三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~   作:鷲野高山

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30話 有形と有声

「……やはり、短時間の展開とはいえ空印刻色は天能力の消費が大きく、集中も必要か。もっと自在に扱えるよう精進せねば」

 

 勝って当たり前の相手に、当然のように勝った。否、そもそも戦いと言えたかすら怪しい。

 故に、叶徹にとって重要だったのは勝利を噛み締めることではなく。自己をより高めるために気を引き締めることであった。

 

 天能術における天介の属性。放つ(天放)でも溜める(天溜)でもない、場そのものを対象として発動するそれは。他の二属性と同じく術の質もさることながら、加え範囲が大きくなるにつれても見合った代価――即ちそれに応じた天能力が必要となる。

 そのため、最低でも(・・・・)空間の大部分に影響を与える空印刻色という括りの術は、発動するだけでも多くの天能力を消費するのだ。もっとも、発動後も術を継続している間は天能力が消費され続けるのだが、発動時そのものに比べれば少ない。無から有にすることと、有を維持することの違いである。

 

 とはいえ、もはや空印刻色を継続している意味はないと。叶は術を解除し、大きく深呼吸をする。岩の丘は現れた時の逆再生のように、ズズズッと段々に沈降。幻覚の如く、最期は揺らめくように忽然と虚空へ消え失せる。

 ただ一つ、空印刻色とは別の術による、物言わぬ岩塊を残して。

 

 元通りとなった施設の平らな床を踏んだ叶は、トンと手中の杖を地面に突く。試合の終了は、その合図をもってして。けれど、それはどういうわけかいつまで待ってもかかることがない。

 故に、動く様子の無い観客席を訝し気に見上げ、口を開く。

 

「……矢坂先生? 何を期待してたかは知りませんが、結局はご覧の通り僕の圧勝です。試合終了の合図を――」

 

 その、最中。叶のすぐ目の前を何かが勢いよく飛来し、駆け抜けた。

 顔面に感じた一陣の風に、言葉を紡いでいたその口は思わず止まり。ほぼ同時に、四方八方から何かがぶつかったような衝突音が木霊する。

 半ば反射的に眼前を過ったものを視線で追った叶が見たのは、壁際に漂う薄い土煙。

 壁にぶつかった影響か、それはもはや粉々となり原型を留めていない。が、それが自身の放った岩の残滓であると、術者たる叶は直感的に理解し。

 

「――待て待て、何を勝手に終わらせようとしているっ!」

 

 次の瞬間、緊張感の欠片もない無駄に元気の良い声が、場内に反響した。

 聞いたのは今日初めてだというのにもはや聞き飽きたという印象を抱かせる声。そしてもう今後聞くことは無いだろうと思っていた声。

 それが耳に届いた叶は信じられないといった面持ちでバッと振り返り、そして瞠目した。

 

「なっ、どうし、て……?」

 

 無事であるのか、という言葉までは喉から先へと出ることはなかった。それほどの動揺。

 何故ならばそこには、何事も無かったかのように三狭間播凰だけが立ち。彼を覆っていた岩塊は影も形も見当たらなかったのだから。

 

「うん? どうして、とな? ……ああ、すぐに出てこなかった理由だな!」

 

 最初こそ、むしろ叶の反応こそがおかしいとでも言うように首を捻る播凰だったが。

 直後、自分なりに解釈したのか快活に笑みを溢して。

 

「うむ、実はてっきりまだ何かあるのかとワクワクしながら岩の中で待っておったのだが……しかし、お主の言葉を聞いて慌てて飛び出してきたというわけだ。いやあ、よもやあれで勝ったと思われる可能性など考えておらなんだ!」

 

 照れくさそうに、それでいて能天気にそんなことを宣う。

 よりにもよって、何が起こるのか楽しみに待っていた、である。(もが)いた末に力を振り絞りなんとか脱出した、と言われた方がまだマシだっただろう。

 そしてこれには流石に、外野からの突っ込みも入った。

 

「クハッ、言うに事欠いて追撃を待ってたときたか。おい二津、お前の兄貴とやらは中々ぶっ飛んでやがんな」

「あはは……」

 

 喉を鳴らすように笑う矢坂に、辺莉は笑うしかない。

 そして肝心の術者当人である叶は。そういうことか、と理由を聞いて腑に落ちる……わけは当然ない。

 そもそも、彼には播凰の言葉などまともに頭に入ってすらいなかった。いや、仮に入っていたとしても、次にかける言葉はさして変わらなかっただろう。

 その最たる理由が。

 

「――有り得ない、術を発動した気配は感じなかった。いや、仮に発動したとて、生半可な術ではあれに巻き込まれて平気でいられるはずがない! 何をしたっ……!?」

 

 無傷。目立った外傷はなく、播凰がピンピンとしていること。

 百歩譲って、だ。これがもしも、もしも身体のどこかを手で押さえているだとか、足を引きずっているだとか、そうした様子が見られれば叶はここまで声を荒げることはなかった。いや、すんなり受け入れられはしなかっただろうが、少なくとも運良く助かったか等と渋々ながらも勘案する余地はあったのだ。

 

 が、そうではなかったから叶にとって大きな問題なのである。

 よしんば強がって虚勢を張ったとて、どこかに綻びは出るというもの。

 それこそ、一瞬だけ痛みに顔が歪んだり、負傷した箇所を気にする素振りや仕草があったり。けれど、そういった所作すら見受けられず。

 出血、流血といった誤魔化すことのできないそれらすらない。自身の術を受けたにも関わらず、だ。

 そんな叶の怒声のような詰問を受けた播凰は、困ったように眉を下げて。

 

「何をした、と言われても受けただけだが。岩であれば毅の術を受けたことがあるが、結局はただの岩と変わりないようだからな」

「ふざけるなよっ!! 何もせずに僕の術を受けて無事だったとでも言うのかっ!?」

「ふむ、何もせず(・・・・)……何もせず(・・・・)、か。そう言われると少し話は変わる。……ついでだ、お主の認識を正しておこう」

「……やはりタネがあるようだな。それに、僕の認識だと?」

 

 播凰の浮かべていた笑みが、消える。溌剌とした元気は一瞬の内に鳴りを潜め、表情に理知的な色が宿った。

 いっそ不気味ともとれる変容。

 まるで己の術が無意味だったと言われているに等しく、到底その言い分を受け入れられず気炎を上げていた叶であったが。

 その空気の変わり様にあてられてか、或いは何か仕掛けがあると聞き無意識の内に安堵したのか。まるで合わせるように自然と、耳を傾ける姿勢に入る。

 

「率直に言えば、私は才覚溢れる――つまり、周囲から才を期待されるような人間ではない」

「……まあ、もしもそうだったならば、H組にいるはずないだろう。別に、認識は違わないが」

「うむ……」

「……何故落ち込む。自分で言い出したことだろうに」

 

 その宣言は、叶からすれば見た通りの、つまり彼の想像を覆すに値しないもの。故に、何を言うかと思えばと怪訝そうに現実を突きつければ。

 しゅんとしたように、顔を少し俯かせる播凰。まるで暗にこちらが悪いのではと多少なりとも思わされる落胆ぶりだ。

 罪悪感にかられたというわけでもないが、単に肯定しただけだというのに何故そうなると、叶は口に出さずにはいられなかった。

 

「いやなに、改めて思い知っただけだ。身近な者――特に血の繋がりの薄い(・・・・・・・・)我が妹などは才知に富み、愛されていてな。きっと私と違って上手くやるであろう、と」

「……っ」

 

 能天気さは陰り、感情を掴ませない播凰の声に。思わず、こちらを観ている辺莉にチラと叶は視線を投げる。

 

「いやぁ、照れちゃいますなー」

「…………」

 

 その頃、叶の視線を受けたその当人は、ニヨニヨと言葉通り照れくさそうにしながらも嬉しそうにしていた。

 その横にいた麗華は、無言で彼女を見ている。考えあぐねるような、声をかけるべきかどうか、といった表情だろうか。

 

 確かに二津辺莉は青龍に所属できるほどの中等部の有望株。

 その天能の性質は珍しい上、実技勉学ともに成績優秀であり。天戦科としても武戦科としても活躍が期待でき、両科が密かに水面下で勧誘争い――無論どの科に進学するかは当人の希望次第だが――を繰り広げるほどの逸材だ。

 高等部に進学しても、どちらの科であってもほぼほぼ間違いなくトップクラスに振り分けられ華々しい道が開けているのは想像に難くなく、H組とは比べるまでも無い。

 とはいえ、思いがけず出てきた関係性を示唆する単語に複雑そうな面持ちを作った叶であるが。続く顔を伏せたままの播凰の言葉は無視できないものであった。

 

「とかく、残念ながら私には天能術の才はないようだ。そして、頭の才能とでも言うべきか。あれこれ覚えたり考えたりするといったことも苦手で……早い話、私は頭もよくない。にも関わらず、私を担ぎ上げようとする者達には随分と困らせられたものでな。もっとも、結局最後は放り出してここに立っているわけだが」

「……何を言っている?」

「ああ、話が逸れたな。――けれどしかしながら、どうやらそんな私にも、一つ。幸いにも恵まれていたものがあったらしい」

「一応は聞いてやろう。何の才能があると?」

 

 戯言だと頭では切り捨てながらも、けれど自身の術に倒れていないのは事実。

 思考と現実、相反するそれらを踏まえ。最終的に叶は話に乗り、問いを投げた。

 しかして、うむ、と鷹揚に頷いた播凰の口から紡がれたのは。

 

「つまり――肉体の才能だ」

 

 しん、と場が静まり返る。

 叶は胡散臭いものを見るように、数回ほど瞬きをし。同じく胡散臭そうに確認するような声を上げた。

 

「肉体? ……まさかとは思うが、生まれつき丈夫だから無傷だった、とでも言うつもりか?」

「うむ、正確に言えばその上で己を鍛えた結果だな。故に、何もせずではないと言ったのだ」

「……はぁ、手の内を伏せたい気持ちは分からんでもないが、あまりにも言い分としてはお粗末だ。隠そうとするならそれでも構わないが、正しい知識を持った人間なら騙されはしないことを知るべきだな」

 

 まともに聞こうとしたのが間違いだったと言わんばかりに、やれやれと叶は頭を振る。

 そしてまるで出来の悪い生徒に言い聞かせるように。

 

「いいか、確かに世の中には常人離れしたことのできる人間は存在する、それは事実だ。例えば目にも止まらぬ速さで動き回れる者もいれば、尋常でないパワーを発揮できる者、普通なら致命傷となる攻撃を受けて尚平然とする者と様々にな。一場面だけを切り取れば、ただその身一つでそれだけのことを為しているように見えるかもしれないが……しかし彼等はその尽くを天能術の発動――主に天溜属性の術を以て自身を強化することで、初めて可能としているのだ。決して、純粋な己の肉体、身体能力だけでその異常性を発揮しているわけではない」

「…………」

「とはいえ、術を受けたからといって必ずしも負傷に繋がるわけではないというのは否定しない。低威力の弱い術などは特にそうだし……まあ、後はお前の言った通り、天能術に限らずだが自身を鍛えることである程度の耐性ができないこともない。そうでなければ今頃、治癒の術があったとしても、この学園は毎日のように負傷人が続出していただろう」

 

 播凰の言を一理あるとしたのも、束の間。

 ただし、と。叶はより一層にその先を強調する。

 

「僕が放ったのは、低学年や下位クラスの生徒の使うような弱い術でなく――それこそ、H組の生徒など一瞬で行動不能にできるような術。岩による物理的な攻撃術だから天能力による抵抗(レジスト)で退けることもできず、躱せなくば術での相殺や防御、自己強化するしかない。武戦科のように術よりも身体に重きを置いている生徒とて、百歩譲って天能武装で弾くなどするならまだしも、生身のまま無傷で凌ぐなど到底不可能だ」

 

 つまり人間という種の限界。

 ただの人の身ではあれほどの数の岩を、それも勢いのあるそれらを受けて無傷でいられるわけもない。

 仮に運よく掠った程度だとしても、荒れた岩の表面は皮膚を傷つけるだろう。

 叶以上の術者など世の中に珍しくはないが、自身の術然りその者の術然り、対応できる者はいてもそこには必ず別の要因がある。断じて、無抵抗にその身で受けられるわけではない。

 大体、と叶は播凰の姿を足先から上へと一通り眺めるようにして、軽く鼻を鳴らす。

 

「そもそも肉体を鍛えたとは言うが……僕にはあまりそうは見えないな。ひ弱とまではいかないが、標準的な体格の域を出ないだろう」

 

 時に、筋肉は鎧と形容されることは、まあある。

 が、そもそもからして鍛えたと主張する割に播凰の外見は特筆するべきものもなく凡庸で、屈強な大男というわけでもない。

 まだ主張と外見が一致していれば、前言を覆すほどではないものの信憑性はあったというのに。

 そう結んだ叶は、体型の観察ついでに図星を突かれたその顔を見てやろうと視線を上げ――けれどギョッとした。

 

 爛々と、その瞳が輝きに灯っている。

 先刻までの消沈ぶりが嘘だったかのように。

 

「はははっ、久方ぶりの反応だ。いっそ懐かしさすらあるが――まあ、そんなことは今はよい。それよりも、つまり一般的に、お主から見て。仮に術込みであったとしても、異常とも言える力を肉体に宿すほどの強さを持った人間がこの世界にはいる。そういうことだな?」

「…………」

「答えよ。いるのだな?」

「……あ、ああ。それはそうだが……」

 

 痛いところを突かれて押し黙るでもなく、あれこれ言い訳をするでもなく。重要なことを確認するかのように一歩、播凰が踏み出した。

 彼我の距離はまだまだあるとはいえ、面喰らった叶はその催促に皮肉の一つを口にする余裕もなく素直に頷いてしまう。

 それを聞いた播凰は、カラリとした笑みを浮かべた。

 

「うむ、それを聞いて安心したぞ。天対(てんたい)とやらという組織の者と手合わせした際には、そこに凄い者がいるという話は聞いたものの、何が凄いのか詳しく聞くのをうっかり忘れていてな!」

「は? ……待て、僕の聞き間違いか? 今、天対の人間と手合わせをしたと言ったか?」

「ほぅ、お主も知っておったか、どうにも有名らしいな」

「有名もなにも、むしろ知らない方がどうかしているっ……! 天対は、四校をトップクラスの実力で卒業した生徒ですら容易く入ることのできないとされる、エリート中のエリートの証。なにより――僕の将来目指す先だ」

 

 天対。正式名称を、天能術を用いた重犯罪対応特殊部隊。

 役割はその名の通りで毛色としては警察組織と似た立ち位置でこそあるが、それとはまた独立した治安維持のための組織。その重要性から、特別な権限も与えられているとされている、実力者集団。

 そんな場所への所属を目指している、と胸を張りながら言う叶であったが。

 そうした態度を見た播凰は、ふと顎に手を当てた。

 

「ふむ、お主の将来……ああ、そういえば、将来どうかと誘われたな。確か推薦がどうとか言っていたか」

「っ、推薦っ……!?」

 

 有り得ない。その言葉を、今日だけで何度胸中で繰り返したことだろうか。

 普通に考えれば、トップクラスの卒業生すら容易でないそこが、現状でH組に身を置く落第生を評価するわけもない。本人が勘違いしている方がまだ真実味があるというもの。

 だが、その有り得なさが、今回は逆に叶の気持ちを落ち着かせた。

 

「……もういい、お前と話していると調子が狂って仕方ない」

 

 無駄話はここまでだ、と。

 ふーっ、と大きく、そして長く息を吐き出してから、吸い。かき乱されていた感情を整え。

 

 ――岩介・巨兵創造

 

 叶のすぐ前に、無数の大きな岩が浮かぶように出現する。

 規則性の無い並び。しかして次の瞬間にバラバラだったそれらは独りでに動くと徐々に繋がり合い、最終的に一つの形を造り出した。

 

「もしもお前は違うというのなら――力を示し、証明してみせろ。それで全てハッキリするはずだ」

 

 ドスン、と鈍い音を立てて地に降り立ったのは。人間の何倍もの背丈のある大きな影。顔の部分はのっぺらぼうであるが、人の姿を模し。両足に両腕、胴体に頭と全身が岩で構成されたその姿は正に岩の兵士。例え筋骨隆々と表されるほど鍛え上げられた腕とて、その太さを前には霞むことだろう。

 二人の間、播凰に立ちはだかるように佇むそれのすぐ後ろから、叶が吼える。

 

「この岩の巨人を突破しなければ、お前に勝ちはない。避けて通ることなどできないぞ!」

 

 見上げるようなそれに目を輝かせていた播凰であったが。

 その叶の言葉に、ふと岩の巨人から視線を外して悠然と微笑んだ。

 

「いい啖呵の切り方だ、少しお主を見直したぞ。故に、これだけは言っておこう」

「…………」

「微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命を為す」

「っ、詠唱……ではないな。なんだ、それは」

 

 聞き覚えのない、流れるように紡がれたそれにピクリ、と一瞬身を震わせる叶であったが。

 それが天能術の詠唱でないことを悟り、憮然として問い質す。

 

「どちらが見つけてきたのかは忘れてしまったが。書庫から見つけてきたどこぞの兵法書に載っていた、その一節らしくてな」

「……兵法?」

「うむ。つまり、敵のいないところを進み、敵の守っていないところを攻める。戦いの極意とは形も無く音も無く、虚にして実、実にして虚なのだそうだ。もっとも――正直、私もあまり理解できておらぬが」

「……ならどうして言ったんだ」

 

 いけしゃあしゃあと臆面なく言い切った播凰に、叶は思わず脱力する。

 心なしか、岩の巨人もそれに連動したようにその大きな肩のような部分を落とした――ような気がしなくもなかった。

 

「――孫子の兵法、だね」

「そんし?」

「昔の中国の有名な兵法書、またそれを記した人物でね。三狭間君の言った部分を簡単に補足すれば……」

 

 そんな苦笑するであろう光景を、しかし愉快そうに眺めていた雲生塚の口から出た言葉に。辺莉は思わずその顔を見て、聞き返す。

 短く頷いた雲生塚は、少し考えを纏めるように、一つコホンと咳払いをして。

 

「移動で疲れが少ないのは敵のいない場所を進むからであり、攻撃すれば成功するのは敵の守らない場所を攻めるからであり、そして守りが堅いのは敵が攻めない場所を守るからである。よって、攻めが上手い人相手にはどこを守っていいか分からず、守りが上手い人相手にはどこを攻めていいかが分からないもの。即ち、微妙の極致とは無形にして、神妙の極致とは無声なり。これによって戦いの主導権を握り敵の生死を握る、という感じだったかな」

「ほえー……」

「なんだァ、名家ってのは兵法も必修科目なのか? まさか、ドンパチやらかそうってわけでもあるめぇし」

「ふふふっ。さぁ、どうでしょうね」

 

 ぽけーっと、分かったような分かっていないようなリアクションをする辺莉を横に、揶揄うような声を上げたのは矢坂。

 だが、雲生塚はそれを柳に風と受け流し、軽く微笑むだけ。

 静まり返っていた中でのその会話は、階下の二人にも届いていた。

 

「流石は部長、博識であらせられる。三狭間、貴様も少しはあの方の態度を見習え」

「いや、だから頭を使うのは苦手と言ったであろう。聞いた時に、単に言葉の響きは良かったのでな、そこだけ頭の片隅に残っていたのだ」

「……聞きかじった知識を披露するのは恥なだけだぞ。大体、結局何が言いたい?」

 

 雲生塚に感心しきりの叶に対して、頭を掻く播凰。

 そもそも、それをここで出してくる理由も意味も見当がつかない。

 まさか意味もなく口にしたわけじゃないだろうなと、叶がジロリと播凰を睨めば。

 

「うむ、しかし私――そして我が麾下もそれには異論があってな。嗚呼、確かに将としては、同じ戦果であるならばより自軍の損害を少なくすることを優先すべきなのだろう。……が」

 

 播凰の右手に銀の杖が顕れ、そしてギュッと握られる。

 ようやく見せた天能武装(戦意)。とはいえ、本来は戦いの開始の合図の前、或いはその直後に手にしていなければならなかったはずのもの。

 やっとその気になったか、と軽口の一つでも叩こうと口を開きかけた叶であったが。

 

「――はっきり言って、敵がいないところを攻めるなど全くもってつまらぬ。戦いとは敵があらばこそであり、形も無く声も無い戦いなど御免蒙る! 我が信条は行軍において敵が待ち受けると知りながら進み、攻撃においては敵が万全の守りを敷くところを落とす――言うなれば、有形と有声よ! 敵がいるからと避けることこそ有り得ず、故に――」

 

 全身から、声から、発する空気から。その覇気は滲み出る。

 その場の隅々までを侵犯し、それは例え離れて観戦する一行の場所であろうと違わず。

 不可視のそれは、立ち塞がる岩の巨体を通り抜けて叶にまで届き、そして貫き。開きかけた口は、しかし言葉が出ることなくそのまま不自然に硬直した。

 

「たかが落石如き、待ち伏せにおいて木と共に幾度と降らされたこともあれば、火計に水計、我が軍を――私を壊滅せしめんとするあらゆる策略を受けたことなど、両の指程度では数え切れぬわ! それですらこの身を害すこと叶わず、我に挑むのであればまるで足りぬことと知れ!」

 

 ビリビリと、空気を――否、空間そのものすら震わせ。

 ドンッ! と床に罅の入る勢いで播凰の片足が踏み込まれる。

 

「……ジュクーシャ殿曰く、術とはただ使うだけではない、だったか。うむ、我が弟妹達であれば色々考え付くのであろうが、やはり私は頭を動かすは不得手だな。これぐらいの力技しか思い浮かばぬ」

 

 ボソリ、と何事かを呟いた、瞬間。

 叶の視界から、播凰の姿が掻き消えた。少なくとも、叶の眼にはそう映った。

 瞬きの最中でもなく、人一人を見失ったことに叶は慌て。

 

「――では、行くぞ!」

 

 けれど頭上から轟いた声に。

 叶だけでなく、この場にいた誰もがその姿を仰ぎ見た。

 天井の照明、その眩さの中に一つ躍る影。

 

 その姿。或いは――天駆ける鳳。

 

 ――覇放

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