「くそが!」
Ⅷ階梯の死徒は自室の椅子を蹴り飛ばしていた。当然死徒の全力であれば椅子など簡単に消し飛んでしまうので相当自制してはいるが。
「なぜこの私が、あんな奴に遜らなければならないんだ!なにがファラオだ!私は死徒、しかもⅧ階梯だぞ!普通に戦えば一瞬で殺せるというのに…。あいつもずっと上から目線でものを言ってきやがって!本来サーヴァントよりマスターの方が立場は上のはずだ!」
「落ち着いてください。ダーニック様。それこそが我々の作戦のはずです。我等は祖を失った派閥。原理血戒を保有していません。聖杯戦争に勝つためにはあなたの原理をうまく使う以外に方法はありません。」
「そんなことは分かっている!だがこれ以上は耐えられん!やはり一度上下関係というものを再認識させなければならないか。」
「そう焦らないでください。それではあなたの原理の効果が薄くなってしまいます。こればかりはタイミングが非常に重要です。」
「理解していると言っているだろう!何もかも大帝のせいだ。本来私が継ぐはずだったんだ。あの原理血戒を。そうすれば私もⅨ階梯、祖の仲間入りだったはずだ。それなのに私に継承する前に、派閥争いに負けて大帝に原理血戒を奪われてしまった。聖杯なんぞに興味はないが、これは大帝から原理血戒を奪い返す好機。だがそのための力が足りないことも分かっているし、原理が最も効果を発揮するタイミングを待たなきゃいけないことだって分かっているさ!だが、だが!あんな女風情に侮られるのはもううんざりだ!」
「まぁまぁ、そう怒らないでください。今月の分の例の物が届いています。それで機嫌を直してください。」
「ああ。わかった。誰もあの部屋には近づけるなよ。」
「心得ています。」
Ⅷ階梯の吸血鬼、ダーニックは自室を出て、自らの城(キャスターの手によって一部神殿化しているが)に作られた隠し部屋へと足を運ぶ。ここは自室以外に唯一キャスターの目が届かないところになっていた。
「お、お待ちしておりました、ダーニック様。こ、こちらが今回の分です。」
そこには人間の男が待っていた。そしてさらに一糸纏わぬ姿の人間の女が数名。
「よくやった。次回もしっかりと持って来いよ。約束の物はもう渡しているはずだが?」
「は、はい。毎度有難うございます。」
「用が済んだのならさっさと出ていけ。貴様の血も吸ってやろうか?まあ男の血など不味いだけだからただ殺すだけになってしまうが。」
「失礼しました!それでは!」
そういって人間の男は姿を消した。この男は僻地に追いやられた人間の暮らす領域から、若い女を攫ってこのダーニックに届けていた。それにより、大金と吸血鬼の後ろ盾を得ていた。そしてダーニックは大の少女好きであった。少女の血しか喉を通らないと噂されるほどであった。しかしそれがキャスターに露呈すれば面倒なことになるのは間違いない。だからそれを隠し、キャスターに媚び諂う事の息抜きにしていた。部屋に取り残されたのはダーニックと数人の女のみ。さすがに一度に吸ってしまってはもったいないので一度に一人しか血を吸わないと決めている。今日はどいつの血を吸おうか。そう思いながら少女たちを品定めする吸血鬼。そんな少女たちの中に一際目を引く少女がいた。黒みがかった肌に紫色の髪。ずっと見ていると魅了されてしまいそうなほど整った顔。
「今日はお前にしよう。」
と吸血鬼は言い、その女の拘束を解いて部屋の中央に移動した。
「ほかの女どもは私を畏怖しているようだが、お前からは恐怖の欠片すら感じられん。お前は私が怖くないのか?」
吸血鬼は問う。少女はそれにいいえと答えた。
「そうか。気に入った。」
そう言って少女の首筋に牙を突き立てる。この瞬間だけがダーニックの至福の時間であった。そのままいくらか少女の血を吸った所で少女は呟いた。
「妄想毒身(ザバーニーヤ)。」
その瞬間、吸血鬼は後ろに飛び退く。しかし、既に遅かった。彼女の宝具は彼の体を蝕んでいた。
「貴様!サーヴァントか!!!」
「私の真名はハサン・サッバーハ。クラスはアサシンです。私の体は猛毒。そんな私の血を吸ったのですからもうあなたはおしまいです。いくら吸血鬼と言えど私の毒には勝てない。それこそ体を破壊して丸ごと再構築でもしない限りは。」
「くそ!どうやって紛れ込んだ!あいつの策略か!やはり人間を使うのは危険だったか。だがまあいい。偉大なるファラオよ!緊急事態が発生しました!私に血を与えてください。そうしなければ死んでしまいます。」
そう言いながら、既にダーニックの右手は赤く光り、血は供給されていた。
「よし、これこそが我が原理!『反転』!」
『反転』。それがダーニック・ユグドミレニアの原理。その能力は絶対値はそのまま、物事の符号を逆転させることだ。つまり+1の物を-1に、+100の物を-100にする事ができる。つまりものすごくおいしい料理ならものすごく不味い料理に、少し不味い料理なら少しおいしい料理にすることができる。つまり、ものすごく強い毒ならものすごく弱い毒にできる、はずだったのだが。
「なぜだ、どうして毒が弱くならない!」
いくら反転できるとは言え、あまりに絶対値が大きすぎるものは、ダーニックの力では反転させることができないのだ。
「毒が強すぎるのか!こんな時に原理血戒があれば…!いや、そうか!この毒の進行速度を反転させればいい!だが、反転しても毒が消えるまで時間がかかる…。こんな状態でサーヴァントを相手にするのはきついか…。」
そういってアサシンの方をもう一度見たとき、アサシンの右手も赤く光っており、アサシンは苦しんでいた。
「こいつもマスターに血を吸われているのか!よし今のうちに…ちょっと待て。という事はキャスターの方にアサシンのマスターが行っているのか!まずい。今キャスターに死なれては困る。原理を使うことも視野に入れなければ。」
「待ちなさい。」
毒の塗られたダガーを吸血鬼に向け投擲する。しかし、いくら毒で弱っているとはいえ吸血鬼、そのダガーをなんとか避ける。
「まずはお前からだ。」
そうしてダーニックとアサシンの戦闘の火蓋は切られた。
ー遡ること数分前
ユグドミレニアの城の、キャスターによって神殿化された玉座にキャスターは座っていた。
「同盟者はどこに行ったんですか?しっかりと戦略を練らなければ聖杯戦争には勝てないとあれほど言っているのに。アーチャー陣営、ランサー陣営、バーサーカー陣営の戦闘が起きたとの報告があったのにあんなに呑気にしていて大丈夫なんですか?」
「そう怒らないでください。キャスター様。ダーニック様はしっかりといろいろな事を考えてくださっています。少しぐらい自由な時間があってもいいではないですか。それに、自室まで覗く気はないと仰ったのはキャスター様ですよ。」
ダーニックに、ひいてはユグドミレニアに長年使えてきたⅦ階梯の吸血鬼はキャスターをなだめる。
「わかっていますが。それでも少し危機感が足りていないと思うのですが。」
まったく、この二人は似た者同士だな。と思い吸血鬼は微笑む。
「なに笑っているんですか、不敬ですよ!」
そんな何気ない会話は唐突に終わりを告げる。キャスターの右手に刻まれた令呪が唸りをあげながら血を吸い取っていく。
「何ですか、いきなり!同盟者、しっかりと説明を…。く、この血を吸われる感覚、不快ですね…。」
「大丈夫ですか、キャスター様!」
「私は大丈夫ですが、同盟者は大丈夫でしょうか。どうやらサーヴァントに襲われているようです。私を令呪で呼び出せばよかったのになぜでしょうか。」
「それはダーニック様が一人で対処できるという判断でしょう。それにサーヴァントがあちらにいるのならこちらにマスターが来る可能性もあります。気を付けて…」
「あら、よく分かっているじゃない。」
新たな刺客が唐突に祭壇に姿を現した。今までは気配遮断によって姿を隠していたが、彼女のサーヴァントがダーニックを攻撃するのを待っていたのだ。
「なぜ貴様がいる!」
吸血鬼が取り乱す。
「あなた、この人が誰か知っているの?」
「吸血鬼でこの女を知らない者はいません。真祖のはぐれもの。真祖のくせに女王の命令を無視し、恋人をよみがえらせることに執着された亡霊。虞美人!」
「あら、私のことを知っているのかしら。有名になったものね、私も。」
「自分の恋人「項羽」の悪口を言われただけで祖の派閥一つを半壊させるような怪物のことを知らないはずがないだろう。」
「あなた如きが項羽様のことを呼び捨てにするとはいい度胸ね。まずはあなたから殺してあげるわ。」
「キャスター様、彼女は真祖です!我々でも歯が立たない。戦うのは危険です!」
「キャスター様?あなたはキャスターのマスター、ダーニック・ユグドミレニアの部下でしょ?ならなんでサーヴァントなんかに媚び諂ってるのよ。まあいいわ。アサシン!血を寄越しなさい。」
アサシンを気遣うそぶりも見せずアサシンから血を吸いとる。
「我々では敵いません、どうかお逃げを!」
アサシンのマスター、虞美人は双剣を取り出し吸血鬼に襲い掛かる。吸血鬼は何とかその爪牙で攻撃を受け止める。その騒ぎを聞きつけ吸血鬼たちが集まってきた。
「わらわらと、吸血鬼のくせに人間みたいに群れて恥ずかしくないわけ?死徒も落ちたものね。まあいいわ、さっさとかかってきなさい。」
真祖による蹂躙が始まる。死徒と真祖は大きなくくりで見れば同じ吸血鬼だが発生から何までまるで違う。死徒は人として生まれ、血を与えられることで死徒へと姿を変えるが、真祖は生まれながらに真祖であり、星の触覚である。あり方は精霊や妖精といった類の物に近い。死徒ではいくら群れたところで勝ち目はない。その双剣により首を断ち切られ、その炎で体を焼き尽くす。真祖の放つ炎の前では死徒の再生能力など人間の再生能力と大差はない。そうして気づいたら、残っているのはキャスターただ一人であった。
「そんな、みんな死んでしまった。吸血鬼だというのに私を慕ってくれていたのに…。よくも、よくも!」
先程まで会話していたのに既に死んでしまっている。少ししか過ごしていないが、生前即位後、すぐに復讐を果たし自ら命を絶った彼女にとって、この城での生活そのものが、聖杯に望む願いの一つであった。しかし、それはすぐに終わりを迎えてしまった。生前と同じように。
「宝具起動!冥鏡宝典(アンプゥ・ネブ・タ・ジェセル)!」
キャスターの背後に、巨大な鏡が現れる。しかし、それは一瞬で虞美人に破壊されてしまった。
「宝具?こんな物が?所詮サーヴァントなんてこんな物ね。じゃあ死んで。」
このまま死んでしまうのか。キャスターが覚悟を決め、剣が振り落とされた時、その剣は弾かれた。
「お待たせしました、ファラオ。ダーニック・ユグドミレニア、ここに推参しました。」
「同盟者!申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりにみんなを守れず…。」
「仕方ありません。こいつは真祖。私でも勝てません。しかし、真祖がこの聖杯戦争に参戦してくるとは予想外でした。私の責任です。」
「そちらのサーヴァントの方はどうなったのです。」
「追い詰めたのですが殺し損ねました。というよりかはファラオをお守りするために、アサシンを無力化してすぐにこちらに駆け付けました。」
アサシンに魅了されて見逃した、なんてことはない。決して。
(しかし、どうしたものか。このまま戦っても勝機はない。さっきの毒もまだ残ってる。ここで原理を使うか?まだ聖杯戦争は序盤。それに今使うのはまだ早すぎる気もする。ここで使っても虞美人に勝てる保証はない。どうする…。虞美人…。そうだ!虞美人と言えば項羽!項羽の話を出して逃れるしかない!)
「こんなところで油を売っていていいのですか?真祖様。」
「アサシンのことなら気にしてないからいいわ。生きてるみたいだし。あなたたちを殺した後に回収にでも行くわよ。それにしてもアサシンのくせに暗殺のひつつもできないなんて使えないわね。」
「いえ、そのことではなく。先日あったアーチャー陣営、ランサー陣営、バーサーカー陣営の激突の最中に項羽を見た。という噂が流れていますが。」
「そんな嘘で私をだませると思っているの?項羽様を出しに使うとはいい度胸ね!私は過去くらい簡単に見れる。これで項羽様がいなかったらあなたを許しは…。な、なんで!項羽様がいるの!本当のことだったのね。こうしている場合ではないわ。あなたたちのことなんてどうでもいいし殺してあげてもいいけど、項羽様のことを知らせたことに免じて今回は見逃してあげるわ。アサシンも回収しなきゃだしね。」
虞美人はそう言い終わらないうちに姿を消した。
「同盟者、本当だったんですね。でもどうやってその情報を?」
「ま、まあ私の情報網を舐めないでください。」
「そうですか…。でも私のせいで皆が…。」
「気にしないでください。確かに私も悲しいですが…。聖杯戦争に参加する以上犠牲はつきものです。さあ、次の襲撃者が現れる前に対策をしましょう。」
「ええ…。」
キャスターの心に大きな傷を残したまま、アサシン陣営のキャスター陣営襲撃は幕を閉じた。