「――キールはボクの花嫁なんだぁぁっ!」
「っ!? 今の声……まさか慰霊の浜から……っ!?」
来た道を駆け戻って崖を下りきった時、浜のほうから突如聞こえてきた叫び声に、あたしは思わず息を呑んだ。
花婿の悪霊が向かったはずのそこに、まさか人がいるなんて想像していない。しかも同時、ハッとした表情のエクスが言うにはその声はアーシクさん、キールさんの花婿となる人のものらしい。エクスと共に、浜に打ち上げられていたあたしを助けてくれた人でもあるそうだ。
言われてみれば、その声にも聞き覚えがある気がする。ともかくたぶん、彼は運良くか悪くか悪霊に攫われるキールさんを見つけてしまって、たまらず追ってきてしまったんだろう。
一大事だ。彼がキールさんを取り戻そうとしても、あの悪霊は普通の人の手に負えるようなものじゃない。
早くしないと取り返しがつかなくなっちゃう。走り疲れて痺れてきた脚に最後のスパートをかけさせて、あたしとエクスは砂浜にたむろする猫の魔物たちを蹴散らしながら、慰霊の浜の入り口に飛び込んだ。
「アーシクさん、無事っ!? 今助けに――きゃあっ!?」
すぐさま見覚えのある真っ白のタキシード姿のウエディを見つけて庇おうとした、その瞬間、あたしめがけて何かが吹っ飛んできた。
エクスが支えてくれたおかげで、ぎりぎりだけど一緒に吹き飛ばされることなく受け止める。頭を振って激突の衝撃を追い出して、その正体を確かめた。
逆手にして支えのように突き立てる大剣と、長めの金髪。そして舌打ち混じりに吐かれる強めの口調。
「くっ……このオレが全く歯が立たねぇとはな……。すまねぇアーシク、お前だけでも――」
「ヒューザ!? あなたヒューザじゃない! なんでこんなところに……!?」
ヒューザだった。孤児院を出て行って、それきり姿を見なかったけど……なんでよりにもよって慰霊の浜なんかにいるんだ。
思わず文句まで出てしまいそうになる。けどその思いはヒューザも同じだったみたいで、あたしの声に驚いて弾かれるみたいに振り返ったヒューザは、目を丸くしてあたしと、そして後ろのエクスを交互に見やった。
「な……ガキ、お前こそなんで……。エクス、お前もあの魔物を追ってきたんだろうが、なんでガキまで連れてきた!」
「そ、そうだよ! 君、この浜辺に流れ着いていた子でしょ!? こんなとこにいちゃ危ないよ!」
アーシクさんまで駆け寄って、あたしにそんなことを言う。あたしはガキじゃないし、一番危ないのは間違いなくアーシクさんだと思うけど、今がそんなことを言い争っている場合じゃないことは明らかだ。
だからあたしは言い返したくはあったけど、憤りを胸の内に収めて前を見やった。浜の奥、慰霊碑の横に倒れ伏すキールさんと、あたしたちとの間に立ちふさがる花婿の悪霊。
神官様の言った通り、そこに彼は立っていた。そしていきなり乱入してきたあたしたちを、いや、エクスをじっと見つめている。
なんだか品定めでもしてるみたい。そう感じるような凝視は、ふとその時、元々不気味な弧を描いていた口をさらに口角を上げて震わせて、たぶん、歓喜のそれになった。
『ああ……キミはシェルナーだね? ちょうどいい、キミも一緒に連れて行こう。力づくでもね……。そしてボクとダーリアは、幸せな結婚式を挙げるんだ……!』
ダーリア、それが彼の本来の花嫁の名前なのか。彼はキールさんをちらりと見やって、そしてさらに纏う魔力を強くする。
戦闘態勢だ。エクスが抜いた剣と盾を構える。ヒューザも起き上がって、顔を悪霊に向けたまま、また舌打ちと一緒に後ろのあたしへ指図した。
「……ガキ、アーシクを連れてさっさとここから逃げろ……! ちょっと戦い慣れてるだけのガキが敵う相手じゃねぇ……!」
既に随分やられてしまったんだろう、生傷だらけの背中が言った。けど、それに言葉で返すような時間はなかった。
悪霊は、頭上に掲げた手に黒い魔力の砲弾を練り上げていた。無念の思い、花嫁への愛が転じた強い憎悪が、その矛先をエクスたちに向ける。
放たれ、それからあたしたちを守るために、二人は盾と剣でその攻撃を受け止めようとした。
けど、あたしは二人のお荷物になりに来たんじゃない。
「
二人の間から放ったあたしのメラミが、悪霊の砲弾を打ち落とした。赤い火の魔力と黒い魔力がぶつかって、相殺してお互いに散って消える。
そういえば、ヒューザにもエクスにも魔法使いであることは明かしていたけど、実力を見せる機会は今までなかった。あたしは二人の驚き顔にちょっぴり得意な気持ちになりながら、アーシクさんを傍に引き寄せた。
「アーシクさんのことは任されたわ。でも……あたしが『ちょっと戦い慣れてるだけのガキ』じゃないってことは、そろそろわかってもらえたかしら」
「……足だけは引っぱるなよ、ベロニカ!」
「……!」
ようやくあたしを名前で呼んだヒューザと、そしてエクスも、短く言って再びあたしに背中を向けた。けどそれはさっきまでとは意味が違う。あたしたちが向く方向は一緒だ。
共に戦う仲間として認められて、任せられた後方支援に、あたしは自分の魔力が高ぶるのを感じていた。
「っ! 来るわよ!」
悪霊は、今度は砲弾ではなく肉弾戦を挑んできた。悲痛な叫び声を上げながら突進してくる彼に、まずエクスが立ち向かう。振るわれたパンチを盾で受け止めた。
けどパンチは一発で止まらず、もう一撃が逆側から襲い来る。エクス一人だったなら防ぎようはなかっただろうけど、今、あたしたちは三人だ。
「
あたしの撃ち放った氷の針が、悪霊の拳に突き刺さってその動きを止めた。その隙にヒューザが彼に切りかかって、エクスもそれに合わせて剣を振るう。
「おらぁッ!」
「……!」
黒い瘴気の身体を二本の刃が切り裂いた。けれど裂けた身体はすぐに元通りにくっついて、大きなダメージにはなっていない。やっぱり一筋縄じゃいかないみたいだ。
だからあたしは歯噛みするエクスに鋭く一声を放つ。
「エクス! あたしとヒューザで抑えるから、先にキールさんを助けてあげて!」
エクスはちらりとあたしを向いて、力強く頷いた。剣を鞘に収めて慰霊碑傍のキールさんの下に向かう。
けれそれを悪霊がほうっておくはずもなかった。
『させない……! ぼくのダーリアは、もう誰にも奪わせない……っ!』
「こっちの台詞よ! あたしだって二度も同じ轍を踏む気はないわ!
エクスとヒューザに止められた脚が、エクスを追って駆け始める。あたしの魔法はちょうどその時に唱え終わって、かざした手の平の先に捉えた悪霊を遅くした。
ゆっくりになった彼の脚じゃエクスには追い付けず、そしてヒューザの剣は簡単に、二度彼の身体を切り裂いた。
『ぐ……っ! ううぅぅぅっ……!』
「チッ! こいつ、まだ動けて……ッ!?」
けれど尚倒れない。そのタフさにヒューザが舌打ちする。その次の瞬間、ゆっくりとヒューザに向いた悪霊の目が禍々しく輝き、怪光線を発射したことで、ヒューザは剣と一緒に吹き飛ばされた。
またあたしの元に吹き飛んでくる。傍にいたアーシクさんがワタワタしながら助け起こすのを横目にしながら、
「行かせないってば!
悪霊の進路を、あたしが放った熱線が塞いだ。そして頭上から降り注ぐ、いくつもの氷塊。
さすがに効いたみたいだ。彼はその時初めて耐えかねたふうに後退した。
けれどその代償に、あたしが無視していい存在じゃないってことを彼に気付かせてしまったみたい。あたしを先に排除しないと一向に花嫁を取り戻せないことを悟った彼は、その怒りの矛先をエクスからあたしに変えた。
『ぐ、あああぁぁぁぁっ! ゆるさない……! ぼくたちの邪魔をするやつらはみんな、ユルサナイイィィィッ!」
「チッ! はしゃぎ過ぎだ!」
ヒューザのその舌打ちは悪霊に向かってなのか。あたしに向いている気もしたけど一旦無視して、剣を構えて迎え撃とうとする彼の身体に触れると、唱える。
「
「! ……ああ、わかったよ!」
呪文で強化された力に驚いたみたいだったけど、ヒューザは次にあたしの作戦に気付いて剣を振るった。同時に悪霊も拳を振りぬいて、二人はぶつかり合う。
両手剣と拳、二人の力はせめぎ合って拮抗していたけど、やがてヒューザの方が勝り始めた。悪霊はきっとダメージが響いてきたんだろう。徐々に徐々に押されていって、吐き出していた怨みの言葉も弱まっていく。
『なんで……どうして、邪魔をする……! どうしてぼくから、ぼくの花嫁を奪うんだ……!』
「違う! キールはお前の花嫁じゃない! ボクの花嫁だっ!」
強く言い返したのはアーシクさんだった。そしてその彼に支えられて、助け出されて目を覚ましたキールさんが憐れみの眼で言った。
「かわいそうなお方……。あなたは悲しみに捕らえられているのです。あなたの花嫁は、もう遠い昔に……」
『うそだ……うそだ、ダーリアが、そんなこと……!』
そう、悪霊の彼はその怨念からキールさんを攫ったけれど、決して悪意からそうしたわけじゃない。ただ捕らえられて、忘れられないだけなんだ。花嫁を失った悲しみを。
だからなおのこと、早く終わらせてあげないといけない。
「……大事な人を失いたくないって気持ちは、あたしにもわかるわ。認めたくないわよね。でも、それでも……あなたの花嫁は、もういないの……。あなたの求める幸せは……もうこの世界にはないの……!」
あたしの魔力と、キールさんを助けて戻ってから集中していたエクスの剣が、その時とうとう合わさって光輝いた。
妖しくも優しい輝き。宿した剣を構えて、エクスは抑え込まれる悪霊へと駆け出した。あたしも続けて、祈りを捧げる。
「だからせめて、安らかに眠ってちょうだい……!」
――ゴスペルソードッ!
大上段から、エクスの剣が悪霊の瘴気を断ち切った。
『あ……』
悪霊、いや、花婿は、その眼から光を消した。両膝を突いてくずおれる。身体からは瘴気が零れだして、それは黒いシミのように砂浜に広がり、やがて空気に溶けて散り始める。
倒せたんだろうか。あたしは息を吐き、背後のアーシクさんとキールさんの無事を確かめようとした。
けど、その時。
『は……ハハハ……』
花婿の声は止まなかった。みんなが息を呑んで、そしてあたしも驚いて振り返った。
『アハハハハハッ!!』
花婿は身体を反って笑っていた。それだけじゃない。空気に溶けていたはずの瘴気が逆にそこら中を埋め尽くして、たちまち黒い嵐を巻き起こした。
空も海も、瘴気に呑まれて黒く染まっていく。エクスとヒューザも弾き飛ばされて、彼を止めること叶わず下がるしかなかった。
「なんて瘴気……あいつ、暴走でもしてやがんのか!?」
「……!?」
「嘆いてても仕方ないわ……! 二人とも、もう一戦よ!」
それぞれ再び構える。周囲で吹き荒れる瘴気のせいか、あたしもみんなモ身体が重いみたいだけど、無理をするしかない。
『ダーリアがいない……なら、そんな世界なんて滅びてしまえいい! 黒い力よ、ボクの願いを聞けっ! 嵐ですべてを吹き飛ばせぇっ!」
「はた迷惑な野郎だ……!」
「させないわ……そんなこと、絶対に!」
放っておけば、彼はずっと不幸を振りまき続けてしまう。彼のためにもみんなのためにも、ここで止めなきゃ。その想いはますます強くなっていた。
吐き捨てるヒューザに続いて、エクスも剣を握る手の力が強くなった。決して引けないという覚悟。それぞれの意思が、再びぶつかりあおうとしていた。
勃発する、その直前だった。
「っ――!!」
あたしの魂がそれを感じ取って、無理矢理背後の空を見上げさせた。一瞬遅れて花婿も気付く。
「なんだ……なにか、来る……?」
そして、世界に光が広がった。
身体から心にまで染み込んで勇気付けてくれるみたいな、暖かい光だった。
それは空と海の瘴気を一瞬で吹き飛ばして澄み渡る青を取り戻させると、今度はあたしたちにも降り注ぐ。照らされて、声もなく苦しみだす黒い花婿と、そしてあっけにとられて光を浴びるエクスたち。でもそれがあたしたちの味方で善なるものであることは、みんな本能的にわかるみたい。
ある種の神々しさ。たぶんこの場であたしだけが、その正体を知っていた。
「――勇者の……光……」
「……?」
小さな呟きは、エクスだけに聞こえたみたいだった。けどあたしは、唖然としたまま言葉の意味を訪ねて顔を覗き込んできたエクスに答えを返すことができず、そのままへたり込んでしまう。
光が花婿の黒い怨念を浄化して、彼が元のウエディの姿を取り戻す。その光景は確かにあたしの眼に映っていたけど、頭には入ってこなかった。安堵も喜びも、それどころか情動の一つもなくて、代わりに重たい絶望が、静かにあたしの心を満たしてしまっていた。
だって勇者の光は、あたしにとって残酷な真実を告げるものだったから。
あたしは勇者の導き手。だからその光が勇者のものであることははっきりとわかる。だから同時に、その光が、あたしと長く旅をした“あいつ”のものじゃないことも、はっきりわかってしまった。
別の勇者がこのアストルティアにいるのだ。そして勇者は、世界に二人は存在しない。この
あたしは今まで、ロトゼタシアから遠く海に流されて、このアストルティアにたどり着いてしまったと思っていた。その常識の違いっぷりに別の世界に来たみたいって思いもしたけれど、けど、そうじゃなかった。
文字通り、ここは別の異世界だった。海を越えても空を越えても、ロトゼタシアにたどり着くことは決してない。
だからあたしはもう、セーニャたちのもとに帰れないのだ。
そう確信してしまう光だった。
「――すまなかった。君を死んでしまったダーリアの代わりにしようとしていたなんて、ぼくは……」
怨念から解放された花婿がキールさんとアーシクさんに、申し訳なさそうに、悲しそうに言っている。その時ふと、声がした。
『レグ……。私は、ここにいます……』
淡く聞こえる、女の人の声。花婿、レグが振り向くと、海辺の上にウエディングドレスを着た半透明の女の人が浮かんでいた。レグに優しく手を差し伸べる。レグは顔を歪めて涙をこらえ、その人のもとに駆け寄った。
ようやく再開を果した二人は幸せそうに抱き合って、ゆっくりと天に昇っていく。
『行きましょう。私たちの、行くべき場所に……』
『ああ、ダーリア……。もう離れないよ……』
静かに、清らかな歌声が辺りに流れ、そして消えていった。
「……返し歌だ。ウエディの古い、な……」
いつの間にか、あたしの隣にバルチャさんが立っていた。ゆるゆると見上げると、彼は静かな眼差しであたしを見下ろして、やがて何も言わずにレグのいた場所に落ちていたあの貝殻を拾い上げ、慰霊碑に供えた。そしてそのまま踵を返して、去り際にこっちを振り向いて言った。
「エクス、ヒューザ、ベロニカ。それにキールも、村に帰るぞ。結婚式の時まで、身体を休めておけ」
「そう……だね。ボクは新しい貝殻を探さなくちゃいけないし」
「……次はいわく付きのモン、拾ってくるんじゃねぇぞ」
アーシクさんが頷いて、ヒューザはバルチャさんの後に続く。あたしも、エクスに引っ張り起こされるふうに立ち上がって、そのまま浜辺を後にした。
それから一夜が明けて、結婚式は盛大に執り行われた。今はもう宴会の時間に突入していて、ごちそうの匂いや歌の声、村のそこら中から楽しげな様子が聞こえてくる。
あたしはそんな輪に入らず一人、波打ち際に座り込んでいた。
悪いとは思ったけど、とても参加する気になれなかった。だって頭の中には仲間たちや両親や里の人たち、それにセーニャとの思い出ばかりが蘇ってきて、繰り返し流れ続けてばかりいるのだ。彼女たちにもう会えないと思うと悲しくて寂しくて、どうにかなってしまいそうだった。
大事な人を失う悲しみを認められないのは、あたしのほうだった。ずっと一緒だと誓い合った、大切な妹。なのにもう永久に会うことが叶わないなんて、とても信じることができない。けど真実だという確信もあたしの中に確立していて、そのぶつかり合いが頭の中を絶望でごちゃごちゃにしてしまっている。
こんな思いをするのなら死んでしまったほうがよかったって、そんなことまで思ってしまうほどだった。ウルノーガに吹き飛ばされたあの時にそのまま死んでいたのなら、セーニャたちと会いたいって思うことも、それが叶わず苦しむこともなかったのに。
けど生き延びてしまったから、希望が芽生えてしまっていたから、そのぶんだけ絶望が強くなる。あたしはもう、どうすればいいのか何もわからなくなっていた。
セーニャたちとの再会を諦めればいいんだろうか。それとも諦めずにもがき続ければいいんだろうか。けど、海を泳いでも空を飛んでもたどり着けない世界に、どうやって帰ればいいんだろう。
水平線を見つめながら瞬きをして、滲みそうになる涙を払い落としていた。
その時ふと、隣に誰かが腰を下ろした。エクスだった。シェルナーとして、今回の功労者として忙しいはずなのに、と少し驚いて振り向いてから、あたしは自分の涙に気付いて慌てて顔を逸らす。
「……ごめんね。せっかくの結婚式、出られなくて」
「……」
「構わないって、アーシクさんとキールさんも言ってくれたの……? ……そう……」
エクスは頷いて、それきり黙って海を眺めていた。
おかげであたしも少しは落ち着けたと思う。頭が少しは働くようになって、つられてつい、その中身を零してしまった。
「あたし……きっと、やっぱり死んじゃったんだと思うの。あの時死んで、でも枯れ果てた大樹に還ることができなくて、魂だけがアストルティアに流れ着いてしまったの」
エクスはまた、黙って頷いた。あたしは我慢ができなくて俯いて、喉の奥からせり上がってくる熱いものに抗って、押し出す。
「……ねえ……エクスは、どう思う……?」
エクスは答えなかった。だって答えられるはずがないだろう、こんな言葉。
後悔したけど、一度口にしてしまった言葉を引っ込めることはできない。引っ込められる余裕もない。だから出た絶望感なんだから。
けど、遠く聞こえる宴会の音と揺り籠のように寄せて引いてを繰り返す波の音だけがしばらく続いた後、エクスは口を開いた。
曰く、実は今までみんなに隠していたことがある、と。
「……隠し事……? ヒューザやバルチャさんにも……?」
頷くエクス。言っても混乱させるだけだと思って黙っていたと言う。
どこか後ろめたそうに、彼は夕日になり始めた赤い太陽を見上げた。
「それを、どうしてあたしには話してくれるの……?」
「……」
「……あたしにこそ知っていてほしい? いよいよよくわからなくなってきたわ」
ヒューザやバルチャさんでなくても、ここで育った彼にとって、村のみんなは身内も同然。だからあたしが例外なのは、その枠から外れた外の人間だからなのか。
そう思うのだけど、空を見上げるエクスの眼は、少し違っているような気もした。
あたしはエクスの顔を覗き込んだ。同時にエクスも意を決したみたいに話し始めようとしたけど、それはバルチャさんの声に遮られた。
「やはりそうか。エクス、お前は……」
それは少し悲しそうで、突然のこともあってあたしとエクスは驚いて背後を振り返る。またもいつの間にかそこにいたバルチャさんは、振り向いたエクスの顔をしばらく静かに見つめていた。それから眼を閉ざし、ゆっくり息を吐き出すと、呟くみたいにエクスに続けた。
「……お前は、幼いころにわしに拾われ、フィーヤ孤児院で育った。いつの日か両親を探すことを望みながら。だが……」
と、バルチャさんは大きな円の板を取り出した。あたしはすぐ、頭の中の知識にその名前を見つける。
「ラーの鏡……? 真実のみを映し出すっていう……」
「そうだ。……エクスよ、何も言わずにこの鏡を覗いてみるのだ」
そんなことをして何になるんだろうって、バルチャさんの行動に首をかしげたのは一瞬だけだった。エクスが覚悟を決めたみたいに鏡を覗き込む。あたしもその様子が見えて、当然映るのはエクスの、頼りなさげなウエディの顔。
だと、それ以外に予想なんてできなかったのだけど、
「え……!? に、人間!?」
映し出されたのはウエディではなく、人間の顔だった。
ウエディのエクスはどこにも映っていない。その面影があるような気もする人間の男の顔が、隣のエクスと同じ険しい表情で映っているだけだ。
だから、それはつまるところ――
「これって……エクスの正体が、ウエディじゃなくて人間だったってこと……!?」
そういうことなんだろうか。自分で思って信じられないことだけど、驚愕の眼でエクスを見やると、彼は重々しく頷いしまった。
一層わけがわからない。混乱するあたしに、バルチャさんは鏡をしまいながら応える。
「実はな、エクスは一度、死んでおるのだ」
「え……死……?」
「そうだ。剣の修行の事故で、と聞いておる。心臓は止まっておったし、葬儀まで行った。つい最近のことだ」
もっともっとわけがわからなくなった。エクスは相変わらず厳しい顔で聞くばかりで否定しないし、ていうか生きているし、でも死んだって認めているし……。
「だが、蘇った。水葬されるはずの小舟から、突然起き上がったのだ。最初はわしも運よく息を吹き返したのだと思っていたが……違ったのだな」
「……」
エクスとバルチャさんの目が合った。片方はまるで断罪を待っているみたいに。もう片方はただ静かに。
「お前は、ウエディのエクスの身体で蘇った、人間のエクスなのだな」
重々しく、頷いた。
それであたしも、ようやくその事柄を理解した。エクスがなぜそれをあたしだけに言おうとして、そしてバルチャさんに知られて険しい表情になったのかも。
エクスもまた、あたしと同じく“外の人間”なんだ。それが村の人間になり替わってしまった。彼はきっと、ヒューザやバルチャさん、アーシクやルベカにとってのエクスを、自分が滅茶苦茶にしてしまっているように思えてしまったんだろう。
ウエディのエクスが作った繋がりを奪い取ってしまったって、そういう後ろめたさがきっと、あたしを仲間にしてくれた理由でもあったんだ。彼にとって、あたしがウエディのエクスから奪わずに済んだ初めての相手だった。彼があたしに心を許してくれたのは、そういうことなのかもしれない。
あたしは、エクスを見上げてそう思った。
「二人は、世界を照らした白き光を見たな? あれは勇者が覚醒を迎えた時、放たれる光だと言われておる。……時を同じくしてエクスという存在は生き返り、ベロニカは異なる世界からこの世界にたどり着いた。わしにはこれが、運命であるように思える」
「うん、めい……」
無意識に、あたしはその言葉を繰り返した。エクスもスッと息を吸う。
「ならば光が放たれた地へ、レンダーシアへ行くことが、二人の進むべき道なのだろう。……旅立て、エクス。そしてベロニカよ。お主たちの運命を見定めるのだ」
その言葉は驚くほどすんなり、あたしの心に響くものだった。
あたしの運命は、セーニャや勇者のあいつと共にあった。それが途切れてどうしていいのかわからなくなって、その空いた穴に滑り込むように現れたその運命。
続く先は、またセーニャやあいつの運命と繋がっているんじゃないか。エクスの隣で、あたしはそう、希望を持つことができた。
「……これを持っていくといい。五つの大陸を結ぶ鉄道に乗ることができる。役立つはずだ」
バルチャさんが一枚のチケットを差し出した。大陸鉄道パス、そう書かれたそれは、きっと本来、ウエディのエクスのために用意されたものなんだろう。差し出されたエクスは躊躇していたけど、あたしが小突いてそれを受け取らせた。
バルチャさんは渡すと、背を向け話す。
「……エクスよ。わしは今まで、エクスというウエディの若者の親代わりをしてきた。どうかやつの念願を、奴の両親を見つけ出してやってほしい。詳しくはベロニカに話しておる。……わしが思うのは、それだけだ」
あたしもエクスも言葉が見つからない。バルチャさんは淡々と続ける。
「もちろん、お主たちの目的が果たされることも応援しとるぞ。エクス、ベロニカ、お主らも今は、わしの子なのだからな」
「バルチャさん……」
なんとか捻り出すと、バルチャさんは横顔だけをあたしに向けて、穏やかに言った。
「世界は広い。母なる大地アストルティアも、お主のロトゼタシアもそうだろう。未知など山のようにある。もしその中に目的のものがなかったとしても、であれば自らの力で切り開けばいいのだ。エクスと共にな。……宴ももう終わる。達者でな、二人とも」
言って、それからまた背を向けたバルチャさんは、もう振り返ることはなく去って行った。その背中はただあたしたちとの別れを寂しく思ってくれているように見えた。
しばらくその姿を見送って、やがてあたしとエクスはどちらからともなく立ち上がった。服についた砂を払っていると、入れ替わりのようにルベカがやってきて、今にも泣き出しそうな顔でエクスとあたしに恐る恐る聞いた。
「ね、え……今さっきバルチャさんとのお話、ちょっと聞こえちゃったんだけど……二人とも村を出て行くの……? ベロニカちゃんなんか、そんな身体で戦ったばっかりなのに……」
『そんな身体』が怪我か肉体年齢のどっちを指しているのかは定かじゃないけれど、けどもうどちらも問題ない。
心もだ。あたしは口角をちょっと持ち上げて、大きく頷いてみせた。
「行くわ。あたしの冒険は、どうやらまだ終わっていないみたいだしね!」
「……!」
一緒にエクスも頷いた。ルベカはそれでも引き止めたそうだったけど、ぎゅっと口をつぐんで手を押さえてくれた。
そんな彼女に心の中で謝って、あたしはエクスへ向き直る。
まあ今更言うことでもないかもしれないけれど、一応の宣言だ。いつかにあいつにもやったのと似たようなもの。隣にセーニャがいないことに少し寂しさを感じながら、それは心に留めて、あたしはエクスを見つめて告げた。
「この、先の見通せない運命。きっと長く、困難な旅になるでしょう。けれどその終わり、私とあなたの運命の終点まで、私をどうかよろしくお願いします。ね!」
最後にちょっと口角を持ち上げて、あたしは腰に手を当て胸を張った。エクスはあたしのその突然に少し面食らったみたいだったけど、その内容を認めて、頷いた。
その顔にはあたしも及ばないくらい、満面の笑みが浮かんでいた。
これにて終了。きっと二人の冒険は、ゴリラ倒したりでこっぱちと出会ったりしながらこれからも続いていくことでしょう。
天界までお話が進んだらどういう展開になるんだろう(抱腹絶倒ギャグ)などと妄想しつつ、私は私で天界と海賊業をエンジョイしてきます。つまるところ拙作はドラクエ10新バージョン発売記念の作品でもあったわけです。嘘ですたまたまタイミングが重なっただけです。
そういうわけでしばらくアストルティアに籠ってて返信が滞るかもしれませんが感想ください。