『目標、補足』
綾波が操るエヴァンゲリオン初号機が、仮想空間に現れた第3使徒に素早くライフルを向ける。
『攻撃、開始』
淡々とした呟きと共に銃口から吐き出される、正確無比な三点射。
放たれた弾丸は狙いを外す事なく赤い球体に吸い込まれ、巨大な使徒がもんどりうって背後のビルに倒れ込む。高層ビルを鈍色のガレキに変えた使徒は、凄まじい轟音と共に真っ赤な爆炎と化して姿を消した。
「上出来よレイ。そのまま続けて頂戴」
『了解』
訓練を監督するリツコさんの言葉に短く返した綾波が、再び現れた第3使徒に向けてライフルを構える。牢獄の様な実験場に立たされたエヴァ初号機の上半身だけが動き、シミュレーション用ライフルの銃口がピカピカと赤く明滅する。
「シンジくん」
シミュレーション結果を映すモニターを細かくチェックするリツコさんが、理知的な声で僕を呼ぶ。
「これがエヴァの射撃訓練よ。レイのお手本をよく観察して、イメージを掴んでおいて」
「は、はい」
思わずこわばった声で返事をしてしまう。
暗い観測室、光るモニター、窓の外のエヴァンゲリオン、冷たい目つきのリツコさん。
支給された青いプラグスーツに全身を包みながら、僕はザワザワしたイヤな不安と緊張に手を震わせた。
『目標の沈黙を確認』
スピーカーから聞こえてくるのは、綾波の抑揚のない平たい声。
家や学校で見せる少し間の抜けた様子とは真反対なその冷たさが、僕の胸を更にザワつかせる。
(やっぱり、プロなんだ。綾波って…)
改めて実感する、自分と彼女の覚悟の差。
ただ流されるまエヴァに乗る事を決めた僕と、既に実戦すら経験している綾波。同じ家に住んでいるのに、まるで違う僕たちふたり。
殺人機械の様に淡々とバーチャル使徒を撃ち殺している今の綾波と、いつでもどこでも『私はお姉ちゃんよ』と僕にまとわりついてくる普段のちょっぴりヘンな綾波が、僕の頭の中でぐるぐると混ざり合ってはまだらに淀み、暗く見えなくなっていく。
『目標捕捉。攻撃を開始します』
一体どちらの綾波が、本当の綾波なんだろう?
◇
「いただきまーす!」
「…いただきます」
三尉の音頭に続いて、食卓を彩る温かな朝餉に手を合わせる。
「いただきます」
三尉の対面、私の斜め向かいに座る碇くんも、しっかりと手を合わせて一礼している。
…ヨシ。
「ずずっ…」
そっとお椀を手に取った碇くんが、静かに味噌汁を一口飲む。
…ヨシ。
「ずずずずずずずず…」
…ん、美味しい。
「おかわり」
「はいは〜い!」
今日も今日とて朝から元気な三尉に椀を渡し、おかわりを待つ。
その間も、私は碇くんの行動を細かくチェックしてゆく。
筑前煮を一口、米を一口、おひたしを一口…テーブルのメニューを行儀よく少しずつ食べ進める碇くん。
…うん、ヨシ。
「…あの、食べずらいんだけど…」
私の視線に気づいた碇くんが、困った様に眉をしかめて、チラチラと上目遣いを向けてくる。ここ数日でわかったが、碇くんは人の視線を特に気にする気質らしい。
とはいえ。
「おかまいなく」
「えぇ…」
やめる訳にはいかない。碇くんを『見守る』ことと『サポートする』ことが、私に課せられた使命なのだから。
「はいおまたせー!」
「ありがとう」
ずずずず…うん、美味しい。三尉の味噌汁はいつ飲んでも美味しいけれど、やはり朝一番に飲む味噌汁は格別に美味だ。これを一杯飲んで追加のおかわりを口にしないと、私の平日は始まらない。
ちなみに、休日の朝は大抵の場合野菜スープかポタージュになる。平日は和食、休日は洋食。それが我が家の朝食サイクルだ。
「今日は僕本部に行く日だから、ふたりともお留守番お願いね?」
「あ、うん」
「…ん」
ほかほかの白米の上で梅干しを崩す三尉の言葉に、毎朝出てくるたまご焼き(今日は中に海苔が入っている)を食べながら頷きを返す。私たちの返事を認めた三尉は、よろしくねーと柔らかく笑いながら筑前煮に箸を伸ばした。
「帰り、買い物は?」
「してくよー。何か食べたいのある?」
「じゃがじゃが」
「じゃがじゃがね、りょーかい!」
見事夕飯のリクエストに成功した。朝のうちに注文しておけば、大抵のリクエストに三尉は応えてくれる。
「ミナトさん、じゃがじゃがって?」
「ん?あぁ。肉じゃがのね、お肉無しバージョンなの」
小首を傾げる碇くんと、ニコニコ笑顔の三尉。碇くんは我が家の食事メニューをよく気にするのだ。元いた家でも料理をしていたらしいから、きっと違いが気になるのだろう。
家庭ごとに料理の味や様式が違う事は、ヒカリさんやクラスメイトたちの弁当を見ていればよくわかる。三尉のたまご焼きはしょっぱいが、ヒカリさんのたまご焼きは甘い、という様に。
肉類を使わない(ギョーザは別)我が家の料理と碇くんの料理は、きっと違いが大きいのだろう。
…と、いけない。
「碇くん」
「なに?」
「碇くんは、何が食べたい?」
私よりも、碇くんのリクエストを優先しなければ。
私は碇くんの『お姉ちゃん』なのだから。
「僕はなんでもいいよ」
そう曖昧に笑って、碇くんは逃げる様に味噌汁の椀に口をつけた。
「……」
碇くんは、いつもこれだ。三尉とはすっかり打ち解けた筈なのに、自分の要望をなかなか口にしようとしない。
三尉は言っていた。家族とは、友人よりも誰よりも近しい場所にいる相手なのだから、遠慮はせずにありのままの気持ちを、しかし確かなまごころをもったうえで打ち明け合う事が大切だと。
…碇くんは、三尉と私に遠慮をしているのだろうか?
(わからない…)
わからない。私には、碇くんの心の機微がわからない。自分の感情すらよく理解していない私に、彼の気持ちがわかる訳もない。
しかし、である。
『レイちゃん』
碇くんが我が家に来てすぐ、私は三尉にお願いされたのだ。
『いきなりのお引っ越しで、シンくんも色々大変だからさ。何かあったら、レイちゃんも助けてあげてね?』
『助ける?』
『そ、助ける』
碇くんを、助ける様にと。見守る様にと。そして、仲良くする様にと。
『レイちゃんは、シンくんのお姉ちゃんなんだから。ね?』
『お姉ちゃん…』
そう、私はお姉ちゃん。この家に来たのは、碇くんより私が先。よって碇くんは弟で、私は彼のお姉ちゃんなのだ。
お姉ちゃんとは、弟の守護者にして導き手であるらしい。
であれば私は碇くんのお姉ちゃんとして、彼のあらゆる行動を見守り、自分より彼を優先し、彼の生活を常にサポートする。そんなおねえちゃんに、わたしはなる。
…お姉ちゃんになれば…
『頼りにしてるよ?レイお姉ちゃん♪』
『頼りに…』
…きっと三尉は、私をもっと必要とする。
『…わかったわ』
…仕方ない。頼られたのなら仕方ない。家族からのお願いには、広い心で応えなければ。
仕方がない。仕方がない。全く三尉は仕方がない。
「お姉ちゃん…お姉ちゃん…」
(また綾波がぶつぶつ言ってる…)
改めて気を引き締めつつ、私も筑前煮のレンコンに箸を伸ばした。
うん、美味しい。筑前煮、美味しい。
「お姉ちゃ」
「こーら。もぐもぐ中はおしゃべり禁止でしょ?」
「……」
……。
つづく。
お子ちゃまお姉ちゃん系綾波レイという謎概念、襲来
(続きは明日か明後日投稿します♨︎)