さも当然のことを告げるような言葉は、ひどく優しい響きをしていた。
遠く、波がさざめくような音。笑い声。軽快に走る足元で砂が飛び散る。──眩しい。まぶしい。
喉の奥が乾くような熱と懐かしさに、泣き出したくなるのを堪えて、
午後の溶けるような金色の陽光を目蓋の裏に覚えていたのに、目が覚めてみればすっかり夜だった。
何か長い夢をずっと見ていたような気がする。賑やかで、浮き立つようで、とても駆け足な夢。
窓を閉めているのに海の匂いがしたような気がして、ゆっくり息を吐き出す。
「よっ、起きたか?」
ひょい、と白い美貌が私を覗き込んだ。今まで何度も見たあの角度で。
……いつからここにいたんだろう。
ゴールドシップ、と口を動かすと、薄紅色の眸がにっと笑う。銀色の髪が星のようだと今さらのように思った。
「すっげえ気持ちよさそうに寝てたぜ、吊し切りされてるアンコウみてーに大口開いてたな」
……これは恥ずかしい。
思わず口元を押さえる私を横目にぎし、と音を立ててゴールドシップが椅子に座り直した。
こうして見ると本当、深窓の令嬢としか言いようがない美貌だ。掴みどころのない笑みや奇天烈な言動がなりを潜めた途端、驚くほど整った生き物が現れる。
切り揃えられた長く癖のない銀髪、涼し気な目元の薄紅色の眸、小さな唇、白く滑らかな肌、均整のとれた体躯──こちらは随分と変わったのに、初めて出会った時と殆ど変わらずしなやかで美しい姿で、やはり、自分達とは違う生き物なのだと実感する。それがとても寂しくて、だけどだからこそ、あれだけ輝いて美しく目映いのだとも思った。……まあ、もしかしたら、ゴールドシップだからかもしれないけれど。
枕元には魚のマークが入った、私には読めない文字の缶詰が山積みになっている。……見舞いの品なんだろうか?その上に分解されたルービックキューブを無造作に置いて頬杖をつく様は、夜の色が滲む白い部屋に呆れるほどよく映えた。
窓の外には爪痕のような月が白く浮かんでいる。
随分と待たせてしまったのだな、とふとそう思った。
自分が眠っている間、たいそう退屈だっただろうに。
そのことについて詫び、いくつかお決まりの茶番をして、それから二人で他愛もない話をいくつも、いくつもした。一緒に深海で七日間過ごした話だとか。名探偵ゴルシが放送百二十億とんで五六四回目を迎えたとか。国家機密についてだとか。トーセンジョーダンのロッカーに生きてるシャコを詰めたらロッカーがシャコにベコベコに凹まされて怒られたとか。ゴールドシップは相変わらずゴールドシップであったし、私は私だったものだから、奇天烈な四方山話は静けさが沈む部屋に大いに花を咲かした。
……どれだけ話しただろうか。
随分と盛り上がったものだから、少し疲れて枕に頭を委ねる。
途端にゆるゆると力が抜け、目蓋を閉じる。体温を吸った生温いシーツに身体が沈んでいくような錯覚をおぼえた。あれだけ眠ったのに、瞬きするたびに眠りに落ちそうになる。
眠ったら、この娘はどうするだろうか、などとうつらうつらしながら考えた。ひどく、眠たかった。
「なー、あれ覚えてっか?」
なにかな。
「前に百年後ヒマだったら宇宙行こうぜって、オマエに言ったろ」
ああ、言ってたね。
いつだったか、そんなことを確かに言っていた。
百年。遠くて近いような、水の底のような響きの不思議な言葉だ。もう落ちる砂のない私にはいっそ愛しいような感じもするけれど、あの頃の自分はそれをどんな風に聞いたのだったか。漠然とした風合いの言葉を、若い自分は、なんと受け止めたのか。
「アレ、アタシの故郷のゴルゴル星に現地集合だかんな。ちゃんとラップ持ってこいよ」
……それは何光年先の話だろうか。
せめて最寄りの月辺りで待ち合わせにしてほしい。絶対迷うから。
しゃーねーなー、ドーナツも忘れんなよと腕を組むゴールドシップを横目に、小さく息をつく。
宇宙初心者なのだから、今度ばかりは目を瞑ってほしい。何せ宇宙は広いのだ。何処にあるのか全く分からない星にこの奔放な案内人なしで辿り着ける気がしない。
まあ、いいか。これからは長く暇になるのだし。月にぐらいきっと行けるだろう。
なあ、と呼び掛けられて彼女を見上げると、なんでもないように軽い様子で笑いかけてくる。あの緩くて、今まで何度見たか分からない、とびきりの笑顔で。
「アタシに会えて、アンタの人生面白くなっただろ?」
そうだね。本当に。本当に楽しかった。
唯我独尊、傍若無人、全く行動が読めなくて気まぐれで理不尽で、そのくせ思いのほか面倒見が良くて、ふと気遣いを見せた次の瞬間にはやや左斜め上の方に跳躍する。
予想できない奔放な言動にあれだけ振り回されて、振り回されて、振り回されて──それでも最後の最期まで掌に残っていたのは楽しかったという思いばかりだ。
長い付き合いの今ではあの奇行、もとい振り回しもゴールドシップなりの甘え方だと分かっているけど、新人の自分には荷が重いんじゃないかと悩んだこともあったのだ。……この暴れウマめ。
言ってやりたいことは山ほどあって、苦労も数え切れないほど。ドロップキックを食らうことも日常になり、あちこち駆けずり回って引きずり回されて脱力して頭を抱え。それでもその背中に食らいついて、ずっと追いかけ続けたことに後悔はひとつもない。
半ば意地であったし、それでも。
──今でもずっと金色の船に魅せられている。
ゴールドシップに捕まって始まったあの三年間。
あれから多くの人やウマ娘と関わってきた。
思い出すものがあって、無くなった場所も、いなくなってしまった人も変わってしまったものもたくさんあったけれど、強く強く今も胸に、鮮やかに。
初めて会った時から、今の今まで、その全て。
どうしようもないくらい一番、君が焼きついている。
その航跡は私の夢そのものだった。
一瞬だって退屈な時なんてない。
おかげで私はずっと満ちて、本当に、楽しかった。
私の初めてが、君で本当によかった。
私の金色の船にそう言ってやりたかったけど、もう、その力がなかった。
さようなら、先にいくよ。
「ああ、百年後に宇宙でな。遅れんなよ」