サイレンススズカの幼馴染 作:二次元の引き篭もり
「帰ってきたばかりの家主には悪いんだが、俺もご両親に線香をあげても?」
「大丈夫ですよ、両親もきっと喜びます」
車をさっと路肩に駐車して男も運転席から降りて民家を見ていた。
緑色の屋根は雨風に晒された影響か、少し塗装が剥げている。壁に罅などは入っていないが元は白かったそれも、すっかり汚れていた。居間に面した庭だけは人が手入れした跡が残っており、蕾を付けた観葉植物が開くのを今か今かと待ち侘びている。
スズカはバッグの中から鍵を取り出して玄関のカギ穴に差し込む。
昔ながらのスライド式玄関ドアを引いて中に入ると、咽かえるような匂いが漂ってくる。
畳と黴と埃……駅の時と同じように、スズカはそれを嗅いでも嫌な顔一つしなかった。
「ただいま」
一言そう発するが家の中から返事はない。
当然だ、彼女の両親は彼女が幼い頃に2人とも亡くなっているのだから。
親戚も居なかった天涯孤独だった彼女を支えたのは、近所付き合いのあった男の家族だった。
今は亡き男の母親はスズカを姪っ子のように可愛がったという。
それはもう思春期真っ盛りだった実の息子である彼が内心嫉妬するほどに。
「お邪魔します」
靴を脱いでスリッパに履き替えたスズカが中へ入っていくのに遅れて男も家に上がる。
玄関ドアは開けっ放しにして、空気の入れ替えをしなければならない。真っ直ぐに自分の部屋へと向かうスズカの代わりに男は居間や台所、廊下、和室、風呂場やトイレといった各部屋の窓を開けて換気を促す。
二階に上がって真っ直ぐ進んだ先の扉を開けると、そこはスズカの自室がある。
小さな子供用ベッド、学習机、本棚、箪笥……どれも十数年前のままだ。
男の言っていた通り、定期的に掃除されていたお陰で埃などは積もっていなかった。
机の上にバッグを置いて、スズカはベッドに腰掛けて感慨に浸る。
(………此処に来ると思い出す………ずっと昔のこと――――――)
物心ついた時から走ることが好きだったスズカはここ周辺で数少ないウマ娘だった。
小学校に上がった頃には同世代の子ども達に混じって何人かウマ娘も見かけたが、その小学校というのは山を越えた先にある遠く離れた場所からも子どもが登校しに来る田舎の小学校である。
放課後に遊ぶことはあったが、休日に何処かで集まって遊んだりとかはしなかった。
そんな彼女の遊び相手になっていたのは誰か?
彼女が寛ぐ間も一階ででバタバタと忙しそうにしている男である。
(……お客さんなんだから、もっと寛いでもいいんですよ……?)
きっとスズカがそう言っても彼は首を横に振るだろう。
昔からぶっきらぼうに世話を焼いてくる彼に対して、スズカは甘える事も多かったが、男にも少しは自分に甘えて欲しいと思っていた。
しかし男は決まって「お兄ちゃんなんだから、甘えられる訳ないだろ」とそれを拒む。
中学生でその考えが出来るというは妙に達観し過ぎだと思ったが、彼の父に似たのだろう。
世話焼きのお人好しの癖に、自分が世話を焼かれまいと気丈に振る舞う頑固者。
だからそんな彼にスズカは幼い頃から
果たして男がその感情に気づいていたかは謎である。
「そろそろ行かなきゃ……」
立ち上がって階段を下りていくスズカが向かう先は和室、そこに両親の仏壇があった。
もう準備を終えた彼が桐の箪笥を開けて、中から蝋燭と線香を取り出している。
蝋燭を台に刺して、煙草用のライターで火を点けるとパっと仏壇の中が明るくなった。
若くして亡くなった両親の遺影を見ると、数年前までスズカは訳もなく悲しい気持ちになって一人で泣いていたのだが、流石にもう涙は流れなくなった。
寂しい気持ちはあっても、仕方のない事だと割り切っていた。
「ただいま……お父さん、お母さん」
男が無言で線香をスズカへと手渡し、スズカは受け取ったそれを蝋燭の火に近づけた。
ゆっくりと線香の先が朱色の熱を帯びて紫煙を立ち昇らせる。
スズカは線香を仏壇の真ん中にある壺のような入れ物の中に立てた。
手前にある小さな
目を閉じて手を合わせる彼女が一歩引くと、男が同じように線香、鈴と後に続いた。
数秒の沈黙の間を置いて、スズカは目を開けて両親の遺影をじっと見つめる。
父母共に穏やかな人柄であり、スズカの性格は2人から受け継いだもので間違いない。
ウマ娘だと判明した時は2人とも喜んで、綺麗な栗毛をよく褒めていた。
立って歩き始める頃にはテレビ等でレースの映像や、本に名前が載るほどの有名なウマ娘の話を寝物語の代わりに読んで聞かせたのを彼女は覚えている。
亡くなったのは中学校に入る前の事、遠くの町に買い物へ出かけた際の交通事故。
当時のスズカはそれが現実と受け入れられず、ただぼんやりと葬式を見ているだけだった。
綺麗に整えられた両親の遺体が火葬場で焼かれると聞かされた時、ようやく彼女は両親が死んだことを理解して、「お父さんとお母さんを燃やさないで!」泣き叫びながら両親の棺桶にしがみ付いていた。
気持ちの整理が出来たのはそれから半年後、男の両親の家で半ば死人のように生活を送っていた彼女が立ち直るきっかけを貰ったのは、当時高校生だった彼のお陰だった。
ドラマや映画に登場するイケメンのような行動を取る訳でもなく、小説やアニメに使われるようなキザな台詞を吐いた訳でもなく、彼は何も言わずに寂しがるスズカの傍に居続けたのだ。
約一年間、生前の両親が話していたトレセン学園中等部への編入試験を受けようと考えていたスズカの心の支えとなった彼は一年間を彼女に費やしたと言っても過言ではない。
その後、試験に合格した数か月後に彼の母親が亡くなったと聞いた時はショックだった。
静かに泣き崩れる彼の父や親戚に囲まれる中で、彼はただ一人泣いていなかった。
「…………」
両親の遺影から、静かに傍らの男へと視線を移したスズカ。
まだ手を合わせて目を瞑っている男が何を思っているのか、彼女は分からない。
*
それから言葉もなく2人は居間へといき、電源を付けたテレビを眺めていた。
丁度先ほどラジオで流れていた地方のレース番組がやっている。
結果は二番手につけていたウマ娘が最終コーナーで差し切って一着、先頭のウマ娘がスタミナ切れで失速するも根性で二着、三着はそのまま残りは変わらずといった結果だ。
「…………」
「……尻尾、揺れてんぞ」
スズカは自分が無性に走りたい気持ちを男に指摘されて少し俯いた。
実家にいる間は必要以上に走らない事。そうトレーナーと約束を交わしている。
走るにしてもどれくらいの距離を、どれくらいのペースで走るのかを携帯のメールでやり取りをしなければならないという、非常に面倒な仕組みになっているのだ。
男は彼女が走るのは無しにしても体を動かしたい気持ちを察して立ち上がる。
「今日の晩飯の材料、スーパーまで買いに歩くか」
「………(こくり)」
ちなみに近所のスーパーまで片道10キロの距離がある。
常人なら徒歩で買い物をしに行くなど考えない、田舎なら必需品の車を使うだろう。
しかし彼はスズカが脚を動かしたい気持ちを、トレーナーとの約束を違えない範囲で汲み取り、敢えて車を使わずに徒歩での買い物を提案したのだ。
そういう所も昔から変わっていない、スズカは微笑を浮かべて頷いた。
時間はまだ正午過ぎ。歩いて行って帰ってきても夕方の支度の時間までは間に合う。
事前に車の中から財布と携帯を持ってきた男が玄関で靴を履く。
スズカもスリッパを脱いで靴へと履き替え、開けっ放しの玄関ドアを通って彼の背についていく。