事故で記憶喪失になったトレーナーに関する怪文書   作:いい

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公式から二次創作ガイドラインが発表されて戦々恐々としたので初投稿です。


#2

「トレーナーさん、おはようございます!」

 

「おはようございます、チケット。朝も早いのに、元気ですね」

 

 

 腰から下が動かないので、正直なところ生活は不自由を極めた。何せ現代の製品の大半は健常者を対象にしている。

 

 私の自室にバリアフリーなどという概念は無かった。どういうことかと言うと、生活の補助をしてくれる誰かが必要になった。

 

 ただ、私には頼れる親族などは存在していなかったらしく、つまり当てがなかった。ヘルパーを雇おうにも、それにも金が掛かる。私の懐は寂しかった。

 

 チケットは優しい子で、私の世話を焼くのだと言ってくれた。そのために、私は自宅──トレーナー寮の鍵のスペアを彼女に預け、こうして朝から生活を助けてくれる。

 

 頭が上がらない。彼女にも、彼女の生活があり、青春があるはずなのに──私がそれを奪っている。本当にこのままでいいのだろうか。

 

「体、起こすね」

 

「……すみません」

 

「謝らないでよ、トレーナーさん。……あたしがやりたいんだ。それともやっぱり迷惑だった? トレーナーさんにとって、あたしは邪魔……なのかな」

 

 本当に不安そうな表情で、チケットが見てくる。彼女はずっとこの調子──とまでは言わないが、どうにも不安定だ。

 

「ねえ、トレーナーさん。あたし──」

 

 怖がっていると言うべきだろうか、彼女はずっと私を真正面から見ない。

 

「朝のトレーニングに向かうのでしょう? 面倒を掛けますが、準備をお願いしていいですか、チケット」

 

「……うん、あたしに任せて!」

 

 そしてその度に、私は誤魔化すようにそうしている。私はあなたに怒っていないと、そう示すようにして。

 

 

 

 

 

 

 

   ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──幸運と呼ぶべきか、それとも日頃の賜物と呼ぶべきか。

 

 私は几帳面な性格だったらしく、膨大な数のメモが自宅に残されていた。レースに対する知識は私の頭の中には残っていて、何となく理解できた。

 

 チケットの過去からの走りのデータ、気が付いたことや傾向、やってきたトレーニング。次に出走予定のレースへの対策は纏めかけてあった。

 

 それと──このデータは何だろう? チケットのものじゃない走行データが一人分……。この名前は……ナリタ、タイシン? 誰だろうか。しかしこの走行タイム──2000m芝、えーと、半年くらい前のデータだが、相当早い。チケットの当時のタイムと比較して2秒以上の差がある。一つ上の世代だろうか?

 

 幸い、当面のトレーニングは何とかなりそうだ。彼女──チケットの調子は良い。これまでのタイムを見る限り、かなり順調に思えるが……。

 

 ただ文面というか、そういうものからあまりポジティブな印象が伝わって来ないのは何故だろうか。どうにも不安になる。

 

 そもそも何故、彼女のデータがあるんだ? 私の担当はチケット一人であり、確認済みの事実のはず──ナリタタイシン、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『君が──いつか、見つけられることを願うよ』

 

 どの口で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ミーティングは以上だ。最近は冷え込む。体調には気を配るように。では解散」

 

 慣れた様子でそう言うと、『チームリギル』の面々はガヤガヤとしながら解散していった。それに続く形でスマホを取り出して帰ろうとすると呼び止められる。

 

「ああ、タイシンは残れ。話がある」

 

「……話?」

 

「そうだ」

 

 いつも通り、東条トレーナーは冷静に答えた。数人のメンバーが振り返ってこっちを見ているが、それを黙殺した。

 

「君の前任のトレーナーと、次の出走レースについてだ」

 

「……」

 

「まあ座れ。……君が何を言いたいのかは分かっている。君の望むレースに出走することを止める権利は私にはない。それが彼との契約だからな」

 

「……じゃあ、何?」

 

「私には、トレーナーとして担当ウマ娘の()()に対し、最低限の警告を発する義務がある。単刀直入に言おう──有馬記念には出るべきではない」

 

「あっそ。でもあんたの警告なんて、アタシの知ったことじゃない」

 

 東条トレーナーはこれ見よがしにため息をついた。

 

「質問する。ここ二週間程度で、君は彼に会ったか?」

 

「は? 何、いきなり」

 

「まずは答えてくれ」

 

「……会いたくもない。あんなヤツ」

 

「そうか。やはり知らなかったか──二週間ほど前、彼は交通事故に遭った」

 

 ──思考が真っ白に染まった。

 

「……は?」

 

「意識不明の重体だったそうだが、昨日退院したばかりだそうだ。だが……大きな外傷はなかったらしいが、打ちどころが悪かったらしく……下半身不随の後遺症を負ったらしい」

 

 事故?

 

 頭の中を疑問符が埋め尽くした。どうして? そればかりが反響している。視界が均衡を失っていく感覚がする。

 

 視線の高さが勝手に動いた。何故だろうか。

 

「なっ……おい待て。話を最後まで聞け──おい、どこへ行く!?」

 

「……な訳ない」

 

 トレーニングの後の疲弊した体だけが鬱陶しい。どうして体が疲れているんだ、疲労なんて邪魔だ。消え去ってしまえ、ああもう早く走れ。この役立たずが!

 

「違う、違う、違う、違う……そんな訳ない、そんな訳ない……ッ」

 

 ──部屋から灯りが漏れている。

 

 余るくらいの勢いでドアを開いた。その先に居たのは。

 

「……た、タイシン?」

 

 ──突然のことに目を丸くしているウイニングチケットと、そいつが両手で握っている車椅子の取手、そこから繋がった椅子に座っているのは──。

 

「え? な、なんです?」

 

 ふざけた顔だ。こっちの気も知らないで──呑気な顔してッ!

 

「……ねえ。アタシ、聞いてないんだけど」

 

「は、はいぃ?」

 

 気の抜けた返事が返ってくるばかりで、他には期待できそうにない。ズカズカと歩き寄って、今では見下ろせる程度になってしまったバカに向かって言う。

 

「何……勝手に、事故に遭ってんの。ふざけないでよ」

 

「あ、あの? え? え?」

 

「ふざけないでよッ!」

 

「ええええええええ」

 

「ちょ、タイシン、タイシン!? お、落ち着いてよ!?」

 

「あんたは黙ってろ、チケットッ!」

 

 声を聞くだけで──怒りが収まらない。そっちにも言いたいことは山ほどあるが、今は優先するべきじゃない。

 

「あ、あのー。その、どうしました?」

 

 は?

 

「どうしました……だって? ふざけんなよ」

 

「ええ、いえ、あの──その、えええええ……?」

 

 狼狽えているバカの襟元を掴んで、車椅子からひっぺはがし、床へ軽く放り投げた。車椅子も一緒に引っ張られて横転し、大きな音を生んだ。

 

「──うわわっ!?」

 

「タイシンッ!?」

 

 驚愕と敵意の混ざった眼光がウイニングチケットを貫いた。

 

 ナリタタイシンはろくに受け身も取れずに床へ落ちたトレーナーを見て顔を顰める。危険な状況になれば人間は反射的に体が動くはずだが、今のトレーナーの動きにそれはなかった。より具体的には、腰から下が全く動いていなかった。辛うじて腕が動いていただけで、それはつまり信じたくなかった事実が真実であることを示している。

 

「……マジで、動かないの」

 

 ナリタタイシンの肩は震えている。

 

 腕だけで体を持ち上げて、困惑と怯えの混ざった顔でこっちを見上げてくるトレーナーに、少しずつ歩み寄る──。

 

 ──トレーナーを庇うように、ウイニングチケットがそこに立っていた。

 

「どいて」

 

「退かない。トレーナーさんは、あたしが守る」

 

「……へえ? あたしが守る? どの口で──守れなかった癖にッ!」

 

「──っ」

 

 ウイニングチケットの耳がびくっと動いた。滅多に怒鳴らないナリタタイシンの大声に驚いたのもそうだが、その内容に対する恐怖も含まれている。

 

「そうでしょ!? 何が『守る』だ! あんたが居ながら──ッ!」

 

「そ、それは……」

 

 ウイニングチケットは完全に勢いを削がれ、顔を俯かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方トレーナーサイド。

 

(あかん。何これ?)

 

 なんかいきなり修羅場始まったんだが。

 

「分かったらそこを退けっての」

 

(やばいあの子なんかめっちゃキレてる。っていうか誰!?)

 

 トレーナーは完全に恐怖していた。それもそのはず。

 

 本当に突然始まった修羅場に身を縮こませていると、状況に変化が発生した。

 

「……退かない」

 

「は?」

 

「トレーナーさんに何するつもりなの、タイシン」

 

「あんた──」

 

「タイシン。半年前、なんでタイシンがここを去っていったのか……ずっと教えてくれなかったよね。タイシンがずっとトレーナーさんを恨んでること、あたしは知ってるんだよ」

 

 ナリタタイシンから放たれていた圧力とも呼ぶべきものに対抗するように、ウイニングチケットも段々と語気を強めていく。

 

 ウマ娘という人間と比較にならない身体能力を持つ彼女たちには、本能としてそれを持つ。それは闘争心──本来はレースにて発揮されるべきものだ。

 

 それが剥き出しのまま放たれるとどうなるか、トレーナーは体験していた。

 

(ほわわわわわわわやばいやばいやばいやばい。マジでやばいヤツですよこれは。止めなきゃいけないですよね、でも下手に手を出すと私が死ぬぞ。ひとまず刺激しないように──)

 

「トレーナー、下がってて」

 

(何を始めるつもりなんです!? ってか、殴り合いの喧嘩は本当に不味い──)

 

 そう、人間同士の喧嘩ならまだしも、ウマ娘同士の喧嘩は冗談抜きで死者が出る。体に見合わないオーバースペックを持って、人間とそう大して変わらない耐久力で殴り合えば、良くて意識不明の重体、或いは簡単に死ぬ。

 

 例えば骨の耐久力──ウマ娘の不可思議筋力を持って、全力で人の顔なんか殴ってみろ。頭蓋骨なんて簡単に砕けるし、殴った方の腕の骨も粉砕する。

 

 そんなわけで、もしもトレセン学園内でそんなことが起きてしまったら、彼女たちは二つの意味で二度とレースには出れなくなってしまう。

 

 一つは不祥事的により、社会的な罰としてレースへの出場権を失う。

 

 もう一つは、物理的に体が壊れてしまい、レースに耐えうる体を失ってしまう。一度壊れたガラスはそう簡単には元には戻らない。レースで故障したのなら復帰へのある程度のノウハウは揃っている。だがそれ以外の要因によるものは、過去のウマ娘の起こした暴力事件の例を見ても治療されて完治に至ったケースは少ない。最低でも後遺症は残る。

 

 そこのあたりの知識は当然、記憶喪失になったトレーナーにも残っている。つまり止めなければならないことも理解している。

 

「……知ってるから何? 何が言いたいわけ?」

 

「トレーナーさんに危害を加えるなら、あたしが許さない。今のトレーナーさんは、酷い怪我をしたばかりなんだよ。あたしが守る」

 

「別に傷つけようなんて思ってない。そもそもそいつには、そんな価値なんてない。……大体、一言二言か言いに来ただけなのになんでこんなことになってんの?」

 

(こっちの台詞ですが!?)

 

 トレーナーはそう思ったが、決して口には出さなかった。迂闊なことを言うと本当に殺されるような気がしたのだ。

 

 ナリタタイシン──記憶を無くしてトレーナーは覚えていないが、かつては担当ウマ娘だった。そして現ウイニングチケットのチームメイトでもある。BNW──そう呼ばれたうちの二人を担当していた新人トレーナー。

 

 一時期は天才だなんだと騒がれたが、それも随分前の話である。少なくとも今は、この元担当ウマ娘から放たれていた殺気で気絶しそうになっていた。というか正直気絶できるものならしたかった。

 

「タイシン、今日はもう帰って。悪いけど、今のタイシンがまともに話をしに来たとは思えない」

 

「……チッ。面倒なことになった──そもそもあたしは、そいつに話なんてない。そんなヤツ、気にしたこともない」

 

 この嘘つき、とウイニングチケットは思った。

 

「じゃあトレーナーさんに何の用なの?」

 

「別に、ただの確認」

 

 そんな言葉がどこまで本当なのかどうか、少なくともウイニングチケットは信用しなかった。少なくとも自分たちは一年前のように良好な関係ではない。心のどこかでは、まだ友人だと思っている──いや、そう思いたいだけ。

 

 ウイニングチケットにとって大切だったその関係がどうして壊れるに至ったのか、それはずっと知らない。知りたかった。知ろうとした。けれどやがて、そんな余裕も無くなった。そんなものはこの一年間のクラシック戦線で粉々に砕け散った。

 

「……別に、あたしはここであんたとやり合いたい訳じゃない。面倒ごとは嫌だし」

 

 そう言いながらも、ナリタタイシンはじっとウイニングチケットを睨みつけていた。その威圧感からトレーナーを守るように、ウイニングチケットはそれを真正面から受け止めている。

 

 充満していく張り詰めた空気がもう少しで臨界点に達して、そろそろ気絶したいとトレーナーが現実逃避気味に考えていた頃に、ようやく言葉が聞こえた。

 

「ねえ、あんたさ」

 

「何?」

 

「違う、あんた(チケット)じゃない。女に守られてる情けないトレーナーの方に言ってる」

 

(……私って、もしかして相当嫌われてます? え? どうして?)

 

 かなり当たりが強い言葉だった。困惑しながら、しかし記憶喪失であることを明かすわけにもいかず、その疑問を置いたままトレーナーは返事をした。

 

「わ、私に……何か?」

 

「……トレーナー、続けんの?」

 

「はい?」

 

「だから、その……チッ、いいから答えろ、このバカ!」

 

 突拍子のない言葉により、更なる困惑がトレーナーを襲った。ウイニングチケットは一方、その言葉を聞いて何かに気がついたように、小さく"あっ"と零した。

 

「え、ええと……私自身は、トレーナーを引退するつもりはありません。少なくとも、今のところは」

 

 トレーナー自身、自分がかなりのハンデを背負っていることは理解している。下半身不随、記憶喪失──加えて、記憶喪失の方はその事実を隠さなければならない。勝手に背負い込んでいるもので、馬鹿な選択だとは理解しているが──。

 

「……あっそ」

 

 それを聞いて満足したのだろうか、すぐにナリタタイシンは踵を返した。

 

 がっちゃん。扉が慣性に従って閉じた後、トレーナー室には僅かな間の静寂が残された。

 

 それからウイニングチケットは床に投げ出されたままのトレーナーを助け起こし、車椅子にもう一度乗せた。

 

「ありがとうございます、チケット。……それにしても、彼女は一体何をしに来たんでしょう」

 

 未だにトレーナーはそんな調子で、困惑が大きすぎて宇宙猫みたいになっていた。

 

 それとは対照的に、ウイニングチケットの方はなぜだか嬉しそうにしていた。

 

「あたしは分かったよ!」

 

「ええ……? なんでぇ……?」

 

 さっきまでなんか修羅場を演じていたはずなのに、チケットは非常に晴れやかな顔をしている。

 

「トレーナーさんは気が付かないの?」

 

「いえ、さっぱり」

 

 何ならさっきの小さなウマ娘の名前もちゃんと分かりません──とは言えなかった。

 

「もー、トレーナーさんってば鈍すぎだよ〜! タイシンはね──」

 

 

 

 

 

 

 

 

    ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冷たい廊下の空気が皮膚の温度を奪う。

 

 ナリタタイシンはそんなことなど全く気にせず、早足で歩いていた。頬が緩みそうになるのを必死に堪えながら、そんな自らの本心を誤魔化すように歩いていた。

 

(……引退は、しないんだ)

 

 ──最初に思い浮かんだのは、トレーナーがトレーナーを引退し、どこかへ消えてしまうかもしれない、という想像。

 

 トレセン学園では珍しくないことだから、反射的に連想してしまったのだろう。大怪我を負ったウマ娘はそのまま引退し、学園を去ったりすることが多い。ただ、一定数トレセンに残って、選手としてではなく別の形でレースに関わることを選択するウマ娘は必ず居る。

 

 ただ、それはあくまで、怪我が治る見込みがある場合だけだ。大怪我を負って、以前のように全力で走ることが叶わなくなっても、少なくとも日常生活は送れるようになる──そういう見通しがあるからこそ、そういった進路を選択できる余地が残っている。

 

 ただもしも、その怪我が完治したりせず、日常生活に支障が出る後遺症を抱えている場合は話が違う。ナリタタイシンはそれに関してはそう詳しいわけではないが、あまりいい方向には向かわないだろう。そしてそれは、人間にとっても同じことだ。

 

(良かった)

 

 トレセンを去っても、おかしくない。そういうハンデをトレーナーは抱えることになった。だから、ナリタタイシンはそう思った。

 

(──って、違うし! だ、誰があんなヤツ──っ!)

 

 クラシックを経てトレーナーの元を去り、リギルへと移籍した三冠ウマ娘ナリタタイシンは、ぶんぶんと首を振って早歩きで去っていった。

 

 




・トレーナー
(命が)掛かっているかもしれません

・ウイニングチケット
 元気少なめ

・ナリタタイシン
 無限にかわいい

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