樫本理子は悩んでいた。
アオハル杯の復活、2人の教え子を中心としたチーム《ファースト》の軌跡と教え子の成長、チーム対抗戦からのトレーナー間の交流は間違いなく彼女のトレーナー能力に飛躍的な向上をもたらしていた。
───しかし、同時にある問題が浮上する。
「ミークのトレーニングのためにコースを下見してたんです。パルクールを意識したコースならより効果的に負荷をかけられますから!」
「実験台になりながら必要なデータの取りまとめや周辺の雑事を片付けてただけですよ。え、発光?まあそりゃ最初は驚きましたけど、あいつの事情を知ったら全て必要なことだったって納得できましたから。
それがあいつの走りに繋がるなら、何だって出来ますよ。」
とまあ、新人の身ながらトップトレーナーに肩を並べている新人トレーナー達の意見がまるで参考にならないのである。
前者は自らの身体能力の問題でまず無理だし、後者は後者で狂気にも等しい覚悟と信頼が無ければ耐えられないだろう。
しかし、教え子達の成長を見た身としては更にその先の成長を見越し、更なる成長を遂げられるトレーニングを組めるようになりたい。
そのためのピースを求め、彼女はある空き教室のドアを叩いた────
「ふむ、事情は理解したよ。理解したが………今までのプランのデータをはいどうぞと渡すわけには行かないねぇ」
「ええ、それは承知しています。その成果は貴方達のものであり、努力の結晶ですもの」
アグネスタキオン。
《ファースト》と並び立つチーム《ブルームス》の中距離エースであり、学内でその名を知らない者はいない要注意人物である。
最も、ここ最近彼女は自らの脚の脆さと戦いながら、戦友たるマンハッタンカフェのトレーニングに協力し体質の克服に一役買ったという事が月刊トゥインクルの対談記事で判明し、マンハッタンカフェや彼女自身を慕う後輩たちの存在もあってその風評は変わりつつある。
しかし、それでアグネスタキオンというウマ娘の本質が変わったわけではない。
ブルームスのチーフトレーナーの渾名が未だに「モルモットレーナー」「ゲーミングトレーナー」というところからもそれは伺える。
「ふむ。しかし、しかしだ。せっかくご足労頂いたところ手ぶらというのも何だし………そうだな、一つ実験に協力してみないかね?」
「実験………?」
「Hi,タキオン!What's up,何かテストデスカ?」
「………タイキシャトル」
「Oh,樫本トレーナー!何かゴヨウジデスカ?」
薄暗い部屋が一気に明るくなったような、天性の明るさ。
ブルームスのマイルエース、タイキシャトルはしかし、普段この部屋とは無縁の存在である。
───実験には協力するものの、基本的に彼女は行動力の塊であり、一ヶ所には留まらないからだ。
「それならば………そうだな、少し趣向を変えようか」
「「?」」
「これは………確か、フルダイブVR用のユニットでしたか」
「WAO!タキオン、どうしてコレがここに?」
「何、以前ゴールドシップ君がこれを暴走させて以来公には表には出ていないが………元々怪我で負荷をかけられないウマ娘やトレーナーのトレーニング方考案の為に私もプログラム作成に関わっていてね。私達の監督の元で運用自体は続けていたのさ」
研究室近くの空き教室の一室に設置された、フルダイブ型VR用のカプセルユニットを起動させながら、手元のキーボードで何かを入力していくアグネスタキオン。
少しして開放されたカプセルに横たわりユニットを身に付けるよう指示すると、そのままコマンドを入力していく。
「ククク、スキャン完了だ………いやはや、中々タイキ君の全身データを入手する機会はなかったのだが、まさかこんなところでその機会が来るとはね!
………それにしても樫本トレーナー、君の身体はどうなっているんだい。この筋肉量、何かしらの難病でも抱えているのか?」
「………検診では至って健康でしたが」
「ふむ、そうか。これはこれで貴重なデータではあるが………よし、完了だ。」
それでは実験を始めるよ、という声と共に、キャノピーが下りる。
「これから2人にはVR空間でお互いの身体を交換して体験してもらう。データは私が常時監視するから気の赴くままに動いてくれて構わない。タイムアタックするもよし、自分と違う身体を調べあげるもよし、好きにしてくれたまえ」
その言葉を最後に、意識はVR空間へ飲まれた───
「さて、2人はVR空間に入ったようだね。早速トレーナーはウォームアップからトレーニング方の試行、タイキ君は………純粋にいつもと違う身体を楽しんでいるね」
「───ん、なんだこの数値は………何ッ!?エラーだと!?緊急停止、強制ログアウト………受け付けない!?なんだ、何が起きている!?」
「………いない。いない。あれ………」
「カフェ?どうかしたのか?」
「いえ、普段ならお友達はコースにいるのですが………あの窓の辺りから、気配が………」
「………あそこ、確かウマレーターの設備置いてなかったか」
タイキシャトルの身体は非常に強靭だった。
ウォームアップを済ませ、一度走り出せばそのパワーとスピードが嫌でも理解できる。
重馬場だろうと構わず踏み込める足、瞬発力に優れた筋肉、恵まれたスピード。
なんという身体か。なんという才覚か。
今までのトレーニングでは足らない、もっと、もっと高い強度は!?この身体は何処までいける!?
この圧倒的な才覚に勝つための術は!?
いつもよりずっと弱い身体。
細い手足、肉付きの薄い身体は普段の自分がハグしたら折れるのではないかと思うほど。
手のペンダコが、荒れた手先が、最低限手入れだけされている黒髪が、その全てをウマ娘に捧げてきたことを理解させる。
タイキシャトルは感覚的な天才だ。
その感覚で、彼女は樫本理子というトレーナーの愛と熱意を理解した。
(Hmm………So wonderful!樫本トレーナー、ホントはこんなにステキなトレーナーさんだったんデスネ!)
不意に視界が暗くなり、意識が暗黒へ落ちていく。
最後の瞬間、誰かの笑い声が聞こえたような気がした。
「………ィキ君!タイキ君!樫本トレーナー!私が誰か分かるか!」
焦った声が聞こえる。
目を開けば、カプセルのキャノピーが開放され、普段お目にかかれない程深刻な表情のアグネスタキオンがいた。
「ウゥーン………いきなり目の前がブラックアウトして………ン?」
「………大丈夫です、意識はあります。ところでアグネスタキオン、ワタシはこちらですよ?」
「………は?」
ぽかんとしたかのような表情のアグネスタキオン。
カプセルから起き上がり、身体を延ばす自分。
そして同じように自分の身体が起き上がり………自分の身体?
「…………Nooooooooo!?ワタシ、樫本トレーナーになってます!?」
「………これは、一体」
「精神の交換だといやそんなことはまだ不可能だそもそも精神データの量子化は机上の空論の訳でしかもこの機材では無理だその演算に耐えきれるわけがないしかし意識の交換は起きている自己認識も同じだ何がどうなっている………!?」
青ざめた顔でぶつぶつと何かを言っているアグネスタキオン、パニック寸前の樫本理子inタイキシャトル、呆然とするタイキシャトルin樫本理子。
「あの………もしかして、何かトラブルでしょうか………?」
「カフェ!?そうだカフェなら何か分かるかもしれない、助けてくれカフェ!」
「た、タキオンさん………!?」
静かにドアを開けたマンハッタンカフェに半泣きですがるアグネスタキオン。
それを見たブルームスサブトレーナー兼マンハッタンカフェのトレーナーは、厄介事が起きたのを悟ったのだった。
「………あの子としては、お二人がお互いを知るために善かれと思ってやったようです。
責任を持って明日には必ず戻すと………」
「そうか………いやしかし君のお友達はとんでもないね、意識に介入して入れ換えるなんてどうしたらできるんだい………」
げっそりとした表情のアグネスタキオンは角砂糖を飽和状態まで入れた紅茶を口にしながらソファーに沈み込み。
同じくトレーナーに淹れてもらったコーヒーを口にしながら対面に腰かけたマンハッタンカフェはからかうようにタキオンの頭上をふわふわ飛び回る"お友達"を見ながら、それを伝えることはしまいと決めた。
「………それで、お二人は?」
「樫本トレーナーは嬉々としてトレーニングコースに行ったよ。気持ちは分からないでもないがありゃかなりはしゃいでるね」
「タイキ君はチームファーストのトレーニングへ向かったようだが………なあ2人とも、確かチームファーストは徹底管理主義を掲げていたしチーム内の関係性は良好ではあっても割りとドライな関係だったね?」
「ああ、そうだが………おい待て、そんなチームにタイキを放り込んだらどうなる?」
ミナサンオツカレサマデース!ヨクガンバリマシター!
トトトトレーナー!?ハグ、ハグナンデ!?
アア,ココンガコワレタ!?
ジャヌチャンガシアワセソウナカオデタオレマシター!?
ダレカー!?カシモトトレーナーヲショウキニモドシテクレー!?
「………大惨事じゃないか」
「………これ、私の責任かい………?」
「今回ばかりはタキオンさんのせいでは………私も、弁護しますから………」
念入りに準備運動とウォーミングアップを行い、コースを走り始める。
メニューはこちらのものでいいとブルームスのチーフトレーナーから許可をもらったので、マイル用のトレーニングに負荷を増大させたものをこなす予定だったのだが。
(ラダートレーニング、ジャンプアップ、ダート、坂路、芝コース………これだけのトレーニングをこなしてまだ身体に余力がある)
げに恐るべきはこの身体のポテンシャルか。
確かに疲労は感じるが、担当の子達であれば既に限界に達しているであろう負荷を掛けてなお余力を残している。
それは全身の筋肉がバランスよく鍛え上げられている証拠でもあり、パワーとバネを兼ね備えたマイラーの申し子とでもいうべきタイキシャトルがここまで大きなケガ無く走り続けてきた理由の一つでもあった。
(これを相手にするには、駆け引きだけではない純粋な身体能力が必要になる。生半可な策では真正面から打ち破られる………)
「あ、あのっ!」
声の方を振り向けば、そこにはステイヤー最高位の実力者、ライスシャワーとマチカネフクキタルが何か言いたげな表情で立っていた。
「ライスシャワーにマチカネフクキタル………どうしましたカ?」
「あっ、えっ、ホントにタイキさんじゃないんですね………えっと、樫本トレーナーさんが、焦ってるように見えて………ライス達で良ければ、お話を聞かせてほしくて」
「私達はトレーナーではありませんから、大してお役には立てないかもしれませんが………もしお悩みでしたら、占ってさし上げることも出来ますので!」
思わずぎょっとして2人を見やる。
実力者であるのはそうだが、悩んでいることまであっさりと見破られる程に表情に出ていたということがショックだった。
「………そこまでオモテに出ていましたカ」
「どこか鬼気迫る、といった感じには見えました。とはいえ、チームファーストに関わることでしょうから迂闊に聞くのもどうかとは思ったのですが………」
「………イエ、丁度いいタイミングデシタ。休憩がてら、少し聞いていただけますカ」
「あ………はいっ!ライス達で良ければ!」
「そうでしたか………なるほど、確かにそれは難題ですね………」
「成長………うーん、成長………」
「───ワタシはコンディションを徹底的に管理下に置くことで、これまで計算ずくで強化を図ってキマシタ。しかし、あの子達の成長はその計算の外の要素による事象でした」
「ふむ………ならば、樫本トレーナーのチーム運営方針を一つ占ってみましょうか?もしかしたらそれが切り口になるかもしれませんし!」
「そうだね、フクキタルさんの占いは結構当たるから………ひょっとしたら、何かヒントを貰えるかもしれないよね!」
「………ソウデスネ、折角ですから一つ占って頂けますカ」
承りました!というやいなや、いそいそといくつかの道具と水晶玉を取り出し始めるマチカネフクキタル。
それを横目に、ライスシャワーは話を続ける。
「えっと、樫本トレーナーさん。………心って、とても大切なんです。あの決勝戦でチームの皆さんがあれだけ速く、強く走れたのは誰かのため、チームのために勝ちたいって気持ちがあったからだと思うんです。
春の天皇賞で、ライスがマックイーンさんに勝ったように」
「心………デスカ」
「はい。………ライスは、たくさんの人に支えられて、チームの皆に助けられてきたから。その人たちのために、誰よりも強くなりたかった。
きっとそれは、チームファーストの皆さんもそうだと思うんです」
「…………」
小さな身体から考えられないほどの闘気を迸らせ、時に自らの安全をまるで省みないかのような走りを見せる彼女の背中には、いつも誰かの思いがあった。
「だから、その………焦らなくてもいいと思うんです。ライスはライスにしか出来ない走りがあって、タイキさんはタイキさんにしか出来ない走りがあるんです。それは、チームファーストの皆さんも一緒です。
えっと、だから、もっと皆さんを信じてあげて欲しいんです………!」
「信じる………」
「は、はい………あの、ライスがこんなことを言うのもおこがましいかもしれませんけど………」
信じる。
管理主義に傾倒するきっかけになった、一つの傷。
………その時から、私はあの子達を信じてあげられただろうか。
「ライスの時は、お兄様………あっ、えっと、トレーナーさんがライスならやれるって信じてくれたから、ブルボンさん達とのハードトレーニングを許可してくれたんです。
ライスが勝ちたいって思う、その心を信じてくれたんです」
「そう、か………だから貴女は、あんなにも全力で………」
「お待たせしましたっ!占いの結果が出ましたよ!」
「フクキタルさん………!どうだった?」
「ラッキープレイスはチームルーム!多く語らい、理解を深め合うべしと出ましたよ!
きっと、チームの皆さんもまだやれるって思うところがあるんじゃないでしょうか?」
『信じる』
トレーナーの基本が、今となってはこれほどまでに重い。
「………信じるって、ちょっと怖いですよね。ワタシも少し前までは、自分を信じられなくてずっと占いに頼ってました。
でも、幸いなことにワタシにはトレーナーさんが、樫本トレーナーにはチームファーストの皆さんがいます!
不安があれば、気になることがあれば話しましょう!そうしたら、きっとお互いをもっと信じられるようになります!」
「………全く、これではどちらが大人かワカリマセンネ」
担当トレーナーと壁を乗り越えて、苦しみ抜いた先を見た彼女達の方がよっぽど大人らしい。
自嘲気味の笑みを漏らしながら、しかし心はずっと軽くなっている。
「………まだ走り足りないデスネ。一つ、併走をオネガイデキマスカ?」
「───!うんっ、お願いします!」
「もちろん、お受けしますよー!」
その日の夕暮れ、チーム《ファースト》チームルームにて。
「つ、疲れた………」
「まあ、今日は仕方ないな………まさか、樫本トレーナーとタイキシャトルの人格が入れ替わってるなんて信じられなかったけど………」
「ダキシメテキタノハタイキサンデデモミタメハトレーナーデアバババババ」
「おーい、ジャヌちゃんいい加減帰ってきなよー………」
「流石に怒鳴り込んだのも不味かったですよね………他のチームが引いてたみたいですし」
(「《ファースト》だ!開けろアグネスタキオン!」)
(「早く開けろ!何をしたか一から説明しろ!」)
(「今すぐ開けなきゃ蹴破るよ!?」)
「………でもトレーナー、それだけ悩んでたんだよね。私達は別にトレーニングに不満があるわけじゃないけど………」
「相談に行く相手が相手だけどね………よりによってあのマッドサイエンティストだよ?」
「「「…………」」」
「あまりそう悪く言うものではアリマセンヨ。彼女には彼女の事情があり、相談にもきちんと乗って頂いたのですから」
「っえ、タイキシャトル………じゃない、トレーナー!?」
「大丈夫なんですか!?その、元には戻れるんですよね………?」
「明日には戻るそうですヨ。………ナゼかタイキさんが少し残念そうだったんですが、何かあったのデスカ?」
「「「い、イエナニモ」」」
「強いて言うならハグされて熱烈に労われたくらいですね」
「「「グラッセちゃん!!」」」
「ハァ………そういうとこだよ」
あっけらかんと自分達の醜態を晒したビターグラッセの蛮行にチームメイトが悲鳴を上げ、リトルココンが頭を抱える。
最初、あれだけのドライな関係で始まったチームとは思えない、穏やかな光景があった。
(アグネスタキオンからの話では、研究室に怒鳴り込んできたとの話だったけど。
………本当に、私は教え子に恵まれた)
(信じてみよう、この子達を。私の全てを持って、輝く舞台へ皆を連れていく)
「………アリガトウ、ミナサン。ワタシは、幸せ者デスネ」
「っ、トレーナー?」
「もー、どうしたんですか急に………」
「急ではアリマセンヨ。貴女達に救われたのは事実デスカラ。
では、ミーティングを始めマショウ。トレーニングの出来と疲労の報告を。まだ余裕があるようなら追加も検討シマス」
「っ、はい!では、スプリント班から────」
こうして、以前よりも少し温かみを増して、チームの夜は更けていく。
後日、元の身体に戻った樫本トレーナーは昨日の体験を元に新たなトレーニングプランを作成し、共同トレーニングを持ちかけてきたタイキシャトルの協力の元チームの大幅な強化に成功。
団結力を増したチーム《ファースト》は以前よりも笑い声や笑みが増え、樫本トレーナーの笑顔も増えたらしい。