出島さんが淹れてくれたアイスティーを楽しんでいると、橋高さんが書類を持ってやって来た。
「ここにサインをお願いします」
「はい」
どうやら何かのサインが必要なようで、私は特に気にすることもなく二人の会話を聞いていた。
「……そのポーズはいったい?」
「これが私の欲求不満のサインです」
「書類にサインして欲しいと言ったはずですが」
「失礼。最近ご無沙汰でして……」
横島先生のように現地調達が難しいのか、出島さんは最近ご無沙汰なようね。まぁ、私と一緒に行動してる事が多くなっているから、出会いも減ってるんだろうな……
「あっ、間違えて昔の姓を書いちゃった」
「え?」
出島さんがミスすることは珍しくは無いが、聞き流せないことを言っていたような気がして、私は橋高さんに確認する。
「出島さんって既婚者?」
「初耳ですが……」
私よりも出島さんの事情に詳しいであろう橋高さんも知らないとなると、もしかしてこの屋敷に務める前から結婚していたのかもしれないわね……
「女優(意味深)時代の芸名書いちゃいまして」
「どれどれ~」
出島さんに間違えて書いた名前を見せてもらい、スマホで検索する。
「あっ、ホントだ~。名前検索したら出てきた~」
「えぇ……」
私は出島さんが有名人であることに感動したのだけども、橋高さんは呆れている様子……同僚が有名女優だなんて自慢出来ることなのに、何が気に入らないのかしら。
「これ、どう修正すればいいですか?」
「間違えた箇所を二重線で消して、修正印を押しておいてください」
「分かりました」
なるべく早くこの場を去りたいのか、橋高さんは何時も以上に事務的な態度で出島さんとの会話を済ませ、書類を持って去っていってしまった。
「それにしても出島さんが女優だったなんてね~。今度作品を探してみようかな」
「お嬢様に見ていただくようなものではありませんが、興味がお有りでしたら」
「うふふ、シノちゃんやスズちゃんも呼んで鑑賞会しようかしら」
「知り合いに見られるなんて……興奮してきました」
息を荒げる出島さんを見て、私は笑みを浮かべる。タカトシ君も呼びたいんだけど、絶対に興味ないだろうしなぁ……
コトちゃんがトッキーたちと集まって残りの宿題を片付ける為に出かけているので、今津田家には私とタカ君の二人きり。何だか新婚気分です。
「義姉さん、後は俺がやりますから」
「気にしなくていいって。タカ君はリビングでゆっくりしてて」
「ですが――」
「タカ君は働き過ぎなんだから、今日くらいはお義姉ちゃんに甘えてください」
なおも食い下がろうとしたタカ君だったが、私が断固譲らないという姿勢を見せると諦めてくれた。普通ならサボろうとして悪あがきするのだろうが、タカ君は真面目だから。
「(タカ君が使ったお箸……もう慣れてきましたが、まだちょっとドキドキしますね)」
全く何も感じなくなってしまったら終わりなのでしょうし、私はこのドキドキを大切にしようと思っています。
「(何だかサクラっちやカエデっちのように初心になった気分です)」
以前の私ならタカ君とディープキスできると浮かれていたかもしれませんが、タカ君がそう言うことを嫌うので、私も自重しているのだと自覚し、何だかタカ君に変えられてしまったようだと浮かれる。
「片付け終わったよ~――って、何でタカ君はリビングで歯磨きをしてるの?」
「偶々見ていたテレビで、時間を掛けながらの『ながら歯磨き』が良いと言っていたので試しに」
「なるへそ」
タカ君がテレビでやっていた知識を実行するなんて珍しいと感じながら、私は自分の歯ブラシを取りに洗面所へ向かい、リビングに戻る。
「私も一緒にします」
「お好きにどうぞ」
タカ君も止める理由がないと判断したのか、私が隣で歯磨きをしても気にしなかった。まぁ、気にすることじゃないしね。
「ただいまー」
私が歯磨きを始めたタイミングでコトちゃんが帰ってきたようで、真っ直ぐにリビングにやって来た。
「疲れたー」
「おふぁえり」
「!?」
口から白いものが零れ落ちそうになったけども、私は笑顔でコトちゃんを迎え入れる。ただ、それでちょっと勘違いされたみたいだけど。
「お義姉ちゃんたち、リビングで何をして……?」
『シュコシュコ』
コトちゃんの質問に答える為に、私は歯ブラシを動かして見せる。その時に手で歯ブラシが見えにくかったようで、コトちゃんは盛大に勘違いした。
「あわわ、遂にお義姉ちゃんがタカ兄の息子を――」
「バカなこと言ってないでさっさと手を洗って風呂に入れ。八月一日さんの家で夕飯は済ませてきたんだろ?」
「タカ兄、遂に性に目覚めたんだね!」
「歯磨きしてただけで何を言ってるんだ、お前は」
「えっ、歯磨き……?」
タカ君に言われて漸く私たちが歯磨きしていたんだと理解したコトちゃんは、責めるような態度で私に詰め寄って来た。
「お義姉ちゃん、紛らわしいことしないでよ!」
「そもそもタカ君がこんなところでしゃぶらせるわけ無いでしょ?」
「それもそっか」
「「あははははは」」
「今すぐ黙るか、正座して怒られるか選べ」
「「………」」
久しぶりに純度百パーの殺気を浴びせられて、私たちはすぐに押し黙ったのだった。
最後の最後に鬼のタカトシ降臨