━━━━『レースに絶対はない』━━━━
誰が言ったか知らないが、的を射た言葉だと心底思う。
パドックで見た時の「誰が強いか」だけでレースの順位が決まる訳じゃない。
人気が高いウマ娘が必ず一着になるとは限らない。
前回のレースで魅せてくれたウマ娘が何故か凡走することもある。
周りに囲まれて思うように抜け出せず、ズルスルと後方に落ち込んでいく実力者のウマ娘達の姿も何度も見た。
そして今、目の前の光景もまた、レースに絶対はないからこそ起こっているんだ。
『まさか、まさかの結果です!!大荒れのこのレースを制したのは─────』
実況の困惑と興奮の混ざった声が会場に響き渡る中、俺は呆然と立ち尽くすしか出来なかった。
話はレース開始30分前までさかのぼる
・ ・ ・ ・ ・ ・
京都ジュニアステークス。天候は曇り、バ場は稍重。
俺は一人、会場で空模様と同じぐらいモヤモヤとした気持ちでパドックが始まるのを待っていた。
まいったなぁ…今季デビュー組でも1・2を争う才覚をもつと言われてるウマ娘、ハッピーミークとこんなに早く当たるとは思わなかった。
彼女の場所を選ばない変幻自在の脚質は、その毛色も併せて「何色にも染まる純白の足」と言われているほどだ。
さらにそのトレーナーが「あの」桐生院家のお嬢様と来たもんだ。
今のウマ娘のトレーニング理論の基礎というべきものを作り上げた、トレーナー界でも名門中の名門。
そんなコンビとジュニア期初重賞で当たってしまうのだからなかなかに辛い。
思わずため息をついてしまう。
相手はあだ名や二つ名が付いたウマ娘と超エリートトレーナーのコンビ、
こちとらデビュー戦勝利のみのヘンテコウイニングライブウマ娘と新人トレーナーのコンビだ。
負けるつもりは毛頭も無いが、目に見えない格差に押しつぶされそうになる。
思考に没頭したいから目深に被った帽子をさらに深くして視界を遮った。
ハッピーミークの作戦がわからない以上、下手な作戦なんて何の意味も持たないだろうが、今はフクキタルの為に少しでもいいアドバイスを考えるべきだ。
とはいえフクキタルの得意な作戦は差し、後方で足をためてラストスパートで一気に末脚を決めるだけだ。
周りに釣られてペースを崩さないようにしてラストスパートで囲まれないようにするしかないのだが…。
…囲まれないように…か…。
「あの、マチカネフクキタルさんのトレーナーさんですか?」
「うぇ!?あ、え、は、はい」
意識外から急に声をかけられ思わず慌てふためいてしまった。
なるべく目立たないようにと気配を殺してた(つもり)が無意味だったようだ。
…声は若い女性、それで自分がフクキタルのトレーナーだと知っている人物…となれば、声をかけてきた人物は大体察する事が出来る。
目深に被った帽子を取って声の主を確認する。思った通りの顔がそこにはあった。
黒く艶やかな髪を肩の辺りまで伸ばした、いわゆるボブカットに近い髪形。
釣り目がちだけどキツい印象を受けない大きな目がこっちをしっかり見ている。
間違いなく桐生院葵女史だ。
「こうしてお話をするのは初めてですね。ハッピーミークを担当している桐生院葵です」
「こちらこそ初めまして。マチカネフクキタルのトレーナーです」
「今日は初の対決ですし、お見掛けしたのでご挨拶をと思いまして」
「ど、どうもご丁寧に。いやー桐生院さんに話しかけられるとは思いませんでしたよ。他のトレーナーにも挨拶を?」
「…いえ、こうして直接ご挨拶するのはあなただけにです」
「え?なぜに?」
予想外の返答に面食らって顔を上げる。眼前には笑顔の桐生院さん。
別段敵意を抑えてるとかそういう感じではないが…
「今日のレースはハッピーミークが勝ちますよ」
「…いきなり勝利宣言ですか」
「あ、そういう訳ではなくてですね、今日のレースで一番手強そうなのがマチカネフクキタルさんでして」
「はぁ」
「えーと、つまりですね…その、勝利宣言ではなく、ライバル宣言をと…」
なにやら照れくさそうにはにかみながら頬をかく桐生院女史。
あー、そういうことね。今後何度も勝負をするかもしれない相手と面識を作って、お互いに切磋琢磨しましょう!みたいな感じかー。
ぶっちゃけてしまうとスポーツ漫画みたいな展開がしたかったのかー。そして目を付けられたのが俺とフクキタルだったと。
…まいったねこりゃ。
俺、そういう展開大好きだったりするんだよなぁ。
「いいんですか?そんな風に余裕ぶっていると足元をすくわれますよ。勝つのはウチのフクキタルですからね」
あえて挑発するような言い回しをして、
「む…!いいでしょう、ミークの変幻自在の走り、とくとご覧ください!」
それに乗っかってくる桐生院女史。
ムムムムム…!って擬音が聞こえそうな睨み合いが数秒続き…
どちらともなく思わず笑ってしまう。妙な緊迫感はその瞬間霧散した。
「すみません、お付き合いして頂いて」
「イヤイヤ、こういうノリ嫌いじゃないですし」
「でも、やっぱり勝つのはミークですからね」
「こちらこそ負ける気はありませんよ」
当然そこは譲れない。
勝利の席は一つ。相手はそれを奪い合う競争相手だ。
「今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、今後ともよろしく」
差し出された手を握り返す。その後彼女はぺこりと会釈して去っていった。
桐生院葵…
これから先クラシック戦線、シニア戦線で必ず大きな壁になる相手だ。
馴れあうつもりはないが、バチバチと敵対心むき出しになるより友好的にした方が損はないだろう、多分。
おてて、やぁらかかったなぁ…
なんてちょっと不埒な事を考えてたら後方が何やら騒がしくなっていた。
「…やっべ!パドック始まる時間じゃないか!」
…とりあえずギリギリ間に合ったとだけは言っておく。
・ ・ ・ ・ ・ ・
本バ場入場前の地下通路。
俺は壁に背を預けながらパドックの様子を思い出していた。
フクキタルの人気は2番、1番人気はハッピーミークだった。
パドックに現れた変幻自在の白毛ウマ娘の姿を目にした観客の口から出たのは、感嘆の声ではなく驚愕のざわめきだった。
本当にジュニア級か?早熟過ぎる。どんなトレーニングを積んだんだ。等々…
実際目の当たりにした俺も言葉が詰まった。勝負をする相手を間違えたかと後悔すら覚えた。
…ただ、一番注目されているが故に彼女が不利になる要素もある。そこを突ければ…
「トレーナーさん!」
ぐるぐると思考の渦に飲まれている俺に元気な声をかけてきたのは、俺の大事な担当ウマ娘フクキタルだ。
「また難しい顔をしてますね。トレーナーはピンチの時こそ太々しく笑うもの!ですよ!」
「あー、もう入場時間だったか…そんなひどい顔してたか?」
「それもう眉間のシワがくっきりと。…やっぱりミークさんの事ですか?」
「ああ…彼女は間違いなくほかの出場ウマ娘の一回り以上仕上がってる。手強いぞ」
おまけに彼女の作戦はレースが始まるまで全く予測が出来ない。故に対策も難しいが…
「ただその分周りからも注目されているだろうから、突くとしたらその点だな」
「と言いますと?」
「なるべくミークからは距離を取るようにしよう」
一番人気の注目株、それ即ち周りからもマークされるということ。
もしミークの周りに他のウマ娘達が固まっていたら彼女も走りにくい、抜け出すのも大変だろう。
そこに巻き込まれないようにすれば…
そんな助言をフクキタルは腕を組んでフムフムと聞いて一言。
「なるほどなるほど。トレーナーさんも策士ですねぇ」
「いや普通の作戦だろ」
…普通だよな?
「とにかくマークに巻き込まれないようにしつつ足をためて、ラストスパートでぶっちぎれ!」
「わっかりました!…行ってきますね、トレーナーさん!」
「おう、頑張ってこい」
地下道から外へと向かうフクキタルの背中をポンと軽く叩いて見送る。
このレースで俺のやれる事はここまで。
…あとは、彼女の世界だ。
とはいえこの瞬間も「まだ出来ることがあった」だの「もっと効率のいい方法がなかったか」だの焦燥感と後悔が襲い掛かって来る。
いつになったら「やれる事は全部やった」と胸を張って言えるようになれるんだろうな、俺は…。