三階の覇王 ~異世界最強の覇王の肉体は、しかし異能力の才能までは宿していなかったようです~ 作:鷲野高山
いつの間にそこに、だとか。どうやってそこに、だとか。
見下ろしていたはずが、いつの間にか見上げるほど高い位置にその姿が在ったという――それも彼が声を上げるまで気付けなかった――その驚きすら吹き飛ばして。
刹那の時の中、頭上を仰ぐ星像院麗火の脳裏を支配したのは、困惑だった。
天能術。その性質や行使できる術は個々人によりけりで、詠唱の内容もまたそれに沿ったものとなり。同じ術でもなければ別々であるということは、周知の事実。が、あくまでもそれは何を紡ぐかであり、その
つまり、性質の宣言に属性の宣言と続き、最後に術名の宣言。詠唱においてその三構造は共通し、例外はなく。
そして今、三狭間播凰から聞こえたのは、字数としては間違いなく前二つ。性質や属性による差異こそあれ、天能術を行使する者であれば聞き馴染みのあるとかいう次元ではない、口にし慣れているといっても何ら過言でない部分。
……彼は今、何と?
よって、本来ならばそこに困惑が生じる余地はない。自身は元より、例えそれが全く知らぬ他者の
何せ確かに性質は個々人によりけりだが、その種類は数百数千とまであるわけでもない。学園内だけで見ても性質が被っている生徒など珍しくなく、むしろ大半以上がそう。性質によっては、クラス内だけですら何人と同じ生徒がいるのも普通のことである。
そして属性に至っては放、溜、介の三つしかないのだ。
その証拠に、東方第一の生徒となってまだ一年と経っていない身である麗火だが、授業等で他の生徒の詠唱を耳にして驚きを覚えたことというのはない。それは学園へ通う以前に実際に詠唱を耳にしたことのある性質は勿論、知識として知り映像越しに見たことがあるだけの性質であってもだ。
それが仮にあまり聞かない類の性質であったとしても、多大な動揺を齎すほどではなく。ありふれた性質に比べれば多少意識をする程度に留まる、といったところか。
さりとて、だからと言って詠唱を聞き流し、重要視をしていないわけではない。むしろその逆。殊、試合という点においてはそれを聞かない手はない。
性質の部分は、詠唱者のそれが不明な場合にむしろ知ることができる。
属性の部分は、それによって大まかにだが相手の動き、そしてこちらがどう動くかのヒントになる。
本命はその後に続く術名でこそあるが、それらだけでも情報であり思考を搔き乱すノイズとはならないのだから。
よって彼女にとって詠唱の前段というのは、確実に耳を傾けこそすれ、その内容までを聞き咎めるようなものではない――そのはずだった。
故に麗火は、自身が困惑したことに困惑を覚えたのである。
「……嗚呼、矢張り。小さくも、とても――」
そんな麗火であったが、しかし傍らからの呟きに、半ば反射的に意識がそちらに逸れる。
それは、声がしたからというのもそうだが。珍しい、とそう思ってしまったことも一因であった。
上擦ったような、掠れたような。普段から全く感情を出さないというわけでもないが、それでもどちらかといえば泰然自若としている、そのような印象の強い人物――雲生塚が。声に感情を乗せ手で庇をつくるようにして、天井の照明を背にした播凰を見上げていた。
――
「……あれは……岩?」
けれど、術名と思しき詠唱の続きが、すぐさま彼女の目線を再び空を踊る播凰へと引き戻す。
宙にある彼のすぐ目の前、同じく空中に浮かんだ、くすんだ色をした大きく無骨な塊が数個。
直前に叶の術を見ていたためもあるだろうか、確信こそないもののその正体の予想が思わず口から零れる。
……聞き間違い、だったのでしょうか。
それを目にしたことで麗火の思考が幾分かの落ち着きを取り戻した。
が、完全にではなく、まだ疑問は頭の中に渦巻いている。
「しかし、明らかに
あの瞬間……いや、正確にはそれより一拍遅れてか。
脳裏をよぎった――そう聞こえたと麗火が思った、思ってしまったとある一つの性質。
詠唱を耳にしたことはなく、如何なる術があるかも知らず。けれども文字として存在だけは目にしたことのある、それは。
世間一般の認知度としては、さほど高くはないだろう。別段秘された情報でもないが、ここ東方第一においても、はっきりと答える生徒がどれくらいいるものか。
けれど知らずとも無知と笑われることもなく、たまさか知る機会があったとて既に記憶の彼方だとしてもなんら不思議ではない。
最近で目にした可能性があるとすれば、それは――。
――ドゴォッ!!
「むっ、外したか。思っていたよりずれた、杖を握ったままだと少し邪魔になるか」
刹那、響き渡る轟音。
次いだ冷静な播凰の声に。否、正確には彼の行動、もとい眼前の光景に麗火の思考そのものが強制的に中断させられた。塗りつぶされたといってもいい。
「……彼は、何を」
「いや、いやいやいや、播凰にい。そんな、ボールみたいに……」
あまりの衝撃に絶句する麗火を――或いはこの場の面々の気持ちを、代弁するかのように。呆れというか、もはや笑うしかないというように苦笑を零したのは二津辺莉である。
端的に言えば、投げた。播凰がしたのはただそれだけのことだ。
別にその行動自体だけを焦点とすれば特筆すべきでもなく、突飛というわけではない。人間に限らず、それができる生物であれば何かしらの物を投げるということは普通にあるだろう。
もっともそれが――両腕で抱えきるどころか到底収まりきっていない、大きな岩の塊であれば話は別だ。
術で発射して飛ばしたのならばまだ分かる。というより、麗火達の常識からすればそちらの方が当たり前の世界。
そうではなく、術で現れたものを態々投げているのだ。しかもその大きさも繰り出された速度も尋常でない。目が点になるとは正にこのこと。
よりその反応が顕著なのは、その投擲を受けた立場の者だろう。
投げた当人が言ったように外した――何にも当たることのなかった岩の塊は、そのままフィールドの床に勢いのまま激突。シュウゥと土煙を上げ、無残にも砕け散っている。
その残骸を、顔だけを振り返り凝視する叶。
そんな彼を、そして呆気にとられる麗火をよそに。播凰は空中で、持っていた
直後、その腕が振りぬかれた瞬間には。
鈍い衝突音と共に叶の造り出した岩の巨人の、その頭にあたる部分が丸々吹き飛び宙を舞っていた。
「今度こそ、その首貰ったぞ! もっとも、岩に対して首級を挙げたと言うのも不思議ではあるがな! ……に、しても」
二投目は外れることなく命中。頭部無しの岩の巨人の出来上がりである。
膝裏にやっていた杖を再び手で握りなおしながらカラカラとご機嫌そうに笑った播凰であるが、それで終わることなく今度はまだ数個残っている岩の塊の一つを空中で蹴りつけると。
その勢いで、頭を失って尚立つ岩の巨人へと飛び乗り、ペタペタと無遠慮にそれへと触りはじめたではないか。
「ふぅむ、近くで見ても、そして触れてみてもただの岩としか思えぬ。……ああ、そういえば、木を人に模して兵と見せかけるというのはどこぞの将がやっていた記憶があるな。それと似たようなものか?」
「……っ、なっ、は、離れろっ!」
すぐ目の前まで接近されてようやく我に返ったのか、叶が声を荒げると。
それに呼応するように頭部を失くした岩の巨人が、その首元に取り付いた播凰を振り落とそうと暴れ始める。
まるで暴れ馬に――というには些か大きさに違いがあるが、それに跨っているようなもの。ガクンガクンと岩の巨体が、そしてそれに乗る播凰の身体が激しく揺さぶられるが。しかし播凰はむしろ楽し気に笑みを見せており、杖を片手に、空いたもう片方の手でしっかりと振り落とされることなくしがみついている。
「ほほぅ、首を獲っても倒れぬばかりか、楽しませてくれるとはな! そもそもからして、岩が人の形を造り動くとは、やはり天能術とは面白い!」
臆するどころかキャイキャイと喜色満面の播凰への返答は、離れないことにしびれを切らしてか直接叩き落さんと伸ばされるゴツゴツした岩の手だった。
迫る太腕を前に、揺れが収まったことに気付き少しばかり残念そうに見下ろした播凰は。自身を掴まえんとするそれを跳躍して避け、軽やかに地面に降り立つ。
そんな涼しい顔をした播凰に向けてわあわあとがなりたてるのは当然、叶だ。
「……い、い、意味が分からない! いきなりあんなところにいたのもそうだが、
「何をそう不思議がる? 別に投石など、そう目新しいことでもあるまいて」
「違ぁうっ! 普通は術で直接狙うものだろうっ!! これまでの言動からもそうじゃないかと思っていたが、頭がおかしいんじゃないか!?」
「むぅ、心外だな。これでも私なりに頭を使い、教わった通りに工夫して術を使ったというのに」
「教わった!? 冗談じゃない、一体何を教わったら、術で出したのを――それもあんな大きさのを投げようなんていう馬鹿みたいな発想になる!?」
噛み合わない会話。
もっとも、噛みついているのは叶だけであるが、それはさておき播凰にもちゃんと言い分はあり。
腕を組み、胸を張って大きく頷く。
「確か――術というのはただ強いそれを使えばいいのではなく、どう使うのかが肝要であると、こう教わったな!」
「ぐっ、それは、まあ……まさか一年の、それもお前のような生徒の口から聞くとは思わなかったが、一理ある。一理ある、がっ――」
「そも、力を示せと言うたはお主であろう。単に落とすよりも私が投げた方が威力は出るだろうし、それに随分と大きな的であったからな。当てれると踏んだ故、そうしたまで」
術とは、ただ使うだけでなく特性や形状を考慮したり、また自分の動きと組み合わせるなどして活かして使うことが重要である。
最強荘の住人であるジュクーシャに教わった術――彼女の世界で言う魔法の扱い方。机上の空論ではない、手加減されていたとはいえ彼女のそれを身を以て播凰は味わった。
つまりその助言を活かし、播凰は岩を投げるという暴挙、もとい彼にとっては一応考えた上での行動だったわけである。
そういう理由を堂々と播凰が述べれば、すると叶はモゴモゴと何か言いたげに口を動かそうとしていたのを止めた。
「――的、だと?」
僅かに伏せられた顔。よく見れば、その口元はヒクヒクと戦慄いている。
「……僕の術を――この岩の巨人を、大きな的と。まさか、そう言ったのか?」
「うむ。見るのは初めてだが、人よりも大きく、その上ちょこまかと逃げることもしなかったとくれば、実に当てやすい的でしかない。もっとも、一投目は外してしまったがな!」
照れくさそうに笑いを見せる播凰に対し、まるで小刻みなそれがそのまま移動したかのように、叶の肩が震え始める。
プルプルとその両肩は徐々にその震えを強め。けれどある程度の時を経てピタリと止まった。
持ち上がった顔。キッ、とその眼が播凰を睨みつける。
「――さっきからっ……さっきから、僕を馬鹿にするのも大概にしろっ! そんな馬鹿げた理由で、馬鹿げた方法で、僕のこの術が破られてたまるかぁっ!!」
ズシン、ズシン、と。
岩の巨人が重い足音を響かせて、大きな歩幅で播凰に迫る。まるで叶の激昂に応えるように一直線に標的へと向かう。
もしもそれに口が、意思があったならばきっと。
だが悲しいかな、首から上を吹き飛ばされたことによりそれは叶わず――そもそもからして頭部が残っていたとしても、のっぺらぼうであることから発声などはできなかっただろうが。
しかし代わりに行動で示さんとばかりに、岩の両腕が重なるように振り上げられる。
「……遊び心があったことは否定しないが、しかし投石とて立派な技であり、古来よりある攻撃手段の一つだろうに。どうにも、気に入らないらしい」
その先、迎え撃つ播凰は迫った岩の巨人を眼前にして一歩たりともその場から動くことなく、笑みを消し。ただ、杖を持っていない方の腕を差し出すように持ち上げた。
両者のそれを表すならば、さながら、瑞々しい大樹の幹に朽ちた枯れ木の一枝。太さだけを見てもそれだけの差がある上、かつ勢いのある二に対し静止した一。
「お主は馬鹿にされたと憤ったようだが――私であれば、嗚呼、認めるとも。どのような形であれ、どのような方法であれ。攻撃の意思を示したのならばそれは、挑んだということに他ならないのだから」
本来なら比ぶべきもない対峙。ポキリと呆気なく折れてしまうのは枝の方であろうにも関わらず――けれど砕けていくのは何倍もの太さを誇る岩の腕の方だった。
一瞬にしてではない。投石を受けた時の岩の頭のように、根こそぎ吹き飛んだわけではない。
受けるように差し出された播凰の掌と、岩の巨人の振り下ろされた拳が接触した瞬間。
その先からまるでシュルシュルと紐が解けるように、岩の腕は次々と瓦解。その元の威容の見る影もなく、細々とした岩塊へと、或いは大量の小石へと変じてポトリポトリと地に落ちてゆく。
本来は地面に打ち付けられるはずの両腕の先が急に消失したことでバランスが崩れたのか、勢いのままつんのめるようにぐらりと前のめりとなる岩の巨体。
意図せずにせよそうでないにせよ、胴にあたる巨塊が、播凰を押し潰さんとその影ですっぽりと覆い。
「どうやら自信がある術のようだが――生憎、言ったように私も、己の肉体には自信があって、なッ!」
ズドンッ!! と、衝撃が岩の巨人を貫いた。
倒れかけていたその巨躯は、重力に反発するかのように、全体を少しだけ宙に留まらせ。
次の瞬間、その分厚いはずの胴は罅割れる間もなく、一瞬にしてポッカリと空洞が生じ。そこから播凰が杖を片手に引っ提げ、飛び出してくる。
その背後にて、一拍遅れ。まるで操り人形の糸が千切れたように、まずは屈するように岩の両膝が同時に地面に突き。間を置かず、どう、と土煙を上げ大穴の空いた巨体は地に伏した。
「ふふん、自信比べは私の勝ちだ! 無論、まだその気があるのなら、存分に挑むがよい!」
くるくると弄ぶように杖を回転させた後、ビシッと叶に向けて突き付けた、播凰の勝利宣言。
目を見張るばかりの叶は、けれどその視線は倒れ伏したまま消えゆく岩の巨人に縫い付けられたまま。信じられないといった面持ちで、突っ立ったままポカンとするのみ。
故に。その声は当然、彼の口から発せられたものではなかった。
「――ハッハァッ! まだ足んねぇってんなら、こっから特別授業と洒落込もうじゃねぇか、三狭間ァッ!」
期間が空いてしまいましたが、一旦区切りがよいとこまで投稿再開します。
よろしくお願いします。