酷く『幸運』なウマ娘 作:2+e
女神さまは思います。天上からその子を見下ろして。
「なんで、こんなに健気な子が、これほどまでに酷い目にあってしまうのでしょう……」
ただ、皆でしあわせに暮らしていただけなのに。運命というものは酷く、酷く残酷ですね……
そう呟いて、細い左手の指先で口元を隠し、右目から涙を流します。
「きっと、きっと……貴方を「しあわせ」にしてあげますよ……」
█████████ちゃん……
くあぁ。
そんな音符で欠伸を一個。
リズミカルな言葉で、脳内に清涼さをもたらしていく。
私の一日は、この欠伸からいつも始まるのだ。
「おはようございます! パストスペルさん!」
「ふぁい、おはようございます……フクキタルさん……」
光が反射する真っ白な髪。それを手櫛で整えながら、返事を返す。
愛称で呼んでください、と言ったけれども「しっくりこない」という理由で却下された私の愛称。
結局、トレーナーしか呼んでくれなくなってしまった。
この愛称を最初に言いだしたのはトレーナーだから、寧ろ当然なのだけれども。
少し、悲しくなってしまうのは致し方ない。
今日は休日。
トレーニングもお休みで、少し息抜きをしたい日だ。
若干しわの寄った私服のパーカー。真っ黒なそれに袖を通し、フードの紐を引っ張る。
その動作に大して意味はないのだが、義務感のようなものなのだろうか。
どうにも子供のころから止められないのだと。
そういう風に、母親と話した記憶が蘇る。
元気にしているかなぁ。
逆にお父さんにボタンの掛け違えを指摘されてたりしたっけ。私がいなくても大丈夫かなぁ。
幸せなそれに浸りつつ。ズボンを履いて膝を叩き。
今日の予定を考える。
思考の中で完璧な韻を踏んで。上機嫌な気分を表すように。
笑みを浮かべてペンを取り、机に2、3度当てていく。
コンコン。コン。そうだ、本屋へ行こう。
思い立ったら即行動。財布を持って、スマホはポケット。フクキタルさんに挨拶を。
「それじゃあ、フクキタルさん。行ってきます」
くっと頭を下げて、後ろ手で扉のノブを捻る。
何処に行くんですか!? と若干驚愕されながら質問される。
ふむ。確かにフクキタルさんに言わないで出るのは少しまずかったかもしれない。
何しろ起きたばっかりから彼女はずっと上機嫌で、ニコニコした笑顔をずっと向けてきていたのだ。
寧ろ、今日は何があるのかと聞いておくのが当然であるといえるだろう。
「起きてからずっと上機嫌ですけれど、何かあったのですか?」
「よくぞ聞いてくれました! 朝の占いで、今日一日はパストスペルさんと行動するのが吉。と出たのです!」
胸に手を当て、もう片方の手をこちらに向けて。ドヤりとでも言いたげな表情のフクキタルさんを見る。
ほう、と一息の感嘆符。成程、そういう事だったのか。
まぁ、それならばやぶさかでもあるまい。今日一日はフクキタルさんと行動してみるのが良いだろう。
重量が偏り過ぎている、理性と友情の天秤。
設計者は見た時点で分かれときっと激怒するだろうな、と。そう思う、休日の朝。
♢
ふん、ふん、ふーん!
フクキタルさんの鼻歌が、軽快なテンポで店内を踊る。
くるくるくるり、くるりんと。まるで体操選手か、目立ちたがりの狂人みたいに。
二重三重。虹を描いたその楽譜に、バウムクーヘンのような甘ったるい言葉をぶつける気分ではなかった。
かびたような匂いの店。古臭い棚の中。背表紙に目を滑らせ、慣れ親しんだ風に文字を探す。
実際、それはただの手癖。碌に文字は読めていないし、読む気もない。
ただ、何となく。
そう、何となく。本を探したい気分になった。
それだけでいい。私の行動指針なんて、いつも気分が最優先だ。
適当な本が気になったので、くっと指を引っ掛けて取り出してみる。
本の上に指を滑らせてたので、その本の背表紙の出っ張り。その若干の凹みに指が引っかかった。
気になるきっかけなんてそんなものでいいのだ。
人を運ぶ鉄の箱。その名前が冠された薄い本。
若干のざらつきがあるその手触り。
──―まぁ、良しとしよう。
どうせ読書には時間がかかる。この薄さでも読み終えるのに次の休みまで必要だろう。
他の本には目もくれず、それを持ったらレジへと向かう。
何を買うんですか? なんて。ずっと楽しそうな声色の彼女に、少しばかりの嗜虐心が芽生えるのも、まぁ仕方のないことだろうと。
「フクキタルさんには余り興味が出なさそうなものですよ」
明滅する蛍光灯。僅かな明かりで照らされる、実に無愛想な顔。同じような顔の店主と、会計をする。
そうですか……と言って、少ししょぼくれてしまう彼女。
ほんのちょっぴり、罪悪感を覚えてしまう。
「文学です、文学」
大して興味もないし、作者も聞いたことがある、程度だったが多分間違ってはいないだろう。
文学なんてのがどういう意味を持つかも知らないが、それでいいはずだ。
「私も読んでもいいですか?」
横から覗き込むようにして彼女は言ってくる。
構いませんよと返事をする。フクキタルさんが楽しめるかは分からないが、本は良い。
きっと誰でもそうだろう。
父の影響で読み始めた本だったが、こうやって人と話す種になるとは。
何があるかなんて、いつでも分からないものだな。
♢
「あ、スズカさん!」
下を向いていた顔が、隣から聞こえた声に反応してパッと前を向く。
人ごみに紛れ、確かに栗毛のシルエットが見える。
緑のパーカーに、無表情な顔。
それがフクキタルの声に反応し、白く靄がかる。
「フクキタル……?」
こっちです! こっちー! と大きな声を上げるフクキタルからそっと距離をとり、足音を消して逃げようとする。
「あれ、そっちの方は?」
……あぁ、もう。人付き合いは苦手だっていうのに。なんでこうなってしまうのだろうか。
げんなりとした顔を少しは隠そうと努力して、返事を返す。
「フクキタルさんの同室の、パストスペルといいます」
よろしくお願いします。軽く頭を下げて、目を伏せる。
彼女のことは知っている。サイレンススズカ。
選抜レースで断トツの成績を残し、この世代で非常に注目されているウマ娘。
つまり、フクキタルさんと同じく今年でデビューする、私のライバル。
非常に学園内でも噂になっている、新世代のエースというやつである。
積極的に関わっていきたいわけではないのだ。特に私の性格であれば。
こう、改めて自分のことを考えると少し物悲しくなってくる。
貼り付けたような半笑いで、フクキタルとスズカさんの会話を耳から摂取する事しか出来ないのだから。
「パストスペルさんっていうんですね、よろしくお願いします」
あ、はい……はは、と、何も籠ってない返事をする。
あぁ、私はなんて情けないんだろう。友人が話しているというのにまるで置物だ。
カチンコチンに固まった、動作を停止したロボットのように。
ただ、陶器のような無機質な笑みを浮かべているだけだ。
「それで、スズカさんはこんなところでどうしたんですか?」
「そう、そうなのよ……今日は天気もいいし、少し走ろうかと思って外に出たら、いつの間にか迷ってて……」
僅かに鉄面皮が引きつった。ふむ。どうやらスズカさんは思っていたよりもポンコツなのではないだろうか。
迷子になるのはともかく、その原因が走っててというのはこう、あまりにも……と感じてしまう。
きっとこの感覚は正しいはずだ。多分。
フクキタルさんの顔が、引く様子でもなく、驚く様子でもなく、笑っているあたりこれが日常茶飯事なのだろう。
トレセン学園はやはり、どうにも変人ばかりなのだなぁ、と。そう思う、恨めしい昼。
♢
本当に、助かりました。スズカさんがペコリ、と一つ礼をする。
フクキタルさんが、いいんですよ! と返す。
私はそれに、いつもの通りの無表情。
無事、スズカさんを学園まで送り届けることができた。
道中、三人で一緒に寄り道をしたり、買い物なんかをしたりして、少し遅くなってしまったが。
三人、とはいっても。ほとんど、スズカさんとフクキタルさんの二人だけだったようなものなのだが。
スズカさんが私に話を振ってくれた時の返事は、はい、そうですね、良いと思います。の三種類だけだった。
ずっと、酷く申し訳なかった。
スズカさんと関われたことは当然嬉しい。フクキタルさんの友人でもあるし、もっと話せばよかったんだろうと思う。
でも、言葉が出ない。
胸中の、鉄の箱の中。納めていた、酷く薄暗いものが。
出るのを拒んだからなんだろうか。それとも、ただそれを抱えている故なのだろうか。
わたしには、わからない。
軽く、ごく軽く。礼をして、スタスタと。
すっと縮こまるように、鼠が道端を歩いていく。
茶色の、紙の袋を携えて。鼠は、部屋へと急ぐのだ。
それじゃあ、ネズミ娘じゃないか。
はぁ、なんて。変な溜息をついて、ベッドへ倒れこむ。
至極真っ当な溜息だったかもしれないが、理性の抗議は受け付けないことにする。
友情に負けるような理性なのだ。あってもなくても大して変わりはしないだろう。
感情のまま、自己嫌悪感に浸りたくなる時だって、あって然るべきなのだよ。
袋を枕元に投げつけ、両手で顔を覆った。
深呼吸。二、三度。十秒数え、息を吐いて。五秒、息を吸う。
もっと。もっと。酸素を取り込んで、息を吸って。
そして──―吐き出して。
時間の輪廻に囚われたように、それを、ただ繰り返した。
心が濾過されるとでも思ったのだろうか。
濁り切ったそれは、フィルタさえとうに機能していないというのに。
どんどん、口から出た何かが、空間を汚していくような気がした。
何となく。いや、確実に。そんな気がした。
フクキタルさんが部屋に入ってきて、スズカさんの話を始めて。
一言、謝罪が私の口から洩れるまで。私は、ひたすらにそれを。
ずっと、繰り返した。
そんな、最低な夕方。
♢
暖かい、雨粒が髪を濡らす。
布切れ一枚纏わず、孤独な私に。
実際は、ただシャワーを浴びているだけなのだが。
壁に頭を付けて、一人。いつかの追憶。
ザッ──―
タイルを打ち付けるその音。頭を揺らし、雑音は入らない。
それそのものの音だけで、すべてを打ち消す。
私は、この時間が好きだった。
外界から隔離されたような感覚に陥るこの瞬間。
特別でない自分が、何処かその領域に至れたよう。
ずっと、冷めることなく。熱さが身を包む時間。
それは、私が『特別』になるための、儀式。
皆の期待に応えられる、素敵な素敵なウマ娘。
英雄。伝説。形容する言葉は数多くあれど、私の目指すところは一つ。
『皇帝』
その領域の、影を踏んでいるみたいで。
無力な私が、とても強くなったみたいで。
だから今、それを現実にするために。
私が『皇帝』に──―
否、それを越えるために。
無力な私を、押しのける。
自分を殺して、強くなる。
生まれ変わりの、転生の。
それを成す、儀式。
私が私になるために。やらなければ、ならないのだ。
グッと、歯を食いしばった。
すぅ、と一つ息を吸い。
壁につけた手に力を込める。
だから私は。思いっきり、頭を。
さっとシャワーで室内を洗い流す。
排水溝へと吸い込まれた髪が、切なげに私を見上げてくる。
真っ紅なそれを、冷たく見つめていた。
扉を開けて、タオルで身体を拭く。
フクキタルさんが慌てて駆け込んできて、心配の言葉を投げかけてくる。
「い、今の音は!? 大丈夫ですか!?」
ええ、大丈夫です。
髪をふわふわな白で包んで、撫でる。
水気を取り払う布で、赤いものも隠してしまう。
「ちょっと、転んだだけなので……怪我も何もしてないですし、心配しないでください」
柔らかな笑みを浮かべて、彼女にそう伝えた。