「音は雪の中に埋もれてしまうのですね。とても静かで、不思議な感じです。私達もこのまま…消えてしまいそうな」
吐く息は曇り、言葉さえ凍てつく。白銀の大地に降り立つのは雪が見せる幻影か、それこそがマナの女神なのか。
「めっずらしいこと言うなぁ。極北の寒さっていうのは屈強な女戦士も詩人に変えちまうのかねぇ」
紫色の髪の青年が肩をすくめ、おどけた調子で口を開いた。隣を歩いている少女は、からかわないで下さい、と顔を顰めた。青年は薄く笑う。
「俺はリースみたいにセンチメンタルになってる余裕が無いから羨ましいんだよ。ったく、何なんだよ『零下の雪原』って。名前聞くだけでさぶ疣ができちまうっつーの」
「ホークアイは南国生まれの南国育ちですからね」
敢えて『ナバール』という単語を出さなかった、気がする。
ウィンテッド大陸の酷寒には流石のホークアイも苦悶していた。財布の底を叩く思いで防寒具を買い揃えはしたが、誰しもこの寒さには順応し難い。
平生のホークアイは舞を披露するかのように戦うのだ。身体中をばねのように使ってモンスター達の攻撃をあっさりと受け流していき、気付くと敵は軽やかに引き裂かれている。飛散する鮮血の中でダガーを構えている彼の、危険過ぎる美しさ。味方であるはずのリースが息を呑んでしまう。これが町や旅の途中で軽口ばかり叩いている人物と同じだとは、毛頭考えられなかった。
しかし、隼のような彼の動きもこの雪原では些かぎこちなく見えた。当惑の表情を隠せず、敵からの一撃一撃を避けきることが精一杯のようだった。獰猛な獣のような冷気が身体の自由を奪う。零下の雪原に生息しているモンスターは、何とも北国という印象を受けるサハギンやらシーサーペント、更には煩わしい魔法を多用するポトやマジシャンまでが辺りを徘徊している。水の精霊に出会う前に力尽きてしまっては話にならない。体力の温存を図る為、ここでの戦闘は極力避けるようにしていた。
ホークアイは羽織っている防寒用のマントを有り難そうに胸元へ掻き上げ、悲痛な面持ちで溜め息を吐く。
「物好きな精霊もいたもんだ。英雄王さんはウンディーネとか言ってたっけ? 何が楽しくてこんな所に暮らしてるんだろうな」
「水のマナストーンの守護精霊なのですから、仕方ないですよ。でも…風邪を引いたりしていないか心配です」
ホークアイは盛大に噴き出した。
「もー、リースのそういうところ大好き」
リースは一気に頬を紅潮させ、声を荒げた。
「わ、私は真面目に言ってるんです! 今はふざけている場合ではないはずですよ。もっと緊張感を持ってください!!」
「緊張感ねぇ…」
途端にホークアイが立ち止まった。リースもそれに釣られる。
「俺達には無縁な言葉だと思うよ。王女様はこんな天然っぷりだし、あっちにも自分の世界に行っちゃってるのがいるし」
ホークアイは腰に手を当て、前方を見遣った。そこにいるのは眩い金の巻き毛を方々に揺らして、跳んだり跳ねたりを繰り返している小さな天使―――
「きゃーっ!! つめたいでちー! みんなまっしろでちー!」
ではなくて、聖都ウェンデルの光の司祭の孫娘。けれどその姿は本当に無垢であり、可憐でもあり、この世のものではない何か神聖なものと見紛う程だった。
「こーら、シャルロット。あんまり騒ぐとサハギン共に見つかって餌にされちまうぞ」
ホークアイは幼子をなだめるようにシャルロットを呼んだ。
「シャルロットはそんなへましないでちよー! これからゆきだるまつくるんでちっ!!」
「おい、シャルロット!」
シャルロットは毬を弾ませたような勢いで駆け出し、瞬く間に岩陰へと消えてしまった。
「すっかり雪遊びに夢中になってるな」
ホークアイはやれやれと首を振った。
「シャルロットも雪景色を見るのは初めてのようですからね…」
リースは微笑を浮かべたが、すぐにその顔を引き締めた。
「急いで追いかけましょう。魔物に遭遇でもしたら、大変です」
「えー、俺はリースと二人っきりでいられるからこのままで良いんですけどぉ」
「…あなたという人は!」
槍の柄を握る手に力を込め憤慨するリースを見て、ホークアイはけらけら笑っている。
いつもこうだ、とリースは思った。いつもこの人は戯言を言って私を困らせたり、怒らしたり、振り回したりして、そんな反応を楽しんでいる。腹の底では何を考えているのか見当もつかない。彼の真意に、辿り着けない。
いつもは剽軽で、それなのに隙というものが無い人。敵と対峙している時の真剣さを、ほんの少しで良いから日常の会話に取り入れて欲しい。
「ねえ、リース」
我に返ったリースは慌ててホークアイを見た。
「なんでしょう?」
ホークアイの瞳はさも愉快げに光っている。悪戯をする道具を見つけた子供のように。
「さっき言ったよね。音は雪に埋もれるって」
「それが、どうかしましたか?」
虚を突かれたリースだったが、何とか冷静さを装った。この人の前では、どんな些細なぼろを出してもからかわれる種になってしまうから。
リースの事務的な返答を聞いて、ホークアイはしばらく視線を宙に泳がした。やがてその先をリースの顔へと戻し、言葉を続けた。
「俺の音も埋もれてしまう」
「…え?」
「耳を塞ぎ目を覆い、君は、そう、雪みたいに冷えきったまま。…それじゃあ届くはずないだろ」
銀雪と静寂がこの世界を制していた。全てが沈黙している。二人だけが、時空の中から切り取られ置き去りにされてしまったのかもしれない。
「それは」
弱々しくて情けない声だと、リースは自分で思った。もはや心の動揺を内に終い込められなかった。
「私がまだあなたのことを責めているということですか? あなたを拒絶しているということですか? あなたが、ナバールの…」
リースはそこからどう言えば良いのか分からなくなり、口をつぐんで俯く。ホークアイはマントの上から腕を組んで、小首を傾げた。
「ちょっと違うな。…俺のことをもう少し知って欲しいというか…」
リースはかっとなって勢い良く頭を上げた。
「遠ざかっているのはあなたじゃないですか! いつもふざけてばかりで、大事なこともはぐらかして、何も教えてくれないのは…あなたの方です」
彼女の怒号は尻すぼまり、儚く雪原に消えた。
ホークアイは目を細め微かに笑っている。切なげに。物悲しげに。気のせいなのか、何かを哀願しているようにも、見えて。
反則だと思う。どうしてこの人は、こんな時に、こんなふうに笑うのだろう。
酷く上品で、魅惑的な笑い方。
ホークアイの手がリースの柔らかな金の毛に触れた。繊細な指が、彼女の絹糸のような髪に絡まる。リースは動かない。正しくは、動けない。
「リース」
その響きも実に甘美だった。
身体の熱がどんどん上がってゆくのが分かる。現状を把握しようと努めている思考は今にも止まりそうで、リースはただもう呆けたようにホークアイを見つめることしかできない。
「俺はね――」
パンッ!
「……!」
乾いた音と共にホークアイの片頬に衝撃が走った。その目は驚愕によって極限まで開かれる。
リースが咄嗟の判断で彼に平手打ちを一発食らわした…訳ではない。風を切って飛んで来た雪の玉が見事命中したのだ。
「ホークアイしゃんったらダサダサでち! リースしゃんにうつつをぬかしてるからそーなるでち!!」
二人からそれほど離れていない樹木の横でシャルロットが笑いこけている。
雪はホークアイの顎を伝って滴り落ちた。口角がワナワナと震えている。
「つっめてえっ! 何しやがる、この野郎!!」
怒りを爆発させそう叫ぶや否や、彼は放たれた矢の如くシャルロットの許へ走り出した。シャルロットはきゃあっと短い声を上げ、回れ右をする。幼稚な鬼ごっこが始まったものだ。
見る見るうちに小さくなってゆく二人の背を見送って、リースは脱力感と共に大きな溜め息を漏らした。
片手を自分の胸にそっと当ててみる。ついさっきまで、早鐘を打っていたというのに。
この胸に多くを抱え、刻み付けてきた。
喪失。邂逅。使命。
敢えて言葉にするのなら、こんなものが妥当だろうか。
最初からわかっていた。
責めているのはホークアイに対してではない。拒絶しているのもホークアイの存在ではない。
それはたった一つだけ。
愛するものに、愛してくれたものに、別れを告げなければ活路を開けなかったというあまりにも単純な事実。
知っていた。
知っていたけれど。
全てを一度に受け入れることは、あまりにも辛すぎた。
自分にとって世界中の不幸を掻き集めたような計り知れない孤独と恐怖。
いっそ何も感じなくなった方が楽なのではないかと思い始めていた。
そんなリースの前に、「彼等」が現れた。奇跡のように、必然だったかのように、平然とリースのそばに立っていた。
同情や同調ではなく、求めてくれた。彼女の存在を呼び続けてくれた。「ローラントの王女」のリースでもなく、「聖剣の勇者」のリースでもない。
「うっきゃあぁ! リースしゃん、はやくはやくたすけるでぢーーっ!!」
ホークアイに追い付かれたシャルロットが哀れにも羽交い締めにされ、小さな手足をじたばたと動かしているのが見えた。
だから。
耳を欹ててみよう。
雪解けの音を聞く為に。
瞳逸らさず見つめよう。
春の芽生えを知る為に。
「私も――行きます」
正面をゆっくりと見据え、リースは走り出す。
純白の地面を踏み鳴らすそれは何とも軽快で、頼もしげだ。
音無くする氷原を越えて確かになった思いがあった。そしてまた、尊い望みが生まれたのだ。
お読みいただきありがとうございました。聖剣伝説3はプレイヤーの皆様の一人一人に思い出のパーティーができるであろう、素敵なゲームです。