってはいない。いない、のだが。

 

 あくまで、火と音がぶつかれば、の話である。

 そして此度に至っては、その常識すら通用しない。

 

「有り得ねえっ! 何で、テメエが音の術を――!?」

 

 何故なら、つまり三狭間播凰の術は断じて火を放つことなどではない。

 

 覇放(はほう)我執(がしゅう)相呑(そうどん)

 

 三狭間播凰に目覚めた、新たな、それでいて最初の術。

 覇の性質の天放属性にあたる術の効果、それは――。

 

 ――術者が直接その身に受けた天放属性の術を繰り出せる、というもの。

 

 とはいえ、いつまでも十全に扱えるわけではなく連発はできない。

 あくまで、一回きりだ。使った後は、今一度術を受けねば再行使は不可能。

 だが、それでも一度だけ。たったの、しかし確かに一度だけ、それは顕現する。

 

 音、という不可視であるはずのそれを直感的に看破できたのは、笠井自身もまたその使い手であるからだろう。

 そして、播凰の術はただ受けた術をそのまま繰り出すわけではない。

 

「っ、俺の音が、打ち負け……」

 

 異なるのは、播凰自身の力。覇の天能力が上乗せされたそれは、元の術をも上回る。

 さながら大きい音が小さい音を呑み込むかのように、播凰の音が笠井の音を打ち破った勢いのまま彼に襲い掛かり。

 ぐうっ、と苦悶の声を上げながら、笠井が片膝を突いた。

 

「くっ……一体何をしやがった!? 火の性質じゃなかったのかっ!?」

「違うと、そう否定したはずだがな」

「ふざけんじゃねえっ!! 詠唱は確かに火放(かほう)と――」

「うむ、言っているな。覇放(はほう)、と」

 

 冷静な状態であれば、戦闘中の状態でなければ、或いは聴き違えることはなかったのかもしれない。

 否、仮にそうであったとしても結局、聞く耳を持たなかったであろう。

 

 嗚呼、けれども酷な話ではある。

 覇の性質。

 秘匿こそされていないものの、一般的には広く知られておらず、歴史の中でしかその存在を刻まれていない伝説とも呼ぶべき性質。

 まさか眼前の小生意気な学生(播凰)の性質こそ、正にそれであるなど、想像もできまい。それは彼でなくとも同じ話だ。

 

 ……クソッ、クソッ!!

 

 笠井の耳にはもはや、播凰の言葉などまともに届いていない。

 不気味で、得体のしれない何か。

 彼の中で播凰はその存在を、認識を変えつつあった。

 

 ……何か手はねえか、何か!

 

 このままでは不味い、と笠井は悟っていた。

 銀色に光る杖を片手に、ゆったりと歩いて近づいてくる播凰。

 その姿に知らず寒気を感じながら、冷や汗を浮かべて視線を巡らす。

 

 ――左。大火球によって揃って崩れ落ちた二つの人影は、ピクリとも動こうとせず路上にその身を横たえている。

 ――右。一体どこまで飛ばされたのか、影も形も見当たらず人気がまるでない。

 

 いや、例え他の誰がいようが、あのやられ方を見るに自身で打破する以外に道は無かった。

 

 未だ披露していない他の術で打開するか?

 不協奏騒で足止めをするか?

 

 駄目だ、と笠井は頭を振り払う。

 何より未だ相手の底が見えない。折角掴んだかに思えた耐久力の謎も振り出し。そもそも火の性質だとしても、屈辱を味合わされたあの日(配信)、何をされたかの絡繰りの理由になっていない。

 いや、こうなってくれば効いていたと思っていた音の足止めも本当に効いていたのか怪しくなってくる。

 とどのつまり、疑心暗鬼。一手を間違えれば、詰みに繋がりかねない。だからこその慎重さを求められる。

 

 ならばどうする、とその汗が額から滴り、地に撥ねた――その時。

 

 ……あった。確実にその足(播凰)を止められる手段が、一つだけ。

 

 笠井の視線の先。徐々に距離を詰めてくる播凰の、その向こう側。

 ぶっ壊していたはずの、しかし窓ガラスの損傷のみに留まっている本来の目的――リュミリエーラ(喫茶店)。それが、目に飛び込んできた。

 

 この場から遁走するという選択肢は、そもそもない。

 それは彼の矜持が許さない。

 ならば、奴が護ろうとしている店を盾にするしか道は残されていなかった。

 

 ぐっと、狙いを気付かれぬよう、笠井は体勢を動かさぬまま足に力を籠める。

 播凰との距離は、まだ数歩の余裕があった。

 

 ……その油断、傲慢が、テメエの敗北だ。

 

 あのエリート気取り(東方第一生徒)らしい、と笠井は喉を鳴らす。

 走っていたならば、とうに到達していただろうに。しかし余裕のつもりなのか、歩いている。あのくだらない(・・・・・・・)先輩方(・・・)のように、劣っている人間はとことん見下しているのだろう。

 

「音溜・性質継承!」

 

 音の力を、自らの両足に集中。

 クラウチングスタートの要領で飛び出した笠井は、播凰には目もくれず、その先を目指す。

 両足を音と化させた今の笠井は、正真正銘の音速だ。

 速さに関していえば、これを超えられる性質はそうそうない。光、という圧倒的なそれには白旗を上げざるをえないが、その使い手なんざごろごろいやしない。

 

 故に、笠井は勝ちを確信する。

 想像通りの勝利ではないが、なんとかなると音速の最中に胸を撫で下ろして。

 

「――何処へ行く?」

 

 まるで、何事もないかのような調子だった。

 ふと傍らから聞こえたその声に、しかしぞわっと笠井の全身の毛が逆立つ。

 何故、という疑問はしかし口を衝いて出なかった。できたのは、パクパクと口を開閉させることだけ。

 

 そう、普通はいない。

 人間など言うに及ばず。地球上の全生物に関しても、人間以上の速度は出せようとも、音速で移動できる生物など。

 

 笠井にしても、術の発動があって初めてそれを可能としている。

 音にしても、光にしても、それは術によってその速度が叩き出せるのであり。土台、人間という種でどうこうなる問題ではないはずなのだ。

 

 詠唱は聞こえなかった。

 その、はずだった。

 

「――っ」

 

 だのに、振り返ったすぐ横。

 当然のように並走する播凰の姿を見て、笠井は息を呑む。

 それに留まらず、播凰は笠井の肩をむんずと掴むと、そのまま引き倒したではないか。

 

「……がぁっ!?」

 

 天能武装諸共、背中から地面に叩きつけられ、商店街の石畳から土煙が舞う。

 反動で、かけていたサングラスが吹き飛び、笠井の顔が露わになった。

 

「さて、最期に遺す言葉はあるか?」

「……最期、だぁ?」

 

 仰向けとなったその体躯を見下ろし、播凰が覗き込むようにしながら淡々と声をかければ。

 何がおかしいのか、くつくつと笠井は笑った。

 

「ハ、ハッ……ま、まるで、俺を殺すみてえに言うじゃねぇか」

「その通りだ。たった今、そう決めた」

「フン、できるのか? 甘ちゃんで、命のやりとりをしたこともないようなエリート学生様のくせに、人を殺せるのか?」

 

 息を整えつつ、笠井は目を瞑りながら揶揄い混じりに返す。

 自らの状況に目を背けているわけではない。それでも、彼には言うことがあった。

 

「あそこの連中のことはよく知ってんだ。自分よりも優れた奴には媚び諂い、劣る奴は唾棄する。気に入らねえ奴には、立場を分からせるだの練習相手になれだの、教師に隠れてこそこそして。そのくせ、最後の一線だけは絶対に越えねえ」

 

 播凰が黙ったことに気をよくしたのか、笠井は自嘲的な笑みを浮かべると。

 

「手を汚したくないだけか? いいや、違うな。そっち側の人間は、意識すらしちゃいねぇんだ。恵まれた才能に、環境。教師の目が届いた授業、試合。命の危機なんざ自分には関係ないと思ってやがる。遊びとして愉しんで、人を甚振っているだけ。そんな連中が、人を殺す覚悟を持っているわけがねぇ」

 

 どうだ、と笠井もまた播凰を見上げた。

 月は雲に隠れ、灯りは心もとない商店街の街灯のみ。その表情は笠井からは窺えない。

 

「……私は戦いこそ愉しむことはあっても、別段、殺しをすることに愉しみを見出してはおらぬ」

 

 そうら来た、と笠井は内心ほくそ笑む。

 結局なんだかんだいって、最後まで手を下さないのだ。

 所詮は、学生。その部分を擽ってやれば、容易く――。

 

「けれども、誰彼構わず殺しはしないが、刃向かった人間を殺すことに躊躇は無い。お主を生かしておこうものなら、今夜のようにまた余計なことをしかねんからな。味方ならば、我が国の兵ならばいざしらず、どうして敵を殺すことに躊躇しようか」

 

 雲間から顔を出した月が、笠井を見下ろす播凰のその顔を薄く照らす。

 

「そも、敵の首級をあげるは誉れなれば」

 

 月明りに浮かんだその顔は、無表情。そして充満する冷徹な殺意。

 そこでようやく、笠井は己が見当違いな認識をしていることを否が応でも理解させられた。本当に殺すつもりなのだと。

 

 ブゥン、と播凰が杖を振り上げる。

 それだけで、風が唸り。ギラリ、と銀色が鈍い輝きをみせた。

 

 ――殺される。

 

 笠井はただただそれだけを感じ。しかし、凍り付いた顔は 目は、吸い寄せられるように自身を狙う杖先を見て。

 いよいよ、その腕が振り下ろされようとした、その時。

 

 ――ヒュウッ!!

 

 突如、一陣の風が吹き抜けた。

 無論それだけで播凰の動きが止まることはない。

 何のことはない、ただの風。風の術が放たれたわけではないのだから。

 だからその杖が静止したのは、間違いなく別の要因にあったのだ。

 

「……あれは」

 

 ふわり、と風に舞って落ちてきた何か。それが、播凰の興味を引いた。

 地面に転がるその正体は、玩具の飛行機。播凰も配信で購入した、駄菓子屋で買える安い玩具。

 そういえば、と自身のようにどこかに引っ掛けて泣いていた男児を思い出す。その子供のものか、或いは別の誰かか。

 

『――ありがとうね、これで心残りは無くなったよ。最後に活気ある店が、商店街が見れた。それだけでもう満足さね』

 

 駄菓子屋のお婆ちゃん店主の言葉が、脳裏を過る。

 殺しが悪いもの、というより大衆としてはいい気分にならないことは知っている。愉しみを見出せないと言ったのも嘘ではない。

 なにせ、命を絶つのだ。生者は死者に成り得るが、死者から生者に成ることはない。

 

 ――そうか、この世界では。

 

 この世界に来た当初の、管理人の話を思い出す。

 人を殺すは原則、御法度であると。

 

 ふぅ、と播凰は息を吐き出し。

 振り上げていた杖を静かに下ろすと、短く言った。

 

「往け」

「……は、あ?」

「気が変わった。この地に免じ、殺しはしないでおく」

 

 しばらく茫然自失としていた笠井であったが、それが嘘ではないと察したのか。のろのろと立ち上がり、播凰の顔をまじまじと見る。

 

「仲間を連れて、さっさと去るがよい。……しかし、心して聞け。もしも三度、貴様が私の前に立ち塞がった場合――」

 

 播凰はそこで一度言葉を切ると、目線を笠井に合せた。

 

「――次こそは、間違いなく殺す」

 

 溢れ出る殺気。まるで心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った笠井は、声にならない悲鳴を上げてへたりこんだ。

 感じるのは、確かな重圧。空間が軋みを上げているかのような音を、確かに笠井は聴いた気がして。

 固まるより何より、恐怖が勝った。

 

 ――この化け物には関わってはならない。

 

 コクコク、とまるで壊れた人形のように笠井は首を縦に振ると、這う這うの体で播凰から少しでも遠ざかるように身体を引きずっていく。

 笠井が連れてきた最後の一人は結局何もしなかったが、まあ動ける人間が二人いれば何とかなるだろう。

 

 彼らから興味を失くした播凰は一人、リュミリエーラの閉ざされた扉前に腰を下ろすのだった。

 

 

 

「……あれは、流石に見過ごせんなぁ」

 

 とある建物の陰に身を潜めて事の始終を見届けていた小貫夏美は、額を手の甲で拭いながら独り言ちる。

 

「あの殺気、間違いなく只者やない。性質もそうやけど、一体綾ちんは何処であんなん拾って来たんや」

 

 無論、彼女の級友である紫藤がどうこうしたわけではないのは百も承知だ。

 が、軽口で多少気分を紛らわせなければやってられない。

 他人の殺気、それも自身に向けられたわけでもないにも関わらず体が震えたのはいつ以来だろうか。

 

 元より、ただの生徒以上に注目はしていた。

 だがそれでも今夜、小貫は播凰への認識を間違いなく塗り替えた。そうせざるをえなかった。

 

「――やけど、今ならまだ、ウチでも()れるはずや。明らかな弱点(・・・・・・)がある今なら、なんとか」

 

 本気で挑んでも、五体満足とはいかないだろう。下手をすれば相討ちがやっとかもしれない。

 だが、あの殺気はヤバイ。あんな殺気を放てる人間が、全うなはずがない。加えて、その力。あれがもしも、例の組織(・・・・)の手に渡ってしまえば――。

 

「…………」

 

 小貫の手に握られた天能武装、そこにあるのは両端に五つの鈷(・・・・)

 視線の先の播凰は、喫茶店の前を陣取ったまま空を見上げている。

 一見しただけではとてもではないが、あの殺気を放った同一人物とは結び付かない。

 だが、彼女の眼前で繰り広げられたのは確かな現実。

 

 ――まずは、奇襲で先手を。そのまま……。

 

「……止めや」

 

 ポツリと零した小貫の手から、すっとその天能武装が消失する。

 もしかすると、正しくないのかもしれない。後々後悔することになるかもしれない。

 それでも、小貫夏美は――。

 

「何で踏み止まったかは分からんけど、それならまだ間に合う。ほんなら、綾ちんの指導(・・)に期待する他ないなー、紫藤(・・)だけに」

 

 しょうもない駄洒落でくつくつと笑みを浮かべ。

 

「まったく、あの阿呆は死んでからも他人に口出ししよってからに。……折角こっちに来たんや、今度綾ちんを誘って墓参りでも行ったるか」

 

 ガシガシと頭を掻き、漆黒の空と雲間の月を仰ぐ。

 そうして、うしっと気合を入れるように拳を握り。

 

「気になる事はいくつかできたけども――ま、今は先輩として術を使えるようになったのを祝ったるわ」

 

 最後に今一度、ちらっと播凰を振り返り、その場を後にする。

 三狭間播凰の新たな術。その内容は、探の性質を持つ小貫にはお見通しだ。

 

 天能術と性質、その常識を覆すような効果。

 なにより、子供の駄々が具現化したようなその術。

 

 ――嗚呼、実に王様らしい術ではないか。

 

 

 

 ただただぼんやりと、空を仰ぐ。

 別に、頭上を見たいわけではない。その行為に理由などなく、強いて言うなら時間潰し。

 

 無いとは思っているが、件の連中が数を恃んで再び来ないとは限らない。或いは、笠井の制御下を外れた者、もしくはその裏にいる者達が。

 その懸念を完全に払拭できず、この場に残っている播凰であったが。

 

 ふと、その視線が地上へと戻り、傍らを振り返る。

 

「――隣、構いませんか」

 

 闇夜に紛れ、音もなく。彼のすぐ側にジュクーシャが立っていた。

 

「うむ、それは構わぬが……戦いは終わった。もはやここにいても仕方がないといえる」

 

 それに大して驚きもせず、播凰が鷹揚に頷けば。

 彼の隣に、失礼します、と腰を下ろしながら。

 

「でしたら、播凰くんは何故ここに?」

 

 ジュクーシャが柔らかい声で尋ねる。

 彼女の問いに播凰はちらと、店を――その無残に破壊された窓ガラスを見やり。

 

「ゆり殿には謝らねばなるまい。あの程度の輩に不覚をとり、窓を割られてしまったのだから。……何、夜明けまでまだ長いが、偶には無意味に夜空を眺めるのも悪くはないと思い始めていたところだ」

 

 直に飽きるだろうが、と微かに笑いながら再び夜空を仰ぎ、播凰は答えを紡ぐ。

 そうですか、と釣られるように少し笑った後、ジュクーシャもまた倣うように見上げ。

 一拍の間を開けて、その口を開いた。

 

「でしたら――少し、昔話にお付き合いいただけませんか」

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