恋姫世界で匈奴出身のオリ主が頑張ったりする話   作:ニタマゴ

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第3話 来訪者

 ジイ様こと羽冠の呪術師の予言めいた話を聞かされてから一月あまりが経った。

 あの時感じた不気味な予感が早々に的中する、などということはなく、この一月の間、私は医師に命じられてほとんどの時間を自室で過ごしていた。

 医師が言うには、外見上は問題なくとも先の昏睡で身体の中は相当に弱っている、とのことであった。

 当然、食事も薬草を混ぜた塩粥といったぐあいで、育ち盛りの身としては大変不満であったが、文句を言って治るものが治らなくなっては馬鹿らしいので、大人しく医師の言うことに従っていた。

 そんな貧相な食生活を送る私にとって、ときたま遊びに来る弟 呼廚泉が乾酪などをこっそりと持って来てくれたのは、実に嬉しかった。

 弟の呼廚泉とは十歳ほど年齢が離れているので、以前はなかなか話す機会がなく、疎遠というほどではなくとも決して親しい仲ではなかったのだが、この療養中に大分距離が近づいた気がした。そう思うとこの療養生活は価値あるものとなったのかもしれない。

 

 兄弟といえば、父の弟である去卑という人物が近々この単于庭に訪れるだろうと、父上が教えてくれた。父の弟などと回りくどい言い方をしたが、要するに私の叔父だ。

 去卑は洛陽に十年近くも滞在しており、漢人の基礎的な教養についてほとんど習得している、匈奴きっての知漢派と言われているそうだ。

 

 

 

 あの羽冠のジイ様の怪しげな予言から40日ほど、父上から知らせを受けてから10日経った頃だった。以前の味の薄い塩粥から羊肉や鶏卵の入った粥へと改善された食事を平らげ、窓から差す陽光に心地の良い午睡に誘われていた時、召使いが来客があると告げて来た。なんでも洛陽から帰還したばかりの叔父が見舞いに来るとのことであった。

 召使いに伴われて現れたのは、記憶の中にかすかに残った姿よりも、かなり小柄な男だった。

 父は決して巨漢と言えるほどの体格ではなかったが、それでも人より頭一つは大きく、四十も半ばを過ぎた現在もその身体は引き締まっている。その息子である私も同じ年頃の者に比べれば体格や肉付きは良い。

 そういう血だと思っていたが、父の弟だという去卑は随分と小柄に見えた。

 

「お久しぶりです叔父上。洛陽から帰ったばかりだというのに、わざわざ見舞いに来ていただきありがとうございます」

 

 表情には出さず、型通りの挨拶をした。

 

「おう、かまわんよ」

 

 去卑は用意された椅子に腰を下ろしながら言った。

 

「久しぶりに会ったが、随分とデカくなったな。それに礼儀も知ったとみえる」

 

 去卑は黒い瞳を向けてきた。その瞳は、なんとなく父のものと似ているような気がした。

 

「こうして会うのは十年ぶりですから、私も少しは成長しました」

 

「そうかね? 俺があっちにいた時に聞いた分だと、馬と狩りのことしか頭にないガキって感じだったがな」

 

 言われてみれば、そうだ。ほんの一月前までは遠駆けや馬上相撲、擊鞠(ポロ)、狩猟に射術といったものに夢中になって興じていた。

 

「まあ、馬と弓は我らの友だ。それ一辺倒となっては困るが、全く触れないよりは断然良い」

 

 そう言うと、部屋の隅に立たせていた従者を招き寄せた。

 

「ほれ、土産だ。もうしばらくは馬にも乗れんそうじゃないか、ちょうどよかったな」

 

「なんです、これは?」

 

 去卑が従者に持たせていたのは、一抱えほどもある竹簡であった。

 従者はその竹簡を寝台横の卓に置くと、サッともと居た隅の方へ退いてしまった。

 

「漢人の書物だ。これを丸暗記できんと、後で困ることになる。なにしろ数年は、あちらに居ることになるだろうからな」

 

 事も無げに言い放った言葉に、ものすごく引っかかるものがあった。

 

「……? 叔父上、数年はあっちにいるとは、どういう意味ですか」

 

「何を言っている。お前は匈奴と漢の親善大使兼次期単于としての教育を受けるために洛陽に行くことになってるだろう」

 

 去卑の言葉を飲み込めずにいたが、去卑は構わず話を続けた。

 

「あわよくば次期単于に親漢思想を植え付けようって魂胆もあるんだろうが、要するに人質だ。単于の弟なんぞより息子を人質にした方が良いに決まってるからな。俺を解放してやる代わりに、お前さんを洛陽に送れってのが奴らの要求だよ」

 

 もはや言葉もなかった。

 

「ほんとうに知らなかったのか。兄上も酷なことをする」

 

 私の様子に去卑は呆れたように言った。

 

「まあ、実際のところは成人の儀を終えたあたりで話すつもりだったのかもしれん。病身のお前に遠慮して言わなかっただけだろう」

 

 慰めるように言った去卑の言葉だが、正鵠を射ているような気もした。父上は案外気を遣う人であるし。

 だとしても、単于の嫡子を人質として送り出すなんて重大事が一朝一夕で決まるはずもない。多分数年前には、漢と匈奴との首脳の間で決まっていたのであろう。それを父上たちはずっと私に隠していたのか? 

 それとも、例の記憶の混濁でこんな大事なことまで忘れてしまっていたのか?

 どちらにしろ、去卑がこの単于庭に帰っている以上、この件は漢と匈奴との約定として動き出しており、今さら止められないものであることぐらいはわかった。

 未だに先の昏倒の後遺症と記憶の混濁があると言うのに、この分だと体力の回復次第すぐさま洛陽行きを命じられるかもしれない。自分のことの整理すらついていないのに、安心できる環境から一転未知の土地に行くというのは、あまりにも不安だ。

 

 私が押し黙ってしまったのを見た去卑はわざとらしく声を上げた。

 

「……そうであった玄烏よ、お前にはもう一つ土産があったのだった」

 

「はぁ、それはありがとうございます」

 

 去卑は私の生返事も気にせず、部屋の隅で息を殺すようにたたずんでいた従者を指差した。先程まで竹簡を抱えていた者である。

 

「蔡琰という。字は昭姫だったかな」

 

 いきなり従者の名前を告げる去卑に一瞬疑問符が浮かぶが、すぐに合点がいった。

 

「叔父上、まさか土産とは彼のことですか?」

 

「そうだ。ははっ、お前さん。一つ勘違いしておるようだがこいつは女子よ」

 

 蔡琰と呼ばれた従者は青みがかった黒髪を小さく纏めていたのでてっきり短髪の少年だと思っていたが、去卑の言葉によくよく観察してみると、うっすらと朱をさす頬とふっくらとしたあかい唇を除けば、衣服からのぞく肌や顔色は異常なまでに白く、とても男のそれとは思えない。いや、女であっても家業の手伝いなどでもっと日に焼けた肌をしているものだが、この色白さは彼女がそういった身分ではなかったことを感じさせる。

 さらに、彼女のややつり目がちな目は、疲労の色が出てはいるものの、その黒い瞳からは知性を感じさせた。三日月を思わせる眉には意思の強さが宿り、しかも女性的な柔らかさを備えていた。

 くわえて「昭姫」という字を持っていること自体、蔡琰が高貴な生まれであることを示している。庶民が字など必要としないということぐらいは匈奴人の私でも知っている。

 

「たしかに見れば見るほど女だ。それも高貴な生まれと見受けた。失礼なことを言ったな蔡琰とやら」

 

 私の言葉に蔡琰はわずかに頭を振り、「とんでもないことです」と、静かに答えるとそれきり黙ってしまった。どうやら会話をするつもりはないらしい。

 

「そやつの父は蔡邕といってな、漢随一の碩学であった」

 

 見かねたのか去卑が蔡琰の身の上について話し始めた。

 

「今のお前に言ってもわからんだろうが、広大な漢といえども蔡邕ほど優れた学者は片手で数えられる程にしかいなかった。しかも蔡邕の偉大なところはその学問を己だけのものとせず、広く志学の徒に教えを授けたことだ。洛陽の太学には今でも蔡邕自身が筆をとった石経が残され、これを学ぶために多くの者が訪れたものだ。俺もそうした者の一人であったし、お前さんにくれてやった竹簡もほとんどは俺が蔡邕の石経を写し取った書写本を基に作らせたものだぞ」

 

 去卑は語りながらも昔を懐かしむような顔を見せた。

 それにしても、去卑という人はその話ぶりからは武張った男なのかと思いきや、経書の書写を行い本にまとめるほど学問に熱心な男だったらしい。匈奴の男というのは大抵武術と馬、そして遊牧のことしか考えていないものだが、この叔父はそうした基準から見るとずいぶん異色で、私が今まで接したことのない種類の人だった。

 

「それほどの大人物であるから人々は皆、蔡邕が漢の高官になるものであると考えていた。ところがその時の漢主は蔡邕を琴の奏者として召し抱えようとした。当時の人々は落胆した。この帝はこれほどの学者をただの芸人としか見ていないのか、とな。当然、蔡邕もこの馬鹿にしているとしか思えん誘いは蹴り、隠棲してしまった。それから数年後に今の漢主である劉宏が即位し、ようやく議郎というまともな官位を授けられた」

 

「それはなによりではありませんか。あるべき地位にあるべき人が就いたということでしょう」

 

「そうなのだが、蔡邕の悲運はここから始まったと言っていい」

 

 蔡琰の事情について話すのかと思っていたが、父親の蔡邕の方へと話がズレた気がする。あと、なんとなく察してはいたが、去卑はその蔡邕という人物を尊敬していたのか、その語る様はいやに感情の入ったものであった。私としてもそんな叔父の語りに割って入るのは気がひけたので、長くなりそうなこの話に付き合ってやることにした。

 しかし私は病み上がりの身なのだが、わかっているのだろうか、この叔父さまは。

 

「ちょうどいい機会だ。お前は漢について知らねばならん。蔡琰の境遇のついでに、今の漢についても話すとしようか。まず大前提だが、お前は宦官というモノを知っているか」

 

「それぐらいなら。我らが家畜の統御のため一定の牡を去勢するように、漢主が後宮の女や一族の世話をさせるために使うのが、去勢した男である宦官ですよね」

 

「ハハハッ、確かにそうだ。我々がよりよい馬を育てる際に、種馬以外の牡馬を去勢するのと同じことだ。ふふっ、ならば漢主は種馬か、愉快なことを言う奴だわ。しかしまあ、残念ながらというのもおかしな事だが、いまの漢主である劉宏は女だ。種馬とは言えんがな」

 

 「それに宦官も男だけとは限らん」と付け足した去卑は、先ほどの自身の発想が余程面白かったのか、しばらくクツクツと笑った。

 

「まあ、問題はそこではない。いや劉宏には大いに問題があるが、それ以上に害悪なのが宦官でな。本来宦官などというモノは漢主の奴隷のようなものだったのだが、漢主の若死が続き、幼君が相次いで立つようになると、その世話をする宦官は漢主に親代わりとして信頼され、次第次第に力を増して政治にも口出しするようになってきた」

 

「それだけならまだよかった。外戚や権臣が跋扈し朝廷を牛耳るのと同じことだ。むしろ宦官が力を持つことは、そうした勢力との間である種の均衡を生み、政権を安定させることにもなった。だが、何を考えたのか先先代の漢主は宦官に養子をとることを認めた。これが宦官・外戚・豪族の均衡を崩した。どういうことかわかるか?」

 

「単純に考えるなら、宦官は養うべき家族を得たということでしょうか」

 

「随分ぬるい言い方だが、そうだ。それまでの宦官はどれほどの財産を得ようと、それをただ浪費するしかない。なにしろ蓄財しようが遺す相手などいないのだからな。だが、家族が出来れば話は変わる。子々孫々にわたる繁栄を夢見るのは、人として当然のことではある。だが、宦官の欲望というのは底が知れん。奴らは漢主の寵愛と圧倒的な財力、そして養子縁組によって築いた縁戚関係によって、あっという間に漢の全土にその支配を及ぼすようになった」

 

「しかしいくら漢主の恩寵があるとはいえ、外戚や豪族たちは宦官の台頭をただ黙って見ていたわけではないのでしょう。聞いている分には宦官は家内奴隷とそう変わらない存在のようですし、彼らだけでは国家の運営もできないのでは」

 

 私の言葉に去卑は顔を上げ、「よく話を聞いとるじゃないか」と言いつつ笑った。

 

「その通りだ。ならば、政治をできる者を仲間に引き込めばよい。宦官は子供を成せず、自分の家を残すには他家からの養子をとるしかない。これほど有力者たちにとって都合の良いことがあるか。宦官に一族の者を養子に送り込めば、その宦官から一門として扱われ、甘い汁を吸えるのだからな。宦官としても自分の家を残し、なおかつ門外漢である政治を任せられる身内を得られるのだ。どちらも損はしない」

 

「そうして有力者の中にも宦官に従うものとそうでないものとが生まれた。宦官を敵視する者たちは自身らを『清流』、宦官に与する者を『濁流』と呼び、有力者の中でも分断が進み、官僚や名士の輩出母体である豪族は弱体化した。お前が言ったようにこの状況に危機感を抱いた清流派が何度か武力による宦官の排除を試みたが、その全てが失敗に終わった。まあ、いまの漢の政治の主流は濁流派で、清流派は弾圧されていると覚えておけばいい」

 

——国が崩れるとはこういうことか。

 今まで聞いた分だけでもそう思わずにはいられない惨状である。だが、叔父の言葉はまだ続いた。

 

「外戚の場合はもっとひどい。漢主の後宮を司るのは結局のところは宦官だ。つまり宦官の協力なくして皇后の地位は得られない。劉宏の后である何氏もその姉で最近河南尹(首都洛陽周辺の行政長官)に昇った何進も宦官に取り入ったことにより、今の地位についたという。そういう経緯があるから何姉妹は宦官に対し従順といっていいだろうな。つまるところ、今の漢の支配者は、豪族と外戚を抑える宦官だということだ」

 

 ……? さて、去卑が言うには今の漢主劉宏は女だという。だというのに妃である何氏もまた女だというのはおかしな話ではないか?

 まあ、いいか。今あえて話の腰を折ってまで聞く必要のあることではないし、漢という大国ならばそういうこともあるのかもしれないじゃないか。

 そう自分を無理矢理に納得させることにした。

 

「……凄まじい状況ですね。そんな内情の国に従っている我らが言えることではないですが、よく崩壊しませんね」

 

「それだけ漢という国の土台がしっかりしているということだ。大樹の幹が病に罹っても、それはまだ枝や根には及んでいない。だからこそ蔡邕のような人材が現れる」

 

 だが、と言葉を続けた去卑は、哀れむように黙したままの蔡琰に目を向けた。

 哀れみの視線を受けた蔡琰は、依然としてその顔に感情の色を浮かべることはないが、なんとなく物悲しい雰囲気を感じた。たんに彼女の深窓の令嬢然とした容姿と叔父の言葉に、私が勝手にそう感じているだけなのかもしれないが。

 

「叔父上、蔡琰と宦官になにやら因縁があることは分かりましたが、それは一体?」

 

 去卑による漢の現状の講義が一先ず終わったとみて、話を蔡琰の身の上話に戻すように促した。

 

「こやつの父である蔡邕は、宦官が私利私欲の限りを尽くすのを見過ごせるような男ではなかった。とはいえ、常に宦官に取り囲まれている劉宏に宦官は危険だと言うこともできん。そんな事をすればすぐに宦官は蔡邕になんらかの罪を被せて排除するだろうからな。そこで蔡邕は封事を行なった。封事というのは宦官やら官僚やらの目に止まる事なく漢主に上奏する唯一の手段だと思えばいい」

 

「……うん? それはおかしいのでは? 何故、叔父上は蔡邕が封事を行なった事を知っているのですか」

 

 私の疑問に対し、去卑は心底呆れたような、軽蔑したような顔を見せた。

 

「知れたことだ。劉宏といううつけ者は、蔡邕の上奏文を遊び半分に宦官どもにくれてやったのだ。封事というのは臣下が命を懸けて君主を直諌する行為だ。それを劉宏は蔡邕の覚悟を弄ぶかのように踏み躙った」

 

 去卑は明確な敵意、いや殺意すらこもった声を吐いた。漢人の常識を知らぬ私には完全に理解することはできぬが、漢人の感覚を知る去卑からすると、劉宏の行いはいかに至尊の地位にいる者であってもやってはならないことなのであろう。

 

「普段なら宦官どもも蔡邕ほどの大学者には手を出せんかったが、上奏文でかなり手厳しく糾弾されたのだろうな。宦官の方でも収まりがつかず、一時は蔡邕は死罪とされた」

 

「一時はというと、死罪にはならなかったのですか」

 

「そうだ。ここまで話してきてなんだが、宦官もすべてが悪辣と言うわけではない。一部の宦官たちは流石に死罪はやり過ぎであるとして減刑を願い出た。その結果、蔡邕は一家とともに朔方郡への流刑にと減刑された」

 

「蔡邕は朔方郡に居るのですか? そんなのここからすぐではありませんか」

 

 我ら匈奴は漢の番犬となったが、その代償として漢の北辺地帯での遊牧を許されている。今我らが単于庭、漢人風に言うなら首都を置くのも、漢の区分で言えば并州西河郡美稷県となる。西河郡の西に位置するのが朔方郡であり、この地も匈奴の遊牧が許され、数万の同族が生活しているはずである。

 

「何故蔡琰がここにいると思う。蔡邕はとっくに死んだわ」

 

 吐き捨てるように言う。

 

「一部に良識派がいるとはいえ、現実としてほとんどの宦官は悪虐な者たちだ。蔡邕を生かし、野に放てば必ず反宦官の旗頭となる。そう考えた宦官たちが何をするかなど幼児でもわかる」

 

「いくらなんでもそんな雑なことがありますか? 洛陽の人々も高名な蔡邕が流刑先で死ねば、その下手人が誰かなんて簡単にわかりそうなものですが」

 

「もちろん多くの者がこの陰謀に気づくだろうよ。だが今の宦官の権勢を前にすれば、沈黙以外の行動はないと断言できる」

 

 そう言い切ると、去卑は意地悪そうな、自嘲するような、とにかくそういった種の笑みを浮かべた。

 

「それにな於夫羅よ。漢人から見れば、この地は辺境だ。だからこそ、我らの遊牧が許されている。そんな異民族が跋扈する辺境ならば賊などいくらでもいるし、そうした賊によって護送中の囚人が襲撃され、家族丸ごと皆殺しになることも不思議ではない。そういう思考が漢人の根底にはある。言っておくが、これは宦官だろうが名士だろうが変わらん。それこそ辺境を熟知する董卓や馬家の者たちでさえ、我ら異民族を暴力しか知らん野蛮人だと思っている節がある」

 

 董卓や馬家といえば、漢の最西端の州である涼州で功績を上げた将軍たちであり、その名は匈奴にも知られている。特に董卓は異民族である羌と友好的な関係を結んだと言われた人物であるが、去卑がわざわざここで嘘をつく必要もないのだ。去卑の言葉は妄言ではないのだろう。

 であるならば、漢人は我らを瘴毒の湧き起こる地に居座る野蛮人程度にしか見ていないのだろうか。叔父の口振りからすると、半獣半人の化け物と思われていてもおかしくなさそうだ。

 だが、思い当たるものがないわけでもない。漢主の使者として父に会いに来る漢人は、単于である父以外にはあからさまに見下した態度を取っていた。それは宗主国と属国という上下関係によるものであると思っていたが、ただ単に我らを穢らわしいモノとして嫌悪していたが故のものだったとすれば、納得もいく。

 蔡琰の対話を拒むかのような態度も、ただ疲労と心労のためなのだと思っていた。しかし去卑の話を聞いた後では、そこに我らに対する恐怖や嫌悪の感情があったのではないかと思えてしまう。いや、流石に飛躍しすぎだろうか。

 

 去卑は私の沈黙に何を感じたのであろうか、私の肩に手を置いてきた。

 いつの間にやら、私は名も知らぬ多くの人々から蔑視されるという未知の感覚に恐怖していたようだった。

 肩に乗る去卑の手は私のものよりも小さかったが、私を仄暗い思考から拾い上げるには十分だった。

 

──落ち着け。蔡琰の匈奴人観などどうでも良いじゃないか。我らをどう思おうと、少なくとも、今ここにいるのは、家族を失った哀れな娘だ。

 

 思考を切り替えるように私は話の続きを求めた。

 

「……では蔡邕とその家族は護送中に刺客によって殺され、たまたま蔡琰だけが生き残ったということですか」

 

「そうだ。もう少し詳しく言うなら、俺が単于庭に向かう途中、ちょうど襲撃に遭っている蔡邕たちを見つけ、刺客を皆殺しにした時に生き残っていたのが蔡琰を含めて3人だけだった。すでに蔡邕は死んでいたし、生き残った他の2人も傷が深くすぐに死んだ。蔡邕が宦官に狙われていることは知っていたし、見殺しにする気もなかった故、蔡琰には従者の変装をさせ、ここまで連れてきた」

 

「気の毒だが蔡邕たちの死体はそのまま放置した。あそこは街道とはいえ人通りがないからな。死体が見つかる頃には獣に食い荒らされて原型をとどめていないだろう。哀れだが蔡琰があそこで死んだことにするにはそうする他なかった」

 

 去卑の言葉に蔡琰は泣くことも呻くこともせずに、ただただ沈黙を守った。

 

「刺客の死体はどうしたのですか?」

 

「一部は蔡邕たちの元に残し、残りは道中埋めさせた。この事件の黒幕どもとしては、刺客も口封じのために殺すだろうからな。それを察知して逃げたように見せかけた。だが、なぜそんなことを聞く」

 

 そう言うと去卑は流石に話疲れたのだろう。卓に置かれていた水差しを直接口に含んだ。瞬間、去卑は顔を歪めた。まあ中身は薬湯なんだからそりゃそうなる。

 そんな去卑のことを置いておいて気になることはある。

 

「……懸念があるとすれば、黒幕側が襲撃の成否を確認するために見届け人をつけている場合です。それが襲撃者と共に居たのならともかく、襲撃者を監視するように動いていたのなら、工作の意味がなくなってしまいます」

 

 私の質問に薬湯の苦さを毒づいていた去卑は、一転して満足げに笑った。

 

「よくそこまで気づいた。当然配下には騎馬で三日の距離は探させた。だが、監視者のような者はいなかった。お前の言うように襲撃者に紛れていたのかもしれないし、もっと後方に待機していたのかもしれん。だが、三日もあれば、獣どもに死体は食い荒らされるだろうよ。それに宦官というのは執念深い割にどこか足りないところがある。そもそも監視者など用意していなかったのかもしれん」

 

 叔父がそこまで言うのなら、三日の距離には監視者はいなかったのだろう。我ら匈奴にとって并州の大部分は庭のようなものだ。それを余所者が我らに気取られずに身を潜めることは不可能であると言っていい。

 

 

 

 随分と長いこと話していたのだろう。すでに窓から指す陽の光は西に大きく傾きつつあった。

 部屋に差し込む西日の眩しさに思わず私と去卑がともに目を顰めた。もう去卑と話すことはほとんどなかった。ただ一つの、もっとも重大な事項を除いて。

 

「蔡琰の事情はわかりました」

 

 「そうか」と呟いた去卑は私に目を向けた。

 

「何故、蔡琰を私に預けると?」

 

 私は蔡琰に目を遣ったが、この長い間まったく感情に動きが見られなかった。家族や親しい人が目の前で惨殺されたのだ。その苦痛は想像もできないし、心が壊れてしまっていても不思議ではない。

 

「話を聞けば、叔父上は蔡邕の学問上の弟子となりますし、個人的にも彼を尊敬しているように感じました」

 

 私の言葉に去卑は大きく頷いた。

 

「確かに俺は蔡邕から直接指導を受けることは終ぞなかったが、彼を師と仰ぎ、その人格の高潔さにも敬意を抱いている」

 

「ならばこそ、蔡邕の最期の場に居合わせ、蔡琰を救ったのはもはや運命としか思えません。これは神々が蔡琰を叔父上に預けたと見るのが筋というものではありませんか。私はつい先程まで蔡邕の名すら知りませんでした。そんな私が蔡琰を預かるなど道理に反する」

 

 去卑は私の言葉に再び大きく頷いた。

 

「如何にも、私も当初そのように考えた」

 

「ならば──」

 

「だからこそなのだ。於夫羅」

 

 私の言葉を遮る去卑の言葉にはどこか悲しげな音があり、思わず押し黙ってしまった。

 

「俺は10年という歳月を漢で過ごしてきた。その年月はあまりに長かった。俺は漢人の心というものを知り過ぎてしまった」

 

 悲しさと悔しさが混ざった瞳が私を見つめていた。

 

「俺の心は依然変わらず匈奴のものと変わらない。だが、心のどこかでは匈奴の生活になど戻りたくない、という声があるのも事実だ」

 

 その告白はあまりにも唐突なものだった。

 

「俺の部族は朔方郡で生活している。朔方という語は漢語で北方を意味するが、それに付随する言葉は辺境、野蛮、未開だ。10年もの間洛陽というこの世界最大の都に居た俺にとって、朔方での暮らしはあまりにも辛すぎる」

 

「な、何を言っている……いるのですか」

 

 匈奴を束ねる単于の弟の言葉に、ただ唖然とする他ない。

 

「だが、それは耐えられない痛みではない。俺は匈奴の、(単于)の弟として果たさなければならない務めを忘れたことはなかった」

 

 カッと目を見開いた去卑は、亡霊のように部屋の隅に佇む蔡琰の腕を掴むや、私の目の前へと連れてきた。あまりにも強く掴んだのか、今までほとんど動揺することのなかった蔡琰が、怯えたように小さくか細い声を上げた。

 

「だが! だが、蔡邕の娘である蔡琰は駄目だ。蔡邕こそ、文明の中心地たる中華で生きるべき人間であった。それが哀れにも辺境に屍を晒し、その身を獣に喰われるとは、これほどの悲劇はない!」

 

 去卑が蔡邕に傾倒していたのは分かっていたが、これほどとは思わなかった。いや、蔡邕というよりも、去卑は中華の文明に魅入られたのだ。確かに、前世の記憶から見れば、定住せずに家畜を追って生活する匈奴は『未開』で『野蛮』である。そんな中から見上げる『文明』という光に憧憬をおぼえてしまうのも理解はできる。

 

「その蔡邕の忘れ形見を、朔方に連れ去り、無惨に朽ちさせるなど、俺には出来んのだ」

 

──人というのはここまで悲痛な顔が出来るものなのか。

 

 去卑の顔を見て抱いた感想はそれであった。

 去卑は中華という絢爛たる文明と自身に流れる匈奴の中でも特別な単于の血との板挟みになっているのだろう。その苦痛がどれほどのものなのか私にはわかりようもない。

 

「落ち着いてください。叔父上。蔡邕の忘れ形見を傷物にするおつもりですか」

 

 私は冷静を装い、叔父の昂りを鎮めにかかった。

 私の蔡邕を利用した言葉に、去卑はハッと我にかえり、慌てて蔡琰の腕を離した。蔡琰の白磁の腕には、赤黒い手形がくっきりと残り、その痛々しさを強調していた。

 自由になった蔡琰は再び元の部屋の隅に戻ろうとしたが、私はそれを止めた。

 

「蔡琰、いや昭姫。こっちに来て一緒に話を聞いてくれないか」

 

 私の言葉に蔡琰は立ち止まりはしたものの、逡巡した様子で数十秒ほど立ち尽くしていたが、諦めたように去卑の隣に置かれた椅子に腰を下ろした。私は蔡琰に「ありがとう」と伝えると、呆然としたままの去卑に向かい合った。

 

「叔父上。私は未だにわからぬのですが、昭姫を私の元に置いても、単于庭もまた中華から程遠い辺境であることに変わりはないのではありませんか」

 

 落ち着きを取り戻した去卑は少し申し訳なさを見せながらも語り出した。

 

「結論から言えば、お前が洛陽留学をする際にこの娘も共に連れて行ってほしい、というのが俺の願いだ」

 

「なるほど、それはたしかに叔父上の意向に叶う話だ。しかし、洛陽には昭姫の顔を知る者も多いのでは?」

 

 私は蔡琰に目線を向けたが、相変わらず話すつもりはないらしい。

 

「いや、蔡邕は厳格な儒教の実践者であったから、嫁入り前の娘をみだりに人前には出さなかった。俺も一度だけ輿に乗る蔡琰の横顔を見ただけだ。他の者、特に蔡邕を敵視するような濁流派の人間は、蔡琰の後ろ姿すら見たことあるまい」

 

 私は沈黙を保つ蔡琰に相違ないか尋ねたが、返ってくる言葉はなかった。しかし、そのかわりとばかりに蔡琰は小さく頭を縦に振ってみせた。

 

「叔父上の話は本当のようですね」

 

「どうだ於夫羅。俺の頼みを聞いてはくれぬか」

 

 去卑は私に頭を下げた。

 

「叔父上、頭を上げてください。私はまだ一番大切なことを聞いていません。それを聞くまでは叔父上の頼みに諾否を答える以前の問題です」

 

 怪訝そうに頭を上げた去卑を尻目に、私は蔡琰を見つめた。

 間近で見た蔡琰は美しかった。一見その白すぎる顔色から儚げな印象を受けるが、彼女の黒い瞳は知性を湛え眉は意思の強さを感じさせる。まるで正反対の特徴だが、それが見事に調和した美しさがそこにあった。

 

──そういえば、儒教は調和を重要視するのだったな。蔡邕は娘の容姿にまでその教えを実践したというわけか。

 

 思わずそんなくだらない感想が浮かぶ程に、見惚れてしまった。私と同年代のはずだがとてもそうは見えない大人びた容姿だったのだから、しようがない。

 

 話が逸れた。いや、ここに至るまでに脱線しまくっている気もするが、そんなことはどうでもいい。

 

「昭姫。今までの話は聞いていたか?」

 

 気を取り直して蔡琰に尋ねると、「はい」と手短な答えが返ってきた。

 

「おっ、ようやくお前の声が聞けたよ。よかった」

 

 羽冠のジイ様のように、なるべく明るい調子で話してみてはいるが、どうだろう。心に傷を負っているだろう蔡琰と会話をするさまを思い浮かべると、自然とジイ様の姿が浮かんできた。私の猿真似に彼女がどう思っているのか、見ただけではまるでわからない。まあ、ついさっき会ったばかりの相手の気持ちなど分かるほうがおかしい。

 

「つい数日前に家族を喪ったお前にこんなことを聞くのはかわいそうだが、どうなんだ。叔父上はお前を私と共に洛陽に送りたいと言っているが」

 

「わたしは、帰りたいです。洛陽へ」

 

 蔡琰はそう答えた。てっきり家族を亡くし心神喪失状態にあると思っていたので、意外な返答であった。だが彼女がそう答えるならば、その理由を聞かなくてはならない。蔡邕の娘である蔡琰もまた宦官たちに命を狙われる存在だ。一応蔡琰の顔は知られていないとの事だが、洛陽に行くというのは虎口に飛び込むのと同じ。最悪の場合、この場の三人だけでなく、父上たちにさえ危険が及ぶかもしれない。

 

「一応言っておくが叔父上に義理立てする必要はお前にはないんだぞ。叔父上のそれはあくまでも叔父上個人の願望にすぎない。お前が助けられたのを恩義に感じたのだとしても、わざわざ危険を冒すことはない」

 

 私の言葉に、去卑は流石に不快を感じたようだが、怒号も罵声もあげずに、聞きに徹するようだった。自身の思いが蔡琰のものより優先されるべきではないと、理解しているのだろう。

 

「たしかに、去卑さまにはわたしの生命を救っていただいた大恩があります。しかし、わたしが洛陽への帰還を望むのは、あくまでもわたしの望みによるものです」

 

 蔡琰の言葉にははっきりとした意思が通っており、先程までの弱々しい様子とはまるで別人であった。

 

「その望みとはなんだ」

 

 蔡琰はやはりはっきりとした口調で答えた。

 

「復讐です」

 

 まったく予想しない言葉に私だけでなく、去卑すら驚きをみせた。だが考えてみれば家族の仇討ちなんてよくある話だ。蔡琰にとって復讐というのは当然の選択だったに違いない。

 ただそんな復讐などという物騒な言葉が、蔡琰のような可憐な美少女の口から出るのでは、血生臭い言葉から一転して悲壮な美しさすら漂わすのだから不思議だ。

 

 私より一足先に我に帰った去卑は、どこか優しげな口調で蔡琰に語りかけた。

 

「蔡琰よ。復讐がくだらないなんて言うつもりはないが、宦官などというつまらん連中を殺すためだけに生きるというのはあまりに悲しい。別の道があるのではないか」

 

「いえ、私の生きる道はそこにしかありません。それに、わたしの復讐の相手は宦官ではありません。もちろん濁流派でも」

 

 先ほどから蔡琰の言葉には予想を裏切られてばかりだ。彼女の家族を殺したのは十中八九宦官と濁流派だというのに、それらは復讐の相手ではないというのだ。ならば誰に復讐するというのか。

 そうした私の疑問に応えるように、蔡琰の黒い瞳が私に向けられた。

 

「わたしは、父を、母を、皆を殺した宦官と濁流派よりも、そんなモノが存在することを許した漢という国を赦せないのです」

 

「わたしは漢を滅ぼすために洛陽へ帰ります」

 

 そう言い切った蔡琰の顔には、凄惨も悲壮もなかった。

 あるのは彼女の絶対的な意思の強さだけだった。

 

 私はそんな彼女の気高い意思の光に、胸が大きく高鳴るのを感じた。

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