酷く『幸運』なウマ娘   作:2+e

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「姉ちゃんの毛、すっごくきれー!」

 弟の無邪気な声に宿るその意思は、どこまでも純白だった。
 だからこそ私もそのままに、無垢な喜びを得る。

 これが例えば、同級生の物だと私はどうなのだろうか。
 世辞との判断が付かず、きっと少しの迷いが出るだろう。

 そしてそれが、私に不実というほんの少しの不純を、正しい喜の感情を生み出させない濁りを作るのだろう。

 だから私は、弟が好きだ。

「ありがとう、―――。」


「本当、とても綺麗ね。誰に似たのかしら?」

 両親は、私に嘘を吐く。

 それはとても、とても優しい嘘で。

「……お前だろうよ」

 愛情に満ちたその誇張。僅かなものでも、大げさなものでも。それは嘘とは言えないかもしれない程。
 だからこそ、優しさが、その温もりが、酷く苦痛でもあった。

「ありがとう……お母さん」

 だから、私はそれを便箋に入れ、封蝋をする。そして胸の内に仕舞うのだ。

 二度と剥がすことのないように。思い出すことのないよう。



第三話

「……はぁ。」

 

 開口一番、放たれた言葉に思わず気が抜けた返事をしてしまった。

 

「なんだ、文句があるならそうと言え。自発性を持つことは重要だからな」

 

「いえ、そういうわけではなく……」

 

 文句など、そういう感情があるわけではないのだ。ただ、こう思うだけで。

 

「身体能力テストをやる、と言われても……学園の成績表は見なかったのですか?」

 

 それで事足りる、と思うのですが。

 

 素直な感情だ。

 別に、今からやるのは面倒だとか、トレーニング内容に興味を持っていたのに出鼻を挫かれたとか、そういう訳ではないのだ。

 

 そう、決して。

 

「あぁ……そう、それな……」

 

「?」

 

 指を一本立て、首と一緒に傾ける。疑問符を提示してみると、余りに可哀想な答えが返ってきた。

 

「俺も、それを考えたんだがな……運悪く資料を仕舞ってる棚の鍵が紛失したみたいで手に入らなかったんだ」

 

 そう、私が可哀想、という意味だ。

 この人の不運は筋金入りだな、と思いつつもその煽りを食らう私に同情を禁じ得ない。

 

「……この前の模擬レース。その走り方で分からないのですか?」

 

 されど私も易々とは諦めなどしない。抵抗は最後まで行うから意味があるのだ。

 ゴネ得、という言葉があるように、意外と何とかなるかもしれない。

 

「お前は阿呆なのか? 俺はレースに遅れて来たからお前と話して、それでスカウトすることになったんだろうが」

 

 ……流石に今のはカチンときた。元は本人の不始末じゃないか! 

 それを忘れていたからと言って、なんで阿呆とまで言われなくては行かんのか。

 

 パストスペルは激怒した。

 必ずやこの尊大無礼なトレーナーに礼儀というものを教えなければならぬと決意した。

 

「そもそもその程度じゃ到底足りん。さぁ、さっさとやるぞ」

 

 苦し紛れの抵抗として、精一杯の苦虫を嚙み潰したような顔を見せつけてやったが、黒色のボードで頭を叩かれてぐい、と催促されただけだった。

 嗚呼、私の可愛い灰色の脳細胞よ。いつか仇は取ってやるからな。

 

 ぐぐ、と背中を押されながら、冷房に当たりたいなんて不満をじわりと零しつつ。

 されど私の顔は。やはり、笑みの形を刻んでいるのだろう。

 

 それは私がウマ娘という種族であるからなのだろうか。

 それとも、私個人の思考に起因するものであろうか。

 

 そう思考すること、それそのものが、その答えなのだろう。

 

 

 ♢

 

 

「タイムは……まぁ、そこそこだな」

 

 酷く滅茶苦茶なフォームで走っていた自覚はある。

 模擬レースの時からそうだった。

 

 授業にいまいち興味が湧かなかった。断片的に覚えてた記憶や、鉛筆転がしで試験はいつも高得点だったからだ。

 

 やはり、努力も勉強も大事だったんだろう。

 

 今、酷く痛むふくらはぎを抱えながらその実感をしかと抱いている。

 

「運動不足。ウマ娘でそんなのは初めて見たんだが、意外といるものなのか? 出来れば君だけであってほしいんだが」

 

 恨み言もロクに吐けない。

 上がった息が、自分のこれまでの行いを咎めるように肺を痛め付ける。

 

「……ふむ。まずは基礎的な体力作りから始めるべきだな」

 

 しかし、君の場合は座学もしっかりとこなすべきだ。

 

 耳に届くその言葉を、今だけは真剣に聞こうと思うことができた。

 

 苦痛は何よりも強い教育。

 その言葉を胸の痛みをもってしかと痛感している。

 

「……ただ、これは、絶対に近代的なものじゃないです」

 

 そう思う権利くらいはあっていいと思うのだ。

 

「よく気づいたな。そう、ここは屋外だ。ワークマシンなどあるはずもなく、テストであるからにはその運動は近代的なものであるわけがない。また一歩立派なウマ娘へとなるべく見識を深められたようで俺は感動している」

 

 その言葉のどこに合理性が存在するんだと怒鳴り散らしてやりたかった。

 

 しかし右腕を振り上げた瞬間、肩に走った筋肉への痛みでそれどころではなくなった。

 

 スッとこめかみに手を当てる白水トレーナー。

 その顔はうかがい知れなかったが、恐らくは疲れていたのだろうなと思う。

 

 絶対私の方が疲れてる。

 

 甲高い悲鳴を上げながら、そんなことを思うのだった。

 

 

 ♢

 

 

 このウマ娘は……本当に、模擬レースで優勝したのだろうか? 

 

 そう思うのは仕方のないことだろう。

 一見綺麗なように見えるストライド走法。そのフォーム。

 その実は偶然に体姿勢が最適な位置に動き、無意識に完璧なタイミングで足を運び出しているだけ。

 酷く薄い薄氷の上で成り立っているものだ。

 

 これは天性の才能ではない。

 ただの幸運の上に成り立っているだけの一種の曲芸だ。

 

 多分、長続きはしない。

 今のこいつは、偶然にも走り方が上手いだけの素人に過ぎない。

 

 目線の運び方も滅茶苦茶。スタミナ切れも酷く速い。ペース配分も雑。

 

 本当に、これまで何をやってきたのか、と本人に問いたい程だ。

 

 到底信じられないほどの不揃いな要素。どこを取っても模擬レースで勝てる力があるとは思えない。

 

 何故、お前は中央に来たんだ。むしろ来れたんだ。

 いくつも湧き上がる疑問をなんとか喉の中へと抑え込む。

 

 この場では俺は最適なトレーニングを指導し、ポテンシャルを見極める役だ。

 それを聞くのは今じゃない。

 

 今、やるべき事は。

 

「ほら、足を出せ」

 

 疑問気な顔を浮かべながらこっちを見てくる目の前のウマ娘。

 その足を引っ張って、しっかりとマッサージする。

 

「ちょ、ちょっと、何してるんですか! 変態!」

 

 そう言いつつも抵抗する様子は見られない。

 まさか力が残っていない訳じゃないだろうに、悪ふざけが過ぎる。

 

「分かった上で演技をするな。気が散る」

 

 見た時から思っていたが、やはり手で触ると脂肪がついているのがはっきり分かった。

 基礎の筋肉そのものの質は悪くない。

 

 やはりこれは当人のトレーニング不足によるものだろう。

 それにこれは食べすぎや生活習慣の乱れによるものではない。

 

 まぁ、多少それが否定しきれない部分がないわけではないが、日常的な運動不足が主な要因であろう。

 

 ……本当に、なんでこいつはウマ娘であり、この中央トレセン学園に入学したにも関わらずそんなことになっているんだ? 

 

 頭を抱えたくなってくる。手を止めずに頭を回す。

 まずはフォームの矯正。そこから始めよう。

 

 そう考えながら、左足のマッサージへと移った。

 

「今の走法は考えてやっているものか?」

 

「え、いや……特には……授業も碌に聞いていないので、誰かのを参考にした、という訳でもないです」

 

 だろうな。授業で多少なりとも走法についてもやるはずだろうし、なっていないのは本人の不才ではない。

 

 かといって、天才でもないが。

 

「これが済んだら、最初に走法の矯正を行う。体力をつけるのはその次だ」

 

 触った感じでは中、長距離向きの筋肉をしている。鍛えれば、きっと強くなるだろう。

 

 矛盾するようだが、こいつには天性の才能がある。

『それ』はこれである、と直ぐわかるようなものでない。

 

 かの栗毛のウマ娘のような柔軟さを備えているわけでなければ、並外れたセンスの持ち主、という訳でもない。

 

 ただひたすらに、幸運であるのだ。

 

『幸運』である、という才能。

 例えどんなに努力したとしても手に入れることはできないそれ。

 

 アイスを買ったなら必ず当たりが出て、ふと目を向けた先には会いたいと思った人物がいる。

 世界がこいつを中心として回っているのではないのか、と言わんばかりの神運。

 

 それが、こいつを非凡としない。

 

 だが、それだけだ。

 

 運ですべてが決まるわけではない。

 勝負の世界での運とは、それが絡む余地のある上での勝利へのアシスト機能に過ぎない。

 

 それが介在する余地を、消すことができたなら。

 相手の努力が、その全てを凌いだなら。

 

 運とは、何も意味をなさなくなるのだ。

 

 こいつは、今はまだ強い。

 努力しなくたってデビュー戦を勝利できる。

 その運で、並のウマ娘をすべて蹴散らして。

 

 だがそれは、G1では通用しないだろう。

 

 こいつが何を目指しているのかは知らない。

 だが、きっとその夢は今のままでは叶わない。

 

 だからこそ、こいつを導いてやらなくてはいけない。

 それがトレーナーである俺の使命だと、そう確信した。

 

 

 ♢

 

 

 センサー感知。

 気持ち悪いことを考えている電波を傍受した。

 

 この真剣な表情を見る限り、まだ貞操の事は考えなくても良いだろう。

 それはそれとして、マッサージはいい加減抜け出すことにする。

 

 身体からの痛みも抜けて、こそばゆさと煩わしさしか感じなくなってきたのもある。

 

「ほら、早く教えてくださいよ。その走法とやらを」

 

 はぁ、と一つ溜息をついて、トレーナーは話し始める。腹が立つな。

 

「教えるといっても、何か特殊なことをするわけじゃない。特にお前は簡単だ。今やってる走り方、それをちゃんと意識して走れ」

 

 それだけでいい。

 

 拍子抜けした。

 何かちゃんとしている教科書っぽい、○○走法みたいなものを想定していたのに、変なやり方だ。

 

「なんで、それでいいんです? ちゃんとした走り方を身に着けるのではないんですか?」

 

「今のお前の走り方は、多分お前の最適解だ。問題は、その走り方をお前が自分で認識してやっていないことにある」

 

 ??? まるで意味が分からない。

 

「えーと、つまり? 私は既に私にとって最適な走りをしていたと?」

 

「その通りだ。しかしそれはお前が無意識でやっていることであり、安定性に欠ける。だから自分の走り方を認識しなければならない」

 

 成程。不安定である、と。

 納得はすれど、かといってどうすればいいのか、という話である。

 

 無意識での走り方を改めて自認するというのは言ってみる分には簡単そうに見える。

 取り敢えず、案ずるよりも産むが易し。やってみるしかないだろう。

 

 

 

 前言撤回。簡単そうに感じられない。

 

 うーむと唸って軽く走って見たりもするも、全く上手くいかない。

 

 ずっと見ているだけだったトレーナーも、とうとう面倒そうな顔をしながら手助けをしてくれるようになった。

 頭を掻きながら、もっと早く来るべきだ。と喉の中でぼやく。

 

「スマホで撮るから、とりあえずそれで自分の姿を見てみるといい」

 

 そう言って、ズボンのポケットに手を突っ込んだトレーナー。

 30秒程そのままでいた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「……すまん。忘れた」

 

 この人は、不運という域を越えてただのドジ気質なだけではないかと私は訝しんだ。

 前途多難な道のりに、この人がトレーナーで本当に上手くいくのかと、溜息を吐いた。

 

 本当に、大丈夫なのだろうか、と。

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