「……今日、時間があるかしら?」
昼休みも半ばに差し掛かった頃、俺の席の前に一人の女子生徒がやってきた。長い黒髪を後ろで束ねた彼女は、まるで人形のように整った顔立ちをしている。
総務高校一年の雪ノ下雪乃だ。
「……どちら様でしょうか?」
俺はわざとらしくとぼけてみせた。だがそんな態度が気に障ったのか、彼女の眉間に深いしわが刻まれる。
「……1-Aクラスの雪ノ下よ」
「あーすまんな。知り合いかと思ってつい……」
そう言いながら、俺は教室を見わたした。
進学校として大学を目指す学力の高い生徒が集まる総武高校にあって、俺は1-Bに所属している。
クラスにおいては孤高の存在として高みの見物をしている俺は、周囲から見れば浮いている。だから顔と名前を知られたのかもしれないが、違うクラスの美人から話しかけられる理由は無い筈だった。
「それで用件はなんだ?」
「あなたに話があってきたのだけれど……どうやらお忙しいようね」
「まぁ、そうだな。これから飯を食うところだし」
「なら丁度いいわ。私もまだだったの。お弁当を持ってついてきてくれない?」
「……なんでだよ 」
俺は怪しげな視線を送る。すると彼女は不機嫌そうな表情を浮かべて言った。
「あなたのその腐りきった目が原因だと思うのだけれど。一緒に食事をする人が怯えてしまうから、せめて隠して欲しいものね」
「いや、これは生まれつきだから。」
ツッコミを入れながらも、俺は弁当を持って雪ノ下についていくことにした。
雪ノ下の言葉から、俺と話をしたい人間がいることが分かったこと。
その話は、教室ではし辛い話であることが推測できたこと。
そして、これが最大の理由だが。先ほどから今までにないほどこちらを見る周囲からの視線に耐えきれなくなったことが理由である。
(まさか雪ノ下は、これを狙って……?)
好奇の目から逃げるように、俺は教室を後にした。
雪ノ下について行った先で、俺はかわいい女子と出会った。
彼女は髪をシュシュでまとめており、やや童顔で幼い印象を受ける髪型の、豊かな胸を持つ女の子だった。
「ゆ、ゆきのん。ありがとう……!
助かったよぉ〜!」
彼女は涙ぐみながら雪ノ下に抱きついた。
「由比ヶ浜さん……。私はただ自分の食事場所を確保しただけなのだけれど……」
困惑したように言う雪ノ下の言葉を遮って、彼女——由比ヶ浜結衣というらしい——は続ける。
「だってぇ……。クラスであのヒッキーと一緒にご飯を食べるなんて絶対無理だしぃ……」
「ひ、ヒッキー?……ああ、彼の名前ね。それくらい覚えているわ。」
「人のことを勝手にヒッキーっていうの止めてくれる?俺には八幡って立派な名前があるんだけど。ていうか君ら誰?」
「えっ!?︎ 私の名前知らないんだ……同じクラスなんだけど……」
「自己紹介がまだだったかしら? 1-Aクラスの雪ノ下雪乃よ」
「1-Bクラス、由比ヶ浜結衣です……」
「ああ。そんで由比ヶ浜。俺はなんでここに呼ばれたんだ?」
「それは……ボーダーのことで相談があって。ゆきのんに相談したら、同じクラスで男の人でも大丈夫そうな人を呼んでくれたんだよ! ゆきのん頭良いよね! 超すごい!」
「……別に大したことではないわ。それに、あなたが馬鹿なだけでしょう。」
「うん! バカだけど! なんかごめん。クラスだと話しかけ辛くて……」
そういう事かと俺は納得する。俺はクラスの中では孤高の存在だ。そんな俺が、由比ヶ浜のようなかわいい女子に話しかけられれば、由比ヶ浜は深刻な風評被害を受けるだろう。
だが雪ノ下は違う。雪ノ下もまた、クラスでは孤高の存在であるということを教室内のうわさで知っていた。だが、問題がひとつ。
「ちょっと待ってくれ。何で俺がボーダー隊員ってことを……?お前もボーダーなのか?」
そう言ってから、八幡はしまったと思った。もう、しらをきることは出来ない。
「う、うん。ボーダー本部で話がしたかったんだけど、ヒッキーはいつも居ないし……」
「……まぁ確かに居ないけどな……」
俺がボーダー本部に居ないのは、それなりの理由がある。別にサボっていたわけではない。しかし、ボーダーに関する相談ならば俺でなくてもいいだろうに。
由比ヶ浜は、一瞬だけ言いよどんだあとで意を決したように話を始めた。
「私、ヒッキーにお礼がしたくて。四月のはじめに、私を庇って入院してくれたから……あのときのお返しがしたいなって思ってたから……」
そう言って、俺にかわいらしいお菓子の包みが手渡された。俺は困惑した。
(私は席を外すべきだったかしら……?)
雪ノ下がそう考えていたことなど、俺は気付かない。目の前の由比ヶ浜のことで頭が一杯一杯である。
「……そうか。四月の件か。だが俺は気にしてないぞ。俺が好きでやったことだしな。」
「それでも、私がそうしたいの。だから、受け取ってくれると嬉しいかな。
あと、お礼はそれだけじゃないから。」
「いや、ボーダー隊員としては当然のことをしただけで……?」
「……でも、私を庇ったせいで入院しちゃったでしょ?」
そう。俺はボーダーからの帰宅途中で、犬を連れた女の子が車に轢かれそうになっているところを目撃した。
その彼女を庇った結果、俺は総務高校に入学してからの二か月を病院で過ごすことになった。
「通勤途中の災害ってことで労災降りたから問題ない」
「あなた、無茶苦茶ね……。」
俺の発言に、雪ノ下が呆れたような声を出す。
「あ、あの……やっぱり迷惑だった……?」
俺の言葉を聞いて、由比ヶ浜は不安げな表情を浮かべて言った。
「入院してからすぐにお見舞いに行きたかったけど、私、どんな顔して会えばいいか分からなくて。それで、ゆきのんに相談に乗ってもらって、今日になったの。」
「そうだったのか。なら、由比ヶ浜のおかげなんだから素直に感謝を受け取っとくよ。ありがとな。」
俺は笑顔で答える。由比ヶ浜は嬉しそうな顔をした。
俺も、我ながらチョロいとは思うがいつになく体が軽い気がした。こんな気分になったのは久しぶりだ。
「あ、ヒッキーってそんな風に笑えるんだ……!なんか意外!」
「えっ……?」
俺は思わず手で口元を隠してしまう。どうやら無意識のうちに微笑んでいたらしい。
(……少し、調子に乗りすぎたか?)
「……。」
雪ノ下が何か言いたげにこちらを見つめている。
「……!そ、そろそろ昼休みが終わっちまう。ここでこれ、食べていっていいか?俺の分しか無いみたいだし……」
「あっ、そうだよね!ごめんね!?︎ ゆきのんも一緒に食べる?」
「いえ、私は結構よ。」
「じゃ、遠慮なく。」
そう言って、俺は由比ヶ浜からもらったお菓子を開けた。
中身はクッキーだった。チョコレートのチップが存在感を示している。
「へぇ、美味いなコレ。どこで売ってるんだ?」
「えっ? えーと……、自分で作ったんだよ。」
「マジか。すげえなお前!」
俺は心の底から感嘆の声を上げる。
手作りというものは魔境だ。レシピ通りに作れば美味しい料理でも、一工夫するだけで屈強な銃手が撃沈する毒となることをボーダーで学んだ。
そんな俺にとって、普通に食べられる手作りのお菓子というものは何物にも代えがたい。
「そ、そんなことないよ!ゆきのんに教えて貰わなかったら、絶対失敗してるもん……」
「そうか、仲いいんだなお前ら。」
その言葉に、由比ヶ浜は嬉しそうに、雪ノ下は戸惑ったように笑う。
俺のせいで凍り付いた雰囲気を、どうにかこうにかもとに戻すことには成功したらしい。俺はここで昼休みを過ごし、二人と連絡先を交換して別れた。
この時俺は、ここから間違った青春ラブコメが始まるとは思ってもいなかった。
1.比企谷くんはボーダーで”ある程度”は性格を矯正されてる
2.事故にあってから二か月で由比ヶ浜が謝罪にきてくれた。
これらの影響からはまち本編の比企谷くんとは性格が違います。
なお、現在はワートリ本編開始年度の六月です。