三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~ 作:鷲野高山
事情を知らぬ者からすれば、調子外れともとれる、播凰のその口上。
されどその真意は、相対するジュクーシャに正しく届いていた。
――この俺に、そう易々と手傷を負わせられると思わないことだッ!!
他者を傷つけるためではないと拒絶したジュクーシャに対して、彼が持ち出した暴論。
侮り、とはまた違うだろう。かといって過信でもないはずだ。
破顔する口元、生気漲る目元から伺えるのは、圧倒的な自信。
今のジュクーシャには――只人となりし彼女には持ち得ない、己という存在に対する揺ぎ無き信頼だった。
「…………」
無言のまま、しかし微かにジュクーシャの表情が動く。
まず受けることで己が頑丈さを示し、憂いを断つ。播凰がその腹積もりであることは、分かる。
とはいえ、無抵抗に、無防備に仁王立ちする相手に一撃を入れること。それが如何に相手方からの提言であったとて、すんなりと頷けるかとなると別であり。
だが、ジュクーシャとて単に押し切られたからこの場に立ったわけではなかった。真に拒絶するならば、否と言えた。事ここに至り、やはり止めようと諭すつもりもなければ、手抜きに手抜きを重ねて相手の気力を削ごうというつもりもない。
彼女もまた、ある種の覚悟を以て播凰の誠心に応じ、ここに立った。
なればこそ、その思いを汲み。
「……何者でもないこの不肖の身であるが故、ご期待に沿えないかもしれませんが――四柳ジュクーシャ、参ります」
言葉と同時に、左足を踏み切る。
小細工など不要。悠然と待ち受ける相手とあらば、こちらもまた真っ向から正道をとろう。
姿勢は低く、しかし両の足は地面から完全に離れ。まるで宙を滑るようにジュクーシャは播凰に肉薄する。
元々の彼我の距離というのは大したものではない。常人以上に鍛え上げられた彼女の肉体をすれば、一足飛びに床を強く蹴り付けるだけで、間もなく届く。
だが、距離を詰める速度と攻撃は全く別の問題。当然ながら、到達が早ければ早いほどに、攻撃を仕掛けるための予備動作にかけられる時間は減ってしまう。勢いは味方となりこそすれ、それ単体では成立せず、攻撃あってこそ初めて意味を為す。
そんな中にあって彼女が見せた動きは、右腕を、その掌を前に出すことであった。
構えらしい構えはただそれのみ。後ろどころか、腰だめですらなく、よりにもよって体の前。
ともすれば、反動をつけるためのものか、または形を変えて牙を剥くか。いずれにせよ、大きく動きを見せねばその右腕は脅威足り得ないように思われるだろう。
だが、彼女はその右腕を殆ど動かさなかった。
ならば、やはり力を振るうことをよしとせず手を抜いたか。否、そうではない。
刹那。
パァンッ! と、まるで破裂音の如き大きく衝撃を伴う乾いた音が響き。
直後、播凰の身体が仁王立ちの体勢そのままに――その足が地面を強く擦り、後退する。
「――うむ、身体を動かされる程の一撃を貰ったのは久しぶりだ!」
「……末恐ろしいですね。その若さで、よくぞそこまで」
強烈な摩擦により足元から微かな白煙を立ち昇らせながら、苦悶に顔歪めることなく快活に笑う播凰に対し。驚きと称賛の響きを含ませながらも冷静にジュクーシャが返す。
本来は、大の男でも吹き飛び、壁に叩きつけられていたはずだ。にも拘らず、ジュクーシャよりも年下であり、まだ少年のような幼さが少しその顔立ちに残る齢。未だ成長過程のはずの肉体で受けてその程度で済まされたという事実に、いい意味で呆れさえ覚えてしまう。
播凰を、彼自身が意図せずにその身体を後方へと押しやったその一撃。
動いたのはジュクーシャの右腕自体ではなく、その先にある手首。掌の下部。
無手、武器を問わず、攻撃と名のつく大抵の技ではテイクバック――つまりは威力、力の伝わりを効果的とするために相手に対して自身よりも後方或いは脇腹の軸を始点とし、拳を突き出すなり刃を振るうこととなるが。
中には大きな構えや予備動作を必要とせず、十分でない間合いにおいても活きる技がある。
重要なのは、瞬間的なインパクト。足先からの重心移動と腰の捻りを活かした、手首のスナップによる打撃。
掌底打ち。今しがたジュクーシャが放ったのが、それだ。
威力という点では拳に劣るが、手首を傷めにくいという利点がこの掌底打ちにはある。
モンスターや魔族、時には悪人との戦いの中。基本的には剣を手に戦ったもののそれだけに頼らず、特に乱戦において、いかに隙を作ることなく立ち回るかの末にジュクーシャが会得した、技術である。
「よしよし、では私から行かせてもらうぞ!」
そして掌底とは、単に攻撃だけではない。
愉しそうに笑って突っ込んでくる播凰を、ジュクーシャはその場から動かずじっと待ち受ける。
放たれたのは右の正拳、中段突き。言葉にすれば何の変哲もないそれだが、スピードは尋常でない。
直接対峙するのはこれが初めてだが、播凰の戦闘力というのは以前にジュクーシャはその眼で直接見ている。スピードだけでなくパワーも内包しているのは明らかだ。
ジュクーシャとて鍛えた力にはそれなりの自負はあるものの、女性という性別上、身体構造での男性との筋力差というものはどうしても存在する。
そんじょそこらの一般男性ならともかく、ドラゴンすらその身体能力を以て圧倒した播凰を純粋に拳で迎え撃つというのはリスキーでしかない。
故に、馬鹿正直に正面から止めるのではなく。伸びてきた拳を側面から掌底で叩き、受け流す。
タイミングを誤れば致命的だが、ジュクーシャとて戦いの場数を踏んできた戦巧者。加え、彼女が得意とするのは速さであった。
迫る一撃一撃を、大きく弾くことはできないが。見切り、僅かなりとも軌道を逸らせさえすれば、後はその身軽さを以て躱すことを彼女は可能としていた。
播凰の拳とジュクーシャの掌底がぶつかり合う接触音が。二人の床を蹴りつける力強い鳴動が。
折り重なり、幾度と繰り返し室内に反響する。
「ほぅ、受け流すか!」
一転して攻勢をかける播凰に対し、守勢に回る形となったジュクーシャ。
「見込んだ通り、楽しませてくれる! ……むっ?」
自身の拳が相手を捉えきれていないというのに、むしろ嬉しそうに笑う播凰。その体勢が、直後崩れた。
掌底で播凰の攻撃を捌いていたジュクーシャが、数度の交差の後、身体を沈み込ませたのである。
かけたのは足払い。突きによる踏み込みで重心が傾いた直後を狙った形となり、綺麗に決まった。
笑みを浮かべたまま、両足を宙に浮かし上体を地面へと落下させていく播凰。
そんな彼に容赦なくジュクーシャはそのまま追撃をかけようとするが。
「――っ!」
ふと感じた、寒気。
己の直感に従って、咄嗟に片腕を頭上に掲げれば。瞬間、少しでも気を抜けばそのまま持っていかれそうなほどの衝撃が、掲げた腕に伝わる。
受けていたのは、脚だ。足払いによって体勢を崩したはずの播凰の、その身体を反転させながらの蹴りがジュクーシャの頭上を急襲したのだ。
後方に跳び退ることでその勢いから逃れるジュクーシャであったが、蹴撃を受けたその腕はジンジンとした熱を放っている。
「素晴らしいボディーバランスです」
視線の先、無様に身体を横たえることなく地に手をやって軽やかに着地する播凰に、ジュクーシャは賛辞を贈る。
筋力を恃んだ、力任せなだけではああは動けないだろう。
頑丈さにパワー。加えて、バランス感覚と柔らかさも併せ持つというのだから、恐ろしいものである。
「そちらの見切りも大したものだ。受け流されるならばそれもまた良しとしていたが、まさか全て当たらぬとはな!」
「それは恐縮ですが……」
ジュクーシャの見た所、播凰はまるで息を乱しておらず、かなり余裕がある。
攻撃に関しても、あまりに安直だった。なにせ、フェイントや他の部位による攻撃などを織り交ぜることもせず、ひたすらに正面からの拳の連打という単調さ。
それも、当てることに躍起になっていたというより、むしろ受け流されることこそを痛快として楽しんでいた節がある。
そんな彼女の何とも言えないような視線に、播凰は頭を掻いて。
「うむ、すまぬ。こうしてのびのび身体を動かすのが、それもすぐに倒れぬ実力者を相手にできたことが久方ぶり故、つい嬉しくなってな」
「いえ、責めているわけでは。……こちらも、このような場に立つのは久しぶりですので、気持ちは分からないでもありません」
「なんと、このような場所を知っていたのにか?」
「はい、ここを使用したのは数える程ですし、以前に使用してから少し間も空いています。今は店舗移転のためにお休みですが、普段は日中に働いていますのでそのようなこととは縁遠いですしね。……戦うことを考えずに日々を暮らせるというのは、良きことです」
しみじみと呟いたジュクーシャは、少しばかり目元を緩める。
前の世界では戦いの日々であったものの、この世界での生活においてはほぼほぼ無縁といってもいい。
だが、基本的にはゆりのお店で働き、相手にするのは敵から客へ。握る刃とて剣から包丁に、向ける対象も悪から食材へと変わった。
魔の脅威に怯えて生活する人々の顔を見ることもなければ、命を散らす瞬間を見ることもない。
完全に事件がないというわけでもないようだが、それでもジュクーシャの元いた世界よりは格段に平和で、だからこそ戦う機会も必要性もなかった。
「手合わせを受ける折に大層なことを言いはしましたが、少々鈍っておりますので……実力が伴っておらず、申し訳ありません」
「いや、何ら恥じることはない。軽い手合わせとはいえ、それでも私の動きについてこれる者はそうはいなかった」
誰かを傷つけるためでも、誇示するためでもなく。ただ、魔を討つために。
それを理由に、一度は播凰の申し出をジュクーシャは断ろうとした。だが、考えてみればなんとも上からの言い種だ。これでいざ醜態を晒していたならば、無様でしかなかっただろう。
そのことを今更ながらに謝れば、播凰は首を横に振って。
「それにしても――身命を賭した争いを考えることのない日々、か。以前までは想像もつかなかったが、存外、そのような世界もあるものなのだな」
「……はい」
ジュクーシャとは異なり、播凰の通う学園では一応、生徒同士で戦うことこそあるものの。それも、互いの生死を懸ける程ではない。
ジュクーシャであれば、モンスターや魔物が。播凰であれば、敵国の兵が。
それら命を脅かす存在のない、平和な日常。その実在を、彼らは今、身を以て味わっている。
各々の出身世界は別であり、思い浮かべることこそも別物だが、感慨は等しく。
対峙する反面、それを否定とまではいかないものの、似つかわしくない空気が流れ。
「そうだ、折角の機会です。剣を振るうことができない代わりと言っては何ですが、播凰くんには私の世界の術――魔法をお見せしましょう」
「ほぅ!?」
穏やかな笑みを浮かべたジュクーシャに、播凰が被せるように喰い付いた。
――――
「――さて、どう見た? 暗殺者の君よ」
アマゾネスの女が、オークの男――鬼三に問いかける。
ころころとした童のような、それでいてなまめかしい成熟さを併せ持った女の顔。
そのエキゾチックな美しい黒肌も相俟って、一たび街に出れば道行く人々の視線を釘付けにするであろう、その妖しさに。
「……変ワリ者ダナ」
心動かされることなく、端的に鬼三は告げる。
そう、変わり者だ。
片や、オークという種を知らずして尚、異形に微塵とも恐れを抱かず。
片や、オークという種を知っていて尚、硬くとも融和の姿勢を見せた。
いくら無害だと伝えたところで、そう主張する第三者があったところで、耳を傾けぬ者はいる。そんな人間はざらで、だからこそ両者の態度は異質だった。
「クハハ、オークたるその身を理由に邪険とされなかったことが、余程嬉しかったと見える」
「…………」
「冗談じゃ、そう睨むでない」
ジロリと瞳だけを横に動かして睨む鬼三に、しかしアマゾネスの女はからからと柳に風。
そんな両者のやり取りを聞く者は他にない。
不和による問題は生じなさそうと見て取ったのか、管理人はいつもの特徴ある間延びした声で、業務に戻ると既に去っている。
このフロアへのボタンの関係上、降りてくる時には管理人の同乗が必要だが、戻る時は不要なのだ。
「にしても変わり者、正しくその通りよのぅ。全く、この妾をモンスター呼ばわりしおって」
ぶつくさと文句を垂れながら、アマゾネスの女が眼下の播凰に向けて目を細めれば。
それに倣うわけでもないが、鬼三もまた話題の元である彼に目をやる。
――威がある。
一見して、それを感じた。
漂ってきたのは戦場のにおい。成人に未達と言える容姿の範疇にありながらも、疑う余地のないそれは、少しばかり身を離していたとしてそう簡単に消えるものではない。
事実、傍目からは明らかに激しい動きをしながらも、愉しそうな余裕のある面持ち。
軽い手合わせなどと宣っていたが、あくまで当人達基準だ。少なくとも、そういったことに場慣れしている自身からすらして、あれは軽く身体を動かす程度で済む話ではない。
「……マア、ソモソモ立チ位置ガ異ナル」
「ん? ああ、それはそうじゃろう。王と勇者なぞ、妾達とは対極の存在じゃろうて」
独り言に、アマゾネスの女が反応する。
鬼三からすれば、接近戦の心得こそありすれ、ああいう真っ向からのぶつかりなど極力避けるべき事態だ。その場に引きずり出される、若しくは縺れ込まされた時点で失策、撤退すら視野に入れる。
遠距離からの狙撃、不意を突いた奇襲、毒物等にはじまる道具を用いた搦め手。
鬼三が――オークの暗殺者たる彼が得意とするは、それらであった。
正々堂々と対峙し、相手を見据える。
戦い方だけではない、その心構えもが真っすぐで正直。腹に一物もないとは言うまいが、見せかけだけではああは振舞えまい。
裏表のない、とでも形容すればいいのだろうか。確かに、対極というのも過言ではない。
……裏ガ見エナイト言エバ。
鬼三は、傍らに立つアマゾネスの女を見やる。
感覚で分かる。王と勇者、かつて表舞台に立っていたであろう彼等と違い、自らと同じく裏の世界に生きてきた同類。
あちらが鬼三を暗殺者と呼ぶように、鬼三もまた女のかつての身分に見当がついている。
――間諜。
派手な装い、本人が自賛する美貌に目が行きがちだが、彼女の正体は恐らくそれだ。
さて、間諜と一口でいえど、その役割は様々ある。
即ち、五間。
一つに、敵国の郷里に住まわせる、郷間。
二つに、敵国の官界にて活動させる、内間。
三つに、敵対する間諜に潜ませる、反間。
四つに、敵のみならず味方すら翻弄し欺く、死間。
五つに、探った情報を持ち帰らせる、生間。
たかが間諜と侮ることなかれ。それら総てが捕捉されることなく一斉に用いることができれば、君主にとってはこれ以上ない力、金で買えぬ宝となるとされる。
諜報活動と聞き、大多数が真っ先に思い浮かぶことが多いのは最後の生間であろうが。この女はいずれの任を負っていたのか、或いは――。
「どうした、暗殺者の君よ。そう情熱的に妾を見つめて」
「…………」
鬼三に振り返ったアマゾネスの女が、ニヤリと唇の端を持ち上げる。
つい数瞬前までの考えを破棄し、彼女を無視して踵を返す鬼三。
エレベーターへと向かう一本道、後方からヒールの音が追いかけてきた。
「なんじゃ、戻るのかえ?」
「見ルベキモノハ見タ。コレ以上長居シテ巻キ込マレテハ適ワナイ」
「ふむ、であれば、妾も夜まで一眠りといくかの」
「…………」
「それといい加減、酒を飲みに来てくれてもいいんじゃぞ? VIPルームならば、その外套を纏わずともよいからのぅ」
「行カン」
「クハハ、やはり釣れないのぅ。この世界の酒も中々いけるというに、勿体ない」
王であれ勇者であれ、今は同じくここの住人だ。
かつては意味を為さず、上下関係などない。
接触は強制されるものではなく、手段があれば他の住人との不干渉を貫くことも恐らく可能だ。
けれどまあ、嫌な気分はしなかったと。
そんなことを思いながら、次いで、自身の後ろを着いてきながら軽口を叩く女のことを考える。
アマゾネスの間諜。
正直な話、武勇を誇り好戦的とされる種族である彼女達のイメージに似合わない。
命じられたのか、或いは自主的か。どちらにしろ、どうしてそうなったのか。
そんなことを考え、ふと鬼三は鼻で笑った。
オークでありながら暗殺を主としてきた自分もそうとやかく言えることでもなく。
何より、この世界への誘いを受けた時点で、我々はそれを手放しているのだと。
話の展開がちょっと遅いですが、必要な部分でして。。
次で一旦最強荘パートは終わる予定。
学園パート→配信パート→……と続きます。